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2020年7月

2020年7月31日 (金)

大阪も今は・・・

新型コロナウイルス感染者数、遂に来たかというように連日の発表に驚きと諦めと。 

東京ばかりでなく、ここ大阪でも一気に増加しています。 右下は阪急百貨店、左下が大阪駅、その奥には新阪急ホテルと阪急ビル。 梅田は阪急の街でしたが、今は・・・。

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全国を飛び回れた若き頃、大阪出張ではここ「東京第一ホテル大阪」(?一体東京なの、大阪なの、どっち?)というホテルを定宿にしていた時がありました。

前夜は北新地でのお付き合いで疲労しつつも、朝の大阪駅を見下ろせる束の間のホッとできる時間がサイコーでした。

国鉄がJRになった1989年の4月のある日のことでしたが、その後はだんだん仕事にもゆとりが無くなり、大阪などで宿泊できる機会は無くなってしまうのです。 まさにバブルの時代だったのですね。

2020年7月30日 (木)

地元で模型談義:「多摩のもれーる」の集い

新型コロナウイルス感染者数は治まる気配もなく、ウィズコロナと言う生活様式を定着させねばならないようです。 同好諸氏との交流も、ただただ自粛している訳にも行かず、半年ぶりの開催となりました。

会場はいつもとはことなり、入り口では手指消毒、マスク着用、密集しない座席配置と、徹底した感染防止策をとる某高級チャイニーズレストラン。 大皿からの取り分けは無く、各人ごとに盛られた料理の最初は前菜。

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つづくはふかひれスープ。

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これは何だっけ? 牛肉と・・・、説明聞きましたが記憶されていません。

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これが配膳される頃には生ビールを終えて、紹興酒です。 まだ模型の話にはなりません。 折角の高級店ですから、料理を楽しまなければ損です。

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でも、この白身魚の~が出た頃から、さらに記憶はあいまいになります。

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順番に各自が持参した作品披露に移ります。 最初はたかべーさんの気動車。 ここまで作って長年放り出していた代物とか仰っていました。

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阪鉄車輛さんは最新作・阪和線の旧国をご披露。

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そのとき、カトーBさんはおもむろにこれを出されました。 9V電池2個を並列に内蔵したモバイルパワーパック。 しかもご丁寧なことに、16.5㎜と13㎜のレールまでご持参されたので、テーブル上でミニ運転会ができるのです。

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そこで、阪鉄車輛さんの阪和の70系が前照灯を点灯させてご披露。

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カトーBさんはその線路で、JR北海道が試作したワム80000利用のレールバスを走らせます。 ここでは立派に往復した実車は、苗穂工場から一歩も動けなかったのだと伺い、笑いをかいました。

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奇車怪社さんからは先ずこれ。 アメリカ型の凸部を低く改造して好感の持てるカラーにしたDD12擬き。

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スケール物の能勢田60形も。

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フリー凸型電機は実に好ましいスタイルのです。

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カトーBさんはタニカワの車体にU-Trainパーツを使い、デビュー当時の青ガエルを製作中でした。

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さらにこちらは秋田の御座敷気動車。 障子窓から漏れる室内灯の明かりがサイコー。

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ED15も。 確か数年前の第15回関東合運の時にお披露目されていた作品。

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そして、珍しい存在のED30を。 個性的な車両を次々に作られるエネルギーには、脱帽するしかありません。

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OER3001氏の最新作、SE車もご披露させて頂きました。 カトーBさんのモバイルパワーパックのお陰で、ミュージックホーンの音色を楽しんで頂けました。

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他にも作品が有ったのですが・・・、紹興酒のボトルも追加という次第で、細かな記録ができなくなってしまいました。

半年ぶりに集まって大いに刺激を頂いた、実に充実したひと時でした。 ご参加の皆さま、ありがとうございました。

 

 

 

2020年7月29日 (水)

B20 入手

なんと、B20を入手してしまいました。

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 ヤフオク見ていたら結構きれいな状態のが目に止まり・・・、以前から考えていた気軽に動かして楽しむためについ。

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エンドウのこれは精密模型ではなく、走らせて愉しむためのもの故、何か牽かせるものを作りたくなっています。

気合を入れて完成させた3000形SE車の後の、気軽な息抜き題材にはちょうど良いように思いますが、果たしてどうなることか。

 

2020年7月28日 (火)

今日の一枚 No.66

今回取り上げるのは川崎車輌製の軸梁式台車OK17。

OK台車といえば、京浜急行730形や、初代1000形が使用したOK18が良く知られていますが、形式番号がひとつ若いのがこれで、1番違いでも随分古式豊かな感じがします。

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国鉄のTR23かと思わせるような台車上枠はH型鋼のように見えます。

1956(昭和31)年に製造されたクハ1950(後にサハ1950)や、特急車1700形の格下げ改造時に新造されたサハ1750に使われました。 登場当初は平軸箱でしたが、この1969年当時は既にコロ軸箱となっていました。 

写真は1969年、サハ1750のもの。

 

2020年7月27日 (月)

今日の一枚 No.65

「今日の一枚 No.64」でFS108を取り上げた際、いつもコメントをお寄せいただくCedarさまから、2100形の台車はどういうのでしたかとのコメントを頂いたので、今回はその2100形のFS14です。

2100形は、それまでの車両から軽量・高速化を図る目的で種々の研究に取り組んできた結果、抜本的な主電動機や駆動方式、制御・制動方式の採用は見送りつつ、車体軽量化を実現した車両でした。

採用された台車FS14は、台車枠は一体鋳鋼製ながら軽量構造の軸バネ式とし、枕バネの内側にオイルダンパを仕込み、ブレーキシリンダーも内蔵していますが、そのオイルダンパもブレーキシリンダーも、外見からは見えません。

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上の写真は1974(昭和49)年6月に、海老名基地で撮影したクハ2152のものですが、連結相手のデハ2102の台車を良く観察すると、形式は同じFS14ですが相違があることに気づきました。

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デハの台車からは軸箱上部のブレーキロッド等見られません。 揺れ枕左方には、取り外した後のような穴が2つ。

軸箱上部のブレーキロッド等クハでは、車両中央方向に確認できたのですが、デハも同じ位置の台車です。この時1両分の台車を全て、両側から撮影していたら謎が判明できるのですが、残念ながらOER3001氏はその謎を説明できません。

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その後、モハメイドペーパーさまから「鉄道ピクトリアル アーカイブセレクション38 住友金属の台車」によれば、水平テコと引棒は手ブレーキ用だというご教示を頂きました。 従って運転台下の台車だけのようです。 二つの穴は、どうも鋳造段階で空いていたようです。

2020年7月26日 (日)

野岩と会津を走らせる

3000形SE車の試運転のために設営したエンドレス。 それだけで片付けるのはもったいないので、あれこれ走らせて愉しんでいます。ちょうど調整が必要だった‘東武の快速電車’を走らせました。 

これは東武鉄道6050系ではありません。 先頭2両が会津鉄道6050系、後ろ2両が野岩鉄道6050系なのです。

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OER3001氏が東武鉄道車両を作ると、まだこの形式を未製作の東武ファン友人W氏が気を悪くしそうなので、‘忖度’した結果、野岩と会津の車号にしたという次第です。

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製作の切っ掛けは、小学生と幼稚園時代の子どもたちを連れて、湯西川温泉に行ったこと。 特急スペーシアの個室も満足でしたが、野岩線で活躍する6050系も大いに気に入り、帰宅後ペーパー自作。 思い出を残そうと室内も作り、電灯類も装備と、フルスペックとなりました。

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折角なので照明を落し、夕刻の走行状態にも。

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この車両、2両から楽しめるので模型向きで気に入っていたのですが・・・、浅草まで来なくなったのが残念です。

 

2020年7月25日 (土)

今日の一枚 No.64

7月20日の当欄で取り上げた三菱重工製MD101台車が、軸箱支持が逆ゲルリッツ型のようだと紹介しましたが、そのゲルリッツ型とはこの台車。 これはFS108、小田急では特急車の1700形と、通勤用1900形の増備車、1910形が履いていました。

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一体鋳鋼製の台車枠で、菊箱上の板バネから天秤状に釣った軸バネ釣りボルトで軸バネを受けています。

16番の模型では、日光モデルが阪急のFS103を発売してくれましたが、似ているので助かりました。 ブレーキシリンダーを付けずに使っています。

 

2020年7月24日 (金)

今日の一枚 No,63

台車シリーズのようになってしまった「今日の一枚」、今回は住友金属FS316。 前回取り上げたFS203が直角カルダン駆動だったのに対し、こちらはWN駆動としたことで軸巨が2,000㎜に短縮となりました。

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1958(昭和33)年登場の2220形(4両編成4本16両)から採用し、翌年登場の2320形(4両編成2本8両)の合計24両に使われました。

先のFS203よりソフトな乗り心地だったように思うのは気のせいかも知れません。

 

2020年7月23日 (木)

祝・箱根登山鉄道運転再開

2019年の台風19号で、大きな被害を受けた箱根登山鉄道。 当初は復旧まで1年とされていたのが、重機が入れない環境などに地元の理解・協力が得られたとのことで、予定より3カ月ほど早く、5月下旬から一部区間での試運転開始、本日より運転再開となりました。

小田急ファンのOER3001氏にとっての箱根登山鉄道は、小田急並みに好きな存在ですので、我が家のレイアウトでもお祝いです。

先ずはベルニナとアレグラが塔ノ沢風駅に。

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復刻塗装の109がトンネルを抜けて来ました。

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山を登って来た110は、ベルニナ線の塗装になっています。

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110がベルニナと交換です。

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小さなレイアウトですが、総出演してもらうとこんな情景になります。

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ということでOER3001氏は早速、復旧した箱根登山鉄道の確認に出掛けることといたします。

 

 

2020年7月22日 (水)

ハコ作りました!

ハコって、普通は車体を意味しますが・・・

今回は紛れもなくハコです。 しかも車両と同じカラーの。 はい、先般完成させたSE車8両を収納するハコを。

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連節車8両を1両づつハコから出して、運転を楽しんだらまた仕舞うって、連結/解結作業を含めると結構な時間がかかります。 それを解決するためには、できれば編成全車両をワンパッケージにできないか・・・、と考えましたが、収納時の形状、運搬時の姿を考え、4両づつの2ハコとしました。 しかも車体長の短いSE車に合わせたサイズで。

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仕切りも固定してあるので、車両が中で暴れることはありません。 所定の位置に、その車両を仕舞えば良いのです。 パンタの逃げも、幌の収納場所考慮した結果はこの通り。

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材料はスチレンペーパー(1t、2t)と用紙名解りませんが画材店で調達の光沢あるカラーペーパー。 カラーペーパーは調子に乗ってSE車外部塗色に近い白、鼠、赤の3色を調達し、遊んでしまいました。

模型電車作って半世紀ですが、模型電車を入れるハコ作ったのは初めてのことでした。

 

2020年7月21日 (火)

今日の一枚 No.62

前回取り上げたMD101形を履いた小田急2200形が履くのは、本来は平行リンク式軸箱支持の所謂アルストムリンク、
住友金属FS203形でした。 2200形はMc1-Mc2の2両固定8本の16両の内、15両はこのFS203でした。

後のWN駆動に変更して登場した2220形の後に増備された2217-2218は、2両固定ゆえに2200形と称していましたが、車体も下回りも2220形と同様で、台車はFS316となりました。

 

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台車枠は一体鋳鋼製、軸巨2,200㎜の直角カルダンドライブ。 このアルストムリンクの軸箱支持が、小田急では標準仕様としてステンレス製の1000形に至るまで使われることとなったのです。

すれまでのイコライザー式やゲルリッツ式といった吊り架け車に比べて、一段とソフトな乗り心地だったことを鮮明に記憶しています。

 

2020年7月20日 (月)

今日の一枚 No.61

今日は台車。 しかも世界に1両分(2台)しかない希少品種です。 形式はMD101と称する三菱重工製。 小田急2200形の2207と2211で、それぞれ一定期間使用されていました。

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台車枠の中央部が下がった形状は、当時では珍しいもので、揺れ枕吊が長く、枕ばねは上下に長いのが左右2本。 扶桑(住友)のゲルリッツ台車の軸ばねを逆さまにしたように、軸箱左右の軸ばね下を板ばねで繋ぐ構造でした。

この台車の2211に乗った記憶では、アルストム型のFS203に比べて上下動が大きく、加速時にはギア音なのかグウォーンと渋い音が聞こえていた記憶があります。

戦後、各社が高速電車用台車の研究開発に取り組みましたが、三菱重工の台車は後世に続くことはありませんでした。

 

2020年7月19日 (日)

今日の一枚 No.60

OER3001氏としては、珍しいものを撮っていたものです。

「祝・房総西線千倉電化完成」の大きなヘッドマークと日章旗を掲げた165系、ここは津田沼駅だったと思います。 八千代運転所さまからのご指摘通り、幕張駅だったようですので訂正させて頂きます。

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電化に際して導入された165系はMc-M’-Tc+Mc-M’-Ts-Tc の7両編成でした。 

この年から千葉県内の大学まで通学するようになったこともあって、撮り慣れていない場所でカメラを構えることができたようです。

 

 

2020年7月18日 (土)

今日の一枚 No.59

SE車が一段落したので小休止。

1968(昭和43)年8月12日12時48分の東京駅14-15番線ホーム。 停車中の列車は左右とも東海道本線の列車ではありません。

左15番線には上越線の特急「とき」181系。 右14番線は東北本線の特急「やまびこ」485系が到着し、これからヘッドマークを「ひばり」に変えて折り返します。 どちらも国鉄特急電車の顔、ボンネット型です。

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16番線東海道新幹線ホームに0系は居ない時間だったようです。 優等列車用だった14-15番線ホームが懐かしいです。

 

 

2020年7月17日 (金)

バースデーケーキ

なんと、試運転となった3000形SE車にバースデーケーキが届けられました。

前々からOER3001氏の趣味をご存じだった家内の友が、試運転を見たくて駆けつけてくださったのですが、思いがけずにケーキまで持って。 そのお気遣いが嬉しくて。

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早速、ケーキと共に記念撮影。 その後は特別に、いつもは使わないでいるオリエント急行のカップ&ソーサーの紅茶と共に、美味しくいただきました。

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長年斯様な趣味で多くの車両模型を作って来ましたが、完成時にケーキのお祝いを頂いたことは初めてのこと。 いつまでも記憶に残ることでしょう。

K美さん、ありがとうございました。

 

 

2020年7月16日 (木)

SE 試運転

遂に!、と言うか漸く、工場内試運転となりました。

自宅での試運転は、エンドウ805R曲線に、250L直線を長手方向に6本、曲線間に2本繋いだエンドレスが目一杯ですが、取りあえずグルグルとそれなりの時間走らせました。

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苦労の甲斐あって、通過表示灯と前照灯を煌々と灯します。

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反対方向への走行時、通過表示灯は赤い尾灯になります。 チップLEDと光学繊維のお陰です。

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シリコンゴム製の幌もちゃんと追従してくれました。

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感染予防に効果的なシリコンゴム製手袋を使うというアイデアが活きました。 ただ残念ながら我が家の試運転ではSカーブでの試験ができません。

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とにかく企図した通り、進行方向のスピーカーからミュージックホーンを鳴らして快走してくれました。

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テープLEDの室内灯も明る過ぎず、適度な照度。 8両全車通電とコンデンサ搭載の効果は抜群、チラツキもなく快適なものでした。

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深夜までの試運転、この後台車軸受等に注油、各所調整した後に、床下に標記を入れて納車となる見込み。

広いレイアウトを走り回れる機会が早く来ることを願うばかりです。

 

 

 

2020年7月15日 (水)

今日の一枚 No.58

この新型コロナ禍では、これまで当たり前だったことの多くが自粛や中止となり、人生の思い出づくりにも影響が出ています。

例えば修学旅行。 OER3001氏の中学の修学旅行では乗りたかった「ひので」を利用、品川駅からわくわくしたことを思い出します。

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この画像はその時のモノではなく、それから2年後の1967(昭和42)年6月の光景。 先頭車両は女子の席だったのでしょうか、みんなウキウキした表情で乗り込みます。

思えばこの155系の3人並びという、今思えば窮屈な「三密」状態でも、それは楽しい空間でした。

 

2020年7月14日 (火)

新型コロナ感染防止グッズ転用

新型コロナ感染防止のため、マスク、消毒用アルコールは欠かせませんが、手袋も必需品です。 シリコンゴム製の医療用手袋には何種類かの色もあるようですが、その内グレーのものをとあるルートから入手。 塗装時にも使っていたのですが・・・。

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これをSEの幌に使おうというアイデアが浮かびました。 もともと幌は、所定形状のウレタンを特殊塗料で塗装したもので、カツミ製の完成品も使用していますが、経年劣化でボロボロと塗装面が剥がれて来ます。 そのために何とかならないかと考えていた次第です。

先ずはほぼ完成した車体妻板をスキャンニング。 これを0.5tプラ板に張ります。

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もともとこれに備えて妻板は、車体外周より0.7㎜程度奥にハンダ付けしています。 その外周の内側より少々小さめにくり抜きます。

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切り出した妻板状の内、台車ボルスターやジャンパ線が通るために必要な台形状の“貫通口”を開けます。

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そうして切り出したのがこれ。 

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これを型にして、同様のものを14枚切り出します。

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これをおよそ8㎜間隔にしたものに、手袋を開いてテープ状に切り出したシリコンゴムを張り付けました。

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この幌を、連節部に挟むことにしました。

シリコンゴムの剛性で適度な間隔が維持され、曲線での追従性も期待できるのではないかと思っていますが・・・、その成果は試運転で確認したいと思っています。

 

2020年7月13日 (月)

今日の一枚 No.57

九州、岐阜と、線状降水帯の影響による豪雨で、多くの被害が出ていることに心が痛みます。 50年に一度なんて言う表現、ここのところ毎年のように耳にしています。 昨年もありました。 その度に各地で鉄道や道路が長期にわたって不通となります。

昨年は台風19号による土砂崩落で、長期にわたり運転できなかった箱根登山鉄道も、復旧工事が予定より早く完了し、7月23日に全線開通させるとの発表がなされています。

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早川に架かる出山鉄橋を渡る姿、楽しみです。 どうかまた、災害が起こらないことを祈るばかりです。

2020年7月12日 (日)

染色に挑む

やむを得ず、初めての染色に挑んでみました。

とは言っても、繊維の染色ではなくこれ。 この素材は2枚組のティッシュペーパー・スコッティを1枚にしたもの。 それをパープルに調合したシンナーにジャブ付け。 その後はデスクのLEDスタンドのアームにかけて乾燥させました。

余談ですがこの乾燥時、室内には勿論シンナーの香りが充満します。 中毒しないように換気に心がけました。

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乾燥したところで、適当な部分を切り出します。 そして縦方向に皴しわを入れて・・・、

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SE車乗務員室のフロントガラスのカーテンとしました。

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東西方向に路線を持つ小田急、特に午後の下りは西日に悩まされたことと思います。 下り方の先頭車では、このカーテンが活躍していたことを思い出します。

さてさて完成が近付いてはいるものの、細かいことがまだまだ続きます。 こうして写真にすると、さらに細かいことが気になるものです。 当面、車号、号車番号、ワイパー、ヘッドマーク、さらに幌が課題。 それを終えたら製作中に傷んだ塗装の修正。 試運転まではまだまだ手間を要します。

 

 

2020年7月11日 (土)

座席の用意

キッチンが終わったところで次は座席。 

既に何の特別仕様も無い中間車4両への座席取付けは終わっていますが、残るは床下モーターのお陰で高くなった床面の先頭車両、音響ユニット搭載で、同じく床面が高くなる2、7号車の座席です。

まずこの車両のシートピッチは、カツミのシートピッチより広いので、本来は1脚づつ切り離して配置すべきところですが、横着して2脚づつに切り離して搭載しました。

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残る車両の分は、シート下部を切断し、高さを詰めることにしました。 切断する工具をどうするか、結局マイクロソーでゴリゴリやることとなりました。

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この作業は先ず、抑える指先が痛くなり、長時間の作業が続けられません。 休み休みと言う非効率。 おまけに切カスの量が凄い。 しかも静電気で指先に纏い付きます。

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ただただ根気で臨むほかはありません。

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切り取られた脚部分が、仕事の成果?

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こうして1脚づつになった座席を、所定の場所に取り付けることとしました。

 

 

2020年7月10日 (金)

小田急線鶴川~玉川学園前間

いつも楽しませて頂いているブログ、「モハメイドペーパーの何がでてくるか2」の昨日7月9日は「便乗ネタで失礼します」ということで、1967(昭和42)年2月12日の小田急、鶴川~玉川学園前に於ける雪景色の写真が紹介されていました。

その場所ならOER3001氏だって撮ってますということで、当方も便乗させて頂きます。

時はそれから3年後、大阪万博が開催された1970(昭和45)年、4月5日のことでした。 3100形NSEが、20‰勾配を駆け上がって来ます。 まだ冷房強化で屋根上にクーラーを載せていないほぼ原形の姿でした。

線路の右手にはブルドーザーが整地作業を行っています。 ここが、かじのや納豆という工場になったのです。

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それでも周囲はまだ田畑が多い、田園風景でした。 前年から一般車両の塗色変更が進み、その過渡期で新旧塗色の混結が多く見られた時代です。 下は2220+2220+2400HEという8連、箱根湯本行と片瀬江ノ島行それぞれ4両を併結した急行です。 新塗装になって、側面の社紋が外されましたが、まだ側面窓下に急行サボを掲げていました。

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この当時の最新型は5000形、Tc-M1-M2-Tc(新宿方から、下の画像では右が新宿方)の4両。 最初は非冷房でした。

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荷電だって裾に黄色い帯を纏ったグリーンの姿。 左は大きな車体(とは言っても17mですが)に載せ替えたデニ1000形、右はデハから改造されたデニ1100形。

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上2枚の写真、線路の奥は農地ですが、その後野村不動産、三菱信託銀行不動産部門によって宅地開発が行われます。 並行して線路手前の農地もまた宅地化されて、電車の撮影はできなくなってしまいました。

ここに紹介した画像、全てネガカラーからスキャンしましたが、既に黄変してしまい残念です。

序でながらこの場所のその後。 納豆工場や住宅が建ち、以前のような遠景では電車が見えなくなりました。 そこで1988年には、和光大学手前に残った僅かな田圃を絡めて、横位置で撮りました。

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1991年7月、千代田線からの臨時列車「メトロ&江の島」を、和光大学テニスコート脇から、納豆工場の建屋や住宅を画面右に切り捨てて撮影しました。

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ここ暫く、ここへは出向いていませんが、車窓から見る限り和光大学敷地にも立ち入りできなくなってしまったようで残念です。

 

 

2020年7月 9日 (木)

今日の一枚 No.56

3000形SE車の製作に取り組んでいる中、何かと古い資料を参考にします。 そこで、今日の一枚はこれ。

1967(昭和42)年2月11日、この日は前年に制定されて初めての建国記念の日でしたが、関東地方はかなりの積雪となった日です。

雪が降れば滅多に見られない雪中を行く小田急を撮りたくて、購入して間もない初めての一眼レフ、ミノルタSR-1を持って出掛けました。 ここは東北沢駅上り方の信号所横。 ホッパー線の分岐地点ですが、ホッパー線の線路は雪で覆われてしまっています。 東北沢の踏切横から立ち入っても咎められなかった時代でした。

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雪煙を上げて新宿に急ぐSE車。 もっと明るく撮れなかったことが悔やまれます。

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これをご覧になられたモハメイドペーパーさまから、勝手にコラボさせて頂きましたとご挨拶を頂きました。 是非ぜひそちらもご覧ください。

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これをご覧になられた宮崎繁幹氏から、フォトショップで加工した画像を頂きました。 

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なるほど、暗い部分がだいぶ見えるようになりました。 ありがとうございます。 

2020年7月 8日 (水)

キッチンを作る

OER3001氏の趣味は鉄道模型なのでしたが・・・、なんと建築模型かと思わせるキッチンを製作することになってしまいました。

これが3000形SE車のそれ。 1957(昭和32)年デビューの時に制作されたA4版サイズ本文52ページにわたる立派なカタログです。 当時は日東紅茶が担当することになっていました。

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資料はこれと、1/200くらいの小さな図面を頼りに、それらしく作ったのがこれ。

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アップに堪えない工作ですが、車内にセットしてしまえば粗もかくれるということで。 これを2セット、3号車と6号車に備えます。

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水洗金具は0.5φ真鍮線と0.4φの洋白線をハンダ付けで組んだもの。 ハンドルはエポキシ接着剤をチョンと乗せてそれらしく。

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シンクの詳細はわからないので、カウンター下とともに雰囲気だけです。 多分カウンター下は紅茶器等の収納スペースだったと思われます。

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ここまで作ったら、トイレも? カタログには斯様に掲載されていますが、窓がスリガラスなので見えないし・・・。

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この先どうなることか、気の向くままに進めます。

 

 

 

2020年7月 7日 (火)

今日の一枚 No.55

本日は七夕。 だからどうと言うことも無いのですが、七夕はまだ梅雨の季節で、なかなか天の川を拝めるような天気にならないことが多いです。

しかし朝から良い天気に恵まれた1991(平成3)年のこの日、 唐木田発片瀬江ノ島行のロマンスカー「湘南マリンエクスプレス」が運転されました。

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この時は3100形NSE車が充当され、特製ヘッドマークを掲げて走りました。

ここは永山~多摩センター間の京王相模原線との並走区間。 豊ヶ丘北公園西端傍の野菜畑から撮れましたが、今は住宅になってしまい、立ち入ることはできなくなったばかりか、通信ケーブルがちょうどカメラの高さに張られてしまい、斯様なアングルでの撮影はできなくなってしまいました。

ネガカラーフィルムの変色は、我が家の設備では修正不能。 見苦しいですがお許しください。

2020年7月 6日 (月)

先頭車両の電装

製作中の3000形SE車は、先頭車両の電装がまた難関。 普通に考えれば大したことはない筈ですが、今回は普通じゃない(笑)のです。

それは、小田急独特の標識灯へのチャレンジ。 即ち1個の標識灯で、通過表示灯/尾灯を切り替えるもので、今回初めて、その実現に挑戦することとしました。

先ずは使用するチップLEDを1005サイズ、即ち1.0×0.5㎜という超小型サイズの採用です。 リード線をハンダ付けするにも非常に難儀で、先ずはLEDを抑える方法です。 結局、マスキングテープの糊面に0.5㎜の間隔を開けて古くなったカッター歯を並べます。

この0.5㎜の溝にチップLEDを挟むように止め、両側にリード線をハンダ付けします。

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と書けば簡単ですが、ハンダ付けしたリード線先端がちょっとでも長いと、両極が短絡してしまいます。 一方ハンダ付けが弱いと直ぐに外れてしまいます。 最悪はチップLEDがハンダゴテにくっついちゃう事態です。 何とかカタチにできたのが下です。

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こちらは標識灯の内部。 透明の細い棒は1.0φの光学繊維。 黒い紙で作ったケースに接着しています。 この後方に、先のLEDをセットするということにしました。

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配線後に取り付ける蓋を合せて、2両分のパーツがこれになります。

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これにリード線を付けたLEDをセットしたのが左端です。 中央は運転台パーツの中に倍のサイズ1608(1.6×0.8㎜)をセットしたもの。 右端が抵抗とCRDをセットした基盤、ここに台車からの線を結線します。 ここまで到達するにも、結線途中でLEDが外れたり、あっちを直せばこっちが、なんてこともしばしば。

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台車との結線はさらに、テープLEDの室内灯ユニットを合わせ、右端の床板との接点となる基盤に結線しました。

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これを慎重に慎重に、車内にセットします。 ゆとりを持たせたリード線は長すぎましたが、最後は運転室仕切り後方で丸めておいた次第。 組み立ててしまえば見えませんから良しとします。

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1両全体を見れば気にならないかと。 

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これで何とか、ライト類の配線は完了しましたが・・・、まだまだ室内が残っています。

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カツミのプラシートですが、シートピッチが狭く、SE車にはそのままでは使えず。 やむを得ず切り離して、さらに音響ユニットなどを装備した車両もあるので、高さ調整も必要なのです。

ま~だまだ、先は長いです。

 

 

2020年7月 5日 (日)

今日の一枚 No.54

新宿から5駅目の東北沢は、上下対向式プラットホームの間に通過線を設けた珍しい駅でした。 そのため、車両の撮影には誠に都合良く、床下機器を撮影するにも最高の環境でした。 しかも列車密度も高く、特急、特準、準特急、急行、準急、各停、貨物、配送など、全ての種別が撮影できました。

この写真は初めてのカラーフィルム撮影と思われます。 時は1966(昭和41)年10月、ハーフサイズのCanon demiでの撮影。

4編成あったSEの第4編成(3031~3038)は、スカートの穴(タイフォン)が他の3編成の楕円形ではなく円形でした。この時は非常用の連結器を出したまま「さがみ」運用に就いていました。

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跨線橋も停車中の車両の屋根上観察に好都合でした。

原型SE車活躍の頃は、まだ自分のカメラを手にたばかり。 しかもフィルム、現像、紙焼きと、写真にするまでカネがかかり、お小遣いのなかでやりくりするには、これぞというものにしかカメラを向けられませんでした。

 

2020年7月 4日 (土)

今日の一枚 No.53

ボストンで気に入っていたのは、グリーンラインと呼ばれる路線で活躍していたボーイング・バートルが製造したUSSLRV(US Standard Light Rail Vehicle ) です。 一部仕様は異なるものの、基本的にはサンフランシスコのMUNIと同じ車両です。 

ここは確かボストンカレッジ、一流大学が集まる学生街です。

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スマートで気に入っていたのですが・・・、側扉、バッテリー、空調装置など様々な機器の故障続出から不評を買い、特にここボストンでは訴訟騒ぎとなったらしい。 

結局今では完全に消滅し、近畿車輛製の新型車両が導入されているとのことです。

自国第一主義のTさんが、バイアメリカンを唱えるが、鉄道車両においてはこの時からアメリカは良いものを作れなくなっていたのかも知れません。

 

2020年7月 3日 (金)

今日の一枚 No.52

この「今日の一枚」シリーズで取り上げる画像は、何の規則も無く勝手気ままに選択しています。 今回は再びボストンに。 ボストンへは3回行きましたが、これは3回目の1988年です。

マサチューセッツ工科大学やハーバード大学を見学した帰路、徒歩でチャールズ川に架かるロングフェロー橋を渡ってみたのですが、大阪の地下鉄御堂筋線を連想する、道路中央に第三軌条の鉄道が通ります。 レッドラインと言うので車体下方は赤。

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とにかく出張で行くと、なかなか一人で気ままに歩き回れる機会が無く、この時は貴重なひと時でした。 チャールズ川の向こうに沈む夕日がきれいだったことを思い出します。 11月頃だったのか、正確な期日も記録が無く残念です。

 

2020年7月 2日 (木)

今日の一枚 No.51

1988年エドモントンの思い出、もう一つは無軌条の電車(トロリーバス)です。 鉄道ファンであるOER3001氏としては、無軌条を鉄道として扱うのは如何かとも思いますが・・・。

ダウンタウンの目抜き通り、ジャスパーアヴェニュー他に路線がありました。

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なのに・・・、ここでもトロリーバスの使命は終わったようで、廃止されてしまったようです。 残念ながらその詳細を知ることはできませんでした。

2020年7月 1日 (水)

エドモントンで見た CN と VIA

前回の「今日の一枚 No.50」で取り上げたエドモントン(カナダ・アルバータ州)のダウンタウンを歩いていて見つけた駅、たった1本の低いプラットホームが伸びていますが、本当にここが駅なのかと思う光景に驚きました。

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その広い構内に、車両が留置されていたので、これらを見ない訳には行きません。 青い車両ばかりですが、赤い帯ののと黄色い帯のが居ます。 赤いのは「CN」と標記されています。 物凄く背高のこの車両、貨車ではないようです。 標記を見ると何か業務用の車両のようです。

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その向こうに繋がっているのはこれ。 マロネ41を思い出す姿です。

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こちらは黄色いので「VIA」です。 屋根の排気口が、日本なら限界オーバーと言う感じです。 スチームが出ているので稼働車であることは間違いありません。

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衝撃だったのがこれ、スイテ?ではありませんか!

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本で見たような、憧れが今、目の前にあるのですから。 これは特別車両なのか定期列車なのか、さっぱりわかりません。

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この車両にも限界オーバー(笑)の排気筒があります。

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向こうにいるのは一部2層式の車両なのでしょうか。

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その連結部はこんな感じ。 まさに今、出庫準備中と言う感じです。

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これらが停車している向こうのビルが、CNタワーと呼ぶ高層ビルで、今もGoogleMapで確認できますが、この場所からは線路は撤去され、再開発されたようです。

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電源車のような車両が編成の中間に入っていますが、接客サービス用の業務用車両なのでしょうか。

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こちらは別線に留置されていた2両、個室式の車両のようです。

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やたらと限界オーバーの排気筒が多い車両はダイニングカーなのかな?

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台車も日本とはだいぶ異なる重厚な構造でした。

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北米大陸の鉄道知識がほぼ皆無ながら、昔絵本で見たような車両に出会い、興奮したひと時でした。

これらに関する知識をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教示頂けたら幸いです。

 

 

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