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2020年11月

2020年11月30日 (月)

さよならネガフィルム

春先から続くの新型コロナウイルス感染の驚異は、感染防止策の一つとして外出自粛を余儀なくされました。 この機会を利用して始めたフィルムのデジタル化は、5月28日にポジフィルムを完了した後、ネガフィルムに移行していました。

それが6ヶ月後の11月28日、全てのフィルムデジタル化が完了しました。

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シコシコ進めて完了した数は画像の通りで、OER3001氏が幼児の頃からのものも含め、古いものは缶、比較的新しいものはプラスチックのネガケースに収められていましたが、缶を開けると独特の暗室の匂いが充満しました。

記念写真を撮った後は、焼却ゴミ用の袋に入れて、市の収集に委ねることにしました。

さようならネガフィルム、そして我家から全ての写真フィルムが無くなりました。

 

 

2020年11月29日 (日)

大雄山へ

開成でクヤ試運転の撮影後は小田原まで足を伸ばし、久しぶりに大雄山線に乗ってみることにしました。

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発車を待っていた電車はこれ、5005(Mc)-5006(M)-5503(Tc)という編成です。

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ヘッドマークを掲げていますが、それはこれ。 伊豆箱根鉄道グループが100周年だそうです。

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驚いたのはその大雄山線の「0」キロポストは車止めの位置に立っていて、駅中央では無いのです。 何度か訪ねている大雄山線でしたが、これまで気づきませんでしたし、もしかして全国的にも珍しいのでしょうか?

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終点の大雄山駅まで乗り、駅構内を見渡せる踏切に回りましたが、折しもそこに下り電車が入線してきました。

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興味があったのはここに止められているコデ165でした。 パンタは下ろされていても、全貌は綺麗に見ることができました。

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向こう側にも回り、ちょっと民間の駐車場から撮らせて頂きました。

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全車両がステンレスの5000系になった今の大雄山線ですが、OER3001氏の思い出は所謂17メートル旧型国電ばかりだった頃。 写真を探していたら165ではなく153のカラーがありました。 まだ架線電圧が1,500Vでは無かった1971(昭和46)年11月、大雄山駅構内での撮影です。

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このモハ153の元は国鉄クモハ11 499で、同じ国鉄からの譲受車クハ16 525、クモハ11 462から転じたクハ182、モハ156と3連を組んでいました。

現存のコデ165は、純粋な国鉄からの譲受ではなく、架線電圧昇圧後に譲受した相鉄モハ2024なのです。

いかん、いかん、旧型国電に想いを寄せては。 また作りたい題材が増えてしまいそうで・・・。

 

 

 

2020年11月28日 (土)

クヤを撮る

普段走らない時間でクヤが走ると聞いて、ちょっと出掛けてきました。 車両検査後の試運転のようです。

降りたところはここ、左奥の駅前広場で3100形NSE車が出迎えてくれます。

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到着した時間から、クヤ通過予定時間まであまり余裕が無かったので、いつもとは違う方向に歩いて先ずはこれ。 あいにくの曇り空で、シャッターが流れてしまいました。

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小田原からの折り返しを狙う場所を決め、先ずは練習です。 曇天だとGSEの赤もイマイチです。

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で、本命が来ました。 クヤは殿なので真横を狙いました。

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折角来たのだからと、その後直ぐにやってくるGSEも撮りました。 拡大して見たら座席はほぼ埋まっています。 しかもみんな口元がマスクで白いではないですか。 なんとも時勢を捉えた写真になってしまいました。

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これでこの日の計画は達成したのですが、このまま帰ってはもったいないと言うことで、この後気ままに歩くことにしたのですが、その成果はまた別途ということに。

 

 

2020年11月27日 (金)

常磐線のC62

ここのところ度々煙を取り上げていますが、今日は高校生の頃の記録から。

1967(昭和42)年の春休み、蒸機に詳しい社会人の方に同行して下りの急行「十和田」に乗りました。 何号だったか記録がありませんが、平から牽引機はC62 47に代わりました。 力強い音で深夜の静寂の中を進んだ列車を原ノ町で 降り、機関士に断りって線路に降りての撮影です。

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給水で停車中の姿をバルブ撮影してみました。

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反対側の上り線には荷物列車が到着、牽引機はC62 24です。

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この後、上り列車に乗って平に引き返しています。 C62が所属する平機関区訪問のためでしたが、特急「ゆうづる」を牽引してきた姿を収めなければなりません。 ただこの平駅は東西方向の配線のため、もろ逆光。 しかもとんでもなく良い天気。 ホーム上の構築物でなんと陽を遮って撮ったものです。

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C62 22号機は客車を切り離し、平機関区へ移動して行きます。 牽引機はEF80 35に代わり、上野目指して発車して行きました。

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それにしても機関車の先頭部を飾る特急ヘッドマーク、「ゆうづる」はいいな~。 一番好きなデザインです。

 

 

2020年11月26日 (木)

想い出の光景:9

ハーフサイズカメラのCanonDemiを買ってもらって、最初にカラーフィルムを装填しての撮影がここでした。 時は1966(昭和41)年10月のある日。 今は地下駅となった東北沢、地下鉄千代田線との相互直通運転のための改良工事が始まる前は、各駅停車は副本線で優等列車の通過待ちをするため、対向式ホームの間に通過線を備える構造のため、電車の撮影には好都合な駅でした。

今更ですがデジタル世代のために一言。 当時の35㎜サイズフィルムは、12枚撮り、20枚撮り、36枚撮りが売られていて、一番安価な12枚撮りで24枚撮れるというのがハーフサイズ。 今日は何枚必要か?なんて心配をしていたこと自体、デジタルの今日では理解できないことでしょうね。 

ところが初めてのカラーフィルム、もっとも安価な12枚撮りを買ったのですが、現像プリントの段階で思わぬ出費に。 当たり前ですがプリント代金は枚数分ですから。

スキャンしたフィルムがかなり黄変していたので修正しています。 当時の最新型2600形NHE車が待避、3000形SE車の「さがみ」が駆け抜けていきました。 何故かこの頃は非常用連結器を出したままでの運用でした。

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まだABF車も全車大活躍の時代。 1910形の各駅停車が入線、急行通過を待避しています。 ハーフサイズと言うこともあり、ピントも甘く車番が確認できませんが、編成の姿からして新宿方から1911-1961+1912-1962と推察できます。

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高架化、地下化、ホームドア設置など、駅での撮影もしづらくなりましたが、この時代が懐かしく感じる次第。 模型の製作題材もこの時代の車両に惹かれます。

 

 

2020年11月25日 (水)

大井川鐵道を訪ねて

今や大井川鐵道と言えば、きかんしゃトーマスを模したSL列車で有名ですが・・・、

50年前の年の暮れ、趣味界の大御所にお声掛け頂いてご一緒したことが良き想い出です。 こんな“新車”が搬入されたと聞いてのことでした。 前照灯がカッコイイですよね。

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最大の特徴は寸又峡温泉への誘客のためか、車体に描かれた色っぽいイラスト。 

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いつか、これを模型製作するかも知れないと思い、一通りの写真を撮っておきました。 大鐵では海、山ではなく何と呼ぶのでしょうか、こちらは金谷に向かって左側。

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こちらが金谷に向かって右側です。 

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台車はD-18。

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このモハ310、クハ510と組んだ2両編成ですが、名鉄3800形を譲受して改装したもので、なかなか好ましい姿でした。

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オール転換クロスシートで、大井川を眺めながら走ることになるのですが、残念ながら営業列車には乗らず仕舞いでした。

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しかし模型的には実に好ましい電車だと思っています。 我が社の工場は満杯なので、この電車に取り掛かることは叶いそうにありませんが。

 

 

2020年11月24日 (火)

首都圏最後の煙と聞いて・・・

D51 791が爆煙を上げて通過します。 なんとここは有楽町駅、ホームにはその姿を一目見ようと集まった人、ひと、ヒト。 1970(昭和45)年10月18日、日曜日のことでした。

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高島線の電化により10月1日、蒸気機関車の通常運行が終了したことから、10月10日、11日、18日の3日間にわたり、東京-横浜間で「さよなら蒸気機関車号」が運転されました。 その最終日に様子を見に出掛けました。

喧噪の中、有楽町で見届けた後、やって来た京浜東北線に乗り、追いかける算段でした。 ここは大井町手前だと思われますが、敷地内に多数の群衆。 こんなことが許されていた時代です。

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やっと追いつきました。 最後尾はスハフ32のようです。

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やっと、追い越せたので振り返ってシャッターを。 ここでも犬走りにまで人が! それでも規制されること無く、蒸機列車は力強く前進します。

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機関車はかなり後方に行ってしまいました。

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京浜東北線電車が蒲田駅に停車しようと速度を落としたとき、「さよなら蒸気機関車」の大きなヘッドマークを掲げて追い抜いて行きました。

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これで遂に、首都圏で蒸気機関車は見られなくなったと思ったら・・・、

1972年には鉄道100周年記念列車としてC57 7が、1980年に横浜開港120周年でC58 1が牽引する列車が走ることになったのでした。

磐越西線に出掛けたのを機会に、ちょっとだけ蒸気機関車のネガを探してみました。

2020年11月23日 (月)

秋の色

コロナ禍で我慢の3連休と言われている中で22日、近所の紅葉を楽しみました。

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紅葉の色を撮るには逆光が一番です。

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木によって紅葉の進み方に差があるときが、いろいろな色が楽しめます。

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同じ木でもアングルによって見え方にも変化します。

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風が強かったお陰で抜けるような青い空、コントラストが素晴らしかったです。

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たまには鉄道とは無関係な内容ですみません。

 

2020年11月22日 (日)

想い出の光景:8

時は1970(昭和45)年 4月5日のこと、長閑な田園地帯で華やかなロマンスカーNSE車のすれ違いです。 

ここがどこだか判る方はかなりの年配者かと思います。 線路と平行している道路は津久井道です。

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同じ年の秋、11月8日にほぼ同じ場所で撮影していますが、田圃には刈り取った稲が干してありました。

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この場所はその後、手前左方にカーブしている線路をカメラを構えている場所方向に直線とし、新百合ヶ丘駅の新設、多摩線建設と変わって行きました。 建設工事の進捗と共に木々は伐採され、立ち入ることができなくなってしまいました。

今は川崎市麻生区万福寺1丁目17−1、小田急アコルデ新百合ヶ丘北館の辺りと思われますが、この眺めが気に入って、何度か撮影に訪れていたものでした。

 

 

2020年11月21日 (土)

1972年の小田急集合

ちょっとした縁があって、TMS誌上で有名な土屋一生氏製作のNSE車を我家で一時お預かりした際に、未だロマンスカーを作っていなかった身としては、記念撮影しておかなければなりませんでした。 1972(昭和47)年5月19日のこと。

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小道具として実車の社紋、OER、急行サボを並べてみました。 黄色と青からケープアイボリーにロイヤルブルー帯への塗装変更で、帯に架かるサボと社紋が外されることになり、当時の広報課の方のご厚意から頒布頂いたお宝です。

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小道具無しでの並びも撮っていました。 センターは4000形ですが、NSE車とHE車は編成を分割して先頭車を並べているのはお許しを。 この時の最新作は左端の1800形でした。

 

 

2020年11月20日 (金)

今日の一枚 No.89

今般の撮影行は、蒸気機関車牽引列車の撮影が目的ではありましたが、一方で世代交代も実感しました。

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磐越西線・馬下駅午前10時、新型のGV-E400の上り列車と、在来のキハ110の下り列車の交換となりました。

キハ110を旧型と呼ぶのには些か抵抗がありますが、新旧のツーショットも束の間となるかも知れません。

 

 

2020年11月19日 (木)

磐西門デフC57撮影合宿2日目

2日目の朝はここ、馬下保養センターで迎えました。

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朝の温泉に入って気分爽快、前日に調達したサンドイッチの朝食を済ませ、合宿に新たに加わるメンバーをお出迎えのため、馬下駅に向かいます。

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お仲間が乗った列車は9時59分、定刻に到着です。

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その列車はここ馬下駅で下り列車と交換、10時03分に発車して行きました。

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お目当ての門デフC57はこの後にやって来ます。 10時33分、先ずはホーム進入を狙います。 朝陽を受けて輝いています。

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ゆっくり構内を通過して行きました。 さて、この後から過酷な修行が始まります。 

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最初は鹿瀬-日出谷間の第一平瀬踏切で待ち受けます。 が、既に多くの同業者で、駐車も少々離れた場所にしか叶いません。 従って、撮影ポイントまでは走りが必須となりますので、まさに運動部の合宿です。 11時42分無事撮影できました。

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次なる撮影地は豊実-徳沢間。 阿賀野川の対岸を走る姿を狙います。 11時58分でした。

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直ちにカメラを収納してクルマに戻ります。 主催者の巧みなドライブテクニックが功を奏します。 そして次なる撮影地は荻野駅の進入、12時32分でした。

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そろそろ昼食、なんてことは誰も口にしません。 有名な一ノ戸川橋梁へ急ぎます。 12時53分、定刻でした。

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因みに、撮影者のクルマが数珠繋がりで駐車しているところに列車通過予定時刻の2分前、「こちらは喜多方警察署、通行の邪魔になっているので直ちにクルマを移動してください。クルマのナンバーは控えています。」とミニパトカー。 しかし2分目ではみ~んな無反応、無視。 意地悪な警察ですよね。

真横を撮ったらこの通りの人、人、人でした。 念のためこの場所には駐車禁止標識はありませんが。

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この地の道に詳しい主催者が最後に向かった場所は、架線のある笈川-堂島間。 13時26分、磐梯山をバックに横位置で狙います。

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喜多方ラーメンも相当な行列であることを予想し、また帰路の渋滞回避のため、下り列車撮影を諦めて、ここで撮影終了。 遅い昼食は磐越自動車道に入った後、 磐梯山SAで会津ラーメンを頂きました。

好天にも恵まれた1泊2日の合宿、企画してくださったIさん、ありがとうございました。 また現地で合流したAさん、Oさん、大変お世話になりました。 大変素晴らしい2日間となりました。

 

2020年11月18日 (水)

磐西門デフC57撮影合宿1日目

過酷な合宿、最初の場所は三川-津川間の多賀神社境内から。 11時08分のことでした。

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次がここ鹿瀬-日出谷間の阿賀野川に架かる橋梁で11時44分。 列車は遅れ気味でした。

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ちょうど風向きがこちらを向いていて、走り去る列車の煙で右方の住宅が覆われてしまいましたが、洗濯物には煤が付いたことでしょう。 上り列車の撮影はこれにて終了。

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この後は山都-喜多方間の川吉踏切近くで動画撮影、そして昼食。 あべくまさんによる座席確保のおかげで、地元で有名な「やまと路」で美味な蕎麦をゆっくり楽しませて頂きました。

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そして人気者の素敵なお嬢さんにお願いして、3人で記念撮影です。

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ゆっくりした昼食後は下り列車を狙います。 4番目の撮影地は架線の下ですが、磐梯山を背景に15時56分。 喜多方-塩川間のどの辺りだったのか、クルマに乗せてもらっていたので判りません。

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撮り終えたら直ぐクルマに乗れとのご指示に従い、5番目の撮影地、山都手前の一ノ戸橋梁に向かいます。 ホントにギリギリ、到着したときに右方から列車が顔出して来るタイミングに慌ててシャッターを切りました。

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ここも即座にクルマにとのご指示に従って、次なる撮影地に移動です。 6番目の撮影地はとっぷり陽が落ちた野沢駅。 この日、終日遅延していた列車は16時41分に発車して行きました。 暗いしアングルも良くないので撮影は諦め、発車シーンは動画撮影としました。

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さてさて、一日が終われば反省会。 喜多方のスーパーで食材調達、宿泊地近くのコンビニでアルコールと翌日の朝食を調達。 合宿主催者持参の電気鍋で夕食です。

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鍋が温まる前にとりあえずカンパーイ! 反省会の始まりです。

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出汁が出るように最初は魚介類とキノコ類から。 煮えてくれば写真など撮っている余裕はありません。 基本は反省会ですからね。

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十分反省し尽くした頃には、地元に敬意を表して麒麟山を頂きました。

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と言うわけで、夜は更けていきました。

 

 

 

2020年11月17日 (火)

磐西門デフC57撮影合宿に参加

鉄道ファンを自認する身ですが、だからと言っていわゆるSL列車に熱狂しないOER3001氏が、その熱狂する現場を見ておくのも一度は良いかと思って、表題の通りとなりました。

まだ暗い早朝、5:28発の区間急行に乗ります。

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プラットホームに上がると、下り線に到着したのはサンリオフルラッピングトレインでした。

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OER3001氏が乗る8000系が到着です。

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新宿へは行かず、途中の桜上水で下車。 合宿主催者のクルマがお待ちです。 首都高を進む中、東の空が明るくなり始めました。

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途中休憩もその回数節約、東北道から磐越自動車道路を進むうち、磐梯山が綺麗に見えてきました。

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最初はここで始まりました。 早速新型車両がやってきました。 当然ここでの本命は門デフC57ですが、それはまた後日と言うことにして・・・。

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撮っては移動、撮っては移動と慌ただしい行動です。 そんな中で電車も撮り、本命を待ちます。

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やってきた門デフC57を磐梯山バックに捉えました。

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ここでの撮影は、福島県在住者との3人で仲良く。 その証拠はお日様がご覧になっていました。

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その後には斯様な場所へ移動して撮影、ものすごい人出でした。 

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一日の修行を終えて、温泉に浸かります。 そして一日の反省会が始まりました。

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成果は別途、ご報告させて頂くこととして、取り急ぎのご報告までとさせて頂きます。

 

 

2020年11月16日 (月)

二子玉川園駅

今は田園都市線と呼ばれる地下線の渋谷~二子玉川間の開業は1977(昭和52)年4月のこと、新玉川線と呼ばれていました。 当時、二子玉川は二子玉川園、“園”が取れたのは2000(平成12)年のこと。

今は大井町線が利用している2・3番線が、新玉川線ホームでした。 構内に妙なY字ポイント2組を設け、一旦は単線になってから2線に分岐するという構造だったのが思い出されます。

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なんでこんな妙な廃線配線になったのか? 後日、銀座線を二子玉川園へ延長し、ここで折り返すという構想もあったことを知りました。 

結果として、大井町線との交差も上下逆転となる大改良工事が行われ、今日の姿になっています。 

 

2020年11月15日 (日)

今日の一枚 No.88

今回はこれを、蒸気機関車C57。 しかも形式と同じ番号の57号機です。

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実は、撮影年月は標記の通りなのですが、撮影場所が思い出せません。

判っているのは室蘭線で、有珠や礼文で撮影していた時のものと言うことだけ。 何方かここがどこの駅だかご教示頂けたら嬉しく思います。

 

2020年11月14日 (土)

地下鉄博物館のジオラマ

鉄道の博物館での魅力の一つは模型が走るジオラマですが、「地下鉄」ということもあってその設計には悩んだものと思われます。 ほとんどが外からは眺められない地下なのですから。 こちらがその「メトロパノラマ」全景です。

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定刻になると女性スタッフが登場、制御盤の「全自動運転」スイッチを押すだけで朝からの一日が繰り広げられます。

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先ずは第3軌条集電の銀座線と丸ノ内線は赤坂見附で並びますが、この場面ではどちらも過去の車両たち。 

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でも心配無用、最新型車両の新1000系、新2000系も複線の反対周りに登場します。 両者は同じ車両基地で並びます。

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車両基地には歴史的な車両もしっかり保存されていました。

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日比谷線には13000系が登場、日比谷駅に停車中です。

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東西線にはワイドドアの15000系、千代田線には引退した06系。

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千代田線の06系が快走する左側の線路は南北線、9000系でした。

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副都心線10000系、半蔵門線8000系の走行を撮ることはできませんでしたが、車両基地で並んでくれました。

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この他に有楽町線7000系もちゃんと走っていましたが、残念ながら撮影は叶わずでした。

いずれにしても平日は本当にゆっくり楽しめます。 リタイアされたシニアの方は是非、ウォーキングがてらに足を運ばれることをお勧めします。

 

 

2020年11月13日 (金)

お茶の水の風景

先般の地下鉄博物館訪問、館内で見入ってしまったものがこれでした。 1/80のお茶の水風景です。

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これは・・・! なかなか見応えあるものではないですか。

お茶の水橋聖橋から眺めたらこんな感じですよね。

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昌平橋方向からはこんな感じですよ。

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ドローンで上がればこんな様子なのでしょうね。

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国鉄の中央線、総武線に101系大活躍の時代、丸ノ内線には赤い500形が主力だったと思いますが、ステンレスアルミの02系が居たかどうか? なんてことはどうでも良いかも知れません。

平日で空いた館内、すっかり立ち止まって見入ってしまいました。

 

 

2020年11月12日 (木)

美しい街路樹

木々が色づいて綺麗なこの季節、1980(昭和55)年のZürich(チューリッヒ) Bahnhof Straße(バーンホフシュトラッセ:駅前通り)の並木を思い出します。 奥の重厚な建築がスイス国鉄のチューリッヒ中央駅。 その前からのこの道路は路面電車と歩行者専用という素晴らしさです。

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初めてこの地を訪れたのは1979(昭和54)年の夏でした。 僅かな夏休みを利用して駆け巡ったヨーロッパ鉄道の旅での一コマ。 ここはスイスの中心都市なんだなと感じさせる国旗が、電車道の上に飾られて居たのが記憶に残ります。

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人々は電車道を行き交い、お洒落な店舗や飲食店を楽しんでいました。

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翌年の晩秋に再訪問したら、青々と茂っていた街路樹はすっかり黄色になっていました。

こんな素晴らしい電車道が、日本でもあったら良かったのに・・・ね。

 

 

 

 

2020年11月11日 (水)

東北観光号で福島へ

1967(昭和42)年5月 20日の昼前、山形駅1番線に入線してきました。 初めて目にした修学旅行電車のカラーです。

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わくわくした気分で乗り込んだ後、プラットホームの光景を納めています。 向かい側の貨物ホームにはワムと荷物客車が停車していたり、「特急つばさ」乗車位置表示やや清酒「男山」の広告板が付いた灰皿があったり。 台車で運んでいるのは小生らの弁当だったのかも知れません。

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座席に座ってから山形駅構内に目を向けます。 隣のホームには2両編成の気動車、さらに向こうのホームに見える狭幅窓の客車はスハ32でしょうか? 左沢線なのかな?

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山形発車! 前方のポイントに差し掛かると、車庫から出てきた気動車とすれ違いました。 先頭はキハ22でしょうか。

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エンジン全開、速度を徐々に上げているとき、振り返ると特急用のキロ80のようなのが止まっていました。 その奥の扇形機関庫内には気動車ばかり。 山形機関区だったのでしょうね。

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こうして車内で興奮しているうちに、速度を落としてどこかの駅に侵入したと思ったら、そこが上山(かみのやま)とい温泉地の駅。 前回取り上げたDF50の540号機に出会った次第。

Df50

再びエンジン全開で単線を駆け抜けます。 窓全開でディーゼルの香りが全身に降り注いできます。

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だんだんと勾配がきつくなり、速度が下がります。 スノーシェッドに突入しました。

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これを額田かと思えば、行く手に再び。 後年になって知るのですが、ここが板谷峠だったのでした。

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客車列車と交換しましたが、ここが峠駅だったか板谷駅だったか、写真から判断できず残念です。

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今では標準軌になって新幹線が駆け抜けるようになりましたが、今でも秋には落ち葉で列車が走れなくなることがあると、信じられないような現実がある区間だけに、それは素晴らしい車窓でした。 やがて赤い機関車ED71やED75が佇む機関区が見えました。

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続いて遙か向こうに、ベージュ色とローズレッドの電車がいる車庫を見つけました。 福島交通飯坂線だと思われます。

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プラットホームに停車したら、隣のホームがその飯坂線の発着ホームであることが解りましたが、この時は電車を間近で見られませんでした。

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間もなくして、東北観光号は福島駅のホームを後にして、一路上野に向かいます。

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この後も、36枚撮りフィルムを装填したハーフサイズカメラのキャノンDemiで、車窓を撮り続けていたようです。 鉄道好きの小生のために、ボックスシートの同級生も良く協力してくれたものです。 54年の歳月を経て、ピンボケでどうしようも内写真ながら、改めて若き日が蘇ってきました。

 

2020年11月10日 (火)

東北観光号

高校生活2年目の1967(昭和42)年5月、修学旅行の予行演習などと比喩されていた東北地方への旅行がありました。 その帰路に利用したのが「東北観光号」という気動車の団体専用列車でした。

Hm

始発は山形駅、35㎜ハーフサイズカメラのキャノンDemiで撮っていた記録によれば、乗車したのはキハ58 507。 修学旅行用の155系同様の塗色だった記憶がありますが、モノクロフィルムではどうにもなりません。 この時代は乗務員さんの許可を得て、発車前の線路に降りて撮影が叶いました。

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ほのぼのとした良き時代でした。 山形駅1番線と思われますが、ホーム先端には蒸気機関車への給水設備があります。 線路にはピットがありますが、灰落とし用だったのでしょうね。

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前方をみれば左側に貨車の留置線。 腕木式の出発信号機と、今の新幹線「つばさ」が行き交う光景とは別世界です。 操車場に時計がありますが、湿している時刻は残念ながら判読できませんが、10時半頃なのでしょうか。

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「急行」とは言え、気動車で奥羽線の勾配区間を行くのですから、速度なんて期待できないし、上野までの所要時間たっぷりでしたが、それが高校生にとっては楽しい車内になったようです。

上山駅到着の際、DF50 540が牽引する普通列車と交換しました。

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この先、板谷峠に挑むことになりますが、その様子をず~っとカメラに収めていたようです。

 

 

2020年11月 9日 (月)

地下鉄博物館へ

秋晴れに誘われて出かけた先は、コロナ禍の平日でさぞ空いているであろうと期待して、東西線は葛西駅高架下の地下鉄博物館に足を伸ばしてみました。

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入場料金は220円、パスモで購入できます。 ゲートを入るとまず出迎えてくれるのがこの赤い電車。

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その隣には歴史的な黄色い電車。 どちらも来館者が少ないコロナ禍の平日と言うこともあって、誰にも邪魔されること無くゆっくり観察できます。

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Uターンするカタチで順路に沿って進めば、東京地下鉄道の100形カットボディがあります。 改めて観察して、この電車を気に入ってしまいました。

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その近くには、多分これが一番新しいカットボディーと思われる、引退してから日が浅い銀座線の01系が。 コロナ禍の制約から車内には入れませんでした。

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最後のカットボディーが実は、一番楽しいのです。 千代田線から引退した6000系は運転シミュレーターになっています。 来場者も少なく、思いがけず係員からどうぞどお招き頂き、一駅間の運転に挑戦できました。

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計器盤に速度60㎞/hとの指示。一気に4ノッチまで入れて加速すると、シートが振動して実感的です。ノッチオフして暫く蛇行すると上り勾配と思われ56㎞/h程度に低下したので再度ノッチイン。 これを2回行ったら、右カーブして右方にプラットホームが見えましたので、ブレーキハンドルを3、4と引き、徐々に緩めて速度調整。 なんと、ぴったり停車位置に止められたことに大興奮でした。

ここは初めてではありませんが、平日に訪れたのは初めて。 平日の博物館はサイコーです。

 

 

2020年11月 8日 (日)

TOKYO 1964

戦後生まれのOER3001氏の世代にとって東京オリンピックとは、1964(昭和39)年に開催された第18回の印象が大きいです。 

戦争で荒廃した国土復興は、1958(昭和33)年には本州と九州を結ぶ海底トンネル・関門自動車トンネルが開通し、東京タワーが完成、特急「こだま」の運転開始と、少年の眼を輝かせてくれるようになりました。

さらに1962(昭和37)年には、我が国で最初の高速道路として、今の首都高・京橋~芝浦間の開通、翌1963(昭和38)年、名神高速道路・ 栗東IC - 尼崎IC開通。 そして1964(昭和39)年、東京モノレールと東海道新幹線が開業。 オリンピック開催を迎えました。 東京の街中がオリンピックに沸いていました。

そんな光景を記録していた亡き父が残したフィルムの中に、小田急新宿駅がありました。

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オリンピック開催期間内の撮影と思われ、ハーフサイズフィルムのキャノンDemiでの撮影です。

1号線には前年に就役したばかりの新型ロマンスカー3100形NSEが停車中ですが、構内にはオリンピックの装飾が溢れています。

そう言えば、小田急初の大型通勤車としてこの年に就役した2600形NHE車はつり革の数が多く、つり革の輪を5輪色にしていた編成がありました。 いや、もしかしたら5輪色のつり革は他の車両でも実施していたかな? 定かではありませんが間違いなく、赤・黄・緑・青・黒の5色つり革があったことは間違いありません。

せっせと進めているフィルムのデジタル化、いろいろな想い出が蘇ります。

 

2020年11月 7日 (土)

初めてのカメラと小田急電車

メイカイフレックスというカメラをご存じだろうか? 戦後の1948(昭和23)年頃から製造された2眼レフだが、主に小学生用だったらしい。

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これを1961(昭和36)年頃、知り合いの大学生から頂きましたがその大学生は、少年の時に雑誌の懸賞で当たったものだと言っていました。 大切にされていたもののようで、本革のケースを開けると内側に毛筆で住所と名前が丁寧に記されているものでした。

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本体はこのようなもので、「写真を撮るには絞りとシャッター速度を決めてね・・・」と説明を受けるのですが、絞りはf6.3、11、16の3段階、シャッタースピードはS、B、25と表示された3段階、ピントは固定焦点のようです。

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裏蓋を開けてフィルムを装填しなければなりませんが、使うのはボルタ判という画面サイズ24×24㎜のもの。 パトローネに装填されて居らず、裏紙があるタイプでしたので、小学生では取り扱いにも 神経を使いました。

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フィルムのブランドは“みのりフィルム”。

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嬉しくて嬉しくて、小学5年生だったOER3001氏は早速フィルムを買ってもらい、電車を撮りに最寄りの千歳船橋駅へ。 ここにあげる画像は、正方形の画面からスキャンニングする際に上下方向をカットしましたが、カメラの傾きや未熟だった撮影スキルには目をつぶって頂きたい。

先ずは通過する上りのSE車。 列車名は“明星”であることが読み取れます。

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プラットホームから下りの通過も撮っています。 “せんごく”と読み取れました。 当時はロマンスカーの列車名は全列車異なっていましたから、当時の時刻表があれば時間が特定できるはずです。

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当時はまだ全車活躍していたHB車の1200形、車号は1203と読めます。 車体更新されていますが、パン田はまだ横型碍子の大型、三菱Sー514なのでしょう。

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1600形も撮っていました。 1606ですね。 パンタグラフはHB車同様に三菱Sー514です。

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が、同じ1600形の上り方向1605のパンタグラフはPT42に換装されているではありませんか。 経堂止まりの各駅停車です。

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2220形は準急相模大野となっています。 2224が先頭ですが、この時は未だトイレ付きで4両固定編成の美しい編成でした。

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当時増備されていた最新鋭HE車2400形ですが、各駅停車運用時の字幕は、折り返し時に字幕操作が不要な「成城学園 新宿」だったのですね。 そう言えばこの時の画像を見ていて、「成城学園」「向ヶ丘遊園」「相模大野」と、表示面積の制約から一部は小さな文字になっていたようです。

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ろくでもないアングルですが新製直後の2475の先頭部を。 ジャンパ線や足掛け位置など、その後は改造されているので、当時の模型製作に参考になる一枚となりました。

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この2475Fは1961(昭和36)年の製造なので、これら一連の撮影も同年であると推測されます。 ロマンスカーにもまだNSE車3100形が登場していない、岩戸景気に沸く60年前の記録となりました。

 

2020年11月 6日 (金)

お出かけ~!

秋晴れで気持ちの良い平日、ちょっと出かけてみることにしました。

いつものように快速急行。 登戸に到着したら隣の各駅停車に、新5000形が停車していました。ほぼ同時刻発車ながらが僅かにドア締めが早かった各駅停車が先に発車です。 思わずカメラを用意、その瞬間を狙うことに。

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新型10両編成が各駅停車に充当なんて、一昔前ではあり得ないような光景を、多摩川の上でフロントウインドウ越しに捉えることができて、何故か得した感じでした。

 

2020年11月 5日 (木)

今日の一枚 No.87

世田谷の住宅地を走る東急世田谷線、というよりOER3001氏にとっては今でも“玉電”ですが、低床式の300形の導入が開始された頃、旧型車の最後を記録したくて出かけていました。

山下駅に停車した70型を撮った後、三軒茶屋に向かって走り去るのを見送っていたとき、普段着の女性が電車が通り過ぎた踏切を!

世田谷らしい光景と思って思わずシャッターを切った想い出があります。

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改めて見ると、架線の張り方が見事です。 当たり前なのかも知れませんが架線柱にはビームが無く、世田谷の空が良く見渡せました。

 

2020年11月 4日 (水)

想い出の光景:7

地下で複々線になる以前、小田急線の成城学園前を発車した下り電車は、次駅喜多見に向けて一気に勾配を駆け下りて行きました。 写真は1969(昭和44)年2月、多摩川の支流である野川の畔から撮影しています。 ちょうど2600形が勾配を駆け上がっていきました。

ここは、野川に沿って緑豊かな崖が連続している国分寺崖線と呼ばれる所。 長い年月をかけて多摩川が武蔵野台地を削ってできた河岸段丘崖だそうです。

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喜多見を出た上り電車は、松の木が茂る崖を前に、築堤と切り通しを抜けて成城学園前駅に向かったのです。 崖の上に掛かった跨線橋からは真正面に富士山を仰ぐこともできました。

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画面中央部、線路の右側(山側)では土木工事が行われていますが、これは野川橋梁掛け替えのために一時、山側に迂回させていた線路を撤去、元に戻しているところなのですが・・・、後年ここが、喜多見車両基地となってしまいます。

新宿からの都心風景は、経堂を出ると畑もある郊外となり、成城学園前からはいよいよ田園風景といった景色は遠い昔の想い出と化してしまいました。

 

2020年11月 3日 (火)

DB420形電車

先のSBBに続き、DBも走らせてみました。 420形電車です。

420形電車は、1972年開催のミュンヘンオリンピックに合わせて開業したミュンヘンSバーンに導入する目的で、旧西ドイツ国鉄が開発した車両であったことから、オリンピック電車と呼ばれたものです。

モデルはRöwa(レーヴァ、西ドイツ)の製品。 Röwaはプラスチックの射出成型技術をもって、質の高い製品を製造し、TRIXにも供給していたようですが、1975年に倒産。 その後は一部製品がRocoブランドで販売されていました。

当時、銀座・天賞堂でこの製品を見つけ、好ましいスタイルが気に入って、どういうわけか買ってしまいましたが、日頃の運転会などでは走らせる機会も無いままに、ガラスケースに眠っていた次第です。

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が今回、走らせてみることにしました。

3両編成のこの模型は、3ピンの電気接点を持つカプラーで連結しないと走らない構造のため、運転前に1両づつ転換することができません。 連結して線路に乗せて、恐る恐る電流を流して・・・、

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大丈夫、最初は少々ぎこちなくも徐々にスムーズな走りを取り戻し、大きめのエンドレスを快調に走ってくれました。

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実物を見たのは模型購入から数年後、1980年晩秋、いや初冬とも言えそうな小雪舞うミュンヘン近郊ででした。

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交流15,000V、16.7Hzで走るこの電車、サイリスタ位相制御で最高速度は120km/hを出すのですね。 3両全てが電動車で、何と驚くことに吊り掛け式駆動だと。 ミンデン式台車に不釣り合いと思うのは小生だけでしょうか。

おまけに車両間の貫通路は無く、妻板部分はロングシートのような座席だったのが驚きでした。

 

2020年11月 2日 (月)

SBB

SBB(Schweizerische Bundesbahnen)、すなわちスイス連邦鉄道の列車を走らせてみました。 長らく居室のガラステーブル内に飾っていたものです。

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機関車はAe4/6形、実車は10801~10812号機の12両が製造されたとのことで、モデルは最終番号の10812、天賞堂製作のFulgrex製品ですが、ちょっとしたご縁があって、製造元から直接頒布頂いた貴重なものです。

が、いざ走らせてみると・・・、ギアボックス内のグリスが固まってしまって稼働できず。 分解点検したらユニバーサルジョイントも破断していて、片方の台車に動力伝達できない、ということで急遽シリコンチューブに交換。

という処置を施して見事復活でした。

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この機関車は急勾配続くゴッタルド線専用機で、最大の特徴は日本人には聞き慣れないユニバーサルドライブ。 すなわち動輪1軸に2台の主電動機を並列配置し、8台の主電動機を用いる「D形」という構造。 これで1時間定格出力4200kW、牽引力172kNで、26パーミルで重連で770tを牽引可能という、凄まじい性能を発揮するようです。 こんな強力な機関車が、日本では戦時中の1941~1945年に製造されたということにも驚きです。

ということで、普段の運転会では登場させられない我家の外国車両を走らせることができました。

 

 

2020年11月 1日 (日)

渋谷の景色

東急東横店と言うより、東横デパートと言った方が馴染めるような気がするのはかなりのご年配なのでしょうね。 一連の再開発でそのビルもいよいよ解体になるようですが・・・。

東横デパートの3階に発着するのに地下鉄とは不思議だと、幼少の頃に思っていたものです。

神宮前(表参道への改称は1972年)を発車した後に地上に顔を出し、と言うより周りの景色が急に低くなるので高架線になりました。 そして降車と乗車のホームを分けた渋谷に到着すると、前方の引き揚げ線に。

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上の画像(1994年4月撮影)では、引き上げ線の上は空です。 そして右下には井の頭線ホームの屋根が見えます。

浅草行きとなって、折り返してきました。

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井の頭線ホームの先端からはこのように見えました。

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当時の井の頭線ホームはこんな様子。

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今日の井の頭線は、コンコース拡大と20m車5連に対応したホームに延伸すべく、吉祥寺方向に移動してしまったため、多車線への乗り換え距離が長くなっていたのだが、再開発で銀座線や東横線がさらに遠くなってしまった哀れな存在。

空が見えた時代が良かったな。

 

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