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ここのところ、現役時代の若い時のような連日残業生活が続いています。ということで、昨日は久しぶりに休日出勤。 折角休日に出勤したのだから(?)、遅くならずに早めに引き揚げることとして、帰り道にIMON原宿店に寄りました。
買って来たのは、FULGUREXのスローアクションポイントマシンをとりあえず1台。
実は、この製品の寸法が、何を探しても見つからなかったので、設計用に入手。その割には高い買い物でした。 結局高さは28ミリ弱ですので、組み立て式レイアウトで下面取り付けだと、28ミリのクリアランスを確保しなければなりません。
因みにベースは80×45ミリ。 こうした基本寸法は公開してほしいですね。
いや~、ここのところずっと遅い帰宅なもので・・・。
KBさんから頂いた貴重な写真、3回目は・・・
箱根湯本駅に停車する急行・新宿行。
この時代の最新型、2320形、2325号を先頭とするセミクロスシート、トイレ付の4両固定編成です。
2320形は1959(昭和34)年に登場し、4年後の1962(昭和38)年にはロングシート3扉、2両編成に改造されてしまいますので、この写真は1960~62年に撮影されたものと推測しています。
ちなみに、OER3001氏はこの2325を先頭とする4両固定編成の模型を、2008年にペーパー自作で完成させています。
2011年5月に、こてはし鉄道さまに乗り入れさせて頂いたときの画像です。 急行運用に加えて、行楽シーズンには特急ロマンスカーだけでは観光需要に応えられずに、「準特急」として活躍することもありました。 模型には準特急「高原号」のヘッドマークが掲げられています。
本当に懐かしい光景、KBさんありがとうございました。
仙台在住のKB氏からご提供頂いた貴重な画像。 昨日は箱根湯本駅に到着する3000形SE車の「はこね」をご紹介しました。
ここからは箱根登山鉄道に乗り換え、塔ノ沢、大平台、宮ノ下、と山を登り、小涌谷、二の平(現 彫刻の森)を経て強羅に至ります。
そして、強羅からはケーブルカーです。
このケーブルカー車両は2代目となるケ1形、1950(昭和25)年に日立製作所で製造されました。 登場時は上半クリーム、下半明るいブルーと、当時の小田急ロマンスカーであった1910形や1700形の塗色を明るくした感じの塗色でしたが、SE車登場に合わせて、この写真の塗装に変わりました。
1971(昭和46)年に3代目となるケ2形が登場するまで活躍しました。
因みに現在の車両は4代目となるケ100形(101+102、201+202)、スイス製です。
KBさん、貴重な写真をありがとうございました。
ここ何年か、福島県白河市のお寺での運転会に参加させて頂いたことから知り合った、仙台在住のKBさま。 OER3001氏が小田急好きと言うことから、昔撮影された貴重な写真を下さりました。
当然のことですが、当ブログ掲載画像の著作権はオーナーであるOER3001氏が保有します。 また、知人から提供を受けた画像の著作権は、知人に帰属します。 無断転載、使用は固くお断りします。
箱根湯本駅プラットホームに滑り込んでくる3000形SE車の雄姿です。 これがまさにOER3001であります。
ヘッドマークは「はこね」。就役当時は「あしがら」「きんとき」など、列車毎にことなる愛称を付けていたので、この写真から撮影時刻が割り出せるかもしれません。
OER3001氏の愛車は、定期点検を聖蹟桜ヶ丘のディーラーに頼みます。
ディーラーに持ち込んだ後、多摩川土手を散歩、橋梁を行き交う京王線の撮影や、駅のショッピングセンターで、1時間あまりを過ごすことにしています。
今回は良く晴れた休日の朝のこと。予期せず突然現れたのが・・・
鮮やかな黄緑色、床下は明るいグレーのピカピカ新車の回送列車。 都営地下鉄新宿線に投入された10-300形3次車でした。
持っていたコンデジ、急遽ズーミングして走り去る後姿を何とか収めることができました。
この日の多摩川、先週の台風の影響で増水したことで、植物が寝ているところが目につきましたが、きれいな水が、たっぷり流れていました。
台風18号接近の中、始まりました。
15日朝は、物凄い雨の中、学園祭2日目が中止になる場合にも対応するため、クルマで向かいました。多摩川も川幅いっぱいの流れ、すれ違うクルマの跳ねた水がドシャっとフロントウィンドウにかかるような中、慎重な運転です。
そんな悪天候も、昼にかけて嘘のように穏やかになって来ました。 来場者もだんだん増えて来ます。
OER3001氏が持ち込んだ車両が活躍します。
左から小田急新3000形、後輩のTH氏のカツミ製1000形を前に連結した10両編成。 その右、こちらに向かうは小田急2220形。 斜めに走るは玉電と言われた時代の東急80形。
後輩HK氏所有の昭和の私鉄特急車両Nゲージが、華やさを添えています。
そして、0番ゲージの小田急1600形。4メートルほどの直線を往復デモ運転です。レールサウンドのタイフォンの音が、来場の視線を集めます。
親友OK氏のご子息が、母校の地域性に配慮て持ち込んでくれたのは小田急のデニ1000。 右方には後輩TH氏が真鍮自作された小田急の電機ED1010と、ED1030が展示されています。 台車まで自作したという力作です。
午後には台風接近など、嘘のような天気に回復しましたが、風雨のピークが2日目の朝から昼にかけてという予報で、学園祭は一日だけとなりました。
OBのオジサンたちは片づけの後、当時の顧問先生を交えた15人で懇親会に繰り出し、賑やかに楽しいひと時を楽しみました。
母校(高校)の学園祭へのクラブOB会での出展。 OBの固い結束も、これから大きく羽ばたこうとしている後輩たちには良い手本の筈です。
ひと教室を陣取り、机を並べ、倉庫に保管してあるNゲージの財産を設営。 加えてOB持ち寄りで16番と0番のレールを敷設しました。
こうやって和気藹々、準備作業に夢中になっている現役教諭、白髪交じりも、運動不足気味のお父さんも、あっ、そういうOER3001氏はじ~じだった。 みんな高校生時代を思い出します。
朝から準備にかかり、昼食も忘れて格闘の結果、無事に設営完了しましたが・・・
気掛かりなのは台風18号の動き。 状況によっては15日の一日だけになるかも知れません。 それでも、オジサンたちは大いに楽しむことにしました。
なんだ、こりゃ? と思った方は少なくないことと思います。
この車両を手に入れたのは、OER3001氏が小学5年生の時でした。 渋谷の東横デパート(今の東急東横店)で、カツミのEB58未塗装キットを買ったと記憶していますから、50年ほど前と言うことになります。
それから数年後に、パンタグラフを取り払い、空気溜を乗せ、フリー(もともとフリーですが)のDL化したのでした。
足回りはダミーの台車(?)の軸受に車軸を入れないタイプの車輪を使用した、1:20ウォームギア1段減速インサイドギア駆動というもの。 そして前照灯の切り替えはセレン整流器ではなく、写真左側車軸に咬ませた接点が、回転方向の接点に接触することで、点灯側をコントロールする機械式。
連結器はシノハラのX2-Fに取り換えています。 そこに書かれた「41.9.11」は、昭和41年9月11日にDL化改造を終えたことを表しています。 それから昨日で47年ということになります。
さすがにこの姿で人前に現れることは無くなりましたが、小学生の時から持ち続けている、思い出がたくさん詰まった1両です。
ここに来て、もう一度EB58に復元してやりたくなっています。
9月2日の当欄でご紹介した、遺品譲り受けのモワ51。
https://vse50001.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-56a5.html
床板の加工が少し進みました。
左:WB24.5を取り付けるためのセンターピン穴、所定サイズに広げました。
右:日光モデルのセンターピン用の穴を開けました。
ところが、それがまた手間のかかることに。 左の穴にWB24.5を付けてみたら、首振らない! ショック。
ケースがぴったり嵌ってしまうのです。
仕方ないので前方向の床板を切削することに。 なんとか解決したところで・・・また一休みになります。
8月26日から30日までの5回にわたり、当欄でご紹介した0番ゲージの小田急1600形。https://vse50001.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ea45.html
我が家には、残念ながら走らせるレールは912㎜×6本しかありません。玄関からリビングルームに至る廊下にレールを敷設しての運転です。
とてもとても、最高速度を出すことは、線路長が短くできません。
モハメイドぺーパー氏さんのお言葉に甘え、関東合運で線路を借りて、全力疾走させてやりたくなりました。
尊敬していた鉄道模型趣味界の大御所:ABH氏が亡くなって、ずいぶんと年月が過ぎました。
OER3001氏は学生時代に出会って以来、人生の先輩として慕い、仲人も務めて頂いた方でした。 そんなご縁から、遺品をいくつか分けて頂くことになりましたが、このフクシマ製の新潟交通モワ51もその一つです。
しかし、ABH氏は、ユニークな急勾配急曲線組立てレイアウトに使用する目的で、エンドウのパワートラックを付けたDT32を2台装備するなど、独自の改造をなされていました。
それをオーソドックスな姿に戻し、うちの新潟交通車両の仲間に加えようと、ちょこちょこ始めました。
が、床板を戻すだけでも大変な手間が。 前後にエンドウのパワートラック用枕梁が付いていたのを外し、そのために加工してあった穴を埋め、花園WB24.5の取り次げが可能な床板に戻す。
疲れて、またこのまま暫く放置されそうです。
と言うのに・・・ アブラゼミは相変わらず鳴き続けています。
自宅近所を歩いていてふと、公園の木に目をやればご覧の始末。
まさにアブラゼミのマンションのようです。 こういうマンション、ワンルームではなく「セミサイズ」とでもいうのでしょうか?
そう言えば、先月の「お寺の運転会」、OER3001氏はいつものようにたくさんの電車を持っては行きませんでした。
牽引するは、11両編成の10系軽量客車(ぶどう色2号)。 OER3001氏が高校生の頃、‘重量客車’と言われた天賞堂製‘軽量客車’です。
ナハフ11、ナハ11、ナロ10、ナハネフ11、ナハネ11、オロネ10、オシ17、オユ12、カニ38。
どれも当時、新車購入したものではなく、様々な理由で転入してきた車両ばかりですが、剥げていた部分の色差しや、Hゴムへのグレー色差しなど整備して持ち込みました。
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