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2013年3月

2013年3月31日 (日)

ある日の小田急線

東北沢~下北沢~世田谷代田が地下化されて1週間が過ぎました。毎日の通勤で利用するも、往路は急行に着座していて、帰路は夜間でねぐらに向かうだけ、ということで、残念ながらまだ前方注視や乗降はしていないのです。

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これは東北沢駅2004年2月29日の記録。

停車中の車両は各駅停車新宿行、リバイバル塗装になっていた2600形NHE車。後方から特急ロマンスカーの10000形HiSE車が追い抜きます。ちょうど少年がカメラを向け、車窓さんが見守ります。

通過線を中に対向式ホームの東北沢駅。反対側のホーム停車中の車両の床下機器観察や撮影、中線通過車両の撮影など、大いに楽しめる駅でした。

2600形も10000形も、そしてこの風景も、はるか昔の思い出になってしまいました。

2013年3月30日 (土)

思い出の模型

鉄道模型製作を始めたのは、小学4年生の時でした。学校工作用白ボール紙を使って、ボンナイフとい商品名のカミソリ状の刃で窓を抜く・・・が、なかなか綺麗にはいかない。Oゲージと言われた線路に乗せるサイズで、当時の小田急最新型だった2400形HE車のクハもどき1両でした。

1/80、16.5ミリゲージ(16番ゲージ)を始めたのが翌5年生の時。カワイモデルのカタログを見て、当時の花形車両が欲しくて欲しくて・・・。

結局、その夢が実現するのは成人してからのことでした。写真は2012年秋の関東合同運転会でのもの。

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左の湘南電車(80系)は、友人を通じて入手したかなりくたびれていた車体を手直し、1995年にクハ×2、モハ×2、サハの5両編成でまとめました。

右は73系。1995年から2004年にかけて御殿場線をイメージし、屋根板利用ペーパー自作のサハ78400代を挟んだ4両編成に仕立てました。

真ん中の中央線(駄洒落じゃありませんが)101系は、基本7両編成ですが複雑な経歴を持ちます。1971年に仕上げましたが、この辺りは改めてご紹介することと致しましょう。

2013年3月29日 (金)

ORPT試験車両

聞きなれないタイトルかと思います。「Odakyu Electric Railway Powered Tilting Car」と言うことらしい。要するに、曲線通過速度向上のために、車体を空気ばねで強制的に傾けることで重心を内側に移動させる装置の試験車両。廃車となったクハ1658に試験台車などを装着して1970年頃に試験されました。

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模型は1974年、屋根板利用のペーパー車体で製作。台車は日光モデル製TS316を改造して使用。カーブで車体傾斜を実現させるため、台車のセンターピン部分に工夫を凝らしました。写真の半径1メートル程度のカーブでは1度程度しか傾きませんが、満足しています。

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実際の試運転は終電後の深夜に行われましたが、2220形の4両編成に連結されて実施されたので、この写真も同様の編成としています。

2013年3月28日 (木)

ある日の光景

コンパクトデジカメを買って、持ち歩いていて何気なく撮った1枚。10年前の2003年8月2日の撮影。

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東京駅1番線に停車する中央線は233系ではなく201系豊田行。復元されて賑わう丸の内側の駅舎、ドーム屋根ではなく8角形です。東京中央郵便局はここからは見ることができません。

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こちらは有楽町駅に進入する山手線外回り、231系ではなく205系。「11」という標識があることから、この時すでに11両編成だったようです。

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丸の内線四ツ谷駅。電車は今も同じ02系ですが・・・ホームドアが無く、写真が撮りやすかったです。

10年ひと昔とは良く言ったもの。確実に変化していますね。何気なく撮ってあった写真も、年月を経てあらためて見ると、いろいろなことに気づきます。

2013年3月27日 (水)

京王線多摩川橋梁の変化

3月19日付けの当欄で、中河原~聖蹟桜ヶ丘間の橋梁、架線柱に変化がと報告しました。

変化は今に始まったことではないことが、手持ちの写真を見ていて発見した次第です。

1976年6月、川上の桜ヶ丘方から撮影の写真、デハ2056を最後部にした京王八王子発新宿行各駅停車です。

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2013年3月、川下の桜ヶ丘方から撮影の写真、クハ9787を先頭にした・・・デジカメ撮影でかつ、LED表示の文字では解読不能です。

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左右の背の高い高圧線を支えていた柱は切られていました。そして、ビーム柱になるようです。

グリーンの17メートル級6両編成が走っていた時代から、今やステンレスの20メートル車10両編成が頻繁に往来する京王線の変化は、改めて凄いと思います。

2013年3月26日 (火)

東京駅一望

東京駅丸の内南口前に建つ東京中央郵便局。その建て替え問題で、2009(平成21)年2月、鳩山邦夫の再開発工事(超高層ビルの新築・旧庁舎の一部保存)の見直しを示唆する発言で揺れた経緯を持つビルが、「KITTE丸の内」としてオープンしました。

旧ビルの屋上部分が解放されていて、そこから東京駅に出入りする電車が眺められます。

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しかし・・・

もうブルートレインはありません。東海道新幹線と在来線の4扉車ばかり。はやぶさなどのJR東日本の新幹線は、左方向へ出発するため、その姿を良く見ることはできないので少々残念。

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復元された東京駅の屋根を見下ろせるのは魅力です。

2013年3月25日 (月)

ED1010形に牽かれる車両②ホキ300形、ホキフ300形

国鉄のホキ800形とほぼ同形の、線路のバラスト撒布用ホッパ車です。

小田急は6両保有し、3両編成2本に組成して使用していましたが、両端部に車掌室を設ける改造工事を実施しています。

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車掌室が付いたホキフ300形。
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両端をホキフ300形に挟まれた中間のホキ300形。

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両車ともバラストを積んでいます。砕石風に見える材料を積み、ボンド水溶液を浸して固着しました。

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デッキ部分には配電箱やスイッチ箱が取り付けられており、小田急の一般車両の帯色のロイヤルブルーに塗られていました。

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バラスト満載で出発準備完了。こうした姿が相武台前駅下りホームから見ることができました。

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ED1010形が連結しました。
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バラスト撒布場所に向け出発です。  しかし残念ながら、この光景は終電車が終わった後の深夜作業。 よって、実際に見ることはできませんでした。

模型はTOMIXが発売したプラスチック製ホキ800のキットをベースに、ペーパー自作の車掌室を取り付け、手すり形状の変更をしています。グレーは市販のプラ用塗料で吹き付け、イエローは小田急色を手塗り。レタリングはパソコンで製作し、透明シールにプリントして貼ったものです。 2010年の作品です。

2013年3月24日 (日)

ED1010形に牽かれる車両①トフ100形

小田急は開業以来、相模川などで採取した砂利を、都心の生コンクリート工場に運搬するための貨物列車の運行を担っていました。

数両の無蓋車トムを連結した最後部が、このトフ100形でした。

無蓋車だけでなく、有蓋車の貨物でも、車掌車にはこのトフ100形が連結されていました。

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この模型は真鍮板からの自作です。友人のM.Fさんが丁寧に作った、ほぼ完成の未塗装品を頂きました。

OER3001氏がやったのは、屋根板の厚み増大と軸受・車輪の取り付け、そして塗装など。車掌室内も淡緑色に塗ってあります。

屋根板は嵌め込んであるだけなので、室内塗装や窓ガラスの貼り付けには便利でした。

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ED1010形がたった1両のトフを牽いてなんてこともありました。

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端面のディテールも細かくシャープに再現されています。

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車掌室へのステップや側板の蝶番、リベットも全て、手仕事による作品です。

2011年の作品です。

2013年3月23日 (土)

凸型電気機関車(その4)

小田急ED1010形です。

1927(昭和2)年の小田急開業時に、川崎造船所の製造により2両用意されたデキ1形。戦時中のいわゆる大東急合併による改番でデキ1010となりましたが、車体表記はED1010でした。

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安達製作所製真鍮キットを組んで、1985年に完成させています。

製作時期には実車も現存していましたので、その時の姿で完成させています。即ち、新宿方のパンタグラフはPT43、小田原方には空間波無線アンテナが付いた姿です。

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代々木上原と東北沢の間、海側にあった東京コンクリートの工場に、砂利を輸送するためにトムとトフを繋いだ通称「砂利電」や、夜間の線路保守にホキ300を牽いて活躍しました。

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日本車輛(名古屋)や川崎重工(神戸)、東急車輛(逗子)などで製造される小田急の新車搬入(小田原→相模大野)にも活躍していました。2両の内1両は1968年に廃車となり、向ケ丘遊園地内に保存されていたのですが・・・。

2013年3月22日 (金)

凸型電気機関車(その3)

小田急電鉄EB1051です。

元々は日本専売公社の足柄工場で使用されていたものを小田急が譲り受け、大野工場内の入換機として使用していたものです。従って、おそらく一度も本線上を走ったことの無い機関車かも知れません。

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先にご紹介のEB101(上田交通EB4111)製作後、小型のB形機関車にはまっていましたので、勢いで作ってしまった感があります。

こちらは小田急ファンのOER3001氏ですから、フリー化することなく正規の姿にしています。安達製作所製の真鍮キットを組んで、1999年に完成させました。キット組みそのままでは、実物とは違う部分が発生してしまいます。そこで・・・

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庫への電車の入換には、小田原方の連結器が活躍します。密着式連結器(正面)や中間連結器(中間者)など、入出場する車両の連結器に合わせて、自車の連結器にアダプターを付けますが、その置き場が、山側側面と正面山側に設けられています。

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何を利用したのか、既に記憶がないのですが、スリット状の置台を作っています。

車体色にはロマンスカーのオレンジバーミリオンを使っています。また、側面の緑十字はパソコン出力によるものです。

2013年3月21日 (木)

凸型電気機関車(その2)

湘南色グリーンの車体で銀色の屋根に赤いパンタグラフというフリースタイルの凸型電気機関車。このスタイルを気に入ったのは、実は今回ご紹介するEB101から始まります。

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モデル8の上田交通EB4111のキットを組み立てました。組み立てやすく良くできた真鍮キットです。パワートラックWB24.5で駆動するので、「モーター付き台車に車体が乗った」ような簡単な構造の小型機関車です。

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もちろん、そのまま上田交通として仕上げるのも良いのですが、そうなるとこの機関車の他にも上田交通の車両が欲しくなります。さらに上田交通の車両を製作する程の金銭的、時間的余裕も無いので、フリー化することとして決めた塗装がこれでした。

1993年の作品です。安価でない天賞堂のパンタグラフに赤いラッカーを吹き付けるのには勇気が要りましたが、仕上がってみれば満足しています。」

2013年3月20日 (水)

凸型電気機関車(その1)

ED201と言います。

天賞堂が1962年に1,990円で発売したEB10形。その車体はベークライトのようでした。

ある時、その車体だけ入手することができ、いずれ何とかするかとの軽い気持ちで保有し続けていた車体を利用して、フリースタイルのEDとして完成させたものです。

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いざ、完成させようと、あれこれ考えていると、この車体は2軸のEBにしてはかなり大きいことに気づきました。流石国鉄サイズ、車体幅も2,800㎜とのことです。

それならということで、ボギー化することを考えるのですが、車体長からして市販台車を活用してということになると、結果は軸距24.5㎜のブリル台車しか使えません。イコライザー式のD14などでは、台車枠が干渉してしまうのです。

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そこで、床板を製作することになるのですが、これが結構な手間仕事に。1.0㎜厚真鍮版に、パワートラックが入る四角い穴を2箇所開け、ボルスターとなる部分に1.0㎜厚真鍮版を半田付け。この作業だけで疲れてしまいました。

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形式は手持ちの他の機関車と重複しないように、ED201としてステンレス切り抜き文字を貼りました。

塗装は湘南電車のグリーン(緑2号)とし、遊び心からなんとなくドイツ風にしたくなったので、屋根をシルバー、そして赤く塗ったパンタグラフを乗せてみました。

パワートラック2台の全軸駆動で、車内にはウエイトをできるだけ積んだ結果、小型ながら結構なパワーが発揮できる働き者になりました。

2013年3月19日 (火)

京王線多摩川橋梁

京王線が多摩川を越えるための橋梁は、中河原~聖蹟桜ヶ丘間と、京王多摩川~京王稲田堤間の2箇所あります。その内、中河原~聖蹟桜ヶ丘間の橋梁の風景が近く変わるようです。

JRなどのダイヤ改正や、東横線の副都心線直通などで賑わう3月16日(土)、愛車の定期点検のため聖蹟桜ヶ丘のディーラーに行った際、待ち時間を利用して土手で撮り鉄していました。

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柔らかい春の日差しの下、鉄橋を渡る7000系(7729F)高尾山口行準特急です。が、電車の後方の橋梁は何やら工事が進んでいます。撮った写真を拡大して見ると・・・

橋台の補強工事と思われますが、それに合わせて架線柱の交換も進めているようです。丸型鋼管の新型になるようです。

ついでに、ピッチを橋台1本おきに拡大してもらえれば・・・一段とシャッターチャンスが楽になるのですが。

2013年3月18日 (月)

渋谷の変貌

3月16日に実施された東横線渋谷駅の地下化。前日の運行から3時間半くらいで一気に線路切り替えの工事をこなし、16日初電から通常の運行を開始したことは凄いことだと思います。JR中央線の高架切り替えなど、何回も終電の繰り上げ、初電の繰り下げを実施していたのとは大違い。東急に敬意を表したく思います。

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で、今日が平日最初の日です。

OER3001氏としては、井の頭線との乗り換えにプラス7分とは歓迎できませんが、いったいどんな混乱が生じるでしょうか?

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新しい時代に向けてということは理解できますが、井の頭線の乗客にとっては課題が残る気がします。

2013年3月17日 (日)

新潟交通

小田急から行ったクハ47のパートナーとして製作したのがモハ24です。

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昭和30年代に、老朽化した地方私鉄車両の車体更新を経済的に進めるため、日本車輛が設計したいわゆる「日車標準車体」の車両です。

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日中の閑散時は1両で運行していましたが、ラッシュや多客期には、燕方にクハを増結します。

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パンタグラフは県庁前方(東関屋方)でした。

フクシマ模型の真鍮キットを組み、1999年に完成させました。

2013年3月16日 (土)

小田急開業からの電車その後④

HB車といわれた一族は、1969(昭和41)年から、NHE車と呼ばれた大型20m車体の2600形と同様の車体で、旧型電車の主電動機を使用した4000形製造のため、廃車となりました。

一部の車両は、地方私鉄で第2の人生(車生?)を送ることになります。

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これは新潟交通(既に廃線)に譲渡されたデハ1400形。主電動機は前述の4000形に供出されたので付随車となり、クハ47を名乗った元デハ1414。

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正面の貫通路を塞ぎ、大きめの窓となりましたが、あまり違和感のない改造でした。
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新潟交通の低いプラットホームに対応するため、側扉にはステップが設けられました。

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屋根上はパンタグラフが撤去されたので、その部分は通風器が足りない感じがします。

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連結面も貫通路が撤去され、正面と似たような窓となりました。

これまでに紹介させて頂いた一連の「小田急開業からの電車」同様にペーパー製です。

2013年3月15日 (金)

東武鉄道の「特別電車」

今週は東武鉄道が続いています。

今回は「特別電車」を。

「特急」は「特別急行」のことですが、「特別電車」なんて、OER3001氏が勝手に名付けたものです。

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単なる通勤型の8000系、その2両編成バージョンのモハ8500とクハ8600です。

?でも何か普段とは少し違いますね、ヘッドマークが付いていますよ。

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長男の結婚に際し、新居を構える地を走る電車の模型を製作。結婚祝賀マークを付けたものです。だから「特別電車」。2007年の結婚式の日が、この模型の完成日になっています。

ペーパールーフの自作でしたが、これほど「納期」厳守の作品もありませんでした。披露宴ではケーキ入刀の後に、この電車の発車式テープカットで花を添えました。

作品は我が家には無く、そのまま新郎新婦の住まいに行ってしまいました。

2013年3月14日 (木)

東武鉄道の特急電車

東武の特急と言えば、関東というか首都圏では小田急とともに歴史あるものです。

なんといっても5700形は、その流線型の姿、大型のヘッドマークから「ネコ」と呼ばれて親しまれました。

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この車両は1951(昭和26)年に東京・汽車製造株式会社で製造されたものです。
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流線型というより湘南顔のような正面は、その後貫通扉が設けられ、1991年に引退、暫く保管状態にありました。しました。ところが、、、

嬉しいことに東武博物館での保存に際して、金型を新たに製作し、鉄板の叩き出しで正面を新製時に復元したのです。

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「ネコひげ」と慕われたヘッドマークも!
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モハ5701という標記も、誇らしげです。

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2段上昇式側窓です。
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台車はゲルリッツ形と言われる構造の住友金属製のFS106形。
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上は左が先頭部、下は連結面側の台車。ブレーキシリンダーやボルスターアンカーの取り付けが対象となっていることがわかります。模型を作る立場としては見逃せませんね。

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淡緑色の清潔な車内ですが、蛍光灯照明は製造当時からだったのか、少々疑問ですが、まあいいか。
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運転室、マスコンも制動弁も、デスク状にビルトインされています。
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貫通路は防塵のため、幌にアクリル板が取り付けられています。
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丹念に当時の姿を復元し、保存された東武鉄道様に感謝ですね。

2013年3月13日 (水)

東武鉄道

一見、東武鉄道らしき電車の模型、会津鉄道と野岩鉄道の6050系を製作してしまったOER3001氏ですが、実は・・・

正真正銘の東武鉄道の特急電車の模型も製作してしまいました。

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1700形電車です。鉄道模型雑誌の写真コンクールか何かの賞品として頂いたフェニックス製真鍮キットを組んで、1993年に完成させています。

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この作品も車内を作りました。青いシート背面に、タックシール製の枕カバーを1枚1枚貼りましたが、窓越しに見える雰囲気はなかなかだと思っています。
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前照灯をを輝かせ、室内も明るく・・・

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築堤を行く姿は、今市から東武日光へ向かう路線を思い浮かべませんか?

2013年3月12日 (火)

会津鉄道の電車(その2)

この模型製作のきっかけは、家族で湯西川温泉に旅行した思い出からでした。湯西川温泉に1泊した後、会津方面まで足を延ばした際に利用し、快適な車内に惚れてしまいました。

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模型でも車内を作りました。シートは赤く塗り、枠をアルミ製のようにシルバーを筆入れしてあります。室内の照明も付けました。

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正面も前照灯、尾灯はもちろん、オデコのフォグランプ(?)もLEDで点灯するようにしています。

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台車はSミンデンタイプですが、使用パーツをモハとクハで変えています。

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床下の機器類もかなり自作しました。材料は角材とペーパーの他、ずらり並んだ主抵抗器には、会社で見つけたエッチングシートを切り離して使ってみました。

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とても手間をかけた1997年完成の作品です。

2013年3月11日 (月)

会津鉄道の電車(その1)

会津鉄道は、国鉄再建法によって1987(昭和62)年、国鉄会津線(西若松~会津高原尾瀬口間57.4km、駅名は現行駅名)を引き継いで開業した全線非電化の鉄道だながら、岩野鉄道を介して東武鉄道との直通運転のために、東武6050系と同型の6050系200番台(モハ61201+クハ62201)1編成の電車を保有します。

この1編成は、東武6050系や、野岩鉄道も保有する同型3編成と共通運用されているので、時には自社線に戻って来ないというより、東武線に行ったきりの日も少なくないようです。

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3月9日付けの当欄で上記の61201編成の画像を取り上げましたが・・・

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OER3001氏がペーパーで自作した模型です。上の画像と比べると、実物は電気連結器の設置に伴い、ジャンパー栓が撤去されています。折角苦労して作ったのに!

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後方に連結されているのは野岩鉄道の61103+62103の編成です。東武ファンの親友が、小田急ファンに東武を作られると良い顔しないので、会津と野岩の車両を製作した次第です。

2013年3月10日 (日)

1年前は・・・

東横線渋谷ターミナルの消滅もあと5日、小田急線下北沢付近の地下化もあと12日・・・

東京が変貌してゆきますね。

思い起こせば昨年の今頃は、OER3001氏の交通費がかさんだこと!

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10000形HiSEと20000形RSEを交代で利用、引退する車両への感謝の気持ちを込めて、ほぼ毎日、帰路に利用していました。

そう言えば、20000形はどうなったのかな?

2013年3月 9日 (土)

東京スカイツリーと・・・

先月訪れた東向島駅、東京スカイツリーを背景に接近する電車を撮ろうとしたのですが・・・

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どうやっても逆光です。太陽がスカイツリー上方にあるので仕方ありません。でも何とか、6050系の区間快速というのを収めることができました。

で、目前を通過して行く6両編成、どうせなら振り返ってバックも撮ろうとすると・・・

な、なんと、

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会津鉄道ですよ!

61201と車番が確認できます。たった1編成2両しか電車を保有しない会津鉄道の、貴重な車両を撮ることができました。

が、残念ながらこの列車の行き先は「東武日光、新藤原」。今市で分割するのに、会津鉄道線の前の野岩鉄道線さえ入線せずに折り返して来るようです。

なかなか我が家へ帰れず、長期出張のサラリーマンのようです。

2013年3月 8日 (金)

小田急1800形(その4)

1800形は、車長20mいう輸送力を生かして、長く活躍しました。

塗装を上半黄色、下半濃紺のツートーンカラーに改め、前照灯2灯化、制御機器や台車更新も受け、4ユニットを連結した8両編成の通勤急行などでも活躍しました。

そしてさらに、
塗装をケープアイボリーにロイヤルブルーの太い帯と改め、4000形に連結した編成などで通勤輸送に活躍しました。

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この作品は1971年、ペーパー自作によるものです。

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今では製品として発売されている小田急色ラッカーも、当時は無く、自分で調色したラッカーを名刺大のカードに塗り、それを持って通学時、新塗装になった車両に出会ったときに車体に合わせて確認、う~ん、もう少し黄色っぽくするか、明度を下げるか、などと繰り返して作ったラッカーで塗装しています。

2013年3月 7日 (木)

小田急1800形(その3)

運輸省63形の割り当てによる1800形20両(デハ1800+クハ1850 10編成)と、1820形(1821)+1870形(1871)は、1957(昭和32)年~1958(昭和33)年にかけて更新改造工事を受け、スマートな車体に生まれ変わりました。

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蒲鉾を切ったような平面的な車体。窓ガラスは全てHゴム支持でした。

模型は屋根も含めてペーパー製。1995年、当時小学生の息子がペーパー製電車模型を作りたいと言うので、手本として作った作品です。丸のみで窓R部を押し切り、息子に「こうやってごらん」、カッターで直線を切り「こうやってごらん」、ラッカープライマーはこうやって塗るんだよ、と、一工程ごとに手本と実習という感じで進めました。

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スマートになった2両編成は、新宿~江の島間の準急に良く使われていました。

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江の島行ではこのように、クハ1850形が先頭になります。「準急」という運版は特に掲示されず、正面中央の行先が○の中に江の島とか新宿とか書かれていただけでした。

2013年3月 6日 (水)

小田急1800形(その2)

実は、1800形には出所の異なる仲間が存在しました。デハ1820形とクハ1870形でした。

デハ1821は、もともと国鉄モハ42。明石で被災したモハ42003を復旧したものでした。

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M.Wさんが制作した屋根板利用のペーパー車体を譲り受け、ディテール工作以降をOER3001氏自ら行った作品です。屋根上の塗装には、カンペのスエード調塗料を吹いています。

クハ1871は国鉄モハ60。下十条で事故、廃車となったモハ60050で、小田急へやって来た時はクハ1661とされていたものが、1821と編成を組むときに1871となったもの。

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この模型もM.Wさんが製作したペーパー車体(屋根板使用)。OER3001氏は、ディテール工作以降を担当しました。

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ともに1996年の作品です。

2013年3月 5日 (火)

小田急1800形(その1)

第二次世界大戦で荒廃した首都圏鉄道網の復旧・復興が急がれ、大手私鉄に運輸省63形(国鉄モハ63)電車が割り当てられることになりました。

東武(40両)、東急(20両)、名鉄(20両)、近鉄(20両)、山陽(20両)、合計120両です。

この内、東急に割り当てられた20両は、14両が小田原線(現小田急)、6両が相模線(現相鉄)となりましたが、その後名鉄に割り当てられた内の6両が小田急に移って来て、総勢20両が1800形として活躍しました。

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小田急では車長16~17.5m車両が主だった中、デハ1800形とクハ1850形の20m車体2両編成に組成、大きな輸送力で活躍しました。
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模型はカワイモデルのクモハ73の車体をベースに、3段窓の2段窓化などを施した真鍮車体。M.Wさんの製作によるものを1975年に譲ってもらったものです。

2013年3月 4日 (月)

高校OB会

先の土曜日、高校クラブのOB会が開催されました。地下鉄博物館見学と懇親会。

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地下鉄博物館には、日本で最初の地下鉄、上野~浅草間開業時に用意された東京地下鉄道1000形と、丸の内線開業時の300形が、綺麗な姿で保存展示されていますが、OER3001氏には東京高速鉄道が新橋~渋谷開業時に用意した100形に対する興味の方が強いのです。100形は残念ながら1台車の上部程度しか無いのですが、それでも良い資料です。

見学後は、女子を交えての懇親会に新宿へ向かいますが…

集合時間は17時30分厳守。新宿までの移動は各自別ルート単独行動、東京メトロの路線以外は利用禁止、同一区間の複数回通過は違反との条件でゲーム開始。誰が最多路線利用か?

OER3001氏のルートは、葛西(東西線)~日本橋(銀座線)~銀座(日比谷線)~日比谷(千代田線)~国会議事堂前(丸の内線)~新宿でしたが、他には九段下で都営線との壁撤去工事視察の人、副都心線経由の人など。

クラブ活動らしいゲームとなりました。

そして新宿では、合流できた女子とともにアサヒスーパードライ・エクストラゴールドを愉しむ、盛り上がりのひと時でした。

2013年3月 3日 (日)

富士急の中の富士急

2013.1.6の当ブログ;https://vse50001.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-8f89.html「他にも富士急の模型」で小田急2200形転じた5700形をご紹介しています。

この5700形、実はこんな姿も撮影しています。

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フジサン特急のパノラマ展望席。前に見えるは1000系電車。2003年8月のある日、大月駅で撮影しました。

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模型と実物とのツーショット、なかなか手間がかかるものです。

因みにお世話になった「フジサン特急」はこれです。

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フジサン特急の彼方に富士山! 山梨県を走る富士急行ですから、富士山をバックに電車を撮ろうとすれば、残念ながら基本的に「逆光」になります。富士山が南側にあるから仕方ありません。

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