鉄道模型(民鉄)

2019年7月 6日 (土)

たまには関西私鉄も

開催日がイレギュラーとなった7月の第1木曜日、多摩川畔の模型店2階の運転場に、近鉄特急を持ち込みました。

スナックカー12000系、パンタを先頭にも増設した姿で、12200系と4連を組みました。 近鉄特急も近年は塗装も変わってしまいましたが、この時代の近鉄特急は風格が漂っていて好きでした。

20190704_0002_20

反対側はクハ12300。 いずれもOER3001氏が初めて取り組んだ真鍮キットでした。

20190704_0001_20

36、7年前となる1982~83年の作品。 今週、前照灯にチップLEDを仕組んで登場させました。

20190704_0005_20

が、残念ながらトラクションモーターの出力と一部の台車追従性に課題があり、早々と退散することとなってしまいました。 早速、改良に取り組むことといたしましょう。

 

2019年7月 4日 (木)

京王帝都も走らせて来ました!

小田急4000形10連のあとは、京王帝都オンパレードとしました。 ヤードに‘t’(スモールt)と呼ばれていた戦前の小型車を電装解除したサハを挟んだ2010系の4連の横には、特急の運板を掲げた新鋭5000系の6連。

20190629_0015_20

2010系編成は側窓に保護棒がある時代、即ち甲州街道の専用軌道を走っていた時代の姿。 一方5000系は登場したての1号編成。 OER3001氏の小学生~中学生にかけての懐かしい思い出です。

20190629_0016_20

5000系の屋根は、淡緑色のイボつきビニールでしたが、当時は京王線の屋根上を観察できる場所がロクに無かったのです。 ほとんどの駅はまだ構内踏切を渡っていた時代です。 跨線橋なんて整備されていなかったのです。

20190629_0017_20

2010系の中間サハはダブルルーフ、勿論屋根布貼りでしたから、新造のデハ2010とは不釣り合い。 こんなのが走っていた時代、京王ライナーが高速で飛ばす今日からは想像できませんね。

20190629_0018_20

2010系が築堤上の本線に現れました。

20190629_0029_20

続いて5000系も、快調に走り回ります。

20190630_0006_20

5000系が入庫すると、横には井の頭線が。 先頭はデハ1400です。 実物では線路幅の異なる井の頭線と並ぶことはありませんでしたが、一部の車両は後に改軌して京王線に転属していました。 

20190630_0007_20

デハ1400を先頭に、デハ1700+サハ1300+デハ1700の4連が築堤を行きます。

20190630_0016_20

京王帝都オンパレードの最後は、井の頭線の荷電デニ101。 近作なのでチップLEDによる前照灯が輝いています。

20190630_0015_20

と、そんなわけで、OER3001氏がちょっとだけKTR5001に変身したような時間が流れました。 

 

 

 

2019年6月26日 (水)

同い年生まれの車両-3

 
暫く製作中断と宣言しながら、ちょっとだけ進めてしまいました。 オデコをバルサ材から整形、ラッカープライマー浸み込ませてからパテ塗ってサーフェサー吹いて、ここまで到達しました。

20160626_0001_20

後部連結面はこんな感じ。

20160626_0002_20

一気に床板も付けました。 動力車にする方は‘床板’ならぬ‘床紙’、そうペーパーです。 およそ0.5㎜厚のアイボリー紙を2枚貼り合せ、ご覧のようにラッカープライマーを浸み込ませて硬化しています。

20160626_0003_20

ところが、サハに台車を付けて見たところ何と腰高! 今さら床板止めの角材位置を修正することなど不可能なので、ご覧のように床板を薄く削ることにしました。20160626_0004_20

こんな感じになりました。 床面高1,100㎜と低い車両なので・・・。

20160626_0005_20

目線を下げて確認、こんなところでしょう。

20160626_0006_20

3両ハコになったところで暫し中断です。

20160626_0007_20

いろいろと平行製作するのも良いものです。 材料が用意できたところで、気が向いたものに移ります。

 

2019年6月20日 (木)

同い年生まれの車両-2

そして、窓枠、側扉となる内貼りを貼った後、窓抜きを完了しました。

20190618_0002_20

たったの2両なので、即組立てに。 屋根肩部分の裏面にスジ入れした後に、定規で挟んで曲げます。 先頭部は今回オデコはペーパールーフとせず、バルサ材の削り出しにします。 正面屋根へのR開始が弓形になっているからです。 車体腰の補強材には、先の小田急4000形同様、3×5を使用しました。

20190619_0004_20

とにかくこれで、3両がハコになりました。

20190619_0001_20

で、中断していた2テーマの材料が調達できましたので、今度は暫くこれの製作は中断することといたします。 オデコのバルサ材削り出しはいつでも気軽にできそうなので、合間を見て進めることにしましょう。

 

 

2019年6月18日 (火)

同い年生まれの車両

OER3001氏が誕生した1950(昭和25)年と言えば、先の戦争終結から僅か5年、我が国はまだ戦禍から立ち上がり切れていなかった時代だったかと思います。 荒廃した鉄道の復興も、資金不足から思うように行かなかったようですから、この年に新造された車両もそう多くないようです。 

そんな時代に誕生した電車を製作したくなりました。 丁度製作中のSE車も2100形も、材料やパーツの調達が必要となり、暫く製作が止まることとなってしまったので、多量在庫で黄ばんだアイボリー紙に向いました。 

20190616_0009_20

CADではなく、三角定規とシャープペンシルで所定寸法を罫書きます。 最初は側扉、側窓上部のR部に丸刃彫刻とを入れます。

20190616_0010_20

中間車体は既に半年ほど前に組み立てられていますので、今回は先頭車両です。

20190616_0011_20

R部を抜いたら、縦方向にカッターを入れます。

20190616_0013_20

その後に横方向、とは言っても用紙を縦にしてカッターは縦に入れます。 すると、切り抜かれた窓片がどんどんたまります。 あっという間に2両外板窓抜き完了!

この後は内貼りを貼ってから窓枠を抜くことにします。

 

 

2019年6月 9日 (日)

井の頭線走る!@シニアの運転会

先日のシニアの運転会、今回のテーマは井の頭線としました。 OER3001氏にとって井の頭線は、京王井の頭線というより帝都電鉄、または帝都線という小田急ファミリーだという思い。 第一目的は竣功間もないデニ101を広い会場で走らせることです。

20190606_0057_20

たった1両の荷電だけに身軽です。

20190606_0043_20

橋梁を渡り快走します。

20190606_0044_20

チップLEDで点灯化した前照灯が効果的でした。

20190606_0045_20

荷電のデニ101だけでは寂しいので、1400形、1300形、1700形で構成する4両編成も持ち込みました。 こちらは手前が1400形。 1400形こそ、帝都電鉄が開業時に揃えた100形が源流です。

20190606_0055_20

こちらは1700形。 戦後の新造車両です。

20190606_0053_20

どちらも気持ち良く快走してくれたお陰で、楽しいひと時となりました。 そして最後はこれ。

20190606_0059_20_1

同好諸氏との一献もまたサイコーでした。

 

 

2019年5月23日 (木)

グランシップトレインフェスタ2019(6) 伊豆箱根鉄道7000系

大勢の方にご来場頂くイベントなので、静岡県内の列車も走らせなくてはいけません。 今回もJR東海やJR貨物に加え、静岡鉄道、遠州鉄道、伊豆急行、伊豆箱根鉄道などの民営鉄道車両を走らせましたが、その中から伊豆箱根鉄道7000系電車を。 2004年にペーパー自作したもので、足回りはDV18モーターと14:2ウォームギアとインサイドギア駆動なのでスピードは充分です。

20190512_0023_20

したしるねこさんhttp://shiruneko.blog79.fc2.com/ 製作の工場モジュールを快走します。

20190512_0026_20

と、ここまでは例年通りなのですが、今年はもう1編成の7000系が加わりました。 なんと、コンテツさんhttp://ef6324.blog49.fc2.com/ が製作したのはラッピング電車「Over the Rainbow 号」です。 OER3001氏らの世代にはさっぱり理解できないのですが、これを作ってしまう情熱は凄いです。

さっぱり理解できないので、いったいどういうモノなのかWikipediaで調べてみましたら次のようなことでした。

静岡県沼津市内浦にある、女子高校の「浦の星女学院(うらのほしじょがくいん)」。この学校は全校生徒が100人にも満たず、来年度の入学希望者は0人。それにより、統廃合の危機に瀕していた。そんな中、学校を盛り上げるために9人の生徒が立ち上がり、スクールアイドルを結成することになった。

20190511_0031_20

ということで、その浦の星女学院まで作ってしまうコンテツさんの熱の入れように驚愕でした。

 

2019年5月 8日 (水)

玉電150形走る

折角なので、ちょっと線路を繋いで走らせてみました。

20190508_0016_20 

電球色LEDが輝いてくれますが、走り出しの定電圧では点灯しません。 程よい速度になってから点灯します。 こちらは渋谷方なので方向幕は白。20190508_0018_20 

下高井戸行の方向幕は赤です。

20190508_0017_20 

玉電用のモジュールを作りたくなります。

 

2019年5月 5日 (日)

玉電全盛期

150形が完成したので、46年前に製作した80形と並べてみたくなりました。

20190505_0013_20

80形はペーパー自作、当時はスケールの台車もなく、ブリルMCBを流用、カツミの小型モーターDV-130とインサイドベルト伝動でしたが、最近WB-26Bに変更しました。 車輪径は10.5φのため、スケールより腰高になるのは止むを得ません。 パンタはPS-16の改造です。

20190505_0016_20

それでも4両を並べてみるのは実に楽しい。

20190505_0001_20

2両編成に組成していますが、150形が「連結2人のり」なのに対して80形は各車に2名の乗務員時代で製作しています。 どこが違う?って、側扉の表示が異なります。 80形の両端扉は「出入口」、中央は「出口」なのに対し、150形は2連の前後扉が「入口」、他は「出口」なのです。

20190505_0007_20

2編成を並べて悦に入っています。

20190505_0005_20

時には検査の都合で、80形と150形の連結もありました。

20190505_0003_20

150形の塗色は、日光モデルの東急グリーンとクリーム色2号を使いましたが、80形の塗色は自家調合したものです。 連結してもそれほど違和感は無いものの、クリーム色には少しグリーンを加えるべきでした。

 

 

 

2019年5月 3日 (金)

令和最初の完成

令和に改元されて最初の完成は、東急多摩川線デハ150形の2両です。 印象深く残る想い出の「玉電」、一番気に入っていたツートーンカラーの時代にしました。

長い「在庫」期間を経て、大作の合間に取り組んでみたアマミヤのキットですが、結構苦労してしまいました。 なにせピッタリ組み立てるのが難しい製品でしたから。 不満足な部分が残りますが、先ずは完成としました。

20190502_0001_20

オデコの方向幕、渋谷と二子玉川園は白地の黒文字ですが、下高井戸は赤地に白文字でした。 これは分岐点・三軒茶屋の信号所から、ポイント切り替えを間違えないように配慮したものと聞きました。 電車の行先を確認してポイント操作なんて、今から思えば長閑な時代でした。

20190502_0005_20

そんな「玉電」でも、乗客増に対応するため2両連結が増えて行きましたが、「連結2人のり」という表示を掲げて、1両目は運転士、2両目は車掌が1か所の扉で運賃収受、他の扉は降り口専用としていました。 古い写真を参考に作成した側面表示には「20円均一」とあります。

20190502_0007_20

連結部に乗務員は居ませんから、ここからは乗車できません。 「出口」の表示を掲示しています。

20190502_0008_20

使用した塗料は日光モデル製、東急グリーンとクリーム色2号としましたが、印象は掴めたかと思います。 動力はだるまやのパワートラックを使用、唸りを上げてスロー走行、軽やかにとは行かない重苦しい走りをしてくれます。 前照灯にはチップLEDを仕組んだので、近日の運転会では令和を明るく照らして走らせたく思っています。

 

より以前の記事一覧

フォト
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ