今日の一枚 No.68
今では電車の車体は殆どが銀色の素材、即ち鋼鉄ではなくステンレスかアルミニウムで造られていますが・・・。
日本初のアルミ車体として登場した‘電車’は、1962(昭和37)年に川崎車輌が西ドイツのWMD社のライセンスを受けて製造した山陽電鉄の2012。 翌年に日本車輌製造が、押出材を用いる独自設計で北陸鉄道6010系‘しらさぎ’が登場と、各社で車体軽量化と腐食防止の研究が加速しました。
相模鉄道では1967(昭和42)年に、日立製作所が製造したモハ6021を試験的に導入、ステンレスより白い銀色車体の正面貫通口部分を、警戒色として赤くしていました。 約4.5tの軽量化を実現し、後の2100系、5000系、7000系などに展開されることになります。
当時、相模鉄道は6000系をMc(6000~)-T(6600~)-M(6100~)-Tc(6500~)の4連組成で増備していて、この6021は、末尾21のT、M、Tcと編成を組みました。
写真は海老名駅で発車を待つ急行。 構内踏切のある簡素な駅だったのが、今では10両編成が発着する駅になっているのですから凄い変わり様です。
追伸;本カテゴリーに「鉄道(大手民鉄)」を加えていますが、当時の相鉄は「中小私鉄」に分類されていました。 相鉄の発展は凄いです。
★友人からの指摘で、本文を一部修正させて頂きました。
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この時代の相鉄顔、最初見たときは「なんとも味も素っ気もない」と感じましたが、最近流行りのあくどい顔つきよりも、いいなあと感じるのは、こちらが歳とったんでしょうか?
投稿: Cedar | 2020年8月 2日 (日) 08時14分
Cedar さま
いいえ、仰る通り「味も素っ気もない」は、「シンプル イズ ベスト」だったのかも知れません。小生は小田急1800形の弟分に見えていたので好感を持っていましたが、あくどい顔つきには抵抗があります。
投稿: OER3001 | 2020年8月 2日 (日) 09時09分
この時代の海老名は駅周辺に商店どころか集落もなく、乗客のほとんどは相鉄~小田急の乗換えでした。急行の運板、構造や書体が小田急と同じようですね。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年8月 2日 (日) 09時32分
モハメイドペーパー さま
そうでしたね、相鉄そのものに、小田急の香りが伝播していたように思いますが、今では完全な別会社ですね。
投稿: OER3001 | 2020年8月 2日 (日) 14時06分