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また、コメント書き込みに際しては認証システムを採用させて頂いております。 

ご理解賜りますようお願い申し上げます。

 

 

2021年3月 5日 (金)

東急線ワンデーパスで

3月2日夜、強風の影響で倒壊した足場が線路を塞いだことから、3月3日昼過ぎまで運休となっていた東横線。その現場を見たくて3月4日、期間限定で680円とお得なきっぷを買って出掛けました。きっぷとは言え、PASMOに書き込まれます。

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倒壊した足場はまだ完全に片付けられて居ない様子で、取り急ぎ線路に架かっていた部分だけ取り除いたという感じです。

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裏手に回ってみたら、本来ならもっと高かったであろう足場が途中で無くなって居る様子が確認できました。

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再び線路側へ回ってみます。正面が東横線自由が丘駅です。

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上り電車が自由が丘駅を発車しました。

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この電車、現場脇を通過して行きましたが・・・、

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中途半端な足場で心配です。

このビルは予備校校舎の新築、松井建設が請け負っていますが、補償はさぞ大変でしょうね。死傷者が出なかったことが幸いです。

東急ワンデーパスは、ここを見るだけのために買ったものではありませんので、この後は有効活用させて頂きました。

2021年3月 4日 (木)

想い出の光景:26

想い出の光景:25」からほぼ半年後の1976(昭和51)年4月の記録がありました。

代々木八幡-代々木上原間の高架化工事が進捗に伴い、廃止された踏切に変わって架けられた跨線橋から代々木八幡方向を望んでいます。代々木八幡駅の改造工事模様については別途取り上げたく思っていますが、この時既に上りホームは山側への移設工事が完了しているようで、敷設された線路への切り替えを待つような線形です。

上りはNSE車、下り急行はHE車と言うのも懐かしい時代です。

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振り返って代々木上原駅方向を見れば、高架線には線路が敷かれ、架線工事も進んで居ます。折しも通過して行った9000形の走る位置は、完成後は千代田線の線路位置になる場所です。

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海側へ回って、代々木八幡方向を望みました。完成間近となった新線の先が、HE車が走る線路への接続を待っていることがわかります。

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間もなく小田急線が高架に切り替えられ、現小田急の線路部分に営団線の線路工事となって行きます。

 

 

2021年3月 3日 (水)

踏切で電車を

年に数回、仕事で訪れる湘南は辻堂。いつもの通り小田急で藤沢へ。そこから一駅はこの電車で。

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ところが今回は約束時間を間違えて、なんと1時間の早着。いやはや遅刻で無くて何よりでした。1時間の過ごし方に迷いはありません。日頃から気になっていた踏切まで15分ほど歩いて見ました。

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この踏切、「辻堂踏切」と言うのだそうで、前々コマ藤沢駅に東京起点51㎞のキロポストがあり、辻堂駅のキロ程は54.8㎞ですから、1㎞ほど藤沢方向に戻った場所となります。

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この踏切海側の鉄道用地柵は古いPC枕木です。これレイアウトにも参考になります。

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光線状態もよろしいので、ここで暫し撮影としました。いつも携帯しているコンデジです。先ずは「快速・高崎線内普通」のE231系が。

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次は「快速・上野東京ライン」のE231系。

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走る去る後ろも撮ったら、こちらはE233系、残念ながら表示は切れて解読不能。

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今度はまたまたE231系で「高崎線直通」。

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踏切に迫り来るE233系を狙って退散としました。

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特急や貨物を期待したのですが、この時間内では残念ながら撮ることが出来ませんでした。

 

 

2021年3月 2日 (火)

バーゼルの路面電車

1979(昭和54)年7月19日、ベルンの路面電車を見た後はICに乗車、フランス、西ドイツ(現ドイツ)と国境を接するバーゼル(Basel)に向かいました。スイス国鉄の駅は「バーゼルSBB」ですが、フランス国鉄の「バーゼルSNCF」と一体となった駅で、プラットホームに事実上の国境が設けられているという、日本人には驚愕のものです。

こちらがそのバーゼルSBB駅の正面。SNCF駅は右方向になります。左のビル屋上に、今は無き「SANYO」のロゴマークが見えたのに違和感を抱いたものです。

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しかしこの駅前が路面電車のターミナルとなっていて、グリーンの電車が頻繁に発着しています。

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あまり新しい車両には出会えず、まだボギー車や2車体連接車が主流でした。

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こちらはどう見ても西ドイツ製デュヴァグ(Duewag)カーです。

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今では広島電鉄にも、芝生の軌道が出来ましたが、この当時は軌道に芝生が敷かれている姿に感動したものです。

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ここも然程長くない滞在時間で、たくさんの路面電車を記録することが出来ました。

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短い休暇の最大活用の慌ただしい旅、この後はまた他の地へ向かいました。

 

 

2021年3月 1日 (月)

今日の一枚 No.101

「今日の一枚」シリーズも101回目となったことから101系を。

もとより国鉄の電車にはあまり興味がわかず、真剣に撮ったことはあまり記憶にないのですが・・・、ありました。しかも101系元祖のオレンジとカナリヤ両方が収まっていました。

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若しかしてここ、モハメイドペーパーさまのお膝元だったかも知れません。

 

2021年2月28日 (日)

想い出の光景:25

代々木上原駅付近変貌の記録、「想い出の光景:24」から3ヶ月後の1975(昭和50年)年8月 には、改札口前の踏切まで高架橋の鉄筋が建ち始めました。

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2ヶ月後の10月になると、高架橋はすっかり出来上がっています。線路はまだ元の位置なので、高架橋の下になった踏切を電車が通過していきます。

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その踏切からの光景は斯様な感じになりました。下り電車の通過です。

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東北沢方向を望むと、駅舎が無くなっています。遙か先の高架下に仮駅の看板が見えています。

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その状況が次の画像。元のプラットホームの東北沢方終端辺りから向こう側に、仮ホームが設けられています。そしてその上には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できます。

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上り仮ホームに停車中の5159他4連新宿行き、その上方には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できるので、この仮ホームはほぼ現在のプラットホーム位置と一致します。

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その上りホームが次の画像ですが、曲線区間に設けられていたプラットホームがほぼ直線になりました。

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SSE車の下り「あさぎり」が通過する画像では、新宿方が僅かに曲線区間に掛かっていることが確認できます。

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こうして徐々に徐々に、千代田線接続の設備が構築されて行きました。このシリーズはまだ続きます。

 

 

2021年2月27日 (土)

ベルンの路面電車

アムステルダムの路面電車を見た後は、憧れの国際列車TEE乗車を堪能したのですが、このことはまた別の機会にご紹介するとして、その夜はベルンに一泊。翌日の過激行動前の“朝練”をベルンで行いました。

生憎ここだけは手持ちフィルム本数の関係から、ネガフィルムでの撮影。最初は朝陽を受けてホテルから程近くの、有名らしいカラフルな噴水のモニュメント前から一枚。1354 年、ベルン初の病院を設立したアンナ ザイラーの像だそうですが、貴重なフィルムでその像は撮っていないのがOER3001氏。フィルムがかなり黄変していてがっかりです。

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この日もまた、ベルンからICで移動する関係から駅に向かう路上での撮影でした。大きな荷物を抱えながらの撮影は楽ではありません。3車体連接が来ました。

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駅方向への曲がり角で、交戦状態の良い場所を見付けました。これは古いボギー車が付随車を牽引しています。

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今度は3車体連接が。前々画像と同型ですが、こちらは「12」号のようです。オデコの「9」は運行系統のようです。

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今度はボギー車の2両編成、「121」号です。古い歴史を感じるベルンの街並みに、このグリーンとクリームのツートーンカラーは良く似合うと思います。

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ベルンをもっと歩いて見たかったと思いつつ、僅かな時間でここを去るのはとても残念でした。

 

2021年2月26日 (金)

罫書きと窓抜き

ペーパー車体製作の原点は罫書きと窓抜きですが、最近はCADやカッティングロボやレーザーカッティングが出現したお陰で、その原点が忘れ去られようとしています。他人様の設計によって、機械的に窓抜きされた材料を組み立てることを否定するつもりは毛頭ありませんが、本来の「自作」とは、自ら寸法を割り出し、罫書いて窓抜きするという工程が原点かと思っています。

とは言え、やはりこの作業は大変です。

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調達し過ぎて永年の在庫で、変色している材料もありますが、これももうじき在庫一掃となりそうです。

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2列だけ窓抜きを終えました。最初は4隅のRに彫刻刀を入れ、次に直線部。左にステンレス定規を置いてガイドとし、カッターを入れて行くという単純作業。マイペースで進めながら、なんだかんだで切りカスが溜まるのは達成感があるものです。

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とりあえずこの作業はなんとか完了、切りカスの数量は160枚でした。

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さて、この先はどう進めますかね。のんびりマイペースで進めることといたしましょう。

 

 

2021年2月25日 (木)

想い出の光景:24

前回の「想い出の光景:23」から3ヶ月後の1975(昭和50年)年5月には、代々木上原駅前の踏切脇に完成予想図が掲示されていました。左方の代々木八幡駅から右方の営団引き上げ線終端までが、結構詳細に描かれていました。

ほぼこの通りに完成している現在ですが・・・、一つだけ実現していないのが高架ホーム下側(北側)に描かれている駅前広場。まだこの計画が生きているのでしょうか?

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まだ1800形が現役バリバリの頃ですが、この頃に事実上の4両固定運用になり、両端に出る先頭車だけ貫通扉をステンレス製の新しいものに交換、窓が上下方向に拡大されました。そして方向幕が手動から電動になりました。

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プラットホームの時計が15時5分を指している時、新宿15時00分発の「あしがら」が通過して行きました。

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この線路位置、今はメトロの線路になった場所、NSE先頭車の先に確認できる踏切が井の頭通り。そこが現在のホーム下ということになりますが、開業からこの時代まで、小田急の線路位置は変わっていなかったのです。

 

2021年2月24日 (水)

アムステルダムの路面電車

マンハイム(Mannheim)の路面電車を撮った後は再びICに乗り、北に向かいました。 ちょっとした距離、500㎞くらいだと思いますが、国境を越えて夜遅くに到着した地はオランダのアムステルダム(Amsterdam)。

なんとかホテルに荷物を置き、有名な夜の運河に向かってみました。 運河に沿って、所謂“飾り窓”街が! それはそれは何とも眩しい光景でした。

1979(昭和54年)年7月18日 の朝7時15分、窓から外を見れば、そこは王宮(Koninklijk Paleis Amsterdam)前のダム広場(Dam)に面した部屋ではないですか。 今思えば随分と凄いホテルだったようです。

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簡単に朝食を済ませ、早速活動開始。 7時45分、アムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)に向かう黄色い路面電車が次々に通ります。

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ダム広場の国立モニュメント(Nationaal Monument)と王宮を入れて撮りたかったのですが、王宮の塔が高くて入りきれませんでした。

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8時近くなると通勤者も多くなり、自転車で急ぐ人も路面電車と併走です。

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折角なのでとりあえず来た電車に乗ってみました。

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ところが昨夜遅くに西ドイツからオランダに入ったため、両替所はどこも開いて無く、ギルダー(NLG=Nederlandse gulden)が無く、手元には西ドイツマルクだけ。 降車の際に訳を言ったら優しく「この次でいいよ、良い旅行を」と言って優しく見送ってくれたのです。

オランダ人に感激し、東京駅のモデルとなったと伝え聞くアムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)前で撮影です。思っていたほど大きくなく、東京駅の方が遙かに大きく、少々立派で残念でした。

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流石に駅前は人が多いですが、それでも東京都は比べものになりません。

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電車は次々に来ますので、駅前だけで充分観察できます。

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停車場も人の往来が自由。 みんな自己責任でしょうか、思うがままの方向目指して歩き出します。

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8時22分になったところで、車道を歩くカップルに目視されてしまいました。

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親切なオランダ人に出会いながら、深夜に着いたアムステルダムには10時間も滞在しませんでした。 慌ただしくこの後は、国際列車TEEに乗ることになっていました。

 

2021年2月23日 (火)

復旧

地震で被害を受けた東北新幹線は、漸く復旧となるようですが、架線柱損傷で運休していた弊社箱根登山線も復旧となりました。

損傷した手前の複線用を急遽調達、新しいものに交換しました。

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同時に、奥の架線柱も含めて、碍子に白を入れたので、以前より実感的になったと思っています。

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ベルニナも早速走り出しました。

 

2021年2月22日 (月)

変わる新宿西口

OER3001氏は1959年から、新宿駅西口を小学校への通学で利用していたので、トレーラーバスが発着する光景から立体広場への変貌を遂げる過程を目の当たりにして育ちました。 国鉄駅は「西口」と言わず「青梅口」ではなかったかと。

小田急の改札口はその青梅口の南側に、そして京王はその西側に木造の駅舎を構えていたように記憶していますが・・・。 

一番先に建ったのが1962(昭和37)年11月開店の小田急百貨店ビル(当時は東京建物ビル)でした。この時はまだ広場の立体化は未着工、屋上展望台からは富士山と共に、発着するトレーラーバスバスが良く見えました。

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1963(昭和38)年に京王線新宿駅地下化完成、翌1964(昭和39)年に京王線の地下駅、京王百貨店が完成。地下広場は1966(昭和41)年に完成すると翌1967(昭和42)年 、小田急本館が完成するという矢継ぎ早の変革でした。

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小田急、京王と、戦時中は同じ“大東急”だったものの、ライバル同士が競うことになったのですが、その百貨店に“秘密の橋”があることをご存じでしょうか? 

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非常時の避難通路として、ライバル同士が協力して設けられた“架け橋”です。この新宿西口を象徴するビルも、2022年度から取り壊し、あらたに地上48階建てのビルに生まれ変わるという計画が、小田急、東京メトロから発表されています。 消えないうちにしっかりまた撮影しておこうと思っていますが・・・、

その新宿西口に来月、あらたな模型店が開業すると言うのです。それがこの“IMON”ビルと表示されたビルの3階。ヨドバシカメラ・カメラ総合館の隣だというので序でに状況を見てきました。

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入口は左側の「IMON」表示の入口からエレベータのようです。

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ヨドバシカメラでもホビー館で模型取り扱っているだけに、果たしてどんな店になるのか、大いに楽しみです。

因みに、メトロフリーきっぷを買っていたので丸ノ内線にたった一駅、新宿→新宿三丁目まで乗車して、地上に上がってみればこの異様さ。

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新宿三丁目の交差点からの伊勢丹。堂々とした昭和の香がする立派なビルなのに、シャッターが閉まっていてまさか閉店!?と思ってしまう光景は、コロナ禍で入口を地階に集中した結果でしたがなんとなく残念。

新宿は歴史ある東より西、西高東低がトレンドなのかな?

 

2021年2月21日 (日)

モハ2形 109号の引退の前に

箱根登山鉄道のモハ2形、109号が3月21日にラストランという告知がされています。 間際になれば相当な「密」になることが予想されるので、まだ大人しいうちに出掛けてみることにしました。

ちょうど良くEXE-αが来たので乗ったら、トントン拍子にここまで。 

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今回はこの辺りでゆっくり撮ることにしました。 モハ2形(109)はモハ1形(104、106)との3両編成、しかも3両とも違う塗装です。

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望遠で撮った後にコンデジでも1枚。

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急いで路地を抜けて先回り、上って行く後ろ姿も撮れました。

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再び山を下りてくる所も。

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大平台でスイッチバックして、箱根湯本に下りていきました。

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こちらは大平台から上ってくる所。ここの踏切は「大平台出口踏切」と言います。因みにこの右下の踏切が「大平台入口踏切」、登山線の踏切名称は面白いです。

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と言うことで、実車は来月引退することになっていますが、“当社”の109号は不滅です。小さなレイアウトでは実車に似た風景は再現できませんが、一応雰囲気だけは・・・。

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カメラ位置を可能な限り低くして。

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5コマ目の画像同様に、縦アングルでも撮ってみましたが。

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模型の世界では想い出はず~と残せますから最高です。

 

 

2021年2月20日 (土)

新宿で撮る

新宿へ出た序でに暫し撮影タイムなのですが・・・、まさかANAJA751Aを撮るとは思っても見ませんでした。 話しには聞いていましたが、こんなに低い高度とは!

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NTTdocomoタワーをかすめるように・・・。

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折角なので別の飛行機でも狙ってみましたが、ビルの時計を入れると迫力がありません。

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本来ならカメラはこのように下に向けるのですが、残念ながら架線柱やらビームやらが邪魔して思うように撮れません。

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その場所はここ、バスタ新宿の3階テラス、写真の「JR新宿駅」とある上です。

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上を向いたり下を見たりと首の運動をしながら気長に待つ気で居れば、結構楽しめる場所のようです。

 

 

2021年2月19日 (金)

運休

2月13日(土)23時8分発生の福島県沖を震源とするM7.1、最大震度6強の地震被害ではありませんが、弊社箱根登山線の架線柱が損傷し、運休となっています。 ベルニナとアレグラは、向かいのホームに停車したままとなっています。

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手前の複線用コンクリート柱の左が根元から破断、ビーム右側も破断してしまいました。

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これらの事故はあくまでも人為的なもの。 つまり清掃中にハンディクリーナーをぶっつけて折ってしまったと言うことなのですが、交換用在庫が無いもので・・・。

そうか、この交換は不要不急では無く必須至急だから、模型店に出掛けるとしますか。

 

2021年2月18日 (木)

想い出の光景:23

このシリーズは、ここ暫く代々木上原を取り上げていますが、今回は1975(昭和50年)年2月の記録を。 カラーポジからのスキャンニングですが、どれも色が薄くなってしまっているのはお許しを。

だいぶ高架橋が出来てきて、駅舎が右の高架橋下に収まっています。 下り「あしがら」が通過して行きました。

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その場所から代々木八幡方向を望んだところですが、既存線路の両側には高架橋が連続してきました。

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そこからもう少し代々木八幡方向に移動して海側から見下ろしたら、下り本厚木行き各停の2600形NHE車が通過するところでした。

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今度はその先の、八幡3号踏切だったと思われる代替跨線橋に上って、夕刻の代々木上原方面にカメラを向けています。 3000形SSE車は「さがみ」、これも懐かしい想い出です。

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まだ高架橋は繋がっていませんが、急ピッチで工事は進んでいました。

 

 

 

2021年2月17日 (水)

今日の一枚 No.100

この「今日の一枚」シリーズも100回目になりました。 記念すべき(何を?)100回目としてふさわしい(かどうかはわかりませんが)一枚は・・・これにします。

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久しぶりの級友との待ち合わせで出掛けた新百合ヶ丘。 級友から5分ほど遅れるとのメールを受信したので、それなら撮れるぞ! と判断して撮れた一枚。 まさにこの日の一枚なのです。

例の女性蔑視発言で辞任したM会長といい、コロナ禍といい、果たしてオリンピック・パラリンピックが開催されるかどうか?

そんな中でムードを高めようと、オリパラ装飾電車が走り出しています。 これも「中止」なんてことになったら、早々にラッピング剥がされてしまうのでしょう。 撮るなら早めにですね。

 

 

2021年2月16日 (火)

2月16日という日

母が95歳で旅だった日です。 漸く一年が経ちました。

それはそれとして、2月16日に撮影した画像を探してみました。 先ずは13年前の2008年、経堂駅で撮っていた中から、真っ白い富士山をバックに来たのは5053先頭の新宿行き急行。 後ろは8000形でしょう。

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まだ10000形HiSEも現役の時代でした。 すれ違った上りのロマンスカーが50000形VSE、その後ろ姿もありました。

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4年前の2017年には“都電”も撮っていました。 京王多摩センター駅に到着する10-000系を。

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2月16日撮影の鉄道関連画像の中から取り上げてみましたが、いずれも今は母同様に亡きものとなってしまいました。

 

2021年2月15日 (月)

マンハイムの路面電車

カールスルーエの路面電車を見た1979年7月17日、再びICに乗ってマンハイム(Mannheim)に急ぎました。

マンハイム中央駅(Mannheim Hbf)に到着、 駅舎中央の時計は16時を示していました。  午前中にハイデルベルクで見たのと同じ「OEG」オーベルライン鉄道 (Oberrheinischen Eisenbahn-Gesellschaft)の電車が大通り方向に向かって発車しました。

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この駅と直角に交わる広々とした道路を「OEG」 が加速して行きました。

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16時2分過ぎでしょうか、今度は3車体連接のデュヴァグ(Duewag)カーが。

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続いて同じデュヴァグ (Duewag)の2車体連接が、渡り線を渡って手前の線路に。

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次の電車は前照灯が1灯のバージョン、初めからその線路です。

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今度は赤い帯のが。 ここまででおよそ10分間です。

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いや、もう、次々に発着しています。 今度は「OEG」が。

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振り向けば3列車が続々とですが、「OEG」でない方はマンハイム交通とでも言うのか知りませんが、帯の色が赤、黒と存在していたようです。

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ちょっと歩いて見ました。 「OEG」は両運転台で、進行方向のパンタを上げますが、マンハイム交通(勝手にそうしましたが)は終端ループなので一方方向にしか進みません。 右側の車両はその後部です。

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書き忘れましたがここも軌間は1,000㎜、メーターゲージでした。

ただ路面電車を見る目的で訪問したマンハイム、1時間もあれば充分の収穫と言うことで、朝はフランクフルト、昼前にハイデルベルク、昼過ぎにカールスルーエ、そして夕刻にこのマンハイムと、一日で4都市の路面電車を見て回ることができた次第。 

この後ICで宿泊地だったフランクフルトまで戻ったという、慌ただしくも充実した一日でした。

 

 

2021年2月14日 (日)

想い出の光景:22

今回も代々木上原の想い出、1974(昭和49)年です。

フィルムを節約して撮っていたこともあり、最悪の色になってしまっていますが、ここは代々木上原駅東の山側から。 地下鉄9号線乗り入れ工事たけなわの時に降雪。 仮柵の向こうですれ違う上下列車は2600形NHE車(左)と4000形です。

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その場所を、上りホームから見ていました。 新宿行き各停は4063が最後尾、まだ日中は3両編成が走っていたのです。

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上りホームから東北沢方向を見れば、山側には鉄筋コンクリート製連続ラーメン形式の高架橋が建ち始めています。

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この後、みるみるうちに長閑だった光景が変わって行きました。

 

 

 

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