2024年6月13日 (木)

四谷見附橋

その名の通り、これは四谷見附橋です。

しかしこの場所は四ツ谷ではなく八王子市内。京王堀之内-南大沢間の線路から数百メートル南側の長池公園に移設され、長池見附橋となっていますが、橋の中央の銘板には「よつやみつけばし」とあります。

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この画像を撮影した時は、清掃のためか一時的に池の水が無かったのが少々残念。

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実は今放送中のNHK“朝ドラ”「虎に翼」の撮影舞台でもあります。寅子(伊藤沙莉)が歩くシーンを見て「ここだ!」とすぐわかりました。

ドラマでは背後の景色は全て差し替えられていて、大正から昭和の趣にしているのが素晴らしいです。

 

2024年6月11日 (火)

企画展示「鉄道が街にやって来た~多摩ニュータウン鉄道開通50周年~」

『京王相模原線、小田急多摩線、 多摩モノレール「多摩センター駅」より徒歩5分』と称していますが正直なところそれぞれの改札口から5分はかからないでしょう。特に京王相模原線、小田急多摩線の改札口出て南を見れば、正面に構えているのが多摩市立複合文化施設「パルテノン多摩」です。

そこで11月2日まで開催されている企画展です。


ミュージアム企画展「鉄道が街にやって来た~多摩ニュータウン鉄道開通50周年~」 - パルテノン多摩公式サイト (parthenon.or.jp)

小田急ファンで京王にも親しみを持っているOER3001氏が、実は途中からこれにご協力させて頂くことになりました。詳細は追ってご案内させて頂くことになりますが、ニュータウン開発と鉄道の関係、興味深い内容ですので是非一度ご覧頂いては如何でしょう。

 

2024年6月 9日 (日)

京王井の頭線まつり

多摩川畔の模型店2階レイアウトで開催の“シニアの運転会”、今回は“井の頭線まつり”となってしまいました。

京王井の頭線は1933(昭和8)年に渋谷-井の頭公園を開業、翌1934(昭和9)年に井の頭公園-吉祥寺を延長開業、現在の路線となって90年を祝おうということで。

OER3001氏はまず、開業時に用意されたモハ100形、モハ200形転じたデハ1400形を先頭にしたペーパー自作の4連。

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デハ1400形は吉祥寺方ですが、渋谷方の先頭はデハ1700形。中間にはデハ1700形とサハ1300形を連結しています。

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同線唯一の荷電、デニ100形も参加です。

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井の頭線にはありえなかった光景ですが、トラス橋を行く4両編成の下を、単行デニが行きます。

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模型では2両のデハ1700形がパワトラ装備の動力車、勾配路線も難なく快走でした。

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走行が終わった2編成は、共に引き上げ線に収容です。

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代わって登場したのはIMI氏が3Dプリントで自作された3000系。第1編成(ブルーグリーン)の登場時4両編成と第2編成(アイボリー)の冷房化後の5両編成が周回し始めました。

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3000系は拡幅車体両開き扉になってから、試作冷房車として登場した第14編成(ライトブルー)も加わって全3編成が参加です。

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いや~それは壮観。全車並べて写真撮影です。

その後に持たれた反省会(?)で、3000系どうせならあと4色作ろうよ、という話になり、IMA氏が3D出力で車体用意。それにOER3001氏他にKT氏、OT氏、そしてなんとIY氏まで加わって、4色を揃えるという計画が決定(?)してしまいましたが果たしてどうなることか。

7色揃ったら総観でしょうね。さらに地方私鉄譲渡車(上毛、岳南、松本、北陸、伊予)も加わったりして(笑)。

 

 

2024年6月 7日 (金)

小田急多摩線開業50周年(3)

1974(昭和49)年6月1日の開業日こそ、当時最新鋭の9000形6両編成や4000形3両編成が走りましたが・・・。

それは一種の開業イベントだったようで、翌週にはABF車の4連が充当されていました。

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この日の編成は1909-1959-1960-1910他。

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それに2100形2103-2153+2104-2154編成も加わっていました。

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その後は乗客数の実態に合わせてABFの2両編成が充当されるようになってしまいました。

 

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小田急多摩センターまでの延長開業は1975(昭和50)年4月23日のこと。水曜日だったこともあり、残念ながら会社勤めの若い身。休暇も取れなかったのでその日は見に行くことができませんでした。

後日に撮った新百合ヶ丘ホームでの1910形、撮影日は不明ですが、乗客の服装から夏前だったと思われます。

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ABFの2両編成では1900形(1910形)での運行に良く出合いました。

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出掛ける都度に、新百合ヶ丘や多摩センターで撮っていました。多摩センターではお隣の京王相模原線では5000系の6両編成が発着しているのに、小田急はたった2両ですよ。

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こちらは永山を出た後狙い。この時代、前照灯ケーシングのカラーは黄/紺時代の紺でした。

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多摩センターから折り返してきたのを撮りましたが、2両編成では後が写りません(涙)。

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乗客もまばらだったので、乗ってしまえば車内では好き放題。側窓全開にして向こうから来るのも撮りましたが、小田急多摩センター駅を発車して間もなくのこの場所、今では右の丘は住宅地、さらに前方には歩道橋が掛けられて。

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2年ほどABF車2両編成の活躍が続きましたが、いよいよそのABF車も引退と言う時、ヘッドマークを掲げた4両編成の惜別列車が運行されました。この頃の前照灯ケーシングのカラーはアイボリーでした。

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小田急多摩センター駅の先、現在では唐木田までの本線となっている下り線に止めて、撮影会も開催されました。この時のヘッドマークは小田急が用意したもの(右)とOER3001氏が製作したもの(中央)の2種が掲げられています。

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鉄道友の会として企画した惜別記念列車、OER3001氏は乗車していたので外観は撮ることができませんでしたが、お仲間がしっかり沿線で記録してくれていました。

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五月台-栗平間の場所、今は住宅地となっていて、この時の面影は背後の送電鉄塔だけが頼りです。

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まさに多摩ニュータウンへのの足として建設された鉄道の、開業当時の苦しい姿。その後の変化を経て今日に至っています。

 

 

2024年6月 5日 (水)

西武に行った小田急8000形

モハメイドペーパーさまのレポートに刺激され、早速26日に行ってみました。師匠の教え通りにまずはロケハンかたがた狭山ヶ丘へ向かい、車椅子スペースから連写モードで撮ります。

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狭山ヶ丘からの戻りは丁度40000系が来たので、10号車パーソナルゾーンの大きな側窓から撮ります。

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これで状況が判りましたので、小手指で下車。車両基地終端まで歩くのを諦めたモハメイドペーパーさまと違って、車両基地に向かってみることにしました。山側の道路を行くと、フェンスの間にコンデジのレンズを入れて斯様なのが収められました。

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車両基地終端までは1.2キロくらいかと。2、3人が眺めていましたが、ここでもコンデジはフェンスの隙間にレンズを入れられるので便利です。肉眼では良く判りませんでしたが、東急の車両も後方に居たのですね。

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踏切を渡って海側の道路を小手指駅に戻りながら、8000形横を行く本線の40000系とツーショット。

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新宿方8251の姿も、池袋行き準急の6000系と共に撮っておきます。

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西武の池袋方が、小田急車の新宿方となったことに気付きました。と言うことは・・・、

国分寺でJR中央線と並ぶことになった時、小田急新宿駅に於けるJR中央線との向きは変わらないと言うことですね。どんな西武仕様に改造されるのか、楽しみです。

 

 

2024年6月 3日 (月)

小田急多摩線開業50周年(2)

開業日の下り一番列車に使われた9404×6でしたが、この日はその後多摩線を走ることは無く・・・、若しかしたら6両編成の列車が多摩線に充当されたのは開業一番列車の特別運用だったようです。小田急永山駅折り返し時に「箱根湯本 江ノ島」や「新宿」の方向幕を掲示していたのが滑稽です。

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小田急永山駅を出て沿線を歩いてみることにして、永山隧道の向こう(黒川方)に行ってみれば、建設工事中の京王相模原線軌道部への立ち入りが出来たではありませんか。永山隧道を抜けて来た上り4000形4022×3を撮っておきました。

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新百合ヶ丘から来た1700形4連が諏訪隧道を抜けて来ましたが、その上部に「電車見橋」はまだありませんでした。

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諏訪隧道方まで足を進めて、小田急永山で折り返した1700形1703×4を撮った京王相模原線との間が、1991年の台風21号による土砂崩壊に乗り上げた2600形が現地解体された場所になるとは。

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丁度画面左が現はるひ野駅。京王相模原線が未開業だったからこそ撮れたアングルです。

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同じく左方が現はるひ野駅。1703×4が通過中の道路予定だった隧道は、その後の計画変更で盛土になりました。もったいない土木工事をしたものです。

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沿線撮り歩きしつつ黒川へ。黒川隧道を抜けて来た1703×4が、黒川駅停車の制動を掛けています。当時は6両対応だったホームは現在、架線柱1本分延伸。背後の隧道右手はその後、西光寺の墓地となりました。

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50年前の黒川-小田急永山の光景、当たり前ですが大きく変化したものだと驚きます。

 

 

 

2024年6月 1日 (土)

小田急多摩線開業50周年(1)

1974(昭和49)年6月1日、小田急多摩線が開業しました。

小田急多摩センターまで計画の内、この日開業したのは小田急永山まで。新百合ヶ丘からの下り一番列車に充当されたのは当時の最新型車両であった9000形、9404×6でした。

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新百合ヶ丘駅も今とは大きく違って閑散としていた中、上下ホームの上屋には数か所、開通祝賀の看板が掲示されていました。

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早速下り一番列車で小田急永山に向かうと、到着した1番ホームには、早朝にもかかわらず見物客と思われる人々が集まっていました。ホーム上屋から下がる表示は「新百合ヶ丘・向ヶ丘遊園・新宿 小田原・箱根湯本・片瀬江ノ島方面」と、小田急線全ての行先。

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2番ホームには発着案内など無く、ホームの先(小田急多摩センター方)で線路には車止めが設けられています。

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多摩線に3か所ある隧道の内、西端の永山隧道を抜けて来た下り列車が1番ホームに到着します。一応2番ホームにも出発信号機が設置されていますが、線路配線の状況から2番線への入線は1番線へ到着後、一旦上り線に出てから折り返して2番線に入線しなければなりません。

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この写真でお判りいただけるかと。1番ホームには1704×4が到着しています。右方は工事が進む京王永山駅で、京王相模原線の開業は4か月後の10月18日、京王多摩センターまでした。

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1番ホームで折り返した4022×3が、渡り線を通り新百合ヶ丘へ向かいます。小田急永山までの暫定開業だったこともあってか、車両の方向幕には「小田急永山」の用意も無く、「新百合ヶ丘ー永山」の運板が掲げられていました。

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新宿方4022には、前日の開業記念式典で使用されたヘッドマークが掲げられていました。

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50周年を迎えた小田急多摩線。何度かに分けて、その歴史に触れたく思っています。

 

 

2024年5月30日 (木)

グランシップトレインフェスタ2024(4)

前日に設営と試運転を完了し“前夜祭”を楽しんだ翌朝、何故か早く目が覚めホテルの窓から上り1番電車を見送ります。

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早めにホテルを出てちょっと寄り道します。JRを静岡で下車、朝の街を新静岡駅まで歩きます。

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丁度入線して来たのはプリティピンクのA3007編成。これに乗って長沼へ向かうことにします。

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新清水方はTc車のA3507。総合車両製作所で2020年に造られた編成なのですが・・・

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2017年の鉄道友の会「ローレル賞」受賞プレートが掲げられているのです。最初のA3001編成だけでなく、その後の増備車にもプレートが取り付けられていたのですね。

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運転台背後の仕切りは左右非対称。

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ユニークな形状の吊手は、7色のレインボーカラーとなっています。

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車内観察をしているうちに、この席に運転士さんがやって来ました。

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富士山を正面に仰いで進みます。

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下車駅の長沼では、この日に開催される「しずてつトレインフェスタin長沼車庫」の準備が進められていました。

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こちらのイベントにも興味があるのですが、後ろ髪引かれながらグランシップに向かって歩きました。

 

 

2024年5月28日 (火)

860,000アクセス到達

ほぼ1か月で10,000アクセスを上積みというペースで一昨日5月26日の夜に、総アクセス数が860,000に達しましたのでやはり「86」を。

ずばり東急デハ80形の86、最初は1973年の姿を。渋谷-二子玉川園の玉川線と砧線廃止の後に残った世田谷線、前部幕板部にあったマーカーライト(方向指示灯)が撤去され、グリーン1色塗装になってなっていたものの、オデコ前照灯でそれまでのイメージを保って活躍していました。

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その後車体更新工事や小改造を重ね、前照灯の腰部移設・シールドビーム2灯化や、台車、駆動装置なども交換されていまいた。

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2000年の撮影時には低床式の300形導入が開始されていたので、300形に交じって活躍を続ける80形に、特別な思いを込めてレンズを向けた思い出があります。

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最後に「86」ならやっぱり湘南電車の先頭に立つクハ86を。しかしいざ探してみるとなかなか良いのが見つからない(涙)。これは出張の帰りに名古屋駅で捉えていた1コマ。

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という訳で860,000アクセス到達記念。これからもマイペースで続けますのでよろしくお願いいたします。

 

 

2024年5月26日 (日)

グランシップトレインフェスタ2024(3)

静岡県でのイベントですから、地元で馴染みある車両は不可欠です。中でもA3000形が揃う静岡鉄道は人気者。OER3001氏がペーパー自作したフレッシュグリーンは、来場者からのリクエストも頂いて活躍しました。

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今回はメンバーのKNさんが設けたR→YY→Y→YG→Gと現示する信号機は楽しいものでした。

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実車では残り1編成となった1000形も、模型では引退しません。

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駿府の静岡鉄道に対し、遠州は遠州鉄道。赤い2000形を見て「えんてつだぁ!」と喜ぶこどもに出合うと、製作者として嬉しくなります。

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遠鉄には田園風景がお似合いのようです。

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今回、静岡県内の私鉄としては以上の3編成。伊豆箱根や伊豆急は、残念ながら荷物に収まりませんでした。

 

 

2024年5月24日 (金)

グランシップトレインフェスタ2024(2)

OER3001氏が小学校に入学して、最初に手にした鉄道模型は交流3線式のOゲージ。そしてOゲージでペーパー自作したのが小学校4年生の時でしたが、5年生になってHOゲージのペーパー自作に挑戦したのでした。

線路(28吋エンドレスと直線4本)とパワーパック、それに動力車1両(モハ152)を買ってもらったのが神田は交通博物館近くの老舗模型店カワイモデルでした。優しいお姉さん(阿南ふみこさん)が親切に対応してくれたことが忘れられません。

そのカワイモデル今年3月に廃業してしまったので、懐かしい車両を走らせることとしました。先ずは真鍮未塗装車体を購入し、ペーパー自作のサハ78400を追加した73系4連は御殿場線電化当時の編成。

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OER3001氏の小学生時代は、“湘南電車”が人気。大学の後輩から得た傷んだ中間車を再生、真鍮未塗装車体のクハ86を加えて5連に仕立てています。

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ちょうどこの80系塗装を模したお仲間の185系と共演です。

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新性能電車が続々と登場した時代、“こだま型電車”151系は高根の花でした。それがつい最近になって、いわゆる終活をされていた方から譲って頂いた12両フル編成。窓縁の塗装が独特な美しい塗装がポイントです。

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これらL-3モーターに17:2ウォームギアとインサイドギア駆動で、調子良く周回してくれました。

ありがとうカワイモデルです。

 

2024年5月22日 (水)

グランシップトレインフェスタ2024(1)

今年も参加しました。

先ずは5月17日(金)、設営準備に向かいます。とても良い天気に恵まれ、休憩を取ったSAでは富士山背後にOER3001氏の3001を。

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40倍ズームにして撮ってからグランシップに向かいます。

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現地到着は13時半頃だったか、お仲間とせっせと設営に取り掛かり、17時には試運転も終えて準備万端となりました。

気付いてみればこの日の会場撮影記録は無し。次に撮ったのがこの富士山(?)があるとある名店。

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港が近いので新鮮な刺身はサイコーですね。

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先ずはコレでしょ、カンパ~イ。

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“前夜祭”の宴も進み、元旦に発生した能登地方の悲劇、珠洲市産の銘酒にチェンジして復興支援です。

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これで仲間との絆を確認し、明日からに備えます。

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いよいよ2日間のグランシップトレインフェスタ2024が始まります。

 

2024年5月20日 (月)

EF651133

3月の京都鉄道博物館に行った時、国鉄色で奇麗なEF65に出合うことができました。1133号機です。

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改めて見ると、何か違和感。あれれ? 助手席の側窓が!

いつごろ、何のために改造したのでしょう。

 

 

2024年5月18日 (土)

グランシップトレインフェスタ

本日18日(土)と明日19日(日)、OER3001氏らのグループはこれに協力参加いたします。


お越しになられたら、一声お掛け頂けましたら幸いです。

因みにOER3001氏は、3線式Oゲージから16番ゲージを始めた時からお世話になり3月に廃業となった、我が国最古の日本最古の鉄道模型メーカーとして長らく知られていたカワイモデルの製品を中心に、大ホールの一角で走らせます。

 

2024年5月16日 (木)

ハコにも車号を

5月14日に掲載の「0番のハコ」に寄せてくださったモハメードペーパーさまからのコメントは「側面に車号入れましょう」でした。おそらくご自分ではやらないことを、他者にけしかけるなんて!

と思いつつ、つい反応したくなってしまいましたが・・・、

インレタなど有る筈も無し。手元に備えていたPILOTのJuice up 0.4というシリーズのシルバー(LJP-20S4-S)で、どうせやるなら車号だけでなく、社紋とOERも描いてみました。

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本来は1/80車両のレタリングに使えないかと試しに買っておいたものですが、ここで役立つとは。

モハメードペーパーさまの指示は「側面に車号・・・」でしたが、勢いで運転台側の妻面右上にも車号を描いてみました。しかし細くて見づらい。全くの自己満足です。

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モハメイドペーパーさま、これで如何でしょう? チョッカイに感謝します。

 

 

2024年5月14日 (火)

0番のハコ

ハコって車体のことではありません。パッケージのことです。16番なら市販のハコや100円ショップで入手できるファイルケースなどがありますが、大きな0番ではハコも自作しなければなりません。

この道の先輩で在られるモハメイドペーパーさまは、シナベニアでコンテナ貨車8両を収納できる立派なのを作られましたが、OER3001氏にそのスキルはありません。入手しやすい材料を使い、軽くするために段ボールで作りました。段ボールとは言え、表面はちょっと小田急っぽいカラーで化粧しています。

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制作にあたっては、収納/取り出しがしやすいように工夫しました。下ハコは「箱」にせず、パタパタと折り畳めるようにしました。

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収納時はまず車両をプチプチでくるみます。

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それから妻面を起こしてクッション部を車体に当てます。

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そうしたら上ハコを被せ、反対の妻面も同様に車体に当てつつ被せます。

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正面には貫通路両側に手摺がある故、それを保護するようにクッションを妻に接着しています。

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こうして起こせば、手摺を避けてピッタリと妻面に当たります。

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一方連結面は、いちいちシリコンゴム製の貫通幌を外さずに車体に付けたまま。幌を避けた位置にクッションが当たります。

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こうして中央部を避け、車体左右にピッタリと。

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こうして収納されたハコも、縦に2個並べると何とも滑稽です。

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いよいよ今週末に迫ったグランシップトレインフェスタ2024、2線式Oゲージのクラブレイアウトに乗り入れさせて頂こうと画策しています。JORCと関係者の皆さま、何卒よろしくお願いいたします。

 

 

2024年5月12日 (日)

つばめ

複々線の小田急が多摩川を渡って最初の駅である登戸は、JR南武線との乗り換え駅でもあります。

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ここから隣の向ケ丘遊園駅までは上り線が複線、下り線が単線と言う状態ですが、複々線化に向けて山側(右)の区画整理も進みました。

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その登戸駅、改札口を監視する防犯カメラにツバメが!

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改札口のコンコースにはツバメの巣が見られます。

ツバメは、カラスやヘビ、猫などの天敵が近づきにくい人通りの多い場所に巣を作る習性がある一方、多摩川ではツバメのエサになるハエやハチなど飛翔性昆虫が多く発生するため、登戸駅はツバメの巣作りに適しているようです。

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クラウドファンディングを利用して集めた資金で製作された「ツバメのフン受け」が設けられています。この活動は2014年から続けられていたのですね。ツバメの飛来調査や観察を続けるNPO法人バードリサーチの活動です。

JR駅の構内にも同様の巣があるようですから、乗降機会には是非とも可愛い姿を楽しんでは如何でしょう。

 

 

 

2024年5月10日 (金)

京都鉄道博物館へ(トワイライトエクスプレス)

北海道と本州を結ぶ長距離豪華寝台特急列車が人気を博していた時代、カシオペア(JR東日本)、北斗星(JR東日本、JR北海道)の客車に加え、JR西日本はトワイライトエクスプレスを運行していました。直流電化区間と交流電化区間を走ることから牽引機には何れもEF81が充てられ、それぞれ専用の塗色を纏っていました。

JR西日本が運営する京都鉄道博物館には当然トワイライトエクスプレスが展示されています。

屋外の展示場には奇麗に磨き上げられたEF81 103号機が。

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OER3001氏が現役のトワイライトエクスプレスを撮ったのは、残念ながら出張帰りの京都駅でのこれだけだったようです。

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対面のホームに停車した車両に見とれていて、客車を撮らずじまいだったのも残念。

京都鉄道博物館にはスシ24とスロネフ25が保存されていました。

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お世辞にもカッコイイとは思えないテールでしたが、日本海の夕日を愛でながらの列車旅は魅力的でした。

 

 

2024年5月 8日 (水)

半世紀の変化

冒頭からクイズ。フィルムが変色してしまい見苦しいですが54年前の1970年、2600形NHEと3100形NSEが離合するこの光景は一体何処でしょう?

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その先は斯様な光景でした。カーブするプラットホームに建つ駅名標でお判りですね。

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ほぼ同じ場所での、とは言っても高架化されていますが今は斯様な感じです。

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メトロから小田急への乗り換えの合間を利用して、EXEや2000形を撮っていました。

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千代田線との相互直通運転が開始されたのは1978(昭和53)年3月31日でしたが、その前日に式典が行われました。

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この頃は未だ比較的楽に撮影できたのですが、今では保安設備も多くなり、電線や設備など“邪魔”が増えてしまいしたが、何とか小田急&メトロが捉えられないかと頑張ってみますがなかなか上手く行きません。

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仕方ないのでふと、上に目をやると・・・、これはJALのA350ですか、機体に大きく書かれているのですね。

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続いて同じくJAL、こちらはB787ですか?

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いやいや、次々にやって来るではありませんか。今度はAir DoのB767が。

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駅も変わりましたが羽田空港も様変わりしたことによって、羽田に降りる航空機が次々に上空を通るようになったようです。

 

 

2024年5月 6日 (月)

銀座線レトロ編成に乗る

「東京地下鉄株式会社では、銀座線1000系(特別仕様車)について2024年5月3日(金・祝)~6日(月・祝)に4日間限定で室内灯を暖色系に変更するとともに、予備灯を点灯させ、銀座線開業当時のレトロをさらに感じられる状態で運行します。」

この報道を知り、できれば乗りたいなと思っていたところ、模型材料調達に出掛けざるを得なくなった機会を利用して乗ってみることにしました。この駅で到着を待ちます。

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14:54、若干遅れ気味での到着で、流石に大型連休中。車内にはスーツケースを引く外国人含めて多くの乗客。

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乗客にカメラを向けるわけにもいかず、とりあえずリコ式をイメージした吊手(皮ではないけれどつり革?)を。

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例の予備灯が点灯されています。室内灯も色温度を下げて暖色系に、昭和30年代の雰囲気を醸し出しています。

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この灯具には確か「KOITO」とブランドが入っていたように記憶していますが、復刻品はどうなのでしょう?

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何とか乗客の居ないところで撮りたいと思って渋谷まで乗りましたが、混雑で2分遅れ。慌ただしい折り返し時間で全員の降車が完了しないうちに、列に並んでいた乗客が乗り込んで来るので撮れたのはこの1コマだけ。

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外観を撮りたくとも渋谷駅は引きが取れません。

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渋谷で乗り込んだ乗客もこのイベントを知っていたようで、早速写真を撮っている女性も見られました。

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この日の外出目的だった模型材料調達、入手できたのはMDF板と車輪だけ。乗客用のフィギュアは良いものに出合えず諦めました。

 

 

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