今日の一枚 No.37
中学生になって、初めて買ってもらったカメラはハーフサイズのCanon Demiというもの。 嬉しくて電車撮りたくて向かった先は、代々木上原~東北沢間の井の頭通り踏切。 その横の空き地に自転車を止め、ホッパー線の築堤に上がって。 そこで撮った内の一枚がこれ。 今は代々木上原駅構内となっている場所です。
ハーフサイズをご存知でない若い方のために一言添えましょう。 フィルム、現像、プリントとその度におカネがかかる写真を、安価に楽しめるよう、35㎜フィルムを縦に2分し、12枚撮りフィルムで24枚の撮影ができるようにしたもの。 そのため正位にカメラを構えるとタテ位置の写真となりました。
ピントは無限大に合わせ、オートシャッターを切っているので、シャッタースピードは1/125程度だったのでしょうか、当然流れてしまいます。
それでも床置冷房改造後とは言え、ほぼ原形のSE車3000形が、ミュージックホーンを鳴らして勾配を駆け上がって来ました。中学生がこんなところに入り込んでいたら、今なら大問題になることでしょうが、当時は何の問題にもならない日常的なことでした。
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キヤノンデミだったらハーフ判では高級品ですよ。ピントはともかくとして、シャッターはプログラム式でオートの解除はできないから、走りものには弱いですね。バックの踏切が井の頭通りだし、さらに後方の新宿方面も高い建物がひとつもない、現在では信じられない光景です。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年6月 8日 (月) 09時16分
モハメイドペーパー さま
仰せの通り、走行写真は殆ど惨めです。今から思えばこの頃はまだまだ長閑でしたね。SEが疾走する小田急だって、DMH17のキハがエンジン全開で25‰勾配を上っていたし、電機の貨物がノロノロ走っていたし。そのおかげで楽しい路線でした。
投稿: OER3001 | 2020年6月 8日 (月) 10時49分
私の初代カメラは中3頃買って貰ったコニカで絞り、シャッターはプログラムオートで
走行写真も天気が良いときはバッチリなのですが、曇ってくるとアウトでした。
投稿: ぬか屋 | 2020年6月 8日 (月) 13時15分
ぬか屋 さま
当時、カメラを持っている友人たちはあの、なんて言ったかな、いち、にーって2段階でシャッター切るやつを持っていましたね。 カメラ自体が高嶺の花でしたよ。
投稿: OER3001 | 2020年6月 8日 (月) 16時50分
イチ、ニーでシャッター切るカメラ、フジフイルムのフジペットだと思います。6×6判のちょっと大型なボディーで、3段階の絞りがお天気マークでした。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年6月 8日 (月) 20時17分
フジペット35ですよね。中学の時、兄と共同所有で買ってもらったのかな?高校3年でニコマートを使い始めるまで使っていました。でも、距離合わせは目測だし、露出計も当然ついていませんから、曇りは5.6の1/00?、晴れは8の1/200?なんてバカの一つ覚えで、イチ、ニーとチャッタを切っていました。
投稿: ぼっちぼち | 2020年6月 8日 (月) 21時00分
世代の差が出ますね。フジペットが先輩で、時流に合わせて35mm判のペット35が発売されました。機構的には少し高級化されています。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年6月 8日 (月) 21時48分
モハメイドペーパー さま
ぼっちぼち さま
先輩方々盛り上がって頂き恐縮です。
そうそう、フジペットでした。 1962,、3年頃の記憶なので、多分35の時代だったかもしれません。
いずれにしても、写真撮る時はレントゲンごとくに動かないでじっとしていた時代だったから、走っているのを撮影するのには無理があったかと。
因みに絞りとシャッター速度、晴天時はF11で1/250、曇天ではF5.6で1/125、それより暗い時は解放(F2.8)1/30の記憶でした。
投稿: OER3001 | 2020年6月 8日 (月) 22時06分
撮影された頃は、未だSE車が警報のメロディを流しながら、走っていたのでは。東北沢のホッパー線まで、定期の貨物列車が来ていたのは、昭和40年くらいまでだったような気がします。その後も、駅の事務室に、貨物列車の写真が掛けてあったなぁ。
投稿: 宮崎繁幹 | 2020年6月 8日 (月) 22時09分
皆さんカメラの話題で盛り上がっておりますが、小生が初めてカメラを手にしたのは、たしかペトリタッチというカメラです。
接眼部とレンズの位置が違うため、近くの物を撮るときは、ズレを考慮しないと画面の一部が欠けるハメになりました。
投稿: 八千代運転所 | 2020年6月 9日 (火) 08時46分
宮崎繁幹 さま
文中に記したとおり、オルゴールの音色とともに勾配を駆け上がってきた時代です。線路から10分程度の距離だった自宅からでも、ロマンスカーの音は定期的に聞こえ、今のは「はこね21号」だなと判ったものです。
東北沢ホッパーへの砂利輸送は1965(昭和40)年に終了しています。
八千代運転所 さま
そう言えばペトリというブランドがありましたね。
今ではスマホやコンデジで、写真(映像)を記録するのに何の苦労も無くなりましたが、当時は写真機を手にすることが第1関門、第2関門が絞りとシャッター速度設定でしたから、なかなか良い写真が撮れなかったものです。
投稿: OER3001 | 2020年6月 9日 (火) 09時59分