鉄道模型(国鉄・JR)

2019年2月 1日 (金)

保存車体 その2

クロ151の保存車体を取り出してみたら、さらに時を遡るものがあったことを思い出しました。

クハ26とでもいうべきか、ビジネス特急「こだま」の先頭車。 1958年頃だったと思います。 材質は朴なのか、薄板に窓抜きされたキット、OゲージとHOゲージの2種類が売られていました。 セメダインで組み立て、ヤスリ掛けして整え、自分で色を塗るものでした。

ここでご紹介するのは、多分OER3001氏が「鉄道模型を作る」と言う行為に初めて取り組んだ、小学2年生の時の作品だったかと思います。 作品とは言え、自分でできたのは薄板を接着したところまでだったようです。 父が大幅に手伝ってくれ、ヤスリがけ、色塗りは父の手によるものです。

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キットは側板に窓穴が開けられているのみで、あとは所定寸法にカットされた木片を接着するようなもの。 従って、扉や運転室などは描いて表現しなければなりません。 父が細い筆で描いてくれた「こだま」愛称板が素晴らしいです。

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運転室の窓、JNRのマークなど、小学2年生にはとてもとても無理ですが、父の腕には子どもながらに感心していたことを思い出します。

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後方から見た姿、運転台後方小窓、乗務員扉の描き方が凄いです。 側窓の断面には銀色が塗られています。

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加えてクーラーの表現までも。

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これらは「マスキング」など全くない、フリーハンドで描いていました。 連結面に描かれた貫通路の形状は、どこか小田急SE車のような。 
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塗り分けも、雨樋部分の細い赤も、前照灯部分の細い3本線も、全て細い筆の作業。 色はエスクマ印(島田塗料)のマメラッカーでした。 ブリキを曲げただけの玩具のようなカプラーが付いています。

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当時は祖父が経営する事業を手伝っていたのか、それが上手く回らなくなり会社員に転職した頃なのか、子ども時代の記憶では不確かですが、手先が器用で尊敬できる父でした。

父との共同作業の作品、いや遺品かもしれませんが、大事な大事な60年前の思い出。 どうしても処分することはできない宝物です。

2019年1月27日 (日)

保存車体

鉄道模型の世界に入って半世紀、3線式OゲージのEB58を買ってもらった時から数えれば62年? あるいは16番ゲージでペーパー自作電車を作ってから数えれば57年。 いずれにしても60年余りの期間。 その間に入手あるいは自作した車両の中には、捨てられない思い出のものもあり、未だ大切に保管しています。

その中で、ある友人が懐かしいプラ模型を入手したという情報に接し、そう言えば同時代のものがあったことを思い出して取り出したのがこれ、2両のクロ151。

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既に下回りのパーツは取り外し、他の車両に転用してしまいましたが、車体は大事に保管していました。 今となってはメーカーは記憶ありませんが、当時は2社から商品化されていた筈で、その内少し高いもののフォルムが良かったこれを購入。 手前の車体は右側面の妻板側小窓を埋めたり、愛称版を点灯式にしようと試みたうえで塗装までしていましたが、奥の車体はほぼそのまま。 両車ともヘッドライトには米粒球を仕込んでいます。 そして車内には大きなセレン整流器が。

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小学6年生の時に購入した筈です。 クラスメイトに天賞堂の151系を持っていたのが居て、羨ましかったのを覚えていますが、彼は今どうしているのだろう? 残念ながら今では音信不能です。

この2両を背中合わせにして、2M1Tで走らせた筈ですが、当時はインサイドギアのウォームギアかみ合わせ調整が上手く出来ずに苦労しました。

取っておいても何の価値も無さそうなものながら、大切な思い出の宝物なのです。

2018年7月16日 (月)

貨車自作

久しぶり、何年ぶりの貨車自作でしょうか。 しかも真鍮製です。

6月8日の拙ブログ「梅雨入り発表後の晴れ間に」http://vse50001.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-f4e4.htmlの最後にご紹介した、コラ1形の軸受裏側に絶縁車輪が接触することによるショート。 その場で即廃車決定とされた1966年8月21日完成のペーパー自作のコラ。 代替新造となった次第です。

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手元にあった床板の切れ端を使ってハンダ付けしました。 ちゃんとしたモデルではないので台枠はチキ擬きの真っ平。 ここにカワイモデルのコンテナを嵌めるパーツを自作して取り付けました。 

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コンテナをグイッと押し込むと、斯様になります。

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暑い中、ベランダで塗装し、レタリングは掘るべ員の白インクによる手書き。 コンテナを嵌め込めばご覧の通り。 コンテナにもレタリングが欲しくなりますが取りあえずはそのまま。

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それでも、こうしてEB10重連(HE10?)に牽かせれば、可愛いコンテナ貨物列車の登場となります。

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暑い日の息抜き工作で、また楽しい列車が生まれました。 これ、8月の運転会でデビューさせることにしましょう!

2018年7月 6日 (金)

シニアの運転会へ

今回はシニアらしく、車歴50年の車両を持って参加して来ました。 しかもパンタグラフを持たない車両、ディーゼルカーというのも実にOER3001らしからぬもので。

先ずはキハ35 500番台の2両を。

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1968(昭和43)年2月、カワイモデル製塗装済み車体を購入し、スノープローなどを自作して仕上げた思い出の車両です。 

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次はキハ25 200番台の2両。

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鉄道模型社製の塗装済みキットですが、色が全く違う赤とクリームだったものを、正規の色に塗り直して仕上げたもの。

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どちらも前日に車輪をクリーニングし、一部外れていた部分をハンダ付け補修とラッカーのタッチアップで綺麗にして臨んだ結果、すこぶる快調に走ってくれました。

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走り終えた最後は構内に並んでもらって記念撮影を。 懐かしい模型は我が人生の道しるべのようです。

2018年6月 4日 (月)

6月4日

6月4日と言う日、小さい頃に「64」を「ムシ」と読んで「虫歯予防デー」と教わっていました。 大学を卒業して入社した会社の創立記念日が6月4日だったので、40年あまり社休日として生活に定着していたのですが・・・。

気付けば「64」は電気機関車がありましたね、EF64。 花形のブルートレインが走らなかった中央線に配属されたので、地味な機関車でしたが気に入っていた機関車です。

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大学の同窓生とのご縁から買い求めた完成車ですが、梅雨入り前の緑が新鮮に映る空気を背景に撮ってみた次第です。

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低速が効く走行性能、走り出す前に前照灯も点くので、斯様な写真も撮れました。 たまには広い線路で走らせてやりたくなりました。

2018年4月17日 (火)

新幹線!

えっ、何ですって??

OER3001氏が新幹線など、有り得なかった話ですが、それが・・・。 ある事情でこんなことする羽目になってしましました。

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KATOのE5系を分解しています。 流石に素晴らしい設計です。

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こうして台枠部分に車体を嵌めて。

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連結部の発想が素晴らしいです。 幌そのものが連結器なのですね。 別パーツの車体間ダンパーも一緒にセットされています。

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こちらは動力車。トラクションモーター方式なので構造はいたって簡単でした。

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フライホイールが付いた小型モーターが台車上に装荷されていますので、1両当たり2個モーターとなります。

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さ~て、これを加工しなければなりません。

2017年5月15日 (月)

左沢線キハ101走る

はつかりクラブの山形運転会にお招きいただきました。 会場は山形県東村山郡中山町いずみ1番地にあるひまわり温泉 ゆ・ら・ら」。 JR左沢線の最上川橋梁の手前に隣接します。 これまで3度お邪魔していることから、今回はペーパー自作した左沢線のキハ101系を持っての参加です。

会場(1階・会議室)のレイアウトで早速走らせて頂きます。 窓の向こうには左沢線が走ります。 

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列車本数は多くないローカル線ですが、タイミングが合わせられればこのように模型とのツーショットが可能です。

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山形在住のF本さん製作のレイアウトは4列車を同時に走らせられるもので、その中にTOMIXのNゲージ用踏切を加工して16番用踏切がセットされています。 

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Nゲージ線路から切り出した接点を、16番の線路にセットしています。 単線にセットしたので両方向の走行に対応できるように、踏切前後に4か所の接点が設けられています。


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その踏切を通過するキハ101が良い感じです。

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正確に、列車接近を検知して警報が鳴動開始、そして遮断機が下がります。 列車が通過すると遮断機が上がります。

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実に良い感じで見ていて飽きません。

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列車は新幹線を横目にカーブを走り、

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多くの参加車両が並ぶヤード横を快調に走ってくれました。

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が、しかし・・・、やっぱり本物の左沢線と並べたい!

ということで、2階客室の窓辺にセットして本物の通過を待ちました。 逆光になるのでどうしても模型が暗くなりますが、室内にあった化粧鏡で室内灯の光を反射させて実車通過を待ちました。 で、やっと、斯様なツーショットを収めることができました。

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翌朝6時10分、最上川橋梁を山形行き一番列車が渡って来ました。 これを見送り安心して朝食後、二日目の運転を楽しみました。
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はつかりクラブの皆さま、今回も2日間にわたり大変ありがとうございました。

2017年2月28日 (火)

ハイブリッド車体(?)製作中

斯様なものをハイブリッドと称して良いかどうかわかりませんが・・・。 

ペーパー車体を製作中であることは事実です、17メートル級の3扉車を。

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側扉と窓枠に真鍮製パーツを利用していますが、最大のポイントは‘オデコ’です。 妻板から伸びた髪ならぬ紙を曲げて、側板一体のペーパールーフに接続します。

側板との接続部分、充分な接着面が確保できないため、裾部に入れた補強材で車体下部を正確な車体幅にします。 それから妻板をほぼイモヅケ状に接続しました。

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勿論、このハコ状にしたところで裏面に瞬間接着剤を流して固着させます。 とりあえずこの1両、あと3両がこの作業待ちをしています。

2017年1月11日 (水)

天賞堂製台車

今でもそうですが、半世紀前の「Tenshodo」ブランドは崇高なものでした。

中学生の身で銀座と言う都会に行くだけでも高嶺の花。 都電が行き交う街の中には‘異人さん’多分進駐軍の軍人さんやその家族も多く見られました。

晴海通りにある「Tenshodo」は2階建て。 1階は多分宝石店だったのでしょうが、中学生の身には記憶がありません。 ただ階段を上がると・・・、

HOゲージの大きなレイアウトがあり、アメリカ型の機関車が走っていました。 その前に展開される売り場のガラスケースには、とてもとても手がでない高価な製品が並んでいましたが、マツモト模型のペーパー製ダブルルーフ客車が車体だけで売られていたのが印象的です。 当然、台車などのパーツも揃っていました。

「Tenshodo」が日本型を発売するようになったのは確か1962(昭和37)年、DF50でした。 それ以前には何形式かの貨車は発売されていましたが、動力車としてはDF50が初。 当時5,000円以上の商品には物品税が掛けられていたこともあり、DF50は4,990円での発売でした。

東京オリンピック開催の1964(昭和39)年、10系軽量客車が発売され、そのパーツのいくつかも分売されました。 その中、TR-53、オシ17用のシュリーレン型台車を購入しています。

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斯様な深絞りプラスチックにペーパー台紙のパッケージ。 1両分を求めると鋏で切り離してくれます。 オシ17を作るなら1両で充分なのに、3両分を買っています。

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それは、当時シュリーレン台車としてはカツミから、近鉄ビスタカーのKD-26しか発売されておらず、それは空気ばね。 枕ばねがコイルのタイプはTR-53しかありませんでした。

3両分6台車を求めていたのは、小田急3000型SE車を製作した時に使う計画があったからです。 8車体連節では9台車、短縮改造された5車体SSE車では6台車、恐らく短縮されたSSE車を作ろうと思っていたみたいです。

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結局、3000形SE車、SSE車は未だ着手しておらず、SE車の真鍮キットと必要な台車を購入してあるので、上記のTR-53は不用品となっていました。 

勿体ないので使い道を考えていた所・・・、近々利用することになりそうです。 パッケージも貴重な記録として、ここにご紹介させて頂きました。

2016年12月16日 (金)

雪中の16番ゲージ

50年前の「あずさ」の写真をスキャンして、その当時の思い出が蘇って来ました。

ときは1967(昭和42)年2月11日、東京に積雪がありました。 我が家の小さな庭先に敷設していたレールにも。

喜んでDD13を出し、2軸貨車4両を牽かせてみました。

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レールを磨いていなかったので走りは良くなかった。 レールを磨くと線路上の僅かな雪も無くなってしまうのが悲しくて。 

若き日の思い出です。

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