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そう、「多摩呑もレール」と名付けたグループの第2回会合がありました。 運転会などで出会い、親交を深めていた方々で、気づけば同じ地域に暮らすことがわかって集まったメンバー。 16番、HOゲージを楽しむシニアが呑みながら元気に生きよう! という簡単なコンセプトで集うグループにも名前を付けようと提案されたYさん、小生の提案で多摩モノレールを弄って作った「多摩呑もレール」と仮決定させて頂きました。
この日集まったのは4名、重鎮のKさん、提案者のYさん、それにOER3001の3シニアに加え、現役世代のUさん。 残念ながらNさんとTさんがが病気療養中で欠席でした。
先ずはUさんの、懐かしき「つぼみ」製品を再生したのクモユニ81。 その下方には大砲の画像がありますが、これはKさんが製作中のもの。 その電源車と爆弾を積載する車両は既に真鍮自作で出来上がっていました。
その真鍮自作の電源車と爆弾を積載する車両は奥から2列目に。 Kさん、あまりに驚いていてばかりで、ちゃんと写真撮っていなくてすみません。 手前には有りそうでないスタイルの気動車群がずらり、Yさんの製作です。
そのYさんは、車両箱も手作りなのです。 3㎜厚アガチス材の端面を所定幅のマニラボールで巻いたような構造の箱。 がっちりできていて素晴らしいものでした。
ガバッと口を開けたカバのようなキハ81はUさんの力作、タニカワのキットが元のようですが、こんなところにも凝っていて、‘口の中’にはDMH17だったかのディーゼルエンジンまでが!!
ちゃんとお口を閉じれば美しいフォルムが。 ただOER3001氏にとっては少々残念、いや結構残念なのは「はつかり」にして欲しかったこと。 だって「はつかり」は、小田急4000形も走る常磐線を走っていたのですから。
原則として奇数月の第4木曜日に、多摩ニュータウン内のどこかで呑み会を開催することとなりました。 会社勤めを離れて引きこもっているのシニアでは悲しいじゃないですか。 そんなことにならぬよう、忙しい日々が続けられそうです。
昨日掲載の「鉄道総合技術研究所」、後半で紹介した「クヤR291-1」ですが、燃料電池ハイブリッド試験電車とのこと。
本日発売の「鉄道ファン」誌11月号は57ページに、従前車両のLi-ionバッテリー、高圧水素タンクなどの搭載機器を小型化・高性能化して、パワーを1.5倍にしたとの記事が掲載されました。
また、詳細は鉄道総研のニュースリリースもご参照ください。
クモヤR290-1+クヤR291-1の2両編成で、2005年に近畿車輛で製造され車体をベースに、搭載機器が改良されて試験を繰り返しているらしい。どちらにもパンタが搭載されています。
実用化にはまだ時間を要するようですが、実用化が楽しみですね。
天気に恵まれた平日の午後、所用で近くに行ったついでに、公益財団法人 鉄道技術研究所の周りを歩いてみました。
堂々とした正門、昔見たような昭和の時代、旧・鉄道技術研究所からの建物そのままですね。 広々とした構内です。
ここへは国立駅から向かいます。 中央線の高架化工事で一旦は取り壊された南口の駅舎は、地元で根強い人気があったため、 目下移転再建工事中です。
その南口ではなく、こちらの北口から向かいます。
駅を出て直ぐ、立川方面に歩きはじめると、国立市が鉄道総研がある町名を、新幹線「ひかり」開発に因んで光町と変更したこと、そして鉄道総研への引き込み線跡を、緑道「ポッポみち」として整備したことを示す案内板に出会います。
中央線の高架線から分かれたここが、緑道の始点。
ちゃんと1,067㎜の軌道が1.5mほど残されていて、その先は線路幅と同じ間隔に敷石が敷かれているという心憎い演出です。
傍には緑道「ポッポみち」の案内図もあります。
文字サイズが小さくて残念ですが、名前の由来も紹介されています。 鉄道をイメージし、小さな子供にも覚えやすいということから決まったそうです。
「ポッポみち」が終わったあたり、不思議な光景に出合います。 この建物から出た鋼鉄製構造物の下は、線路が通っていたことは明らかです。
その証拠に反対側に目を向ければ、ゲートの向こうに架線ビームと線路が続きます。
ゲートからカメラを奥に向ければ、すぐそこがバラストに覆われた車止めです。
その向こうに、きっとワクワクさせてくれる何かが居る筈と信じて・・・。 居ましたよ、入換用モーターカーに繋がれたスマートな車両が!
なかなか撮影に都合の良いポジションは得られませんが、フェンス向こうの様子は判ります。
思い切りズーミングしてみたら、2両編成の左側は「クヤR291-1」とありました。 しゃたいのデザインはJR西日本の車両に似ています。
左の庫内にも何かが見えます。
ズーミングしてみると、LRTのようなカタチの車両であることが判ります。 平日だけに両車とも、車内を歩き回る何人かの職員の姿を確認できました。
そしてさらに、その奥にはN700系に似た新幹線フォルムの中間車体が置かれていました。
OER3001氏にとっての鉄道技術研究所は、あの小田急ロマンスカー3000形SE車開発の時に、種々の指導を仰いだ研究機関という認識。 昭和の高度成長期を思いつつ、昼下がりの散歩を楽しみました。
カメラ機能を備えた携帯電話やスマートフォンの常時携帯が当たり前になった今、わざわざコンパクトカメラを所持して出掛ける人は少なくなったでしょうね。 OER3001氏は携帯電話を持つ前から、外出時にはコンパクトカメラを携帯していました。 それは今でも変わらず、カメラがデジタルに変わっただけです。
昨日も所用で出掛けましたが、電車を利用する時には序でに電車を撮りたくなります。
明大前のプラットホームで所定の乗車位置に並んでいる時に、到着する電車を狙いました。
それに乗って終点の吉祥寺、改札口に向かう途中で振り向いて。 ちょっとアングルを変えてカメラを下に向け、車止めを入れて撮ってみました。 こうしてみると、電車の停車位置は車止めまでかなり余裕があります。 模型ではなかなかこの余裕が作れないですよね。
目的地は三鷹。 乗っていた中央快速電車は特急退避のために待避線に停車しました。 それなら! ということで最後尾に急ぎ、迫ってくるE353系を。
約束時間まで余裕があったので緩行線ホームに回り、折よく233系快速と231系緩行線の同時発車を狙ってみました。 新型235系投入で山手線から追われた231系が、黄色い帯に化粧直しして活躍していますが、気づけば元祖231系に会う機会も減ったようです。
フィルム時代にはフィルム代、現像代の制約もあって、こんな“序で撮り”はなかなかできませんでしたが、デジタル時代は“ ランニングコスト” を期にしないですみます。 こうした撮影がいつか、貴重な記録になることもあるでしょうね。 スマホのカメラ機能もたいしたものになりましたが、動いている被写体を捉えるにはコンパクトデジタルカメラが手放せません。
小学生だった1961(昭和36)年頃だったと記憶していますが、プラモデルのチキ5000が売られていました。 確かこの頃のお小遣いは1か月500円だったと思いますので、その範囲で買うことができる200円程度の商品だったのではないでしょうか。
数箇所の接着も外れ、哀れな姿でジャンク箱に眠っていたものを、哀れになって再生してみました。
先ずは外れていた箇所を補修し、一部はパテ埋めなど修正。 AdachiのTR63台車を奮発し、それが付けられるようにボルスター周りを加工。 カプラーもKATOのが付けられるようにポケットを加工しました。 黒色プラスチックだった台枠はとび色に塗装。 淡緑色プラスチックのままだったコンテナもタミヤカラーで塗装し、JNRマークに彩色しました。
所詮プラモデルなので、細かいことはやりません。 チキ5000とされていても「チキ5000もどき」と理解します。 従ってインレタなどは使わず、半世紀前の雰囲気そのままに手書きで、形式呼称変更後の コキ5000と入れました。 5000形コンテナのモールドなどは雰囲気があります。
EH10もどきにのEB10を背中合わせに繋げれば「たから号」ですが、残念ながらこの1両だけでは・・・。
他の2軸貨車に混結し、EF15の貨物列車を走らせるときにでも登場させることとしましょう。
気合を入れて製作中の3題の合間に、ちょっとした息抜きをしてみた次第です。
8月最後の週末、高校の鉄研後輩であるI上氏が自宅に開設した「電車バー」に、後輩氏たちと訪問させて頂きました。 山梨産スパークリングワインをオーナーI上氏にプレゼントです。
先ずはオーナー夫人にも加わって頂いて記念撮影です。 左方にDD51、右方にワインボトル、キッチンを備えた環境は贅沢そのものです。
スパークリングワインで乾杯~! 宴の始まりです。 奥に展開されるのがこの部屋のメインステージ。 スタイロフォームにKATOのレールを並べただけとは言いながら、そこにはドラマがありました。 オーナー氏曰く、手前が函館駅、奥が小樽駅だそうで、機回し線もあって機関車の付け替えも可能だと力説します。
オーナー夫人が心を込めて作ってくださったお料理も並びました。 スパークリングワインの後はビールも進みます。
飲んでは食べて、語っては飲んでと、至福の時間が流れました。 この時点で先程のオーナーの力説はどこかに飛んで行ってしまいました(笑)。 DD51牽引の客車列車が走ります。 これカンタムシステムで音出しているのです。
後輩F井氏は京王5100系を持って来られました。
オーナー氏はキハ82系「おおとり」を奥に待機させていました。
さらに出て来た! 流線型蒸機、ヌルアイン“01”、綺麗な製品です。 リリプット製品らしいです。
次々に車両を乗せかえ、運転を楽しみます。 後輩S根氏はエンドウ製キハ58系を走らせます。 この時点、勿論アルコールメーターはそれなりですので全て“酒気帯び運転”ですが。
OER3001氏は東武1700形ロマンスカーを走らせます。
かなりアルコールも進んだ頃、オーナー氏の言う“にせニセコ”が登場です。 カンタムサウンドのC62 3号機が牽くのが北海道仕様ではない客車群。 従って本来のニセコではなく“にせニセコ” なのだそうです。
汽笛とドラフト音は、ビールにとても良い肴であることを再確認。 蒸機が走っても「電車バー」らしいですが、お陰でココを後にしたのはかなり遅くなってしまいました。
I上さん、F井さん、S根さん、楽しいひと時をありがとうございました。 I上さん、後片付けもせずにすみませんでした。 斯様なひと時を一緒に楽しめる仲間に出会えた幸せをかみしめている次第です。
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