川西能勢口まで行ったのなら、能勢電鉄にも乗って見なければ失礼かと思い、翌朝改めて訪問。日生中央行が発車を待っていました。
前に訪れたのはこれを撮るためでした。
当時は川西能勢口から妙見口行。日生線は未開業です。
この駅から歩いて撮影した懐かしい思い出が蘇ります。
そんな昔を思い出しながら、トンネルに入り・・・、
撮影していた猪名川橋梁を渡ります。
すると鼓滝、鶯の森と共に、喉かな良い駅名です。
さらに、これらを楽しんだら次は「ただ」なんてね。
ここを走る阪急から移籍した車両の日除けカーテンが何とも可愛らしいではありませんか。阪急時代はアルミの鎧ではなかったかな?
そのまま日生中央まで乗り通しました。
日生中央駅は、日本生命保険・新星和不動産により開発された計画人口30,000人の「阪急日生ニュータウン」への足として開通した「日生線」の駅。開業は1978(昭和53)年12月のことでした。
ここに充当されている車両は全て「ワンマン」、側扉の上には安全確認用のカメラが取り付けられていました。
日生中央から戻ります。山下駅までは2.6キロ、高架と隧道区間で途中駅、踏切の無い高規格の全線複線を、最高速度80キロで快走します。
乗車したのは7250-7280-7230-7200の4連。ワンマン仕様の運転台、興味深いものです。
妙見線との接続駅は「山下」、一旦駅を出てみることにしました。
高架構造の保守に心配な部分が見られます。コンクリートが剥がれ、鉄筋が見えている箇所が散見されます。高架下駐車場に止めた契約車輛等への落下被害は無かったのでしょうか?
駅付近を一回りしてから再入場したら、現有最古参の1700系(元阪急2000系)を見ることができました。若しかして最後に残った編成かな? FS345台車を見られて嬉しかった。

能勢電鉄は元々川西能勢口から妙見口までの12.2キロの路線でしたが、山下から妙見口は単線。運行される列車も半分の2両になって区間折り返しとなってしまっています。
途中には隧道区間もあり、隧道と隧道に挟まれたような光風台駅は模型レイアウトのようでした。
4駅目が終点の妙見口となります。どこか叡電のような雰囲気も感じる好ましい駅舎でした。
2両編成の5100系の遮光カーテンは、先の4両編成とは異なる絵柄でした。
旧来の左手主幹制御器、右手制動弁ながら、ワンマン運転仕様に改造された運転台もまた興味深いものです。
全線にわたり高規格の電化路線で、山下から奥は性格の異なる2線、車両は4両と2両など、模型製作者にとっては実に楽しい、興味深い民鉄の1社であることを再確認できたひと時でした。
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