2020年12月8日より、拙ブログへのアクセスにSSL通信を利用するように変更しました。
従ってURLが「http→https」に変わっています。
また、コメント書き込みに際しては認証システムを採用させて頂いております。
ご理解賜りますようお願い申し上げます。
2020年12月8日より、拙ブログへのアクセスにSSL通信を利用するように変更しました。
従ってURLが「http→https」に変わっています。
また、コメント書き込みに際しては認証システムを採用させて頂いております。
ご理解賜りますようお願い申し上げます。
このシリーズ、101回以来回数と同じ数字の形式、または車号の車両を取り上げてきましたので、109回目は引退して間もない箱根登山鉄道モハ2形の109号とします。
ただ、「今日の1枚」とは言っても特別編成とし、OER3001氏のライブラリーにあった109号の過去を紹介します。最初は引退間近の本年2月の姿から。
平成にも馴染んできた1994(平成6)年夏、下回りが更新され、シールドビームの前照灯に、標識灯がステンレス製に変わっています。
翌年の1995(平成7)年、紫陽花が咲き誇る季節にも取っていました。
2年後の1997(平成9)年の紫陽花の季節にも出掛けていました。この時は、復刻塗装になった引退間近のモハ3形114号を従えて走ってきました。
そして1ヶ月後にも再訪、この時は2両固定となったモハ1形の増結となっていたので、パンタが下ろされていました。
翌1998(平成10)年の同じ季節に行ったときにはグリーンの旧塗装となって、方向板も復刻版となっていました。
グリーンの復刻塗装は翌1999(平成11)年も変わらず、110号と手を組んだ2両編成で走っていました。
複雑な経緯を持った109号、その間の改造や機器更新、塗装変更などは多岐に及ぶ車両でした。
気ままに進めているスイス風フリーは、車体、床下の塗装を終えて、艤装にかかりました。たった1両の気まま工作ですが、中身の濃い作品を目指しています。
先のロマンスカー3000形SE車で、効果が明らかになったので、これも全軸集電とします。付随台車の絶縁車輪には燐青銅線から自作した集電ブラシを、プラワッシャとプラビスで取り付けました。
床上は、センターピンから取った線と、絶縁車輪側の集電ブラシから取った線を、それぞれ床板左右に設けた接点にハンダ付けしています。
動力台車側はWB26Bパワートラックの左右端子から伸ばした線を、同様に床板左右の接点にハンダ付け。
車体下部の補強に用いている4×5㎜の真鍮アングル材が、照明関連への電線の役割を兼ねるものです。
ここまで来ましたが、ここからが実は、先が読めない工作が待っているのです。
チップLEDによる前照灯、尾灯、テープLEDでの室内灯は、その配線基板をどう作り、何処に収納するか。コンパートメントの車内をどう作っていくか、乗客フィギュアはどうするか・・・等など。
まあ全てがフリーなので、楽しみながら息抜きしつつ、ゆっくり進めていきます。
オレンジバーミリオンとグレーの間にホワイトラインを纏って登場した、ロマンスカー3000形SE車のデビューは衝撃的でした。OER3001氏が小学生となったの1957(昭和32)年のことでした。
その憧れのSE車模型を漸く完成させたのは、昨年夏のことでした。
コロナ禍は第4波に差し掛かった今、“ロマンスカーミュージアム”開業まで7日となりましたが、5月のグランシップトレインフェスタが予定通り開催されることを祈るばかりです。
これまで撮っていたSE車現役時代に撮影した画像を出して見ました。初めて撮ったのは5年生だった1961(昭和36)年、ボルダ版フィルムのカメラを手に、千歳船橋駅を通過する「明星」を。この写真だけが原型の姿だったようです。
中学生になっていた1964(昭和39)年には35㎜ハーフサイズカメラのCanonDemiを買って貰い、たびたび代々木上原-東北沢間にあったホッパー引き込み線に向かい、その築堤から井の頭通りの踏切を向いて撮っていたことがありました。「はこね」が通過して行きます。この時代になると床置きのクーラーを積んだため、両側面に1カ所通風のためのルーバーが設けられています。
築堤から降りた線路横からも「はこね」を撮っていましたが、当時はこんな場所に入れたし、入っていても叱られない、タイフォンも鳴らされない良い時代でした。SE車の左に、乗ってきた自転車が写っていました。この自転車で、良く出掛けていたものでした。
この年の暮れには、家族で箱根に出掛けていたようで、お決まりの箱根湯本駅に停車する姿を撮っていました。国道を行き交うクルマも少なかったようです。
高校生になって、1966(昭和41)年には経堂駅を通過する「はこね」を撮っていましたが、この頃は理由はわかりませんがベロを出したように、非常用連結器を出したままでの運用が定着していました。
同じ1966(昭和41)年、高価だったカラーフィルムを奮発して東北沢駅で「さがみ」を撮っています。スカートのタイフォン穴が楕円形ではない正円なので第4編成(3031~3038)でした。
1967(昭和42)年には一眼レフを入手していて、35㎜フルサイズで撮れるようになっていました。この年にSSE改造が始まり、改造前の記念乗車を企んで「えのしま」に乗ったときの撮影です。
原型に復元されたSE車ですが、細かいことを言えば「原型」にできる限り近づけたもので、外観では屋根、モニターはSSE改造で屋根上クーラーにした時の幅が狭いままです。
塗色も、製造時に指定されていたマンセル値「N5」のグレーではなく、SSE時代の黄色みを帯びた色となっています。ともあれ、“ロマンスカーミュージアム”に収蔵されたSE車をいつでも見られるというのはありがたい。開業したら是非行ってみることにしましょう。
平均より温かい日が続いていたが、一転して平年並みの気温は肌寒く感じてしまう土曜日のウォーキングは、電車見とテーマを決めました。
公園を抜けて、最初はここ唐木田駅手前で。ちょうど来たのは廃車が発生している1000形広幅ドア車の1700形。既に方向幕は折り返しの「新百合ヶ丘」とされています。
ということは、この後に新宿からの急行(日中は多摩線内各停)が到着するはず。待っていたら8000形で来ましたが、唐木田到着前に「回送」表示になっています。
もう1本、各駅停車は1000形でした。
足を伸ばして、これまで撮ったことが無かった場所へ向かいました。多摩南部地域病院、正確には公益財団法人東京都保健医療公社が運営する病院ですが、その北側で画像右は府中カントリーの下を潜るトンネル「多摩センター第1トンネル」です。
準特急が行ったということは、多摩センターで待避していた区間急行(各駅停車)が直ぐに来ると思い待機。都営車が来ました。
多摩センター駅方向に向かう途中で「隙間電車」やってみました。「隙間」とは言っても、二子玉川辺りの東急線に比べれば余りに間口が広い。ちょうど交差点を右折しているのは南大沢に向かう京王の高速バス。成田か羽田空港からのものです。
この後は電車とお別れし、公園内を巡って帰宅。歩数計は8,600歩を示していました。
ここのところ府中界隈での情報が続いていますが、今回は都電6000形。6191号が、府中市郷土の森公園に保存されています。EB10を見に行った序でに、こちらもじっくり観察して来ました。
6000形の諸元と共に、保存に至った経緯が紹介されていますが、府中市が東京都から購入したとのことです。
先ずは乗降用の階段、手摺の無い側から。塗装が剥がれ、大分痛んでいますので早急に補修したい状態ですが、方向幕は「新橋」です。
それでも折角なので、遊んでいる子供たちが映らなくなる機会を待って、側面を撮りました。
反対側の顔、方向幕は「荒川車庫」と。
車内見学用の階段と手摺がある反対側面にまわってみます。主抵抗器がありました。
「新橋」の顔方向からも撮っておきます。これで全方向からの撮影が叶いました。
下回りも観察しましたが、台車には主電動機が確認できます。下ろされていないのが幸いですが、主制御器が確認できませんでした。
ここでは車内公開は相当前から出来ない状態で、荒れ放題の車内は物置にされていました。昔の鉄道車両が残っていること自体は嬉しいですが、斯様な状態では悲しいばかりでした。
OER3001氏が知る下河原線は、国分寺から東京競馬場前までクモハ40の単行が往復していた時代ですが、乗ったことはありませんでした。EB10を見に府中市郷土の森公園に行って、その界隈が興味深いことを知り、また出掛けてみました。
今回は京王線の中河原駅を降りて、歩いて見ることにしました。スマホの地図頼りに線路跡を整備した歩行者・自転車専用の“下河原緑道”で向かった先は、東京砂利鉄道が設けた下河原駅跡ですが、集合住宅や都立職業能力開発センター、府中市立心身障害者福祉センターなどが建ち並び、それらしい表示も見付けられませんでしたが、下河原という地域の解説がありました。
ここからさらに、下河原緑道を北に向かって歩きます。
ピンクや
白い
ハナミズキを楽しみながら、郷土の森博物館北側に沿って進みます。
暫く進むと・・・、なんじゃこれは! サントリー武蔵野ビール工場の裏手に積まれたビール容器とパレットでした。
流石に凄い量、一体誰がこんなに飲むの!?
さらに進んだところで、下河原緑道の分岐点に出ました。画像では右奥からこちらに歩いて来て振り返った画像ですが、左へ進むと東京競馬場前駅跡に至りますが、今回はそちらへは向かいません。
南武線を越えます。画像の向こうが西府駅となります。
馬場北裏通りを渡るところに、幅は1,067㎜ではなさそうですが斯様な線路が! 線路の上を歩いて進みます。
京王線の“隙間電車”が見えました。既に府中駅近くです。
京王線を潜って振り返り、再び“隙間電車”を。下河原緑道の入口右に「下河原緑道」の表示が確認できました。
甲州街道を渡った先に、再び線路がありました。
その線路に沿って行くと、プラットホームに駅名標らしきものが。
下河原線広場公園として整備されています。
そしてその横に、下河原線の歴史が解説されていました。
ここで下河原緑道は終わるのですが、OER3001氏は武蔵野線北府中駅方面に歩いてみました。すずかけ通りで完全に道は途絶えます。
画像はすずかけ通りからですが、武蔵野線左の空き地が元の下河原線線路だったのでしょうか。
天気が良く温かい午後のウォーキング、ここから北府中へは諦めて、京王線の府中競馬正門前に向かうこととしました。
夕刻から雨との予報を耳に、曇ってきた天気も光線には最適と、急に保存されているEB10を見たくなり、府中市郷土の森公園に行ってみました。
OER3001氏は残念ながら稼働している姿を見る機会はなく、実機は今まで見たことがありませんでしたが、雨をしのぐ屋根の下に保存されていました。
諸元と共に、保存の経緯が紹介されています。府中市には東芝府中工場がありますが、その東芝はこの保存に特に関与してはいませんでした。
柵で囲われているため、なかなか写真は撮りづらいですが、文句は言えません。こうして小田急開通と同じ1927(昭和2)年製の機関車を目前にできることに感謝です。
窓にはガラスがなく、保護棒が溶接されていますがそれも我慢です。
第2エンドのフロントナンバープレートは複製品でした。
なんとか第2エンドの顔も撮りました。
運転室に入れるようになっているのは結構なことですが、そのためか荒らされているのが残念です。
それでも雰囲気は味わえます。
主幹制御器はまずまずですが、制動弁は無くなっています。計器類もこの有様なのが悲しいです。
この主幹制御器には「株式会社 芝浦製作所 東京」とあります。1904(明治37)年の株式会社への変更から、1939(昭和14)年の東京電気を合併して東京芝浦電気への商号変更までの社名です。
それでもOER3001氏にとっては、下回りを観察できたのが幸い。単軸台車の電機など、もはや滅多に見られるモノではありません。
車軸間にはブレーキシリンダーと大型の空気溜が2個、制御溜は軸受けの横にありました。
主電動機の取り付けが面白い。床下から伸びたアームにボルトで結合し、車軸に吊り掛けと言う構造です。
裏面にもまわって、背の高い柵の上に手を伸ばし、第1エンドがなんとか取れました。
同じようにして第2エンドも。
天賞堂製品で知ったED10、実車を隈無く観察できて、ちょっとした満足感を味わえました。
様々なメディアで取り上げられていますが、ロマンスカーミュージアムの開業までちょうど2週間となりました。オレンジバーミリオンとグレー、ホワイトの3色デザインを纏ったSE、NSE、LSEに加え、HiSE、RSEと、5車種が展示されるロマンスカーギャラリーが目玉ではありますが・・・、
NSEの現役末期にはこんなイベントトレインとなったのもありました。
小田急開業70周年を記念して改造されたもので、“ゆめ70”と名付けられました。JALを連想するレッドとダークブルーのカラーリングで、手を繋いだ人のデザインが側面に展開されていたもの。好き嫌いは別として、イベントトレインらしく目立つものであったことは確かでした。
この画像は23年前の今日、4月5日に玉川学園校内の松陰橋上から撮影。「さがみ」としての運用に就いていました。
はい、ありました、4月4日の記録が。
先ずは5年前の2016(平成28)年4月4日は月曜日。その日の気分でコースを決める退職後の日課・ウォーキング、小田急唐木田車庫に寄っていました。しっかりサクラを絡めて、待機している2編成の4000形を撮っていました。
2010(平成22)年の4月4日(日)には京王電鉄平山教習所の一般公開が行われ、生憎の天気でしたが保存車両を見に行きました。デハ2410は多摩動物園駅前で保存されていたものが移送されました。
デハ2015は、若葉台車庫で保存されていましたがここに移送。
クハ5723も加わっていました。
2005(平成17)年の4月4日は月曜日。業務で出掛けた折に、飯田橋-市ヶ谷間を歩いて撮っていたようです。
1993(平成5)年には玉川学園付近のサクラを撮りに行っていました。この日は日曜日で、玉川学園校内が花見のために一般公開されています。20000形RSEもまだ元気には活躍している時代始めて3年目。読みづらいですが種別は「あさぎり」です。
4月4日という特定日の撮影記録を探してみましたが、毎年この日に鉄道関連を撮っている訳ではありませんが、あれば時節柄、殆どがサクラを絡めて撮っているものでした。
探せば見つかるものですね。
5年前になりますが2016(平成28)年の4月3日は日曜日だったかと。成城学園前の友人宅での花見会に出掛けていました。コロナ禍の今では出来ないことになってしまいました(涙)。
待ち合わせ前の時間に、暫しの電車撮影を楽しんでいました。初めは下りプラットホームから。
急行・唐木田のJR-E233系も今では見られなくなってしまいました。
成城コルティの4階屋上から、複々線を行き交う4列車を収めたかったのですが、なかなか叶いませんでした。満開のサクラを入れた3列車がかろうじて。下り各駅停車は遙か遠くに前照灯だけ確認できました。
そう言えばここ成城コルティ屋上からの撮影、何れは腰を据えてと思いつつ、未だにしていませんでした。
昨日の「鉄道発祥の地を歩く」に取り上げた「CIAL桜木町アネックス」に保存された110形蒸気機関車ですが・・・。
探索したら、中学2年生の1964(昭和39)年に青梅鉄道公園で見学していました。画像はCanonDemiで撮ったハーフサイズ、フィルム上部が破損していました。
その後の記録を探してみましたが、1989(平成元)年に家族で行ったときのが見つかりました。ネガカラーが大分黄変してしまっていますが、後方には5540と、上の画像と同じ位置に、綺麗な姿で置かれていました。
これに長男、次男を乗せて撮っていました。ゴールデンウィークの5月4日だったようです。
残念ながら今は、当時と同じアングルでは取れません。無理してこの程度が限界、煙突上部まで入りきれませんでした。
その代わり、右側面ならかなりゆとりをもって観察することが出来ます。
2階に上がれば上からの観察も可能です。模型製作時の参考になります。
レプリカとは言え、客車も同様に。
こうして風雨に晒されない場所に安住したことは喜ばしいですね。
陽光に恵まれた土曜日、所用で久々にこの地を訪れました。降り立ったのはここ桜木町。
ちょっと前まではこんな電車だったのですが・・・
この日、OER3001氏が乗ってきたのはこれでした。
今では東横線の駅も無くなって、こんな光景に変わっています。
ここから視線を右に向けると・・・、ビルの中が気になります。
古典の機関車と客車が収まっています。
1872(明治5)年の鉄道開業時に、イギリスから輸入した機関車5形式10両のうちの1両、国鉄形式110形が商業施設「CIAL桜木町アネックス」に保存されています。
実物大レプリカの中等木造客車とともに、昨年6月から公開されていたのを初めて見てきました。
近くの大岡川沿いのサクラもほぼ満開の中、青い空と青い電車の取り合わせも印象的でした。
新型コロナの第4波襲来も心配ながら、感染防止策を徹底しての外出でした。
連日の暖かさで、東京ではサクラが満開となってきたようですが、昨年は満開に大雪だったことを思い出します。
近所の名所もご覧の通り。満開の枝が、雪の重みで押しつぶされそうでした。
そんな中、ウェディングドレスを纏っての撮影。元々予定していたことなのに雪だったのか、雪が積もったのを利用しての撮影だったのかは知るところではありませんが・・・。
やっぱりこんな情景を収めたいですよね。
しかしもう、この場所で撮ることは出来なくなってしまいました。しっかり立ち入ることが出来ない柵が設置されてしまいました。
井の頭公園のサクラも有名ですが、最寄り駅の井の頭公園駅も見事なサクラでした。
しかし今は、サクラは見事なのですが、ホームの上屋が延長されて良く見えなくなってしまいました。
昔の想い出に慕っていても埒が明かないので場所を変えました。
時が経つにつれ、当たり前と思っている日常の景色はどんどん変わって行きます。後悔することが無いように、せっせと撮影に出掛けることにしましょう。
ここのところ、バーゼルの路面電車を取り上げていますが今回はその4回目。
バーゼルSBB駅から北に数百メートル歩いたところにHeuwaageと書かれた駅、停留所がありました。ホイヴァーゲと発音するのでしょうか。当時は終端駅だったのですが、今Googleマップで見ると路線延長して中間駅になっているようです。
ヨーロッパらしい雰囲気の、とても魅力的な駅に、メーターゲージの路面電車と言うより立派な郊外電車らしき3両編成が停車していたのです。運行系統は「17」、日本流に言えば、デハがサハとクハを連結しています。“デハ”の車号は16と。
あまりに魅力的な電車、スイスの街中にぴったりではありませんか。乗車することは出来ませんでしたが、前から、左から、右から、そして向こう側にまわって、時間の許す限り眺めてしまいました。
駅舎の後方の三角屋根は図書館らしいです。今は右手の駅舎は取り壊されているようです。
反対側の“クハ”は23。貫通扉中央の黄色い目玉様のマークは、市内電車に掲示された“不正乗車防止”のマークだと聞きました。ゾーン製の運賃で、乗車前にきっぷを買う必要があるのですが、悪意をもって無賃乗車しようとすれば出来ないことはないようですが、見つかった場合の制裁はかなりの高額と聞きました。
午前10時20分頃からの数分間で、“クハ”も反対側面へまわって撮りました。
“クハ”先頭の3両編成の姿もしっかり押さえておきました。
この3両編成、発車を見届けぬままに、列車に乗るためにバーゼルSBB駅に急いだのでした。
この車両について、Web等で調べてみたものの詳細はまだ解らず仕舞い。バーゼル市交通局(Basler Verkehrs-Betriebe(BVB))だとしたら緑色の車両だったはずなのに、なぜこの青/白ツートーンカラーだったのか・・・?
ご存じの方が居られたらご教示頂きたいものです。
最近のコメント