想い出の光景

2020年11月26日 (木)

想い出の光景:9

ハーフサイズカメラのCanonDemiを買ってもらって、最初にカラーフィルムを装填しての撮影がここでした。 時は1966(昭和41)年10月のある日。 今は地下駅となった東北沢、地下鉄千代田線との相互直通運転のための改良工事が始まる前は、各駅停車は副本線で優等列車の通過待ちをするため、対向式ホームの間に通過線を備える構造のため、電車の撮影には好都合な駅でした。

今更ですがデジタル世代のために一言。 当時の35㎜サイズフィルムは、12枚撮り、20枚撮り、36枚撮りが売られていて、一番安価な12枚撮りで24枚撮れるというのがハーフサイズ。 今日は何枚必要か?なんて心配をしていたこと自体、デジタルの今日では理解できないことでしょうね。 

ところが初めてのカラーフィルム、もっとも安価な12枚撮りを買ったのですが、現像プリントの段階で思わぬ出費に。 当たり前ですがプリント代金は枚数分ですから。

スキャンしたフィルムがかなり黄変していたので修正しています。 当時の最新型2600形NHE車が待避、3000形SE車の「さがみ」が駆け抜けていきました。 何故かこの頃は非常用連結器を出したままでの運用でした。

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まだABF車も全車大活躍の時代。 1910形の各駅停車が入線、急行通過を待避しています。 ハーフサイズと言うこともあり、ピントも甘く車番が確認できませんが、編成の姿からして新宿方から1911-1961+1912-1962と推察できます。

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高架化、地下化、ホームドア設置など、駅での撮影もしづらくなりましたが、この時代が懐かしく感じる次第。 模型の製作題材もこの時代の車両に惹かれます。

 

 

2020年11月22日 (日)

想い出の光景:8

時は1970(昭和45)年 4月5日のこと、長閑な田園地帯で華やかなロマンスカーNSE車のすれ違いです。 

ここがどこだか判る方はかなりの年配者かと思います。 線路と平行している道路は津久井道です。

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同じ年の秋、11月8日にほぼ同じ場所で撮影していますが、田圃には刈り取った稲が干してありました。

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この場所はその後、手前左方にカーブしている線路をカメラを構えている場所方向に直線とし、新百合ヶ丘駅の新設、多摩線建設と変わって行きました。 建設工事の進捗と共に木々は伐採され、立ち入ることができなくなってしまいました。

今は川崎市麻生区万福寺1丁目17−1、小田急アコルデ新百合ヶ丘北館の辺りと思われますが、この眺めが気に入って、何度か撮影に訪れていたものでした。

 

 

2020年11月 4日 (水)

想い出の光景:7

地下で複々線になる以前、小田急線の成城学園前を発車した下り電車は、次駅喜多見に向けて一気に勾配を駆け下りて行きました。 写真は1969(昭和44)年2月、多摩川の支流である野川の畔から撮影しています。 ちょうど2600形が勾配を駆け上がっていきました。

ここは、野川に沿って緑豊かな崖が連続している国分寺崖線と呼ばれる所。 長い年月をかけて多摩川が武蔵野台地を削ってできた河岸段丘崖だそうです。

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喜多見を出た上り電車は、松の木が茂る崖を前に、築堤と切り通しを抜けて成城学園前駅に向かったのです。 崖の上に掛かった跨線橋からは真正面に富士山を仰ぐこともできました。

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画面中央部、線路の右側(山側)では土木工事が行われていますが、これは野川橋梁掛け替えのために一時、山側に迂回させていた線路を撤去、元に戻しているところなのですが・・・、後年ここが、喜多見車両基地となってしまいます。

新宿からの都心風景は、経堂を出ると畑もある郊外となり、成城学園前からはいよいよ田園風景といった景色は遠い昔の想い出と化してしまいました。

 

2020年10月27日 (火)

想い出の光景:6

今回は下北沢駅で空が見えていた頃。

この駅では、ホーム新宿方で東北沢からの勾配を下ってくる光景を撮ることが多かったと思いますが、上を走る井の頭線とのツーショットを収めるには下り方に来なければなりません。

が、しかし・・・、なかなかタイミング良く撮れませんでした。

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この時はなんとか、2600形第1編成クハ2851の準急が停車中に、井の頭線下り電車が到着するところでしたが・・・、はっきりとは写せませんでした。

 

 

2020年10月15日 (木)

想い出の光景:5

今は冬の豪雪でも、スマートなLRTで快適な移動ができるようになりました。

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しかし、どうしても思い出す懐かしい光景があるのです。 国鉄・富山港線時代の城川原駅。

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ちょうど、近代化工事を施されたクモハ73013と全金属製クハ79の2両編成が整備中でした。

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反対側の引き込み線には、多客時増結用のクモハ40076が止まっていました。

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どれも京浜東北線と同じ青22号に塗装され、好ましい印象でした。

線路は繋がっていても、富山から先は交流電化故、これらの直流電車たちは、へんぴな営業所に飛ばされたサラリーマンのように、このサボを掲げて一日中行ったり来たり。  
 

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そんな彼らを健気に思い、いつか作ろうと思ったりしたのですが・・・。

 

 

2020年10月12日 (月)

思い出の光景:4

今回のお題は“バスタ新宿”が無かった頃。

テレビの報道で、「新宿駅前の様子」って言うのは、多分高度成長期の頃からずっとあったように思いますが・・・、気づいてみれば“二幸”転じて“スタジオアルタ”の前の東口広場からの中継映像は皆無になってしまいました。

一方、高層ビルを背景に、小田急や京王の百貨店や地下広場からなる西口は、通行者へのインタビューなどで登場します。 その西口で、大規模な再開発計画が発表されました。

こんな状況下、必ず登場するのが“バスタ新宿”や甲州街道が映る南口です。

南口なんて、国鉄線を超えて四谷新宿まで行っていた京王電車が、戦後西口に乗り入れるようになってからからは、東口や西口の華やかさとはかけ離れたものでした。 そう言えば、南口ではなく甲州口と言ってた筈です。

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この画像は霙舞う中、甲州街道の陸橋から、代々木方向に向けてバルブ撮影してみたもの。

0番ホームが新設されていますが、その前に止まっているのはEF13でしょうか。 左後方にあった、今は高島屋や東急ハンズが入るビルのところにあった貨物ターミナルの貨車を牽くために待機していたようです。

発表された西口再開発で、再開発が進む渋谷に対抗するのでしょうね。 これまた楽しみです。

 

2020年10月 8日 (木)

想い出の光景:3

これは社会人になって初めての正月でした。

石打の民宿に泊まり、石打丸山スキー場他で滑りまくったと思うのですが・・・、ゲレンデの中腹で暫しスキー放棄。 EF16の補機を頭に、FE58牽く12系客車を捉えました。

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序でにこれも撮らねばなりません。 上越新幹線がまだ無かった時代、ボンネット181系の「とき」は上越線の華でした。

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スキーが目的の旅行だったので、当時のコンパクトカメラでの撮影だったと思いますが、スキーを楽しまずに撮影だけでここまで出かける勇気は、残念ながらありませんでした。

2020年10月 7日 (水)

想い出の光景:2

このシリーズの2回目は此所、判りますか?

踏切左の上方は山手通りです。

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1971年3月14日の小田急線代々木八幡駅です。

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上り線はR203と言う急曲線、通過制限速度は45㎞/hです。

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改札口は下りホーム先頭部、階段を数段下りたところ1カ所でした。 上下線ともホームと電車の間は大きく離れ、乗降時には特に注意が必要でした。

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地下鉄千代田線への乗り入れ工事に伴い、この後上り線を山側に移設し、広がった上下線間に千代田線が顔を出すための改良工事が始まります。

この変化については、また機会を見てご紹介することになるかも知れません。

 

2020年10月 5日 (月)

想い出の光景:1

新たなシリーズを開始します。 シリーズ名は「想い出の光景」、OER3001氏が二十歳の頃を振り返ってみたいと思います。

第1回は小田急線新宿です。

新宿1号踏切と称する踏切は今もありますが、布巾の様相は一転してしまいました。

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南新宿駅下りホーム後端からの眺めですが・・・、

今は南新宿駅そのものが200mほど移動していています。 それは、10両編成対応ホーム改良に際し、地下線の勾配改良に伴い、地上線/地下線分岐器を120m程移動したために、この踏切は4線越えになりました。

左方には貨物ホームがあり、ちょうど1300形の新聞電車に夕刊を積み込んでいました。

地下線から上がってきたのは4000形、4066を頭にする3両編成は新造5ヶ月後の姿です。

今はサザンテラスが被さって、空は仰げなくなってしまいましたが、この時代はバックに中央緩行線の黄色い101系や小田急百貨店ビルも見られました。

因みに地上ホームは特急・急行用というスタイルは今と同じ。 屋根上にクーラーを搭載する前の、すっきりした姿のNSEは華でした。

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残念ながらネガカラーフィルムは変色してしまいました。 補正を試みましたが、OER3001氏のスキルではこれが限界でした。

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