鉄道(国鉄・JR)

2020年6月 6日 (土)

今日の一枚 No.36

♪ 6がつ6かにあめざーざーふってきて~ という歌もある6月6日、66ということから今日の一枚はこれで。

夏富士バックにやって来た「富士」を牽くEF66。 1996年8月13日は53号機でした。

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函南~三島間の竹倉踏切でのベストポジションは意外に狭く、他の撮影者が居ると困る場所でした。

何度も通いましたが、富士山が綺麗に顔出している時に「富士」を撮れる機会に出会うチャンスは少なかったです。 本来は雪を被った冬姿での撮影をしたかったのですが叶わず。 この後の時代は「フジブサ」になってしまい、富士山型のヘッドマークではなくなってしまったので魅力が無くなりました。

2020年6月 1日 (月)

今日の一枚 No.32

外出自粛でのStay Homeで、過去に撮りだめたカラーポジのデジタル化を進めた成果ご紹介から発した当シリーズも、30回を超えるまで到達しました。

6月となった今回は、いつ来るか判らない列車を待って、ようやく仕留めたものから。 

ここは貨物列車しか走らない路線。 OER3001氏が貨物列車のダイヤを知る筈がありません。 この日は満開のサクラを絡めた電車の撮影に。 京王相模原線・稲城駅西方をオーバークロスする武蔵野貨物線が気になっていたので、見下ろすことができるところまで登ってみたところは寺の敷地でした。

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仏様に向って頭を下げたら・・・、なんとEF65牽くコンテナ列車がやって来たではありませんか。 流石に下を通過する京王線とのツーショットは無理でしたが。

 

2020年5月23日 (土)

今日の一枚 No.28

御殿場線が電化されてから、線内特急列車は小田急の3000形SSE車が「あさぎり」として走っていましたが・・・、JR東海との相互乗り入れというカタチの「あさぎり」になり、さらに今は、小田急60000形MSEによる「ふじさん」に変わっています。

その御殿場線に、キハ82系によるディーゼル特急「ごてんば」が走った日がありました。 1994年11月27日のこと。

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小田急車の撮影のため何度も訪れた御殿場線。 しかしこの日は流石に物凄い人出で、いつもの場所を確保できませんでした。 やむなく200mばかり移動しての撮影、しかも・・・、通過時間になって雲が! 富士山に掛かってしまいました(涙)。

それでも良き思い出となりました。

2020年5月 8日 (金)

今日の一枚 No.20

GW中の4日、NHK総合TVで「にっぽんの廃線100」を見ていたとき、千葉県北部を震源とする地震発生から放送中断。 がっかりしましたが6日朝の再放送を見ることができました。 そうしたら懐かしくなって・・・。

1987年に廃止となった幌内線三笠駅での一コマ、1975年10月12日の午後でした。

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ここ三笠駅での入換用として働く59609が佇む隣に、岩見沢行キハ22 287他2両編成が到着しました。 岩見沢までは10.9㎞の道のりでした。

幌内線の終点は、岩見沢から18.1㎞の幾春別。 その手前が弥生。 何ともほのかな駅名でした。 小田急他電車ファンの身でありながらも、斯様な地を訪問していたこともあったのです。

 

2020年5月 4日 (月)

今日の一枚 No.18

本日は5月4日ということで・・・、

1992(平成4)年の5月4日撮影の1枚を。

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ダイヤモンド富士とはならないものの、富士の稜線に陽が隠れようとするその時、やって来た115系を捉えました。

ここへは小田急20000形RSEの「あさぎり」8号を撮ろうと行ったのですが、「あさぎり」8号が来たときには陽は富士山の向こうに隠れてしまいました。

 

2020年5月 2日 (土)

今日の一枚 No.17

本来なら昨日アップしたかった29年前の1991(平成3)年5月1日の撮影。 

この日は義父の山荘にクルマで行く途中の御殿場線、南御殿場~藤岡間あたりではなかったかと思います。 狙いは特急「あさぎり」だったのですが、待つ間の一枚がこれ。

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辛うじて背後に白い頭の富士山が見えるのですが、空の色に同化して良く判らなくなってしまいました(涙)。

それでも、咲き誇るツツジの赤と湘南色のハーモニーが気に入りましたが、思えば今ではステンレスや白ベースの車両が多くなり、カラフルな画像を得られる機会が減少したように思います。

 

2020年4月28日 (火)

今日の一枚 No.14

EF64 36 @目白駅 1970(昭和45)年10月4日

なぜこの日、ここへ行ったのか、記憶はありませんが、大学の創立記念日で休校となる日ということは確かです。 山手線(当時はやまてせんと読んでいた筈です)目白駅には貨物側線がありました。 ヨの後ろはトキ9500がずら~りと。 小雨が舞う中、プラットホームの先端から撮ったようです。

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ホキ9500は、新東京国際空港(成田空港)建設工事用として同年から製造された最新型ホッパ車だったと理解しています。 

一方、当初は奥羽線、その後は中央線用に造られたEF64という機関車、ブルートレインのような花形列車を牽引することはなく、地味な存在でしたが力を感じる姿に好感が持てました。

 

2020年4月22日 (水)

今日の一枚 No.9

1978(昭和53)年10月のこと、今まで半世紀に渡り良き友人としてお付き合い頂いているきぬやまスカンクさまのお誘いで、まだ新婚だったOER3001氏夫妻は、福島県内への旅行に行きました。 東北新幹線が無かった時代、往路は14系客車の「つばさ51号」と記憶しています。

きぬやまスカンクさまのホスピタリティ溢れるお心遣いで、山奥の温泉宿、五色沼、磐梯などを巡りましたが、途中ではしばしば‘撮り鉄’でした。

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生憎、磐梯山は雲に隠れていましたが、ED77牽く福島行き客車列車と、きぬやまスカンクさまと愛車と絡めて撮っておきました。 若い時代の良き思い出です。 きぬやまスカンクさま、これまでありがとうございました。 そしてこれからもよろしくお願いいたします。

 

 

2020年4月21日 (火)

今日の一枚 No.8

東京起点の東海道線は、湯河原を出て左へ大きなカーブを描き、熱海への隧道に入ろうとする手前で千歳川を越えるガーター橋を渡ります。 そのガーター橋を渡り終えようとする辺りに、東京起点100㎞を示すキロポストが立っています。

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ポジフィルムの劣化のせいか、撮影者の技術なのかわかりませんが、微妙なカラーですみません。

100キロポストを入れて撮るため、当時は入ることができたこの場所、今は勿論立ち入ることはできません。 画面右上に、OER3001氏が務めていた会社の保養所があり、眼下に列車が良く見られたものです。

 

2020年4月17日 (金)

今日の一枚 No.7

就職して社会人となり数年、当時は結構出張の多い身でした。 鉄道好きの身には出張はある意味でご褒美。 社費で鉄道に乗れるのですから。

それまで足を踏み入れていなかった四国に初めての出張は、1978(昭和53)年4月の松山でした。 仕事を終えて空港に向かうバスの時間まで、入場券を買って入った松山駅でご対面したのは何とこれ。

DE10のトップナンバー機です。

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電車ファンにとっては興味の対象ではなかったものですが、こうなれば別。詳しいこと知らないながら興奮した記憶があります。

この時も、リバーサルフィルムを装填した一眼レフを持っての出張でした。

 

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