鉄道(大手民鉄)

2020年11月16日 (月)

二子玉川園駅

今は田園都市線と呼ばれる地下線の渋谷~二子玉川間の開業は1977(昭和52)年4月のこと、新玉川線と呼ばれていました。 当時、二子玉川は二子玉川園、“園”が取れたのは2000(平成12)年のこと。

今は大井町線が利用している2・3番線が、新玉川線ホームでした。 構内に妙なY字ポイント2組を設け、一旦は単線になってから2線に分岐するという構造だったのが思い出されます。

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なんでこんな妙な廃線配線になったのか? 後日、銀座線を二子玉川園へ延長し、ここで折り返すという構想もあったことを知りました。 

結果として、大井町線との交差も上下逆転となる大改良工事が行われ、今日の姿になっています。 

 

2020年11月 5日 (木)

今日の一枚 No.87

世田谷の住宅地を走る東急世田谷線、というよりOER3001氏にとっては今でも“玉電”ですが、低床式の300形の導入が開始された頃、旧型車の最後を記録したくて出かけていました。

山下駅に停車した70型を撮った後、三軒茶屋に向かって走り去るのを見送っていたとき、普段着の女性が電車が通り過ぎた踏切を!

世田谷らしい光景と思って思わずシャッターを切った想い出があります。

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改めて見ると、架線の張り方が見事です。 当たり前なのかも知れませんが架線柱にはビームが無く、世田谷の空が良く見渡せました。

 

2020年11月 1日 (日)

渋谷の景色

東急東横店と言うより、東横デパートと言った方が馴染めるような気がするのはかなりのご年配なのでしょうね。 一連の再開発でそのビルもいよいよ解体になるようですが・・・。

東横デパートの3階に発着するのに地下鉄とは不思議だと、幼少の頃に思っていたものです。

神宮前(表参道への改称は1972年)を発車した後に地上に顔を出し、と言うより周りの景色が急に低くなるので高架線になりました。 そして降車と乗車のホームを分けた渋谷に到着すると、前方の引き揚げ線に。

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上の画像(1994年4月撮影)では、引き上げ線の上は空です。 そして右下には井の頭線ホームの屋根が見えます。

浅草行きとなって、折り返してきました。

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井の頭線ホームの先端からはこのように見えました。

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当時の井の頭線ホームはこんな様子。

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今日の井の頭線は、コンコース拡大と20m車5連に対応したホームに延伸すべく、吉祥寺方向に移動してしまったため、多車線への乗り換え距離が長くなっていたのだが、再開発で銀座線や東横線がさらに遠くなってしまった哀れな存在。

空が見えた時代が良かったな。

 

2020年10月26日 (月)

今日の一枚 No.86

鉄道が好きになった原点の一つがこれかも知れません。

連結面から顔を出してみると、連結器が微妙に擦れ合ったりしていて、繋がれたエアホースもほとんど動かない。 そしてその下を線路が流れていく。

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これは1990年の東急世田谷線での一コマ、妻板が中央で折れているので150形と思われます。 冷房なんて無い。 窓を全開にして風を感じる。 今ではどこに行ってもこんな光景を見ることができなくなって寂しいです。

2020年10月20日 (火)

今日の一枚 No.84

撮ることに夢中になっていながら、その後撮った写真をよく見ない。

フィルム写真の時代は、撮影しても時にはそのフィルムを撮り終えるまでに何日かかかり、さらに現像に出して、仕上がりまでまた何日か。 その間に撮った写真を忘れていることも少なくありませんでした。 ポジフィルムでは大きな画像で見ることも少なかったのですが・・・。

1978年3月、大手電機メーカー群馬製作所への出張帰り、熊谷駅で撮った一枚。

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到着する、今は無き東武熊谷線、地元では妻沼線とも呼ばれていたキハ2000形の正面窓に、何とかわいい子らが。みんな一心にこちらを注視していました。

赤字続きだった同線は、この5年後の1983年に廃止されてしまいました。 この子らは今、どんな大人になっているのだろうか?

 

2020年9月 4日 (金)

今日の一枚 No.77

しばらく間をおいてしまったこのシリーズも、今回はラッキーナンバーの77と言うことで・・・

京王帝都電鉄時代のクハ7711を。若葉台~京王永山間の撮影で、当時は京王多摩センターから先は未開業でした。

7000系は1984(昭和59)年に登場するが、この7711編成は1986(昭和61)年の増備車。 登場時は5両編成で、一見東武鉄道のステンレス車と同じようなカラーリングでした。

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この編成はこの年の秋に新造中間車を入れた6両編成となって以降、1990(平成2)年にはさらに新造中間車を組み込んで8両編成化、さらには10両編成捻出のための組み替えで、当該編成は4両編成となりクハ7811に改番と、複雑な道を辿っています。

 

2020年9月 2日 (水)

豊島園の思い出

8月31日をもって94年の歴史を閉じた豊島園。 3歳から5年ほど練馬に住んでいたOER3001氏にも、幼児の頃の楽しかった思い出が残っています。 モハメイドペーパーさまも、Chitetsuさまも取り上げて居られますが、便乗させていただきます。 但し、ちょっとだけ切り口を変えて。

園内には「チャレンジトレイン」というミニトレインがありました。 2017年の導入で、当時の最新型だった40000系はじめ、西武鉄道のミニ電車を自ら動かすことができました。

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実は当時、40000系が「キッズデザイン賞最優秀賞(内閣総理大臣賞)を受賞。 この事務局に関与していたこともあって、小手指車両基地にいく機会がありました。 その後に豊島園に向かい、「チャレンジトレイン」の見学・試乗となりました。

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車体にはご覧のようなメーカーズプレートも。 平成29年9月新造・佐伯工業深日工場とありました。

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台車枠の奥にモーターが確認できます。モーターの回転軸は車軸と直角のようです。

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実車同様に「キッズデザイン賞」のヘッドマークを掲げ、「S--train・西武秩父」となって走っていました。

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他には「急行・池袋」の30000系。

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「準急・西武新宿」の20000系も。

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最古参となった2000系は「各停・豊島園」です。

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大人にとっても結構楽しめるものでした。

導入から3年しか経っていない施設、その後4000系や001系ラビューも加わっているようですが、このまま閉園とともに消えてゆくのはなんとももったいない話、と思っていたら、どうも西武園に移設されることになっているようで、ひとまず安心。

移設された暁には是非、足を運んでみられてはいかがでしょうか。

 

 

 

2020年8月16日 (日)

朝練に

6時なのに既に、夏の日射しがギラギラ。 朝食も摂らずにちょっと出掛けて来ました。 

早く着きすぎたので、周辺をウォーキングしてみたら、小名路踏切(中央線 53㎞980m 幅員1.8m)を見つけて暫し練習。 上りは順光なので、E233系快速が綺麗に撮れました。

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が、下りは逆光で残念です。 それでもE353系特急を撮ります。

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で、いよいよ本命の場所へ向かいますが、朝なので逆光甚だしい場所です。 とりあえずここで練習のため8000系特急を撮って本番に備えます。

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ということで本番! 8月15、16、22、23の4日間のみ運転される5000系の臨時座席指定列車「Mt.TAKAO」を撮るのですが、何と高尾山口駅到着前に、既に「回送」の表示に変わっています。 残念!!

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新宿からノンストップの筈なのに、高尾駅通過後直ぐに表示を変えたようです。 京王 さん、もう少し考慮してくれないかな、沿線で撮影しているファンのことを。

 

 

2020年8月15日 (土)

今日の一枚 No.72 +おまけの1枚

都会にも、長閑な空間がありました。 玉電、いやこの時既に世田谷線でしたが、70形に乗っている時は「玉電」でした。

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因みに向こうの車両は72なので、こちらの車両は71ということになります。

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冷房なんかありませんでしたが、天井の扇風機は大活躍。 走り出すと窓から爽やかな風が入って来ました。

 

2020年8月10日 (月)

今日の一枚 No.70

1974「(昭和49)年10月、京王永山駅。

京王帝都電鉄は10月18日、京王よみうりランド~京王多摩センター間の9.8㎞を開業しました。 開業の多分2日後にここに行っていたようです。 京王鉄道友の会製作の祝賀ヘッドマークを掲げた5865先頭の快速電車が、永山隧道を抜けてホームに滑り込みます。

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この当時の同駅乗降客数は7,000人/日程度だったのが、今では47,000人/日 と約7倍に。 ホーム上屋も短く、先頭(後部)2両程度には上屋なしでした。 46年経った今、上屋は先端まで延長され、右隣りの小田急多摩線の隧道も望めなくなっています。隧道上は 木々が大きく育ち、こんなにさっぱりした光景ではありません。 

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