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制作を続けている2400形HE車、2編成。
クモユニ82800やら京急230形と、他のものに手を出して暫く中断していましたが・・・
今は手摺の工作を続けています。
さらに、正面窓上に2本を加えると、1編成で20本となる手摺。
0.3φ線を切って曲げて・・・ これを20回。
2編成同時製作なので40回、気が遠くなります。
さらに、小田急のシンボルともいえる正面貫通路脇の手摺も、4組製作しなければなりません。 それは0.4φ線を使う予定。
加えて正面台枠部にあるステップも1編成で4か所、2編成で8か所。
これらすべての穴あけ作業は、何と合計128穴をピンバイスでモミモミ。本当に気が遠くなります。
これは何と呼べば良いのか判らない樹脂製のギアユニット。構造はインサイドギア並みながら、ギアは全てケーシングの中。だからパワートラックと呼んでも良さそうな代物。モーターは床下に下げてMPギアにも使えるCanon製CN16。
しかし、この組み立てと調整にとんでもない時間を要してしまいました。 はたして走行性能はどうか?
これを床板にせっとするとまた問題発生。 ギアケースが床下ディテールに干渉して首(台車)がよく回らないではありませんか。
センターの部材を一部削る必要がありました。
さらにこれを車体と合わせたところでまた問題。 今度は車体裾の樹脂製床板止めアングル材が、ギアボックスに干渉します。そこでまたこれを削り落とす必要に。
ずいぶん前に知人から頂いたホビーモデル製のクモニ13キット。 車体はあっという間に組みあがるのですが、肝心の走行させる部分に凄い手間を要す始末。
こうなって来ると、速成を期待していたけれど、もう少し手を入れて見たくなってしまいました。 OER3001氏が初めて作る国鉄の荷物電車。 完成はまだまだ先になりそうです。
母校(高校)の同窓会として協力参加した展示。
新幹線50周年にちなみ「寝台列車から新幹線へ」をテーマに掲げ、OBメンバー所有の模型を持ち寄りました。
Nゲージでは0系、100系、300系、500系、700系、N700系、さらにはドクターイエローと、東海道新幹線の歴代車両軍が勢揃いするも、Nゲージに冷たいOER3001氏は撮影を失念。
一方16番ゲージは、OER3001氏の作品の中から今回は、新幹線開業前の昭和に特化。
奥から、1200形、1910形(特急時代)、1800形、全てペーパー自作車両です。
1200形はクハ1450形を含むデハ+デハ+クハの3両編成。昭和30年代までは主力車両の一員でした。
1910形は昭和24年生まれ。「ロマンスカー」とネーミングされた最初の車両でした。
1800形は戦後すぐに国鉄63形の割り当てで入線した車両。昭和32~33年にかけて車体更新された姿で製作。
KATO製品の塗色変更によるEF58を先頭に、中村精密プラキット2両と、ペーパー自作のナロ10、オシ17、最後部は真鍮キット組立てのマイテ49という編成。
教壇上には後輩氏がLGBを展開。
さらにテーブルには、後輩氏がOゲージの0系ディスプレイモデル(日車夢工房)を用意。
スイッチを押すと、「プワ~ン」とタイフォンが鳴り響き、車内放送や通過音が流れ、教室の雰囲気を盛り上げていました。
2日間にわたって開催されたイベント、夕刻から夜はOBたち大人の懇親タイム。いや~飲んだ飲んだ。そしてカラオケで汗かいて。
曇り空の土曜日、朝一番の歯科通院の後、一路箱根に向かいました。 目的は、箱根登山鉄道強羅駅で一日だけ開催される第11回「ワクワク!箱根親子鉄道展」 。
とは言っても、とっくに子育てを終えたOER3001氏にとって、「親子鉄道展」は主題ではなく、11月1日運行開始予定の新型車両3000形を観察することが主題でした。
強羅駅1番線に、3002が止められています。 車内はまだ養生シートが張られたままで、先月搬入されたばかりのピカピカの姿。
しかし、それにしても複雑な先頭部処理。微妙な面取りとRで構成されていて、模型製作には手間取りそうです。 スカートも外販とツライチで、車体の面取り角と連続した造形です。
側窓がこう大きいと、車体下部の補強材も付けられません。
製造はか川崎重工ですが、台車は東急、いや違ったJ-TREC総合車両製作所製。
水タンクはスカートの中に収納され、吸水口はステップ部分に。 このステップもスカートとの一体デザインです。
箱根湯本・強羅方(途中3か所のスイッチバックによりこうなる。反対側は出山・大平台信号所方とでもしておきましょうか。)にはジャンパ栓が! なんとなくデザイン的にアンマッチで面白い。
*箱根登山鉄道の公式資料では、「小田原寄-強羅寄」とあります。既に1,435㎜ゲージで小田原まで行くことができなくなった車両でも、あくまでも小田原が起点という証ですね。
旧型のモハ2形(108号)、2000形サンモリッツ号と並ぶと、屋根の高さが異常に高いことがわかります。
しかし、や、や、?
その2000形の第2編成(2003-2004)は、3000形アレグラ号に合わせて塗色変更されています。 なかなかお似合いだと思います。
そして・・・
強羅駅横の広場では、モデルニクスのパーツを使った5インチゲージが! つい2週間ほど前に、白河のお寺境内で5インチゲージを運転して楽しんできたOER3001氏にとっては、目が釘付けになってしまいました。
運転は後方車両で。 先頭車の制御装置らしきものは、ロマンスカーのオルゴール発信のスイッチで、先頭車両に乗った子どもが操作します。
3000形アレグラ色に変更された2000形の姿でした。
衝撃的(?)なこのタイトル、横浜市内に路線を持たないはずなのに? 8月の夏休み最後の土曜日午後、模型で実現しました。
ところは、原鉄道模型博物館。 横浜駅東側の帷子川脇に建つ三井ビルの2階。
7月16日から11月3日まで開催されているテーマ展示「ありがとう! SHINKANSEN 展」の一つとして行われているHOゲージの運転会場です。
博物館のWebには次のように紹介されています。
1964年、それは昭和30年代の終わり。まだ日本は高度経済成長の前であり、暖かでのどかな風景が広がっていた。その風景の中を疾走した夢の超特急ゼロ系。HOゲージのジオラマで、当時の車両が走ります。7月16日(水)~9月1日(月)。
本ジオラマは、同時開催HO-Gauge Model Specialとして、鉄道模型同好会とな会、相模大野鉄道模型クラブ、日本鉄道模型関東連合の皆様の協力により実施します。クラブ・メンバーの皆さんの様々な1964車両の走行もお楽しみください。)
これがそのジオラマ。
外周のエンドウ製レール複線を、造形村製品の0系新幹線が開業時の12両編成で走ります。
その内側に、鉄道模型同好会とな会、相模大野鉄道模型クラブ、日本鉄道模型関東連合の協力による複線とヤードを設置。 1964年当時に走っていた車両をテーマに走らるというものです。
OER3001氏が持ち込んだのはまず、ペーパー自作の3100形NSE車。 1963年登場の実車ですが、模型は1966年に増備された第6編成3201×11の1977~1978年に実施された冷房能力向上改造後の姿。 0系新幹線と並んで疾走します。
先頭部の工作に苦心して10個の試作を繰り返し、1981年に完成させたものです。
次は1900形 1903+1953+1954+1904 の4両編成(写真手前)。 これもペーパー自作で、1953が履くOK17形台車は、TR11をベースにプラ材などで改造したものです。
右隣りにはI井氏作の2100形が並びました。 そしてさらに、その脇には3100形NSE車と、O保氏がモデルパーツMIKIのキットを組んだ3000形SE車が並びました。
他に持ち込んだのは2200形の4両固定編成なのですが、残念ながら2200形単独の撮影を失念してしまいました。
そこで、ここに集合した小田急の車両をまとめて・・・
左から1900形、2100形(I井氏作)、3000形SE(O保氏作)、3100形NSE(I井氏作・中村精密キット組)、1300形他のHB(作者確認忘れました)、2220形、2400形(I井氏作・タニカワキット組)、一番奥が3100形NSE。
それにしても、この時代のロマンスカーは華やかです。
中:O保氏のモデルパーツMIKI キット組立ての3000形SE
右:OER3001氏のペーパー(一部バルサ材)自作による3100形NSE
斯様に揃うと、往時の経堂車庫を思い出します。
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