とは言っても、模型の話です。
7月からパルテノン多摩ミュージアムでの特別展「鉄道が街にやって来た~多摩ニュータウン鉄道開通50周年~」で展示中だった1700形3次車の1705×3の編成、今度はロマンスカーミュージアムでの展示に供するため、代替車両に交代となりました。
この展示は11月10日までの予定と、結構な長期間。先日、展示内容をまとめた冊子が出来上がり、会場で販売(600円)されています。
代替車両は1900形の4両編成。多摩線で走行した時はケープアイボリーにロイヤルブルーの帯という新塗装になってからでしたが、展示模型は旧塗装時代でお許しください。
奥で展示の2100形と同時代、1960年代後期の姿です。
こちらが2100形。車体はカルダン駆動になった2220形に似ています。
1900形は複雑な歴史を辿っただけに、中間サハ1950形の奇数車は川崎車輛製の軸梁式OK-17形台車を履きます。
一方、偶数車の台車は国鉄車両からの供出品、TR-11です。
戦後の高度成長時代を生き抜いてきた車両、模型化した1903-1953-1954-1904の編成は、多摩線でお別れ運転が実施されています。
この時掲げられた2種のヘッドマーク、右側のはOER3001氏の作でした。
前回9月9日にアップした町田駅でのEXE画像に際し、「小田急線開通から100年となるのは3年後の2027年。新型ロマンスカーの登場はあるのでしょうか?」と結んだら何と!!
その日に小田急電鉄のニュースリリースに『2028年度の運行開始を目指し「新型ロマンスカー」の設計に着手』と。いやま~何というタイミングでしょうか!
掲載画像は7000形LSEの第1編成がEF58 94号機に牽引されて東海道線を上って来る時、湯河原駅で待ち受けました。この当時は小田原駅の連絡線から入線したのですが、今は御殿場線松田駅となり、しかも終電後の深夜。次期新型ロマンスカーは撮れませんね。
台風10号による大雨で、8月30日から運転見合わせだった区間は、9月1日の16時すぎに運転再開。久しぶりに夏の陽射しとなった9月2日、早速現地視察に出掛けて来ました。
先ずは車内から撮った動画から、まだ重機が残る現場は時速45キロ制限。
現場は駅間距離4.7㎞の東海大学前-秦野間、秦野駅から2㎞ほど手前。一旦、秦野まで行き、徒歩で現地に向かいますが、線路に沿った道は無いのでかなりの遠回りで、道のりはほぼ3㎞。途中小田急線を越える天神橋から現場を見ると、作業員が並んでいます。
秦野駅から炎天下を歩くことおよそ45分、ようやく現地に着きました。60キロポスト近くの架線柱は海側に補強が施されていました。
EXE-αが現場に差し掛かります。
流出した場所にはブルーシートが掛けられ、復旧工事で活躍した銃器が休んでいます。
水田の稲穂はまだ収穫には至りません。数日前に豪雨をもたらした空、この日は白い雲の浮かぶ青い空。
ブルーシートで覆われた流出現場と青い空の組み合わせとは、なんと皮肉なのでしょう。
などと思いながら佇んでいたら、思いがけず5000形“もころん”編成が! このアングルだと悲劇は起きなかったように見えます。
しかし現実は、赤いGSEが通ると侘しいです。
1時間半ほど現場付近で撮影後、東海大学前ではなく下車した秦野駅に戻ることとしました。天神橋を通る際にはちょうど上りEXE-αが。
秦野駅まではちょっとした距離だけに、折角なのでちょっと寄り道。獣道のような狭い路地を歩きました。
一度は通ってみたかった歩行者専用跨線橋にも寄ってみます。ここは確か、早朝に人の首が吊るされていた事件があったという場所で気味が悪いです。
しかしそこそこ良い眺めでした。
秦野駅近くまで戻ると、ラッキーなことに小田原から折り返してきた“もころん”に遭遇。
クルマでは何回か出掛けていた場所ですが、駅から歩いたのは初めて。遠かったけど、歩いただけの収穫があった一日でした。
台風10号の影響から8月30日、「小田急小田原線の一部区間で終日運転見合わせ 線路脇の盛土流出の影響で」とのニュースが流れました。
OER3001氏としては大いに気になるニュースだけに、早速ネットサーフィンです。東海大学前ー秦野間と聞いていたのでおおよそ見当がつきましたが、東京新聞に掲載されていた小田急電鉄提供画像で明確になりました。
さらに、ANNのニュースにもっと良く判る映像がありました。
映像を見て居るとカメラが右に振られ、〇で囲んだ部分に60キロポストが確認できます。
そう、この場所だったのです。NSEとHiSEの離合を撮った地。
矢印の箇所が流出してしまったと言うことでした。
早い復旧を望みますが、復旧の暁にはどんな光景になっているのでしょうか。
最古の小田急自作車両、小田急2600形NHEの5両編成を走らせたOER3001氏は、最新の小田急自作車両も持ち込みました。1/80の縮尺ではないので、ここで走らせることはできないのですが、本堂の片隅で終日に渡り展示させて頂きました。
運転台のマスコン&ブレーキ弁、椅子にも目を止めて頂くことができました。
床下機器として、MM解放スイッチも備えているので、こうして室内灯などの灯具類を点灯させての展示が叶います。クロスシート肩部の掴みや袖パイプも効果的でした。
大きいサイズの模型は、置いておくだけで存在感がありますね。0番作って良かった!
一方16番ゲージでの小田急最新自作は新5000形。10両編成には存在感があります。
2019年4月19日付で福島県指定重要文化財となったご本尊「華厳の釈迦坐像」さまの目前を快走です。
それにしてもこの車両、実車もそうですが正面の形状から反射して撮りづらい対象です。
といううことで2日間にわたる“修行”は、今年も無事に勤めることができました。
毎年開催されるこのお寺の運転会は今回が21年目、20回目となりました。新白河駅長にもご来場いただく開通式が本堂で執り行われます。
開通式が終わると、2日間にわたる修行の開始。無心に鉄道模型に取り組み、その楽しさを来場者にお伝えするのです。
今回OER3001氏は、現存する最古の小田急自作車両である2600形NHEの5両編成(2600形登場時は5両編成でした。)を走らせます。
製作は中学3年生の終わり、高校進学前の春休みでした。小丸彫刻刀と“ボンナイフ”で窓抜き。塗装は刷毛塗りというもの。
当時はパーツも少なく台車はDT24、PS16パンタとともに今は無きカワイモデル製品を使用。L-3形モーターと17:2ウォームギア減速インサイドギア駆動の動力は中間1両のみでも、このレイアウトの上り勾配も問題なく走ってくれました。
かわって国鉄101系の基本7両編成。これも相当古いもので、小学生時代に買っていた真鍮未塗装車体や小高のペーパーキット、メーカー不詳の塗装済車体などを組み合わせた、思い出深い半世紀以上昔の編成。
模型では2M5Tで、快調に走ってくれました。
古い模型の困りどころは、切れた米粒球の交換が成らないことです。球切れした電球をLEDにするには、配線を全て一からせねば。今更その作業をする必要があるか?という気にもなります。
されど所有する模型は人生の思い出だけに、たまには昔のままで走らせてみたかったので、お寺の本堂は最高の舞台だったかも知れません。
7回目となるこのシリーズ、いい加減にしろという声も聞こえそうですが・・・、そこは勝手気ままに進めるOER3001氏の自由ということでお許しを。一応最終回と致しましょう。最終回は小田急を支えた裏方の車両です。
エンドレスの内側の留置線には珍しい車両並んでいます。手前は大野工場で入れ替えを担っていたデキ1050(EB1051)、アダチのバラキットを組みましたが、小田原方には連結器アダプターを載せる台などを付けています。その向こうは経堂研修所にあったデハ1406、左は振り子試験車になったクハ1658、ともにペーパー自作です。
1658は新宿向きだったのを振り子試験車に改造する際に方向転換、小田原向きになりました。
この車両はとれいん誌1975年6月号に掲載されています。実車では無かった1300形との連結ですが、1658の車体が傾斜して様子が良くわかります。
模型で振り子作用をする工夫について記載されていました。
そこにはあの、小田急の大御所・生方良夫さんが寄稿してくださっていました。
展示したこれらの車両の向きは全て、新宿向き/小田原向きを統一して、実車と齟齬がないように心掛けています。
時代が違いますが、検測車両のクヤ31も加わりました。
この日は軌道検測は無いので、検測用パンタを下げて停められています。
売り側のエンドレスに、デキ1010(ED1012)が牽くホキが走りました。アダチのバラキットを組んだデキは、晩年のPT42パンタ、列車無線搭載の姿です。
ホキ300他はTOMIXから発売されていたホキ800がベース。ペーパーで製作した車掌室を載せたホキフ300を両端にした3両編成は、日中走ることは無かった筈で、相武台前のバラスト積載場所に停められていました。
MNK氏が持ち込んでくれたデニ1100(緑)、デニ1000(赤)、デキ1020と有蓋車、終戦直後のデハ1600他の週末温泉列車などと共に、ヤードを賑やかにしました。
運転しない車両も、運転会では重要な存在なのでした。
88万アクセスに到達した7月24日から29日目となる8月22日午後、89万アクセスに到達しましたが、“89”に因む画像を見つけられなかった(涙)ので、小田急ワールドの運転会の6回目。
2200形登場の1954(昭和29)年に於ける特急ロマンスカーは吊り掛け式の1700形3両編成でしたが翌年、2200形の制御方式を使った2300形4両編成の導入を経て、1957(昭和32)年に登場したのがスーパーロマンスカー“SE車”3000形でした。
7000形LSEとの2ショットはさながらロマンスカーミュージアム。高架のホームにはMKW氏作の御殿場線直通のキハ5101他が。
OER3001氏作のSEは、地平の外周エンドレスをミュージックホーン鳴らして快走します。
高架複々線区間は現行の4000形。ロマンスカーミュージアムでの光景さながらです。
一旦、MKW氏の2600形が居る高架ホーム下に停車すると、隣にはMKW氏所有のエンドウ製品が。
原型SEと改造SSEを並べて記念撮影。
SEは「乙女」、SSEは「はこね」。こんな光景はロマンスカーミュージアムでも叶いませんよ。
実に楽しい運転会でした。
小田急に20m車が導入されるのは戦後の国鉄63形電車の割り当てによる1800形に始まりますが、その後は17m車が基本。本格的に20m車となるのは1964(昭和39)年登場の2600形からです。
車体幅を2,900㎜に拡幅した4扉の大型車体は当時我が国最大サイズ。2400形HE車の思想を継承したことから“NHE”と呼ばれました。当初は各駅のホーム最大長が17m車6両編成対応の105mで、20m車5両編成までしか対応できなかったため、T(2750)を除く5連で登場。Tを増結6連化されるのは1967(昭和42)年からでした。
我がモデルは6連化後の姿、谷川の真鍮バラキットを組み立てたのですが、正面屋根Rの修正には相当苦労しています。
新宿駅の大改良工事完成(小田急全館完成)を記念しての特別塗装(お買い物電車)として製作。カントが付けられた曲線部を行く姿は格別です。
一方、この塗装時代には高架線を走る区間は無かったようですが、まあイイか。
古くからの友人・MKW氏がペーパー自作した編成とも共演。
近郊区間NHE全盛時代を思い出しつつ、豊かなひと時を楽しませて頂きました。
JAMに行く序でに、観たかった銀座松屋で開催中の展示会に立ち寄りました。
建築模型などで使われる1/100サイズのレーザーカッティングによるペーパーモデル、100作目を記念しての展示でした。
このペーパーモデルを使った1200㎜四方程度のジオラマが3基並んでいます。
そして反対側の壁面に、100作が順番に。
ジオラマの中でこれは、渋谷のスクランブル交差点をイメージしているのでしょうか。
目線を下げてみるとまた実に楽しい。
ペーパーの切り抜きながら、なんと動きも感じ取れる。
これらに使用されたのはこの商品ということです。
田園地帯のジオラマを挟んで、OER3001氏の眼にはやはりこれが。大都会の駅!
山の手線と総武線のホームに目線を下げてみます。新宿駅の雰囲気ですね。到着する山手線を待つ乗客が扉位置に並んでいます。
停車して開扉するところでしょうか。人々の動き(動きませんが)が感じ取れます。
これらに使用した商品はこちらだそうです。
なかなかレイアウトに使う勇気はありませんが、ペーパーモデルで車両も商品化されています。
中央線の201系はオレンジとブラックの2枚の紙で構成されていたのですね。
もう一つ、OER3001氏の眼が止まったのはこちら。箱根登山電車から見える、箱根・彫刻の森美術館の「交叉する空間構造」後藤良二作ではありませんか。OER3001氏の自宅レイアウトに導入しようかな?
入場無料の展示会。9月9日(月)まで開催ですので、ご興味ある方は是非。
2200形から2220形、2300形、2320形までのオールM車をABFM車と称しますが、その後に登場するのは経済性を重視してMT比を1:1とした“High Economical Car=HE車”2400形でした。(右方)
当時の標準だった17m車4両編成長70mという条件下で、M車の粘着性能を最大化するために採られた措置が、先頭Tcが16m、中間Mが19mというアンバランスな編成。車輪径も軽量化するTcは762φ(模型で9.5φ)、Mは910φ(11.5φ)。
走行したのは新塗装化されたバージョン、旧塗装と新塗装の2200形4連と併結した8両編成の急行として走らせます。
この時代、相模大野で箱根湯本行と片瀬江ノ島行きの分割・併合がされていたので、模型ではKDカプラーを採用しています。2400形HE車は、1960年代~70年代の主力車両だっただけに、OER3001氏は3編成も制作しています。
ご縁がありまして、解体が決定した小田急2200形を救い、ポッポの丘での保存を実現しようとの一般社団法人CARB 2200形電車保存会によるプロジェクトに協力させて頂きました。
会場となった「Soulyouline16」、ホームドアが設置されたメインステーションに、最新型の5000形と4000形が並びました。
5000形が停車しているのは中線、さながら相模大野駅のようです。
この日のテーマは2200形なので、この編成がほぼ終日走り回りました。車両の向きが違いますが、新百合ヶ丘駅先の多摩線への高架線を連想します。
お買い物電車特別塗装の2600形NHEと高架線上で交換です。
引き上げ線には旧塗装時代のABFM車が並びました。左から特急車時代の2300形(M氏作)、2200形(ペーパー自作)、2400形HE(谷川キット加工)、2320形原型(ペーパー自作)、2220形原型(ペーパー自作)。
この日の“小田急ワールド”は、あのロマンスカーミュージアムに劣らない内容となりました。・・・つづく
小田急の車両がなかなか出場させられない事情もあって、先の横浜市・野毛地区センタ「夏休み!鉄道フェスタ~鉄道模型運転会」公開運転会に続き、友人宅での運転会へは日頃と毛色の違った車両で参加させて頂きました。
1970年代の天賞堂製、EF62に“軽量客車”という重量客車を牽引させました。EF62割れたホイールギアを交換してから初の舞台でした。工房5丁目さまのお陰です。
カニ38、オユ12、ナハネフ11、ナハネ11、オロネ10、オシ17、ナロ10、ナハ11、ナハㇷ11で構成した11両編成を牽かせて。重厚な音を響かせながら、平坦な線路では牽引力不足という心配も無用、快調な走りが楽しめました。
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