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JR211のファン、詳しい方には既に百も承知のことかも知れませんが・・・
何気なく恵比寿駅で目前に停車した車両を見て発見! 心が躍ったので速やかにコンデジ取り出して1カットシャッターを。
えっ、この写真見てもどうと言うことないって? FRP前頭部です、よ~く見てください。
左の車輛はビス止め、右の車両は・・・ビスが見えません! が、よ~く見ればビス止めですが処理が上手くビスが見えません。
さらに、・・・そのビスの位置や数が異なります。 製造メーカーの差なのでしょうね。
残念ながらこの後直ちに、列車は発車してしまい、製造銘鈑を確認することはできませんでしたが、こんな小さなことでも気づくと嬉しくなります。
この時期、毎日のようにこのハガキを頂くことが多くなりました。
OER3001氏も既にシニアと言う世代故、交際範囲のご家族の知らせに加えて、ご本人であるお報せにはひときわ胸が痛みます。
昨日受け取ったハガキもそのひとつ。
OER社員であった氏は、まさにOERの生き字引のような存在で、分け隔てなく、学生だった若造にも真摯に接してくださり、以来さまざまな面で趣味活動を通じてご教示をいただいた方でした。
社史編纂にも関わられ、多くの歴史的資産を後世に残してくださりました。OER3001氏の趣味生活においても、限りなくお世話になりました。
2006年4月の写真展は、良き思い出の一つです。http://rail.hobidas.com/blog/natori09/archives/2006/04/post-240.html
人は皆、その命をいつかは閉じることとは言え、別れはやっぱり寂しいものです。 今日はたくさんの思い出を思い出しつつ、故人のご冥福をお祈りしようと思います。
思えば、ちょうど10年前の11月23日のことでした。 北千住で開催された「東武大集合」というタイトルだったか、その運転会にお邪魔させて頂きました。
なんと、浅草駅の模型まで出現! 他の参加者の作品とともに、浅草駅3線を埋めた1700系特急電車たち。 OER3001氏の作品は左。 フェニックスのキットを組みました。
さらに、
橋梁上のシーサスクロッシングを渡り、浅草駅に進入して来る6050系。 これはかなり気合を入れて製作したペーパー自作。 車内も作り、ライト類は全て点灯可能。もちろん連結時には中間に入った先頭車ライト類はスイッチで消灯します。
良き思い出となった一日、合運などでたびたびお世話になる方々に感謝です。
と言っても、OER3001氏がお腹に入れたものではありません!! 隣席の友人のお腹に入ったものです。
説明を聞いたけれど、その前にワインを3種飲んでいて、良く覚えていません。 え~と、なんでも、マスカルポーネを使ったティラミスというケーキを、日本に持ち込んだのがこの店とか!
そのティラミスが12時の方角。その左下がアイスクリーム。 OER3001氏はのの2種をお腹に入れましたが、隣席の友人はそれに加えて4種も!!
ただでさえ、それなりに気づかいしなくてはいけなそうな体型なのに・・・、大丈夫かな?
な~んて、ちょっと気遣ってみるものの・・・美味しく楽しい六本木の夜でした。 ありがとうございましたYIさま。
9月30日以来です、新潟交通モワ51に触れるのは。 特に「納期」が決めれれているわけではないので、ゆっくりゆっくりマイペースで進めているところです。
もともと尊敬していたAB氏の形見を譲られたので、一度はAB氏なりの工作で完成していた車両だけに、キットに含まれていたはずのパーツなども既にありません。
連結器周りの工作で悩んでいました。特に、ブレーキ管をどうやって付けるか? この問題ではいつも悩みます。
今回は・・・
幅3.0、高さ3.2mmのチャンネル材は、相当昔に銀座・天賞堂で入手した輸入材料です。 これを5mm長に切り、ブレーキ管をはんだ付け、床板には1.4mmビスで止めることにしました。
下から見るとこんな感じ。
上から見るとケーディーカプラー脇にこんな感じで。 実は、カプラーの取り付けも、9月の時点から変更しているのです。
昨11月7日、小田急20000形RSE・20002×7の富士急行への譲渡式が行われたと発表されています。 以下は小田急のfbより引用。
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<小田急ロマンスカー20000形車両は富士急行へ譲渡
1991年にデビューした小田急ロマンスカー20000
本日、喜多見電車基地にて譲渡式が開催されました。小田
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それまでの3000形SSEに代って、「あさぎり」として登場したのが昨日のように思えます。
昨日ご紹介した「母校訪問」。 1年生の時は、新京成に揺られて通学した時代でした。
新津田沼駅のプラットホーム下には、折れたブレーキシューが落ちていたり、前原にかけてのカーブで揺れてつり革を掴んだら、つり革を下げる横棒が天井から外れるなど、信じられないくらいお粗末な電車でした。
そんな新京成の車両にも愛着が。その後に製作することとなりました。
その向こうがOER3001氏作の300形4連。
さらにその向こうは、OER3001氏が作りO氏に譲渡(というより、O氏作の小田急車と交換)後、O氏が更新工事を実施した800系4連。
そして一番奥は、同窓ではありませんが、友情参加してくれたMo氏作の8000系6連です。
見学に訪れた来場者には、8000系だけが新京成。 あとの3編成は既に知らない電車でした。
卒業40周年ということで、母校から招待状。 先ずは多摩急行綾瀬行・4000形に乗ります。
千代田線・町屋で下車。 地上に上がるとちょうど、都電8500形が折り返しのところ。
そして今度は各駅停車うすい行きに。 3013がやって来ました。
高砂で特急・成田空港行きに乗り換えです。 今度は3791が。
京成津田沼で各駅停車に乗り換え、京成大久保で下車。懐かしい駅です。 駅から商店街を抜けて・・・母校に到着です。
正門の位置は変わらずも、景色は一転、立派な校舎が並びます。
招待を受けた「母校を訪ねる会」は夕刻から開催。その前に、OER3001氏には大事な用があります。
大学祭最中の鉄道研究会の会場に、自作の模型を持って参加することです。 懐かしい新京成、京成の車両が並びます。
現役の学生とOBが、鉄道模型を共通テーマに語り合い、一緒に楽しめるという素晴らしい催事、たっぷり楽しませて頂きました。
屋外では5インチゲージの運転をしていましたが、写真を撮り忘れてしまいました。
自宅近くの公園は、緑から黄色、赤へと、木々の変色中です。
いつもは千代田線直通急行ですが、休日は気ままに。 各駅停車に乗り、新百合ヶ丘で急行に乗り換えです。
そして・・・JR南武線を経て、京急川崎から京浜急行に乗ります。
京急蒲田は、高架化工事が進捗し、電車は上下線とも高架化が完成です。
空港からくる電車は、都心へ向かうか、横浜方面に向かうかで、上下どちらも通るようです。 本線は上りが上、下りが下、とすれば良かったのに逆。上りが下で下りが上だそうです。モハメイドペイパーさまのご指摘で、修正させて頂きました。
ランチは仙台、いわきから来訪の友人たちと共に、会場近くで有名な穴穴穴穴穴子寿司を楽しみました。 穴が5つ、だからあなあなあなあななごすしなのです。850円、旨かった!
久しぶりに、つくばを訪れる機会があり、OER3001氏は早朝、唐木田発急行我孫子行に乗りました。
なんと、唐木田からつくばへは、乗り換え1回で行けてしまいます。
その代わり、北千住まで70分あまり、メトロ車6000系に座っているのは忍耐が必要です。 16000系なら良かったのに。
帰路、乗り換えを利用して北千住で一休み。
JR常磐線、東武伊勢崎線?スカイツリー線?、メトロ日比谷線、TXが地上を。 そのうちJRと東武は相変わらず踏切を通りますので、そこで撮影せざるを得ません(笑)。
でも、ここの踏切を東急も走るというのは驚きです。
で、踏切の向こうに、誘惑する場所がありました。 フジモデルです。
見たことないものを発見! 気持ち良い応対をしてくれる店主だったせいもあり、勢いで買ってしまいました、上の写真のエッチング板。
さあ、いつ着工しましょうか。
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