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2020年5月

2020年5月31日 (日)

今日の一枚 No.31

前回、シカゴの電車を取り上げたところ、早速Cedarさまからのコメントも頂けたので、序にこれもご紹介させて頂きます。

同じ場所ですが、こちらは2階建てではありません。 どうも会社も異なるようで、車体には Chicago Lake Shore and South Bend Railroad とあります。 台車、床下がまだ汚れていないので、日本車輛が納入して間もない頃の姿かと思います。

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それにしてもこの車両、6両編成全車が両運転台で2個パンタ、但し常時1基使用のようです。何とも贅沢ですよね。

贅沢したからかどうかわかりませんが、サウスショアと言われたこの路線も、売却、統合など複雑な歴史で今日に至っているようです。 この画像も貴重な過去の記録のようです。

 

 

2020年5月30日 (土)

今日の一枚 No.30

先日、分岐器や京阪京津線を取り上げたところ、アメリカ好きCedarさまからコメントを頂いたことをきっかけに、今回はアメリカの思い出を。

1983年秋、日本の大手百貨店再生に係る仕事に携わることから、アメリカ小売業の視察・調査という出張の機会に恵まれました。短期間の出張ながら、社内の誰よりも、新鮮な情報に精通しようとの心がけで、早朝から深夜に至るまで、ミーティングなどビジネスに接する時以外は歩きやすいスニーカー履いて、現地商業施設他を歩きまわっていました。

シカゴで朝を迎えた日、ホテルでの朝食前にスニーカーを履き、カメラを持ってウォーキングに出たのですが何と、都心の公園では野生のリスが見られ感激したものです。

しかしもっと感激したのは、ここに出たとき。 正面の高層ビル左のミレニアムステーション(だったか)から来る2階建て4両編成の通勤電車ではありませんか。Highliner と呼ばれるそうです。

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事前知識のない身にとっては何もかもが刺激。 車体には Regional Transportation Authority との記載がありました。日本車輛が製造したものかと思って喜んだのですが・・・、どうもこれはボンバルディア製らしいです。

この時思ったこと、それはまさに「早起きは三文の徳」ということ。 暫くここで電車を見た後、ホテルの朝食。 その後はしっかり一日のスケジュールに就きました。

因みに今、この鉄道は倒産、再編されたばかりか、この地をグーグルのストリートビューで見ると、広大な鉄道用地は整理され、近代的なビルが建てられていました。

 

2020年5月29日 (金)

緊急事態宣言解除となって・・・

依然、コロナ第2波とならないように、不要不急の外出を控えなければなりません。 特に首都圏では、都県を越えての移動は控えるように指示されているのですが、手元に残った有効期限ぎりぎりの乗車券。 有効活用しない訳にはいきません。

ということで、3密とならないところに行って来ました。 新5000形増備で先が短くなりそうなワイドドア1000形がやって来ました。

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ちょうど田植えシーズンということで、田植えが終わったばかりの田圃も。 水田で作業中の方の後方、30000形EXE-αが疾走して行きます。 車内に乗客の姿は・・・、空席ばかりのようです。

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まさに田植最中の田圃も、水を入れて田植えを待つ田圃も。 今年は台風などの自然災害に襲われず、無地に収穫できることを願います。

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美しい景色の中を疾走する電車を小一時間、撮影して来ました。 特に目的の列車がある訳でもなく、ダイヤを気にせずにすみます。 しかも平日なのでロマンスカーも走っていましたから。(コロナ感染予防のため5月中の土日はロマンスカー運休)

紫外線もたっぷり浴びて、健康増進になったようです。

 

2020年5月28日 (木)

完了!

って何が?

コロナ感染防止のための外出自粛が続く中で進めてきたカラーポジフィルムのスキャンニングです。 これまでに撮り溜めてきた枚数はおよそ11,000コマ、その全てのデジタルデータ化が完了した次第です。 充実感に満ちて、つい、終了したスライドボックスを積み上げて記念撮影。

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既に10箱は処分していますが、それでもこの高さになりました。 この他に別のファイルが10冊と、現像が上がって来て未整理のままプラスチックケースに収まっていたのが6箱。 因みにネガフィルムのデータ化はまだまだ未着手が多くて・・・。

この中で最後のフィルムがこれでした。 2006年4月1日、相武台前~座間間のサクラ名所での20000形RSE「あさぎり」。 この時はまだ“お立ち台”での撮影が可能でしたが、今は柵が設けられてここに登って行かれなくなってしまいました。

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世の中はデジタル化の波、OER3001氏の趣味においてもカメラがデジタル化されて行くことになりました。 デジタルカメラで最初に撮った画像(だんだん写真と言わなくなりました)がこれでした。 使用カメラはCanon A60と言うコンパクトカメラでした。

2003年7月19日、京王相模原線ホームから、向こうの小田急多摩線を狙っています。 まだ正面のロイヤルブルー帯が太かった時代ですが、フィルム時代だったらもったいなくて、こんなシーンでシャッター切りませんよね。 フィルム写真は1カットいくらの感覚でしたから。

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やがてデジタル一眼レフも手にするようになりますが、それまでCanonレンズを使用していたことからレンズは継続使用、ボディだけEOSkissのデジタルとしました。 それで最初に撮影したがこの一コマです。 2007年9月24日、唐木田駅手前で捉えた何の変哲もない3000形。 前面帯がストライプに変化しています。

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それにしてもデジタル化は、こうした写真、画像の記録にコストを気にすることが無くなり、保管スペースも大幅に削減できと、良いことづくしのように見えますが・・・、ホントに良いことばかりでしょうかね?

 

 

2020年5月27日 (水)

今日の一枚 No.29

実は、この手の電車大好きなのです。 残念ながら首都圏では江ノ電くらいしか近いものはありませんが。

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やばい、やばい、作りたくなって来ちゃうじゃないですか。 いくら Stay Home とは言っても、既にやることはたくさんあるのですから。

 

 

2020年5月26日 (火)

梅雨入り前に終えておくこと

それは、間違いなく塗装です。 今回は残る先頭車。

先ずは念入りにマスキングします。 プライマー吹いて白吹いて、オレンジバーミリオンを吹き付けてあった車体。 N5グレーに塗装する部分を残して覆います。

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細い線と微妙なカーブの塗り分け部のマスキングには神経を使います。

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妻部もこんな感じで。

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そうしたら、天日干しした車体を例の塗装用ラックにセットして、N5グレーを吹きます。

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車体を反対側にセットして、反対側を吹きます。

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一旦、屋根上も塗っておくので、今度は車体を縦方向にセットして吹きます。

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紫外線を充分に当てて乾燥させてから・・・、恐る恐る丁寧マスキングを剥がします。 毎度のことですが、塗装工程で一番緊張し、一番楽しいひと時です。 最初に腰部の覆いを剥がします。

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次は、先頭部分の腰を覆っていたマスキングを剥がします。 ん、なかなかイイ感じ。

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今度はオデコ部分にかかります。 球面上のオデコのマスキングは、小片を重ねるようにしています。

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剥がしました。

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最後に、稜線部の細いテープをそろーり、そろーりと剥がして行きます。

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いよいよ正面の金太郎部分にかかります。 そろーり、そろーり、イイ感じではないですか。

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側面の白線部も剥がして行きます。 先ずは窓下。

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最後に幕板部の細いやつを。

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と、こうしてまずまず綺麗に仕上がりました。

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思いのほか、金太郎部分は上手く行ったようです。

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これにて塗装工程は落着。 このあと雨天でもできる艤装に入ります。

ま~だまだ、先は長いですよ。

 

 

 

 

 

 

 

2020年5月25日 (月)

1970年初夏 相模鉄道2100系試乗会 1970年6月28日

斯様なタイトルで、ぼっちぼちの旅日記 に紹介された記事、とても懐かしくて同じタイトルで紹介させて頂くこととしました。 ぼっちぼちさまご了承ください。

ちなみにその節に撮ったOER3001氏撮影の小田急、その内の1枚はこれです。 海老名はまだ水田が広がり、田植えを終えた水面が綺麗でした。

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相模鉄道2100系の見学試乗会の折だったのですが、通常は車両基地内でこのような撮影をします。 当時の車両基地は確か相模大塚、その後かしわ台に移転するとは思ってもいませんでした。 この車両基地、かしわ台だったようです。 モハメイドペーパーさまからご指摘頂き訂正させて頂きました。

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この時は珍しいことに、電車好きの少女が参加されました。 そこで、2100系の前にお立ち頂き記念撮影。 綾小路きみまろじゃないですが、あれから50年、この少女はどんな女性になられたことか。

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同じネガにはこんなDBもありましたが、たぶん国鉄相模線に隣接する相鉄貨物線内に居たものではないかと思います。

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画像品質が悪く、社紋等が確認できないのが残念です。

いずれにしても50年前の記録はあっても、記憶が・・・。 残念なことです。

 

2020年5月24日 (日)

またまた分岐器

ここのところ、度々分岐器の話題に触れていますが、スキャニングした画像を整理していて、またまた妙な分岐器に目が止まってしまいました。

1988年の10月でした。 出張先のアメリカ合衆国でも時間を有効活用、ちょっとした時間でも小さな旅を創り出していました。 ワシントンD.Cでも、夜のミーティングまでのわずかな時間に、ナショナルエアポート駅までメトロに乗ってみました。

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なかなかスマートでシックなスタイル、OER3001氏にとっては小田急9000形の香りさえして気に入りました。

さてさて、終端での折り返しを観察します。 向こうの電車がプラットホーム左側に入線して来ます。

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今度の電車はこちら側へ。

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ちょ、ちょ、ちょっと良く見てください。 何か気づきませんか??

トングレールです。

これはどうも通常のトングレールではありません。 V字型したレールが可動しているようです。

斯様なタイプ、ここでしか見たことはありません。 この種の分岐器、他にご存知の方いらっしゃったら是非ご紹介いただきたく思います。

 

2020年5月23日 (土)

今日の一枚 No.28

御殿場線が電化されてから、線内特急列車は小田急の3000形SSE車が「あさぎり」として走っていましたが・・・、JR東海との相互乗り入れというカタチの「あさぎり」になり、さらに今は、小田急60000形MSEによる「ふじさん」に変わっています。

その御殿場線に、キハ82系によるディーゼル特急「ごてんば」が走った日がありました。 1994年11月27日のこと。

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小田急車の撮影のため何度も訪れた御殿場線。 しかしこの日は流石に物凄い人出で、いつもの場所を確保できませんでした。 やむなく200mばかり移動しての撮影、しかも・・・、通過時間になって雲が! 富士山に掛かってしまいました(涙)。

それでも良き思い出となりました。

2020年5月22日 (金)

久しぶりの公共交通機関利用

東京都は非常事態宣言が解除されず、外出自粛が続く中、やむを得ずの外出となりました。

その目的は、パーツ調達。 パーツ在庫が無くなれば、外出自粛にも支障をきたします。 そこで、立川までのモノレール利用となりました。

折角なのでこの機会を有効利用ということで帰路、高幡不動で一時下車、下の京王線を眺めることにしました。 眼下に広がる車両基地は嬉しいのですが、モノレール駅のメッシュ入りガラスの清掃状態が芳しくなく汚れています。 メッシュの間から苦労して撮った1枚。

この車両基地、京王線が3~4両の時代に拡張された時には周りは田畑で、とても広大なものに見えたのですが、10両編成が主力となった今見ると、8両までしか入らなそうな収容線が少なくない。 もっと拡張したいのかも知れません。

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次のモノレール到着まで、反対側のモノレールを撮影することにしました。 程久保駅を出た列車が近付いて来ます。

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向こう側には京王動物園線が見えるのですが、残念ながら電車は来ません。

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来た、来た、近付いて着た。

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やっと、車両の音が聞こえました。

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ここまでコンパクトデジタルカメラのズームレンズで、充分楽しめた次第。 次の列車で帰宅しました。

さてさて、調達して来たパーツですか? 

MP用床板2枚と台車10両分。 少々思うように入手できなかったのですが仕方ありません。 これでまた、外出自粛の時間が有効活用できそうです。

 

2020年5月21日 (木)

今日の一枚 No.27

緊急事態宣言も解除されつつあるとは言えど、まだまだ移動制限をきたしています。

コロナとは別の移動制限がここ、現上田電鉄の千曲川橋梁。 昨年の台風19号の豪雨で流失しています。

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1980年の夏休み、家族で別所温泉に行った際、小さい我が子を妻に預けて暫しこの鉄橋で撮影したのでした。

丸窓電車のモハ5252が、轟音とともにこちらに渡って来ます。 この情景に興奮して切ったシャッターでした。 思えば良くこんな近くまで近寄れたものです。 

再びここに電車が通ってくれる日が来ることを祈るばかりです。

2020年5月20日 (水)

小田急50周年記念展

1973年11月23日から28日の6日間、新宿駅西口の小田急百貨店11階の催事場で、小田急線開業50周年を記念しての「ぼくとわたしの電車展」が開催されました。 なかなか力が入った展示会の模様を、ここ一連のカラーポジフィルムのデジタル化した成果からご紹介しましょう。 但し、元々の写真品質も悪くフィルム劣化もあって、色調が悪いことをお許しください。

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入場無料の会場に入ると、「電車のしくみ」コーナーが展開されています。 実物の軌道設備や台車の模型などが目に入ります。

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大野工場から搬入したPT-42パンタグラフの上げ下げもできます。 その向こうには実物大の・・・。

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車掌スイッチで側扉の開閉もできました。

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運転席もありました。 当時の最新型車両である9000形を模しています。

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いずれも人気で、子どもたちの行列が絶えなかったことを記憶しています。

さて、当然ながら模型展示ですが、これにはOER3001氏らが協力させて頂きました。 ブレてしまった写真ですが、「ミニ小田急線」のコーナー、協力グループ電鉄東京とあるのがお判り頂けるかと。

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ジオラマはこのパネル背面から始まります。

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勿論、新宿が起点です。 画像は当時の急行編成である8両。 2400形と5000形の併結です。

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途中駅、相模大野では小田原方面、江の島方面に分割します。 そこは模型でも忠実に再現します。

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ちょうど、江ノ島線からの上り列車が到着したようです。

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片瀬江ノ島駅には別の列車が停車しています。

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相模大野を出た小田原行は、伊勢原、鶴巻温泉、大秦野(現・秦野)、新松田を通ります。

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この日の運転担当はK藤センセだったようです。 古い写真で顔が不鮮明で良かったですね(笑)。

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新松田で分岐し、国鉄(現JR東海)御殿場線に直通した3000形SSE車「あさぎり」は、無事に富士山の麓、御殿場に到着しました。

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一方、小田原を通り過ぎるSSE、ここからは箱根登山線へ直通します。

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左方から清流が迫れば、そこは箱根湯本。

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この小田急の路線を、16番ゲージで展開しました。

ガラスケースの中には、TMS誌上を飾った伊藤正光氏他、先輩諸氏の素晴らしい作品が展示されていました。

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海老名にロマンスカーミュージアムを建設中の、100周年も近付いた小田急ですが、またワクワクする展示が展開されることを期待します。

 

 

2020年5月19日 (火)

新設備の活躍

導入した塗装用ラックは、お陰様で五月晴れの日に大活躍しています。

この日はマスキングを終えた、残る先頭車2両に取り組みました。 ラックにセットします。

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そして、バーミリオンを吹き付けます。

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このラックの全体像は、こんな状況になります。

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このラックの優れた点は、こんな使い方もできるのです。

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先頭部のオデコは、こんな感じでつるした方が塗りやすい。

さてさて、今回はここまで。 充分に乾燥させてからではないと、N5グレーのためのマスキングで、バーミリオン面を痛めてしまいます。 どうせ運転会は全てが中止になっているため、納期は順延となっていますから。

 

 

2020年5月18日 (月)

驚異的な分岐器

昨日の「今日の一枚 No.26」で取り上げたPöstlingbergbahnの分岐器に反響を頂き嬉しく思っています。 とりわけOゲージのアメリカンインターアーバンを好まれるCedarさまからの反応が、今日のテーマとなりました。

40年前、1980年の10月末、フランス南東部にあるMulhous(ミュールーズ)の交通博物館を訪ねたました。 インターネットなど無かった時代、満足な事前情報集もできず、駅のインフォメーションで尋ねるも全くフランス語を理解できない身。 案内も親切でなかった記憶があります。

駅前から乗ったバスも、その方向に疑問を呈した同行メンバーの一人が、これまたカタコトフランス語で隣り合わせたマドモアゼルに訪ねてみれば、次の停留所で乗り換えだと教示してくださった次第。 フランスの田舎町とは言え、そこは流石にフランス、マドモアゼルでした。

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で、やっとのことで辿り着けば、不安になる広大な地の向こうに、斯様なモニュメントと建物が見つかりました。

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近付いてみればなんですか、この機関車は。 歴史的に特別な意味があるのでしょうが、フランス語読解力ゼロの身にとっては無用の長物でした。

館内の詳細はまた別の機会ということにして、今回は屋外に展示されていたこれ、レールを。 

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時間が気になっていて、近くまで寄らずに退散してしまったので、画像を拡大します。

この分岐器、何方向に分岐するものでしょう。 トングレールの先にまたトングレールで、5分岐のようです。 おまけにその向こうはトラバーサーか何かでしょうか?

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こんな分岐器が模型であれば、大幅にスペース節約できるのに・・・、残念ながらとてもとても自作できそうにありません。 いずれ、Oゲージで実現される方が出て来られることを期待しましょう。

 

 

2020年5月17日 (日)

今日の一枚 No.26

「今日の一枚」シリーズが海外に飛んだのを機に、またまた海外編です。

NHK-TVのドイツ語講座をほぼ一年間視聴した成果がどれほど役立つものか、1980年の晩秋、休暇を得て飛んだ2階目のヨーロッパ、もっぱらドイツ語圏を選んで訪れました。

ここはオーストリア・リンツ郊外、Pöstlingbergbahn(ペストリングベルク鉄道)。 中央駅からの市電で行ったところが始発駅、Pöstlingberg(ペストリングベルク)という小山の頂上までの2.9キロを、20分毎、所用6分で行く登山線です。 105‰という勾配票を確認しました。 

ここを走る電車は何と、ポールの単車! 画像は途中駅での交換風景。 分岐器がなかなか興味深い特異なタイプでした。

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この日の乗客はOER3001氏と同好者3人の日本人以外は5人、全部で9人。 

フィルムスキャン序でにWeb探索してみると、なんとこの鉄道、当時は1,000㎜ゲージだったものを900㎜に改軌、市電との直通運転となったとのこと。 ご興味ある方は以下をご覧頂きください。 但し、相応のドイツ語読解力が必要です。

https://de.wikipedia.org/wiki/P%C3%B6stlingbergbahn

自信のない方には、以下で要点が判ります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E9%89%84%E9%81%93

 

2020年5月16日 (土)

塗装用設備大活躍

外出自粛の中での五月晴れは、塗装日和です。 先に備えた‘設備’は大活躍です。

そして、塗装工程で一番の楽しみがこれ、マスキング剥がしです。 N5のグレーを乾燥させてから、先ずは腰のマスキングをそろ~りとめくってみます。

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次は妻面のマスキングを剥がします。

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そしていよいよ、車体中央部の帯、1㎜弱幅の自作テープを剥がして行くと、白線が現れました!

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最後は窓上の細~いやつ。目分量で切り出したテープなのですが、0.5㎜幅程度でしょうか。 細いので剥がし方によっては剥がしている途中でテープがちょん切れてしまいます。

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丁寧にマスキングしたつもりでも、やっぱり側扉の段差部分は若干の手直しが必要です。

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まあ時間はありますので、おいおい修正して行きましょう。

それより難関は先頭車両のマスキング。 実はWeb注文した曲線用マスキングテープの到着を待っている次第ですが、これが到着した頃は天気が崩れる模様。 暫くお預けになってしまいます(涙)。

 

2020年5月15日 (金)

今日の一枚 No.25

今回はこのシリーズ「今日の一枚」としては勿論、当ブログでももしかして初の海外ネタです。

初めて行ったヨーロッパ、1979年7月のことでした。

スイスはベルンのホテルで朝を迎え、この日のスケジュールはベルン路面電車を撮影した後は、ヨーロッパの十字路とも言われるバーゼルとチューリッヒを訪れるという強硬なものでした。

早朝にベルン市内で路面電車の撮影をした後、9時過ぎの急行列車でバーゼルに向ったのですが、写真の時計は9:37を示しています。 途中駅で思いがけず目に飛び込んできた可愛らしい電車! 急いでシャッターを切ったので、カメラの水平が保たれていないのはご勘弁、この一枚しか撮影は叶いませんでした。

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最近になって、これがWaldenburgerbahn(ヴァルデンブルク鉄道)と言うものであることが判りました。 スイス国鉄のこの駅がLiestal(リースタル)であったことも判明、ここから終点のWaldenburg(ヴァルデンブルク)までの 13.1㎞を、軌間750㎜ながら架線電圧は何と1,500V。 この車両はBDe4/4というらしく、3両が1953年に製造されたとのこと。 1953年て昭和28年、日本ではまだシル・ヘッダーの車両が造られていた時代なのに、何と魅力的な鉄道だったことか。

今ではインターネットで情報収集が容易ですが、この当時は知る由もありませんでした。 機会あれば是非訪れてみたい存在です。

 

2020年5月14日 (木)

塗装用設備投資

大袈裟なタイトルですね。 実は、編成物の塗装工程効率化のため、こんなものを作りました。

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コロナ外出自粛要請下ながら、時間短縮しつつ営業中の100円ショップのダイソーは、ウォーキング序でに覗くには大変面白い。

ネットが100円。 脚が100円。 ひっかけフックが2個で100円。 これらを組み合わせ、6両の車体を並べられるようにしました。 これで税込550円。 フックは予備にもう1組買っておいたので、全部で660円の‘設備投資’となりました。

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早速、ご覧のようにセットして、一気にバーミリオンを吹き付けました。 勿論、適度に乾燥させた後に反転して、反対側も吹き付けます。

吹き付ける色によって、ネットとフックが色変わりします。 汚れて塗装に影響が出るようになったら、また買って取り換えればよい。 実に安価で良いものができたと満足しています。

5月5日付けでご紹介した車両メンテナンス用品 とともに、最近は100円ショップが大活躍です。

 

2020年5月13日 (水)

今日の一枚 No.24

前回は廃線となった新潟交通を取り上げたので、再び新潟交通電車線を。

こちらは24年後の1999年3月の木場駅で交換するモハ19(右)とモハ11(左)。 前回の関屋分水路を渡るモハ19の行先は東関屋。 東関屋から県庁前(その後に白山前と改称)までは廃止されています。 一方モハ11の行先は月潟。 月潟から燕までも廃止されています。

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残っていた東関屋から月潟も、この後廃止されてしまいました。 懸命に頑張っていたのに、時代の変化とは言え残念なことです。

 

2020年5月12日 (火)

今日の一枚 No.23

今回も廃線から、新潟交通電車線を。

まだ県庁前から燕までの全線が営業されていたとき、信濃川の関屋分水路を越える元小田急のHB車です。 日車標準車体で更新されたモハ19に押されるクハ48ですが、小田急デハ1412が電装解除されたものです。

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小田急の香りを求めて訪ねたこの地、この電車が来たときには身震いした記憶が蘇りました。

 

2020年5月11日 (月)

今日の一枚 No.22

新規感染者数の発表で一喜一憂しつつも、なかなか終息しない新型コロナウイルスの感染。 外出自粛が解除されたら・・・、またここへも行きたいです。

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たまにはこんな写真もと、この日は片瀬白田駅から海岸に下りて、岩場を注意しながら進んだっけ。

100系が元気に活躍していた時代が懐かしい。

2020年5月10日 (日)

新鮮な空気と・・・

定期点検のためにディーラーに行った折、折角皐月の爽やかな風が感じられるのにロビーでコーヒーじゃもったいないと、多摩川岸まで歩いてみました。 5月の撮影は空気も澄んでいて、発色が綺麗に感じます。 いつもの決まった場所でのお決まりアングルだはありますが・・・。

先ずは8000系。 この電車、結構好きな方です。 良く観察すると、戸袋窓サッシは多分小田急1000形と同じパーツのようです。

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こちらは9000系。 戸袋窓は無くなり、8000系より手抜き簡略化したような車体の造作のため、あまり好きにはなれませんが、名車と言われた初代5000系のDNA、パノラミックウインドウを採用しています。

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ここで20分弱を過ごしましたが・・・、何れの電車も車内はがらがら。 

側窓も開けられているので、多摩川の爽やかな風が車内でも楽しめそうです。 なんて言うよりやっぱり、コロナウイルスが静まってくれることが一番です。

 

2020年5月 9日 (土)

今日の一枚 No.21

廃線の話題に触れたので、ついでながらこれにも触れておきましょう。 三菱石炭鉱業大夕張鉄道の大夕張駅、DL55という形式の、国鉄DD13に良く似た機関車が、カラの無蓋貨車を繋いで停車中。 雨上がりのため水たまりが。

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この機関車の車体表記が「DL-55 NO.2」、まるで石炭鉱業会社の資産台帳そのままのようで滑稽です。 

1897年に廃止されました。

2020年5月 8日 (金)

今日の一枚 No.20

GW中の4日、NHK総合TVで「にっぽんの廃線100」を見ていたとき、千葉県北部を震源とする地震発生から放送中断。 がっかりしましたが6日朝の再放送を見ることができました。 そうしたら懐かしくなって・・・。

1987年に廃止となった幌内線三笠駅での一コマ、1975年10月12日の午後でした。

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ここ三笠駅での入換用として働く59609が佇む隣に、岩見沢行キハ22 287他2両編成が到着しました。 岩見沢までは10.9㎞の道のりでした。

幌内線の終点は、岩見沢から18.1㎞の幾春別。 その手前が弥生。 何ともほのかな駅名でした。 小田急他電車ファンの身でありながらも、斯様な地を訪問していたこともあったのです。

 

2020年5月 7日 (木)

続・Stay Home の成果(2)

4月19日の当ブログに取り上げた35㎜カラーポジフィルムのスキャンニング。その後もせっせと行って、さらに10箱完了した次第です。

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20コマ1シートを標準的には1箱に15シート(300コマ) 収納ですが、No.13~17の5箱は20シート(400コマ)収納していました。 従って、あれからせっせと3,500コマをスキャニング、これまで合計6,500コマのスキャニングを終えたことになります。

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終了した箱に「完了」のPost-itを張るのは気持ち良い! ずら~り10箱。

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まだまだ道は続きます。 国内分はあと7箱、それに加えて海外モノが・・・。

まあ慌てることはないので、ゆっくりマイペースで続けましょう。 書棚に相当なスペースが生まれるのですから。

 

2020年5月 6日 (水)

今日の一枚 No19

普段は特急が走らない多摩線を、ゴールデンウイークの臨時ロマンスカー「湘南マリンエクスプレス」として、3000形SE車が短縮改造されたSSEが 走りました。 

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丁度30年前の今日は、SSEを2編成連結した10両の堂々たる姿。 特製ヘッドマークを掲げ、新百合ヶ丘からの大カーブを上がって来る姿を狙った日のこと、今でも鮮明に記憶しています。

 

2020年5月 5日 (火)

車両メンテナンス用品

長年横着していましたが、車両メンテナンス、例えば汚れた車輪踏面のクリーニングや車軸への注油などの際、ひっくり返した車両を保持する用具を作りました。

材料は全て100円ショップ「ダイソー」で調達。 ご覧のような深めのプラスチックトレー、長さは250㎜のものを用意。 その内側に白色ラバーをぴったり詰め、さらにU字型にしたラバーを嵌めただけ。

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その中央部を押し込めば、下の画像のようになります。

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ここに、ひっくり返した車両を挟み込めば、屋根上のパンタグラフなどを痛めることなく、またグラつくことなく車両を保持してくれます。

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ラバーが劣化したら交換すれば良い。 たった200円+消費税20円で、便利な用具ができました。 同好の皆さまも、お作りになられては如何ですか?

残念ながら新型コロナウイルス感染防止で、予定されていた運転会は軒並み中止になってしまいましたが、次の運転会に備えてのメンテナンスも捗りそうです。

 

2020年5月 4日 (月)

今日の一枚 No.18

本日は5月4日ということで・・・、

1992(平成4)年の5月4日撮影の1枚を。

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ダイヤモンド富士とはならないものの、富士の稜線に陽が隠れようとするその時、やって来た115系を捉えました。

ここへは小田急20000形RSEの「あさぎり」8号を撮ろうと行ったのですが、「あさぎり」8号が来たときには陽は富士山の向こうに隠れてしまいました。

 

2020年5月 3日 (日)

Stay Home 天気の良い日には塗装

新型コロナウイルスの影響で、運転会の予定が次々に中止なり、公開の場が先送りになったとは言え、いつまでも真鍮地肌で置いておくのは忍びないし、さりとて諸事多忙な背景もあってなかなかまとまった時間が取れませんでした。

ちょこちょこと、床下とモニター屋根の塗装を済ませていましたが、いよいよ車体の塗装を開始しました。

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プライマーを吹いた後、全身真っ白けにしました。 8車体はなかなか大変です。

このままでVSEのように細い赤帯入れるだけなら簡単なのですが・・・。 この後天気を見ながら、またゆっくりと進めていく予定でいます。

 

2020年5月 2日 (土)

今日の一枚 No.17

本来なら昨日アップしたかった29年前の1991(平成3)年5月1日の撮影。 

この日は義父の山荘にクルマで行く途中の御殿場線、南御殿場~藤岡間あたりではなかったかと思います。 狙いは特急「あさぎり」だったのですが、待つ間の一枚がこれ。

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辛うじて背後に白い頭の富士山が見えるのですが、空の色に同化して良く判らなくなってしまいました(涙)。

それでも、咲き誇るツツジの赤と湘南色のハーモニーが気に入りましたが、思えば今ではステンレスや白ベースの車両が多くなり、カラフルな画像を得られる機会が減少したように思います。

 

2020年5月 1日 (金)

今日の一枚 No.16

皐月になりました。 新緑と爽やかな風で、一年で一番気持ち良い時期とのイメージがあります。

なのに今年は・・・(涙)。 今年はゴールデンウイークではなくステイホームウイークだそうです。 そんな折の「今日の一枚」はこれ。

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ゴールデンウイークに多摩センター地区で開催されるイベント「ガーデンシティ多摩」、もちろん今年はありませんが、毎年ヘッドマークを掲げた列車が多摩線内を走りました。

画像は栗平~黒川間で1988(昭和63)年5月1日に撮影の5157。 ヘッドマークは毎年デザインが異なるものでした。

 

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