想い出の光景:9
ハーフサイズカメラのCanonDemiを買ってもらって、最初にカラーフィルムを装填しての撮影がここでした。 時は1966(昭和41)年10月のある日。 今は地下駅となった東北沢、地下鉄千代田線との相互直通運転のための改良工事が始まる前は、各駅停車は副本線で優等列車の通過待ちをするため、対向式ホームの間に通過線を備える構造のため、電車の撮影には好都合な駅でした。
今更ですがデジタル世代のために一言。 当時の35㎜サイズフィルムは、12枚撮り、20枚撮り、36枚撮りが売られていて、一番安価な12枚撮りで24枚撮れるというのがハーフサイズ。 今日は何枚必要か?なんて心配をしていたこと自体、デジタルの今日では理解できないことでしょうね。
ところが初めてのカラーフィルム、もっとも安価な12枚撮りを買ったのですが、現像プリントの段階で思わぬ出費に。 当たり前ですがプリント代金は枚数分ですから。
スキャンしたフィルムがかなり黄変していたので修正しています。 当時の最新型2600形NHE車が待避、3000形SE車の「さがみ」が駆け抜けていきました。 何故かこの頃は非常用連結器を出したままでの運用でした。
まだABF車も全車大活躍の時代。 1910形の各駅停車が入線、急行通過を待避しています。 ハーフサイズと言うこともあり、ピントも甘く車番が確認できませんが、編成の姿からして新宿方から1911-1961+1912-1962と推察できます。
高架化、地下化、ホームドア設置など、駅での撮影もしづらくなりましたが、この時代が懐かしく感じる次第。 模型の製作題材もこの時代の車両に惹かれます。
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私にとっても準地元的な駅で、同じようなアングルの写真は何枚も撮っています。2600はまだ5連だったかな。SE車の非常用連結器は冷房化された頃から出しっぱなしになっていました。
*2段目、配布サイズ は ハーフサイズ ですね。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年11月26日 (木) 09時12分
東北沢と鮫洲、ホームの無い通過線がある駅は撮影しやすくて良かったですね。どちらも立体化で消えてしまいました。東北沢は鉄友人が豪徳寺に住んでいたのでなじみ深いです。
投稿: Cedar | 2020年11月26日 (木) 09時37分
◆ モハメイドペーパー さま
やっぱりそうでしたか。 SE車の非常用連結器、やっぱり収納が面倒だったと言うことでしょうかね。 だとすれば、今のVSEなんか連結器出したら前照灯付かないし、大変ですね。
誤字ご指摘ありがとうございます。早速修正させて頂きました。
◆ Cedar さま
そう言えば鮫洲もそうでしたね。鮫洲でも撮っていた筈なので、何れ取り上げるかも知れません。
豪徳寺に鉄友人、で、百合ヶ丘に女子とか? 小田急線になじみ深かったのですね。
投稿: OER3001 | 2020年11月26日 (木) 09時56分