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2020年4月

2020年4月30日 (木)

Stay Home コンデジ持ってウォーキング

いよいよ世間で言う大型連休に突入した昨4月29日、あまりに良い天気なので、ウォーキングコースを変えてみました。 リュックにコンデジ入れて。 ちょっと離れた公園はこんなに新緑が綺麗です。

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木漏れ日を楽しみながらこんな道を抜け・・・、

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電車も見られます。

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さらに歩いた所は、以前からOER3001氏のお気に入りのスポット。 ここでしばらくの間撮影となりました。

先ずは1000形ワイドドアの新百合ヶ丘行各停が。

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今度は京王線、7000系は橋本行の準特急でした。

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反対方向から上りが。 8000系は準特急新宿行。

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休む間もなく今度は小田急の下り。 唐木田行各停は3000形の6連。

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京王線には都営車がやって来ました。

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続いて小田急も。 新百合ヶ丘行き確定の3000形6連。

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撮りたかったのはこれ、4000形の新宿行急行。

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小田急、京王が並走する区間故、休む間もなく被写体はやって来ます。

ここまで自宅から4,000歩強。 新緑が美しく、鮮やかな写真が撮れる季節にもかかわらず Stay Home と言われていれば、遠出はできません。 電車撮りたくなったらまたここですね。

 

2020年4月29日 (水)

今日の一枚 No.15

コロナ禍の終息はいつになるのでしょうか? こんな時はパッと、行きたいものです。

模型製作を主とする身でありながらも、時にはこんな撮影もしているのです。

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流し撮りは何度も試しながらも、なかなか満足もいくものが撮れません。 1988(昭和63)年8月、真夏の暑い陽射しの下、開成~栢山間の水田地帯に居ました。

特急車両は3000形SSE、3100形NSE、7000形LSEに加えて10000形HiSEが加わった頃で、全て連節構造でした。 リズミカルなジョイント音を奏でつつ、NSE疾走して行きました。

 

 

 

2020年4月28日 (火)

今日の一枚 No.14

EF64 36 @目白駅 1970(昭和45)年10月4日

なぜこの日、ここへ行ったのか、記憶はありませんが、大学の創立記念日で休校となる日ということは確かです。 山手線(当時はやまてせんと読んでいた筈です)目白駅には貨物側線がありました。 ヨの後ろはトキ9500がずら~りと。 小雨が舞う中、プラットホームの先端から撮ったようです。

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ホキ9500は、新東京国際空港(成田空港)建設工事用として同年から製造された最新型ホッパ車だったと理解しています。 

一方、当初は奥羽線、その後は中央線用に造られたEF64という機関車、ブルートレインのような花形列車を牽引することはなく、地味な存在でしたが力を感じる姿に好感が持てました。

 

2020年4月27日 (月)

今日の一枚 No.13

幼き頃の我が子を見つけました!

時は1986(昭和61)年のゴールデンウィーク最中、多摩川で戯れる小学1年生。 鉄橋上を新宿行特急の6000系が駆けて行きます。

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今は、1年生になった孫が、楽しみにしていた学校に行かれない日々が続いています。 早くこの新型コロナウイルスの感染が治まって欲しい、今はただそれだけです。

 

 

2020年4月26日 (日)

Stay Home 週間

既に数年前より‘在宅勤務’の身には、今さら Stay Home もありませんが、その初日の土曜日は風が強いものの気持ち良く晴れ渡りました。 実は晴れたら塗装したいものがあるのですが、風が強くてはラッカーが飛んでしまい仕事になりません(涙)。

ポジフィルムのスキャンニングばかりでは不健康なので、3密にならない場所へコンパクトカメラ持ってウォーキングです。 先ずはこれが来ました。 3000形6両編成はワイドドア仕様の1次車3552を先頭に。

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次に来たのは4000形10両編成、先頭は4565。 新宿からの急行ながら、日中は多摩線内各停になってしまう列車です。

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そして次、また3000形6両編成で、3470が先頭です。

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ここまで撮って、風が強いのでこの場所を去ることとしましたが、来る電車、行く電車、どれも乗客は居らずほぼ回送状態でした。 遊歩道ではなくクルマの走る道を歩きましたが、人通りはありません。 街路樹のハナミズキがほぼ満開。 公園のツツジも赤く咲いています。

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見上げてみれば満開のハナミズキ、青空の下でなんとも綺麗ではありませんか。

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ウォーキングは気持ち良いですが、電車撮るにもホントはちょっと遠出したいです。 ただただコロナが治まってくれることを祈りつつ、感染しないように注意するしかありません。

 

2020年4月25日 (土)

今日の一枚 No.12

出張で行った筈ですが、今となってはどんな業務だったのか、どんな人と会ったのか、さっぱり思い出せませんが、ここで撮影したことは事実です。 1978(昭和53)年6月15日、日が長い季節なので、仕事後の時間を目いっぱい使っていたようです。

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憧れのビスタカーがやって来ましたが、お目当ての顔は後方。 やむなく後追いで仕留めたしだいです。 忘れていた撮影地、この写真から俊徳道であることが判りました。

 

2020年4月24日 (金)

今日の一枚 No.11

1964(昭和43)年9月4日夕刻の新原町田。 なぜこの日、ここへ行ったのか、全く記憶はありませんが、この時は高校3年生だった筈。

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今は町田となっている駅、西方跨線橋から下り方向を撮っていますが、1番線(左)停車中の冷房試験車クハ2478の屋根上を目的に撮影したようです。 因みに跨線橋は東方にもありました。

冷房試験車なのに、まだ冷房は稼働していないのか、暑い車内から2番線のロマンスカー退避の間、ホームに涼みに出ている乗客の姿も。 NSEの屋根は冷房強化改造前ですっきりしています。

駅西方はまだ未開発で、国鉄横浜線を跨ぐガーター橋の向こうには自然が残っていました。 上りで向かって来るのは5連時代の2600形NHEです。

この時代の小田急が懐かしい!

 

2020年4月23日 (木)

今日の一枚 No.10

テレワークなんていうモノが推奨されていますが、1979(昭和54)年当時はそんな環境はありませんでした。 お陰で結構な頻度で全国主要都市への出張の機会に恵まれ、その度に撮り鉄を楽しんだものです。

ここは西鉄福岡~薬院間。 この踏切を通過して直ぐの名も無き川をガーターブリッジで越えたら右カーブしつつ勾配を上がり、西鉄福岡駅となる場所。 ここにOER3001氏が務めた会社の九州拠点があったもので、ここへの出張の度に、現地社員に見つからないようにして撮影したものです。 右方に小さくブランドロゴが見えています。

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この頃の西鉄は、落ち着いた雰囲気で好感が持てました。

この600形は、小田急HE車のような経済性重視の設計で、実用的で均整がとれたスタイルでしたが・・・、その後の塗色変更や改造で、だんだん好みから遠ざかっていった感じがします。

 

2020年4月22日 (水)

今日の一枚 No.9

1978(昭和53)年10月のこと、今まで半世紀に渡り良き友人としてお付き合い頂いているきぬやまスカンクさまのお誘いで、まだ新婚だったOER3001氏夫妻は、福島県内への旅行に行きました。 東北新幹線が無かった時代、往路は14系客車の「つばさ51号」と記憶しています。

きぬやまスカンクさまのホスピタリティ溢れるお心遣いで、山奥の温泉宿、五色沼、磐梯などを巡りましたが、途中ではしばしば‘撮り鉄’でした。

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生憎、磐梯山は雲に隠れていましたが、ED77牽く福島行き客車列車と、きぬやまスカンクさまと愛車と絡めて撮っておきました。 若い時代の良き思い出です。 きぬやまスカンクさま、これまでありがとうございました。 そしてこれからもよろしくお願いいたします。

 

 

2020年4月21日 (火)

今日の一枚 No.8

東京起点の東海道線は、湯河原を出て左へ大きなカーブを描き、熱海への隧道に入ろうとする手前で千歳川を越えるガーター橋を渡ります。 そのガーター橋を渡り終えようとする辺りに、東京起点100㎞を示すキロポストが立っています。

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ポジフィルムの劣化のせいか、撮影者の技術なのかわかりませんが、微妙なカラーですみません。

100キロポストを入れて撮るため、当時は入ることができたこの場所、今は勿論立ち入ることはできません。 画面右上に、OER3001氏が務めていた会社の保養所があり、眼下に列車が良く見られたものです。

 

2020年4月20日 (月)

京王線集合

4月18日、拙ブログに「5000系京王ライナー」をアップしたら、なんだか京王線の模型を並べたくなりました。 小田急ファンとしてあまり興味は無かった筈なのに、気が付けば4編成が揃いました。

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気付けば製作対象は加齢とともに古い車両になって来ています。 製作順は左方から。 6000系が1978(昭和53)年、5000系が2009(平成21)年、2010系が2015(平成27)年、2600系が2019(令和元)年という次第。

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アップに堪えないペーパー自作ではありますが、元日に運行する「迎光」ヘッドマークを掲げて自己満足しています。

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本流の小田急も仕掛かりが多い中、2100~2400形の小型車に興味が湧いてきて、さてどうなることか。

ま、当分外出自粛と言うことですから・・・。

 

 

2020年4月19日 (日)

Stay Home の成果

このコロナ感染を終息させるために発せられた「Stay Home !」

鉄道模型の趣味を持つ身にとっては、没頭できることがあるので幸せですが、この時とばかり長年撮りだめたフィルムのスキャンを進めています。 その成果の一端を「今日の一枚」としてご紹介しているのですが、本日ちょっと一区切りです。

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こちらは35㎜カラーポジフィルム。スライドファイル1箱に20コマシートを30枚収納していますが、このたび10箱のスキャニングを終えましたので、記念撮影。

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この後中身を出して、‘燃やせるごみ’と‘プラスチックごみ’に分別、所定のごみ袋に入れて搬出します。 空いた書棚が見事で気持ちいい!

まだ到達率は37%、残り17箱ありますが、これにばかり掛かりきりになる訳にもいきませんのでのんびり進めようと思います。

 

2020年4月18日 (土)

5000系 京王ライナー

一昨年から登場した5000系による「京王ライナー」は、なかなかの人気のようで、昨年からはこれまでの帰宅時の下りに加えて、朝の上りを新設。 さらに今春のダイヤ改正では増発されるという状況です。

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その宣伝を兼ねて、バスにも5000系バージョンが登場しています。

買い物に出た折、ちょうどバスロータリーに停車していたので漸く撮影できました。

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ぺデストリアンデッキから、上方向からも見ることができます。 なかなか細かいところまで表現したラッピングは素晴らしい。

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リアデザインも電車の「顔」になっているのです。

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前照灯に加え、ナンバープレート部分を良く見ればなんと連結器。 よって、バンパーはスカートを表しているようです。

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念のため、前掲の先頭部と比較して見てください。 どちらも結構忠実に5000系の「顔」をラッピングしています。 おまけに、前方乗車扉の右上には、電車と同じ書体で「1号車」と車号「5734」まで。 5000系は今年の増備含めて6本ありますが、若しかして5000系ラッピングバスも6両居るのでしょうか。

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宣伝の力もあってか、5000系は初代同様に人気車両になっているようです。

 

 

2020年4月17日 (金)

今日の一枚 No.7

就職して社会人となり数年、当時は結構出張の多い身でした。 鉄道好きの身には出張はある意味でご褒美。 社費で鉄道に乗れるのですから。

それまで足を踏み入れていなかった四国に初めての出張は、1978(昭和53)年4月の松山でした。 仕事を終えて空港に向かうバスの時間まで、入場券を買って入った松山駅でご対面したのは何とこれ。

DE10のトップナンバー機です。

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電車ファンにとっては興味の対象ではなかったものですが、こうなれば別。詳しいこと知らないながら興奮した記憶があります。

この時も、リバーサルフィルムを装填した一眼レフを持っての出張でした。

 

2020年4月16日 (木)

今日の一枚 No.6

EF66の試作機901号機です。

出張で行った広島、帰りの新幹線ホームに向かう途中で立ち寄った在来線ホーム、思いがけず遠くに接近してくる列車を発見! 急いでカメラを取り出して撮りました。

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あとで良く見てみれば、何と901号機。 だからどうと言うことは無いのですが、やった~と喜んだ記憶があります。 

新幹線が岡山~博多間を開業して2年後の当時、広島始発「ひかり」を選んで乗りました。 何処へ出張するにも必ずカメラは持参。 出張荷物は必要以上に大きくなりました。

2020年4月15日 (水)

今日の一枚 No.5

新型コロナウイルス感染防止のために外出自粛が続きますが、少しはパッと明るいネタを。

42年前、1978(昭和53)年の今日、4月15日はサクラが満開でした。 地球温暖化はサクラの開花も早めています。

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5000形の6両編成車(5200)の増備が開始された時代で、ABFM車や2400形HE車も元気、特急車は3100形NSEと3000形SSEが活躍していました。

ここ玉川学園付近も線路近くまで寄ることができ、学園のサクラとの見事なコラボレーションを収めることができたのですが・・・。

今では立派な防護柵が設置され、学園構内の橋もコンクリートの立派なものに代り、サクラは老木化で勢いが失せてしまいました。 上り「あしがら」のSSEがすれ違うのは2851を先頭にした2600形NHEのトップナンバー編成でした。

 

2020年4月14日 (火)

今日の一枚 No.4

今日は特別に二枚です。 京阪電車の四条駅駅1970(昭和45)年8月12日の光景です。 2058先頭の淀屋橋行・各停。

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2枚目は同じアングルで6年後の1976(昭和51)年9月5日の撮影。 2260先頭の宇治行・各停。

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ここはOER3001氏のお気に入りの場所のひとつでした。 6年間の変化、判りますか?

そうです、市電との平面クロスの有無です。ゆっくり通過する際のガタゴトゴトゴト・・・と言う音、上を見れば架線もクロス、パンタが擦れる音。 それが無くなってしまいました。

加えて駅の看板も。 「京阪電車」が1行から2行表示に変化しています。

さらに、OER3001氏愛飲の「アサヒビール」電飾看板、海から旭が昇るマークが消えています加わりました。

今ではこの地下を通過してしまいますが、鴨川の川面と向こう岸の川床を見つつ三条に向えた時代が好きでした。

2020年4月13日 (月)

今日の一枚 No.3

見られた写真ではありませんが、こんな状況ゆえラッキーチャンスを。

1975(昭和50)年2月2日の東海道線根府川橋梁での一コマです。

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向こうの東海道線はEF65 0番代牽引の貨物。手前の新幹線を0系が疾走します。

今のように連写もできないカメラで、思いがけず得られた一瞬の出来事でした。 もう少し右方向に進んでくれていたら・・・などと贅沢は言えません。

 

2020年4月12日 (日)

今日の一枚 No.2

鉄道博物館に保存されているC57 135号機の現役の姿、沼ノ端発車後の雄姿です。

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1975(昭和50)年10月10日の撮影。 この機は同年12月に、国鉄最後の蒸気機関車による旅客列車牽引となり引退しています。 その後はご存知の通り、交通博物館に展示され、今日に至りますが、撮影していたこの時は、そんな将来のことを考えもしませんでした。

 

2020年4月11日 (土)

今日の一枚 No.1

「今日の一枚」と題して、外出自粛令のもと、シコシコ進めているスキャンニングした写真から。

始めはOER3001氏らしからぬカットを。

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1975(昭和50)年10月11日、夕張線・沼ノ沢です。体育の日を含む連休を活用して飛んで行ったことを思い出します。

蒸機の終焉近い北海道でしたが、事情に詳しくない、社会人2年目のOER3001氏は、会社の先輩鉄に誘われるままに付いて行った次第でした。

 

2020年4月 8日 (水)

都心へ

緊急事態宣言が発せられ、"Stay Home"と不要不急の外出自粛要請の最中、有要有急の所用で都心に向かいました。 電車に乗る以上は、自らの身を守るために3密を避けるとともにマスク着用。 電車の側窓は開けられ、風通しは良いし音が煩いし。 何より外出したい今日は撮影も。

先ずは明大前に到着する列車を。 やって来た急行は1771Fでした。

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天気も良く暖かな日差しだったのと、急行より空いた各停に乗り換えるべく、下北沢で一旦下車。 新代田から向かって来る列車を撮ります。

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所用の予定時刻まではゆとりがあるので、渋谷駅に進入して来る列車も撮りました。 その昔は神泉からのトンネル出口が、程よい距離で眺められたものが、今では一瞬外光を浴びたかと思ったら直ぐ、渋谷のホームです。

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そう言えば、乗って来た編成の2両目はこれ、1111とゾロ目です。 モハメイドペーパーさまあたりが、他車の1111もアップしてくださると面白いですが。

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外出自粛の折、渋谷の青ガエルはご覧の通り。 ショーティーをまじまじと観察できました。

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いつもは人、ヒト、ひと、、、の広場はご覧の通り。 サクラも葉がだいぶ出て来ましたがまだ楽しめます。

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所用を済ませて、東京駅に行ってみれば、ちょうど車両交代した「踊り子」仕様のE257系が。 その昔、ここで「あまぎ」を撮ったことを思い出します。

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帰路に、乗り慣れている筈の明大前で、新たなアングルを発見。 京王線下りホームの窓、金網越しにコンデジのレンズだからこそ撮れます。

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ビル陰と架線柱の邪魔を避けるのは結構至難、ちょっと遠くに定めて捉えてみました。

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それにしても空いてます。 OER3001氏が乗った山の手線車内は何と、乗客9人という区間さえありました。

早く収束させるため、先ずは自らが感染者とならない努力を続けようと思います。

 

2020年4月 5日 (日)

分岐器パーツ

新型コロナウイルスが猛威を奮っています。 政府や東京都他の自治体が発する外出自粛要請は、なにより自らの身を守るために行動しなければなりません。

もとよりこの趣味を持つ身としては、外出自粛して家に居ること自体は、模型製作ができるのでさほどの苦にはなりません。 それでも時にはパーツ調達が必要ですが、流石に渋谷界隈へ出かけるのには少々抵抗もあります。

そこで気分転換に、こんなものを作ってしまいました。 線路を観察すると、分岐器の傍らには必ず非常時の予備レールが供えられています。 レイアウトにも必要と考えていたので・・・

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今や貴重なシノハラのポイントですが、破損してどうにも再生不能なレールを、サーキュラソーでばっさりカットしてしましました。

レイアウトのアクセサリーとして、ポイント脇に置こうと思っています。

 

 

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