7月4日、所沢駅に降り立ちました。
東口を出て・・・
向かったのは西武不動産が運営する“くすのきホール”。
Webでこんなことがあると知って、“EMot”オンラインチケットの事前購入(500円)。
OER3001氏が購入したのは初日500人の組。
1階の特設受付で硬券入場券が渡されました。
なんと、0008。
エレベーターに誘導されて8階に上がると、目の前に展開される実物1/2サイズのモックアップが目に入りますが、OER3001氏の目的はこれらを観察することでした。
モックアップの製作手順が紹介されています。どれもほぼ1年かけての製作だったようです。
E851からずらりと並ぶモックアップは壮大です。
OER3001氏の好み旧351系はじめ、全12両が並びます。
各車ともガラスは入れられておらず。運転室内部もかなり凝っての再現。
模型運転用のコントローラーにするには、このくらいのサイズが良さそうです。
今話題の東村山駅付近の高架化工事、完成後の姿がジオラマで展示されていました。
間もなく登場する山口線の新車両模型は、「Don't touch」と表示されていますがガラス等の覆いが無いので近づいて観察できます。
残念なのは折角展示されていた川越鉄道、武蔵野鉄道以来の車両竣工図や写真などが撮影禁止だったこと。興味深いものが多くあったのに(涙)。
設置されていたスタンプを押して、約1時間で会場を後にしました。
遂に、広いレイアウトでの試運転となりました。
3D設計者のIM氏も伊予鉄を完成させ、この日は2編成の共演となりました。OER3001氏の作は高架線上の3309編成、IM氏のは3310編成と、車番はダブらないように調整しています。
左がクハ3509の編成、右がIM氏の3510編成。
実物の伊予鉄路線に斯様な鉄橋はありませんが、絵になりますね。右がOER3001氏作品。
アップでも撮っておきました。
最後に2編成並べて。車体はIM氏設計・製作ですが、IYOTETSUロゴマークはOER3001氏の作。完成した2編成には微妙な違いがあって面白いものです。
そうだ、IM氏に方向幕差し上げなければ。
で、試運転の結果は、やはり3Dによる台車の集電性に課題が残るなど、微妙な修正が必要となりました。
これまで何度も訪れていた都心で、恥ずかしながら初めてじっくり観察した彫刻像。これ何処だか直ぐお分かりになる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか?
少女がしゃがむ彫刻の題は「はぐれっ子」。いつからこの場所に設置されていたのでしょう?
彫刻の後方には「はぐれ櫻」と名付けられたサクラの木。
ここは数寄屋橋交番の前なのです。交番前に「はぐれっ子」って、ぴったりのパブリックアートではありませんか。
常時多くの通行人が行き交う場所だけに、彫刻をゆっくり鑑賞するには少々不自由な環境ですが、そんなことにお構いなく鑑賞してきた次第。東京造形大学教授を務めた岩野勇三(1931~1987年)という方の作品だそうです。
どうしてここに行ったかって? 有楽町のカツミ模型店に行き、その足で銀座・天賞堂に向かう途中のことでした(笑)。
OER3001氏も母校の同窓会では既に長老入りかも知れませんが、現校長先生からもお声がけ頂き、今年も鉄道研究部OB会有志メンバーと共に鉄道模型を走らせてきました。
高校生の頃を思い出すフリーの電機、当時は「電関(デンカン)」と言っていたかな。カツミが入門者向けに売っていたED100という代物を、台形の前照灯ケーシングを自作してEF61風に仕上げた「ED61」には、ナハ10系軽量客車を電機に合わせてショーティーにしたホハ10系フリー客車を牽かせます。
本命のテーマはOER3001氏が高校生時代の「渋谷」。
地下鉄(営団銀座線)と(京王)井の頭線に挟まれた駅から上り勾配を上がり国道246号に進む玉電(東急玉川線)は「連結2人乗り」とされた80形と150形などが大活躍でした。時には80形と150形の2連もありました。「全線20円均一」との表示を掲げていたのも懐かしいです。
一方、井の頭線にはステンレス車3000系の増備が進みますが、それに押し出されるように、緑色の在来車は両数を減らしていました。左は帝都線(前身の帝都電鉄)開業時から活躍する1400形を先頭にした4両編成。
ステンレス3000系と共に、エンドレスを周回させました。
一般教室の一室が当てが割れた同窓会の部屋、H301号室(1年1組)の机42卓に別教室からの24卓を加えてレイアウトした中では、長編成は無理なのでこうした次第。
若いメンバーはどうしてもNゲージ。しかもコレクターが多く、16番の自作モデラーとは一味違うのですが、同窓生で設営日からの3日間、毎晩楽しいお祭り(前夜祭、中夜祭、後夜祭)となりました。
先般、お友達が「不燃ごみに出す」と言っていたOゲージのパーツを譲って頂きました。当然「ちょっと待った」と、不燃ごみ予定にされていた一式を引き取らせて頂きました。故WDさんから、随分前に「あげるよ」と渡されたものだったそうです。
要る、要らないと、指先を汚しながら選別。その中にダイキャスト性のブリルMCB台車がありました。
アメリカ製のパーツらしいです。台車枠と枕梁はボスに嵌める構造。ディテールは良いけどなんとも大らかな構造。
ちゃんと1両分ありました。
が・・・、当分これを使うような題材の製作意欲も無いということで、アメリカンなんかお好きなお友達に差し上げることと致しました。これを活かしてどんな車両が誕生するのか、楽しみです。
小田急線、鶴川~玉川学園前間に通うこと3回目にしてとりあえず「目標達成」とさせて頂きます。
熱中症警戒アラートが発令されたこの日、現地に着いてみればなんと、人身事故で一部区間運転居合わせとの悲報(涙)。小田急アプリを頼りに少しだけ粘ろうと思った矢先に来ました。
西武で活躍を始めた同僚と、同じアングルの姿を撮ろうと言うのが目標でしたが、地形条件も異なりなかなか大変。とりあえずこれで良しとします。
西武8003は新宿方の元8261と、厳密に言えば6両編成の向きが違いますが、今小田急では8000形6両単独での運用は殆ど撮れない状況なのでやむを得ません。
この企てはとりあえずこれで完結とさせて頂きます。
鶴川~玉川学園前間での撮影記を2回続けましたが、この場所も時代と共に随分開発され変貌しました。
6月15日の記事でモハメイドペーパーさまから「昔、2220形でここを下り(上り列車)、鶴川のカーブの手前で減速する時の電制音に痺れていました。」とコメント頂きましたが、その当時の光景がこれです。
この画像は新塗装への移行が進む時代、新塗装2220形+旧塗装2220形に新塗装2400形を連結した下り急行が勾配を上って来る光景。
まだ田畑が広がっていた中、中央右側では造成が始まっていました。NSE背後の丘には数件の住宅が見える程度でした。
それが、約20年経つと丘は完全に住宅地となり、先の造成地は納豆生産工場になりました。
この日は営団千代田線から江ノ島行の臨時列車「METORO & ENOSHIMA」の撮影が目的でした。
この場所も今は和光大学のテニスコートとなって立ち入り不能。「METORO & ENOSHIMA」の後部右側が納豆製造工場、そして左側が住宅地となり、前回掲載した画像の撮影地です。
冒頭の画像から55年、改めて小田急沿線の都市化、人口増大に驚かざるを得ませんね。
またいつか、と前回記したものの・・・、空模様もまずまずだったので、翌日も出掛けてしまいました。前回最後の画像、テッポウユリは夜間の降雨で少し元気になっていましたので、これと絡めて5000形を撮っておます。
この日は前日より300メートル程鶴川方向に移動、線路との高低差がある場所をチェックしてみます。
雲間からの陽射しによって、MSE(上)の時は完全に陰っていましたが、EXEの時には後方から奇麗な陽射し。
柔らかい陽射しを浴びたEXE-αは結構奇麗じゃありませんか。6連と言うのもGoodでした。
5000形に始まり5000形で終えたこの日の撮影。この5000形は5063×10、検測装置を装備した編成、営業列車としては初めての撮影となりました。
2回通って要領が掴めたのでまた近日、目的達成のために出掛けることにしましょう。
梅雨の合間を狙って、ここのところ急に気になっていた場所に出掛けてみました。晴天時だと撮りづらいアングル、緑が濃い梅雨時はかえって良いかもしれません。
最初は「ココ(鶴川4号踏切)」と言う記録写真。
この踏切を渡ってみれば、斯様な光景を収めることができる場所。
しかし本題は、このアングルの事前調査でした。ワイドドアの3000形1次車が飛ばして来ました。
1次車ということは、後部に4連の8000形を連結した運用。
昔は当たり前だった異形式併結も、今は希少価値になりつつありますから大事な記録。
1000形と見間違える2000形、多くは新宿~本厚木間の各停運用に使われていますので、この場所では頻繁に撮れます。
また、6連3000形の快速急行。と言うことは後部4連が気になります。
後部は1000形でした。“顔”の違う車両の併結って、大好きだな~。
最後にちょっと遊んでこの一コマ。
これでこの日のチェックは終わり。“本命”には出会うことができなかったのでまたいつか。
前照灯&尾灯ユニットの制作、組み込みです。
先ず、そのユニットを製作しますが、これが小さくて小さくて大変。集中力が続きませんので何度も「フ~ッ!」と。上が前照灯、下が尾灯ユニット。共に1608サイズのLEDで、前照灯、尾灯それぞれ2個直列にして定電流ダイオード(チップ)を繋ぎます。
それらを運転台ユニットに組み込みました。LEDユニットは手製基板(黒厚紙に銅箔テープ貼り)ですが、運転台ユニット側とはウレタン線で接続です。天井裏の四角いのは方向幕灯用のブリッジダイオード。
通電試験です。運転室仕切り上部の接点から給電します。 点いた! 前照灯と方向幕灯。
手元スイッチ転換! 点いた、尾灯と方向幕灯。
さてと、これを車体にセットしてちゃんと前照灯と尾灯の光軸が合致するかどうか、微妙な調整を図らなければなりません。
1974年10月14日、長嶋茂雄選手の引退セレモニーでの有名な発言「我が巨人軍は永久に不滅です」を思い出します。
小田急から西武に転じた「8000は永久に不滅です」。
運行開始2日目となる6月1日、曇り空でも雨の予報は無いので、気合を入れて出掛けてみました。午前中だったので国分寺から、若い時に何度か仕事で訪れていた日立中央研究所の西側を歩いてみます。
新緑も良いし、ちょうど曇天だったこともあって、強烈な逆光からは免れそうです。
草が生い茂って、電車の足回りが隠れることは無いとしても、このグリーンの覆いはイマイチですな。
とりあえず、この付近で撮ることにしました。先頭部が葉っぱがかかってしまいました。
グリーンシートで覆われた築堤上を行く姿も押さえておきました。
場所を少し変えれば、グリーンシートはカットできますが、通行人を入れないように空を多めにしました。
国分寺線の線路を潜ってから恋ヶ窪方向に歩くと、羽根沢信号所の複線区間で撮れます。ここには数人の同業者が居ました。
丁度順光で、奇麗に編成を収めることができました。
暫く、やがて置き換わる黄色い電車も撮りながら沿線でウォーキング。この駅から8000系に乗ることにしました。
国分寺方先頭車8003の車内、リニューアル時の「小田急車両2006」と共に、今回の移籍に伴って小田急エンジニアリングが改造した証が表示されて居り、居合わせた一般乗客も話題にしているほどでした。
車端部の座席は小田急時代の4人掛けから、ゆったりした3人掛けに改造されたと聞いていましたが、座って見ると固い!
側扉の鴨居には「SERIES 8000」と掲げられ、西武もこの車両に相当力を入れていますね。
先頭部になった運転台は大勢の“かぶりつき”に占領されてとても見ることができなかったので、折り返し最後部になってからの確認でしたが、ほぼ小田急時代のママの姿でした。
国分寺駅ではカメラ構えた輩が大勢。一般人にも「西武の新しい電車」として注目を浴びているようでした。8000系は7編成計42両が導入されるようですが、永く活躍してくれることを願います。
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