日記・コラム・つぶやき

2020年11月30日 (月)

さよならネガフィルム

春先から続くの新型コロナウイルス感染の驚異は、感染防止策の一つとして外出自粛を余儀なくされました。 この機会を利用して始めたフィルムのデジタル化は、5月28日にポジフィルムを完了した後、ネガフィルムに移行していました。

それが6ヶ月後の11月28日、全てのフィルムデジタル化が完了しました。

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シコシコ進めて完了した数は画像の通りで、OER3001氏が幼児の頃からのものも含め、古いものは缶、比較的新しいものはプラスチックのネガケースに収められていましたが、缶を開けると独特の暗室の匂いが充満しました。

記念写真を撮った後は、焼却ゴミ用の袋に入れて、市の収集に委ねることにしました。

さようならネガフィルム、そして我家から全ての写真フィルムが無くなりました。

 

 

2020年11月23日 (月)

秋の色

コロナ禍で我慢の3連休と言われている中で22日、近所の紅葉を楽しみました。

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紅葉の色を撮るには逆光が一番です。

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木によって紅葉の進み方に差があるときが、いろいろな色が楽しめます。

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同じ木でもアングルによって見え方にも変化します。

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風が強かったお陰で抜けるような青い空、コントラストが素晴らしかったです。

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たまには鉄道とは無関係な内容ですみません。

 

2020年11月19日 (木)

磐西門デフC57撮影合宿2日目

2日目の朝はここ、馬下保養センターで迎えました。

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朝の温泉に入って気分爽快、前日に調達したサンドイッチの朝食を済ませ、合宿に新たに加わるメンバーをお出迎えのため、馬下駅に向かいます。

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お仲間が乗った列車は9時59分、定刻に到着です。

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その列車はここ馬下駅で下り列車と交換、10時03分に発車して行きました。

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お目当ての門デフC57はこの後にやって来ます。 10時33分、先ずはホーム進入を狙います。 朝陽を受けて輝いています。

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ゆっくり構内を通過して行きました。 さて、この後から過酷な修行が始まります。 

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最初は鹿瀬-日出谷間の第一平瀬踏切で待ち受けます。 が、既に多くの同業者で、駐車も少々離れた場所にしか叶いません。 従って、撮影ポイントまでは走りが必須となりますので、まさに運動部の合宿です。 11時42分無事撮影できました。

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次なる撮影地は豊実-徳沢間。 阿賀野川の対岸を走る姿を狙います。 11時58分でした。

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直ちにカメラを収納してクルマに戻ります。 主催者の巧みなドライブテクニックが功を奏します。 そして次なる撮影地は荻野駅の進入、12時32分でした。

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そろそろ昼食、なんてことは誰も口にしません。 有名な一ノ戸川橋梁へ急ぎます。 12時53分、定刻でした。

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因みに、撮影者のクルマが数珠繋がりで駐車しているところに列車通過予定時刻の2分前、「こちらは喜多方警察署、通行の邪魔になっているので直ちにクルマを移動してください。クルマのナンバーは控えています。」とミニパトカー。 しかし2分目ではみ~んな無反応、無視。 意地悪な警察ですよね。

真横を撮ったらこの通りの人、人、人でした。 念のためこの場所には駐車禁止標識はありませんが。

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この地の道に詳しい主催者が最後に向かった場所は、架線のある笈川-堂島間。 13時26分、磐梯山をバックに横位置で狙います。

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喜多方ラーメンも相当な行列であることを予想し、また帰路の渋滞回避のため、下り列車撮影を諦めて、ここで撮影終了。 遅い昼食は磐越自動車道に入った後、 磐梯山SAで会津ラーメンを頂きました。

好天にも恵まれた1泊2日の合宿、企画してくださったIさん、ありがとうございました。 また現地で合流したAさん、Oさん、大変お世話になりました。 大変素晴らしい2日間となりました。

 

2020年11月18日 (水)

磐西門デフC57撮影合宿1日目

過酷な合宿、最初の場所は三川-津川間の多賀神社境内から。 11時08分のことでした。

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次がここ鹿瀬-日出谷間の阿賀野川に架かる橋梁で11時44分。 列車は遅れ気味でした。

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ちょうど風向きがこちらを向いていて、走り去る列車の煙で右方の住宅が覆われてしまいましたが、洗濯物には煤が付いたことでしょう。 上り列車の撮影はこれにて終了。

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この後は山都-喜多方間の川吉踏切近くで動画撮影、そして昼食。 あべくまさんによる座席確保のおかげで、地元で有名な「やまと路」で美味な蕎麦をゆっくり楽しませて頂きました。

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そして人気者の素敵なお嬢さんにお願いして、3人で記念撮影です。

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ゆっくりした昼食後は下り列車を狙います。 4番目の撮影地は架線の下ですが、磐梯山を背景に15時56分。 喜多方-塩川間のどの辺りだったのか、クルマに乗せてもらっていたので判りません。

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撮り終えたら直ぐクルマに乗れとのご指示に従い、5番目の撮影地、山都手前の一ノ戸橋梁に向かいます。 ホントにギリギリ、到着したときに右方から列車が顔出して来るタイミングに慌ててシャッターを切りました。

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ここも即座にクルマにとのご指示に従って、次なる撮影地に移動です。 6番目の撮影地はとっぷり陽が落ちた野沢駅。 この日、終日遅延していた列車は16時41分に発車して行きました。 暗いしアングルも良くないので撮影は諦め、発車シーンは動画撮影としました。

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さてさて、一日が終われば反省会。 喜多方のスーパーで食材調達、宿泊地近くのコンビニでアルコールと翌日の朝食を調達。 合宿主催者持参の電気鍋で夕食です。

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鍋が温まる前にとりあえずカンパーイ! 反省会の始まりです。

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出汁が出るように最初は魚介類とキノコ類から。 煮えてくれば写真など撮っている余裕はありません。 基本は反省会ですからね。

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十分反省し尽くした頃には、地元に敬意を表して麒麟山を頂きました。

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と言うわけで、夜は更けていきました。

 

 

 

2020年11月 9日 (月)

地下鉄博物館へ

秋晴れに誘われて出かけた先は、コロナ禍の平日でさぞ空いているであろうと期待して、東西線は葛西駅高架下の地下鉄博物館に足を伸ばしてみました。

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入場料金は220円、パスモで購入できます。 ゲートを入るとまず出迎えてくれるのがこの赤い電車。

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その隣には歴史的な黄色い電車。 どちらも来館者が少ないコロナ禍の平日と言うこともあって、誰にも邪魔されること無くゆっくり観察できます。

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Uターンするカタチで順路に沿って進めば、東京地下鉄道の100形カットボディがあります。 改めて観察して、この電車を気に入ってしまいました。

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その近くには、多分これが一番新しいカットボディーと思われる、引退してから日が浅い銀座線の01系が。 コロナ禍の制約から車内には入れませんでした。

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最後のカットボディーが実は、一番楽しいのです。 千代田線から引退した6000系は運転シミュレーターになっています。 来場者も少なく、思いがけず係員からどうぞどお招き頂き、一駅間の運転に挑戦できました。

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計器盤に速度60㎞/hとの指示。一気に4ノッチまで入れて加速すると、シートが振動して実感的です。ノッチオフして暫く蛇行すると上り勾配と思われ56㎞/h程度に低下したので再度ノッチイン。 これを2回行ったら、右カーブして右方にプラットホームが見えましたので、ブレーキハンドルを3、4と引き、徐々に緩めて速度調整。 なんと、ぴったり停車位置に止められたことに大興奮でした。

ここは初めてではありませんが、平日に訪れたのは初めて。 平日の博物館はサイコーです。

 

 

2020年11月 8日 (日)

TOKYO 1964

戦後生まれのOER3001氏の世代にとって東京オリンピックとは、1964(昭和39)年に開催された第18回の印象が大きいです。 

戦争で荒廃した国土復興は、1958(昭和33)年には本州と九州を結ぶ海底トンネル・関門自動車トンネルが開通し、東京タワーが完成、特急「こだま」の運転開始と、少年の眼を輝かせてくれるようになりました。

さらに1962(昭和37)年には、我が国で最初の高速道路として、今の首都高・京橋~芝浦間の開通、翌1963(昭和38)年、名神高速道路・ 栗東IC - 尼崎IC開通。 そして1964(昭和39)年、東京モノレールと東海道新幹線が開業。 オリンピック開催を迎えました。 東京の街中がオリンピックに沸いていました。

そんな光景を記録していた亡き父が残したフィルムの中に、小田急新宿駅がありました。

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オリンピック開催期間内の撮影と思われ、ハーフサイズフィルムのキャノンDemiでの撮影です。

1号線には前年に就役したばかりの新型ロマンスカー3100形NSEが停車中ですが、構内にはオリンピックの装飾が溢れています。

そう言えば、小田急初の大型通勤車としてこの年に就役した2600形NHE車はつり革の数が多く、つり革の輪を5輪色にしていた編成がありました。 いや、もしかしたら5輪色のつり革は他の車両でも実施していたかな? 定かではありませんが間違いなく、赤・黄・緑・青・黒の5色つり革があったことは間違いありません。

せっせと進めているフィルムのデジタル化、いろいろな想い出が蘇ります。

 

2020年11月 6日 (金)

お出かけ~!

秋晴れで気持ちの良い平日、ちょっと出かけてみることにしました。

いつものように快速急行。 登戸に到着したら隣の各駅停車に、新5000形が停車していました。ほぼ同時刻発車ながらが僅かにドア締めが早かった各駅停車が先に発車です。 思わずカメラを用意、その瞬間を狙うことに。

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新型10両編成が各駅停車に充当なんて、一昔前ではあり得ないような光景を、多摩川の上でフロントウインドウ越しに捉えることができて、何故か得した感じでした。

 

2020年11月 1日 (日)

渋谷の景色

東急東横店と言うより、東横デパートと言った方が馴染めるような気がするのはかなりのご年配なのでしょうね。 一連の再開発でそのビルもいよいよ解体になるようですが・・・。

東横デパートの3階に発着するのに地下鉄とは不思議だと、幼少の頃に思っていたものです。

神宮前(表参道への改称は1972年)を発車した後に地上に顔を出し、と言うより周りの景色が急に低くなるので高架線になりました。 そして降車と乗車のホームを分けた渋谷に到着すると、前方の引き揚げ線に。

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上の画像(1994年4月撮影)では、引き上げ線の上は空です。 そして右下には井の頭線ホームの屋根が見えます。

浅草行きとなって、折り返してきました。

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井の頭線ホームの先端からはこのように見えました。

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当時の井の頭線ホームはこんな様子。

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今日の井の頭線は、コンコース拡大と20m車5連に対応したホームに延伸すべく、吉祥寺方向に移動してしまったため、多車線への乗り換え距離が長くなっていたのだが、再開発で銀座線や東横線がさらに遠くなってしまった哀れな存在。

空が見えた時代が良かったな。

 

2020年10月 2日 (金)

行ってみました武蔵新田へ

あまり乗ることが無い東急多摩川線ですが、首都圏の路線としては今時珍しい、3両編成の電車が走っています。 しかも全長20mではない18m車で。

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しかしながらOER3001氏にとっての「東急タマガワ線」はこの電車が走っていた玉川線、いわゆる玉電でした。

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同じタマガワ線でも、玉川線と多摩川線の違いは大きいです。

それでもタマガワ線という同じ読み故か、多摩川線には昭和の香りが感じ取れます。 この駅も、模型化にはほどよい駅舎。 ムサシシンデンではなくムサシニッタです。

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同好諸氏からの情報で、最近開店となった此所へ行ってみました。

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毎週木曜日に加え、4の日だけしか開店しないというアンティークショップですが、なかなか興味深い鉄道模型があふれています。 結局この日は、これ買ってしまいました。 台車2両分。

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懐かしいアーチバー台車です。

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想い出の「あだたら号」擬きに使用した台車と同じようです。 調子が悪くなった時の交換用としておきます。

買い物済ませて駅に戻れば、またこの電車。 終日往復していたようです。

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電車に乗る前に、武蔵新田駅界隈で昼飲みできる店を探索。 見つけた中華料理店で、生ビールに焼売他で、友人と楽しいひとときを過ごした次第でした。

そして気づけば、この日は中秋の名月だと。 急いでベランダから撮りました。 40倍ズームはなかなかのものです。

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明日も良い日でありますように。

 

 

 

2020年8月18日 (火)

東横線で

8月14日のCedarさまのブログでは、私鉄ターミナルについて触れて居られましたが、所用があってこれに乗ることにしたのですが・・・

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時代は既に地下深くへ。 しかもターミナルではなく、単なる中間の駅。 左側は東京メトロ副都心線。 駅名票のラインカラーが渋谷を境に変わっています。 東横線はピンク?

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そこにやって来たのは運良く東急の車両、しかも青ガエルと同じ5000系、でも4001の車号。

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この特急に乗って着いた先は横浜、ここから先は他社線であるみなとみらい線。

あれっ、東横線のラインカラーはピンクではなかったの? 赤になっていますよね。

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大東急が再編されて、大ではない東急になって、ターミナルも失った東横線。 渋谷の改札を入る時のウキウキ気分も、横浜に就いた時のYOKOHAMA気分も、どこかに行ってしまった東横線。 何か寂しく思うのはOER3001氏だけでしょうか。

久しぶりに友人たちとのビールを楽しんだ後は、ターミナルらしい相鉄経由で帰れば何と、やって来たのは最新の5000形。 良く見れば対岸の下りホームにも5000形。

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この駅も、近いうちにホームドアが設置されて写真撮りにくくなるのでしょうね。

どこかの鉄道では、ホームでの撮影を禁止にすることを考えているという噂を耳にしました。 そんなことには絶対になってはいけません。 

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