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さようなら、下北沢駅
って、別に廃線になるわけではありません。複々線化工事の進捗によって、3月23日から地下化されることが発表されました。
1927(昭和2)年開通の小田原急行鉄道が開通とともに開設しました。開通時は島式ホームだったようですが、OER3001氏としては物心ついたときには既に上りホームが設置されていました。上下線とも山側開扉という珍しいホーム配置が続いています。
1933(昭和8)年に帝都電鉄が小田急を跨いで島式ホームを設置。以来、改札口を通ることなく乗り換え可能の構造が続きました。
青春の思い出もある現・下北沢駅、記録を残そうと撮影して来ました。
新宿方、東北沢6号踏切。ちょうど上り快速急行の‘FトレインⅡ’が発車して行きます。
新宿から、今度は急行相模大野行となって折り返して来た‘FトレインⅡ’を、上りホームの先端から撮ります。東北沢からの下り勾配を駆け下りてくる列車も見納めです。
小田急線の頭上を、井の頭線が跨ぎますが、なかなか両者の顔を撮ることができません。おまけにこの場所は、防護ネットが邪魔で・・・。
「みどりの山手線50周年」として、全身緑色になった山手線が話題です。https://vse50001.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-8fa3.html
そこに最近、S社が○の中に茶という文字を入れたお茶のロゴマークを追加しました。私としてはJR東日本にあまり良い気持ちを抱けません。「みどりの山手線50周年」ではなかったのか!
昭和の時代、みどりの電車は山手線だけではありませんでした。
1200形、1300形など、「HB車」と呼ばれた仲間には1400形もあります。「HB」とは手動加速、バッテリー制御を意味しますが、専門的な話故詳細は省略します。
これまでにクハ1450形を取り上げましたが、残念ながらデハ1400形の模型はこの1両だけしか制作していません。
デハ1400形1406。引退後、経堂にあった教習所の教習車となって、解体されずに残りました。教習車といっても、運転教習で線路を走るわけではなく、車両基地の片隅に金網で閉ざされた一角に鎮座していたもので、車窓から眺めることができたものです。それまでのチョコレート色から、当時の一般車両の塗装であるオレンジイエローとダークブルーの塗装になりましたが、現役時代にこの塗装にして走っていたらとも思います。
模型は1979年の作品。当時発売されたばかりの「パワートラックWB26B」を初めて採用し、私のパワートラック試験車両となりました。屋根も含めてアイボリーペーパー製です。
前回(2/9)ご紹介の1200形と1450形の3両編成です。
「朝方のラッシュにはデハ1300形を増結した4両編成で近郊区間の各駅停車に活躍」と紹介しましたが、その増結に使われた1300形です。
高校時代の1967年に、木製の屋根板と床板、白ボール紙の車体で自作しています。パンタグラフから集電できるような配線を施していて、架線集電運転を試験したこともありました。
この1300形、1959年(昭和34)にワイドな1,500㎜幅の両開側扉とアルミサッシ窓という近代的スタイルになって更新されました。4両在籍していたので、ラッシュタイムが終わると1300形だけを2~3両連結、「新聞}という前面表示を掲げ、新宿から沿線各駅売店への夕刊配送の任務にもあたっていました。
模型は古い作品なので、新たにまた、製作したくなっています。
いま、山手線にみどりの電車が走っています。
と言ったって、「? 山手線は緑色だろ!」と思います。
いやいや、そうなんですが、ステンレス製の銀色車体に緑色の帯を巻いた姿が通常ですが、ステンレスの地色を全て緑色のラッピングフィルムで覆った、全身緑色の電車が1編成だけ走っています。
JRは、その運行時刻を事前に案内してくれないので、遭遇するチャンスは極めて少ない。
ところが! 昨日は偶然にも2度、乗車することができました。 1回目は鶯谷から日暮里までの一駅だけ。 2度目は日暮里から新宿まで。 新宿で降りて記念に1枚、夜も遅かったですが乗降客が居なくなったところを狙うことができました。
で、この後さらに、イチかバチか間に合うか???と思いながら向こう側のホームまでダッシュ! 一応綺麗な姿を収めることができました。 ラッキー!
1927(昭和2)年、新宿~小田原間82.8㎞の小田急線開業時に用意された、長距離用の2扉クロスシートのモハニ101型12両のことを前回ご紹介しました。
第二次世界大戦時に、東横や京浜、その後に京王も加わった東京急行電鉄となり、戦後の1947(昭和23)年になって現在の小田急電鉄となりますが、その間に何度か改番され、最終的にはデハ1200形となりました。
1955(昭和30)年頃から車体更新を受けた姿です。
丸味を帯びた顔は平面に、丸窓も無くなり、ロングシートに改造されてしまいました。
この編成は1211(新宿向)+1212(小田原向)を背中合わせに連結、その小田原方にクハ1450形1462を連結した3両編成。1960年代後半まで活躍しました。
下の写真はクハ1450形が先頭です。
この3両編成、小生が小学生の頃、朝方のラッシュにはデハ1300形を増結した4両編成で、近郊区間の各駅停車に活躍、日中は3両編成で「準急・片瀬江の島行」などに使われていたことを思い出します。
模型は1980年12月から1981年1月に完成したもの。動力はL-3モーターと17:2ウォームギア減速、インサイドギアで、デハ各車に搭載しています。もちろんペーパー車体です。この当時、車体のレタリングは製図用の丸ペンとエナメル系塗料による手書きでした。
小田急の歴史は1927(昭和2)年、新宿~小田原間82.8㎞の開業に始まります。
その時に用意された車両が、この長距離用の2扉クロスシートのモハニ101型12両と、近郊区間用3扉ロングシートのモハ1形18両、合計30両でした。
模型はいつものようにアイボリーペーパーで自作、1995年に完成させました。
トイレも備えられていて、そこの窓はいわゆる「丸窓」でした。
多分、ダイヤカットの硝子が使われていた可能性もあり、模型ではエンビ板の裏面を目の粗いサンドペーパーで傷をつけて表現しました。
ロマンスカーもスマートな白いVSEや、青いMSEになり、10両編成が行きかう小田急線。複々線化工事の進捗に伴い、3月23日から下北沢付近も地下化になると発表されました。http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/7896_5372651_.pdf
開業の頃はこのモハニ101形が、1~2両でのんびり走っていたなんて! 信じられないですね。
2011年に完成させてすぐ、縁あって「こてはし鉄道」へ乗り入れる機会を拝受しました。それはそれは羨ましいくらい広大なレイアウトです。4両編成なんて、ちっぽけに見えるかなと思いながら・・・ゆっくり引き上げ線に入線です。
その見慣れない車両に、お父さんに肩車された坊やが手を振って迎えてくれました。すぐ右手のアイスキャンデー売りのおじさんには目も触れない、電車好きの子でした。
出庫の時間が来て本線へ。中央駅ホームに滑り込む姿は、昭和30年代の小田急線下北沢駅ホームから見上げた光景が蘇ります。
その小田急下北沢駅も、代々木上原~梅ヶ丘間の複々線化工事進捗によって、3月23日から地下化されると昨日発表になりました。ホームドアが整備されつつある現代では、こんな長閑な光景はますます見られなくなってしまいます。
こてはし鉄道様、乗り入れさせて頂きましてありがとうございました。
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