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2016年4月

2016年4月30日 (土)

スカート

近年の新型車両には必需品となった台枠覆い(スカート)ですが、この自作もなかなか手間がかかります。

今回も0.35㎜厚のアイボリー紙によって自作することにしましたが、展開図を求めるのが難儀です。 そこで・・・、斯様な木型を再利用しました。

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「9000スカート」と書いてある通り、小田急9000形を製作した時に作った木型です。 

下は、できたスカートを装着した作品、1975年の作品です。 

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この当時は老眼も無関係だったので、ナンバーも手書きでした。 いまだに現役で良く走ります。

今回はその木型を基に、現物合わせでA3000系用を作りました。

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ペーパーのスカート本体の裏に、同じペーパーで裏打ちします。 そして裏面全体に瞬間接着剤を付ければほどほどの強さが出て来ます。 

車体下部とスカート上部の間に約1㎜の隙間があるので、床板への取り付けがまた課題です。

2016年4月29日 (金)

鉄道模型社

「Wikipedia」によれば、鉄道模型社は戦前(1935年頃)からあった鉄道模型メーカーだそうですが、OER3001氏が知るのは中央・総武線車窓から水道橋~御茶ノ水間で神田川の対岸坂上の文京区本郷2丁目にあった店です。

中学生の頃だったと思うが「模型と工作」誌で学んだ、尾灯に使うワッシャを買いに行った時でした。店主は『「模型と工作」はそんなこと書くから駄目なんだよな。これを使うといいよ。』と、当時発売されたキハ58に使われていた赤い樹脂製の‘パタパタメガネ’パーツを紹介してくれ、それを買うことになった次第。

1995年に経営者の死去に伴い廃業したとありました。

友人氏(しるねこさん)はその鉄道模型社がお好きなようで、氏のブログにはたくさん紹介されています。(しるねこの微妙な生活/浮気心あれば水心!?

その鉄道模型社の製品、当ブログ4月12日の「半世紀前の模型」でご紹介したED58に使うパンタグラフを再生しました。

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ED58のパンタグラフ、いろいろ検討してみましたが・・・、手持ちのパーツとはどれも取り付け穴寸法が異なり、取り付けにはかなり手間がかかることから、結局当初からこの製品についていたのを再利用することとしました。

なんとフレームは0.7φが使われています。 一部無くなっていたタスキなどを同寸法の真鍮線で再生、曲がりなどを修正しました。イコライザーも入っていて、なかなか堅牢なつくりです。

大きな碍子(これ、プラではなく本物の碍子です!)を介して車体に止めようと思います。

2016年4月27日 (水)

空気溜

模型では「エアータンク」と言うことが多いですが、実車図面では「〇〇空気溜」と記されています。〇〇には「元」とか「制御」とこか「供給」が。

さて製作中を急ぐ静鉄A3000系ですが、近年の新型車両として模型パーツが使えない空気溜が付いているので自作するしかありません。

先ずは「元空気溜」ですが、やっと商業誌に掲載された図面(とれいん5月号)によれば容量50リットルの大型で長さが長い!  因みに静鉄の図面では「元空気タンク」と記されていました。

本当はもう少し太い材料が欲しかったのですが、手元にあった6φ丸棒で代用。 ミニボール盤のチャックに加えて、ヤスリで整形しました。

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次に、縦方向に取り付けられている「供給空気溜」。 これも同様の加工ですが、床板に直付けで良さそうなので球面加工は片側だけ。 長さ7㎜としました。

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それにしても、他の床下機器もほとんど市販パーツが流用できない代物。 仕方なく全て手作り中です。

2016年4月23日 (土)

新工法:ペーパールーフ その3

なにやかやで、ここまで進捗しました。

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この車両の屋根には、製作が面倒なリブ施されています。全体にシール紙を張り、リブを残して剥がすという方法で表現しました。

車体全長に渡るランボードは、0.8×2.0㎜アングル材を利用しました。 面倒なのは「顔」のFRPとの接合部。 雨樋部の先端から「顔」にかけて三角形の覆いのようなものが。 ペーパー片でそれらしく表現したつもりです。

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パンタ部分と、新清水方クハの新静岡方屋根上のアンテナ取り付け部を作ります。 パンタは安価なTOMIXのプラ製品を予定していたのですが・・・

231系用製品ですので、4本の脚寸法が異なるようです。 やむを得ずカツミ製に変更です。

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この後、妻板の雨樋を作ります。

2016年4月18日 (月)

新工法:ペーパールーフ その2

ペーパールーフに新工法を採ったには、当然ながらやむを得ない訳があるのです。 その訳は・・・

 1.愛すべき後輩氏から提供された「型紙」が、屋根板仕様だったこと。 

 2.妻面の「合わせ」を表現したかったこと。

の2点でした。

先ず、前回ご紹介したペーパー製屋根ブロックは、下の写真のように側板と組み合わせました。

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左右の側板の間に挟み込むようなカタチで組み合わせると、下の写真のように屋根と側が妻面から僅かに出たカタチにできます。 近年の総合車両製作所(J-TREC)製ステンレス車両の特徴です。

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ちなみに、FRP製前頭部との接続は下のようになります。 アタマ部分が屋根より一段高くなっています。
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総合車両製作所製「sustina」の車両、先月から静岡鉄道に登場した新型車両A3000形です。

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完成予定は5月12日。 

時間が無いのに・・・サーフェーサースプレーの在庫が切れてしまいました。困った!

2016年4月16日 (土)

新工法:ペーパールーフ

ペーパーで屋根を製作中です。

が、従来からのペーパールーフ工法ではありません。

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「屋根板」のような状態にしています。

実物の製作も最近は、台枠に妻板と側板が接続されて‘ハコ’状態になったところに蓋(屋根)が乗せられる手順で製造されています。http://www.shizuoka-rainbow.jp/#movie の「あらたなカタチ」篇が参考になります。

しかし金属と違ってペーパーでは、Rの端部を維持することがなかなか難儀です。

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とりあえず斯様なカタチになりました。 

これに外板を合わせますが、その先の‘顔’となる正面妻板との合わせがまた難儀です。

2016年4月12日 (火)

半世紀前の模型

小学生から中学生になる頃だったろうか、2歳年上の従兄からもらった1両の電気機関車。

鉄道模型社のED58だ。

従兄がお小遣い溜めて、おそらく幡ヶ谷は六号通り商店街にあった小さな鉄道模型店で買ったものではないかと想像します。

未塗装キットを購入して組立て、刷毛で青く塗られていた機関車でしたが、その後にディテール追加などしようとして挫折。それから40年以上放置されていたものですが・・・。

しるねこさん(http://blogs.yahoo.co.jp/h53001126)と出会うことがきっかけとなり、弄ってみたくなりました。

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台車はバラし、シンナープールで綺麗にしました。 軸受などのハンダ付けがまずい部分をやり直し・・・

再び組み直しました。

それにしても素朴ながら頑丈なつくりです。

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既に塗装は剥離されていた車体ですが、改めてシンナープールへドボン。 

黒ずんでいた車体は酸洗いでピカピカになりました。

尾灯、汽笛、信号炎管、ガーランドベンチレータはの追加は高校時代だったでしょうか。

今回は前照灯を取り付け直しました。 もともと付いていた米粒球がセットされていた砲弾型前照灯ですが、リード線が外れてしまっていたので電球を取り除きました。

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さあ、どんな色で塗りましょうか?

塗装後、元のデカイ碍子でパンタグラフを付ける気にもならないし、最近の高価なパンタグラフはもったいないし、ここでしばらく中断することとします。

2016年4月 6日 (水)

満開

2016年のサクラ、東京のソメイヨシノ開花は3月21日と、早めでした。

郊外のわが街は、それより若干遅いながらも、今は満開。 あたたかい今日(4月6日)で見納めになるかも知れません。 明日の予報は強風と雨だそうですから。

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雨上がりの朝、蕾が滴を溜めていました。 そしてその向こうに佇む4000形2編成。

3月26日のダイヤ改正から、ここ唐木田車庫での東京メトロ車の留置は大幅に減りました。 勿論新たに乗り入れてくるようになったJRの233系なども、すぐに折り返して行くようです。 

2016年4月 2日 (土)

久しぶりに銚子電鉄

ポカポカ陽気に誘われて、銚子電鉄に向かいました。

何度も訪れていますが、今回は銚子から仲ノ町まで歩くことから始まりました。

昨年末に製作した京王帝都デハ2010形、四国は伊予鉄道で‘第二の人生’ならぬ‘第二の車生’(?)を過ごしてから銚子入り。‘第3の車生’を送っている2000系が居ます。

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隣には26日から就役した‘新型’3000系が休んでいました。

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車体は京王5000系ながら、制御電動車の台車は営団日比谷線3000系が履いていたFS510。東武の日比谷線直通用2000系が履いていたFS340です。

(取り消し線部分は友人の指摘で訂正しました。が、そもそもなんでFS510と書いてしまったのか? 営団日比谷線ということが頭に在って、本能的に営団の…と記してしまったのでしょうか。)

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制御付随車は日立KH-53Aで、京王時代からのものです。
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この日、日中に稼働していたのは2001-2501の1運用だけ。 2000系にはやっぱりグリーンの塗装が似合います。

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しかし良く見れば、この車両だけパンタはワンアームに交換されていて、何か不釣り合いな感じがします。

反対側クハ2501を先頭に、林を抜けて来ました。

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この5000系もどきの顔を付けたクハ、京王グリーンと銚子カラーどちらも不釣り合いな気がします。
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グリーンの2501には「感涙駅認定」なるヘッドマークガ付けらています。 外川駅が感涙駅認定されたとのことです。

その外川駅、結構見学者がいます。

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が・・・

駅を出て、反対側まで行って構内全景を観察する人などはいません。 こんなことをしていたら、次の電車は1時間後になってしまうのですから。

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駅前に立つ「ありがとう」と書かれた郵便ポストが、保存されている、というより放置されている哀れな姿の801とマッチします。 この郵便ポストは飾りではなくちゃんと集配されているのです。

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昭和の香りを楽しみながら、ここ外川駅から犬吠駅まで、キャベツ畑を横目に歩いてしまいました。

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