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2020年11月 8日 (日)

TOKYO 1964

戦後生まれのOER3001氏の世代にとって東京オリンピックとは、1964(昭和39)年に開催された第18回の印象が大きいです。 

戦争で荒廃した国土復興は、1958(昭和33)年には本州と九州を結ぶ海底トンネル・関門自動車トンネルが開通し、東京タワーが完成、特急「こだま」の運転開始と、少年の眼を輝かせてくれるようになりました。

さらに1962(昭和37)年には、我が国で最初の高速道路として、今の首都高・京橋~芝浦間の開通、翌1963(昭和38)年、名神高速道路・ 栗東IC - 尼崎IC開通。 そして1964(昭和39)年、東京モノレールと東海道新幹線が開業。 オリンピック開催を迎えました。 東京の街中がオリンピックに沸いていました。

そんな光景を記録していた亡き父が残したフィルムの中に、小田急新宿駅がありました。

Photo_20201107105201

オリンピック開催期間内の撮影と思われ、ハーフサイズフィルムのキャノンDemiでの撮影です。

1号線には前年に就役したばかりの新型ロマンスカー3100形NSEが停車中ですが、構内にはオリンピックの装飾が溢れています。

そう言えば、小田急初の大型通勤車としてこの年に就役した2600形NHE車はつり革の数が多く、つり革の輪を5輪色にしていた編成がありました。 いや、もしかしたら5輪色のつり革は他の車両でも実施していたかな? 定かではありませんが間違いなく、赤・黄・緑・青・黒の5色つり革があったことは間違いありません。

せっせと進めているフィルムのデジタル化、いろいろな想い出が蘇ります。

 

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コメント

 キヤノンデミは使ったことがないけど、オリンパスペンなんかより高級感のあるカメラでした。五輪カラーの吊り手はカルダン車限定で、2200形に多かったような気がします。これがヒントになったのか、オリンピックが終わってから2200形など2連のFM車の吊り手を黄緑にして、分割急行では「吊り手が緑の車両は江ノ島行きです」と案内していました。後に京王もこのアイディアを真似しています。

貴重な一枚ですね。鉄という人種は(私です)、中々こういう写真て撮れないんです。どうしても、車輌にばかり目が行ってしまい、世の中に存在する鉄道という観点からは離れてしまいがちになります。こうした一枚を拝見する度に自己嫌悪に陥ります。

◆モハメイドペーパー さま
オリンパスペンって結構持っている友達が多くて、ちょっと友達とは違うものを持ちたかったという記憶があります。
2連ABFM車のつり輪を黄緑にしたのは残念ながら記憶に無いな~。京王の手本になったと言うことだけは嬉しいです。


◆きぬやまスカンク さま
お褒め頂き恐縮です。 亡き父が喜んでいることと思います。
実は親父、なんだかんだで結構好きだったみたいで、オリンピック期間にカメラ持ち歩いていろいろ撮っていたようです。

いいお写真ですねえ!前回のオリンピックは中学1年でしたが、。例の亀倉さんのポスターが駅に貼ってあったことくらいしか鉄道とオリンピックの記憶がないのです。来年万が一オリンピックが開催されたら、少しは記録しておきますか・・・実は全く興味ない、コロナ禍が無くて予定通り開催されていたら、海外トンズラ予定でした。

Cedar さま
ありがとうございます。亀倉雄策さんをご存じとは流石、その道で活躍されていらした証ですね。田中一光さんや永井一正さんとともに、凄い方だと会社で学びました。

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