お願い

拙ブログをご覧頂いている皆さまにお願いがあります。20170708_0010_20

最近、拙ブログへの海外からの卑猥な書き込みが増大しています。

そのため、やむを得ずコメント書き込みに際して、認証システムを採用させて頂きます。 

お手数をお掛け致しますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

2020年7月13日 (月)

今日の一枚 No.57

九州、岐阜と、線状降水帯の影響による豪雨で、多くの被害が出ていることに心が痛みます。 50年に一度なんて言う表現、ここのところ毎年のように耳にしています。 昨年もありました。 その度に各地で鉄道や道路が長期にわたって不通となります。

昨年は台風19号による土砂崩落で、長期にわたり運転できなかった箱根登山鉄道も、復旧工事が予定より早く完了し、7月23日に全線開通させるとの発表がなされています。

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早川に架かる出山鉄橋を渡る姿、楽しみです。 どうかまた、災害が起こらないことを祈るばかりです。

2020年7月12日 (日)

染色に挑む

やむを得ず、初めての染色に挑んでみました。

とは言っても、繊維の染色ではなくこれ。 この素材は2枚組のティッシュペーパー・スコッティを1枚にしたもの。 それをパープルに調合したシンナーにジャブ付け。 その後はデスクのLEDスタンドのアームにかけて乾燥させました。

余談ですがこの乾燥時、室内には勿論シンナーの香りが充満します。 中毒しないように換気に心がけました。

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乾燥したところで、適当な部分を切り出します。 そして縦方向に皴しわを入れて・・・、

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SE車乗務員室のフロントガラスのカーテンとしました。

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東西方向に路線を持つ小田急、特に午後の下りは西日に悩まされたことと思います。 下り方の先頭車では、このカーテンが活躍していたことを思い出します。

さてさて完成が近付いてはいるものの、細かいことがまだまだ続きます。 こうして写真にすると、さらに細かいことが気になるものです。 当面、車号、号車番号、ワイパー、ヘッドマーク、さらに幌が課題。 それを終えたら製作中に傷んだ塗装の修正。 試運転まではまだまだ手間を要します。

 

 

2020年7月11日 (土)

座席の用意

キッチンが終わったところで次は座席。 

既に何の特別仕様も無い中間車4両への座席取付けは終わっていますが、残るは床下モーターのお陰で高くなった床面の先頭車両、音響ユニット搭載で、同じく床面が高くなる2、7号車の座席です。

まずこの車両のシートピッチは、カツミのシートピッチより広いので、本来は1脚づつ切り離して配置すべきところですが、横着して2脚づつに切り離して搭載しました。

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残る車両の分は、シート下部を切断し、高さを詰めることにしました。 切断する工具をどうするか、結局マイクロソーでゴリゴリやることとなりました。

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この作業は先ず、抑える指先が痛くなり、長時間の作業が続けられません。 休み休みと言う非効率。 おまけに切カスの量が凄い。 しかも静電気で指先に纏い付きます。

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ただただ根気で臨むほかはありません。

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切り取られた脚部分が、仕事の成果?

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こうして1脚づつになった座席を、所定の場所に取り付けることとしました。

 

 

2020年7月10日 (金)

小田急線鶴川~玉川学園前間

いつも楽しませて頂いているブログ、「モハメイドペーパーの何がでてくるか2」の昨日7月9日は「便乗ネタで失礼します」ということで、1967(昭和42)年2月12日の小田急、鶴川~玉川学園前に於ける雪景色の写真が紹介されていました。

その場所ならOER3001氏だって撮ってますということで、当方も便乗させて頂きます。

時はそれから3年後、大阪万博が開催された1970(昭和45)年、4月5日のことでした。 3100形NSEが、20‰勾配を駆け上がって来ます。 まだ冷房強化で屋根上にクーラーを載せていないほぼ原形の姿でした。

線路の右手にはブルドーザーが整地作業を行っています。 ここが、かじのや納豆という工場になったのです。

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それでも周囲はまだ田畑が多い、田園風景でした。 前年から一般車両の塗色変更が進み、その過渡期で新旧塗色の混結が多く見られた時代です。 下は2220+2220+2400HEという8連、箱根湯本行と片瀬江ノ島行それぞれ4両を併結した急行です。 新塗装になって、側面の社紋が外されましたが、まだ側面窓下に急行サボを掲げていました。

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この当時の最新型は5000形、Tc-M1-M2-Tc(新宿方から、下の画像では右が新宿方)の4両。 最初は非冷房でした。

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荷電だって裾に黄色い帯を纏ったグリーンの姿。 左は大きな車体(とは言っても17mですが)に載せ替えたデニ1000形、右はデハから改造されたデニ1100形。

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上2枚の写真、線路の奥は農地ですが、その後野村不動産、三菱信託銀行不動産部門によって宅地開発が行われます。 並行して線路手前の農地もまた宅地化されて、電車の撮影はできなくなってしまいました。

ここに紹介した画像、全てネガカラーからスキャンしましたが、既に黄変してしまい残念です。

序でながらこの場所のその後。 納豆工場や住宅が建ち、以前のような遠景では電車が見えなくなりました。 そこで1988年には、和光大学手前に残った僅かな田圃を絡めて、横位置で撮りました。

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1991年7月、千代田線からの臨時列車「メトロ&江の島」を、和光大学テニスコート脇から、納豆工場の建屋や住宅を画面右に切り捨てて撮影しました。

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ここ暫く、ここへは出向いていませんが、車窓から見る限り和光大学敷地にも立ち入りできなくなってしまったようで残念です。

 

 

2020年7月 9日 (木)

今日の一枚 No.56

3000形SE車の製作に取り組んでいる中、何かと古い資料を参考にします。 そこで、今日の一枚はこれ。

1967(昭和42)年2月11日、この日は前年に制定されて初めての建国記念の日でしたが、関東地方はかなりの積雪となった日です。

雪が降れば滅多に見られない雪中を行く小田急を撮りたくて、購入して間もない初めての一眼レフ、ミノルタSR-1を持って出掛けました。 ここは東北沢駅上り方の信号所横。 ホッパー線の分岐地点ですが、ホッパー線の線路は雪で覆われてしまっています。 東北沢の踏切横から立ち入っても咎められなかった時代でした。

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雪煙を上げて新宿に急ぐSE車。 もっと明るく撮れなかったことが悔やまれます。

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これをご覧になられたモハメイドペーパーさまから、勝手にコラボさせて頂きましたとご挨拶を頂きました。 是非ぜひそちらもご覧ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これをご覧になられた宮崎繁幹氏から、フォトショップで加工した画像を頂きました。 

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なるほど、暗い部分がだいぶ見えるようになりました。 ありがとうございます。 

2020年7月 8日 (水)

キッチンを作る

OER3001氏の趣味は鉄道模型なのでしたが・・・、なんと建築模型かと思わせるキッチンを製作することになってしまいました。

これが3000形SE車のそれ。 1957(昭和32)年デビューの時に制作されたA4版サイズ本文52ページにわたる立派なカタログです。 当時は日東紅茶が担当することになっていました。

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資料はこれと、1/200くらいの小さな図面を頼りに、それらしく作ったのがこれ。

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アップに堪えない工作ですが、車内にセットしてしまえば粗もかくれるということで。 これを2セット、3号車と6号車に備えます。

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水洗金具は0.5φ真鍮線と0.4φの洋白線をハンダ付けで組んだもの。 ハンドルはエポキシ接着剤をチョンと乗せてそれらしく。

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シンクの詳細はわからないので、カウンター下とともに雰囲気だけです。 多分カウンター下は紅茶器等の収納スペースだったと思われます。

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ここまで作ったら、トイレも? カタログには斯様に掲載されていますが、窓がスリガラスなので見えないし・・・。

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この先どうなることか、気の向くままに進めます。

 

 

 

2020年7月 7日 (火)

今日の一枚 No.55

本日は七夕。 だからどうと言うことも無いのですが、七夕はまだ梅雨の季節で、なかなか天の川を拝めるような天気にならないことが多いです。

しかし朝から良い天気に恵まれた1991(平成3)年のこの日、 唐木田発片瀬江ノ島行のロマンスカー「湘南マリンエクスプレス」が運転されました。

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この時は3100形NSE車が充当され、特製ヘッドマークを掲げて走りました。

ここは永山~多摩センター間の京王相模原線との並走区間。 豊ヶ丘北公園西端傍の野菜畑から撮れましたが、今は住宅になってしまい、立ち入ることはできなくなったばかりか、通信ケーブルがちょうどカメラの高さに張られてしまい、斯様なアングルでの撮影はできなくなってしまいました。

ネガカラーフィルムの変色は、我が家の設備では修正不能。 見苦しいですがお許しください。

2020年7月 6日 (月)

先頭車両の電装

製作中の3000形SE車は、先頭車両の電装がまた難関。 普通に考えれば大したことはない筈ですが、今回は普通じゃない(笑)のです。

それは、小田急独特の標識灯へのチャレンジ。 即ち1個の標識灯で、通過表示灯/尾灯を切り替えるもので、今回初めて、その実現に挑戦することとしました。

先ずは使用するチップLEDを1005サイズ、即ち1.0×0.5㎜という超小型サイズの採用です。 リード線をハンダ付けするにも非常に難儀で、先ずはLEDを抑える方法です。 結局、マスキングテープの糊面に0.5㎜の間隔を開けて古くなったカッター歯を並べます。

この0.5㎜の溝にチップLEDを挟むように止め、両側にリード線をハンダ付けします。

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と書けば簡単ですが、ハンダ付けしたリード線先端がちょっとでも長いと、両極が短絡してしまいます。 一方ハンダ付けが弱いと直ぐに外れてしまいます。 最悪はチップLEDがハンダゴテにくっついちゃう事態です。 何とかカタチにできたのが下です。

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こちらは標識灯の内部。 透明の細い棒は1.0φの光学繊維。 黒い紙で作ったケースに接着しています。 この後方に、先のLEDをセットするということにしました。

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配線後に取り付ける蓋を合せて、2両分のパーツがこれになります。

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これにリード線を付けたLEDをセットしたのが左端です。 中央は運転台パーツの中に倍のサイズ1608(1.6×0.8㎜)をセットしたもの。 右端が抵抗とCRDをセットした基盤、ここに台車からの線を結線します。 ここまで到達するにも、結線途中でLEDが外れたり、あっちを直せばこっちが、なんてこともしばしば。

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台車との結線はさらに、テープLEDの室内灯ユニットを合わせ、右端の床板との接点となる基盤に結線しました。

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これを慎重に慎重に、車内にセットします。 ゆとりを持たせたリード線は長すぎましたが、最後は運転室仕切り後方で丸めておいた次第。 組み立ててしまえば見えませんから良しとします。

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1両全体を見れば気にならないかと。 

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これで何とか、ライト類の配線は完了しましたが・・・、まだまだ室内が残っています。

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カツミのプラシートですが、シートピッチが狭く、SE車にはそのままでは使えず。 やむを得ず切り離して、さらに音響ユニットなどを装備した車両もあるので、高さ調整も必要なのです。

ま~だまだ、先は長いです。

 

 

2020年7月 5日 (日)

今日の一枚 No.54

新宿から5駅目の東北沢は、上下対向式プラットホームの間に通過線を設けた珍しい駅でした。 そのため、車両の撮影には誠に都合良く、床下機器を撮影するにも最高の環境でした。 しかも列車密度も高く、特急、特準、準特急、急行、準急、各停、貨物、配送など、全ての種別が撮影できました。

この写真は初めてのカラーフィルム撮影と思われます。 時は1966(昭和41)年10月、ハーフサイズのCanon demiでの撮影。

4編成あったSEの第4編成(3031~3038)は、スカートの穴(タイフォン)が他の3編成の楕円形ではなく円形でした。この時は非常用の連結器を出したまま「さがみ」運用に就いていました。

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跨線橋も停車中の車両の屋根上観察に好都合でした。

原型SE車活躍の頃は、まだ自分のカメラを手にたばかり。 しかもフィルム、現像、紙焼きと、写真にするまでカネがかかり、お小遣いのなかでやりくりするには、これぞというものにしかカメラを向けられませんでした。

 

2020年7月 4日 (土)

今日の一枚 No.53

ボストンで気に入っていたのは、グリーンラインと呼ばれる路線で活躍していたボーイング・バートルが製造したUSSLRV(US Standard Light Rail Vehicle ) です。 一部仕様は異なるものの、基本的にはサンフランシスコのMUNIと同じ車両です。 

ここは確かボストンカレッジ、一流大学が集まる学生街です。

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スマートで気に入っていたのですが・・・、側扉、バッテリー、空調装置など様々な機器の故障続出から不評を買い、特にここボストンでは訴訟騒ぎとなったらしい。 

結局今では完全に消滅し、近畿車輛製の新型車両が導入されているとのことです。

自国第一主義のTさんが、バイアメリカンを唱えるが、鉄道車両においてはこの時からアメリカは良いものを作れなくなっていたのかも知れません。

 

2020年7月 3日 (金)

今日の一枚 No.52

この「今日の一枚」シリーズで取り上げる画像は、何の規則も無く勝手気ままに選択しています。 今回は再びボストンに。 ボストンへは3回行きましたが、これは3回目の1988年です。

マサチューセッツ工科大学やハーバード大学を見学した帰路、徒歩でチャールズ川に架かるロングフェロー橋を渡ってみたのですが、大阪の地下鉄御堂筋線を連想する、道路中央に第三軌条の鉄道が通ります。 レッドラインと言うので車体下方は赤。

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とにかく出張で行くと、なかなか一人で気ままに歩き回れる機会が無く、この時は貴重なひと時でした。 チャールズ川の向こうに沈む夕日がきれいだったことを思い出します。 11月頃だったのか、正確な期日も記録が無く残念です。

 

2020年7月 2日 (木)

今日の一枚 No.51

1988年エドモントンの思い出、もう一つは無軌条の電車(トロリーバス)です。 鉄道ファンであるOER3001氏としては、無軌条を鉄道として扱うのは如何かとも思いますが・・・。

ダウンタウンの目抜き通り、ジャスパーアヴェニュー他に路線がありました。

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なのに・・・、ここでもトロリーバスの使命は終わったようで、廃止されてしまったようです。 残念ながらその詳細を知ることはできませんでした。

2020年7月 1日 (水)

エドモントンで見た CN と VIA

前回の「今日の一枚 No.50」で取り上げたエドモントン(カナダ・アルバータ州)のダウンタウンを歩いていて見つけた駅、たった1本の低いプラットホームが伸びていますが、本当にここが駅なのかと思う光景に驚きました。

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その広い構内に、車両が留置されていたので、これらを見ない訳には行きません。 青い車両ばかりですが、赤い帯ののと黄色い帯のが居ます。 赤いのは「CN」と標記されています。 物凄く背高のこの車両、貨車ではないようです。 標記を見ると何か業務用の車両のようです。

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その向こうに繋がっているのはこれ。 マロネ41を思い出す姿です。

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こちらは黄色いので「VIA」です。 屋根の排気口が、日本なら限界オーバーと言う感じです。 スチームが出ているので稼働車であることは間違いありません。

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衝撃だったのがこれ、スイテ?ではありませんか!

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本で見たような、憧れが今、目の前にあるのですから。 これは特別車両なのか定期列車なのか、さっぱりわかりません。

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この車両にも限界オーバー(笑)の排気筒があります。

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向こうにいるのは一部2層式の車両なのでしょうか。

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その連結部はこんな感じ。 まさに今、出庫準備中と言う感じです。

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これらが停車している向こうのビルが、CNタワーと呼ぶ高層ビルで、今もGoogleMapで確認できますが、この場所からは線路は撤去され、再開発されたようです。

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電源車のような車両が編成の中間に入っていますが、接客サービス用の業務用車両なのでしょうか。

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こちらは別線に留置されていた2両、個室式の車両のようです。

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やたらと限界オーバーの排気筒が多い車両はダイニングカーなのかな?

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台車も日本とはだいぶ異なる重厚な構造でした。

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北米大陸の鉄道知識がほぼ皆無ながら、昔絵本で見たような車両に出会い、興奮したひと時でした。

これらに関する知識をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示頂けたら幸いです。

 

 

2020年6月30日 (火)

今日の一枚 No.50

本日はこの一枚。 「CN」と表示された高いビルが建つのはカナダ、アルバータ州のエドモントンという地です。 カナダ国有鉄道(当時)のビルですが、本社ではありません。 本社はケベック州モントリオールだそうです。

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エドモントンを訪れたのは1988年のこと。 郊外にある巨大なショッピングセンターの視察が目的でしたが・・・、そこのホテルを抜け出してタクシーでダウンタウンに向いました。 手探り状態で歩き回って見つけたこの場所、既に晩秋に近く、結構寒かった記憶がありますが、駅構内には誰も居ない。 

この画面奥の左右に留置してある車両が気になります。 その模様は追ってご紹介することにしましょう。

 

2020年6月29日 (月)

今日の一枚 No.49 (+2枚)

エドモントンでダウンタウンからスタジアム駅までのLRT乗車を楽しみ、駅を出て暫しの撮影タイムの時、予期しないことが起こりました。 LRTの線路の隣には、非電化の線路が1本敷かれていたのですが、そこにやって来たのがこのVIAの機関車牽く列車。 慌ててカメラを向ける結果になってしまいました。 DL機関車は2両です。 その後ろにはVIAの青い客車。

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何と、ドームカーが連結されています。

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ゆっくり去って行きました。

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さっぱり何だかわからない、思いがけない一瞬の出来事でしたが、この場所の今をGoogleMapで見てみると・・・、

国鉄の線路は撤去されてしまっているようです。

2020年6月28日 (日)

今日の一枚 No.48

カナダはアルバータ州エドモントンの続きを。

アルバータ州はアルバータ牛という牛肉が有名です。 そのステーキはまた格別だった思い出がありますが、それより記憶に残っているのが前回紹介した電車です。 

この画像をアップするにあたり調べてみたら、この鉄道はOER3001氏が訪問する9年前に開業した新しいものでLRTでした。 この1988年時点では、南北方向を結ぶキャピタル線だけだったようですが、今では2路線あるようです。

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この車両は勿論当時の新車ですが、2車体連節でSiemens–Duewag U2型というのだそうです。 今では第2世代に代っているのでしょうか。 記憶を整理してみると、「今日の一枚 No.47」の画像は都心部の地下駅セントラル、そしてここが2駅目の地上駅スタジアムということが判明しました。

 

2020年6月27日 (土)

今日の一枚 No.47

新型コロナウイルスの新たな感染者、東京都ではなかなか収まらず、20~30代の若い世代に多いと言うニュースを毎日のように耳にします。 若い世代は自分の身には関係ないと思っている人が多いのかなと、悲しくなります。

そんな中での「今日の一枚」はカナダの思い出からこの一枚を。 アルバータ州エドモントンの・・・、ダウンタウンの地下に鉄道が走っていることを現地で知り、急遽見に行ったのですが、この駅が何処だったか記録されておらず。

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ただ、行先は何と「Corona」ではないですか!

この電車、今はどうなっているでしょうね? なんか行きたくない場所に思えてしまいます(笑)。

 

2020年6月26日 (金)

今日の一枚 No.46 (+2枚)

1988年、3度目のニューヨーク出張の帰りは、思い切ってJFK国際空港まで地下鉄を利用してみることにしました。 ガイドブック等には、マンハッタンの駅からは飛行機のピクトグラムを掲げた電車に乗れば良いとあります。 それがこれ。 そしてここが終点のJFK。

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なのですが、どこにもターミナルビルらしき建物や飛行機の姿は見えません。 広大な草原の中のローカル駅にしか思えません。 向こう側のホームに入って来たのは長い! 8両編成のようです。

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駅名表示は「Howerd Beach - JFK」とあります。 実は空港ターミナルビルは数キロ先。 ここからバスに乗り換えでした。

因みに地下鉄JFKラインは治安が保たれているのだと。 各車両には警察官が乗って、車内警備していました。 その光景を見るだけで、カラダが凍るようでした。

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今はもっと良くなっているのだろうか?

結局、ニューヨークにはこれまで4回行きましたが、この時が最後の地下鉄乗車となってしまいました。

 

 

2020年6月25日 (木)

梅雨空の下のウォーキングはちょっと電車に乗って

ということで、駅の自動改札機にPASUMOをピッ!

向かった先は紫陽花を入れて電車を撮れる場所、ということで行き当たりばったり。 井の頭公園までの車窓を事前確認した後、浜田山で下りてみました。

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行き交う電車は細部の違いはあれど、どれも同じ1000系。 お顔の色が違うことは素人にもわかります。

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しかし肝心の紫陽花は、少々遅かったようです。

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しかし折角なので、沿線を歩くことにして、ここは神田川の橋梁。 

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さらに明大前まで歩き、井の頭線の前身、東京山手急行電鉄が将来に備えて複々線分構築した遺構を見物。

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左2線は、中野方面に向かう計画線だったらしい。

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紫陽花も終わりに近づいていたし、ちょうど某氏からのメールで、普段は見られない電車が走ると言うので、場所替えすることにして、京王よみうりランドで待ちました。

ホームに付いた時には先客2人、後からさらに2人。 ホーム先端は避け、10メートル後方で構えました。 もう少し左を入れたかったのですが左に振ると撮影者が入ってしまうので諦めました。

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近付いた位置でもう1枚。 若葉台工場での定期検査を終えた動物園線専用編成の回送でした。

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見づらいヘッドマークですが「キッズパークたまどうとれいん」となっています。

梅雨空の下のウォーキングは、浜田山~明大前、そして京王よみうりランド、11,600歩となりました。 某氏の情報提供に感謝です。

 

 

2020年6月24日 (水)

1988年サンフランシスコでの衝撃

1988年に3度目のアメリカ出張に恵まれたOER3001氏は、オフタイムには当然ながら鉄道を見に行きました。 とりわけサンフランシスコでは、BARTでバルボア公園に行けば、MUNI(San Francisco Municipal Railway、サンフランシスコ市営鉄道)の車庫があることを知っていたので、この時は車庫を目指しました。

MARTのホームから上がると、車庫の横に出ることができ、たくさんの車両が目に入ってきましたが・・・、期待していたボーイング社製造のスマートなLRVとはちがう車両も!!

事前情報も無かったので、立ち入り可能な範囲でバチバチカメラに収めたのが次の写真。 1両1両、どこの何かという知識を持たなかったのですが・・・、赤いのはイタリア? 黄色い方は?

Cedarさまから赤いのはドイツから、右のはSFの旧塗装ですよとご教示頂きました。

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日本の車両も居るではないですか。 大阪の阪堺電車だあ! 「えびす町」だって。

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これは・・・、ブラックプールでしょうか?

ではなく、サンフランシスコの PCCオリジナル塗装であると、やはりCedarさまからご教示を頂きました。

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これはわかる。 広電ではないですか。 車体に広島電鉄株式会社って書いてありますよ。 しかしこの電車はもともとは神戸市電だと、モハメイドペーパーさまからご教示頂きました。

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これは?

Cedarさまによれば、オーストラリアから来た電車だそうです。

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セントルイスなのかな、PCCカーですよね。 これらが時折パレードで走るというのですから、まさに走る博物館です。

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まだまだ居たようですが、長時間を過ごすこともできず、さっさと下の画像右奥を立ち回ってから退散しました。

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振り返ればこの線路配置が何とも綺麗ではないですか。 Cedarさんが見たら燃えるかも知れません。 丁度検修庫からLRVが出て来ました。

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1988年のサンフランシスコ、大感激の数十分でした。

因みに今では斯様な車両に更新されているようです。

1024pxt_third_islais (Wikipediaより)

Cedarさま、浅学の身に数々のご教示頂き恐縮です。 早速、本文を加筆修正させて頂きました。 ありがとうございます。

 

 

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