東北観光号で福島へ
1967(昭和42)年5月 20日の昼前、山形駅1番線に入線してきました。 初めて目にした修学旅行電車のカラーです。
わくわくした気分で乗り込んだ後、プラットホームの光景を納めています。 向かい側の貨物ホームにはワムと荷物客車が停車していたり、「特急つばさ」乗車位置表示やや清酒「男山」の広告板が付いた灰皿があったり。 台車で運んでいるのは小生らの弁当だったのかも知れません。
座席に座ってから山形駅構内に目を向けます。 隣のホームには2両編成の気動車、さらに向こうのホームに見える狭幅窓の客車はスハ32でしょうか? 左沢線なのかな?
山形発車! 前方のポイントに差し掛かると、車庫から出てきた気動車とすれ違いました。 先頭はキハ22でしょうか。
エンジン全開、速度を徐々に上げているとき、振り返ると特急用のキロ80のようなのが止まっていました。 その奥の扇形機関庫内には気動車ばかり。 山形機関区だったのでしょうね。
こうして車内で興奮しているうちに、速度を落としてどこかの駅に侵入したと思ったら、そこが上山(かみのやま)とい温泉地の駅。 前回取り上げたDF50の540号機に出会った次第。
再びエンジン全開で単線を駆け抜けます。 窓全開でディーゼルの香りが全身に降り注いできます。
だんだんと勾配がきつくなり、速度が下がります。 スノーシェッドに突入しました。
これを額田かと思えば、行く手に再び。 後年になって知るのですが、ここが板谷峠だったのでした。
客車列車と交換しましたが、ここが峠駅だったか板谷駅だったか、写真から判断できず残念です。
今では標準軌になって新幹線が駆け抜けるようになりましたが、今でも秋には落ち葉で列車が走れなくなることがあると、信じられないような現実がある区間だけに、それは素晴らしい車窓でした。 やがて赤い機関車ED71やED75が佇む機関区が見えました。
続いて遙か向こうに、ベージュ色とローズレッドの電車がいる車庫を見つけました。 福島交通飯坂線だと思われます。
プラットホームに停車したら、隣のホームがその飯坂線の発着ホームであることが解りましたが、この時は電車を間近で見られませんでした。
間もなくして、東北観光号は福島駅のホームを後にして、一路上野に向かいます。
この後も、36枚撮りフィルムを装填したハーフサイズカメラのキャノンDemiで、車窓を撮り続けていたようです。 鉄道好きの小生のために、ボックスシートの同級生も良く協力してくれたものです。 54年の歳月を経て、ピンボケでどうしようも内写真ながら、改めて若き日が蘇ってきました。
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赤い機関車ED71やED75が佇む・・・の機関区はたしか福島機関区ですね。職場の旅行で上山に行った帰りに乗車した列車が、この機関区の脇で場外停車して機関車交換をしていました。
当時、奥羽線は直流電化で直流機→交流機が行われていました。
OER3001氏が乗車していたのは、気動車なので場外停車しなかったのでしょうね。
投稿: 八千代運転所 | 2020年11月11日 (水) 08時48分
八千代運転所 さま
いつもご覧頂いているようでありがとうございます。福島機関区でしたか。そう言えばこの後のネガにはEF64が写っていて「?」と思いましたが、確かに奥羽線は直流電化時代でした。
ここでの撮影ネガ枚数が多いので、場外停車していたようですよ。もしかして気動車急行にも電機が連結されていたのでしょうか。
投稿: OER3001 | 2020年11月11日 (水) 09時18分
昭和40年8月に山形で左沢行のサボが入ったオハ31(ダブルルーフ・17m)を撮影しています。キハ22は東北地区にもそこそこの配置があったようで、私も何度か見かけています。
投稿: モハメシイドペーパー | 2020年11月11日 (水) 09時42分
フィルム時代はもったいなくてスナップをあまり撮っていないのですよね。後になるとその貴重さが良く分かります。私は1965年に山形駅を訪問しているのですが、その時はランドハウスにC57が見られました。1967年にはすでに淘汰されていたんですね。ED71で満たされている福島機関区も懐かしいです。
投稿: ぼっちぼち | 2020年11月11日 (水) 09時55分
◆モハメシイドペーパー さま
この2年前に山形まで行ってらしたのですか。まだ17mの客車が活躍していたのですね。キハ22なんて新型だったのでしょうね。
◆ぼっちぼち さま
そうなのですよ。ただ、ハーフサイズだからと安心して撮っちゃって、後でプリントすることができませんでしたよ。
投稿: OER3001 | 2020年11月11日 (水) 13時40分
少し訂正をさせて戴きます。客車列車と交換したのは、庭坂駅です。背後に見える山の形からほぼ間違いないかと。それと、気動車特急は補機を付けていましたが、気動車急行は補機無しでした。この所為か、この区間で最も表定速度の低いのが気動車でした。福島ー米沢間では一応ノンストップで走る為に、所要時間こそ普通列車よりも早かったのですが、普通列車が全てのスイッチバックに入り、その停車時間を差し引くと、表定速度ではずっと速かったことが分かります。交流機のED71と直流機のEF64が屯していた福島第二機関区の真ん中が奥羽本線の中川信号所で、ここで交直の切り替えを行っていて、機関車の交換をしていました。気動車だと通過扱いでしたので、残念でしたね。
投稿: きぬやまスカンク | 2020年11月16日 (月) 13時53分
又々、訂正をさせて戴きます。もう一度写真を拝見したのですが、庭坂ではなく、板谷駅のようです。更に、気動車急行はノンストップと申し上げましたが、ダイヤ上のことで、実際には単線の為に交換待ちでスイッチバック駅に入っていました。私も昔に、今の季節列車(当時は臨時列車)の急行エコーラインが、上りの(津軽)と交換の為に大沢駅に入ったことがありました。お詫び致します。
投稿: きぬやまスカンク | 2020年11月16日 (月) 16時15分
きぬやまスカンク さま
あの板谷駅でしたか。記憶を辿って頂きありがとうございます。
思えばこの難所、直流電化による無煙化を経て交流電化、改軌と波乱に富んだ歴史だけに、想い出もたくさんありますね。
投稿: OER3001 | 2020年11月16日 (月) 23時26分