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ときわレール倶楽部の鉄道模型合宿運転会参加を前に、会場近くのひたちなか海浜鉄道を訪ねてみました。
この日、最初にやってきたのがこれ。
多分、自社発注の3710形だと思うのですが、広告ラッピングされ、車番を確認できません。 が、HPを検索したらキハ3710-01だそうです。
本来はこんな魅力的な軽快気動車だったのに、会社経営のためには広告収入を得ざるをえない事情がなんとも悲しい。
次にやってきたのはJR東海から譲渡されたキハ11-5。
すっかり色褪せたようで、寂しさを感じざるを得ませんでした。
終点の阿字ヶ浦から国営ひたち海浜公園への延伸計画を持つ同線、休日には那珂湊界隈の交通渋滞も甚だしく、鉄道利用客争奪の希望も持てそうです。
がんばれ湊線!
今回の参加では、京王帝都2600系も走らせて頂きました。
また、常磐線の地元クラブというときわレール倶楽部に敬意を表して、常磐線を走る小田急4000形も走らせて頂きました。
日没とともに、夕食が用意されています。 遊んで食べて・・・。
加えて楽しいのは、夜が更けるまでの懇親会。 例えばこのお二人の笑顔、右のN村氏からの秋田県由利本荘市は齋彌酒造店謹製「雪の茅舎」をなんと、左のI氏はジョッキですよ!。 この後どうなったかはご想像にお任せします。
朝になれば斯様な朝食を頂き、また模型を愉しむ。
お昼になればカレーライスが用意されと。
なんと至福な二日間だったことでしょう。 ときわレール倶楽部のY川代表はじめ皆さまには、初参加に際し多々お世話になりありがとうございました。
クラブの運転会にお邪魔すると言うことの魅力のひとつは、他のメンバーの方々の作品に触れることができること。 そして直接その製作技法について伺えることです。 今回は特に、Y.K氏の新作中心に触れることができました。
OER3001氏のSE車の隣、1300形+1450形+1400形の3両編成は、フクシマのキット組み立てとはいえ、鋭い鋭い目と詳細な実車調査に基づき、正確な設計力と製作技術によって、素晴らしい仕上がりになっています。
この顔を見れば、細かな車内とともに「は~っ」とため息が。 標識灯レンズが赤だったり、妻板下に書かれた検査標記が国鉄だったりすることは、もうどうでも良くなります。
最新作の上田丸子シリーズは、何れもキットを元に、綿密な実車調査と正確な工作力で、素晴らしい仕上げ利になっています。
同じく近作の2軸貨車シリーズを連結して、菅平高原の野菜満載のイメージで快走していました。
さらに、近作では無いが蒸機も凄い! 右のC56は何と、全自作ですよ、フルスクラッチ。
でも、OER3001氏にとっては、半世紀にわたる交流があるY.K氏の作品と言えば、ペーパー自作の私鉄電車というイメージ。 今回は阪急2800系を拝見することができました。
この仕上がり、あの窓サッシも全てペーパーを切り抜いて貼ってちょんちょんとか。 そのちょんちょんという技法が曲者です。
いや~、刺激になりました。 刺激を頂いても真似できる訳ではありませんけれどね。
ときわレール倶楽部さまは、茨城県阿字ヶ浦にある民宿ふるさとで、長年「鉄道模型合宿運転会」を開催して居られます。 このたび縁あって、その合宿にお招きいただき、参加させていただきました。
食事の場所となる大広間の舞台上には、ときわレール倶楽部さまからの感謝状が額装されて飾られています。
合宿は、シルバーウイークと呼ばれるようになった秋の連休の2日間に開催されました。
OER3001氏が持ち込んだ車両の内、先ずはクモヤ93000。 本年2月に完成させていながら、コロナ禍により軒並み運転会が中止になり、本格走行が出来ないでいましたが、漸くデビューすることができました。
屋根上の照明灯を点灯させ、
前照灯3灯も点灯、いよいよ本線走行です。
が、徐々にスピードを上げ、車体傾斜機構の効果もあって、期待したスピードで曲線部も楽々飛ばします。 とはいえ運転しているOER3001氏は車両が横転しないように緊張の連続。 そのため走行中の撮影を失念してしまいました。
高速走行記録を樹立した小田急3000形SE車の隣に戻って着ました。 スピードホルダー同士が並んだところを記録に留めるのが精一杯でした(笑)。
2ヶ月ぶりの集い、今回はお誘いに甘えてY氏のお宅で開催です。 最近転居され、念願のホビールームを開設されたと言うことで、その本社工場見学も兼ねています。 既にテーブルセッティングが完了しています。 なんと、手作りの新型コロナウイルス感染防止のアクリル板、いやもしかしたらエンビ板のパーティションまで。
I氏が持ってきてくださった青森の銘酒「田酒」が2種。
アルコールが飲めないK氏にはソフトドリンクの数々が用意されています。
各人ごとに取り分けられた手作り料理、煮豚は特にY氏が手間をかけて作られたようです。
現役のU氏が仕事のため定刻に間に合わないとの連絡で、U氏を除いて開始です。
先ずはスーパードライで乾杯。
早々と「田酒」にも着手、はじめは茶色い瓶からです。
遅れたU氏も到着し、ほどよくアルコールが回ったところで、皆様が持ち寄った作品公開の時間になりました。
I氏はペーパー自作のキハ1001,相模鉄道の気動車です。 きれいに仕上げられていました。
出てきた出てきた、K氏作品群。 京王帝都の事業用車両勢揃い。 先ずはデト212。
デハ2711が転じたデワ221、1982~1986年の僅か4年あまりしか存在しなかった車両です。
さらにデニ201。こちらも1982~1986年の僅か4年間の姿です。
これだけでも刺激は充分なのに、制作中の明治の客車。
こちらは変わった車両です。 これが本当のダブルルーフ(二重屋根)だそうです。 普段普段ダブルルーフと呼んでいたのは正しくはモニター屋根だと、U氏の解説が。 なるほど、納得!
反対側は妙なカタチ。 ここに郵便袋を積んだのではないかと推測しているようです。
こ、これは標準軌を走るクモヤ743だとか。 山形新幹線車両の牽引用だそうです。
さらにこんな展望客車、オハ35から改造したマイフ97だとか。 1953年に外国人団体向けの特殊営業車として使われたのだと説明がありました。
1969年に北見機関区で事業用車になった姿を見たように思っていたのですが、OER3001氏の誤解。 このスヤ32とは別物だったようです。
とどめは小田急9000形。 Uトレのキット10両を制作中だそうです。 わざわざ制作されたパンタ周りですが、若干修正が必要なようでした。
出ました、U氏作品が。 OER3001氏にだって判りますよ、阪神でしょ。
このほかには苦労して制作中の旧国があったのですが、見入ってしまって撮影を失念してしまいました。
ということで、Y社長のご案内で本社見学です。
ドアを開けた途端に、ワンダーランドが広がります。 手作りの車両箱に収納された車両数が半端じゃありません。 下の書棚も全て手作り。 Y社長の説明に聞き入ってしまいます。
その車両箱はこうして作るんですよと、ジグを使って実演してくださいました。
電動糸鋸他の設備も、手作りの専用台にセットされています。 切りカスなどの粉塵を吸引するバキュームまで自作です。
デスクは左がパソコン、右が作業用と広いものです。
パソコンでCADを解説頂きました。
このデータをこのカッターで切り抜くのだと。
そうして組み立てられた留萌の気動車車体、地方私鉄気動車好きのI氏に強制プレゼントです。 さあ、しっかり完成させねければいけませんね、凄い宿題となりました。
デスクの上には試運転線が常設。 なんとY社長、旧型国電も作って居られたとは!
今回OER3001氏は、いつもと趣向を変えて、これらの機関車を持ち込んだのですが・・・、皆様の熱気に負けてしまいました。
実は用意されたお料理がまた凄かったのですが、すっかり話しに夢中になり、撮影を失念しました。 最後に記念写真を撮ってお開き。
おなかいっぱい、刺激いっぱいになって、K氏のクルマで送っていただきました。 Kさんありがとうございました。
Y社長、数々のおもてなしをありがとうございました。
折角上田電鉄を訪問したのだから、他にもたっぷり堪能させていただきます。 洗車を終えた6001Fさなだどりーむ号が奇麗な姿になって、明日から運用のスケジュールになっています。 ヘッドマークに「がんばれ別所線」、千曲川橋梁の修復が待ち望まれます。
その横を、上田行き表示の城下行き1001Fが到着しますので、これに乗って城下駅に向かいます。
城下駅ではたっぷり5200系を堪能してから、ちょうど到着した1004Fまるまどりーむに乗ることにします。
車内は木目調で仕上げられていて、ラッピングながら丸窓の雰囲気抜群です。 ちょうどプラットホームに置かれたさなだどりーむが。
こちらは別所温泉駅に保存されている元祖丸窓モハ5252の車内、窓越しに覗けます。 シートモケットを東急時代のままではなく、青くすればもっとイメージが近づきます。
そのモハ5252を熱心に観察しているのは、同行のお仲間です。
この終点・別所温泉駅は、昔のイメージを保ったまま上手にリニューアルされています。
この雰囲気が観光客にも好評のようで、この時も駅舎バックに記念撮影している方が居られました。
駅務は観光協会に委託、和服姿の女性が対応してくださります。
別所温泉駅近くは40‰の上り勾配。 1000系はそれをものともせずに駆け上がって来ました。
これに乗って、別所温泉駅を後にすることとしました。
今回の上田電鉄訪問、その第1目的はここへ行くこと。 上田の次駅です。
しかしここまではこの代行バスで行かねばなりません。 1日まるまるフリーきっぷのOER3001氏は、下之郷駅から電車で来ました。
7月23日以来の5200型展示も9月27日までと迫りましたので、諸氏の訪問報告を目にしてOER3001氏も。
駅で以下のいずれかを購入することで、乗務員室への立ち入りが可能ということで、キーホルダーを購入。
・城下駅入場券(キャラクター入場券含む)
・5200系城下駅公開記念乗車券[完売]
・5251号車号板 [好評発売中]
・5251号真鍮車号板 [好評発売中]
・5200系キーホルダー [好評発売中]
プラットホームに「Model 5200 Public project」と掲げられています。
一応ホームからの姿を収めてから、
早速入ってみます。
独特な形状の制動弁です。
それにしても乗務員扉の幅(450㎜)、客室への扉幅(360㎜)となんと狭いことか。 この電車が造られた時代の東横線乗務員諸氏は皆さんスリムだったのですね。 戦後の食糧事情もあったでしょうが、太めの方がいらっしゃらなかった訳は無いと思うのですが・・・。
しっかりパンタグラフを上げてくれていますが、集電できないように架線には絶縁材が巻かれていました。
美しいコルゲートです。
構内で外観を撮ります。
独特なTS301台車も撮っておきます。 床下機器類は一切ありません。
パンタはベンチレーターの上に載っていたのですね。
一通り構内での撮影を終えて外に出てみれば、この心遣いに感銘しました。 良い場所に撮影スポットを設けてくれているのです。
そこからこうして撮影します。
すると、こんな感じで撮ることができるのです。
しかしながらOER3001氏はこれだけでは満足できず、踏切へ回ってこんなのを撮ります。
さらに真正面アップや
妻板アップも撮りました。
というわけでここ城下駅での時間は実に満足。
苦しい経営の中で、これだけのことをしてくれた上田電鉄に感謝です。
現況視察はここから始まりました。 大学前駅のパーク&ライド駐車場にマイカーを止めます。
大学前と言うのは、公立大学法人長野大学が近くにあることからということらしいが、この塩田の地は「信州の学海(がっかい)」とよばれて、学問を目指す者が集まってきた地という歴史があるようです。
駅名標も独特の雰囲気がありますが無人駅。
木造でぬくもりが感じられるプラットホームには、折しも国勢調査を告げる、OER3001氏が好きな芦田愛菜ちゃんのポスターが貼られていました。
そのプラットホームがこれ。単式1面1線です。
ここから電車に乗ろうと思ったのですが、時刻表を確認すると隣駅まで歩けそうということで、線路に沿った県道を歩き始めました。 尾根遺産ならぬ尾根川を渡ります。
隣駅は下之郷。 その手前の踏切で、やってきた電車を一枚納めます。
あ
1001Fが下之郷駅に入線、ここで上り電車と交換です。 上りは丸窓装飾の1004F。
次の電車の時刻まで、暫し下之郷駅を見ることにしました。
下之郷駅はそもそも、西丸子線の分岐駅でしたが、その廃止後は無人駅化、再友人駅化などを経て、1997年に車両検修庫が併設された現在の姿になっています。
付近の建物に、上田丸子時代の社紋が残っていました。
まずはプラットホーム全景。 神社を思わせる朱色が目立ちます。
名手前方向に2スパン延長されているようですが、その先の上屋柱には「CARNEGIE 1913」のモールドが確認でる歴史あるものでした。
留置線には1003F。この日は朝方に下之郷~城下間を4往復した後、ここで休息していたようです。
その奥の庫内が気になります。 シートが下ろされた中では1002Fの定期検査が行われていましたが、右手の壁面が気になります。
歴代のヘッドマークが保存されていたのです。
洗浄線では、6001Fさなだドリーム号が、奇麗にしてもらっている最中でした。
さてさて、ここ下之郷駅からやっと電車に乗ることにします。 1日まるまるフリーきっぷなるものを購入したので、時間が許す限り上田電鉄を楽しむことにします。
続きをお楽しみに。
今回訪れた目的の2番目が、千曲川橋梁復旧工事の現況を確認することでした。
ご同行頂けることになったお仲間を、南武線某駅前でお乗せしてから、中央道~首都圏中央連絡自動車道~国道468~関越自動車道~上信越自動車道・・・、カーナビ任せに大学前駅を目指しました。 大学前駅にはパーク&ライドの無料パーキングがありますので、ここからはこれを使って乗り降り自由。
城下駅から向かった土手から、上田駅方向を望みます。
上田駅からの鉄路は、トラス橋4基でプッツン。
これは上田駅側の架線柱ですが、直前のトラス橋が流されたことから架線が引っ張られ、ビームが曲げられたと思われます。
上田駅方から橋梁を眺めます。
トラス橋に張られていた電線も、ここでだらーり。
その行く手は・・・。
復旧工事を請け負っているのは、株式会社宮下組だそうです。まさか、あの宮下・・・? いくら何でもあの方はジオラマでしょ。
川下側から全体を俯瞰してみます。 左からトラス橋が1基、2基、3基、4基、そして流失した5基でした。
土手の復旧工事はほぼ完了と思われ、補強工事とともに新しい橋台が確認できます。
ここに本のように5基目のトラス橋が架けられることでしょう。
こんな寂しい姿は見たくありません。
元のように、この電車が走れば良いのですが・・・
まあ、それは無理として、新しい車両が行き来するようになるのは2021年春、3月28日とのことです。 復旧工事は確実に進捗していました。
遂に、おそらくこれが最後の本線走行でしょう。
一世を風靡したスマートな特急ロマンスカー3000形SE車。 思えば御年63歳と、とっくに還暦過ぎているのにその輝きは未だ衰えず。(と思っているのはOER3001氏だけ? そのSE車より年配の本人も、未だに若い気分で居ますが。。。)
相模大野工場で念入りな〝お化粧直し〟を実施していましたが、2020年9月12日の終電後、海老名に建設中のロマンスカーミュージアムに向けて、本線走行となりました。
つい数日前には夏風邪で寝込んでいたのに、この報せを聞きながらじっとしているのはSE車に申し訳ない。 是非見届けたいと、深夜に活動することとしました。
相模大野駅西方跨線橋で、出庫してくるのを待ち構えていると・・・、1時50分過ぎ、1000形6両編成1253Fに繋がれてゆっくり、本当にゆっくりと、3021を先頭に、車庫線から駅構内に進入して来ました。
車体はもちろん、台車など下回りもピカピカ、まるで先に完成させたOER3001氏の16番ゲージ車両そのものと言った感じです。
2両目3022もピカピカですが、こうして上から見て初めてちょっとした違和感を感じました。 黒く塗られたモニターモニター屋根は、復元の際に手をかけなかったのですね。 SSE車時代のクーラーを付けた狭幅のままでした。
保存されていた5両の内、中間の2両(3023、3024)が廃棄されたので3両目がSSE顔の3025。 1253が前照灯、尾灯とも点灯させて、ゆっくり、ゆっくり、ノッチイン、ノッチオフを繰り返しつつ推進しています。
一旦構内に入り、信号指示を待ってから、海老名に向けた回送運転が始まりました。 牽引ですがゆっくり、ここでは25㎞/h程度だった感じです。
2両目3022が見えましたが、回送列車発車時には構内照明が落とされてしまったので、僅かな明かりしか得られません。
跨線橋のガラス越しに撮らざるを得なかったので、網も気になりますがやむを得ません。 それでもこの光景をしっかり記録しておきました。
振り返って後ろ姿を撮ってみたのですが・・・、構内照明が全く消えた中では、肉眼に留めるのが精一杯でした。
それでも、ここに行って良かったと満足しています。
因みにこの報せに集まる輩も相当な人数で、人気車両であることを実感しましたが、やっぱりマナーに問題のある人も散見されるのが残念です。 時勢が時勢なのだから、マスクぐらいしっかり着用すべきです。 公道駐車も相当数あり、直前に警察官に指示されていました。 この輩はきっと、直前の警察官指示を受けたのでクルマを移動、撮影できなかったはずです。
OER3001氏が止めたコインパーキング代金は600円。 600円でこのショーを楽しめたということですね。 現地でお会いしたM川さん、楽しいひとときを共有でき、ありがとうございました。
また、M.OさんやY.Tさんには多くの情報をご提供頂きました。お礼申し上げます。
2017年の晩秋に立ち寄った際の別所温泉駅。
そしてこれが40年前、1980年の夏。 違いはホーム上屋に大きく掲げられた「別所温泉駅」 程度で、面影は変わっていません。
当時は複雑な経歴を持つ、モハ4257も活躍していました。 あっいけねぇ、妻子が写ってしまいました。
この3年後に廃車となり、富士急行の創立60周年記念事業の一環として同社へ返還。 落成当初の外観に復元された上で今は、河口湖駅前にて静態保存されているのです。
上田原車庫には東急から移籍してきたデハ3310、クハ3661も留置されていたのを車内から確認しました。
40‰の急勾配区間がある中塩田~別所温泉間に入線できず、朝方の上田~中塩田間1往復限定運用に専従していたという制約もあったらしいです。
こんな思い出がいっぱいの上田交通、いや今は上田電鉄。 来年3月29日が待ち遠しくなりました。
上田電鉄の話し序でに、小田急の香り漂う車両について触れておくことにします。 それはモハ5370形の2両です。
出自が異なる2両ですがそれぞれ1960(昭和35)年に、小田急電鉄がクハ1650形(1651~1653)の車体更新で不要となった旧車体のうち2両を譲り受けて換装する車体更新工事を実施した車両です。 この日運用に就いたモハ5372が、千曲川橋梁を渡ってきました。
前日、当時車庫があった上田原で交換していました。
そしてこの日も。
終点の別所温泉駅近くでは、手前の八木沢からの40‰勾配を上ってきました。
勾配は別所温泉駅のホーム半ばまで続きます。 左の引き揚げ線は平坦線ですが、手前のポイントを過ぎればすぐ勾配。
別所温泉駅で一息ついているようでした。
流用にあたっては両運転台化、客用3扉のうち両端の扉を側窓1つ分中央寄りへ移設、車体裾部から台枠が露出した構造であったものを、外板を下部へ延長する形で台枠を見えなくするなど、多岐にわたる改造が実施されましたが、小田急の香りが充分に感じられる姿でした。
2007(平成19)年8月15日、終戦記念日だったこの日も暑かったことを覚えています。
青春18きっぷを使って小海線、しなの鉄道経由で降りた上田駅から、汗かきながらここに向かいました。 城下駅を発車した列車が、千曲川に架かる橋梁を渡り始めました。
4基のトラス橋を過ぎて5基目に入ります。
この5基目のトラス橋が、昨年の台風19号による増水で流失したものです。 すみません、この写真では反対側となる城下駅側の1基目トラス橋が流失していたと訂正させて頂きます。
復旧を目指して工事中と聞いていますが、こうして再び上田駅から列車が走る日が来ることを願っています。
来年3月28日の全線開通を目指すとのことで、そのときは写真とは変わって、1000系か6000系が颯爽と渡るはずです。
今年も既に大型台風が2つも襲ってきていますが、ここに被害が再発しないことを願うばかりです。
本来なら、ここに行こうと思っていたのですが、前日から体調を崩してしまったもので断念!
冷房の風が体にあたり、寒さを感じたことが原因と思われますが、38度ほどの発熱で、一時はコロナか? と緊張しましたが、咳は出ない。 味覚は正常ということでただただ一日中寝ていました。
悔しいので昔の写真を検索しました。 1980(昭和55)年8月、まだ1歳だった長男を連れて、別所温泉に行きました。
ちょうど丸窓のモハ5252が別所温泉駅に停車していました。
この当時はまだ、丸窓の人気は白熱していなかったはずです。 老体を労りつつ、黙々と活躍していた地方の電車にすぎなかったと思います。
車内も撮っておいて良かった! 冷房なんてまだ都会の一部のもので、下降式側窓は全開。 田園の香りが車内に入ってきます。 バスの車掌さんのような鞄を提げた車掌さんが、運転室背面で前方を見つめています。
昨年の台風19号で流されてしまった、上田~城下間に架かる千曲川橋梁を渡ってきます。
夏の陽が傾く頃まで、この日は一日中運用に就いていたようです。
上田電鉄の一日も早い復旧を願うばかりです。
そう言えば、東海道線100キロポストで撮った画像がありました。https://vse50001.cocolog-nifty.com/blog/2020/04/post-ffe594.html
今回は1キロポストを。
新宿から32.3㎞の相模大野で分岐する小田急江ノ島線の1キロポスト地点は、東林間駅手前500mにあります。
付近には踏切があり、「相模大野2号」と表示されています。
が、「相模大野2号」という踏切は2カ所ありますのでお間違い無く。 小田原線にも同じ「相模大野2号」という踏切が、大野工場先にあるのです。
踏切名称は、その前に路線名があるので混乱しないのでしょうね。
相模大野界隈を歩いていて、普段目にすることが無い飛行物体を目撃しました。
別に不審な飛行物体ではありませんが、航空機の知識が無い身にとっては珍しいものに違いありません。 その一つがこれ、どう見てもB747であることは分かりますが、窓が無い真っ白なのっぺらぼうの機体。 かろうじて赤い「KALITTA」の文字が読み取れます。
Webで調べたら、アメリカ合衆国ミシガン州に本社を置く貨物航空会社のカリッタ航空(英: Kalitta Air)であることがわかりました。 米軍基地の輸送を担っているようです。
そしてもう一つがこれ。
機体に「5504」と記されている海上自衛隊厚木基地に所属するP-1 (哨戒機)だそうです。
電車見物に行ったのに、この界隈は航空機ファンにも注目されるエリアかもしれません。
強い勢力の台風接近の影響を受けてか、またまた暑い中、ちょっと出かけてみました。
相模大野2号踏切手前の路地を入ったところで、工場線横を通過する伊勢原行き各停の2000形を一枚。
この後視線を工場内に向けると・・・、何か妙。
相模大野2号踏切脇へ回って望遠で見ると、屋根上がさっぱりしている1000形ではありませんか。 確認できる3両は、手前から1154、1104、1004と思われます。
ちょうど昼休みの時間帯だったので、工場内の人影は確認できません。
東側へ回って見ると・・・、1155のナンバーが外されたクハ1150が。
クーラー、列車無線アンテナ、運転台機器などが外されています。
全体を見ることは叶いませんでしたが、塀の上から覗いてみました。
聞いてはいましたが、久しぶりに廃車・解体への準備作業を目の当たりにすると、やっぱり心が痛みます。
5000形の増備が進み、古くなった車両と交代するのですが、普通鋼製の8000形より先に、1988(昭和63)年製のステンレス車が。
OER3001氏としては不細工な3000形の方からなんとかして欲しいのですが・・・。
しばらく間をおいてしまったこのシリーズも、今回はラッキーナンバーの77と言うことで・・・
京王帝都電鉄時代のクハ7711を。若葉台~京王永山間の撮影で、当時は京王多摩センターから先は未開業でした。
7000系は1984(昭和59)年に登場するが、この7711編成は1986(昭和61)年の増備車。 登場時は5両編成で、一見東武鉄道のステンレス車と同じようなカラーリングでした。
この編成はこの年の秋に新造中間車を入れた6両編成となって以降、1990(平成2)年にはさらに新造中間車を組み込んで8両編成化、さらには10両編成捻出のための組み替えで、当該編成は4両編成となりクハ7811に改番と、複雑な道を辿っています。
8月下旬の暑い日のこと、海深くではないけれど、青い空の下、斯様なところに行ってみました。昔、絵本で見た竜宮城?
いえ、小田急の片瀬江ノ島駅です。
1929年(昭和4)年の開業時から、竜宮城を模した駅舎でしたが、本年、その特徴を維持したままリニューアルされました。
構内には新江ノ島水族館の宣伝をかねて、大きな水槽(?)も設けられ、マリンレジャーへの入り口であることが実感できます。
頭端式3線のプラットホームにはアーチ状の屋根がかけられ、然程の広さではないものの、ゆったりした雰囲気です。
OER3001氏が初めてここを訪れたのは、海水浴客でひしめく車内のHB車3両編成で、だったと思います。 それが今は、プラットホームも10両編成対応になり、新宿からの快速急行や、特急ロマンスカーがやってくるのですから、ずいぶん変わりました。
この日のOER3001氏は、竜宮城を見ても海は見ず。 このまま鵠沼海岸駅へ向かい、本鵠沼駅との間で電車を撮影したのでした。 もはやマリンレジャーとは無関係な生活になってしまったようです。
8月31日をもって94年の歴史を閉じた豊島園。 3歳から5年ほど練馬に住んでいたOER3001氏にも、幼児の頃の楽しかった思い出が残っています。 モハメイドペーパーさまも、Chitetsuさまも取り上げて居られますが、便乗させていただきます。 但し、ちょっとだけ切り口を変えて。
園内には「チャレンジトレイン」というミニトレインがありました。 2017年の導入で、当時の最新型だった40000系はじめ、西武鉄道のミニ電車を自ら動かすことができました。
実は当時、40000系が「キッズデザイン賞」最優秀賞(内閣総理大臣賞)を受賞。 この事務局に関与していたこともあって、小手指車両基地にいく機会がありました。 その後に豊島園に向かい、「チャレンジトレイン」の見学・試乗となりました。
車体にはご覧のようなメーカーズプレートも。 平成29年9月新造・佐伯工業深日工場とありました。
台車枠の奥にモーターが確認できます。モーターの回転軸は車軸と直角のようです。
実車同様に「キッズデザイン賞」のヘッドマークを掲げ、「S--train・西武秩父」となって走っていました。
他には「急行・池袋」の30000系。
「準急・西武新宿」の20000系も。
最古参となった2000系は「各停・豊島園」です。
大人にとっても結構楽しめるものでした。
導入から3年しか経っていない施設、その後4000系や001系ラビューも加わっているようですが、このまま閉園とともに消えてゆくのはなんとももったいない話、と思っていたら、どうも西武園に移設されることになっているようで、ひとまず安心。
移設された暁には是非、足を運んでみられてはいかがでしょうか。
趣味としている鉄道模型ですが、たまには仕事としても取り組んでいるのです。
廃車になった小田急のクハ2650形が保存展示されていることでも知られている神奈川県立辻堂海浜公園には、交通展示館と言う施設があり、館内には鉄道模型のジオラマが設置されています。 それらの保守・整備をお仕事として受託して3年が経ちました。
新型コロナウィルス感染防止のため、春先から閉館していましたが、先月から再開していました。 そこで、休館日の月曜日に保守・整備を実施して来ました。
エントランスにはこの展示への協力機関が掲示されています。 小田急電鉄はクハ2450の台車・FS30を提供していて、目前で観察できます。
その前に、最初のジオラマがあります。 Nゲージで来場者がボタンを押すことで列車が発車、2周回後に駅で停車するという機構です。
もう一つのNゲージジオラマは、211系電車の運転席を利用した、運転シュミレータがある「陸のゾーン」に設置されたもの。 こちらは短銃なエンドレスで、やはり来場者がボタンを押すと一定時間周回して停車する機構。
そして最大の施設が所謂HOゲージのジオラマ。 6列車から選択した3列車を同時に動かせるもので、押しボタンだけでなく、マスコンで操作するものもあります。
休館日なのでスリッパを履いてジオラマの上に乗り、列車を定位置から移動させ、レールを全面クリーニングします。 シーナリーを痛めないように注意が必要です。
ポイント部分は特に汚れていますので、クリーナーで丁寧に清掃した後、試運転列車を走らせます。 この広さを終えると腰が痛くなります。
ヤードに停車している6列車も順番に引き出し、ポイントと線路の清掃を終えました。
今回は車両側に大きな不具合は見られず、このまままた暫くは子どもたちを楽しませてくれることと思います。
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