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2022年1月24日 (月)

29年前の同日

本日1月24日、29年前はこんな天気でした。今日も充分に寒いですが、幸い積雪には至っていません。

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この時代の主力は6000系、「特急・橋本」での運用に就いていました。

ここのところ続けていた「過去vs現在」シリーズではありませんが、今はこのアングルで撮ることが出来ません。左側の樹木が大きく育ち、視界を遮るばかりか、歩道橋に目隠しフェンスまで備わってしまいました(涙)。「特急」は無くなり「準特急」となりましたが、今週のダイヤ改正で「準特急」 は「特急」に改称だそうです。

 

2022年1月23日 (日)

過去vs現在-6

小田急新宿駅の過去と現在の比較、一応今回で区切りを付けたく思います。

新宿1号踏切と言うこの場所からの1968(昭和43)年5月の撮影、と言うよりここは南新宿駅下りホーム端から撮ったものです。新宿西口の14階建て小田急百貨店のビルも、左端には京王百貨店も確認できます。

踏切脇には貨物ホームがありますが、これより以前はここに小田急砂利株式会社の社屋もあり、相模川からの砂利を積んだ貨物列車も入線していました。

そこを花形の3100形NSE車の「あしがら」が通過します。

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現在でも新宿1号踏切はありますが、1973(昭和48)年12月21日から南新宿駅は西方へ150メートル移設され、さらに新宿駅の改良により地上/地下の分岐器位置も新宿1号-2号踏切間に移設。さらに線路上に人工地盤を構築しているので、当時と同じアングルでの撮影は暗闇となりました。

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やむなく新宿2号踏切からの撮影ですが、この50000形VSEの定期運行も残すところ2ヶ月を切っていますので、これも過去の記録になる日も近いですね。

 

2022年1月22日 (土)

過去vs現在-5

小田急新宿駅が地上と地下の二層式となったのは1964(昭和39)年のことで、当時は珍しがられたものでした。

その後、何度かの改良工事を経ていますが、地上ホームは特急、急行などの優等列車、地下ホームが各駅停車の発着というのが基本でした。

1967(昭和42)年5月の撮影の中に、地下9番ホーム(5号線)に停車するHB車編成のデハ1217-クハ1351他+クハ1352-デハ12181410-1460の4連の姿を捉えていました。時既に地上14階・地下3階建の小田急新宿駅ビルの完成に伴う最初の改良工事が行われている時で、HB車の新宿口充当最後の時期です。(後記:当時の記録があり、後方2両が1410-1460であったことが判明しました)

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同じ光景の今日を撮りたくて2022(令和4)年1月19日、上のプリントを持って同アングルの撮影を試みて来ました。

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入線してきたのは1000形1095Fの10連です。ホームドアも設置され、同じようなアングルで電車を撮るのには無理がありますが、ホームドアのお陰で線路が随分と柱に近付いた印象ですが、柱の位置は変わっていません。

 

2022年1月21日 (金)

過去vs現在-4

小田急新宿駅と言えば、ロマンスカーが発着する1号線、国鉄線との間の壁面が特徴的でした。

この1968(昭和43)年当時は3100形NSE車は7編成となり、4編成のSE車とともに、ほぼ30分ヘッドでの特急運用に就いていました。国鉄線は中央・総武緩行線の黄色い101系です。

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そして今、同じ線路に白いロマンスカー50000形VSEが。

たった17年間の定期運行終了が間近になった今、元はロマンスカー乗車線用だった1番ホームに飾られた装飾を横目に到着しました。転落防止の柵が設けられてしまい、車両の顔が満足に取れませんが、ガラスで見通せることだけでも良しとしましょう。

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この54年の間に、3000形SE車、3100形NSE車、10000形HiSE車、20000形RSE車、7000形LSE車が、その使命を終えて去って行きました。時の流れは無情なものです。

 

 

2022年1月20日 (木)

20年前の同日

ここのところ模型製作の進捗が無く、ブログ掲載ネタ探しをしていたら・・・、ちょうど20年前となる2002年の今日1月20日に撮影していた写真がありました。永山トンネルを抜けて来た都10-000系です。

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この小田急9000形を参考にしたようなフェイス、気に入っていましたが、乗り心地はモーター音がうるさく、KD台車の金属音も気になりました。

残念ながらこの場所にはフェンスが建ち、同じアングルでの撮影が不可能になってしまいました。

 

 

2022年1月19日 (水)

過去vs現在-3

鉄道が好きになり、写真を撮ったり模型を作ったりとして来て数十年。自ら撮影した過去の写真は、カメラも腕も、現在とは大きな差がありますが、だからといって現在のカメラと腕をもって再チャレンジしたくとも、それは絶対叶うものではありません。過去には過去の、一枚に写された光景から、様々な情報が得られることが楽しくなってきてしまいました。

今回は小田急新宿駅の光景から。1966(昭和41)年12月18日、国鉄線寄りの1号線に停車するのは3000形SE車の「はこね」です。なんと、奥の2号線にも3000形SE車が。この年3月に3100形NSE車は全6編成となり、主力になっていたのに、珍しい光景です。

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時は変わって2021年9月27日の光景から。左側の特急乗車ホームだった1番ホームは、使用停止になっています。天井照明も蛍光管からLEDに。ホームの柱も耐震強化が施されて一回り太くなりは基本的には変わらずも、スマホ等充電機能を持つベンチが設置され、空調装置も設置されています。

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この時の車両は30000形EXE。今やEXE-αに改装された編成が主流となり、この原型が見られるのも時間の問題かも知れません。

 

 

2022年1月18日 (火)

過去vs現在-2

列車の撮影では、気に入った撮影地に何度も出向きます。撮影対象の車両が代わるのは当然としても、過去と現在を比較して、あらためて時代の変化を感じます。

京王線中河原-聖蹟桜ヶ丘間の多摩川橋梁での写真を比較してみました。1986(昭和61)年5月4日の撮影では、被写体は6000系の8連でした。

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変わって2021(令和3)年8月4日の撮影の中に、8000系8連がありました。同じ8両編成ですが・・・、

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橋梁の架線柱が鉄材トラス製から鋼管製へと大きく変わっています。京王線では近年、この鋼管製架線柱への更新が至るところで見られるようになり、鉄材トラスやPCの架線柱の記録も貴重なものになって行きますね。

 

 

2022年1月17日 (月)

過去vs現在

1986(昭和61)年にこんな場所、永山-多摩センター間で多摩線内折り返し運用に就く主力の2400形HEを。

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ふと、今の同じ場所と比べてみたくなりました。クイズではありませんが、何が変ったでしょうか?

走行車両の両数、形式は勿論ですが、周辺の木々の成長ぶりが凄いこと。手前の京王線は架線柱が変りました。小田急線は架線柱こそ変化していないものの、細かく見れば電線の数が大幅に増加しています。

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反対方向も撮っていました。豊ヶ丘北公園に架かる歩道橋を潜って多摩センターを目指す2400形HE車の4連を。

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ありました、昨年5月23日に、多摩センターに向かって行く4000形10連の急行を撮っていました。

撮影ポイントが若干手間センター寄りになっていますが、実は同じ場所は木々の生長によって視界が遮られるようになってしまいました。背後には住宅が建ち、都市化されていることも判ります。

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それでもこうして35年経っても、同じ場所で撮影ができること自体幸せですね。

また折を見て、今昔比較ができないか探してみましょう。

 

2022年1月16日 (日)

今日の一枚 No.138

“西武の湘南電車”を思い出したらこれも載せなければなりませんね、“京王の湘南電車”を。

本来なら2700形を載せなければなりませんが、OER3001氏が撮っていた中で京王線“最古画像”がこの2000系2050形でしたからご了承ください。

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撮影地は1月7日にご紹介した「京王線 初台-幡ヶ谷間」での2枚目場所とほぼ同じ。若干幡ヶ谷駅に寄った場所でした。

初めて手にしたボルダ判フィルムの2眼レフカメラで、1963(昭和38)年頃の撮影でした。2000と2050の間t(スモールティ)と呼ばれた13メートル旧型車から改造したサハを挟んでいた時代でした。

 

2022年1月15日 (土)

今日の一枚 No.137

黄色い西武電車撮ったら赤い時代が懐かしくなり、そしてさらにその昔が懐かしくなってしまいました。

入学前に西武沿線に住んで時代、「西武線に湘南電車が!」と聞いた車両がこれだったのです。

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勿論その時代、詳しいことを知る由も無し。後年に351系であることを学びますが、元は501系と複雑な改番の歴史を持つ車両。綺麗に復元されたのはモハ505で、横瀬で展示された際には食い入るように眺めたものでした。

 

2022年1月14日 (金)

赤い西武電車

西武電車の撮影をしたら、懐かしい“赤電”の頃の写真を探してみました。これがカラーポジフィルムで初めて撮った赤い西武電車でした。1976(昭和51)年4月、拝島駅だと思います。なんでここでこれを撮っているのか・・・?

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そして次にカラーポジで撮っていた赤い西武電車がこれ。3年後の1979(昭和54)年11月4日、秩父線の芦ヶ久保駅でした。急行・奥武蔵のヘッドマークを掲げた601系551系他、カッコいいですよね。

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この日は西武新宿発の特急“おくちちぶ”でやって来ました。初めて下車した駅、ホームでカメラ持って彷徨う二人、今でも仲良くさせて頂いている御仁です。さ~て、何方か判った方はコメント欄に書き込んでください。

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雲が低い生憎の天気の下、横瀬まで沿線を歩きながらの撮影を楽しんだのですが、楽しむと言うより先が長かったことを覚えています。とても再チャレンジしてみようなどという気は起こりません。

 

2022年1月13日 (木)

黄色い西武電車

西武を撮りにちょっと遠回りしてみました。

妙正寺川の川下方で待ち受けていたら、黄色いのがいきなり。前パンは良いですね。

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新宿区立落合公園の中を歩いて、良い場所がないかと探してみましたが、どこもフェンスが邪魔してくれます。

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仕方がないので踏切へ回りました。西武の踏切には踏切名が表示されていないので困ります。栄通り踏切とでもしておきましょう。

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同じ踏切で反対方向を向いて、上りを捉えます。

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もう一度振り返って下り、急行・本川越行きを。

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最後は中井駅下りホームから。

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都心近くはビル陰が多く、綺麗な光線下での撮影には無理がありますが、折角近くへ行ったのだから無駄にはできませんよね。どんどん黄色い電車も数を減らしているようですから。

 

 

2022年1月12日 (水)

小田急9000形製作の記録

昨日掲載した京阪3000系製作の記録と同じフィルムに、小田急9000形製作時の記録もありました。車体はほぼ完成しているようで、床下機器を製作している時のようです。

島田塗料のマメラッカー(大)が懐かしい! ラッカープライマーを桧材他で製作した機器に塗っているようです。出来上がった主制御器箱、主抵抗器箱、断流器が確認できます。

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これは、機器は判りませんが刷毛でラッカープライマーを塗っています。良くも斯様な情景をカラーポジで撮っていたものです。

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以上は1975(昭和50)年の記録でした。

そして翌1976(昭和51)年、先の京阪3000系と同じ時期に、完成した車両をベランダに置いて撮っていました。

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これ、マンションの5階でしたが、車両が転落しなくて良かったです。

 

 

2022年1月11日 (火)

京阪3000系製作の記録

カラーポジで斯様なものを記録していました。1975(昭和50)年のようです。三角定規に製図用シャープペンシルで卦がいているようですが、白いペーパーに記された文字をが読み取れます。京阪3000系です。向こう側に写っている定規とデバイダ、三角定規と共に今でも使っているものです。

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そして間は記録されていませんが、翌1976(昭和51)年の夏に、自宅に友人を招いて行った運転会で完成した姿を撮影していました。

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床下には1976.6.4と完成年月日が書かれていますので、竣工お披露目だったのかも知れません。45年前の独身貴族と言われた時代の記録ですが、今でも同じことして楽しんでいるなんて。

 

 

2022年1月10日 (月)

1月10日ということで

今日は成人の日だそうですが、OER3001氏にとっては1月15日のイメージが強く、どうも第2月曜日と言うのには馴染めません。

そこで、今日は日付ネタと言うことで110を。

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ベルニナ線カラーに塗られていた時代をペーパー自作しています。

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前照灯だけはシールドビームはなんとなく合わないので、古い形状にしています。

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気ままに小さなレイアウトで走らせるのも良いものです。

 

 

2022年1月 9日 (日)

片瀬江ノ島駅にて

所用で出掛けた序でに、今春のダイヤ改正で見られなくなるであろう光景を収めておきました。

片瀬江ノ島駅1番線に進入して来る快速急行の1000形10連。コンパクトカメラでの撮影のため、種別・行先表示はスリットが入ってしまいました。

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停車後に車止めから撮っておきました。「快速急行・新宿」がしっかり収まりました。

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2番線から発車して行く「各駅停車・相模大野」の3000形と一緒に撮っておきました。

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3月のダイヤ改正で、ここ片瀬江ノ島駅から発着する列車は全て「各駅停車・藤沢」となるようで、10連の運用は見られなくなるばかりでなく、もしかしたら他にも変化が?

今度のダイヤ改正だけは、コロナの影響を受けて減少した旅客需要に合わせるということで、“不自由”を感じざるを得ないダイヤになることが残念です。

 

2022年1月 8日 (土)

割れたホイールギア

昨年10月29日の「EF62故障」で取り上げたホイールギアの交換ができました。

これが割れていたギア、矢印箇所に破断が見られます。

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反対側面も同様です。

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歯の間に斜めに入った破断が、動かない原因でした。

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古くからの友人である工房5丁目さまが、ストックの中から見付けて頂いたギアに交換できました。

と、簡単に書きますが、車輪を外して割れたギアを抜き、新たなギアを挿入して再び車輪を嵌めるなんてことは、このOER3001氏の技術ではできません。ご厚意で対応してくださった工房5丁目さまに感謝です。ありがとうございました。

ということで、EF62は再びレイアウトデビューが実現します。

 

2022年1月 7日 (金)

京王線 初台-幡ヶ谷間

今は地下線となり、地上を走る姿は見られなくなってしまいましたが・・・、

この画像は1966(昭和41)年10月、だと思いますがもしかしたら11月? 地下の初台駅を発車した2600系の4両編成。2600系は本来Mc-T-Mcの3連でしたが、この時期編成変えで他編成のTを組み込んだ4連編成もありましたが、ハーフサイズカメラ“Canon-demi”で撮った中に収められていました。

手前は干上がった玉川上水、コンクリートミキサー車が走る道路はまだ首都高も建設されていない甲州街道。正面奥に富士急行の文字が見えるビルは、外装こそリニューアルされていますが今もある富士急東京本社ビルです。

一枚の画像から、その昔の多くの様子が読み取れます。

19661000_0011_n

 

1973(昭和48)年2月のフィルムには、当時の最新形車両6000系が。上の撮影場所から線路を渡り、少し幡ヶ谷駅方向に行った甲州街道の歩道から。初台4号曲線の標識が読み取れます。電車はここから左カーブ、そして直ぐ初台5号曲線で右カーブして幡ヶ谷駅に進入します。

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この頃の6000系は、当時の小田急2600形同様3M3Tの6両編成でした。「快速・京王よみうりランド」の表示、相模原線はまだその先には延伸されていませんでした。

それにしても線路向こう側の古枕木を使った柵など、当たり前だったものが今では先ず見られなくなっています。半世紀の流れを感じざるを得ません。

 

 

2022年1月 6日 (木)

岩瀬浜の想い出

日本海側ではかなりの降雪との天気予報を聞くと、どうしても思い出します。

初めての富山は1975(昭和50)年の夏でした。交流電化の北陸線富山駅、北側から発着している富山港線は直流1,500V。72系の2両で運行されていました。

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富山港線の72系は、1985(昭和60)年3月に全廃。なんと国鉄線での72系最後の運用路線だったようです。その後は交直流電車457系・471系・475系に代わりました。

1989(平成元)年5月に訪れた終点の岩瀬浜駅での光景。運行本数の少ない電車に下校の女子高生が疾走します。

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その岩瀬浜駅、富山ライトレールの駅となってから訪れた2012(平成24)年2月はかなりの降雪でした。

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そして2020(令和2)年からは再び富山地方鉄道の駅となり、軌道線に直通しています。

この冬はどんな風景になっているのか、再訪したいですね。

 

 

2022年1月 5日 (水)

富士と富士

正月と言えば何かと富士山の画像を目にすることが多くなります。コロナ禍の外出自粛時にせっせとデジタル化したネガフィルムの中から見付けました。1992(平成4)年1月2日、三島-函南間の竹倉踏切近くに、小3と中1の息子たちを連れて出掛けていました。

その中から見付けたこの一枚は、長男と次男どちらかの撮影で、一部をトリミング、色補正してみたものです。

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こんな線路近くの場所に、子ども連れで立ち入ることができ、しかも警笛も鳴らされない時代でした。

残念ながらEF66 44の顔が架線柱の陰となってしまいましたが、富士を背景に「富士」とのコラボレーションが捉えられていました。

因みにOER3001氏の撮影はこちら、ポジフィルムでしたが、遠くの富士に合わせた露出は「富士」を暗くしてしまいました。

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この時、向こうの竹倉踏切に人影があったのですね。今になって気付きました。それにしても何度も通ったこの地でしたが、富士山を綺麗に拝める機会は少なかったですね。

 

 

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