2024年4月18日 (木)

つい、調子に乗って・・・

0番の2320形(擬き)が完成したら、これまで唯一の2線式0番作品だった1600形(擬き)との共演をしたくなりました。

1600形と2320形の共演は直ぐにでも実現できそうですが・・・。

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1600形の横を颯爽と通過する2320形。いつ実現できるでしょう?

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並ぶ光景を眺めては一人悦に入ってしまいます。両形式とも運転室内、客室内まで作った甲斐があります。

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窓越しに見える運転席と仕切り版は、1/45の0番では必須でしょうね。

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エンドレス走行が待ち遠しいです。

 

2024年4月16日 (火)

0番小田急擬き_一応竣功

少年時に一番好きだったセミクロスシートの2320形。実車の登場時は4両固定編成でしたが、台車の手持ち事情から2両編成として0番のペーパー自作を進めて来ましたが、この度一応竣功としました。“一応竣功”としたのは、自宅でエンドレスでの試運転ができないため、何れお仲間の線路を拝借しての試運転後、諸調整を経てから正式竣工としようと思っています。

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2両口は4両固定編成への増結用として増備したものと想定、実車の続番として2329-2330、号車番号は6、5号車としました。だから“小田急擬き”なのです。小田急の社紋、OER文字、急行サボは、幸いなことに昔、小田急から頂いた実物を保有していたので、デジカメで撮影して所定寸法にプリントしたもです。

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ナンバーは少々大きいのですがDARUMAYAの洋白製切り抜き文字(大)を使用。床下器具は主なものだけとして全て手作り、MGはφ8真鍮パイプの両端を塞ぎ、桧材の脚(?)を付けました。

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コンプレッサーは桧材と桧丸棒の組み合わせ。2mmビスで圧縮部頭部を表現しました。右の元空気溜と、次の2室空気溜は共にφ10真鍮パイプ利用、端部には真鍮たいこ鋲なるパーツを見つけてハンダ付け後に整形、取付脚は桧材。

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小田急ABFM車特有の形状である蓄電池も桧材。

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以上の床下器具は所謂ダミー。一方これが本来の床下器具で、接触器とでもしておきましょうか、スライドスイッチ群です。因みに右から、M1、M2は主電動機スイッチ。H1、H2は前照灯スイッチで、H1をONにすると向かって左側、H2をONにすると右側が点灯します。PLは通過表示灯、TLは尾灯、RLは室内灯のスイッチです。

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簡単にサボ受けも作り、写真からのサボを落とし込み様に接着。サボは山側と海側では「新宿ー箱根湯本」が「箱根湯本ー新宿 」 と逆転します。社紋を丸く切り抜くのに苦労しました。

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凝ってみたかったのが幌。なかなかGoodなイメージに仕上がりました。

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φ0.3ミリ真鍮線の骨に医療用ゴム手袋を張り付けたもので、車体側に開けた穴に差し込みます。ポイント通過でもグニャグニャしてくれることと期待しています。

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早くエンドレス試運転したいな。

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軽快に飛ばしてくれることを期待しているのですが、それはまだ先のことになりそうです。仕方ないので写真で遊んでみます。

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複線でのすれ違いができ来たら嬉しいですが、2両固定1編成では無理。

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まあイメージで我慢することとしましょうか。

(追伸)乗客フィギュアは試運転後に考えようと思っています。

 

 

2024年4月14日 (日)

京都鉄道博物館へ(湘南電車)

OER3001氏誕生の前年に登場した“湘南電車”は憧れの存在でした。そのトップナンバーを見るのが楽しみでしたが、ゲート入場でまず目に入ります。

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これこれ、この顔。3枚窓でオデコの前照灯が飛び出ている。

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下から見上げてみます。運行窓の「086」は愛嬌です。

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連結器上部の台枠部分に足掛けがあったと思っていたら無かったのですね。

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側扉は3段窓でしたが、これは当時製造されていた73系用の流用だったからなのでしょうか。

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パンタもPS13、懐かしい~!

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奇麗に磨き上げられた車体は惚れ惚れするものですが、どこか妙な感じ。そう、雨樋に違和感あり。クハ86001の表記は柵で撮ることできず残念。

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車内を覗き込めば、父に乗せてもらった時の記憶が戻って来ます。

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妻面から覗けますが、アクリル板に自分の姿が映って見づらいのが残念です。グローブに収められた電球の室内灯が懐かしい。

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ここの展示車両は、ホームが設けられているので台車や床下が見られないことがとても残念です。

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モハ80001の表記の上になんと、「広島車両所 昭和60年11月修復」のプレートが! ここに付けなくてもイイだろうと思うのですが。

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まあ、いろいろ不満はありますが、午前中の早い時間だったのでまだ来館者も少なく、ゆっくり見学できたことで良しとしましょうか。

 

 

2024年4月12日 (金)

京都鉄道博物館へ(プロローグ)

この日、のぞみ291号の乗客となり、ここ梅小路京都西には10時前に到着しました。お多福のように見える先頭車間転落防止幌はどうも気に入りませんが “前パン”はカッコイイ。

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梅小路京都西駅の東側(西の東?)には京都市電の2001号が保存されています。

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現役時代の写真が無いかと探してみましたが・・・、残念ながら2001号はありませんでした(涙)。活気があった京都駅前の画像で我慢。背後のビルは京都中央郵便局ですね。

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日立KL-11形台車もしっかり見ておきます。

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初めて訪れることになる京都鉄道博物館、正面入り口横には風格ある建築物が。明治37年建設で京都市指定有形文化財に指定された旧二条駅舎です。

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その前には動輪が。残念ながらこの動輪に関する説明が立ち入り可能な場所に無く、詳細は判りませんでした。

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その二条駅、現在は高架島式ホームになっているのです。

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周辺を見てからいよいよ入館することとします。早くに到着したので、駐車場もまだ空いています。

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ゲートから直ぐ、懐かしい車両の姿が見えます。

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ここに入館したらいったいどのくらいの時間が経過するのか? 以後の予定は無計画として、JR東の鉄道博物館、JR東海のリニア・鉄道館、JR九州の九州鉄道記念館と比較してみたいと思います。(以後不定期掲載)

 

2024年4月10日 (水)

京都駅の変化

写真整理していて見つけた京都駅。半世紀の変化が確認できました。

50年前の1974(昭和49)年は未だ市電がありました。この写真に市電乗降場は写っていませんが、右のバスの向こうにありました。駅舎は一部に8階の塔のような部分があったものの、他は3階建てでした。

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昨年秋に撮った画像ではこんな状況に。

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だいたい駅舎など、OER3001氏にとっては“序での一コマ”なのでしっかり撮ったものではありませんが、こうして比較してみると様々なことが思い出されるものです。

 

 

2024年4月 8日 (月)

ひたちなか海浜鉄道へ

またまた京王OB会さまからのお声掛けで、バスツアーに参加させて頂きました。

今回の行先は茨城県のひたちなか海浜鉄道。京王の譲渡車は居ませんが、DMH17Cエンジン音を楽しむことでした。八王子から圏央道~常磐道経由は渋滞も無く10:45には那珂湊に到着、概ね3時間の所用でした。

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ひたちなか海浜鉄道の駅名標は2015年のグッドデザイン賞を受賞したユニークなものです。那珂湊は反射炉、ケハ601、駅ネコが描かれています。

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那珂湊は上下列車交換駅。その横の留置線に、貸切のキハ205が待機しています。

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先ずは阿字ヶ浦行き定期列車を撮ります。JR東海および東海交通事業から譲受したキハ11形で、写真の11-6は元東海交通事業203。

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貸切列車の出発前に、車両基地外を一回り。駅名標にも描かれたケハ601廃車体は変化なく一安心。

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貸切列車は定期列車として運行する新型のキハ37100形への併結となります。オリジナルカラーで登場した筈のキハ37100も、今はご覧のようなラッピング。広告収入は重要な収入源なのです。

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対して貸切したキハ205は、車体のいたるところに経年劣化が確認できる悲しい状態。

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1965(昭和40)年の帝国車両製造なので御年59歳。いやいやサラリーマンの定年退職まであと1年は頑張らなくては。最近は雇用延長もありますから。

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その2両編成が運行に向けて入れ替えを始めました。

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キハ205の出自は1996年に水島臨海鉄道から譲受したキハ20形キハ210。国鉄→JR西日本からの譲受車で、元車号はキハ20-522、そうキハ20形のラストナンバーであり、元国鉄キハ20形で唯一の現役車両という価値あるものです。

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那珂湊12:17発の列車内でお弁当とお茶を頂きます。「食べる門(かど)には多幸(たこ)来る!」と言う「みなとのたこめし」。

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具だくさんで満足のいく美味しい弁当でした。

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阿字ヶ浦には12:29着。近くにある温泉、釣り針と海藻、あんこうが描かれた駅名標が迎えてくれます。

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元羽幌炭礦鉄道キハ22(222)であったキハ222がご神体として祭られた「ひたちなか開運鐵道神社」に“お参り”して・・・、

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ひたちなか海浜公園への延伸が決まっているので、間もなく見られなくなるであろう線路終端の車止めを撮っておきます。列車は12:37折り返し。

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それにしてもこのキハ205、外された蛍光灯のグローブは開いたまま、球切れの蛍光灯もそのまんまという荒れ放題の車内(涙)でした。

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勝田には13:06着。駅名標はひたちなか海浜鉄道のシンボルカラーであるオレンジ色で、車両とロゴマークが描かれたものです。

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13:17に折り返し、那珂湊着13:31で、DMH17Cエンジンの音を楽しむ乗車を終えました。

復路も道路渋滞なく、なんと14:45には八王子に戻ることができたという素晴らしい行程でした。京王OBの幹事の皆さま、関係者各位に感謝申し上げますとともに、お知り合いになれた方にお礼申し上げます。

 

2024年4月 6日 (土)

シニアの運転会

ゆったりクロスシートに座って多摩川を渡ります。

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降りたところで暫し行き交う電車を眺め・・・

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シニアの運転会場に向かいました。この日のトップバッターは闘病中のMZ氏、流鉄(流山電鉄?総武流山電鉄?)の車両を持って臨まれました。いつもながらお見事なペーパー自作です。

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KT氏はクモニ?いやクモヤ145かな? 宮沢のキットだったとか。

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WM氏は高校時代から作り重ねたと言う73系のペーパー自作。3段窓に全金車を取り混ぜた4両でした。運転室仕切りが効果的ですね。

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HT氏はモデル8のキットを組んだ上田丸子のデキ未塗装を。2両の貨車を牽いて、勾配線も問題なく快走しました。

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OER3001氏の第1弾はセミクロスシート時代の小田急2320形。友人HI氏製作のペーパー自作を40年以上昔に譲り受け、後年台車交換やディテールアップを図ったものです。

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この時、隣の線路にKT氏のお召列車が登場。最初はC59です。

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お召列車は牽引機をEF53に代えて、ゆったり堂々とした走りを見せてくれました。

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OER3001氏の第2弾は小田急の初代ロマンスカー1700形ですが、上のお召列車を追い抜いたり上を跨ぐわけには行かず、運転には神経を尖らせました(笑)。

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IY氏はキットを組まれたと言う筑波鉄道のキハ821、国鉄キハ10 47のようです。

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霧で遅延した高速バスで駆けつけたというIM氏は、京浜東北線で活躍した209系、いや違います。試作車の901系に6扉サハを挿入した11両編成

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小田急ロマンスカーの最新型、70000形GSEはSF氏のペーパー自作。フロントウインドウから見える座席の柄まで再現されて圧巻でした。

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OT氏はいつもと違う車両を展開されでびっくり。石炭列車の先頭に立つのはKATOのD51だと仰るも、見事なウェザリングでした。

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牽引機がD51の違うバージョンに代わります。

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さらに最近話題の台湾の電機まで。

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和気藹々と3時間以上を楽しみ、その後はまたいつものように反省会へ。反省会だか猛反省会だか知りませんが、いつしかアルコールも回って・・・。

 

 

 

2024年4月 4日 (木)

まるで傘の骨

半世紀以上にわたり懇意にして頂いているモハメイドペーパーさまはなんと、傘の骨まで修理されてしまうようです。

OER3001氏は傘の骨の修理までする気にはなりませんが、同じようなことをすることになってしまいました。初めに3ミリ厚のアガチス材から斯様なものを作りました。

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それに、φ0.3真鍮線を巻き付けます。R部分は焼き鈍しなどせず、ヤットコで現物合わせで曲げています。

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曲げた真鍮線を両側から合わせ、内径φ0.3、外径φ0.5の細密パイプに通して接続、ハンダでジュっと。

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それを外すと斯様な“骨”の出来上がり。

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φ0.3の穴(内径)にφ0.3の真鍮線を差し込むという、高齢者の目にはとても優しくない困難、面倒な作業をコツコツと、なんとか6個作りました。

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ここで息切れ。さて、一体何だと思われますか?

続きはまた後日ということで・・・。

 

 

 

 

2024年4月 2日 (火)

お茶の水

模型材料調達に、あの画材店に行ったついでに、お茶の水で楽しんでしまいました。

<その1>JR御茶ノ水駅、あの狭いホームの上に、しっかり建てちゃいましたね。神田川の工事用仮設もそろそろ解体できるのでしょうか。

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上の画像は停車前の中央快速東京行ですが、停車した位置は下の画像。随分先に行っているように見えますが・・・。

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停車位置の後方には2両分のホームが用意されていました。そうか、グリーン車挟んだ12両編成への準備だったのですね。

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<その2>丸ノ内線東京方面行ホームから、神田川渡って来る電車の撮影を試みました。最初は去っていく電車と来る電車のタイミングが合わず(涙)。

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乗る予定の電車を見送り、2本目も狙ってみました。しかしもう少し引いてからにすれば良かった(涙)。

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近づいてきたところでも狙ってみましたが、流れてしまいました(涙)。

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もう1本やり過ごし。3本目にチャレンジ。まあこの辺が限界のようです。

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ということでここで諦め、銀座に向かいました。

<おまけ>銀座での所用を終えた後は、上野方面に行くために京橋まで歩いてしまいます。東京スクエアガーデンと言うのでしたっけ、京橋駅に降りる階段縁で、ちょうどサクラが咲き始めていました。

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高層ビル背景にサクラ。う~ん、我が家界隈とはずいぶん違った光景に驚きました。

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これらは4月1日のことでしたが、決してエイプリルフールではありません。

 

2024年3月31日 (日)

また一つ、消えて行く

小学館、集英社といった大手出版社、三省堂(現在建て替え中)や書泉、古書店などが集積する千代田区神保町。都営新宿線神保町駅のホーム壁は、この街を象徴していて好感が持てます。

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その街にある歴史的な建築物が消え去る運命ということを知り、乗り換え途中で散策してみました。学士会館です。

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神保町駅から歩いて行くと、その敷地に斯様な記念碑が。「日本野球発祥の地」だそうで、日本に初めて野球を伝えたとされるホーレス・ウィルソン氏の野球殿堂入りを記念して、2003(平成15)年に建立されたという比較的新しい碑。どうりでこれまで気づきませんでした。

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1990年頃だったかこの階段(北口)を上がって、職場の東大卒後輩女子の、東大卒役人との結婚披露宴に、上司として出席するためでした。

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しかし正面玄関は白山通りに面したこちら。北口にはエスカレーターが備えられるようになりましたが、正面玄関にはスロープも無く、まさに“敷居が高い”建築です。

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共立女子大学方から眺めたこちらが“正面”のようです。関東大震災後の復興建築で、玄関の半円大アーチやスクラッチタイルの外観、窓廻り2・3層の直線基調と4層の曲線基調の対比などに特徴がある鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階地下1階建で、小田急開業の翌年である1928(昭和3)年の完成。設計は佐野利器と高橋貞太郎(増築部は藤村朗)によるものとか

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その最上部についているこれが気になるのですが、残念ながらその説明を見つけられません。

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そんな学士会館が、建て替え再開発されるのですって。これを期にいろいろ調べてみると、耐震性など今でも心配ないしっかりした建築物であり国指定登録有形文化財の指定を受けているのに・・・ですよ。

国立大学をご卒業成された優秀(?)な方々は何を考えているのやら(涙)。私学出の、優秀でなかったOER3001氏は悲しいです。

 

2024年3月29日 (金)

夜景を愉しむ

なんとか1両配線が完了しました。暗い中でほくそ笑んでいる次第。先ずは各駅停車。

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急行の時は、通過表示灯が点灯します。

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前照灯は向かって左側を点灯させていることが多かったですが、球切れに備えた右側も点灯させることがありました。

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通過表示灯は、後部になる時は赤い尾灯になります。この切換にチップLEDを収めた苦労も効果ありです。

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テープLED2列にした室内灯の効果、セミクロスシートの室内も良く見えます。赤字覚悟で乗客乗せようかと迷います。

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苦労した運転台、組み込んでしまったらなかなか写真撮りづらくて(涙)。

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電動車の方の配線が未だ。M1カット、M2カットなどの機能も装備させるので電線引き回しが大変。

配線が終わったら、ナンバー入れたり幌付けたりといったフィニッシュワークに着手する前に、一度試運転したいです。

 

2024年3月27日 (水)

初めてのスキー

孫娘が中学受験を乗り越えて無事1年の春休み、学校からバスで菅平でのスキー教室に行くと聞いて、我が身(ジイジ)も初めてのスキーが菅平だったと、ゲレンデの想い出話に盛り上がりました。

ジイジのスキーは高校時代の親友4人と、上野から信越線の急行“信州”(だったかな?)に乗って始まりました。菅平へは上田から路線バス。持って行ったフィルムの1コマ目はバス待ち時間で撮った真田傍陽線の駅構内。

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この年の4月20日に丸子線を廃止し、それまでの上田丸子電鉄から上田交通に社名変更してもなお、駅名は「電鉄上田」だったように記憶していますがどうだったでしょう。その上田駅に入線して来る真田傍陽線の車両が2コマ目。フィルムに光が入ってしまいました。

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駅舎に表示されていた駅名は「電鉄上田駅」です。それから2年後に、真田傍陽線も廃止されてしまいました。今となって思えば、この時真田まで真田傍陽線で行っておけば良かったと後悔しますが、菅平に行くのにその途中まで真田傍陽線を利用するなど、選択肢に無かったのだから、廃止されるのも仕方がないことです。

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スキーを楽しんでいる写真は無く・・・、初めてのスキーですから写真など撮る余裕、というより転んでばかりでしょうからカメラなど持っていられません。フィルムに記録されていたのは宿でワイワイ楽しんでいる光景だけ。

年が明けた1月2日に帰路に着いたようです。EF62の貨物列車を撮っていますが何処の駅だったのでしょう、上田かな?

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タキ43000(43013)も撮っていました。

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そして次のコマが、すっかり暗くなった横川駅のプラットホーム。ブレた1コマですが、ずらりと並んだ洗面台に「名物・峠の釜めし」と「碓井温泉・あたご荘」の広告。こんな時代だったのですね。帰路の169系車内から撮っていました。

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同時に停車中の下り列車、モハ30003も。デジカメの時代だったらもっと撮っていたでしょうに(涙)。

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この後は、169系車内での友人たちと戯れる光景でフィルムは終わっています。孫娘が行っている菅平スキーの思い出でした。

 

2024年3月25日 (月)

840000アクセス到達

昨3月24日、84万アクセスに到達しましたので“84”に因んだ車両画像探してみたのですが・・・(涙)。

クモハ84など撮っていないし・・・、そうだ、玉電80形に84があったと思って探したが、残念ながら84は未撮影。東武や等級に中間電動車の8400があったけれどそれも無い。えい、それなら逆にして48なら、ということでこれにしました。

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1971(昭和46)年6月18日の新津田沼駅京成津田沼駅です。この頃の新京成電鉄には、小型車のモハ45形や300形が活躍しており、趣味的には実に楽しいものでした。新京成初のカルダン車800形はまだ登場していなかったようです。

83万アクセス到達が2月23日、順調に1か月で1万アクセスというペースのようです。相変わらず勝手気ままのブログですが、引き続きよろしくお願い致します。

2024年3月23日 (土)

東急世田谷線

“玉電”が無くなって、三軒茶屋-下高井戸間だけが世田谷線として残りましたが、車両の世代もすっかり入れ変わり、1999(平成11)年から2001(平成13)年にかけて登場した軽量セミステンレス製車体、IGBT-VVVFインバータ制御の300系になっています。

高校時代から慣れ親しんだ下高井戸駅、過日の「池袋 鉄道模型芸術祭」に出展されていた1/80の模型を見て、久しぶりに出掛けてみました。京王線の高架化工事も進んでいるので、線路を斜めに横断する踏切も見られなくなります。

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軌間1,372㎜という共通点を持つ歴史から、世田谷線は京王線下りホームに寄り添うカタチになっています。

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この雰囲気を上手く縮小されています。

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一方の三軒茶屋駅は、1996(平成8)年に完成したキャロットタワーに隣接。

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レンガ調外壁のモダンな雰囲気です。

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アーチ状の上屋が特徴です。

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それを模型ではかなり簡略化。今後アーチ状上屋を製作するのでしょうか?

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中間には車両基地のある上町駅が上手く配置されていました。

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実際の上町駅は曲線部で用地に余裕が無く、上下線でホームは踏切を隔てて配置されています。

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車庫のに徒歩で近づくことができないので、先の踏切からズームせざるを得ませんでした。

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下高井戸から世田谷線で三軒茶屋に向かい、そこから線路に沿って歩いて小田急線豪徳寺駅まで。この日はそこで小田急に乗って帰宅しましたが、世田谷線全線徒歩もそう苦ではありませんよ。良いウォーキングになります。

 

2024年3月21日 (木)

新宿駅西口

新宿グランドターミナルの実現に向けた基盤整備が進む西口、2年前まではこんな風景でしたが・・・。

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西口を象徴する風景はすっかり変わって来ました。3月8日時点の記録です。

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地上に上がってみれば、小田急百貨店の本館はすっかり解体され、東口のビル街が見渡せます。

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左が小田急ハルク、右に京王百貨店。その真ん中にあった小田急本館の姿は無く、東口のルミネ エスト(旧新宿ステーションビル)が見通せます。

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解体前の光景は、海老名のロマンスカーミュージアムのジオラマで今も見ることができます。(3月6日)

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東側からの光景ですが、南口(左側)のミロードも、まもなく解体工事が始まります。

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渋谷も大工事が進み、新宿も。池袋は西武百貨店がヨドバシカメラ資本が投入されてと、東京のターミナルがどんどん変貌して行くようです。楽しみというより・・・寂しさを感じます。

 

2024年3月19日 (火)

運転台座席

運転台を作ったら、運転士さんの座席も用意しなければなりません。

先ずは0.8真鍮角棒を所定寸法にカット、90度にハンダ付けしたフレーム(?)を作りました。

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座部と背もたれの材料は桧材。ヤスリで削ったパーツを、簡単な保持具に挟んだフレームに速乾アクリアで接着するだけです。これは2セットしか作らないので楽です。

 

2024年3月17日 (日)

運転台できました!

ミニチュア家具製作(笑)の勢いで、運転台作りました。先頭車2両分なので2セットです。

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マスコン、BC弁、計器盤、スイッチ箱など、材料は桧材ベース。

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  • マスコンハンドル本体は1㎜真鍮角線に、ノブ部分はゴム系接着剤を丸めたもの。
  • BC弁の首部はハトメにφ1.8真鍮線のハンドルをハンダ付け。ハンドルのテーパーは速乾アクリアを付けてそれらしく。下方の目盛り(?)はラグ板加工。

木工加工→接着→整形→塗装→真鍮素材系加工→組み立て→塗装→計器盤&マスコンノブ、BCハンドル等色差しといった工程。我ながらうまく表現できたものだと、眺めてほくそ笑んでいます。

 

2024年3月15日 (金)

続々:座席の製作

小物塗装に使った廃材の寸法がちょうど良かったので、端に溝掘り、角にRを付けました。

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ここにφ0.8洋白線を載せ・・・、

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ヤットコでがっちり咥えます。

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で、両端を指で曲げ・・・、

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斯様なカタチに成形します。クロスシートのひじ掛けです。

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塗装しておいた座席に速乾アクリアで接着します。肩部の掴み金具は割りピンの材料から作りました。

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1基づつ両クロスが8セット、片クロスが8セットの計16基をシコシコと。

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ロングシートの袖もφ0.8洋白線から。2両分の座席が完成しました。ホント、鉄道模型というよりミニチュア家具の製作でした。

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さて、これらを室内にセットしなければなりませんが、楽しいですよ。

 

 

2024年3月13日 (水)

スイス国鉄オフィシャル鉄道ウォッチ

初めて永世中立国・スイスに行った時から気になっていました。金融業、電力、観光業、化学薬品工業などと共に、精密機械工業の産業が国際的に強いだけに、時計は有名でした。

SBB(Schweizerische Bundesbahnen スイス国鉄 1999年からスイス連邦鉄道(株))の各駅に掲げられた見やすい時計デザインが気に入ってしまいました。(写真はバーゼル中央駅で)スイス人技術者ハンス・ヒルフィカー(Hans Hilfiker)によって1944年にデザインされたものだそうです。

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いつ頃だったか、そのデザインの腕時計があることを知りましたが、愛用のセイコー製腕時計はなかなか壊れない。それがこのたび40年ほど使って遂にご臨終に(涙)。

そこで、決心して新しい腕時計を購入しようと思ったら、思いがけず「スイス国鉄オフィシャル鉄道ウォッチ」が愛妻からプレゼント。

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遂に、OER3001氏の左腕で時を刻んでくれることになりました。

いや実に見やすい! 年寄りの目にも優しいし、テキストだけのデジタルよりシェイプ(カタチ)で読めるので人間工学的にも優れています。

久しぶりにスイスものを手にしたので序でにこれを眺めてしまいます。ゴッタルド線で使用された本線用ユニバーサル駆動式電気機関車のAe4/6形電気機関車。

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今は殆ど(全て?)の列車が電車列車に変わってしまったようですが、やっぱりこの時代が好きですね。窓上に1等の黄色いラインを入れた濃いグリーンの客車。シュリーレン台車の乗り心地は結構硬かったような記憶があります。

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久しぶりにスイスの模型列車も走らせたくなってしまいました。

 

2024年3月11日 (月)

ロマンスカーミュージアムへ

2年ぶり、4回目かな? 久しぶりのロマンスカーミュージアムは、出展写真家のお一人からのご案内がきっかけで、この日から始まった写真展「白いロマンス、ふたたび」を見るのが目的でした。

エスカレーターを下り、モハ1を過ぎるとロマンスカーギャラリーと称する代表的なこの空間。

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写真展はここで展開されています。

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15人の方々の素晴らしい作品と共に、VSE活躍の映像が流れています。

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ちょうどご案内頂いた方が会場に居られ、暫し歓談することもできました。

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写真は、⼩⽥急電鉄の歴史をまとめた企業年表が掲げられている<ロマンスカーアカデミアⅠ>でも展示されています。

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そんなロマンスカーミュージアム、収蔵車両が奇麗に維持されているのは彼女達の丁寧な清掃作業によるものです。伺ったところでは水拭きだそうですが、車体外板を丁寧に拭く他、手すりや溝も。「ありがとうございます」と声を掛けました。

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立ち入ることができる車内では、窓ガラス、壁面やテーブルを拭く他、1座席づつ粘着ローラーで埃を取っていました。

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本当に丁寧な作業ぶりに、小田急ファンとして嬉しくなりました。

写真展「白いロマンス、ふたたび」 は3月25日(月)までです。

 

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