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2020年8月11日 (火)

夜遊びで密・密

このご時世に何とも怪しからんタイトルですが、時は1967(昭和42)年12月9日、多分この時が人生最初の夜遊び?だったかもしれません。

父親に連れられて、終電までおよそ1時間を銀座4丁目交差点で、都電最後の様子を見守りました。

19671209_0019_15

とにかく人、ひと、ヒト・・・。 甚だしい密集、密接、辛うじて密閉だけは免れました。 

とてもまともな撮影など叶うスキルは無く、また環境ではありませんでしたが、都民に愛されていた都電であったことを認識しつつ、「1系統」の5500形を収められたのが幸い。

服部時計店の時計は0時20分過ぎを示していました。

19671209_0030_15

当然、自宅に帰る電車は終わっていたと思われますが、ここからどうやって帰ったのか、記憶はありませんが恐らく父親とタクシーだったのでしょうか。

 

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鉄道(路面電車)」カテゴリの記事

コメント

あの日、私もあの場所にいました。東京都田舎区の家に帰る手段は当然なく、中央区に住まいしていた祖母のところまで歩いて帰ったのではなかったかと思います。私の最終電車の写真も群集の上にPCCカーの窓の部分が写っているだけでした。

あの日は、父親に連れられ、同時廃止になった都電40番で出かけました。
5501はじめ、5500が久々総動員で走っていて、乗車もしましたが、夕方から混雑がひどくなり早めに引き上げました。

 これはまた便乗ネタをアップしないといけないかな。私はこの日、朝から撮り歩き、夕方に一旦帰宅してから夜用装備のカメラとテレコを持って出かけました。終電間際は大変な騒ぎになったようですが、翌日が西武鉄道801系の見学会だったので、21時くらいで引き上げました。

5503は、品川駅前で撮影しています。夜まで撮影はせずに引き上げています。以前にもコメントしたような気がしますが、三田の車庫に行っています。
車庫は、密の状態でした。車庫の係員が、「お前らそんなに好きなら、欲しいやつどれでもタダでくれてやるよ。ただし運搬費だけは出してくれよ。」と言っていました。

ぼっちぼち さま
まだお互いに出会っていなかった時代なのに、同じ場所で同じ時刻に同じことしていたとは!
不思議なご縁ですね。


Cedar さま
40番ご乗車されていたのですか、このフィルムにも40番がありました。同じ時代を過ごしていたのですね。

モハメイドペーパー さま
しかし、何年経ってもその日のことを、良く忘れずに居られるものですね。便乗ネタ、楽しみにしています。

八千代運転所 さま
「欲しけりゃ持ってっていいよ」というセリフ、小生は小田急経堂車庫で言われました。
無責任なこと言う大人が居たものですね。

私も昼過ぎ頃から撮り始め夕方には打上げ4丁目傍の模型屋さんの知人と夕飯を食べてお開きとし
翌日はモハメイドペーパーさんと同様西武の見学会に行った記録が残っておりました。。

再コメ失礼します。当時の家は40番の終点神明町車庫の近くで、ひとつ手前の道坂下が最寄電停でした。
この日の様子(撮影は父親)は2回連続でブログ記事にしています。
https://cedarben.blog.ss-blog.jp/2010-12-09

Cedar さま
小生は残念ながら、都電の番号で経路が解るほどの知識を持ち合わせていませんが、道坂下で何とか理解できます。実は本籍地の旧表示が駒込道坂町・・・でした。

ぬか屋 さま
ぬか屋さまもその日のことを、未だに良く覚えていらっしゃるのですね。素晴らしいことです。

これはまた懐かしい。もう43年も前のことになりましたか。銀座4丁目の交差点で 都電の歌を歌って見送ったことを思い出します。現在の都心の状況を考えてみると、残しておいた方が良かったのではないかと思います。線路を真ん中では無く、歩道側に寄せて停留所として利用するとかの工夫は必要でしたでしょうけど。車輌ももっと高性能で乗り降りがし易い物になっていれば、残っていたのではと思われます。

きぬやまスカンク さま
何を仰りますか、43年前ではなく、53年前ですよ。 きぬやまスカンク さまの頭の中で10年は何処へ消えてしまったのでしょう? まあ、3日、3カ月、3年と、30年過ぎれば全て昔のことですからね(笑)。
歩道側に都電って、良い案だと思います。

いやはや、歳はとりたくない、の喩え通りです。昭和42年のことですものね。昔の都電の停留所は、安全地帯とも謂われていたのですが、実際には道路の真ん中で交差点の直前にあり、車道を突っ切って渡る必要があり、とても安全とは言える代物ではなかったです。車輌も5500や現在のLRTのような高性能な物でしたら、きっと生き残れたのではないでしょうか。一度無くしてしまったら、復活は難しいですよね。

きぬやまスカンク さま
一度無くしたらなかなか元には戻せませんね。しかし人間再生可能ですよ。昭和42年が1回目の成人式だったはずのきぬやまスカンクさまは、既にその後2回も成人式を。そしてまもなく3回目を。肉体は衰えども経験と知識はどんどん成長しているのでは?

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