お願い

拙ブログをご覧頂いている皆さまにお願いがあります。20170708_0010_20

最近、拙ブログへの海外からの卑猥な書き込みが増大しています。

そのため、やむを得ずコメント書き込みに際して、認証システムを採用させて頂きます。 

お手数をお掛け致しますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

 

 

2020年12月 5日 (土)

地元で模型談義:「多摩のもれーる」の集い

再び再燃しつつある新型コロナウイルスは、仲間で飲食を共にしつつの模型談義にも様々な気遣いを要します。 そんな中、本来の計画より1週間ほど遅らせての開催となった今回は、 感染対策が徹底してる、個室がある、リーズナブルな費用という条件で選択した多摩センター駅近くの和食レストラン、飲み放題付き会席料理プランでスタートしました。

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なんと、ここを予約してくれたY氏は、前回の会合の時に作られたのアクリル板、いやもしかしたらエンビ板のパーティション までご持参されるという入念な感染防止です。

近況として先ずは、I氏がKATOの線路を使った運転場を整備中であることが、写真で報告されました。

真っ先にテーブルに上がったのはU氏の近作、オレンジ色の片町線旧国でした。 同じ20m車体なのに、つぼみとしなのマイクロとで全長が違うのだと。

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精魂込められた力作を眺め回しました。 素晴らしい出来映えです。

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真鍮ピカピカはクモハ40なのでしょうか、どなたが製作中なのか、聞き漏らしてしまいました。

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K氏はパンタの無い車両持参です。 私鉄気動車大好きというI氏が手に取って眺めていた車両。

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車体には〇の中にWの社紋。 近江のOと若狭のWを組み合わせた江若鉄道の社紋だと説明がありました。

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ユニークな姿のキハ5121、全景です。

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ガスタービン気動車391系も見せて頂きました。 屋根上にはビードがあったのですね。

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最新のキハE130まで作られていらしたとは驚愕でした。

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Y氏は、我が国初の4扉車である鶴見臨港鉄道のモハ220、クハ260の製作中車体をご披露。 2段上昇式側窓や木枠の側扉など切り抜きが面倒な題材を、例のクラフトロボで抜いたのだと。 いやはや皆さまからの刺激は強力です。

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ここ2ヶ月ほど、模型製作が足踏み状態だったOER3001氏は、皆さまを驚かそうとスケールの違うのを持っての参加でした。 唯一の直流2線式0番、小田急1600形スタイルです。

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“スタイル”としているのは両運転台で車体更新したのは実際には無く、そのために車番も実車には無い“1611”としています。 大きいだけに車内のシートにはモケットを貼っていたり、運転台も備えたり、乗り越しカルダン駆動やスピーカー搭載という姿に、皆さまの関心を集めることができました。

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I氏は江若鉄道の気動車と並べてカメラに収めて居られました。

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と言うわけで、今回も楽しく「多摩のもれーる」を無事に終えることができました。 

次回開催予定は2021年新春、どんな集いになるか楽しみです。

 

 

2020年12月 4日 (金)

最新車種を撮る

代々木上原以東でのメトロ車16000系の撮影に出掛けた折、勿論それだけで終わる筈はありません。 この場所で初めて、最新型通勤車の5000形が撮れました。 それにしてもこの先頭部、太陽を反射して撮りづらいです。

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特急車の最新型は70000形GSE。 この時はちょうど、先頭部客席にアテンダントが居てラッキーな瞬間を捉えることができました。

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どちらも当分の間、小田急の顔なのでしょうが、残念ながら未だ我が社の模型には登場していません。

 

 

2020年12月 3日 (木)

MSE

MSEと聞いて思い浮かべるのは青いロマンスカー。

「多彩な運行が可能な特急列車」という意味で "Multi Super Express" の頭文字を取ってMSEと名付けられましたが・・・。

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ほぼ改良工事を終えた代々木八幡駅を、上り方の踏切から撮っていました。

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ふと、その遮断機に目が止まりました。 見慣れた遮断機ですが付けられているプレートに目をやれば何と!!

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日本信号株式会社製造の「MSE形電気踏切しゃ断機」と言うのだそうです。

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折角なので、「MSE形電気踏切しゃ断機」が下りた踏切で、MSEを撮りました。

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「MSE形電機踏切しゃ断機」のMSE形とはどう言う意味なのか、日本信号株式会社のHPで製品情報を調べてみましたが、残念ながら判りませんでした。

 

 

2020年12月 2日 (水)

普段走らない区間でメトロ車を撮る

11月最後の日は、穏やかに晴れてくれました。 ここ、小田急電鉄本社ビルだった小田急南新宿ビル前で待ち受けていましたが、直前に一人参画しました。

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新宿駅はロマンスカーが利用する1号線に入線して折り返しです。 好天だけに、後方の白い高島屋のビルに露出があってしまうので、絞りを2段階開放しました。

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この日はもう1回走るので、場所を代々木八幡駅に移して待機。 ここでも直前に1名参画でした。

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そう言えばこの場所、25年前にはこんな情景も撮ることができました。 今は見ることができないNSEとHiSEとのすれ違い。 きっとメトロ16000系が走ったことも、25年後には貴重な記録となっているのでしょうか。

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温かい日差しの下で、約8000歩のウォーキングとなりました。

 

 

 

 

 

2020年12月 1日 (火)

普段は見られない光景

ここは代々木八幡-代々木上原間。 いつものように上りのロマンスカーが代々木上原駅を通過して、代々木八幡の45㎞/h制限区間に向けて制動をかけながらやって来ました。

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メトロ直通運転にも使われる4000形もやって来ました。 折しもメトロの線路にはMSEが代々木上原駅構内に進入しようとしています。

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と、ここまでは普段通りのことですが、この日は違います。 いつもは中央のメトロ線路を駆け下りてくる筈のメトロ車16000系が新宿に向かっています。 表示は「回送」ですが、何らかの試運転のようです。 残念ながら千代田線列車との併走は叶いませんでした。

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折角なのでこの場所で折り返しも狙うことにしました。 雲に隠れていたお日様も顔を出し、逆光が気になりましたので先ずは4000形でテスト。

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なんとラッキーなことに、メトロ車16000系が戻ってくる時には、お日様はまた雲に隠れてくれました。

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と言うことで、この日の撮影にはお日様が味方してくれました。

先の磐越西線C57撮影の時といい、天候に恵まれてなんとラッキーなことか。 お日様に感謝です。

 

 

 

2020年11月30日 (月)

さよならネガフィルム

春先から続くの新型コロナウイルス感染の驚異は、感染防止策の一つとして外出自粛を余儀なくされました。 この機会を利用して始めたフィルムのデジタル化は、5月28日にポジフィルムを完了した後、ネガフィルムに移行していました。

それが6ヶ月後の11月28日、全てのフィルムデジタル化が完了しました。

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シコシコ進めて完了した数は画像の通りで、OER3001氏が幼児の頃からのものも含め、古いものは缶、比較的新しいものはプラスチックのネガケースに収められていましたが、缶を開けると独特の暗室の匂いが充満しました。

記念写真を撮った後は、焼却ゴミ用の袋に入れて、市の収集に委ねることにしました。

さようならネガフィルム、そして我家から全ての写真フィルムが無くなりました。

 

 

2020年11月29日 (日)

大雄山へ

開成でクヤ試運転の撮影後は小田原まで足を伸ばし、久しぶりに大雄山線に乗ってみることにしました。

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発車を待っていた電車はこれ、5005(Mc)-5006(M)-5503(Tc)という編成です。

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ヘッドマークを掲げていますが、それはこれ。 伊豆箱根鉄道グループが100周年だそうです。

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驚いたのはその大雄山線の「0」キロポストは車止めの位置に立っていて、駅中央では無いのです。 何度か訪ねている大雄山線でしたが、これまで気づきませんでしたし、もしかして全国的にも珍しいのでしょうか?

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終点の大雄山駅まで乗り、駅構内を見渡せる踏切に回りましたが、折しもそこに下り電車が入線してきました。

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興味があったのはここに止められているコデ165でした。 パンタは下ろされていても、全貌は綺麗に見ることができました。

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向こう側にも回り、ちょっと民間の駐車場から撮らせて頂きました。

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全車両がステンレスの5000系になった今の大雄山線ですが、OER3001氏の思い出は所謂17メートル旧型国電ばかりだった頃。 写真を探していたら165ではなく153のカラーがありました。 まだ架線電圧が1,500Vでは無かった1971(昭和46)年11月、大雄山駅構内での撮影です。

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このモハ153の元は国鉄クモハ11 499で、同じ国鉄からの譲受車クハ16 525、クモハ11 462から転じたクハ182、モハ156と3連を組んでいました。

現存のコデ165は、純粋な国鉄からの譲受ではなく、架線電圧昇圧後に譲受した相鉄モハ2024なのです。

いかん、いかん、旧型国電に想いを寄せては。 また作りたい題材が増えてしまいそうで・・・。

 

 

 

2020年11月28日 (土)

クヤを撮る

普段走らない時間でクヤが走ると聞いて、ちょっと出掛けてきました。 車両検査後の試運転のようです。

降りたところはここ、左奥の駅前広場で3100形NSE車が出迎えてくれます。

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到着した時間から、クヤ通過予定時間まであまり余裕が無かったので、いつもとは違う方向に歩いて先ずはこれ。 あいにくの曇り空で、シャッターが流れてしまいました。

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小田原からの折り返しを狙う場所を決め、先ずは練習です。 曇天だとGSEの赤もイマイチです。

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で、本命が来ました。 クヤは殿なので真横を狙いました。

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折角来たのだからと、その後直ぐにやってくるGSEも撮りました。 拡大して見たら座席はほぼ埋まっています。 しかもみんな口元がマスクで白いではないですか。 なんとも時勢を捉えた写真になってしまいました。

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これでこの日の計画は達成したのですが、このまま帰ってはもったいないと言うことで、この後気ままに歩くことにしたのですが、その成果はまた別途ということに。

 

 

2020年11月27日 (金)

常磐線のC62

ここのところ度々煙を取り上げていますが、今日は高校生の頃の記録から。

1967(昭和42)年の春休み、蒸機に詳しい社会人の方に同行して下りの急行「十和田」に乗りました。 何号だったか記録がありませんが、平から牽引機はC62 47に代わりました。 力強い音で深夜の静寂の中を進んだ列車を原ノ町で 降り、機関士に断りって線路に降りての撮影です。

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給水で停車中の姿をバルブ撮影してみました。

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反対側の上り線には荷物列車が到着、牽引機はC62 24です。

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この後、上り列車に乗って平に引き返しています。 C62が所属する平機関区訪問のためでしたが、特急「ゆうづる」を牽引してきた姿を収めなければなりません。 ただこの平駅は東西方向の配線のため、もろ逆光。 しかもとんでもなく良い天気。 ホーム上の構築物でなんと陽を遮って撮ったものです。

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C62 22号機は客車を切り離し、平機関区へ移動して行きます。 牽引機はEF80 35に代わり、上野目指して発車して行きました。

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それにしても機関車の先頭部を飾る特急ヘッドマーク、「ゆうづる」はいいな~。 一番好きなデザインです。

 

 

2020年11月26日 (木)

想い出の光景:9

ハーフサイズカメラのCanonDemiを買ってもらって、最初にカラーフィルムを装填しての撮影がここでした。 時は1966(昭和41)年10月のある日。 今は地下駅となった東北沢、地下鉄千代田線との相互直通運転のための改良工事が始まる前は、各駅停車は副本線で優等列車の通過待ちをするため、対向式ホームの間に通過線を備える構造のため、電車の撮影には好都合な駅でした。

今更ですがデジタル世代のために一言。 当時の35㎜サイズフィルムは、12枚撮り、20枚撮り、36枚撮りが売られていて、一番安価な12枚撮りで24枚撮れるというのがハーフサイズ。 今日は何枚必要か?なんて心配をしていたこと自体、デジタルの今日では理解できないことでしょうね。 

ところが初めてのカラーフィルム、もっとも安価な12枚撮りを買ったのですが、現像プリントの段階で思わぬ出費に。 当たり前ですがプリント代金は枚数分ですから。

スキャンしたフィルムがかなり黄変していたので修正しています。 当時の最新型2600形NHE車が待避、3000形SE車の「さがみ」が駆け抜けていきました。 何故かこの頃は非常用連結器を出したままでの運用でした。

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まだABF車も全車大活躍の時代。 1910形の各駅停車が入線、急行通過を待避しています。 ハーフサイズと言うこともあり、ピントも甘く車番が確認できませんが、編成の姿からして新宿方から1911-1961+1912-1962と推察できます。

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高架化、地下化、ホームドア設置など、駅での撮影もしづらくなりましたが、この時代が懐かしく感じる次第。 模型の製作題材もこの時代の車両に惹かれます。

 

 

2020年11月25日 (水)

大井川鐵道を訪ねて

今や大井川鐵道と言えば、きかんしゃトーマスを模したSL列車で有名ですが・・・、

50年前の年の暮れ、趣味界の大御所にお声掛け頂いてご一緒したことが良き想い出です。 こんな“新車”が搬入されたと聞いてのことでした。 前照灯がカッコイイですよね。

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最大の特徴は寸又峡温泉への誘客のためか、車体に描かれた色っぽいイラスト。 

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いつか、これを模型製作するかも知れないと思い、一通りの写真を撮っておきました。 大鐵では海、山ではなく何と呼ぶのでしょうか、こちらは金谷に向かって左側。

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こちらが金谷に向かって右側です。 

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台車はD-18。

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このモハ310、クハ510と組んだ2両編成ですが、名鉄3800形を譲受して改装したもので、なかなか好ましい姿でした。

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オール転換クロスシートで、大井川を眺めながら走ることになるのですが、残念ながら営業列車には乗らず仕舞いでした。

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しかし模型的には実に好ましい電車だと思っています。 我が社の工場は満杯なので、この電車に取り掛かることは叶いそうにありませんが。

 

 

2020年11月24日 (火)

首都圏最後の煙と聞いて・・・

D51 791が爆煙を上げて通過します。 なんとここは有楽町駅、ホームにはその姿を一目見ようと集まった人、ひと、ヒト。 1970(昭和45)年10月18日、日曜日のことでした。

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高島線の電化により10月1日、蒸気機関車の通常運行が終了したことから、10月10日、11日、18日の3日間にわたり、東京-横浜間で「さよなら蒸気機関車号」が運転されました。 その最終日に様子を見に出掛けました。

喧噪の中、有楽町で見届けた後、やって来た京浜東北線に乗り、追いかける算段でした。 ここは大井町手前だと思われますが、敷地内に多数の群衆。 こんなことが許されていた時代です。

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やっと追いつきました。 最後尾はスハフ32のようです。

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やっと、追い越せたので振り返ってシャッターを。 ここでも犬走りにまで人が! それでも規制されること無く、蒸機列車は力強く前進します。

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機関車はかなり後方に行ってしまいました。

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京浜東北線電車が蒲田駅に停車しようと速度を落としたとき、「さよなら蒸気機関車」の大きなヘッドマークを掲げて追い抜いて行きました。

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これで遂に、首都圏で蒸気機関車は見られなくなったと思ったら・・・、

1972年には鉄道100周年記念列車としてC57 7が、1980年に横浜開港120周年でC58 1が牽引する列車が走ることになったのでした。

磐越西線に出掛けたのを機会に、ちょっとだけ蒸気機関車のネガを探してみました。

2020年11月23日 (月)

秋の色

コロナ禍で我慢の3連休と言われている中で22日、近所の紅葉を楽しみました。

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紅葉の色を撮るには逆光が一番です。

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木によって紅葉の進み方に差があるときが、いろいろな色が楽しめます。

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同じ木でもアングルによって見え方にも変化します。

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風が強かったお陰で抜けるような青い空、コントラストが素晴らしかったです。

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たまには鉄道とは無関係な内容ですみません。

 

2020年11月22日 (日)

想い出の光景:8

時は1970(昭和45)年 4月5日のこと、長閑な田園地帯で華やかなロマンスカーNSE車のすれ違いです。 

ここがどこだか判る方はかなりの年配者かと思います。 線路と平行している道路は津久井道です。

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同じ年の秋、11月8日にほぼ同じ場所で撮影していますが、田圃には刈り取った稲が干してありました。

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この場所はその後、手前左方にカーブしている線路をカメラを構えている場所方向に直線とし、新百合ヶ丘駅の新設、多摩線建設と変わって行きました。 建設工事の進捗と共に木々は伐採され、立ち入ることができなくなってしまいました。

今は川崎市麻生区万福寺1丁目17−1、小田急アコルデ新百合ヶ丘北館の辺りと思われますが、この眺めが気に入って、何度か撮影に訪れていたものでした。

 

 

2020年11月21日 (土)

1972年の小田急集合

ちょっとした縁があって、TMS誌上で有名な土屋一生氏製作のNSE車を我家で一時お預かりした際に、未だロマンスカーを作っていなかった身としては、記念撮影しておかなければなりませんでした。 1972(昭和47)年5月19日のこと。

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小道具として実車の社紋、OER、急行サボを並べてみました。 黄色と青からケープアイボリーにロイヤルブルー帯への塗装変更で、帯に架かるサボと社紋が外されることになり、当時の広報課の方のご厚意から頒布頂いたお宝です。

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小道具無しでの並びも撮っていました。 センターは4000形ですが、NSE車とHE車は編成を分割して先頭車を並べているのはお許しを。 この時の最新作は左端の1800形でした。

 

 

2020年11月20日 (金)

今日の一枚 No.89

今般の撮影行は、蒸気機関車牽引列車の撮影が目的ではありましたが、一方で世代交代も実感しました。

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磐越西線・馬下駅午前10時、新型のGV-E400の上り列車と、在来のキハ110の下り列車の交換となりました。

キハ110を旧型と呼ぶのには些か抵抗がありますが、新旧のツーショットも束の間となるかも知れません。

 

 

2020年11月19日 (木)

磐西門デフC57撮影合宿2日目

2日目の朝はここ、馬下保養センターで迎えました。

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朝の温泉に入って気分爽快、前日に調達したサンドイッチの朝食を済ませ、合宿に新たに加わるメンバーをお出迎えのため、馬下駅に向かいます。

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お仲間が乗った列車は9時59分、定刻に到着です。

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その列車はここ馬下駅で下り列車と交換、10時03分に発車して行きました。

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お目当ての門デフC57はこの後にやって来ます。 10時33分、先ずはホーム進入を狙います。 朝陽を受けて輝いています。

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ゆっくり構内を通過して行きました。 さて、この後から過酷な修行が始まります。 

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最初は鹿瀬-日出谷間の第一平瀬踏切で待ち受けます。 が、既に多くの同業者で、駐車も少々離れた場所にしか叶いません。 従って、撮影ポイントまでは走りが必須となりますので、まさに運動部の合宿です。 11時42分無事撮影できました。

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次なる撮影地は豊実-徳沢間。 阿賀野川の対岸を走る姿を狙います。 11時58分でした。

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直ちにカメラを収納してクルマに戻ります。 主催者の巧みなドライブテクニックが功を奏します。 そして次なる撮影地は荻野駅の進入、12時32分でした。

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そろそろ昼食、なんてことは誰も口にしません。 有名な一ノ戸川橋梁へ急ぎます。 12時53分、定刻でした。

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因みに、撮影者のクルマが数珠繋がりで駐車しているところに列車通過予定時刻の2分前、「こちらは喜多方警察署、通行の邪魔になっているので直ちにクルマを移動してください。クルマのナンバーは控えています。」とミニパトカー。 しかし2分目ではみ~んな無反応、無視。 意地悪な警察ですよね。

真横を撮ったらこの通りの人、人、人でした。 念のためこの場所には駐車禁止標識はありませんが。

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この地の道に詳しい主催者が最後に向かった場所は、架線のある笈川-堂島間。 13時26分、磐梯山をバックに横位置で狙います。

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喜多方ラーメンも相当な行列であることを予想し、また帰路の渋滞回避のため、下り列車撮影を諦めて、ここで撮影終了。 遅い昼食は磐越自動車道に入った後、 磐梯山SAで会津ラーメンを頂きました。

好天にも恵まれた1泊2日の合宿、企画してくださったIさん、ありがとうございました。 また現地で合流したAさん、Oさん、大変お世話になりました。 大変素晴らしい2日間となりました。

 

2020年11月18日 (水)

磐西門デフC57撮影合宿1日目

過酷な合宿、最初の場所は三川-津川間の多賀神社境内から。 11時08分のことでした。

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次がここ鹿瀬-日出谷間の阿賀野川に架かる橋梁で11時44分。 列車は遅れ気味でした。

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ちょうど風向きがこちらを向いていて、走り去る列車の煙で右方の住宅が覆われてしまいましたが、洗濯物には煤が付いたことでしょう。 上り列車の撮影はこれにて終了。

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この後は山都-喜多方間の川吉踏切近くで動画撮影、そして昼食。 あべくまさんによる座席確保のおかげで、地元で有名な「やまと路」で美味な蕎麦をゆっくり楽しませて頂きました。

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そして人気者の素敵なお嬢さんにお願いして、3人で記念撮影です。

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ゆっくりした昼食後は下り列車を狙います。 4番目の撮影地は架線の下ですが、磐梯山を背景に15時56分。 喜多方-塩川間のどの辺りだったのか、クルマに乗せてもらっていたので判りません。

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撮り終えたら直ぐクルマに乗れとのご指示に従い、5番目の撮影地、山都手前の一ノ戸橋梁に向かいます。 ホントにギリギリ、到着したときに右方から列車が顔出して来るタイミングに慌ててシャッターを切りました。

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ここも即座にクルマにとのご指示に従って、次なる撮影地に移動です。 6番目の撮影地はとっぷり陽が落ちた野沢駅。 この日、終日遅延していた列車は16時41分に発車して行きました。 暗いしアングルも良くないので撮影は諦め、発車シーンは動画撮影としました。

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さてさて、一日が終われば反省会。 喜多方のスーパーで食材調達、宿泊地近くのコンビニでアルコールと翌日の朝食を調達。 合宿主催者持参の電気鍋で夕食です。

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鍋が温まる前にとりあえずカンパーイ! 反省会の始まりです。

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出汁が出るように最初は魚介類とキノコ類から。 煮えてくれば写真など撮っている余裕はありません。 基本は反省会ですからね。

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十分反省し尽くした頃には、地元に敬意を表して麒麟山を頂きました。

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と言うわけで、夜は更けていきました。

 

 

 

2020年11月17日 (火)

磐西門デフC57撮影合宿に参加

鉄道ファンを自認する身ですが、だからと言っていわゆるSL列車に熱狂しないOER3001氏が、その熱狂する現場を見ておくのも一度は良いかと思って、表題の通りとなりました。

まだ暗い早朝、5:28発の区間急行に乗ります。

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プラットホームに上がると、下り線に到着したのはサンリオフルラッピングトレインでした。

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OER3001氏が乗る8000系が到着です。

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新宿へは行かず、途中の桜上水で下車。 合宿主催者のクルマがお待ちです。 首都高を進む中、東の空が明るくなり始めました。

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途中休憩もその回数節約、東北道から磐越自動車道路を進むうち、磐梯山が綺麗に見えてきました。

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最初はここで始まりました。 早速新型車両がやってきました。 当然ここでの本命は門デフC57ですが、それはまた後日と言うことにして・・・。

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撮っては移動、撮っては移動と慌ただしい行動です。 そんな中で電車も撮り、本命を待ちます。

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やってきた門デフC57を磐梯山バックに捉えました。

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ここでの撮影は、福島県在住者との3人で仲良く。 その証拠はお日様がご覧になっていました。

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その後には斯様な場所へ移動して撮影、ものすごい人出でした。 

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一日の修行を終えて、温泉に浸かります。 そして一日の反省会が始まりました。

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成果は別途、ご報告させて頂くこととして、取り急ぎのご報告までとさせて頂きます。

 

 

2020年11月16日 (月)

二子玉川園駅

今は田園都市線と呼ばれる地下線の渋谷~二子玉川間の開業は1977(昭和52)年4月のこと、新玉川線と呼ばれていました。 当時、二子玉川は二子玉川園、“園”が取れたのは2000(平成12)年のこと。

今は大井町線が利用している2・3番線が、新玉川線ホームでした。 構内に妙なY字ポイント2組を設け、一旦は単線になってから2線に分岐するという構造だったのが思い出されます。

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なんでこんな妙な廃線配線になったのか? 後日、銀座線を二子玉川園へ延長し、ここで折り返すという構想もあったことを知りました。 

結果として、大井町線との交差も上下逆転となる大改良工事が行われ、今日の姿になっています。 

 

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