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2015年8月

2015年8月31日 (月)

ライト配線残すのみ

猛暑、酷暑だった8月が、既に遠い昔のことのように急激に涼しくなり、10月上旬の気温だとか。 夏休み期間の終わりに、ここまで到達しました。

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正面に手摺を付けました。

窓の上、前照灯の上部、そして標識灯の上部。 穴開け24か所。 0.3φ線をコの字に曲げて差し込みました。 手間はかかりましたが、それなりの効果はあったと思っています。

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それからジャンパケーブル、細いコードを使用しています。

あとは前照灯、標識灯のチップLEDの廃線。が残るのみになりました。 気が乗らなければとりあえずこれでデビューとなるかも知れませんが、とりあえず車体に完成年月日は書き込みません。

2015年8月30日 (日)

京急展

11月3日までの会期で開催されている原鉄道模型博物館での「京急展」、OER3001氏もKHKに協力させて頂いております。

展示室のメインは。1/80の模型による京急車両史。

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ほぼセンターに、我が作品1000形トップナンバーが展示されています。

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1001-1002-1003-1004の最初の4両編成が登場した時の姿です。 勿論ペーパー自作。
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加えて1階ホールで行われている京急電車の模型運転会。

ペーパー自作の230形は、W氏の作品と連結し、元気に走り回っています。

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運転を終えると・・・作者は懇親会へ。 楽しい夜となりました。

2015年8月29日 (土)

開催中:原鉄道模型博物館

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本日8月29日(日)と明日30日(日)は、
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で、OER3001氏は230形を走らせます。
(このページの画像は上記より引用させて頂きました。)

2015年8月28日 (金)

スーパーあずさ

所要で出掛けたおり、隣のホームに好きな好きな車両が。
でも、後継車が現れたから心配です。

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カッコいいし、高性能だし、まだまだ活躍して欲しいです。

2015年8月27日 (木)

白松がモナカ

仙台の銘菓、白松がモナカです。

先般の寺子屋運転会で、仙台からの知人から頂いたお土産です。

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「仙台銘菓」ではなく「全国銘菓」の看板を掲げていることでも有名です。

「白松」は創業家のお名前だそうで、「白松さんの最中」と言うことらしい。

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これは胡麻餡、上品でコクのある味わい。 家内と二人で美味しくいただきました。

2015年8月26日 (水)

トントントントン日野の2トン

プールサイドで耳に入った水を・・・トントンして抜くコマーシャルが流れています。

「トントントントン日野の2トン」と。

あれれ!?

夏休みに訪れた上信電鉄。 前から来るやつ、あれ電車?  中央に見たようなエンブレム。

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目を疑って近づいてくるのを車内から凝視!

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中央は日野自動車のエンブレムではないですか!

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日野自動車のエンブレムと、右には「HINO」のロゴまで。 いや、この車両にフィットし過ぎな感。

トントントントン日野の2トン

群馬日野自動車のラッピングになったクモハ6001編成でした。

2015年8月25日 (火)

伊豆急の製作:その後

8月17日掲載の「塗装完了」、8月19日掲載の「パーツ欠損」で取り上げました伊豆急1000系電車の製作。 その後、夏休みの小旅行や何やらの合間をぬって、完成を目指して細かい作業を進めています。

幌を付けました。

ワイパーも付けました。

ナンバーもエッチング抜き文字を1文字づつ拾って所定の場所に付けました。

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左が伊東方のクハ1501、右が伊豆急下田方のクモハ1101。 下田方には幌が付きます。 この後、クハ1501にはジャンパー線を付けなければなりません。

四角い尾灯レンズは、赤いアクリル角材から削って作った、手間のかかった自作品です。

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パンタグラフも手元在庫の古いフクシマ製PT42を乗せました。 実際とはタスキが異なるようですが、そもそもこの車両は手元にある100系の増結というポジショニングのため、部品は極力手持ち在庫の活用という方針です。

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この形式、妻板のキャンバス止の形状が妙なのです。 屋根Rと合っていない、低屋根の形状ですが、どうしてこうしたのでしょうね?

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ここまで辿り着くと嬉しくなりますが、まだ完成には程遠い。 電灯他の配線が残っています。 まあ、のんびり進めることにします。

2015年8月24日 (月)

寺子屋運転会の地で

昨日のご報告「寺子屋運転会」は、福島県白河市でのことです。

美しい駅舎のJR白河駅は、夜間にはライトアップされています。

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丁度この時は、郡山からの下り電車から降りたった浴衣姿の若い女性たちのカップルでにぎわっていました。

プラットホーム先端からは、これまたライトアップされた白河小峰城が望めます。

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翌朝は、寝台特急「北斗星」の最終運転日。 札幌から一路上野を目指して疾走する姿を、この地で早朝にキャッチしました。

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この場所(白河~久田野間)には約30人強。

逆光の心配は無かったものの、降雨確率50%というどんより雲の下、やはり暗かったようですが、一応記念になる一枚をゲットできました。

2015年8月23日 (日)

寺子屋運転会

恒例の行事となりました。
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2015年8月22日 (土)

こりゃいったい「・・・!

なんじゃい?

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車内放送がまたたまらない。 「次はなんじゃい?」

しっかり覚えておけ!ってば。

いや久しぶりに可笑しい駅名。

2015年8月21日 (金)

今週のスナップ

お盆休みが明けて仕事に戻った今週ですが、出先に向かう乗換駅。 ここ原宿駅で1枚。

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代々木を出た内回りが、左手に今は使われなくなって久しい皇室専用ホームを見つつ、左カーブで原宿駅へやって来ます。

鞄にいつも忍ばせている20倍ズームのコンデジ、重宝しています。

2015年8月20日 (木)

秋近し?

今年の夏は5月から暑い日が続いていましたが、ここへ来てやっと一息という感じでしょうか。

盛夏のある日、那珂湊に旨い寿司を食べに行きました。その日、稼働していたのは3710と37100の2両だけ。

ここ那珂湊駅のホームには廃車になったキハ222が保管展示されていて、その左右にこの日の稼働車両である3710と37100が行き交います。

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左は勝田行きキハ37100、中央は勝田からやって来た阿字ヶ浦行きキハ3710。 暑い日で陽炎がたっている光景、まるで右のキハ222のエンジンからの排熱のようでした。

2015年8月19日 (水)

パーツ欠損で・・・

シールドビーム前照灯を、真鍮板から削って作った台座に嵌めて、さてレンズを! と思ったところで、エコーモデル№1647のシールドビームに入っていたレンズの1枚が割れていて使い物になりません(涙)。

エコーモデルに訳を言って分配してもらうことはできるでしょうが、割れたパーツをつい、捨ててしまいました。

そこで勤めの帰り道、原宿の模型店に立ち寄ってレンズ(№2676)を調達。レンズ4ヶで200円、1枚50円と言うことになります。 一番左側に入れてやらなければなりません。

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不完全なパーツを手にしてしまうと、残念ですが余計に手間を食う結果となってしまいます。

それにしても決して安く無い商品です。

№1647シールドビームは挽物クロームメッキパーツとレンズ、各2個入りで300円。

№2676ヘッドライトレンズは4個入りで300円。

挽物クロームメッキパーツとレンズが同額ということになるのですが、なんとなく解せません。

それにしてもこの模型、ペーパー自作でも顔に随分おカネがかかります。

2015年8月18日 (火)

ロマンスカー

当ブログ主宰のOER3001氏は、小田急好きということから初代スーパーエクスプレスのナンバーをネームにしました。

上半グレー、下半オレンジバーミリオン、その間に白い細い帯という出で立ちは、まさに我が国の高度成長期始まりを象徴するかのように、明るい未来を感じさせるものでした。

そのカラーリングは前面展望室を取り入れた3100形NSE車を経て、7000形LSEに引き継がれました。

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7月のある日、たまたまホームウェイの折り返し回送の出発を撮りました。夜でも引き立つカラーリングだと思います。

2015年8月17日 (月)

塗装完了

ゆっくり進めていた、というより、塗料の調達もあって長く保留していた伊豆急1000系。

夏休みの休日、暑い暑い最中に一応の塗装を済ませました。

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1.上半のペールブルーを吹き、

2.マスキングをして下半のハワイアンブルーを吹く。

3.再度のマスキングの後、シルバー部分を吹き、

4.最後に屋根の艶消しグレーを吹く。

という手順でした。

その間に並行して、

5.床下の艶消し黒

6.クーラー、ベンチレーターの艶ありグレー

を吹きました。

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その後、

7.正面Hゴムの黒をプラ用エナメル塗料を烏口で書き、

8.戸袋窓Hゴムの灰色をプラ用エナメル塗料を烏口で書き、

9.サッシのシルバーを面相筆とプラ用エナメル塗料で。

と言う準で進め、窓セルを入れて、前照灯と方向幕を入れて、、、と言うところまで辿り着きました。

細かい作業がまだまだ続きますが、ここまで来ると安心です。

2015年8月16日 (日)

東武日光軌道線200形

OER3001氏の小学校は渋谷区立。 6年生での修学旅行は、学校からどのように浅草へ向かったのか記憶がありませんが、とにかく浅草の曲がったプラットホームから、吊り掛け式2扉の貸切列車(モハ5320やクハ340あたりだったのかな?)に乗車、日光へ行きました。

日光での宿泊は国道119号線沿い。記憶をGoogleMAPで辿ると、大野屋旅館あたりと推測されます。

2階の大部屋から外を見て大興奮。 日光軌道線を電気機関車が貨車を牽いて行くではないですか!!

写真機など持てなかった小学生は、その光景をはっきり脳に記憶しました。

行きかう路面電車は、何とも妙な色の車両。 神橋の赤をまとっているようですが、淡緑色と合うとは思えませんでした。 が、その保存車両を東武博物館で目の当たりにすると愛着がわいてくるので不思議です。

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200形連節車両、203号です。 

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連節部妻板にも、幅の狭い窓が設けられています。

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連節台車もしっかり観察できますが、良いアングルでの撮影は極めて困難です。 台車に絡まった蔓を取り除いてあげたかったのですが・・・。

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室内にも入ることができます。 この連節部が大きく回転して、神橋のカーブを行く光景、乗ってみたかった!
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室内灯は通風口と一体になったグローブ形。 当時の標準的な仕様ですね。
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東洋電機製マスコンと、制動弁しか無い簡素な運転台ですが、スマートな造形に気が配られています。 このあたり、同時代に製造された5700形とも共通するように思えます。

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この車両、懐かしさとともに模型製作チャレンジしたくもなる題材です。

2015年8月15日 (土)

歴史あるもの価値あり

本日のタイトルは終戦記念日に相応しい?

私たちは今、平和な社会で生きられています。

OER3001氏は戦後世代で、戦争の悲劇は親から聴かされて育った世代。

そんな戦後世代が、久しぶりに銀座で再会、お互い生存との健康を確認しました。

その中で、ぬか屋さまがお持ちになった名機、50年前のものだそうです。

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Canon・・・なんだったか忘れました。

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ずっしり重く、しっかりしたボディ。

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フィルムの巻き上げはレバーではありません。 右のダイアルを回せば、当然ながら左の丸い部分も回転します。

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フィルムを手で巻き上げて、こうやってぬか屋さまがモハメイドペイパーさまとぼっちぼっちさまを記念撮影。


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最後には全員集合で記念撮影。 いやいや戦後世代とは言え、今年は終戦から70周年ですから、とりあえずみんな60代。

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みんなで合計約400歳! カメラ、いや写真機も被写体も、凄いパワーです。

2015年8月14日 (金)

東武5700形

東武博物館再訪で、また5700を良く見て来ました。

なんでも最近、再塗装を終えたとかで、妻板にはマスキングテープの剥がし忘れもあり、微笑ましい限りです。

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台車もピッカピカです。 東武の社紋は転写のようです。

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車内は扇風機も無い時代に復元されていますが、この猛暑の下だったらどうしたのでしょう?

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この車両まで、模型製作する予定は皆無ですが、もしも作るとしたら!

乗務員扉の造作がとんでもなく凝っていたことに驚きです。
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通風口も無いような乗務員室、そして扉窓は開閉できない!

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扉は外板と同一平面、しかもウィンドウシルまで一体のデザイン。 見事な処理ですが、車掌が扉閉確認で顔も出せないと、現場からの苦情は無かったのでしょうか?

2015年8月13日 (木)

私の道具

大切な道具をご紹介しましょう。 これは一体何でしょう?

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斜めから見ると、このようなものです。

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9㎜シナべニアに角材の端材で作ったものです。 このように使います。

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車両の塗装台、一度に6両までの塗装が可能です。

吹き付けには、「100万人のハンドスプレー」が活躍しています。

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この1㎜真鍮パイプでラッカーを吸い上げ、

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ここから吹き出します。

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夏の日射しは塗料の乾燥には良いのですが、これをシコシコやるのは本当に暑くて大変です(笑)。 

2015年8月12日 (水)

東武博物館再訪

仲間との8月度例会、東武博物館の見学から始まりました。

1924(大正13)年に製造されたデハ1形(5)は、電車ファンとしては見とれてしまう車両です。

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博物館に入ると目前に、蒸気機関車と並んで綺麗な姿を見せてくれます。

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私鉄ながら当時としては大型の車体で、京王帝都は軌道だったから小さくて当然としても、小田急のモハ1に比しては確実に大きく感じます。

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おそらく油敷きだった筈の床は、ニス塗りなのでしょうか、綺麗です。 グローブに収められた室内灯が良い雰囲気ですが、中身は白熱灯ではなくLEDなのかな?

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ダブルルーフの明り取り窓にはダイヤガラスが使われています。 近いうちにダブルルーフの車両製作を計画している我が身にとっては大いに参考になりました。 つり革も正しく「皮」です。

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Westinghouse製マスコンと、制動弁だけの質素な運転台に、一番目立つのは手ブレーキの大きなハンドル。 こんなスタイルが標準でしたね。

流石にこの車両の現役時代は知りませんが、古い車両からは何かと学ぶものが多いものです。

2015年8月11日 (火)

欠品は困る

今回は少々乱暴な発言をさせて頂きますが・・・

鉄道模型メーカーには「事業者」としての責任感が希薄なメーカーが少なくないと思います。 「事業者」でありながら「趣味人」の延長線のようなメーカー。 すなわち、マーケットのニーズに応える社会的使命感が感じられない。

鉄道模型を趣味にしている人々は、大切なマーケット、市場でありながら、市場ニーズをどの程度把握しているのでしょうか。

例えば、パワートラック。 市場から消えてずいぶん経ちます。 メーカーのホームページで生産中止を謳ってはいません。 あくまでも製品として市場に供給しているように表現しています。 なのに・・・

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実車のパワートラック?(笑)

博物館で見て、改めてパワートラックの流通を期待します。

2015年8月10日 (月)

仕事の成果

ペーパー工作で楽しいこと。 そものも好きでやっていることですから全てが楽しいですが・・・。

その一つは先ずこれでしょ!

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同じ形状の紙片が次々に誕生します。 ひとつの快感です。

ここには正確には3種類の紙片が。 

一体何でしょうか?  突然、また新たな題材に手を出してしまいました。

2015年8月 9日 (日)

渋滞また楽しからずや

このタイトル、なんだ?

・・・と思う方、きっと多いことでしょうね。

昨日までご紹介してきた横浜での運転会の帰路、レールや車両を愛車・プリウスに積んで北上。 本来なら16号を走るのが一般的なのですが・・・

渋滞、渋滞でどうしようもなさそう、と言うことで迂回路へ。

柿生付近で小田急を越える時、やった~! 来た~!

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信号待ちしている車内から、急遽助手席ウインドウを下げて撮れた~!

コンデジでもこの程度に。 

鉄道好きは踏切で止められるのに腹は立たず。 踏切通過できた途端に鳴り出す警報機に悔しい! 普通の人には理解できないでしょうね。

渋滞また楽しからずやでした。

2015年8月 8日 (土)

近鉄特急

近畿日本鉄道、小田急ファンでも憧れる存在でした。

小田急はSE車、近鉄は2階建てのビスタカー。 共に絵本や図鑑を飾る存在でしたから。

だが高度成長時代と言われる中、近鉄は特急を量産、どの路線でも乗れる存在になって行きます。 2階建てより使いやすい車両をということでしょうか。

ビスタカーが影薄れて来た頃、スナックカーなる12000系を登場させました。

ちょうどタニカワが真鍮バラキットを発売した頃、ペーパー自作を続けてきた我が身がはんだ付け習作として取り組んだのがこれです。

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12000系は2丁パンタになった姿として1982年に製作、翌1983年に製作した12200系と合わせて4両を組んでみました。

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両車ともモーターにはエンドウのパワートラックを初めて使ってみました。 すこぶる快調に走ってくれています。 

室内には白いシートカバーの赤いシートが目立ちます。

2015年8月 7日 (金)

京阪3000系テレビカー

自他ともに認める小田急ファンでありながら、線路の幅も異なる関西の私鉄車両にも好きな車種があるのです。

鳩のマークを掲げる京阪特急3000系。

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ライバル阪急京都線の6300系と競っていた時代。落ち着いた大人のイメージとも言える阪急に対し、鮮やかな塗装で、急曲線をも疾走する姿が気に入っていました。

関西視察と称して乗り歩きに行ったのを機会に、ペーパー自作となりました。 1976年6月の完成。

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エンドウのV19縦型モーターと14:2ウォームギアで、極めて速い走りを見せてくれます。

クーラーはポリエステル樹脂の流し込み成形品、パンタグラフもカツミPS16をベースにPT48スタイルに改造したものを付けていましたが、近年カツミPT48に交換しています。

写真では3両しか写っていませんが、6両分の罫書きをしつつ力切れて完成は3両のみ。

この走りを久しぶりに愉しんだら・・・増備したくなってきました。

2015年8月 6日 (木)

小田急初代4000形

HB車と呼ばれた1200~1400形の主電動機を用いて、2600形NHE車の大型車体で1966年に登場したのが初代4000形。 台車にはパイオニア形が採用されました。

模型は人類が月面着陸した時、徹夜で宇宙中継を見ながらの完成、1969年7月21日と記載されています。

白ボールの外板、ドアは真鍮プレス製品という車体に、日光モデル製の伊豆急用台車の軸受部を利用し、ワッシャを重ねてブレーキディスクを作り、ペーパー片で枕ばねやボルスターアンカーを作った台車。

全力注入して製作した当時の代表作品ですが今も健在。

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床下機器もかなり作り込んだものです。

登場時は3両編成での運用だったものの、やがて1800形との5両編成が現れるようになり、模型で用意したのは新塗装バージョン。 当然、白ボールによる自作です。

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小田急顔に切妻が連結された光景、異種連結には魅かれるものがありました。

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しかし実車で、競合脱線事故が重なったことから中止された連結、模型では未だに快調です。

2015年8月 5日 (水)

東京急行玉川線

今から45年前の1970年に製作したペーパー自作の80形です。

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白ボールという紙で作っています。

当時、路面電車用の台車は製品化されてなく、カワイ製ブリルMCBを利用しましたが、ホイルベースが長く(24.5㎜)、スケールの位置に台車を取り付けると台車先端がドア裾に当たって首を振りません。 そこで、少々中央に寄せて取り付けています。

パンタはカツミ製PS16のタスキを張り替え、集電舟を1本化しています。

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動力は小型の縦型とインサイドフレーム、ベルト伝動でしたが、最近パワートラックに交換しています。
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江ノ電が走った線路、実はこの玉電を走らせるために用意したものです。
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三軒茶屋のキャロットタワーから見下ろす光景が浮かびませんか?

2015年8月 4日 (火)

夏!湘南海岸

暑い、暑い、本当に暑いです。

しかし、暑ければ暑いほど、夏の海は最高です。

そんな光景を、冷房の効いたホールで。

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シーナリーも無い線路ですが、架線柱のお陰で生きて来ます。 複線の線路は江ノ電には似合わない? その辺はお許しを。

車両は、ペーパー自作を主とするOER3001氏としては珍しい、エンドウ製完成品の江ノ電1000形。 昭和56年3月購入と記録されています。 

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後方に桜が見えましたね。 夏ではないって?

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まあまあお堅いことは言わず、自動往復運転は終日機能してくれました。

2015年8月 3日 (月)

東京急行電鉄デハ5000

青ガエルとして親しまれた5000系ですが、このモデルの時代は「TOKYU」ではなく「東京急行」と呼ぶ方が似合います。

一世を風靡した憧れの車両ですから、小田急ファンのOER3001氏でさえ、製作した次第です。 丸みを帯びた車体は、幼稚園児の頃に絵に描いていた記憶があります。

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そんな車両を製作することになったのは、タニカワからリーズナブルな価格でキットが発売されたから。 それと、東横線沿線に住む彼女と家庭を持ったから。

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登場時から暫くは、大きな正面窓はHゴム支持ではなく、また床下はグレーで、軽快感がありました。 
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K.W氏の作品と並ぶと、運転会場でも存在感があります。 OER3001氏の作品には赤い「急行」運板を掲げました。


2015年8月 2日 (日)

運転会@横浜ー2日目

長編成が走り回る本線の横で、のんびり気ままに自動往復運転も楽しんでいます。
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横浜ものではありませんが、同じ神奈川県の海辺をイメージ。江ノ電で。

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架線柱は線路をリアルにしてくれます。

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タイマーで適度な時間で折り返し、複線を左側通行します。

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2015年8月 1日 (土)

運転会@横浜

8月に入り、運転会たけなわ。
先ずは横浜野毛地区センターで。
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青ガエルと呼ばれていた東急5000、友人のW氏の作品(奥)と並びました。


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同じ谷川のキットから組んでいるのに、微妙な違いが。
手前は登場時に近い姿、奥は少し後の姿です。

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