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2020年10月

2020年10月31日 (土)

振り子試験車両

1970(昭和45)年10月31日。 この日、振り子試験車登場という情報から、大野工場を訪問しました。 未だ学生だったこの時代、工場事務所に「電車が見たい」と言って記帳するだけで、構内に入れてくれたことが今になっては信じられません。 立ち入り禁止エリアの説明を受けた後は、貸与された黄色い帽子をかぶって 自由に歩けました。

お目当ての振り子試験車となったクハ1658は庫の中での試験中でしたが、ロイヤルブルー1色となった姿はなんとか顔だけ撮ることができました。

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最大のポイントはその台車。 FS080と言う住友金属製の台車には、“運輸省補助金交付対象物件”としっかり表示されていました。

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その台車も庫内のスペースの制約から、真横からは撮れず残念。 ここで車体傾斜試験を実施中で、ボルスターアンカーが上がったり下がったりする光景が面白かったことを思い出します。

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本線での試験走行は終電後の深夜に行われたようで、その姿をこの目で確認することはできませんでしたが、早速模型の世界でで試験走行することにして、屋根板使用のペーパー車体として製作。 当時の住居でベランダ手摺に載せて撮影したことから、都合良く内側に傾斜してくれています。

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あれこれ考えて、曲線で台車がセンターピン中心に回転する動作を、車体傾斜に直結する運動にする方法を考案。 実際に750R程度の曲線で2度ほど傾斜するようになった次第でした。

 

2020年10月30日 (金)

箱根登山鉄道崩落箇所

10月24日に取り上げた箱根登山鉄道の災害復旧状況ですが、災害前に撮影していた画像が見つかりました。 1994(平成6)年7月24日の記録です。 強羅行きが登って来て、ここ蛇骨橋近くの石積みのような橋脚にガーターブリッジが架かる、半径30m曲線にさしかかります。 

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復旧工事ではこの橋脚を確認できる場所まで近づけませんでしたが、何らかの影響があったのではないかと思っています。 右手にカーブを曲がり、電車は木立の陰に隠れて行きました。

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スキャニングを進めているネガフィルムから見つけた次第ですが、フィルムはかなり黄変したものが多く困っています。

 

 

 

2020年10月29日 (木)

寝台特急「北斗星」

「サンライズ」を除いて、定期寝台列車が消えて久しいですが、いわゆる「ブルートレイン」と呼ばれた寝台特急には特別の風格があったと思います。

1992(平成4)年6月19日のこと、早朝からの札幌日帰り出張でした。 現地スタッフとおよび得意先企業との会議を終え、余裕を持って予約してある飛行機の時間までは自由! ここ千歳空港駅で上野行き「北斗星」を撮影しました。

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東京では絶対に見ることができないDD51の重連がエンジン音を立ててやってきました。

偶然にも、車窓に寄り添う夫妻の姿が、とても印象的でした。

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寝台特急なんて、遠い想い出になってしまいました。

 

 

2020年10月28日 (水)

たまには蒸機を

OER3001氏は、小田急に限らず鉄道が好きなシニアです。 蒸気機関車を今風に「エスエル」と言わずに「蒸機」と言うファンです。 「エスエルに乗ってきた」なんて話す一般人は許せません。 酷いのは非電化区間を走る気動車を「電車」と言うのはまだ良いとして、「今度の電車はエスエルだって」って何!?

「エスエル」と言うなら「ディーエル」も「イーエル」も、そして「イーシー」「ディーシー」もご存じなのでしょうね!

と小言はこの辺にして、OER3001氏にとっては「C61 20」には想い出があります。 「C61 20」に出会ったのはこれが最初でした。 大学の入学式を前にして、北海道、東北に撮影旅行していた1969(昭和44)年4月、奥羽線の陣場~津軽湯の沢間で。 

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この時は然程の知識が無く、今でもお付き合い頂いている詳しい友人の立てたプランに従って、行動していました。 この時は朝、青森県側の津軽湯の沢駅を降り、撮影しながら県境を越えて、人生初の秋田県入り。 湯の沢駅から青森県側に引き返したと記憶しています。

それが・・・、東日本大震災があった2011(平成23)年に復活することになって、何はともあれ再会を果たしたいと出かけたのでした。

高崎駅の出発をホームで見送り、水上で待ち受けました。

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当然、これで終わることは無く、帰路をどこで撮るかといろいろ考え、上越線らしい場所を選ぶことにしました。

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この時は然程のフィーバーは無く、ゆっくりと撮ることができたのは幸いでした。 欲を言えば、上り勾配で煙りモクモクを撮りたかったのですが、喧噪の中に身を置く勇気がないもので・・・。

 

 

2020年10月27日 (火)

想い出の光景:6

今回は下北沢駅で空が見えていた頃。

この駅では、ホーム新宿方で東北沢からの勾配を下ってくる光景を撮ることが多かったと思いますが、上を走る井の頭線とのツーショットを収めるには下り方に来なければなりません。

が、しかし・・・、なかなかタイミング良く撮れませんでした。

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この時はなんとか、2600形第1編成クハ2851の準急が停車中に、井の頭線下り電車が到着するところでしたが・・・、はっきりとは写せませんでした。

 

 

2020年10月26日 (月)

今日の一枚 No.86

鉄道が好きになった原点の一つがこれかも知れません。

連結面から顔を出してみると、連結器が微妙に擦れ合ったりしていて、繋がれたエアホースもほとんど動かない。 そしてその下を線路が流れていく。

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これは1990年の東急世田谷線での一コマ、妻板が中央で折れているので150形と思われます。 冷房なんて無い。 窓を全開にして風を感じる。 今ではどこに行ってもこんな光景を見ることができなくなって寂しいです。

2020年10月25日 (日)

3線軌道

箱根登山鉄道の起点は小田原なのに、小田原から箱根湯本までは箱根登山鉄道の車両は走っていません。 

輸送力増強のため、同区間は新宿からの特急ロマンスカー以外の普通列車には小田急の1000形4両編成が、ベルニナカラーを纏って走ります。 いつしか1,435軌間も外されてしまい、箱根登山鉄道の車両は走ることができませんが、鉄道知識の浅い一般乗客は、赤い車両だから登山電車だと思っているかも知れません。

標準軌1,435㎜の箱根登山車両は、箱根湯本の一駅手前、入生田の車庫から強羅までしか走れなくなってしまいました。

箱根湯本から小田原行きの1000形に乗車、前方を注視します。 ここ入生田までは1,435㎜軌間と1,067㎜軌間の3線で、ベルニナカラーの1000形が待っている下り線は1,067㎜軌間です。 

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1,067㎜軌間の小田急車は車庫線には入れず真っ直ぐ進み、安全側線の分岐器から1,067㎜区間に侵入します。

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車庫線に向かう1,435軌間、早速待ち受けるのは、狭い構内を有効に使うために設けられたダブルスリップなのですね。

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ダブルスリップと言い3線分岐器と言い、箱根登山鉄道の軌道はなかなか面白いです。

 

 

2020年10月24日 (土)

箱根登山鉄道災害復旧状況

今回の箱根登山鉄道訪問の最大目的は、2019年台風19号で甚大な被害を受け、今秋の運転再開を目指して急いでいた復旧工事が、地元の協力などもあって予定より早く、7月22日に運転再開となった現地を見ることでした。

箱根湯本では最後部に乗ります。 次駅の塔ノ沢駅を後にします。

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勾配のトンネルを抜けると、出山鉄橋を渡ります。 1888年に建造され、東海道線富士川に架けられていたものを移設した旨、車掌さんが肉声でガイドしてくれました。

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出山信号所で最初のスイッチバック。 これまでの最後部が最前部に変わりました。 いざ、80‰を登ります。

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このトンネルを抜けると大平台駅。 そこでは2回目のスイッチバックです。

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上大平台信号所で3回目のスイッチバック。 山から下りてきた箱根湯本が到着すると、再び80‰勾配を登ります。

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宮ノ下駅でアレグラが下りてきたのを待って出発。 この後、災害現場を通りますが、動画撮影に切り替えたため、データ容量の制約からブログではご紹介できないのが残念です。 

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小涌谷駅で下車、宮ノ下駅との間の被災現場まで歩くことにしました。

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改札を抜けた目の前には、昨年の被災直後の状況から、復旧工事の様子が写真で紹介されていました。

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箱根駅伝で有名な踏切は、流れてきた土砂で埋まりました。 とりあえず鉄道は復旧しましたが、踏切の下方では関連工事が行われています。

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最大の被害がここ、蛇骨橋の上、半径30mの急曲線箇所の線路が路盤ごと流失しました。 かなりの大工事が今もなお進行中です。 クレーンの先に確認できる鉄骨の建造物は、路盤より高い位置。 線路向こうの傾斜面補強工事のために構築したものでしょうか。

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電車が走る位置は「清水建設」の背後、左方の木々の間から見える赤いのが電車です。

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カメラを左に向ければこの通り。

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暫しこの大工事の様子に釘付けになってしまいました。 森林の中を歩き、宮ノ下駅近くまで来たら、ちょうど強羅行きが登って行きます。 行き先表示にはハロウィンのカボチャも。

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この場所でちょっと撮影を楽しみました。 アレグラ3000形とアレグラ塗色のサンモリッツ2000形が交換しました。

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こうして電車は元のように走り出していますが、沿線では今も未だ数カ所で、様々な工事が進行していました。 険しい山間地であるので、鉄道の維持にも多大な労力がかかるのですね。 観光客らに温かく親切に接する社員たちのホスピタリティに触れることができ、なんだかとても良い気持ちになれました。

 

 

2020年10月23日 (金)

箱根登山新車搬入

ずっと行ってみたかった、昨年の台風19号の被害から運転再開後の箱根登山鉄道。 秋らしい晴れとの予報を聞いて急遽、出かけることとしました。

被災した場所についてはまた、ということにして、強羅では搬入されたばかりの新車を見ることができました。

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フロントガラスには製造所のブランドロゴ、まだ台枠下部覆いは未装着です。

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駅の外からはあまり近づくことはできませんでしたので、構内に再入場しました。 側窓、扉全てがクラフト紙で覆われていて、室内を見ることはできません。

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側窓には、正面と同じブランドロゴに加えて貨物の送り状が貼られていました。 10月16日に兵庫を出た、富士までの甲種貨物だったことが解ります。

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連結面部も確認しました。 左が3103,右が3104となります。

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プラットホームからでは2両編成の全景を納めることはできません。 やむを得ず3104の全景をなんとか。

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この新車両が稼働するようになると・・・、残念ですがまた旧型車が置き換え歯医者になるのでしょう。

 

 

 

2020年10月22日 (木)

発見! 20000形RSE

昨日(10月21日)出かけた折、いつものように前方に眼をやっていたら何と!

大野総合車両所の洗浄線に停車しているのは20000形RSEではないか!! 折しも上ってくる70000形GSEとのツーショットが実現しました。

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海老名に建設中のロマンスカーミュージアム収蔵に向けて、綺麗に洗浄されていたようです。

近日、深夜に海老名へ送り込みとなるのでしょうね。

 

 

 

2020年10月21日 (水)

今日の一枚 No.85

今日10月21日と言う日は、国際反戦デーだったという記憶があります。

今から52年前の1968(昭和43)年、ベトナム戦争反対を叫ぶ過激派が新宿駅一体を襲撃、当時新宿駅を通過していたタンク列車が襲撃され、大火災になったことが思い出されてなりません。

時が変わって武蔵野線が開通し、貨物列車は山手貨物線を通らなくなったことは言うまでもありません。 それでも中央線のタンク列車を見ると、新宿騒乱事件が脳裏に浮かぶのは歳のせいでしょうかね。

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思えばEF64重連の貨物も過去のもの。 今はEF200、タンク貨車もグリーンとグレーのオシャレな2色塗りですよね。

 

 

2020年10月20日 (火)

今日の一枚 No.84

撮ることに夢中になっていながら、その後撮った写真をよく見ない。

フィルム写真の時代は、撮影しても時にはそのフィルムを撮り終えるまでに何日かかかり、さらに現像に出して、仕上がりまでまた何日か。 その間に撮った写真を忘れていることも少なくありませんでした。 ポジフィルムでは大きな画像で見ることも少なかったのですが・・・。

1978年3月、大手電機メーカー群馬製作所への出張帰り、熊谷駅で撮った一枚。

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到着する、今は無き東武熊谷線、地元では妻沼線とも呼ばれていたキハ2000形の正面窓に、何とかわいい子らが。みんな一心にこちらを注視していました。

赤字続きだった同線は、この5年後の1983年に廃止されてしまいました。 この子らは今、どんな大人になっているのだろうか?

 

2020年10月19日 (月)

DL運転

単行か2両編成でのDC運転の後は、折角なのでDLを走らせて頂きました。

DF50先頭にした11両編成の客車ですが、広~いホールなので、直線区間に編成が充分に収まります。

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客車は1両目:カニ38

    2両目:オユ12

    3両目:ナロ10

    4両目:オロネ10

    5両目:ナハネ11

    6両目:ナハネ11

    7両目:ナハネフ11

    8両目:オシ17

    9両目:ナハ11

   10両目:ナハ11

   11両目:ナハフ11

と、全て軽量客車と言いながら、重量があることで有名な天賞堂製品。 

牽引機DF50は、銀座店2階の第2次オメガセントラルで販促用に走っていて、かなり疲労していたものが1967年のバーゲンに出て、これをなんと600円で購入。 同時に1,500円で販売されていた新品車体を買って、載せ替えた想い出のものです。

軽量客車も何やかやと、1967年から2013年の間に揃えたものですが、新品を購入したものは1両も無く、それぞれの経緯は全て、歴史の想い出となっています。

昔のままの縦型モーターとインサイドギアで4軸駆動のDF50、“重量客車”を牽引して堂々たる走行をしてくれました。

 

 

2020年10月18日 (日)

DC運転

友人の別邸の広いホールに敷設した線路で、DC“を”走らせてきました。 DCとはキハのことですが、運転は当然DCで。 ややこしいですね、直流電源での運転です。

先ずはキハ22の単行。 色調が気に入らないのですが、天賞堂製品を買ってしまいました。 毎週のように頻繁に札幌出張していたときに、千歳線を2両編成で走るのに惚れてしまいました。

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次はキハ25、200番台。 古~い鉄道模型社のキットを塗り替えたもの。 1972年に知人から譲受しました。

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そしてキハ35、500番台です。 高校生の時、カワイモデルが製品化しました。 1968年に塗装済み車体を購入し、スノープロウなど自作しています。

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ここまでが国鉄車両で、次はJR車両のキハ101。 フルーツラインと名付けられた左沢線専用車両は、地元クラブの運転会に招かれたことを切っ掛けに、地元に敬意を表して2016年にペーパー自作しました。 

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続いては民鉄車両の部で、鹿島鉄道キハ431、“とな会”の「乗って作った! 青春18きっぷの旅」に参加して、2006年にペーパー自作。20201015_0011_15

さらに2007年ペーパー自作の小湊鐵道キハ200。 初期車と後期増備のユニット窓車の2連です。 これも“とな会”「乗って作った! 青春18きっぷの旅」の参加が切っ掛けですが、それより以前に、小湊鐵道の運転体験に参加し、他車とベンチレーターが異なるキハ204を運転したことも、製作の理由でした。

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友人が期待していたであろう小田急の電車は一切持たず、非電化区間を好む友に敬意を表し、我が家のDC総出場となりました。

えっ、小田急のキハはどうしたって?

はい、目下製造中なのです。

 

 

 

 

2020年10月17日 (土)

八高線で撮る

ちょっと所用で、嵐山町へ出かける必要が生じました。

Web検索すると、我が家からクルマで行くと、距離は70㎞ほどなのに、一般道路で3時間弱の所要時間と出ました。 それなら、途中は寄り道しつつ楽しんでということで、1時間に1本しか無いことを承知の上で、八高線妃殿下非電化区間に寄ってみました。

カーナビと睨めっこしつつ、線路に近寄れる場所を探していると突然、踏切警報機が鳴り始めたので急遽構えたのがこれ。

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さらに30分後にも列車があることを知り、新たな場所探し。 秋桜がきれいに咲いていた築堤を発見したので待ち受けました。 先ずは下り列車が。

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これと交換する上りが10分後に来ることを予想、反対側を狙いました。

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ちょうど曇りの天気で、発色はイマイチでも逆光の心配も無く、序での撮影が楽しめました。 地図で確認すると小川町~明覚間だったようです。 そしてこの後、予定通りに所用の地に向かいました。

 

 

2020年10月16日 (金)

富山地方鉄道14753

富山地方鉄道は地元では「地鉄」と呼ばれていますが、「chitetsu」のことではありません。

そこに、以前から気になっている電車がありました。モハ14753。

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1943(昭和23)年に4両が日本車輌で製造された、いわゆる運輸省規格型電車です。 従って、小田急の1900型とよく似ていたことから惹かれたのかも知れません。

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ところが1989年に出張序でに訪れた際に出会った同車はご覧の姿になっていました。

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前照灯の位置、仕様を変え、塗色も変わりました。

最初にこの姿に出会っていたら、あまり惹かれなかったかも知れません。 

 

 

2020年10月15日 (木)

想い出の光景:5

今は冬の豪雪でも、スマートなLRTで快適な移動ができるようになりました。

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しかし、どうしても思い出す懐かしい光景があるのです。 国鉄・富山港線時代の城川原駅。

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ちょうど、近代化工事を施されたクモハ73013と全金属製クハ79の2両編成が整備中でした。

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反対側の引き込み線には、多客時増結用のクモハ40076が止まっていました。

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どれも京浜東北線と同じ青22号に塗装され、好ましい印象でした。

線路は繋がっていても、富山から先は交流電化故、これらの直流電車たちは、へんぴな営業所に飛ばされたサラリーマンのように、このサボを掲げて一日中行ったり来たり。  
 

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そんな彼らを健気に思い、いつか作ろうと思ったりしたのですが・・・。

 

 

2020年10月14日 (水)

鉄道の日とクロード・モネ 

1872(明治5)年10月14日に、我が国初の鉄道が開通したと言うことから鉄道記念日となっていたのが、いつの間にか「鉄道の日」に変わっています。

一方、印象派を代表する画家、クロード・モネ(Claude Monet1840.11.14~1926.12.5)は、パリのサン・ラザール駅(Saint-Lazare)を何枚も描いています。

1280pxla_gare_saintlazare__claude_monet(Wikipediaより引用)

この絵が気に入っていたOER3001氏は、パリにいった際どうしてもここを見たくなって行ってみました。屋根の雰囲気は絵が描かれた1877年から100年経っても変わっていません。

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先端に行ってみました。 行き交う列車は2階建ての通勤列車やステンレスの電車に変わっていますが、100年前の香りはそのままです。

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ホーム先端の向こう側には、ヨーロッパ橋と名付けられた道路橋が掛かっています。 それを描いた数あるモネの作品の一部がこれ。

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この橋にも回ってみました。 アングルは違いますが、橋の向こうのビルは同じですね。

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100年前に既に、このパリの街並みができていたと言うことに驚きました。

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立派なサン・ラザール駅、陽の長い夏空の下、堂々としていました。

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クロード・モネの足跡を辿ろうとしてみたこの日、大満足した後は、読めないメニューと格闘しつつ、解っていても英語を知らぬふりするウエイターに必死で注文した夕食タイムとなりました。

 

 

 

 

2020年10月13日 (火)

あらためてLSEについて

1980年に訪問した、軌間1メートルのルツェルン・シュタンス・エンゲルベルグ鉄道(LSE )について取り上げたいと思います。 

チューリッヒで朝を迎えたOER3001氏は、家内の友人の友人であるスイス人・ヨーゼフさんのご厚意で、彼のクルマで山岳リゾート地であるエンゲルベルグに連れて行ってもらいました。

既に雪が降って気温は2,3℃だったのではないかと思います。街中で彼を撮ったとき、時計は12:45を示しています。 サウザーと発音していたように思いますが、ワインになる直前という実に旨いグレープジュースとともに昼食。 暫し街歩きを楽しみました。

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本来ならまた彼のクルマにと言うところなのですが・・・、これを目にしてしまったOER3001氏は「あれに乗りたい!」と我が儘を言ってしまいます。  この建物の右側が、ホテルを併設した駅となっています。

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快く我が儘を受け入れてくれたヨーゼフには、麓のルツェルンで待ってもらうことにして、晴れてLSE乗車となりました。 プラットホームには3両編成が停車していて、山の上方向は1,2等合造制御付随車です。

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中間に2等車

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先頭が制御電動客車

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なのですが、これが凄い。 真横から台車を観察しました。(画像クリックで拡大できます)車輪間にラック用の歯車が見えます。 LSEの最大勾配はラック区間で261‰、粘着区間で56‰というのだから驚き。

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こんな運転台で操るのです。 見たかったけど、OER3001氏が買った乗車券は生意気にも1等なので、最後部車両のため走行中の様子は見られませんでした。

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生憎天候が悪化、暗くなってから走り出しました。 幸いにも乗客が我々以外に居なかったので、寒い中窓開けて撮れました。

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後ろを見れば、下ってきた勾配の急な姿が確認できます。

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先頭車両が立てる音が僅かに聞こえてきました。 行く先もラック区間が続きます。

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箱根登山鉄道を思い出す光景ではありませんか。

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下りてきたここが、どうも最大勾配261‰区間だったようです。 Obermattという場所のようです。

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粘着区間に入って何度か斯様な交換を重ね、終点ルツェルンまでの1時間弱を楽しみました。

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こんな魅力的な鉄道に出会って興奮、再訪の折には山に向かってみたいと思っていたのですが、LSEは今、スイス国鉄の メーターゲージ、ブリューニック線を譲受してツェントラル鉄道(Zentralbahn )と名前を変えているとのこと。

そして、オーバーマットー グリューネンヴァルト間にあった261‰区間の勾配緩和と所要時間短縮、輸送力増強を図るために、全長4030m、最急勾配105‰のエンゲルベルグトンネルの新線に移行したようです。

少々魅力低下したようですが、機会あれば再訪したいものです。

 

2020年10月12日 (月)

思い出の光景:4

今回のお題は“バスタ新宿”が無かった頃。

テレビの報道で、「新宿駅前の様子」って言うのは、多分高度成長期の頃からずっとあったように思いますが・・・、気づいてみれば“二幸”転じて“スタジオアルタ”の前の東口広場からの中継映像は皆無になってしまいました。

一方、高層ビルを背景に、小田急や京王の百貨店や地下広場からなる西口は、通行者へのインタビューなどで登場します。 その西口で、大規模な再開発計画が発表されました。

こんな状況下、必ず登場するのが“バスタ新宿”や甲州街道が映る南口です。

南口なんて、国鉄線を超えて四谷新宿まで行っていた京王電車が、戦後西口に乗り入れるようになってからからは、東口や西口の華やかさとはかけ離れたものでした。 そう言えば、南口ではなく甲州口と言ってた筈です。

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この画像は霙舞う中、甲州街道の陸橋から、代々木方向に向けてバルブ撮影してみたもの。

0番ホームが新設されていますが、その前に止まっているのはEF13でしょうか。 左後方にあった、今は高島屋や東急ハンズが入るビルのところにあった貨物ターミナルの貨車を牽くために待機していたようです。

発表された西口再開発で、再開発が進む渋谷に対抗するのでしょうね。 これまた楽しみです。

 

2020年10月11日 (日)

LSE

正面に大きく「LSE」と表示された赤い電車。 

ここはスイス中央部の代表的山岳リゾートであるエンゲルベルク(Engelberg)。 カペル橋で有名なルツェルン(Luzern)から出るこの鉄道の終点が、ここエンゲルベルクです。 途中シュタンス(Stans)という街を経ていることから、車体側面には大きく「Luzern -Stans -Engelberg 」と書かれており、まさに「LSE」なのです。

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我が国の「LSE」はこれ、小田急の7000形ロマンスカーです。 スイスの「LSE」に乗った1ヶ月後、12月27日から小田急「LSE」の運用が開始されました。

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どちらも魅力あふれる電車でした。

 

 

2020年10月10日 (土)

MünchenからZürichへ

突然ですが、1980年初冬の想い出から。 11月3日、Münchenから鉄路、Zürichに向かいました。 München H.B(中央駅)から急行列車だったと思います。 プラットホームの時計は13:50を指しています。

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ゆっくりホームを離れます。

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と、窓からカメラを構える小生に、手を振って見送ってくれる方がいらっしゃいました。 が、実は小生より前の車両に乗った人を見送っていたのでしょうね。

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ホームを離れる頃、隣のホームには、独特のブルーとクリーム色を纏ったスマートな111形電機がオーストリア国鉄のオレンジ色の客車を牽いて、発車を待っていました。

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小生が乗った列車は徐々に加速、München中央駅を過ぎる頃、オーストリア国鉄1044電機と西ドイツ国鉄103電機が並んで止まっていました。

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中央駅からかなり離れた頃、ICのスマートな電車が留置されているのを見て感激。

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3複線プラス線?の7本の線路が並ぶ区間、架線ビームが日本とは違い、視界があまり遮られません。 DD54のようなディーゼル機関車の重連の列車は、ぐんぐんスピードを上げます。

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オリンピック電車として名が知れた403系電車と併走です。 München近郊で活躍する403系は、窓周りが紺色。 当時輸入されていたレーファ(Rëva)製模型で見ていた通りではありませんか。

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何分乗ったでしょうか、非電化の途中駅で、ワインレッドにクリーム色のストライプ、レールバスの3両編成に出会いました。

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11月3日でもこの地は既に雪が舞う寒さ。 どこの駅だったか忘れましたが、この駅の時計は14:42を示していますので、Münchenから1時間弱の場所です。

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すっかり冬景色となった長閑な地を、DL重連の急行列車はぐんぐん進みます。 非電化であっても線路は路盤が厚く整備された複線で、のり心地は抜群でした。

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コンパートメントの上段窓を下げ、心地よい冷気を浴びて、列車旅を満喫した想い出。 写真整理していて一部は蘇りますが、なかなか全ては思い出せなくて・・・(涙)。

 

 

追記;

ここまでをご覧になったぬか屋さまから「社会主義国の匂いがするトラムが走っていた」とのコメントが寄せられ、自由主義国西ドイツバイエルン州なのになぜ? って伺ったところ、次の画像が別途送られてきました。

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なるほど、そう言われてみれば・・・。

OER3001氏はこの車両には出会いませんでした。 OER3001氏が記憶していたのはこの、多分デュバーグの電車でした。

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あれから40年、東西ドイツの統一から30年たった今、どんな待ちになっているのでしょう。 確かめたくもコロナ禍ではなかなか行くことができません(涙)。

 

 

2020年10月 9日 (金)

今日の一枚 No.83

新シリーズの「想い出の光景」シリーズにするか悩みましたが、この一枚はこのテーマであげることにしました。

1974(昭和49)年初夏のある日、新宿駅2号線に進入してくるのは4000形の4001。 旧HB車と言われた1200形~1400形の主電動機を使い、3両編成で登場した4000形の一部は、ABF車 1600形~1900形の廃車が進むとその主電動機をも使って、一部が5両編成に増強されましたが、この4001編成は5両です。

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地下ホーム10両化の改良工事が実施されていた時で、仮受けした線路上を進んで来ます。

一方で発車後、甲州街道下を過ぎるとすぐ徐行標識。 このポイントは終日良く稼働していたものだと感心せずには居られません。 模型だったらすぐに調子が悪くなったり、脱線したりとなるでしょうね。

 

2020年10月 8日 (木)

想い出の光景:3

これは社会人になって初めての正月でした。

石打の民宿に泊まり、石打丸山スキー場他で滑りまくったと思うのですが・・・、ゲレンデの中腹で暫しスキー放棄。 EF16の補機を頭に、FE58牽く12系客車を捉えました。

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序でにこれも撮らねばなりません。 上越新幹線がまだ無かった時代、ボンネット181系の「とき」は上越線の華でした。

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スキーが目的の旅行だったので、当時のコンパクトカメラでの撮影だったと思いますが、スキーを楽しまずに撮影だけでここまで出かける勇気は、残念ながらありませんでした。

2020年10月 7日 (水)

想い出の光景:2

このシリーズの2回目は此所、判りますか?

踏切左の上方は山手通りです。

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1971年3月14日の小田急線代々木八幡駅です。

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上り線はR203と言う急曲線、通過制限速度は45㎞/hです。

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改札口は下りホーム先頭部、階段を数段下りたところ1カ所でした。 上下線ともホームと電車の間は大きく離れ、乗降時には特に注意が必要でした。

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地下鉄千代田線への乗り入れ工事に伴い、この後上り線を山側に移設し、広がった上下線間に千代田線が顔を出すための改良工事が始まります。

この変化については、また機会を見てご紹介することになるかも知れません。

 

2020年10月 6日 (火)

京阪特急

こんな写真がありました。 ペーパー自作の京阪特急3000系。 

1975年7月、初めて手に入れた自分の城で、友人を招いて模型談義した際の撮影です。

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5階ベランダのアルミ製手摺の上部に置いて。 手摺上部は山形をしていたので内側傾斜、ちょうどインカーブで撮った感じです。 まだPT48パンタグラフは製品化されていなかった時代、PS16の台枠とシューを生かして自作しています。

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どうしても逆光になってしまうのですが、緑豊かな地だったので、背景が生かせないかと苦心したのですが・・・。

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この3000系、本来は3+3の6連にしたかったのですが、力尽きて未だ3両のみ。 6連になる日は来るのでしょうか?

 

 

2020年10月 5日 (月)

想い出の光景:1

新たなシリーズを開始します。 シリーズ名は「想い出の光景」、OER3001氏が二十歳の頃を振り返ってみたいと思います。

第1回は小田急線新宿です。

新宿1号踏切と称する踏切は今もありますが、布巾の様相は一転してしまいました。

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南新宿駅下りホーム後端からの眺めですが・・・、

今は南新宿駅そのものが200mほど移動していています。 それは、10両編成対応ホーム改良に際し、地下線の勾配改良に伴い、地上線/地下線分岐器を120m程移動したために、この踏切は4線越えになりました。

左方には貨物ホームがあり、ちょうど1300形の新聞電車に夕刊を積み込んでいました。

地下線から上がってきたのは4000形、4066を頭にする3両編成は新造5ヶ月後の姿です。

今はサザンテラスが被さって、空は仰げなくなってしまいましたが、この時代はバックに中央緩行線の黄色い101系や小田急百貨店ビルも見られました。

因みに地上ホームは特急・急行用というスタイルは今と同じ。 屋根上にクーラーを搭載する前の、すっきりした姿のNSEは華でした。

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残念ながらネガカラーフィルムは変色してしまいました。 補正を試みましたが、OER3001氏のスキルではこれが限界でした。

2020年10月 4日 (日)

息抜きの筈が・・・

息抜きに始めたハンダ付けでしたが・・・、

無様なカタチのまま中途で放って置くのも気になるので、とりあえずハコにしてしまいました。

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窓枠付けて、正面付けて、オデコを載せて。

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流石に完成品メーカーの製品だけに、パートの女性でも難なく組めるように、良く設計されたキットです。

さて、ここで暫く中断することにします。 ディテール工作に掛かると息抜きとは言って居られなくなりますから。

 

2020年10月 3日 (土)

今日の一枚 No.82

一年前の10月3日、溝の口駅で電車を待っているときに撮った一コマ。

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大井町線の9000系が、引き揚げ線に向かう折、ちょうどやってきたのは営団8000系。 今は東京メトロですが、この車両が生まれたときは営団。 まもなく引退とのことで、こうした日常のあたりまえだった光景も、時代とともに確実に変化して行きますね。

2020年10月 2日 (金)

行ってみました武蔵新田へ

あまり乗ることが無い東急多摩川線ですが、首都圏の路線としては今時珍しい、3両編成の電車が走っています。 しかも全長20mではない18m車で。

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しかしながらOER3001氏にとっての「東急タマガワ線」はこの電車が走っていた玉川線、いわゆる玉電でした。

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同じタマガワ線でも、玉川線と多摩川線の違いは大きいです。

それでもタマガワ線という同じ読み故か、多摩川線には昭和の香りが感じ取れます。 この駅も、模型化にはほどよい駅舎。 ムサシシンデンではなくムサシニッタです。

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同好諸氏からの情報で、最近開店となった此所へ行ってみました。

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毎週木曜日に加え、4の日だけしか開店しないというアンティークショップですが、なかなか興味深い鉄道模型があふれています。 結局この日は、これ買ってしまいました。 台車2両分。

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懐かしいアーチバー台車です。

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想い出の「あだたら号」擬きに使用した台車と同じようです。 調子が悪くなった時の交換用としておきます。

買い物済ませて駅に戻れば、またこの電車。 終日往復していたようです。

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電車に乗る前に、武蔵新田駅界隈で昼飲みできる店を探索。 見つけた中華料理店で、生ビールに焼売他で、友人と楽しいひとときを過ごした次第でした。

そして気づけば、この日は中秋の名月だと。 急いでベランダから撮りました。 40倍ズームはなかなかのものです。

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明日も良い日でありますように。

 

 

 

2020年10月 1日 (木)

ロムニー鉄道

英国のドーバー海峡沿岸の海岸線を走るロムニー・ハイス・アンド・ディムチャーチ鉄道ではありませんが、同社とともに美しい湖水地方の森林を走るレイブングラス・アンド・エスクデール鉄道の2社の協力を得て、1990年に修善寺に開園した「虹の郷」園内を走る軌間15インチ、全長2.4㎞の鉄道です。

なんと言っても目玉は蒸気機関車(OER3001氏はSLとは言いたくありません)です。 この機関車はNorthern Rock II(ノーザン・ロックⅡ号 )と名付けられたもので、1989年レーブングラス・アンド・エスクデール鉄道製とありますが、同社で使用されていたものを譲渡されたものなのでしょうか。

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OER3001氏は、開園から間もない1993年8月に初めて訪問しました。

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きれいに磨かれた蒸機は、電車好きのOER3001氏でさえ気に入ってしまいました。

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蒸機は投炭、給水などの運転整備に時間がかかるようで、朝方はディーゼル機関車が登場することが通常のようでした。 当時「SL列車が走る虹の郷」と宣伝していたこともあり、開園時間早々に訪れたのに、走っているのはディーゼルのみ。 事務所にクレームを付けに行ったら、午後から走らせますとの回答でした。

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とは言えこちらのディーゼル機関車もなかなかのもの。John Southland II(ジョン サウスランド Ⅱ号)と名付けられ、1988年のT.M.A社とあります。

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赤い客車を牽いて走る姿は好感が持てます。

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昨年、運営していた「伊豆市振興公社」が、同園の経営難を理由に運営から撤退したことから、存続が危ぶまれましたが、新たな指定管理者の元で運営が継続されたようで一安心です。

機関車は蒸気機関車2両、ディーゼル機関車2両の4両が在籍、常時2両で運行している筈です。 既に子供も親となったので、今度はゆっくり訪問してみたくなりました。

 

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