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2020年10月28日 (水)

たまには蒸機を

OER3001氏は、小田急に限らず鉄道が好きなシニアです。 蒸気機関車を今風に「エスエル」と言わずに「蒸機」と言うファンです。 「エスエルに乗ってきた」なんて話す一般人は許せません。 酷いのは非電化区間を走る気動車を「電車」と言うのはまだ良いとして、「今度の電車はエスエルだって」って何!?

「エスエル」と言うなら「ディーエル」も「イーエル」も、そして「イーシー」「ディーシー」もご存じなのでしょうね!

と小言はこの辺にして、OER3001氏にとっては「C61 20」には想い出があります。 「C61 20」に出会ったのはこれが最初でした。 大学の入学式を前にして、北海道、東北に撮影旅行していた1969(昭和44)年4月、奥羽線の陣場~津軽湯の沢間で。 

C6120_19690401_20

この時は然程の知識が無く、今でもお付き合い頂いている詳しい友人の立てたプランに従って、行動していました。 この時は朝、青森県側の津軽湯の沢駅を降り、撮影しながら県境を越えて、人生初の秋田県入り。 湯の沢駅から青森県側に引き返したと記憶しています。

それが・・・、東日本大震災があった2011(平成23)年に復活することになって、何はともあれ再会を果たしたいと出かけたのでした。

高崎駅の出発をホームで見送り、水上で待ち受けました。

20110816_0036_25

当然、これで終わることは無く、帰路をどこで撮るかといろいろ考え、上越線らしい場所を選ぶことにしました。

20110816_0128_25

この時は然程のフィーバーは無く、ゆっくりと撮ることができたのは幸いでした。 欲を言えば、上り勾配で煙りモクモクを撮りたかったのですが、喧噪の中に身を置く勇気がないもので・・・。

 

 

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鉄道(国鉄・JR)」カテゴリの記事

コメント

小生もエスエル(SL)という表現は嫌いです。やはり蒸気機関車というべきで、せいぜい許せるのは「缶」・「罐」でしょうか。
ところで、C6220とありますが、奥羽線にはC62は走っていません。画像でもC61なので、C61ではないでしょうか。
碇ヶ関には、1970年に訪れています。

私もC6120に初めて会ったのは矢立峠でした。まさかそのカマが復活するとは思いませんでした。C57よりボイラが大きい大型蒸機のほうがダイナイックで好きです。C62の大きさには圧倒されてしまうので、バランスの取れているC59、C60が一番好きです。

八千代運転所 さま
ご指摘ありがとうございます。 早速修整させて頂きました。 どうしたことか、無意識のうちに「2」のキーをたたいていたようです。 お恥ずかしい限りです。

ぼっちぼち さま
やはりそうでしたか。 当時は無くなるからと必死で勇姿を記録していたのに、まさかでしたよね。

 SLなんちゃらという雑誌に関わっていたけど、これは仕事と割り切りました。地方に行けばいまでも国鉄(JR)は汽車、私鉄や路面電車が電車という区別もあります。蒸機列車は細かい前後動なんかもあるので快適とはいえず、見て、撮影して楽しむものと理解しています。
*駅名、陣馬ではなく陣場です。

モハメイドペーパー さま
駅名誤表記のご指摘ありがとうございます。区間も間違っていたようで修正しました。

さすが幅広い鉄道愛ですね。アタシなんかSL(失礼)撮ってても近くの電車が気になって、お仲間と別れて一人お電車撮りに行っちゃう病気=架線レスシンドロームという不治の病持ちです。

Cedar さま
鉄道愛・・・、なるほど、思ってもいませんでしたがありがとうございます。

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