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2017年9月

2017年9月28日 (木)

製作中ですが・・・

本年はライフワークの小田急の車両模型製作が続きます。 JAMへの展示を目指して進めてきた1600形4連に加えて、タニカワ製キットをベースに、2編成の2400形HE車の8両と、既に12両が完成しています。

その後に製作着手した10両ですが・・・、あと1週間ではとても完成には至りません。 一挙10両なんて、OER3001氏には未経験の社会です。

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積み上げた様はまさにキャンプファイヤー状態、下から見上げるのはまた格別です。 決して着火はしませぬ。

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最近のステンレス車両なので、屋根上にはビード。

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側面は側扉や窓のフレームと、外板の合わせ目など、手間がかかるものばかり。

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そのため鋼製車とは異なる手手順でハコにしました。 顔の整形も結構手間な作業でした。

ここまで辿り着けましたが・・・、合運でのご披露はとても無理そうです。

2017年9月23日 (土)

代々木八幡駅現況

改良工事が進む代々木八幡駅を見て来ました。 代々木八幡駅と言えば先ず、ホーム新宿方から下り列車を撮るのが定番です。 丁度EXEがやって来ました。 EXE-αへの改装も進みますから、この姿も早晩見られなくなります。

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振り返れば上下線間に新設される島式ホームの躯体が、ここまでできていました。

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その新設ホームの小田原方は、まだ途中まで、6両分くらいでしょうか。

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ここから下り方面に目を向ければ、橋上駅舎の躯体工事が進んでいます。

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一部解体されたものの未だ残っているホーム上屋に使われている古レール、アルファベットが気になって良く見ようとしましたが、なかなか全てが解読できません。 1925とありますので、1925年米国産のレールのようです。 テネシーなんとかとも読めますが、このあたり詳しい方にご教示頂けたら嬉しいです。

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この日は、ここから参宮橋方向に歩いてみました。 9月10日に発生した沿線火災の火が緊急停車した電車の屋根に燃え移り、その際の乗客誘導に問題が無かったか、話題になっている現場の確認のためでした。https://mainichi.jp/articles/20170919/ddm/041/040/078000c

火元はここ、オザキボクシングジム。

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この現場には線路西側の道路から、狭い道を通って民家の横を抜けなければ入れない場所でした。 右側の建物はオザキボクシングジムではありません。

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従って、消火活動も困難だったはずです。 ちょうど上り電車が現場横を通過しましたが、手前の信号機のG現示を確認した運転士が、ここを通過しようとするのは当然の行為だと思います。

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同じ場所の下り電車での下り電車です。 この先にある踏切の非常警報が作動して、通過中の上り電車が火災現場横で止められてしまったということでした。

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今回のことで、消防、警察、鉄道事業者の連携や、乗客誘導に関して問題が検討されています。 現場周辺を見てあれこれ考えながら、結局参宮橋まで歩き、通過中の上りVSEを撮りました。

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ここ参宮橋駅も、特徴あった駅舎は姿を消し、副都心新宿から僅か2駅というのに閑散とした長閑な風景になってしまいました。

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ただし、手前に用意された臨時改札口が、正月の明治神宮参拝客で賑わうことを示しています。

2017年9月20日 (水)

続:安曇野保存車両模型

先の「安曇野保存車両の模型」に於いて、一部の方だけかも知れませんが、この種の古い車両の人気が高いことも実感できました。 そこで・・・仲間を引っ張り出してみました。 モハ101です。

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モハニ131と2両編成で活躍していた時代に、志賀高原へのスキーに向かうために利用した経験から、レールロード製エッチング素材から製作したものです。

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このモハ101には乗客は乗せていませんが、簡単ながら車内も製作しています。

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小さめのシーナリー付きレイアウトで、のんびり走らせられたら良いのですが。

2017年9月15日 (金)

安曇野保存車両の模型

だいぶ日が経ってしまいましたが、9月3日掲載の「安曇野の保存車両」から、懐かしくなって以前に製作した模型を引っ張り出しました。 長野電鉄モハニ131として製作しています。

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保存車両をしっかり観察して、当時を思い出しました。 下の画像では良く判りませんが、運転台も付けてあります。 しかし良く見るとブレーキ管の取り付けが保存車両とは異なっています。

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簡単ながら室内も作り、乗客も乗せてみましたが・・・、残念ながら模型製作時には荷物室との仕切りの記録が無くそれを省略していました。 今回の保存車両観察から、室内をもう少し作り込みたくなりました。

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ついでに安曇野の保存ジオラマなんか作ってみましょうか。 

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いやいや、当面我が工場の仕事は手一杯。 新規案件に着手する余裕は今年いっぱいありません。

2017年9月 3日 (日)

安曇野の保存車両

屋代線の廃止後、一時信濃川田駅に集積されていたはずの長野電鉄の旧型車両の一部が、安曇野に移動しているとの情報を得てから、このたびやっと会いに行くことができました。

松川村営の「安曇野ちひろ公園(53,500㎡)」内に2016年7月に整備された「トットちゃん広場」に、その電車は保存されています。

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保存されている2両は、手前がモハ604、奥がデハニ201となっています。

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そのモハ604、1927(昭和2)年に川崎造船所でデハ354として製造された車両で、1980年に廃車。 上田交通に譲渡されて電装解除、クハ1986年に里帰り、以来小布施駅の「ながでん電車の広場」に展示されていたものです。

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正面右下の製造銘板です。

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しかし、履いている台車には「昭和9年川崎車輌」との銘坂が。

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この台車、どうも上田交通で東急デハ3450形の台車と振り返られたようで、コロ軸受に改造されています。

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床下は上田交通で電装解除されたまま、制御機器類は一切取り払われています。

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川崎造船所製の特徴的なオデコ形状が印象的です。

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右側のデハニ201と連結され、爽やかな安曇野のそよ風の下、図書室として利用されています。 モハニ604なのにパンタが無いのが残念です。

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右側のデハニ201と同世代の車両ながら、両者の製造メーカーの違いによる特徴が良くわかります。

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デハニ201は後のモハニ131。

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床下機器もしっかり残っていて、模型製作の身には良い資料です。

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台車はボールドウィンA形を原設計として、汽車製造において製造された固定軸間距離2,134mm、車輪径864mmの形鋼組立形釣り合い梁式台車BW-A。

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汽車製造株式会社東京支店の銘板が確認できます。

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パンタは横型碍子の三菱S514あたりに良く似たタイプですが、このパンタ台、模型化には手間がかかる形状をしています。

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凛々しい正面がまたかっこいい!

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良く見ると、角部のステップのカタチ、これもなかなか模型化での表現は難しそうです。

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連結器胴受け部下に3本並んだ空気管、これも模型化しづらそうです。

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モハニ131の時代、スキーで志賀高原まで行く際に乗車した思い出の車両、荷物室内を確認することはできませんでしたが、こんな風になっていたのですね。

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モハ601と手を繋ぎ、綺麗に整備された気持ちの良い広場に展示されています。

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この地の冬は寒い。風雪に耐える保存には屋根をかけてやりたい気もしますが、屋根のないお陰で写真が撮りやすいというのは複雑な気持ちです。

2017年9月 2日 (土)

トロッコ列車「シェルパくん」

何度も訪れてはいる碓井峠ですが、8月30日の訪問で初めて、トロッコ列車「シェルパくん」に乗りました。旧信越本線下り線を利用して「ぶんかむら」と「とうげのゆ」の間2.6㎞を結びます。

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「ぶんかむら」を発車すると直ぐ、碓井峠鉄道文化村を周遊する軌間610mmの「あぷとくん」の線路と並走します。

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先頭はオープンデッキの客車、天井の風鈴がそよ風に揺れて良い音色を奏でます。

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2両目の客車は普通客車、ともに2軸車です。

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台車はコロ軸受と板バネの2軸貨車同様ですが、一回り小型です。 車輪径は何ミリなのでしょうか。

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2両の客車は自動連結器で機関車と連結されています。

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これらの客車は北陸重機工業という新潟の企業が2005年に製造したようです。 何の意味だか解りませんが、普通客車がUTBT05001、オープンデッキ客車がUTBT05002と表示されています。

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そうか! もしかして碓井のU、鉄道のT、文化村のB、トレインのT、2005年製造だから05、その後の001と002は1両目と2両目ということでしょうか? 結構当たりかも知れません。

一方機関車は、東京の司機工という企業で製造というプレートが付けられていますが、品名などとあるのは車両というより一般製品のようですね。

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総排気量11,040㏄、定格出力345馬力のコマツ製のディーゼルターボ・エンジン(第3次排ガス規制基準)を備え、枕ばねを省略したボギー台車の4軸全軸を駆動しています。 

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2軸の間には駆動軸が見えましたが、判別できない写真ですみません。 簡素な軸ばねと軸受です。

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一方の車輪には砂箱が用意されています。 

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自重32t、全長11,500㎜×全幅2,914㎜×全高3,506㎜とされる車体はぶんかむら方(横川方)に運転室を設けたかたち。

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「シェルパくんのヘッドマークを掲げ、2両の客車を押し上げます。

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廃線前に何度も訪れた区間を、丸山変電所目指して進みます。

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旧上り線後が遊歩道として整備されています。

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懐かしい丸山変電所は、廃線後に手が入れられて、抜け落ちていた屋根の修復や、窓枠が整備され、堂々とした姿を見せてくれます。

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その目前が「まるやま」駅。 駅のカタチはしていても、ここでの乗り降りはできません。 変電所見学のために一時停車というカタチです。

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乗客は暫し辺りを散策します。

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辺りの散策を終えた乗客を乗せ、「とうげのゆ」目指します。

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「とうげのゆ」からは機関車を先頭にして坂を下ります。

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ゆっくり、ゆっくりと、ブレーキを掛けながら坂を下って行きました。

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鉄道事業法に基づく鉄道ではなく、あくまで園内遊具としての位置づけではありますが、DLの牽引列車として興味深く楽しみました。

2017年9月 1日 (金)

安曇野に電車を見に

8月の最終日、安曇野で保存されている旧型電車に会いに行きました。

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心配されていた雨にも降られることなく、涼しくなった秋風を感じながらゆっくりと眺めることができました。 詳細は後日ご報告と言うことで。

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