2025年7月11日 (金)

この日の調達品

6月下旬の平日午後、熱い最中に歩きましたね。

午前中の新宿での用を終え、まず向かった先は有楽町(丸ノ内線で銀座)。カツミ模型店に向かうが“見るだけ”。晴海通りを歩いて銀座天賞堂へ。ここも結局“見るだけ”。

銀座から銀座線で末広町へ。秋葉原方向に向かって秋月電子と千石電商でチップLEDとDIPスイッチを調達。

新お茶の水から千代田線、代々木上原経由で、夕刻の後輩との待ち合わせ場所の新宿へ。小田急・東京メトロパスを購入しているので乗り回せます。

20250627_0042_16

IMON新宿店でカプラーとビスの調達と、時間と乗車券の有効活用でした。

 

2025年7月 9日 (水)

どうしましょう!

ちょっとした出来心とでも言うのでしょうか、軽い気持ちでオークションに手を出したら・・・、

20250704_0118_16

こんなのが手元に届いてしまいました、0番真鍮車体のED14です。無塗装の台車ですが、軸箱等が奇麗なものです。

20250704_0120_16

PS14らしきパンタは、ほぼちゃんした姿で取り付けられています。

20250704_0121_16

ただ肝心な足回りがなかなか面倒。交流3線式らしいコレクターが付いているのですが、モーターは直流と言うことで、このままだと初めて出会った直流3線式と言うことになります。

20250704_0119_16

つい最近、オトモダチが交流3線式のEB14を入手したと知ったのがきっかけで、本当に出来心です。さ~て、どう料理しましょうかね。

 

2025年7月 7日 (月)

川越鉄道開業130周年 武蔵野鉄道開業110周年

7月4日、所沢駅に降り立ちました。

20250704_0109_16

東口を出て・・・

20250704_0059_16

向かったのは西武不動産が運営する“くすのきホール”。

20250704_0058_16

Webでこんなことがあると知って、“EMot”オンラインチケットの事前購入(500円)。

20250704_0060_16

OER3001氏が購入したのは初日500人の組。

20250704_0115_16

1階の特設受付で硬券入場券が渡されました。

20250704_0114_16

なんと、0008。

20250704_0113_16

エレベーターに誘導されて8階に上がると、目の前に展開される実物1/2サイズのモックアップが目に入りますが、OER3001氏の目的はこれらを観察することでした。

20250704_0061_16

モックアップの製作手順が紹介されています。どれもほぼ1年かけての製作だったようです。

20250704_0105_16

E851からずらりと並ぶモックアップは壮大です。

20250704_0062_16

OER3001氏の好み旧351系はじめ、全12両が並びます。

20250704_0081_16

各車ともガラスは入れられておらず。運転室内部もかなり凝っての再現。

20250704_0068_16

模型運転用のコントローラーにするには、このくらいのサイズが良さそうです。

20250704_0079_16

今話題の東村山駅付近の高架化工事、完成後の姿がジオラマで展示されていました。

20250704_0106_16

間もなく登場する山口線の新車両模型は、「Don't touch」と表示されていますがガラス等の覆いが無いので近づいて観察できます。

20250704_0108_16

残念なのは折角展示されていた川越鉄道、武蔵野鉄道以来の車両竣工図や写真などが撮影禁止だったこと。興味深いものが多くあったのに(涙)。

20250704_0116_16

設置されていたスタンプを押して、約1時間で会場を後にしました。

 

 

2025年7月 5日 (土)

四国の電車模型(試運転)

遂に、広いレイアウトでの試運転となりました。

3D設計者のIM氏も伊予鉄を完成させ、この日は2編成の共演となりました。OER3001氏の作は高架線上の3309編成、IM氏のは3310編成と、車番はダブらないように調整しています。

20250703_0015_16

左がクハ3509の編成、右がIM氏の3510編成。

20250703_0017_16

実物の伊予鉄路線に斯様な鉄橋はありませんが、絵になりますね。右がOER3001氏作品。

20250703_0046_16

アップでも撮っておきました。

20250703_0051_16

最後に2編成並べて。車体はIM氏設計・製作ですが、IYOTETSUロゴマークはOER3001氏の作。完成した2編成には微妙な違いがあって面白いものです。

20250703_0062_16

そうだ、IM氏に方向幕差し上げなければ。

で、試運転の結果は、やはり3Dによる台車の集電性に課題が残るなど、微妙な修正が必要となりました。

 

2025年7月 3日 (木)

四国の電車模型(つづき)

ライトユニットを調整し、点灯状態を確認しました。

20250701_0003_16

いや~、なかなか良い感じではありませんか。前照灯は実車同様白色LEDになりました。

20250701_0001_16

尾灯点灯状態は、後部を少しばかり暗くして撮影。

Tc車は台車とのガタがあったため、車輪をカツミ・エンドウ規格から日光モデルに交換し、各車とも微妙な高さ調整をしてなんとか竣功。いよいよ本線試運転に出場です。

2025年7月 1日 (火)

四国の電車模型

いろいろと調整・修正など必要と思われる点が少なくなく、まだ“竣功”とはならないのですが、外観的にはとりあえずここまで来ました。こちらは横河原方のクハ3500。

20250626_0001_16

高浜方はクハ3300。昨年訪問時に乗車した第9編成として、正面の車号はインレタを一文字づつ。方向幕文字は実車の写真から。

20250626_0002_16

自作した“IYOTETSU”ロゴのデカール、正面も側面のコルゲート上も、何とかうまく行きました。

20250626_0003_16

苦労したライトユニットの点灯状態の確認も含めて、近日の試運転が楽しみです。

 

 

 

2025年6月29日 (日)

パブリックアート

これまで何度も訪れていた都心で、恥ずかしながら初めてじっくり観察した彫刻像。これ何処だか直ぐお分かりになる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか?

20250627_0007_16

少女がしゃがむ彫刻の題は「はぐれっ子」。いつからこの場所に設置されていたのでしょう?

彫刻の後方には「はぐれ櫻」と名付けられたサクラの木。

20250627_0008_16

ここは数寄屋橋交番の前なのです。交番前に「はぐれっ子」って、ぴったりのパブリックアートではありませんか。

常時多くの通行人が行き交う場所だけに、彫刻をゆっくり鑑賞するには少々不自由な環境ですが、そんなことにお構いなく鑑賞してきた次第。東京造形大学教授を務めた岩野勇三(1931~1987年)という方の作品だそうです。

どうしてここに行ったかって? 有楽町のカツミ模型店に行き、その足で銀座・天賞堂に向かう途中のことでした(笑)。

 

2025年6月27日 (金)

母校の同窓会

OER3001氏も母校の同窓会では既に長老入りかも知れませんが、現校長先生からもお声がけ頂き、今年も鉄道研究部OB会有志メンバーと共に鉄道模型を走らせてきました。

高校生の頃を思い出すフリーの電機、当時は「電関(デンカン)」と言っていたかな。カツミが入門者向けに売っていたED100という代物を、台形の前照灯ケーシングを自作してEF61風に仕上げた「ED61」には、ナハ10系軽量客車を電機に合わせてショーティーにしたホハ10系フリー客車を牽かせます。

20250621_0019_16

本命のテーマはOER3001氏が高校生時代の「渋谷」。

20250622_0020_16

地下鉄(営団銀座線)と(京王)井の頭線に挟まれた駅から上り勾配を上がり国道246号に進む玉電(東急玉川線)は「連結2人乗り」とされた80形と150形などが大活躍でした。時には80形と150形の2連もありました。「全線20円均一」との表示を掲げていたのも懐かしいです。

20250622_0032_16

一方、井の頭線にはステンレス車3000系の増備が進みますが、それに押し出されるように、緑色の在来車は両数を減らしていました。左は帝都線(前身の帝都電鉄)開業時から活躍する1400形を先頭にした4両編成。

20250620_0014_16

ステンレス3000系と共に、エンドレスを周回させました。

20250622_0014_16

一般教室の一室が当てが割れた同窓会の部屋、H301号室(1年1組)の机42卓に別教室からの24卓を加えてレイアウトした中では、長編成は無理なのでこうした次第。

若いメンバーはどうしてもNゲージ。しかもコレクターが多く、16番の自作モデラーとは一味違うのですが、同窓生で設営日からの3日間、毎晩楽しいお祭り(前夜祭、中夜祭、後夜祭)となりました。

2025年6月25日 (水)

華やかな電車

外出先から戻って来た昼下がり、この駅近くの女子中・高生たちの下校時刻でした。セーラー服の集団でいっぱいのプラットホームに、8000形の急行・新宿行が入線して来たので思わず一コマ。

20250619_0001n_16

華やか、賑やかな車内はまるで貸切電車です。暑い季節なので日が当たらない側に座ります。

20250619_0009_16

無事に帰って欲しいな、この娘たち。

 

2025年6月23日 (月)

ブリルMCB台車

先般、お友達が「不燃ごみに出す」と言っていたOゲージのパーツを譲って頂きました。当然「ちょっと待った」と、不燃ごみ予定にされていた一式を引き取らせて頂きました。故WDさんから、随分前に「あげるよ」と渡されたものだったそうです。

要る、要らないと、指先を汚しながら選別。その中にダイキャスト性のブリルMCB台車がありました。

20260606_0002_16

アメリカ製のパーツらしいです。台車枠と枕梁はボスに嵌める構造。ディテールは良いけどなんとも大らかな構造。

20260606_0003_16

ちゃんと1両分ありました。

20260606_0001_16

が・・・、当分これを使うような題材の製作意欲も無いということで、アメリカンなんかお好きなお友達に差し上げることと致しました。これを活かしてどんな車両が誕生するのか、楽しみです。

 

2025年6月21日 (土)

目標達成!

小田急線、鶴川~玉川学園前間に通うこと3回目にしてとりあえず「目標達成」とさせて頂きます。

熱中症警戒アラートが発令されたこの日、現地に着いてみればなんと、人身事故で一部区間運転居合わせとの悲報(涙)。小田急アプリを頼りに少しだけ粘ろうと思った矢先に来ました。

20250617_1008_14

西武で活躍を始めた同僚と、同じアングルの姿を撮ろうと言うのが目標でしたが、地形条件も異なりなかなか大変。とりあえずこれで良しとします。

20250601_1049_14

西武8003は新宿方の元8261と、厳密に言えば6両編成の向きが違いますが、今小田急では8000形6両単独での運用は殆ど撮れない状況なのでやむを得ません。

この企てはとりあえずこれで完結とさせて頂きます。

 

2025年6月19日 (木)

小田急撮影に-回想編

鶴川~玉川学園前間での撮影記を2回続けましたが、この場所も時代と共に随分開発され変貌しました。

6月15日の記事でモハメイドペーパーさまから「昔、2220形でここを下り(上り列車)、鶴川のカーブの手前で減速する時の電制音に痺れていました。」とコメント頂きましたが、その当時の光景がこれです。

この画像は新塗装への移行が進む時代、新塗装2220形+旧塗装2220形に新塗装2400形を連結した下り急行が勾配を上って来る光景。

19700405_0102_n14

まだ田畑が広がっていた中、中央右側では造成が始まっていました。NSE背後の丘には数件の住宅が見える程度でした。

19700405_0012n_14

それが、約20年経つと丘は完全に住宅地となり、先の造成地は納豆生産工場になりました。

19910721_171603__14

この日は営団千代田線から江ノ島行の臨時列車「METORO & ENOSHIMA」の撮影が目的でした。

19910721_171604__14

この場所も今は和光大学のテニスコートとなって立ち入り不能。「METORO & ENOSHIMA」の後部右側が納豆製造工場、そして左側が住宅地となり、前回掲載した画像の撮影地です。

冒頭の画像から55年、改めて小田急沿線の都市化、人口増大に驚かざるを得ませんね。

 

2025年6月17日 (火)

小田急撮影に-2

またいつか、と前回記したものの・・・、空模様もまずまずだったので、翌日も出掛けてしまいました。前回最後の画像、テッポウユリは夜間の降雨で少し元気になっていましたので、これと絡めて5000形を撮っておます。

20250613_1001_14

この日は前日より300メートル程鶴川方向に移動、線路との高低差がある場所をチェックしてみます。

20250613_1010_n14

雲間からの陽射しによって、MSE(上)の時は完全に陰っていましたが、EXEの時には後方から奇麗な陽射し。

20250613_1034_14

柔らかい陽射しを浴びたEXE-αは結構奇麗じゃありませんか。6連と言うのもGoodでした。

20250613_1028_14

5000形に始まり5000形で終えたこの日の撮影。この5000形は5063×10、検測装置を装備した編成、営業列車としては初めての撮影となりました。

20250613_1026_14

2回通って要領が掴めたのでまた近日、目的達成のために出掛けることにしましょう。

 

2025年6月15日 (日)

小田急撮影に

梅雨の合間を狙って、ここのところ急に気になっていた場所に出掛けてみました。晴天時だと撮りづらいアングル、緑が濃い梅雨時はかえって良いかもしれません。

最初は「ココ(鶴川4号踏切)」と言う記録写真。

20250612_1004_14

この踏切を渡ってみれば、斯様な光景を収めることができる場所。

20250612_0006_16

しかし本題は、このアングルの事前調査でした。ワイドドアの3000形1次車が飛ばして来ました。

20250612_1007_14

1次車ということは、後部に4連の8000形を連結した運用。

20250612_1010_14

昔は当たり前だった異形式併結も、今は希少価値になりつつありますから大事な記録。

20250612_1011_14

1000形と見間違える2000形、多くは新宿~本厚木間の各停運用に使われていますので、この場所では頻繁に撮れます。

20250612_1020_14

また、6連3000形の快速急行。と言うことは後部4連が気になります。

20250612_1026_14

後部は1000形でした。“顔”の違う車両の併結って、大好きだな~。

20250612_1027_14

最後にちょっと遊んでこの一コマ。

20250612_1055_14

これでこの日のチェックは終わり。“本命”には出会うことができなかったのでまたいつか。

 

2025年6月13日 (金)

シニアの運転会 2025.6

2025年6月の運転会は、遂にOER3001氏にとって“強敵”の登場となりました。Captain・O氏が奇麗に完成させた小田急5200形が、前照灯、通過表示灯、方向幕灯、種別幕灯を点灯させて調子良く走ります。

20250605_0032_16

折角なので、OER3001氏が完成させた井の頭線3000系と、下北沢での光景を思い浮かべます。

20250605_0036_16

Captain・O氏と共に暫し撮影会となりました。

20250605_0055_16

それが終わったら何と、Captain・O氏はペーパー自作のSSEを出すではありませんか。もうOER3001氏の独壇場ではなくなりました。

20250605_0060_16

大いなる刺激を受けた以上、そろそろ本流の小田急車製作に戻らねばなりませんね。

 

2025年6月11日 (水)

灯具配線-3

前照灯&尾灯ユニットの制作、組み込みです。

先ず、そのユニットを製作しますが、これが小さくて小さくて大変。集中力が続きませんので何度も「フ~ッ!」と。上が前照灯、下が尾灯ユニット。共に1608サイズのLEDで、前照灯、尾灯それぞれ2個直列にして定電流ダイオード(チップ)を繋ぎます。

20250604_0003_16

それらを運転台ユニットに組み込みました。LEDユニットは手製基板(黒厚紙に銅箔テープ貼り)ですが、運転台ユニット側とはウレタン線で接続です。天井裏の四角いのは方向幕灯用のブリッジダイオード。

20250604_0015_16

 

通電試験です。運転室仕切り上部の接点から給電します。 点いた! 前照灯と方向幕灯。

20250604_0017_16

手元スイッチ転換! 点いた、尾灯と方向幕灯。

20250604_0018_16

さてと、これを車体にセットしてちゃんと前照灯と尾灯の光軸が合致するかどうか、微妙な調整を図らなければなりません。

 

2025年6月 9日 (月)

灯具配線-2

方向幕灯ユニットを組み込んでみました。

20250604_0001_16

天井に見える4本の突起は、ブリッジダイオードの脚。

20250604_0002_16

方向幕ユニットまでの導電は、乗務員扉の柱部分に貼った銅箔テープで天井から下ろしています。

は~っ、ここで一息。上部の前照灯&尾灯ユニットを接続しなければなりません。

2025年6月 7日 (土)

灯具配線

いろいろと考えた挙句、灯具類の配線は運転台ユニットの中で処理することにしました。

天井部分と乗務員室扉脇の柱に銅箔テープを貼ります。

20250603_0001_16

乗務員室扉脇柱の銅箔テープは、床下まで回しています。

20250603_0002_16

さてさてこれから灯具の結線。電線が絡まないように奇麗に結線するのが腕の見せ所。果たしてどう仕上がることか?

 

2025年6月 5日 (木)

灯類ユニット

こんなこと試みています。

左右が尾灯ユニット、中央上が前照灯ユニット、中央下が方向幕灯ユニット。これらを運転台ユニットに組み込む魂胆です。

20250530_0002_16

何れも黒厚紙をベースに銅箔テープを貼り、基盤とします。それにCRDチップと1608チップLEDをハンダ付け。方向幕灯のLEDは他にあまり使えそうもない3014サイズ。これには別に、ブリッジダイオードを接続します。

さて問題は、これらをどう結線するか、車内にウレタン線などが見えないように工夫しなければなりません。

 

2025年6月 3日 (火)

8000は永遠です

1974年10月14日、長嶋茂雄選手の引退セレモニーでの有名な発言「我が巨人軍は永久に不滅です」を思い出します。

小田急から西武に転じた「8000は永久に不滅です」。

運行開始2日目となる6月1日、曇り空でも雨の予報は無いので、気合を入れて出掛けてみました。午前中だったので国分寺から、若い時に何度か仕事で訪れていた日立中央研究所の西側を歩いてみます。

20250601_0015_15

新緑も良いし、ちょうど曇天だったこともあって、強烈な逆光からは免れそうです。

20250601_0016_15

草が生い茂って、電車の足回りが隠れることは無いとしても、このグリーンの覆いはイマイチですな。

20250601_0017_15

とりあえず、この付近で撮ることにしました。先頭部が葉っぱがかかってしまいました。

20250601_1003_14

グリーンシートで覆われた築堤上を行く姿も押さえておきました。

20250601_1005_14

場所を少し変えれば、グリーンシートはカットできますが、通行人を入れないように空を多めにしました。

20250601_1018_14

国分寺線の線路を潜ってから恋ヶ窪方向に歩くと、羽根沢信号所の複線区間で撮れます。ここには数人の同業者が居ました。

20250601_1024_14

丁度順光で、奇麗に編成を収めることができました。

20250601_1048_14

暫く、やがて置き換わる黄色い電車も撮りながら沿線でウォーキング。この駅から8000系に乗ることにしました。

20250601_0019_15

国分寺方先頭車8003の車内、リニューアル時の「小田急車両2006」と共に、今回の移籍に伴って小田急エンジニアリングが改造した証が表示されて居り、居合わせた一般乗客も話題にしているほどでした。

20250601_0020_15

車端部の座席は小田急時代の4人掛けから、ゆったりした3人掛けに改造されたと聞いていましたが、座って見ると固い!

20250601_0021_15

側扉の鴨居には「SERIES 8000」と掲げられ、西武もこの車両に相当力を入れていますね。

20250601_0023_15

先頭部になった運転台は大勢の“かぶりつき”に占領されてとても見ることができなかったので、折り返し最後部になってからの確認でしたが、ほぼ小田急時代のママの姿でした。

20250601_0025_15

国分寺駅ではカメラ構えた輩が大勢。一般人にも「西武の新しい電車」として注目を浴びているようでした。8000系は7編成計42両が導入されるようですが、永く活躍してくれることを願います。

 

«三枝分岐の有効利用

フォト
2025年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

他社線ご案内

無料ブログはココログ