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2020年5月25日 (月)

1970年初夏 相模鉄道2100系試乗会 1970年6月28日

斯様なタイトルで、ぼっちぼちの旅日記 に紹介された記事、とても懐かしくて同じタイトルで紹介させて頂くこととしました。 ぼっちぼちさまご了承ください。

ちなみにその節に撮ったOER3001氏撮影の小田急、その内の1枚はこれです。 海老名はまだ水田が広がり、田植えを終えた水面が綺麗でした。

19700628_0014_12

相模鉄道2100系の見学試乗会の折だったのですが、通常は車両基地内でこのような撮影をします。 当時の車両基地は確か相模大塚、その後かしわ台に移転するとは思ってもいませんでした。 この車両基地、かしわ台だったようです。 モハメイドペーパーさまからご指摘頂き訂正させて頂きました。

19700628_0102_12

この時は珍しいことに、電車好きの少女が参加されました。 そこで、2100系の前にお立ち頂き記念撮影。 綾小路きみまろじゃないですが、あれから50年、この少女はどんな女性になられたことか。

19700628_0101_12

同じネガにはこんなDBもありましたが、たぶん国鉄相模線に隣接する相鉄貨物線内に居たものではないかと思います。

19700628_0006_15

画像品質が悪く、社紋等が確認できないのが残念です。

いずれにしても50年前の記録はあっても、記憶が・・・。 残念なことです。

 

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コメント

 内輪ネタで盛り上がっていますが、私も本日中に関連記事をアップする予定です。
かしわ台は昭和42年8月に電車基地として開設、昭和46年12月に星川から修車施設(工場)が移転し、かしわ台工機所と改称されています。相模大塚は現在もそうですが、検修設備のない留置線です。
この頃、小田急の海老名周辺は何もなく、急行も通過していました。

コラボをありがとうございます。NSEの写真は私も背景が重なるような写真を撮影していました。ご配慮をありがとうございます。また、当時の友の会唯一の鉄子様の写真をありがとうございます。若かったのですね。もっと妙齢だったら、みんなほっておかなかったかな?

記憶と記録のアンバランスは加齢とともに加速しますね。もともと記録の整理もいい加減なものでなおさらです。
海老名って、田んぼの真ん中に屋根もない相対ホームのイメージが強烈で、相鉄の築堤との間に何もなかったですね。

モハメイドペーパー さま
勝手にやってしまったコラボレーションですが、モハメイドペーパー さまのブログ、楽しみにしています。
また、詳細なご教示ありがとうございます。 相模大塚はこの当時より縮小されてしまったのでしょうか? 今はこの当時の広さを感じられませんが。


ぼっちぼち さま
勝手にコラボしてすみません。それにしても、50年の歳月は大きな変貌ぶりを目の当たりにしましたね。私鉄ファンとしては、4両編成がばんばん走っていた時代が好きです。


Cedar さま
海老名のこの時代、いやこれより前の時代をご存じとは恐れ入りました。 田んぼの真ん中に屋根もない相対ホームの時代、相鉄車両はそのまま小田急に乗り入れて相模川を渡り、本厚木まで行っていましたからね。


この時の見学会もかしわ台です。相模大塚はその頃海老名寄りに保守車両の基地があったようで、今はその分も留置線になっています。相鉄の本厚木乗入れ、一度アップしたけど、未発表写真もあるので復習しましょうか。

モハメイドペーパー さま
ここ、かしわ台でしたか。本文修正しておきます。 蒸気が保存されていましたが、今はここに居ないようですね。
本厚木乗り入れ記録、是非復習してください。楽しみにしています。

それから3、4年後の1974年頃、かしわ台工機所にデハ2512、2513の現車確認にお邪魔しました。
4年前と大分変わっており、まさかお仕事で来るとは想いもしませんでした。
尚、デハ2521、2513は西武所沢工場経由で三岐鉄道のモハ155、156となりました。

ぬか屋 さま
就職して、仕事としての再訪は格別の思い出が有ったのでしょうね。羨ましいです。

久しぶりの貴ブログ拝見
DLについて一言。厚木にあった小野田セメントの三菱製?スイッチャーです。
マークは小野田セメント株、ホキ3100の入換に使用されてました。
まもなく日車製に交代したようです。今はセメントタンクが並んでいた所は
アパート(マンション?)が建っているようで・・・・・。懐かしい・・・・。


はるせい さま
ご教示ありがとうございます。
早速、拡大して見たら・・・、小野田セメントと思われる「小」のマークと、「三菱・・・」のプレートが確認できましたが、三菱の後がなんと書いてあるのか、もはや写真が不鮮明で解読不能でした。

今頃の反応で恐縮です。
とれいん誌の古いので消息が判明しました。
ここから清水港線巴川口に移動したようです。
同じ小野田セメのサービスステーションです。
同線廃止後解体?初期の三菱物でした。

はるせい さま
続報をありがとうございます。
へ~、だとすると、ここからの移送がどのように実施されたのか気になりますね。まさか甲種では無理だったと思いますが・・・。

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