53年前の夏の3密
1967(昭和42)年、新宿駅で斯様な撮影をしていました。
3番線は中央線快速電車のホーム。 夏ということでラッシュも少しは緩和する時期とはいえ、今から考えれば冷房もない密閉された車内に密集。 密接した隣人の汗も気になった何とも不快な通勤電車は当たり前でした。
おっと、モハ100のパンタはPS13ではないですか。
南通路上から見下ろしてみましたがやっぱりパンタはPS13。 こんな車両で良く通勤していたものです。
3番線に入線して来る101系。 新性能電車の原点でしたね。
8月はヒロシマ、ナガサキ、そして終戦と、平和を考える日々が続きます。 荒廃した国土から高度成長期に突入。 文字通り汗水たらして満員電車での通勤に耐えていた親世代を思うと・・・。
冷房は当たり前、複々線、相互直通運転、座席指定、ホームドアなど、通勤環境は様変わり。 なのにどうしてか、模型の世界では現代の車両よりこの時代の車両に目が行ってしまいます(笑)。
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こういうシーンは撮っていなかったなぁ。当時、新宿~四ッ谷間の上り快速が混雑率300%近くでした。夏だから窓が全開ですね。これでカーテンを降ろすと、擦れ違うたびにバタついて、どうかするとカーテンレールから外れてしまいます。名物の尻押しは、さらに混雑がひどくなると定時運転確保のため「剥ぎ取り」に変わります。
101系のPS13装備はモハ100、クモハ100とも概ね50番代までです。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年8月14日 (金) 10時37分
通勤地獄とか酷電とか言われた時代からは、ちと遅れて社会人になったのは幸いでした。
15年くらい前、韓国ソウルの地下鉄ですごいラッシュを経験しましたが、きっとあんな感じだったんでしょうね。
投稿: Cedar | 2020年8月14日 (金) 17時29分
モハメイドペーパー さま
普通、こんなシーン撮らないですよ。 秋の文化祭に備えた研究発表のためでしたから(笑)。
側窓全開なんて、今考えると危険極まりないことですが、当時は当たり前でしたからね。
Cedar さま
痛勤電車とも言われていましたからね。
韓国ですか、行ったことはありませんがそんなに混むのですか。 東京圏の人々は整列乗車していましたが、外国ではどうなのでしょう?
投稿: OER3001 | 2020年8月14日 (金) 17時44分