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2019年2月

2019年2月27日 (水)

京阪ワールド

小田急ファンでありながら、関西では京阪に魅力を感じていたわが身、テレビカー3000系をペーパー自作しています。 製作したのは1974年、今ほどパーツも無かった時代でした。

クーラーはシリコンゴムの型にポリエステル樹脂を流して作ったもの。 この原型は親友のKW氏が京王井の頭線3000系に用いるために制作したものでした。 TVアンテナは真鍮線ハンダ付けで自作。 パンタグラフPT-48も自作せざるを得ませんでした。

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1991年の暮れ、親友SO氏がペーパー自作の京阪を抱えて遊びに来てくれた時、並べて記念撮影させて頂きました。

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時間を見て昔のフィルムをスキャンニングしているのですが、残念ながら斯様に変色しているものも少なくありません。 何かで使用する時にはカラー補正しなければなりませんね。

2019年2月20日 (水)

50年前のこと

それは1969(昭和44)年2月2月16日でした。 結構な降雪があった日の凍てついた夜、防寒具で身を包み、三脚とカメラを持って出かけたのは経堂検車区。

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次々に入庫して来る特急車。 本線を挟んだ右端には既に3000形SSE。 右の3100形NSEは車内清掃中。 その左にもNSE、そして左端はヘッドライトを灯したSSEが。

考えてみれば良くぞこんな所まで入れてくれた時代、感謝感謝です。

2019年2月15日 (金)

雪かき

寒い日々が続きます。 寒いとは言え 昨年などはかなりの降雪だったのに、今年の東京には雪が積もりません。 そこで・・・、ラッセル車を引っ張り出してきて、ちょっと遊んでみました。

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ラッセル車と言えば蒸気機関車が押す光景が一般的ですが、電気鉄道だった新潟交通ではモワ51がその任についていましたね。 今はもう見られない光景、模型で楽しんでいます。

2019年2月 8日 (金)

お買いもの電車走る

多摩川畔の模型店2階のレンタル運転場で開催されるシニアの運転会、今回の荷は真鍮製6両編成と少々重たいのですが、お買いもの電車で参加しました。

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車輪クリーニングと注油は済ませておいたものの、ロングラン運転をしていなかったため、車輪の回転音が響き、DV18モーターとインサイドギア2台の駆動は、登坂力に弱かったたため、先ずはサハが増結される前の5両編成で。

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平坦線路では快走してくれましたが少々走行音が喧しく、調整が必要のようです。

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それでも走らせているうちに馴染んで来たようで、テールライトのバックシーンもなかなかです。

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最後はサハを加えた6両編成にして周回しました。

実車は先頭車(762φ)と中間車(910φ)で異なる車輪径を、模型では9.5φと11.5φとしたため、ホイルベース26㎜では11.5φ車輪のMPギアは市販されておらず、やむなくインサイドギア駆動としているのですが、やっぱり走行性能面からすればMP化したいですね。 

車輪径11.5φ、ホイルベース26㎜のMPギア販売を強く望むところです。

2019年2月 6日 (水)

銀座天賞堂

天賞堂が、銀座のビルを建て替えるとのことです。

第一次オメガセントラルと言われたレイアウトに目が釘付けになり、第二次オメガセントラル、そしてレイアウトが無くなってしまった店舗と通った歴史。 建て替え後の模型売り場はいったいどうなるのでしょう?

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整理していて出てきた包装紙は多分1970年代のもの、篠原のポイント用道床を包んでいました。 ユニオンパシフィック、サンタフェ、グレートノーザン・・・など、華やかだった時代の米国鉄道ブランドマークが描かれていました。

この後は濃紺地に天賞堂16番製品の151系やED42、EF30などの側面イラストが並んだ包装紙となり、さらに現在の「Tenshodo」ロゴが並ぶブルーのものに代った記憶があります。

新店舗になるころ、どんな包装紙になるのでしょうね。

2019年2月 4日 (月)

保存車体 その3

保存車体シリーズ、調子に乗って‘その3’です。 今度はプラスチックモデルの小田急SE車、1960年頃だったと思います。

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メーカーは記憶していませんが、オリエンタル模型では無かった筈。 赤、グレー、モニター屋根それぞれがパーツとなっているのを組み立てるだけの構造です。 実際に16番線路を走らせることはできませんが、台車と車輪、簡単な床下機器、客席も付いていました。

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連節構造ではないものの、飾って楽しめるプラスチックモデルで、今になって計測するとほぼスケール通りの素晴らしいものです。

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台車形状も、床面高さも、実車のイメージを良く捉えているではないですか。

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だから何とかして連結して走らせたいと、2車体は手に入れました。 そしてあれこれ動力化などにチャレンジしていた形跡もありますが、結局満足するものに至らず。

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そうしたらクラスメイトが作っていた1車体を寄贈してくれ、3車体が揃ってしまいました。

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「OER3001氏」を名乗る身にとってはまさに原点となる車両のモデル。 これも立派な宝物ですからやっぱり処分することはできません。

2019年2月 1日 (金)

保存車体 その2

クロ151の保存車体を取り出してみたら、さらに時を遡るものがあったことを思い出しました。

クハ26とでもいうべきか、ビジネス特急「こだま」の先頭車。 1958年頃だったと思います。 材質は朴なのか、薄板に窓抜きされたキット、OゲージとHOゲージの2種類が売られていました。 セメダインで組み立て、ヤスリ掛けして整え、自分で色を塗るものでした。

ここでご紹介するのは、多分OER3001氏が「鉄道模型を作る」と言う行為に初めて取り組んだ、小学2年生の時の作品だったかと思います。 作品とは言え、自分でできたのは薄板を接着したところまでだったようです。 父が大幅に手伝ってくれ、ヤスリがけ、色塗りは父の手によるものです。

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キットは側板に窓穴が開けられているのみで、あとは所定寸法にカットされた木片を接着するようなもの。 従って、扉や運転室などは描いて表現しなければなりません。 父が細い筆で描いてくれた「こだま」愛称板が素晴らしいです。

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運転室の窓、JNRのマークなど、小学2年生にはとてもとても無理ですが、父の腕には子どもながらに感心していたことを思い出します。

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後方から見た姿、運転台後方小窓、乗務員扉の描き方が凄いです。 側窓の断面には銀色が塗られています。

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加えてクーラーの表現までも。

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これらは「マスキング」など全くない、フリーハンドで描いていました。 連結面に描かれた貫通路の形状は、どこか小田急SE車のような。 
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塗り分けも、雨樋部分の細い赤も、前照灯部分の細い3本線も、全て細い筆の作業。 色はエスクマ印(島田塗料)のマメラッカーでした。 ブリキを曲げただけの玩具のようなカプラーが付いています。

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当時は祖父が経営する事業を手伝っていたのか、それが上手く回らなくなり会社員に転職した頃なのか、子ども時代の記憶では不確かですが、手先が器用で尊敬できる父でした。

父との共同作業の作品、いや遺品かもしれませんが、大事な大事な60年前の思い出。 どうしても処分することはできない宝物です。

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