2025年3月21日 (金)

近鉄特急愉し

今回は、いつもとはちょっと違う視点からの近鉄特急。

いいんです、こんな企てにご賛同頂ける方が一人でもいらっしゃれば。

最初は「しまかぜ」、京阪との乗り換え駅ができる近鉄丹波橋にも停車するのですね。「特急」とは言うけれど、昔の“ノンストップ”というイメージは完全に無くなってしまったようです。

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お次は京都。

奈良電気鉄道時代の最後、1963(昭和38)年9月に、東海道新幹線の建設に伴う高架化工事で完成したのが現在の駅だということを知っている世代は、間違いなく高齢者ですね。

以下の画像は3コマ連続でご覧ください。

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回送で発車した「伊勢志摩ライナー」と歩調を合わせて歩く女性。う~ん、絵になるな~なんて悦に入っているのはOER3001氏くらいか?

 

2025年3月19日 (水)

2軸市電快走!

寒暖差の大きい弥生の昼下がり、都内某所某氏宅で開催された運転会。今回は小田急2200形と富士急に転じて5700形となった計4両を持ち込んだものの、両車ともレイアウトとの相性がイマイチで、何か所かで脱線を繰り返すので早々撤収。

そこで、予備に持ち込んでいた2軸市電を走らせます。

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比較的奇麗な状態のカワイモデル製品を、2年ほど前にオークションで入手。当社ではデハ251としました。

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なかなか長距離の走行ができなかったので、このレイアウトには不似合いですが、良い足慣らしができました。最近ブームの台湾列車の横を駆け抜けます。

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最初はギクシャクしていた動きも、時間と共に馴染んで来たのか、車体を揺らせながら懸命に走る姿は可愛いものです。

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なかなか運転会で単車、単行ものを走らせる機会はありませんが、今回は個人宅のレイアウトということもあり、その機会に恵まれた次第。オーナーのSUさま、ご参加のみなさまにお礼申し上げます。

 

 

2025年3月17日 (月)

嵐電訪問

嵐山からは嵐電(京福電気鉄道嵐山本線&北野線)へ。嵐電嵐山駅でレトロ調の27号を見送ります。

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先ず向かった先は、難読の帷子ノ辻(かたびらのつじ)で北野線に乗換え、北野白梅町へ。

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全線乗車が目的の一つだったので、帷子ノ辻に戻ったところでオリジナル色の301号に遭遇。

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次の目標は西院車庫で、24年ぶりの新型車両「KYOTRAM」モボ1形を見ることでした。予想通りその姿はホームから確認することができました。

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3日後からの営業運転に備え、いろいろ準備している様子でした。

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在来車輛の車内でも、「KYOTRAM」が2月28日からデビューと大々的に宣伝。

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これを見届けて四条大宮まで乗車して、今回の嵐電訪問は終えました。次回は「KYOTRAM」に乗らなければなりませんね。

 

 

2025年3月15日 (土)

嵐山に

少々日が開いてしまいましたが・・・、能勢電走破の後は十三から京都線に。ちょうど来た特急9401に乗れば、カッコイイ女性運転士。

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水無瀬駅通過直後に新幹線と並走、あっという間に抜いて行かれました。何度も通っているこの区間で、こんなタイミングで新幹線並走を撮れたのは初めてです。

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最近の特急はOER3001氏が憧れていた十三から大宮まで無停車だった時代と違って、ちょこちょこ停車する。淡路、茨木市、高槻市、長岡天神、桂。かつら? ちょうど良いので桂で下車、嵐山線に乗ることにします。

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京都線特急で活躍していたあの6300系が、4両編成に短縮されて今も活躍していますから。相変わらず外国人観光客が多数乗車。この車内撮影もタイミングが重要です。

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下車客の姿が退いた時を待って嵐山駅の情景撮ったら、ホームの非常通報スイッチの表示が入ってしまいました(涙)。

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「あらしやま」副駅名は「嵯峨野」だったのですね。阪急他路線とは違うデザインの駅名標でした。

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駅舎の表示は「阪急嵐山駅」。カメラを構えて観光客が退くのを待っていたら、十人ほどの中国人グループがそれに気づいて移動してくれたことに嬉しく思いました。

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桂川に飛来していたこれ、カンボジアから指示されていた1羽だったのでしょうかね(笑)。

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この地のシンボル的存在の「渡月橋」、数年前の台風による洪水災害の復旧工事が今も進行中でした。

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この渡月橋を渡ると・・・、

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違う違う、上の「武蔵嵐山」ではなく下の「嵐電嵐山駅」です。ここまでの徒歩も、観光客の歩行速度に合わせないと歩けないということで、相当なゆとりが必要です。

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ちょうど、レトロ調に改装されたモボ21形27号が発車するところでした。

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この後は嵐山を後に、また嵐電を楽しむこととしました。

 

 

2025年3月13日 (木)

はっと気づく至らぬさ

降り立った駅の、大きくはない改札口脇に国旗! しかも「金玉金球」に黒い喪章が掛けられているではありませんか。

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東日本大震災の日、その犠牲者慰霊の証だったのです。

今月末で無くなるこの会社は、本社はじめ各駅に慰霊の国旗を掲揚していたという素晴らしい企業姿勢に、ふと気づかされたOER3001氏が恥ずかしい(涙)。

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「新京成電鉄」最後の姿を記録しておきたく訪れたのが、震災があった3月11日だったのです。

2014年(平成26年) から展開されたジェントルピンクのコーポレートカラーと「shin-kei-sei」ロゴタイプも、既に消去された車両が多くなっています。

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車号と共に社章が入ったプレートは、今後どうなるのでしょう?

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くぬぎ山車両基地では、そのジェントルピンクのラッピングを剥がす作業が進行中でした。

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駅名票も「京成松戸線」への交換準備が進められていました。

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車両基地でズラリと勢揃いしたジェントルピンク車両群。

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これを記録しておきたくて出掛けた次第。

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「京成線直通」という行先表示はどう変わるのでしょう?

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最後は新京成らしいと思っている京成津田沼と新津田沼間の単線急曲線区間を行く光景を収めて終了。

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新京成電鉄って、OER3001氏の学生時代には労働争議も活発でストも多い、あまり好感が持てる企業ではなかった記憶ですが、近年は好感の持てる企業に脱皮していたようです。そんな新京成電鉄株式会社を、日本大震災犠牲者慰霊の日に見届けてきた次第でした。

 

2025年3月11日 (火)

3.11という日

あれから14年ですか・・・。

あの日、OER3001氏は江東区青海の職場で被災。いや~凄い揺れでしたよ。職場のビルは頑丈で心配無用だったけど、館内は結構メチャメチャ。女子職員は泣くし固まるし、それ見てた方が怖くなります。

落ち着け、落ち着け、大丈夫などと言っていた本人だって不安なのなんのって。

交通手段が絶たれ“本土”に渡れないので職場泊まり。配られた備蓄非常食のありがたみを実感していたっけ。

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翌日になって何とか帰宅できたものの・・・、計画停電の影響で電車は運休と間引き運転。

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これだけの災害だったのだからやむを得ませんよね。

Lat21611311811東日本大震災 100枚の記録 写真特集:時事ドットコム

でも14年経った今、怖い思いをした原発をまた運転しようと、本気で考えている輩が居ると言うのにはどうしたものか。使用済み核燃料の処理だって未解決。核のゴミは増え続けるばかりですよ。

 

2025年3月 9日 (日)

J.Wally Higginsさんの写真展

今日しかない! と急遽出掛けてきました。

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山の手線田端駅を降り、左向こうのビルがその会場です。

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オフィスビルなので土曜日は閑散としています。エレベーターで目指すは17階。

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エレベーターの扉が開くとこの案内。

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一応受付で記帳すると、その向こうが会場。嬉しいことに撮影OKですって。

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カナリヤ色の山手(やまて)線と言われた101系や

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御徒町駅横にあった引き上げ線に休む“ハチマキ”が入った401系の姿も懐かしい。

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今月で無くなる「新京成電鉄」の古い記録も興味深いですが、

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OER3001氏の眼はやはりこちらに。

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何度も足を運んだ東北沢駅が懐かしい! 下り急行のHEを退避するABFM、上り線には1800形だぁ。

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この写真展はサンエー印刷とフォト・パブリッシングによるものだけに解説も結構いい加減でした。多摩センターでのABFの画像など1970.5.11撮影とあるが、小田急多摩線の多摩センター開業は1975.4.23。

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他にも荒っぽい解説があったものと思われますが、この時代の井の頭線3000系には興味津々。だって今、まさに模型製作進行中なのですから。あれっ、ワイパーがFRP部分と同色だ!

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先日、新宿歴史博物館で見た5000形の現役時代も。

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上野の懸垂電車(モノレール)と交差する都電動坂線だと。OER3001氏の本籍地近くを走っていたのですね。

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会場から見下ろす風景がまた良かったです。残念ながら「こまち」や「つばさ」と併結しない単独「はやぶさ」が。

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今にも雪が舞って来そうな寒空だったことで、屋外も逆光を気にせず楽しめた次第です。

 

2025年3月 7日 (金)

能勢電鉄全線乗車

川西能勢口まで行ったのなら、能勢電鉄にも乗って見なければ失礼かと思い、翌朝改めて訪問。日生中央行が発車を待っていました。

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前に訪れたのはこれを撮るためでした。

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当時は川西能勢口から妙見口行。日生線は未開業です。

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この駅から歩いて撮影した懐かしい思い出が蘇ります。

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そんな昔を思い出しながら、トンネルに入り・・・、

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撮影していた猪名川橋梁を渡ります。

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すると鼓滝、鶯の森と共に、喉かな良い駅名です。

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さらに、これらを楽しんだら次は「ただ」なんてね。

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ここを走る阪急から移籍した車両の日除けカーテンが何とも可愛らしいではありませんか。阪急時代はアルミの鎧ではなかったかな?

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そのまま日生中央まで乗り通しました。

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日生中央駅は、日本生命保険新星和不動産により開発された計画人口30,000人の「阪急日生ニュータウン」への足として開通した「日生線」の駅。開業は1978(昭和53)年12月のことでした。

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ここに充当されている車両は全て「ワンマン」、側扉の上には安全確認用のカメラが取り付けられていました。

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日生中央から戻ります。山下駅までは2.6キロ、高架と隧道区間で途中駅、踏切の無い高規格の全線複線を、最高速度80キロで快走します。

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乗車したのは7250-7280-7230-7200の4連。ワンマン仕様の運転台、興味深いものです。

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妙見線との接続駅は「山下」、一旦駅を出てみることにしました。

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高架構造の保守に心配な部分が見られます。コンクリートが剥がれ、鉄筋が見えている箇所が散見されます。高架下駐車場に止めた契約車輛等への落下被害は無かったのでしょうか?

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駅付近を一回りしてから再入場したら、現有最古参の1700系(元阪急2000系)を見ることができました。若しかして最後に残った編成かな? FS345台車を見られて嬉しかった。

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能勢電鉄は元々川西能勢口から妙見口までの12.2キロの路線でしたが、山下から妙見口は単線。運行される列車も半分の2両になって区間折り返しとなってしまっています。

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途中には隧道区間もあり、隧道と隧道に挟まれたような光風台駅は模型レイアウトのようでした。

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4駅目が終点の妙見口となります。どこか叡電のような雰囲気も感じる好ましい駅舎でした。

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2両編成の5100系の遮光カーテンは、先の4両編成とは異なる絵柄でした。

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旧来の左手主幹制御器、右手制動弁ながら、ワンマン運転仕様に改造された運転台もまた興味深いものです。

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全線にわたり高規格の電化路線で、山下から奥は性格の異なる2線、車両は4両と2両など、模型製作者にとっては実に楽しい、興味深い民鉄の1社であることを再確認できたひと時でした。

 

2025年3月 5日 (水)

地下鉄博物館へ

久しぶりに地下鉄博物館に行ってみました。このテーマ展示が目的の一つでした。

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西洋からの外国人まで入館されていたのには驚きました。平日ということもあり、今回はこのシミュレーターで運転トライ。

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車体も前後左右に動くため、運転(操作)しているOER3001氏にも、力行/制動、曲線区間での左右動が伝わって来ます。

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“遊び”はこの程度にして、今回は模型を中心に見ることに。中でも御茶ノ水の模型には見入ってしまいます。

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目線を下げると、なお実感が。

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展示模型のように、実際には丸ノ内線、中央快速線、中央総武緩行線の上下全ての列車が行く光景は、なかなか捉えられません。

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良~く見てみれば、模型では丸ノ内線線路が低すぎる(国鉄線が高すぎる)ような気がしますが、なにか特別の解説がなされていたのだろうか? 気になるとまた近日、訪問してみたくなります。

2025年3月 3日 (月)

雛祭り

寒の戻りと予想される今日、3月3日は雛祭りです。

OER3001氏の家庭には女児は誕生しなかったこともあり、雛祭りは子どもの幼稚園時代のイベントくらいで縁遠い存在でした。そこで今回は勝手な雛祭りということで、先日の関西からの帰路での出来事を。

小田原からGSE展望席(7号車14C)を予約していましたので、エスカレーターではなく新宿方向の階段を行けば斯様な光景。

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女性運転士も多くなりましたね。

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ふと、ベンチに座る若い女性ひとり。スマホに夢中のようです。

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10番ホームから各駅停車・新松田行が発車して行ってもスマホ操作に夢中。

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間もなくして、OER3001氏が乗るGSEが入線して来ました。

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やっとスマホ操作は終えたようですが、ずっと座っていました。

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OER3001氏は開扉した列車に乗車、14C席に落ち着きます。

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すると・・・、なんと! あの女性がOER3001氏の隣、14D席に。

こんなことがあるものかとドキドキしつつ、EXEとの離合を撮ったりして、胸の高まりを紛らわせます。女性はコンビニで買って来た総菜などの夕食を楽しんだ後、折角の展望席なのに目をつぶってしまったようでした。

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OER3001氏は新百合ヶ丘で降りましたが、14D席の女性は眠っていました。下車後に撮ったこの画像にしっかり写っています。因みに14A、14B席はカップルであとは殆ど空席の展望席でした。

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ということで、ちょっと早い雛祭りのご報告としましょうか。

 

2025年3月 1日 (土)

高田馬場で小田急を撮る

西武鉄道へ譲渡され、5月から国分寺線で運行される予定の8000系、西武全線でのPQ車輪試運転最後は西武新宿線。車両本位の撮影ではなく、西武新宿線であることがわかる場所選びに徹して、JRと並走する西武新宿から高田馬場の区間で撮ることとしました。

最初に浮かぶのは山の手線新大久保ホームからですが、埼京線の上下、山手線内回りに被られるリスクは大きすぎます。

先日の池袋での撮影後、ロケハンして決めた場所がここ、高田馬場駅南方でした。30分以上前にここに陣取ったら、結局最後は同業者数組が現れた次第。ビル影でどうにもならない場所ですが、山手線と並走してくれました。

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やったね! と気を良くして下りを待ちます。下りは半逆光ですがなんとかビル影も避けられるところで撮れました。

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結果的には新大久保ホームからでも撮れたようですが、まあ良しとしましょうか。よっぽどの異変でも起こらない限り、今後この区間を8000系が走ることは無さそうですから。

 

2025年2月27日 (木)

四ツ谷見附橋

ここ何回か、先に訪れた新宿歴史博物館に関連した記事を掲載しています。

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正面左側の庭園では、紅梅が楽しめました。

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玄関の左側に、1913(大正2)年に完成し、道路拡幅のために1991(平成3)年に掛け替えられた四谷見附橋の説明パネル。

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その横には、再利用できなかった部材の一部として保存された、高欄の一部が展示されています。

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架け替えられた現在の四谷見附橋がこれ。

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赤坂離宮(現在の迎賓館)の外観と調和させたという、ネオ・バロック様式の橋梁でしたが架け替え前の姿がここ八王子市の長池公園に復元されています。

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橋の中央にはしっかり右から「しはけつみやつよ」とあります。

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高欄部材の一部は別に説明が添えられて保存されていますが、

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鉄道ファンならこれをしっかり見なければいけません。東京市電→都電の軌道部分の一部も保存され、その構造もしっかり確認できるのが嬉しいです。

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何より自然にも恵まれ、四季折々の姿を楽しむことができるのです。

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都市の拡大で、架け替えを余儀なくされた橋梁ですが、110年を経た今も、その優雅な姿を維持してくれていることは素晴らしいこと。「新宿グランドターミナル」構想とやらで工事が進む新宿ですが、100年経っても通用するデザインであることを願うばかりです。

 

 

2025年2月25日 (火)

都電とロマンスカー

先に取り上げた新宿歴史博物館には、鉄道好きには見入ってしまう“鉄道車両”が展示されています。

その1、都電5000形があることは前回のコメントでも触れました。忠実に再現されたレプリカですが、実車そのもの。正面から見ると良い顔しています。「驛宿新」の方向幕と覗ける車内灯のグローブが良いですね。

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1930(昭和5)年から製造された5000形(当時は東京市電気局)のこの姿での活躍を、OER3001氏は知りません。窓枠は車体色ではなくニス仕上げだったのですね。

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運転台には三菱電機製の主幹制御器、KRL型という実物が。

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「安全地帯」と表示された停留所とともにセットされています。

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台車と車輪は実物でD-12、レプリカの車体は思えない調和が取れていますが、当時の色はグレーだったのでしょうか。

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参考になるかなり細かい実車図面も展示されていたので、模型を製作する時には大いに役立ちそうです。

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その2は小田急ロマンスカー3100形NSE。先頭部分を模したこれ、なんと表現すれば良いでしょう。

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内側の運転台を造形するのに作ったものです。実際の運転台は展望室の天井上にあるため、運転士は足を延ばして座る状態でしたが、主幹制御器や制動弁、計器やスイッチ類の配置はこんな感じでした。

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座席も窓1個分の4脚8人分がセットされ、実際に座ることもできます。この他に乗降用側扉も展示されています。

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これらはロマンスカーミュージアムができる以前から展示されていたのですが、なぜ新宿区立のこの歴史博物館に収蔵されることになったのか、残念ながらその経緯を良く知りません。

 

2025年2月23日 (日)

池袋で小田急を撮る

小田急から西武に渡った8000系、国分寺線に投入されると普段は走らない路線で試運転があるとの情報を某所から入手。それならと、池袋線らしい場所で撮ろうと、池袋へ出撃となりました。

狙う場所はここ、西武鉄道の本社ビル跡地に建てた、列車のダイヤグラムをモチーフにした外観の「ダイヤゲート池袋」。その2階レベルが公開空地「ダイヤデッキ」になっています。

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詳細な時間は知らないので、概ね30分前からいろいろテスト。デッキの青みががったガラス越しですが、後で色補正すれば何とかなるだろうと踏んで。

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特急用のホームに入るのですね。暫くして折り返す発車も「ダイヤデッキ」から。ちょうど保育園児の屋外活動に重なり、賑やかでした。

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豊島園から折り返してきたのはホーム先端で待ち受けました。幸い“同業者”は現れず、のんびりと撮れた次第。

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「ダイヤデッキ」の下は、甲州街道のガード下を抜けてくる小田急新宿駅のようです。

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予定の試運転を終えて、戻っていく後方を撮って、この日の第一目的を終えました。

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OER3001氏が折角出掛けた都会、これだけで帰る筈はありませんね。その模様はまた改めて、と言うことにしましょう。

2025年2月21日 (金)

驚愕の“新宿”

ここのところ変わり行く新宿西口に触れてきたところで・・・、凄いものを見て来ました。解体前の小田急百貨店ビル(正確には小田急ビルと地下鉄ビル)、西口広場などが具に再現されたジオラマ。

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西口だけではなく、新宿駅周辺が正確に作られているではありませんか!

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東側から見ると、西口高層ビル群が正確に再現されています。

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右手前には「伊勢丹」、駅の手前は「マイシティ」、JRのプラットホームを越えたところに「小田急百貨店」と「ミロード」、「京王百貨店」。

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南側に移動してみれば、代々木駅のプラットホームとあのエンパイヤステートビル擬きのNTTドコモビル、新宿御苑。

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OER3001氏としては、この画角が気がかりでした。右の白い小田急ホテルセンチュリーサザン、左の青い山野学院ビルの間。

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ズームしてみると、しっかりあの元小田急電鉄本社のビルまで正確に。

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そして線路が伸びる南新宿駅のプラットホームまで正確でした。

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このジオラマは1/1000で作られたそうで、一連の再開発工事が始まる前の2020年の様子だということ。「安田生命ビル」も「スバルビル」も、ここでは見ることができます。

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それはここ、新宿歴史博物館

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4月13日まで、「写真と絵画でみる昭和30年代の東京風景」という魅力的な企画展示が開催中です。

 

2025年2月19日 (水)

ロマンスカーホームのガラス窓

特急“ロマンスカー”が華やかだった時代、「はこね」は小田原までノンストップでした。その乗車ホームが、国鉄中央緩行下り線に面した1番ホーム。グリーン車のマークのようなカタチの大きなガラス窓からの外光が、箱根方面への観光に向かう気分を、なお一層明るく盛り上げてくれたものでした。

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次世代ターミナル構想「新宿グランドターミナル」の実現が最終目標とされる大改良工事が進み、この独特な窓も見納めになる日が近いような。

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JR線側からは既に、窓の内側に空調設備などが設置されたお陰でロマンスカーの姿を見ることはできなくなっています。完成後にはまた、JR側からロマンスカーが見えるようになるのだろうか。

 

2025年2月17日 (月)

新しいのが消えて古いのが残る

この付近に出掛けた際には必ずと言っても良いくらい、ここ旧南新宿駅跡の跨線橋に上がって電車を撮っています。右手のレトロなビルは旧小田急本社ビル。小田急電鉄本社は移転し、今は関連会社が使っていますが、HB車の時代からABF車、ABFM車、20m大型車体、ステンレスと、電車のカタチは変われどず~っと行き交う電車を眺めていたビルです。

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新宿は小田急の起点でもあり、西口はシンボルでもあったのだが・・・、新たな時代に向けた大改造が進行中。既にあのシンボルは解体されてしまい、東口のビル群が丸見え。

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これらの構造物が取り壊されて、それより遥かに古い、冒頭のレトロビルが健在という矛盾。

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新宿西口の大改良工事の完成は2046年度だそうですが、OER3001氏は96歳。果たしてみられるだろうか?

 

2025年2月14日 (金)

富士急共演

2月上旬のシニア運転会では、富士急(現・富士山麓電氣鐡道)2編成の持ち込みとなりました。

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元京王5000系(5100)転じた1000系富士登山電車は、元小田急2200形の5700系を走らせた後の出場となりました。5700系は実車通り、元小田急2200形の塗装変更です。

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実車が並んだ時期はありませんが、ペーパー自作模型だからこそ成る情景にうっとり。

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実車の富士登山電車は目下長期運休中。運用停止になる時期も近いと思われますが、OER3001氏自作の車内には完成以来ず~っと、何年経っても年を取らないアテンダントさん乗務中です。

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NHKのチコちゃんは永遠の5歳とされていますが、このアテンダントさんは永遠の・・・。

 

 

2025年2月12日 (水)

井の頭3000系競作

多摩川畔でのシニア運転会に、競作メンバーOK氏のサーモンピンク3709編成がデビューしました。奇麗な仕上げに驚愕です。

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折角なのでそこに、OER3001氏製作中の3705ラベンダー編成を並べさせて頂きました。

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いや~いいな~、この並び。未だやること沢山残っているけど、早く仕上げなければ。

大いに刺激を頂いたシニアの運転会でした。

 

2025年2月10日 (月)

94万アクセス到達

アクセス数到達に因んだ語呂合わせ画像の掲載は暫くサボっていましたが・・・、2月8日に94万に到達していました。90とか95とかキリの良い数字ではありませんが、OER3001氏には捨てておけない数字と言うことで小田急のデハ9400を。

1972(昭和47)年1月に登場した9000形は4両編成でしたが、4+6の10両編成を実現するため翌1973(昭和48)年10月から6両編成の登場となります。その6両口の車号が、デハ9400-デハ9500-サハ9550-サハ9650-デハ9600-デハ9700とされ、新宿方先頭車が9400~を名乗ります。

開通50周年を迎えた小田急多摩線、1974(昭和49)年6月1日の祝賀列車に充当されたのは同年2月竣功の最新車両9404×6でした。

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1978(昭和53)年3月からは地下鉄千代田線直通を担い、それに伴い地下区間での非常時通り抜け対策として、4両編成のデハ9300と共に正面の手摺形状が変更されてしまいました。

19910203_170616__n14 新松田-渋沢間)

4+6+の10両編成での運用が定着して行くと、9000形6両編成の運用に出合う頻度も低下。なかなか新宿方9400の姿を収めることも少なくなってしまいました。

19940506_200913__14 (小田急多摩センター-小田急永山間)

そもそも沿線の光線状態から小田急は、小田原(西、南)方からの撮影の機会が多く、逆光気味になる新宿方の撮影頻度が少ないのです。

19951117_210808_n14 (登戸-和泉多摩川間)

しかも、10両時に中間に入ることになる9400ですが、なんとかここに掲載できる画像が見つけられた次第です。

さてさて、アクセス数が100万に到達するのはいつのことか? 

 

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