さくらライナー降車後、改めて櫛形6面5線という大阪阿部野橋駅を眺めてみます。ホームの幅は東京に比較すれば狭いものの、ターミナルステーションとしての風格が。因みに大阪阿部野橋駅の乗降客数はおよそ14万人、小田急新宿駅の35万人とは大違いなのです。
そこから一つ隣の駅に移動し、乗って来た藤井寺行き各停、じゃなかった関西では「普通」を見送ります。
大阪阿部野橋駅から1㎞のキロポストが、下りホームの10mほど先に立てられていているのですが、駅間キロは1キロとなっているのが不思議な感じもします。1936(昭和11)年の大阪阿部野橋駅移転や1980年代に行われた立体化が関係しているのでしょう。
ということで、ここからなら近鉄が誇る超高層ビル“あべのハルカス ”を背後にした撮影ができないかと試みました。
しかし一眼カメラでは無理。ホーム終端の黄色い線の内側(壁側)に身を入れ、保護柵からコンデジの小さなレンズを差し出しての撮影でなんとか。
南大阪線はこの辺にして、今度は大阪線・奈良線の複々線区間に移動、今里に行ってみます。いきなり近鉄ではなくこれ、窓に“アレ”の装飾を付けたのが来ました。
暫くここで。1220系と言うらしいですがこの1231は本年夏に、内装更新や前部の転落防止幌(と言うには少々?ですが)設置が行われたようで、前照灯や標識灯もLEDになっています。
特急車も来ましたが、もうOER3001氏にはこれが何系なのか、さっぱり解らなくなってしまいました(涙)。
と書いたら、モハメイドペーパーさまが「鉄道強要講座(近鉄特急車の見分け方)」を。それによればこれは22000系だとのことです。
大阪線と奈良線の列車が並走し、この先の布施で分かれます。
OER3001氏が初めて近鉄を訪れた1970(昭和45)年の当時の布施は、小田急の東北沢が大きくなったようなイメージでしたっけ。
ほのぼのとしたラッピングの奈良線・大和西大寺行きと大阪線・高安行きが並走して来ました。ラッピングは「ならしかトレイン」と言うのだそうです。
こうした光景に、今では阪神車の“アレ”も加わるのですから賑やかです。
この後の予定もあるので場所を鶴橋に移しました。知らない人はいない“ひのとり”80000系が、渡り線を渡って3号線に。
漸く阪神車と近鉄車を収めることもできました。1号線(最左)の阪神車は奈良良きなのですね。何かしっくり来ませんが。
大阪難波から来た特急は賢島行き、ここで2号線に転線です。
モハメイドペーパーさまのご教示によれば、後ろ2両は22000系、続く2両は22600系と判別できる。先頭の4両は12400系で間違いないと思うとのことです。モハメイドペーパーさまありがとうございます。

暫く鶴橋での撮影をした後は、始発駅の大阪難波に向かいます。やはりこれに乗るには始発駅からでしょ。
折角なのでデラックスシートの一人掛け席を確保。名古屋までの乗車を楽しみました。
名古屋についてみたら、密着連結器の形状に目が止まりました。通常は引き込んだ状態で、緊急時に乗務員室内のコック操作により連結器が押し出されるという仕組みだそうですが、四角柱状の先端が???
なんで何かにかじられたような形状になっているのか、ご存知の方ご教示ください。
ということで、3,000円で入手した2日間有効の全線フリー乗車券の活用は、残念ながら1日で終えました。
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