« のんびり乗り鉄 | トップページ | 最大震度5弱 »

2015年9月 6日 (日)

都電ノスタルジア

“懐かしい東京都電5501”と言っても、現車が活躍していた時代を知る人でなければ、懐かしくは思いませんね。 1967(昭和42)年に引退しているのですから、50歳以上の方でなければ記憶には無い筈です。

幼児の頃に銀座通りで見てから、高校生時代までの記憶に残るOER3001氏には、久しぶりに見て懐かしく思うのです。

20150905_0009_5501_2


都電荒川車庫に併設された「都電おもいで広場」に、60年前に造られたこの車両が大切に保存されているのです。

20150905_0013_

PCCとは、Presidents’Conference Committee との意で、米国の路面電車委員会の開発技術を導入したとありますが、この時に西ドイツの技術でも導入していたら・・・ 我が国の路面電車はもっと別の方向に発展していたかも知れません。

最大の特徴は、手ではなく足で動かすこと。 マスコン、ブレーキハンドルは運転席には見当たらない代わりに、運転士の足元にはバスのようにアクセル、ブレーキのペダルが。 クラッチペダルの位置はデッドマンペダル。

左足でデッドマンペダルを踏み、右足でマスコン(アクセル)とブレーキを操作するというもので、運転士の両手は哀れにも、遊園地のお猿の電車ごときに手摺を掴んでいるだけなのです。

20150905_0015_

側窓のHゴムは外板から出ないように、一段奥まったところに。 細かな気配りと手間がかかる工作です。

乗り口の扉は折り戸ではなく、段違いの2枚引き戸。

20150905_0014_


一方降り口の扉は、縦長のHゴム窓が2列あるので、折り戸のようにも見えますが、1枚の引き戸(左方が戸袋)です。

20150905_0029_


パンタグラフはシンプルな軽量型ではありますが、取り付け台と碍子の形状が古めかしく思えます。

20150905_0030_

初秋の一日、仲間と訪れて「研究」してしまうと、これもいつか作ってみたくなってしまいます。

« のんびり乗り鉄 | トップページ | 最大震度5弱 »

鉄道」カテゴリの記事

コメント

わたしも銀座四丁目の都電最後の日の思い出を

http://blogs.yahoo.co.jp/bocchi_bochi/folder/1180637.html

 5501はエアレスなんで、ドアの開閉もモーターです。現在の電気式のように敏速ではなく、チャーというギア音がして、ゆっくりと開閉していました。

きんぎょ/中澤さま、貴重な写真をありがとうございます。
ぼっちぼちさま、同じ日に同じところで記録されていたのですね。
そう言う小生も、実はお二方と同じ「現場」に居ました。 が、夜遊びはしづらい学年だったため、健全(笑)に父親に連れられて。
それにしても、みんなこの日はココに行っていたなんて、なんというご縁でしょうか。
モハメイドペーパー さまは如何だったのでしょう? いらっしゃらなかった筈はないですよね!?
「エアレス」って、若しかして足踏みのブレーキも停止まで電気だったのですか? 音の記録も欲しいですね。

キングレコードの「日本の鉄道  東京都電/大阪市電」には、5506車内音、昭42/12/9の銀座の音が入っているはずですが、5501の車内音はこれにはないです。どこかにあればいいですね。現役PCCはサンフランシスコなどにいますね。SFのFラインPCCの車内動画はどこかで見た記憶が・・・ DVDかな?

きんぎょ/中澤さま キングレコード「日本の鉄道」ですか! オレンジ色にモノクロ写真のジャケットでしたっけ? 残念ながら小田急ロマンスカーは持っていましたが、それもプレーヤー廃棄の時にどうしたか? 
 

我が家もとうの昔にレコードプレイヤーは無いです。この「東京都電/大阪市電」だけはしっかりCDに換えました。もう何年も聞いてないですが・・・

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 都電ノスタルジア:

« のんびり乗り鉄 | トップページ | 最大震度5弱 »

フォト
2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

他社線ご案内

無料ブログはココログ