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2020年6月25日 (木)

梅雨空の下のウォーキングはちょっと電車に乗って

ということで、駅の自動改札機にPASUMOをピッ!

向かった先は紫陽花を入れて電車を撮れる場所、ということで行き当たりばったり。 井の頭公園までの車窓を事前確認した後、浜田山で下りてみました。

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行き交う電車は細部の違いはあれど、どれも同じ1000系。 お顔の色が違うことは素人にもわかります。

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しかし肝心の紫陽花は、少々遅かったようです。

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しかし折角なので、沿線を歩くことにして、ここは神田川の橋梁。 

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さらに明大前まで歩き、井の頭線の前身、東京山手急行電鉄が将来に備えて複々線分構築した遺構を見物。

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左2線は、中野方面に向かう計画線だったらしい。

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紫陽花も終わりに近づいていたし、ちょうど某氏からのメールで、普段は見られない電車が走ると言うので、場所替えすることにして、京王よみうりランドで待ちました。

ホームに付いた時には先客2人、後からさらに2人。 ホーム先端は避け、10メートル後方で構えました。 もう少し左を入れたかったのですが左に振ると撮影者が入ってしまうので諦めました。

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近付いた位置でもう1枚。 若葉台工場での定期検査を終えた動物園線専用編成の回送でした。

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見づらいヘッドマークですが「キッズパークたまどうとれいん」となっています。

梅雨空の下のウォーキングは、浜田山~明大前、そして京王よみうりランド、11,600歩となりました。 某氏の情報提供に感謝です。

 

 

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コメント

 京王の相模原線は時々こういうオマケが見られるようですね。7000系もいつのまにか廃車が進んでいるので目が離せません。

モハメイドペーパー さま
京王線は近所でありながら、グリーン車の時代のように今も、ちょこちょこと編成替えや改造をするので仰る通りです。登場時の番号が改番されているので余計にわからなくなります。

小生にとって京王線というと、5000系、3000系ですね。あと印象に残っているのは、新宿駅が地上時代に新車(2060型)搬入の際、甲州街道上で組立て搬入したことです。
模型とラジオという雑誌に、この模様をルポした記事が出ています。(スクラップで保存)2067号車を、日車蕨から陸送し甲州街道上で組立て、搬入する模様が記事になっています。

中野方面への連絡線の出口、如何なってますかね。

八千代運転所 さま
小田急ファンとしては、小田急の井の頭線を持って行かれたことが残念でたまりません。小田急並みの設備だったのに対し、京王線は京王電気軌道のままの施設でしたから、戦後の大型車(とは言え今から見れば中型車ですが)を入れてもろくに走れなかったのです。

ぬか屋 さま
6枚目の画像の通りで、出口の先は住宅地横の道路築堤があって、伸ばすならこれを削らなければなりません。

グーグルで見てみました。
遺構になっていれば入って見たいところですが入口(出口)だけ準備しそこまでだったんですね。

ぬか屋 さま
東京山手急行電鉄そのものが、帝都電鉄の開業で力尽きたという感じだったのかも知れませんね。その後は直ぐ不況になりましたし・・・。

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