2026年4月21日 (火)

ABF車走る

都内某所のS氏宅での運転会、この日はOER3001氏が中学生時代の、懐かしい小田急を持っての参加でした。

先ずは1953(昭和28)年製、2両編成の1910形(1911-1961)は、友人H氏が製作していたペーパー車体を仕上げ、日光モデルからゲルリッツ型台車(FS-103 阪急用)が発売されたことで1994年竣功となった模型です。

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縦型DV-18Cモーターとインサイドギアと、当時の標準的駆動方式で快調に走ってくれました。

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それに黄・青ツートーンカラーの1600形(1658-1608)を連結。

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4両編成となってレイアウト周回します。

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この1600形は関西在住の友人T氏がフェニックス製真鍮キットを組んだもので、2021年に寄贈されたもの。

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こちらの動力はパワートラックですが、連結しても特に支障ありませんでした。

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小田急の1600形や1900形などのABF車が栗色からツートーンカラーになるのは1963(昭和38)年からなので、暫く混色編成が見られました。

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が、実際に栗色1911編成とツートーンカラーの1608編成が繋がることがあったかどうか?

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細かいことは置いといて、3100形NSE車が登場して間もなくの時代における日常を思い出しながら、楽しませて頂きました。Sさま、大変お世話になりました。

 

2026年4月19日 (日)

気になっていること

ここの所なかなか“手”が動いていないのですが・・・、何かと気になる題材があります。

その1>嵐電モボ1形 KYOTORAM

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幸いパンフレットを入手していました。

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車輪径はφ8.25、軸距離20.0㎜となる動力はアルモデルのC4021路面電車動力セット(アルパワーHO-20T)が使えるようだ。インダイレクトマウント台車はFS-94だが、YAMA模型のFS-93が類似している。
ワンアームパンタがな~、TOMIXの安価(とは言っても1,500円程度)なPT7113は市場から姿を消して久しい。

 

<その2>神戸電鉄1000系(デ1150形、サ1250形)

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先ずはそのものズバリの図面が無い。それでも手持ち資料の中からこの書籍。

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似た車体のデ1350形はあるのですが、寸法が入っているのは他の資料同様に全長や全幅などの主要寸法だけで、窓割などは不明。特に屋根Rは図面の感じが違います。

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台車や床下機器はどうにかなりそうなのに・・・、どなたか詳細図面などお持ちではないでしょうか?

 

ということで、この2題が気になるこの頃です。

 

2026年4月17日 (金)

一枚の写真から

ぶどう色の客車で下校する制服の女子学生、どこを見ていたのだろう? たまにはこんな“ゲージュツ”作品を(ピンボケですが)。

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これは奇麗なDE10 25号機が5両のぶどう色客車を牽いて出発しようとしていた時の一コマでした。

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因みにこのDE10 25号機は、1968(昭和43)年に国鉄四国支社松山気動車区に新製配置されてから、1984(昭和59)年に高松運転所に転属、1986(昭和61)年に廃車となる、JRに引き継がれなかった機関車だったと。

懐かしい松山駅の思い出ですが、2024年に訪問した時は既に高架線に切り替えられた後。上の写真を撮ったその後の光景は、既にフェンスで閉鎖されて入場できませんでした。

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当時の気動車区側に建設された高架線を発着するのはDE10牽引の客車列車ではなく、青帯のステンレス製2両編成の電車でした。

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冒頭の女子高校生、今はどうしているのかな? 推定65歳前後の筈だから「高齢者」仲間入りですね。

 

 

2026年4月15日 (水)

今は無き・・

中学生時代の家族旅行写真の中に、こんなのを見つけました。 何処だったか一生懸命調べてみたものの、現在の様子が全く分からず。

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車両には「湯の花」 と書かれていて、2005年に廃止された伊豆箱根鉄道駒ヶ岳鋼索線だと判明しました。

軌道上には架線が2列、何故だろう。

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中間地点で交換する車両は「駒ヶ岳」だったそうで、共に赤とクリーム色の塗装でした。

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2両で個別に使う架線、パンタグラフの取り付け位置も2両で左右の違いがあったようです。これまで鋼索鉄道にはあまり興味が無かったので、その構造は知りませんが、もしかして“あたりまえ”のことだったのでしょうか。

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軌間1,067㎜、路線距離0.7㎞、高低差282mの最急勾配は490‰だったそうですが、富士箱根伊豆国立公園の指定地域内であることから、廃止後は自然公園法の適用から、施設、軌道等の跡地は山林に復旧する原状回復工事が行われたことから、全く痕跡が無くなってしまいました。

何も考えずに撮っていた写真が、今となっては貴重なものになりました。

2026年4月13日 (月)

新車の香り

ホームにいた電車(メトロ車)を見送って次を待っていたら、偶然にも運用開始2日目の新車でした。

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下回りもピッカピカ、まさに入学式を終えた1年生のようです。通常は他車と連結することが無い密着連結器には空気管が無いのですね。

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アクリル製ではなくステッカーになって残念な製造所銘版ですが、昔からの形状を踏襲していることは嬉しい。

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汚れの無い奇麗な車内、新車の香りが漂っていました。

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これで5000形も15編成となり、16本目も間もなく営業線に投入されるようなので、それにもまた早々に乗れると良いのですが。

 

2026年4月11日 (土)

C57激走 京阪100年号

このタイトルはなんだ? OER3001氏にしてはおかしいぞ。と思った方も多いことと思います。当然です。

「ぬか屋の徒然日記 別府鉄道」や「モハメイドペーパーの何が出てくるか 2.2 : 別府鉄道つながりで 」に端を発し、「ハフ5とDC302に会いに - 青春Mの鉄路回送 」に行きつきましたところ、青春Mさまとのコメントやり取りから表題の投稿をご紹介頂きました。

なんと、まだお会いしたことが無い方と50年前に、同じところで同じ日時に同じもの撮っていたという偶然。それならOER3001氏もコラボレーションさせて頂こうとお願いしてみたところご快諾頂いた次第。

物語は青春Mさま撮影の、この画像から始まります。ここにOER3001氏の姿は確認できませんが、この群衆と近い位置に居たことは間違いありません。

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先ず「にでん」ならぬ「ゆでん」クモユ141を撮られています。

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それ、これですよね。

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続いて485系「雷鳥」&103系ですが、103系はお顔が微かに。

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ここまで同じように撮っていたとなると、不思議なご縁を感じざるを得ません。

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EF65は84号機でしょうか、ヨの後にコキを連ねて。

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青春Mさまは見事な流し撮りをされていらっしゃいました。

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「ゆのくに」キター!

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OER3001氏もしっかり同じ「ゆのくに」を。

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当時はマンモスと言われていたEH10も大活躍でした。

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EH10に繋がる貨車のカタチからも、同じ列車を撮っていたことが証明されます。

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そんなことをしながら“本番”を迎えますが、フィルムカメラの時代ですから緊張してシャッター切ったことでしょう。

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OER3001氏もそうでした。先ずは遠くで捉え・・・、

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近づいてきたところでもう一枚。

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別のカメラでも。

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もう一枚。当時はズームレンズなど持っていなかったし、モードラも無く精々オートワインダーだったような。

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そして目前を通り過ぎたところでも。

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ホントにほぼ同じアングルではありませんか! 自転車を前にした男、とその後ろに並ぶ人々の姿から、間違いなく近かったのですね、カメラを構えていた場所が。

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本当に何とも不思議なご縁です。青春Mさま、これを期に何卒よろしくお願い致します。

 

2026年4月 9日 (木)

座間から海老名へ

座間から海老名までの区間距離は3.3キロですが、撮影しながらの歩行距離は4キロ以上だと思います。

最初は座間1号踏切、座間駅の直ぐ先です。

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いつかは歩いてみたかった線路に沿った道を、海老名方向に歩きます。座間1号の次は座間3号、座間6号踏切と続き、2、4、5号は在りません。座間6号踏切がこちら。

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7号踏切までの中間地点を少し過ぎた辺りに40キロポストがあります。

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次は座間7号踏切、ドラッグストア「ウェルシア」(踏切道の右手)の横です。

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ウェルシアの角から2000形を撮ります。

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さらに進んで座間8号踏切、大型トラックの駐車場角へ。

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少なくなりつつある8000形6連の急行でした。

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そしてなんとラッキー、60000形MSEの4両口が! 定期では見られない4両の本線走行、試運転列車でした。

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ロマンスカーはやっぱり展望席が無くては。展望ロマンスカーは、70000形GSEだけになってしまいました。

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次はハックドラッグの横、市道2号線が横切る座間9号踏切。

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ここで面白い注意看板に気付きました。描かれている電車は最新の5000形だから、新しいものなのですね。後で気付いたら、殆どの踏切に掲げられていました。

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次はクルマは通れない座間10号踏切が斜めに。次の11号との間に41キロポストがあります。

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そして座間11号踏切。

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座間12号踏切は国道246号の陸橋近くで1車線です。

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その先に13号は無く、座間14号踏切です。ここは交通量も多く、手前の曲線部分に41.5キロポストが在りました。

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海老名からの勾配を駆け上がって来る上りEXEを撮ります。

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41.5キロポスト方向から迫る3000形6連の急行を。

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次の座間15号踏切は1車線、海老名までの区間で最後の踏切となります。

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ちょっとズーミングすると、サクラを入れて撮ることができました。

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15号が最後の踏切でしたが、その先で線路を横切れるのは歩行者専用跨線橋。画像奥のブルーの橋ですが、意地悪な金網ガードで電車の撮影不能。この画像は市道62号線の高架橋手前から。

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海老名車両基地が右手に拡がりますが「関係者以外立ち入り禁止」が表示されていて下りて行かれません。

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車両基地の奥では箱根登山線用になった1000形が、構内を行ったり来たりと試運転していました。

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最後に海老名駅コンコースから、サクラと電車基地を撮ってこの日のウォーキング終了。

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相武台前から座間、海老名と営業距離5.6キロの線路に沿って歩いた距離はいったい何キロだったのだろう。この日のスマホには18,546歩とありました。

 

 

 

2026年4月 7日 (火)

サクラを求めて小田急沿線

サクラ開花の時期は、つい線路端に出向きたくなるものです。

半世紀前は玉川学園の見事なサクラを背景に、1978(昭和53)年はこんな位置での撮影が可能でした。

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翌年は校内開放日に、松陰橋の上からも。

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しかし玉川学園のサクラも老木化、年々その数を減らしてしまいました。

そこで撮影場所を相武台前-座間間へ変更することになります。

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が、ここも安全面から法面への立ち入りが出来なくなってしまい、老木の伐採も見られます。

そこで今年2026年はアングルを変えて臨むこととし、相武台前から線路海側を進み、緑が丘第2公園で撮ることにしました。

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やって来る車両は3000形、4000形、5000形と、ステンレス車ばかり。

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仕方の無いこととはいえ、やっぱり塗装車の方が華やかですよね。

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その点、アルミボディーの70000形GSEはバーミリオンを纏い華やかです。

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最古となった30000形EXEは鋼製車体なので塗装が不可欠。このブロンズカラーも貴重な2編成となりました。

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供養坂と言うらしいこの跨線橋からは、ピントを車両に合わせると手前の電線が邪魔になるので、サクラに合わせて撮ってみました。

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そのまま線路山側を歩き、以前撮っていたサクラを逆方向から狙ってみます。

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ぶらぶらと座間駅に歩く途中、狭い踏切の向こうに見事なサクラ。それならこうして見ようと、通過するEXE-αを狙ってみたのですが・・・、

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あと1メートル手前でシャッター切れればサイコーだったようです。

結局この日は海老名まで歩きましたので、それも近日ご紹介することとしましょう。

 

2026年4月 5日 (日)

都心の光景

38年間務めた会社における、ある10年間程だったか一緒に過ごした仲間との“同窓会”(?)に出掛けた序で、OER3001氏にとってはは必須の“鉄活動”です。

好天に恵まれたので空を入れて。

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横断歩道を渡る人の波ははけたのに、新幹線と手前の京浜東北の位置がイマイチ。

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何分間か粘って、横断歩道も車道も一瞬の静けさを取り戻した時、す~っと通り過ぎてくれました。

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この後の宴会、誰々さんと誰々さんは亡くなった、そうそうあの時はああだったな、こうだったな、等など近況報告に加えて所謂シニアの話題に盛り上がるも、誰一人として暇な御仁は居らず、夫々の趣味生活を満喫している様子、流石です。

 

2026年4月 3日 (金)

帰路の阪急

明石~加古川~粟生~鵯越~山陽塩屋~須磨浦公園~滝の茶屋と回って帰路につきますが、予約済みの新幹線まではゆとりありすぎと言うことで、西宮北口で下車。

滝の茶屋でも「うん」に恵まれましたがここでも恵まれ、「Memorial 8000」に出会うことができました。

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折角なので反対側も撮っておきます。

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今度は1000系「カービィ号」が来ました。それにしてもここの分岐器は凄い、シーサスの一端がスリーウェイですよ!

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これは? カーボンニュートラルラッピングだとか。なかなか普通(各駅停車と言う意味ではない)のには出会えません。

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今津線の今津方面(今津南線)も確認しておきました。3連の6000系が往復しているのですね。

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南線を確認した後は北線に乗り、最初の駅・門戸厄神に降ります。ホームから西宮北口方向を眺めてみれば、「これぞ閉塞信号だぁ」という光景にわくわくします。3基の信号機が順番にG、Y、Rではありませんか。

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門戸厄神は神戸女学院大学の最寄り駅。若かった時、関西での仕事では神戸女学院大学の学生アルバイトにお世話になったものです。その内の一人が東京に来られた際、連絡を頂きお会いしたこともありましたっけ。

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そんなことを思い出しながら、甲東園を飛ばして仁川に。仁川のホームは混雑して職員が安全確認していたようですが、何の混雑だったのでしょう? 後で調べて解りました、阪神競馬場が近かったのですね。

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小林(✖こばやし、〇おばやし)を飛ばして次に降りたのは逆瀬川。このアングルは良く撮られているいますね。

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そして次の宝塚南口でも一枚。「宝塚駅」の南口かと誤解するような「宝塚南口」って、なんとなく面白い駅名です。「南宝塚」ではいけなかったのでしょうか?

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結局、今津北線で降りなかった駅は甲東園と小林だけ。そして宝塚からは大阪梅田行き急行に。

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その1003-1503-1603-1053-1153-1553-1653-1103編成を運転してくれたのは、ポニーテールが可愛くカッコイイ女性運転士、最後まで「うん」の良い旅となりました。

 

2026年4月 1日 (水)

シーサイドエクスプレス山陽へ③

新年度4月1日になりましたが、シニアのOER3001氏には無関係。関係あるのはせいぜい暫定予算が国会を通過して、年金がちゃんと受け取れると安心したことくらいかな? いやいやそんなことは無い。諸物価の値上げがあるじゃないか、困ったものだ。

須磨浦公園から再び乗車、「史跡敦盛塚」の後方を、歩いてきた塩屋方向に向かいます。

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向かった先はここ。半世紀前には“山陽カラー”の好ましい更新車が元気に活躍していたものです。

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周りの景色に大きな変化はありませんが、今は同じ3両編成でも華やかな新型車両が。と同時に、電車線上部にある饋電線が2重(2本)になっていました。

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そして乗り入れてくる阪神車両は山陽姫路に向けて通過して行きます。饋電線の2重化は、列車編成長拡大への設備強化なのですね。

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シーサイドエクスプレスと言うに相応しい光景を探して、駅を出てみます。

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少し塩屋方に歩けば、これこそまさにシーサイドエクスプレスじゃありませんか。

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駅から逆に東垂水方は、ちょっと海の広がりが感じられないのが難点。そして、折角JR山陽線との並行区間なのに、ひな壇状の線路なので下を行くJRは見られません。

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諦めて引き上げようとしたその時、誠にGoodな光景をGet!

運良くEF210-314牽引のコンテナ貨物列車と並走ですよ。遠くに明石海峡大橋も望めるし、絶好の撮影ポイント。

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(この間に記載した一部内容は、都合により削除させて頂きました。)

今まで撮っていた「山陽電車」で最も気に入った一枚が得られました。

 

2026年3月30日 (月)

シーサイドエクスプレス山陽へ②

塩屋から撮影しながらのぶらぶら歩きは須磨浦公園駅まで続きますが、途中から道路(国道2号)が低くなって撮影できなくなります。こうなると電車を諦めて周囲を見回すと「史跡敦盛塚」などと言うものに目が止まります。

一ノ谷の戦いにおいて討たれた、当時16歳だった平敦盛を供養するために建立された五輪塔とのことで、背後に山陽電車を見ることができるのが良いですね。日本史にあまり興味が無かったOER3001氏も、つい解説を読んでしまいました。

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折角なのでこの傍にあった小奇麗な蕎麦屋で昼食、「敦盛そば」を注文した次第。「あつもり」なので温かいのかと思ったら冷たい蕎麦でしたが、満足なお味でした。

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昼食後は再び撮影場所探してうろうろすれば、「敦盛橋」という名の線路を跨ぐ橋があるではないですか。

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何とか撮れないかと試みるも、しっかり金網でガードされている。辛うじてコンデジのレンズでなら覗ける隙間にトライするも、手摺部分が入らぬようにズームしてこれが限界です。

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駅側を見下ろしてもここしかありませんでした。

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この橋、1970年の時は下の写真のようにコンクリート製欄干で撮影しやすかったのにね。

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それが今では・・・、ご覧の通りフェンスこれでもか!でした。

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この須磨浦公園と言う駅は、もちろん背後の神戸市公園緑化協会が管理する「須磨浦公園」の最寄り駅で、ロープウェイに乗換えられる規模なのに、山陽電鉄全49駅中最も利用客が少ない駅で、無人駅だということに驚きます。

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そのロープウェイのゴンドラは赤いのと白いのが交互に発着しますが、なかなか電車と揃ってはくれません(涙)。

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ロープウェイが去った後にやって来た6000系に乗って、ここを後にすることにしました。

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「シーサイドエクスプレス山陽へ」はまだ続きます。

 

2026年3月28日 (土)

シーサイドエクスプレス山陽へ①

「一ノ谷の戦い」における源義経軍ではありませんが、鵯越から一気に山を下り、向かったところはまさに一ノ谷。高取山と鉄拐山(てっかいさん)を越えて塩屋へ。決して歴史好きではないOER3001氏も、義経の辿った道を想像してしまいます。

JR塩屋と並ぶ山陽塩屋駅の小さな改札を出ると、賑やかな駅前商店街のようなものはなく「食堂・お好み焼き しろちゃん」が。

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事前調査していた通りに須磨浦公園方向に歩き始めれば、瀬戸内海を行き交う船が。

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モハメイドペーパーさまが3月15日発信の「青春Mさんと春の遠足」では「どこがシーサイドラインなんじゃ」とご不満だったようですが、ここが正真正銘の“シーサイド”です。因みに山陽電気鉄道は「シーサイドエクスプレス」と自称していて「シーサイドライン」ではありません。

だがしかし、太平洋側(ここは瀬戸内海)の海を背景にした撮影は、基本的に逆光になるので難しいです。最初の塩屋東第1踏切で撮ります。ここは旧グッゲンハイム邸への入り口だったのですね。

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ぶらぶら歩きながらの撮影でしたが、Oゲージの運転会参加が主目的だったので、模型を抱えながらの歩きはなかなかきついものですが、塩屋東第2踏切を経て塩屋東第3踏切まで来ました。車両は1次車の5603、リニューアル工事で顔つきも変わりました。

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阪神車も“直通特急”で頻繁に来ます。海岸近くまで迫る山、先に触れた戦いの過酷さがわかるような気がします。

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山を背景にすれば逆光にはならず。でもシーサイドエクスプレスらしさは表現できません。ここ境川西踏切辺りが一番良さそうな場所でした。。

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山側に張り付くようにして、こんな角度だと何とか“シーサイドエクスプレス山陽”が表現できます。

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阪神車とともに“直通特急”運用に就く山陽車の5000系3次車、やっぱりこうでなきゃ。3次車の正面帯はV字形になっているのですね。

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ここは境川西踏切、「阪神大阪梅田」の表示が何故か誇らしく見えます。この5000系は1次車の編成らしい。

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でもOER3001氏にとってはこの鋼製車の方が親しみがあって。昭和の高度成長期に憧れたパノラミックウインドウ、2灯並列の前照灯、高床運転台ですから。登場時のクリーム&ブルーのツートーンカラーだったらもっと良かったのにな~、などと。

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4両編成なら模型製作にも最適ではありませんか。

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いやいや、好きな車両でも手は出しませんよ。関西には凄い方たちが既に素晴らしい模型を製作済みですから。

それよりこの区間の架線柱、レールだったのですね。潮風による劣化防止の観点からだったのでしょうか、レイアウトやモジュール作る時には楽かも知れません。

 

2026年3月26日 (木)

50‰の魅力

神戸電鉄は粟生線初乗車を終え、前から確認しに行ってみたいと思っていた鵯越へ。

日本史はどちらかと言えば好きな教科ではなかったOER3001氏ですが、NHK大河ドラマなどを観ると興味が湧いてくるものです。「源平合戦」における「一ノ谷の戦い」で登場する「鵯越の逆落とし」の舞台。(ここでは無かったという説もあり。)

駅の前後は50‰勾配。ハイキング客も乗降しますが、乗降客数は少なく、駅前に商店らしき商店は確認できませんが、登山やトレッキング客を対象にした店はチラホラ。

そんな鵯越駅の全景を撮るためには急坂を迂回するか階段を上るか。何とか隧道の上に登ってみました。

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隧道の鈴蘭台方は急勾配の階段と狭い歩道。この季節だったから樹々の隙間から辛うじて線路が見える程度でした。

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やっぱりこの周辺で勾配を走る電車を撮るには、上りホームが最適だったと言うことです。

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先に粟生線で交換した「メモリアルトレイン」1151-1251-1152が戻って来ました。

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「準急」なのでここは通過。

新開地から戻って来るのを待ち、力強く勾配を駆け登って来る雄姿を捉えます。

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「準急」なので通過、50‰を駆け上がって行く後姿も良いと思います。

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今度は最新型である6500系が下りて来ました。川崎車両&三菱電機によるこの車両、OER3001氏のお気に入りとなりました。

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まだまだ活躍する直流電動機の電車も魅力的ですよ。

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一通り撮れたし、実はトイレに行きたくとも下りホームにしか無い(上下ホームは夫々の改札機で、ホーム間を連絡する跨線橋が閉鎖されています。)こともあって、この1352編成に乗って新開地に向かいました。

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車内化粧板とシートのグリーンは、なかなか好感の持てるものですね。

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新開地駅に到着したところで全景を撮ろうと思ったら、左端に居た列車は発車してしまいました。

 

2026年3月24日 (火)

神戸電鉄粟生線に乗る

JR加古川線を粟生駅で下車した後は、神戸電鉄粟生線に初乗車です。

トイレは改札外ということで、お洒落で立派な「あお陶遊館アルテ」なる建物のトイレを使います。そして神戸電鉄の改札を探せど見つけられない。1時間に1本の列車に間に合わなくなるではないかと焦ると、JRの改札(とは言ってもフリーパス)を入って加古川線上りホームの脇に、ICカードの読み取り機がある狭い通路が。そこには1109他の3両編成が待っていました。

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新開地方は警察車両と関係あるのか?1110。

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発車時刻までまだ余裕があったので、正面も撮っておきました。

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乗務員室背後の最前部席を取りますが、ここからの乗客は他には居ませんでした。

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三菱電機の主幹制御器と制動弁はの運転台、OER3001氏の地元・小田急の香りがします。

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粟生を出ると左にカーブ、JR加古川線で渡って来た加古川を再び渡ります。

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神戸電鉄の加古川橋梁は粟生方がプレートガーター、鈴蘭台方が風格を感じるポニーワーレントラスでした。このトラス橋は1988(明治21)年に英国から輸入、国鉄水戸線で使われていたものの払下げで、日本土木学会の「歴史的鋼橋」に指定されているとのことです。

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葉多駅を過ぎると、最初の交換駅である小野駅に到着。兵庫県小野市神明町だそうです。

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その次の交換設備を有する駅は三木。三木の二駅前・樫山駅にも交換設備がありました。OER3001氏は真鍮プレスキットメーカーの“モデルパーツMIKI”で知っていた地でした。

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偶然にも三木で交換したのは「メモリアルトレイン」1151-1251-1152と、幸運に恵まれました。。

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三木を出ると右カーブして直ぐ、一級河川の美嚢川(みのうがわ)橋梁を渡ります。

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ここで気になっていたのが、オトモダチ雄岳急行さまが撮影されたこの一枚。上画像の右上からだったのですね。この場所での撮影もしたいのですが、ダイヤ構成から難度が高くて・・・(涙)。

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で、そのまま乗り通して志染(しじみ)へ。これも難読ですね。

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この先は乗客が増えてきたこともあって、鈴蘭台まで撮影を忘れて“乗り鉄”になってしまいましたが、有馬線だけでなく粟生線でも、随所に50‰勾配がある路線。この先、押部谷から木場木津の先にある川池信号所までと、藍那間から西鈴蘭台は複線と、山間の単線と複線の郊外電車という両方が混じる魅力的な路線、大変気に入ってしまいました。

 

2026年3月22日 (日)

東経135度の地へ

JORC関西運転会と懇親会後は、神戸や大阪周辺の宿泊費が高いのでここまで移動。初めて宿泊する土地でした。明石ってあんまりホテル無いのですね。明石に泊まったからには明石に泊まった価値を最大限に活用します。

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キャッスルビューorトレインビューどちらを選択かって、そりゃトレインビューでしょ。ということで523号室に。これは翌朝5:34の撮影。東方の空には細~い月、まだ暗くてトレインがビューできません。

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が、日本標準時の場所である明石も6:00になればこの通り。523号室の窓からは東海道山陽本線(神戸線)と共に並行する山陽電鉄がバッチリですよ。

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こりゃゆっくりしてなど居られるか、と言うことで早々にチェックアウト。一応明石城址公園も確認しておきました。

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城址公園のお堀端を走るランナーを横目に駅に向かいます。駅前広場の時計は6:44を指していました。

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最初の目的は私鉄ファンとしては左程の興味は無かったのですが、JRで加古川へ向かいます。東日本では見られなくなった103系がまだ活躍しています。

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ほぼ1時間に1本しか無い西脇市行きの電車に乗ります。クモハ103-3554ってスカートに書いてあるのは好都合ですね。

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103系などと言う電車は、あまり好感は持てなかった車両ですが、相当手を加えられて、奇麗に使われているのですね。

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懐かしいMT55主電動機の音を聴きながら日岡、神野と過ぎて、加古川から7.4㎞、3駅目の厄神までは、1時間に1本の区間運転が設定されているようです。駅先には車両基地(網干総合車両所加古川派出所)がありますが、その右端を2008年3月までは、第三セクターの三木鉄道が走っていたのですね。

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厄神駅を出ると左にカーブ、一級河川の加古川を渡ります。これ「加古川橋梁」ではなく「第二加古川橋梁」だそうで、「加古川橋梁」は山陽本線の方だそうです。

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加古川を越えて右岸を進み、市場、小野町、を過ぎれば、神戸電鉄粟生線と北条鉄道との接続駅、粟生です。

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北条鉄道のフラワ2000形気動車にもお目に掛かれました。このカラーは廃止された三木鉄道から来たフラワ2000-3だったのですね。

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上り・加古川行きの列車が到着です。これを待って北条鉄道のフラワ2000-3は、左端のホームから出発します。

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これにてこの日の第一目的は達成。時刻は8時40分のことでした。

 

 

2026年3月20日 (金)

車窓を愉しむ

先日の好天に恵まれた関西行き、気が付けばずっと車窓を楽しんでしまいました。

先ずは小田原へ向かう小田急・急行の正面、第一菖蒲トンネル(492.9m)の上方には富士山が奇麗に。

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開成を過ぎて酒匂川に沿った直線区間からも富士山が見られます。

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東海道新幹線は“ひかり633号”の車窓、三島通過後は暫く眺められます。

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東名高速が並行するこの区間は“定番”ですね。

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名古屋では、JR在来線というかOER3001氏の世代にとっては“東海道本線”が寄り添って来ます。

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勿論この区間で期待するのは名鉄。パノラマカーは見られなくなって寂しいですが・・・。

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それでも特急車両に出会えれば良しとしましょうか。

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次に名鉄を見られるのは岐阜羽島。ダイヤ改正初日のこの日、名鉄竹鼻線、羽島線ではダイヤ乱れ発生でした。

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春の伊吹山を撮ったのは初めてだったかも知れません。

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米原を過ぎれば琵琶湖の東側を望みますが、琵琶湖は殆ど見られません。それでも交差する近江鉄道万葉かね線の線路と、雪をかぶった山は滋賀の名峰と言われる武奈ヶ岳(標高1214.4m )でしょうか。

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京都鉄道博物館を確認したかったのですが・・・、手前に列車が居て残念。

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阪急京都線との並走を楽しみにする大山崎付近では、サントリーのウイスキー蒸溜所を拝みます。

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その後は・・・、あっという間の出来事でしたが願いが叶いました。

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上牧辺りでは新名神高速道路の橋脚工事が進んでいます。

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50年前のこの地では、こんな撮影が出来たのですが、もう叶わなくなりました。

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新大阪に着いてみれば、やって来るのはこんなのばかり。

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いやそれにしても何と外国人が多くなったことか。まあ外貨を稼げるので良しとしなければなりませんが、構内歩くのにも苦労します。

 

2026年3月18日 (水)

小田急再び関西へ

JORC関西のNNさまからお誘い頂き、再び神戸での運転会に参加させて頂きました。軌間32㎜直流2線式Oゲージということで、唯一の“編成もの”車両としてはこれしかないので、この2両を抱えて。

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今回も会場は新長田・ふたば学舎。人気の施設と言うことから前回の広い講堂は確保できず、少々狭い「2-A 多目的室」が会場でした。

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それでも広い会場で素晴らしい線路。これだけ32㎜ゲージの線路を用意するだけでも大変です。OER3001氏が会場に着いたのは12時少し前でしたが、ほぼ出来上がった設営で、モハメイドペイパー氏がEF65牽くコンテナ列車を運転しておられました。

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線路に載せたら一応記念撮影しておきます。

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EF65のコンテナ列車を収容後、その本線に出走させて頂きました。今回も走りに問題はありません。1/45は迫力があって嵌りますな~。

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運転会は17時まで。その後は店主含めて定員10名とされた懇親会にも参加させて頂く幸せ。会場は有名なココ。店主に伺えば、この正面扉はスケールだとお店の入り口としては少々狭すぎると言うことで、若干広げているとか。

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その店内でも小田急快走。そうそう「昼の部」で走らせた2320形(擬き)の16.5㎜ゲージ版です。1/80だから実車同様の4両編成で。

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メンバー諸氏も大変素晴らしい模型を持ち込まれ、それらを前にしてワイワイガヤガヤ。遅くまで熱く語り合えたサイコーのひと時でした。

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店主のKSさまはじめご招待くださったNNさま、ご参加頂き楽しい時間を創ってくださったご参加各位に心から感謝申し上げます。OER3001氏はこの後さらに西へ移動して一泊。翌日は6時半すぎから「鉄活動」に明け暮れ。流石に疲れ果てて帰宅した次第。その“成果”はまた後日ということで。

 

2026年3月16日 (月)

江ノ電108

極楽寺車庫で2002年5月に撮っていた江ノ電の動態保存車両108号、正しくは江ノ島電気鉄道1929年から導入した100形の8両目。新型の20形登場時の見学会の折に撮っていました。

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可愛らしい電車です。ちょっと思い出して模型を取り出しました。

天気も良かったことから遊び心が出て、屋外光で同じようなアングルでの撮影を試みましたが、なかなか同じようには行かないものです横には20形は無いので1000形を添えて。

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いや~、色が随分違いますね。軽い気持ちで入手したキット、1998年に仕上げていましたが・・・、こんな写真撮ると再塗装したくなってしまいますね。

 

2026年3月14日 (土)

過去vs現在-15

久々の標題「過去vs現在」、前回は2023年6月30日の発信の「-14」でしたが、その時のテーマが参宮橋でした。

1971(昭和46)年当時はまだ、デハからデニとなった1300形が、塗色は栗色(チョコレート色とか茶色とか表記されることも多いが、ここでは“小田急師匠”の故・生方良雄氏の呼び方で)のままで新聞輸送に充当され、参宮橋駅を通過!

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このアングルで時々撮影していたようで、1973(昭和48)年には夕方、ABFM車の2両×3の6両編成の各停を撮っていました。

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このアングルでの今を撮りたく出撃しましたが、この季節ではもう少し遅い時間でないと陽が当たらなかったのが残念。

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1974(昭和49)年、ラッシュタイムの上り急行には1800形も充当されていました。改造されていたとは言えどTR-25(DT13)台車のMc-Tc2両×4の8連は圧巻でした。

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そこを、今では10両編成が日常的に行き交います。

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今昔比較の光景を求めて出掛けてみましたが、本来なら昔と同じ季節&時間帯で撮らないといけないかも知れませんが、それより昔と同じアングルで撮影できる場所が残っているだけでも嬉しくて。

 

 

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