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2020年11月 4日 (水)

想い出の光景:7

地下で複々線になる以前、小田急線の成城学園前を発車した下り電車は、次駅喜多見に向けて一気に勾配を駆け下りて行きました。 写真は1969(昭和44)年2月、多摩川の支流である野川の畔から撮影しています。 ちょうど2600形が勾配を駆け上がっていきました。

ここは、野川に沿って緑豊かな崖が連続している国分寺崖線と呼ばれる所。 長い年月をかけて多摩川が武蔵野台地を削ってできた河岸段丘崖だそうです。

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喜多見を出た上り電車は、松の木が茂る崖を前に、築堤と切り通しを抜けて成城学園前駅に向かったのです。 崖の上に掛かった跨線橋からは真正面に富士山を仰ぐこともできました。

19690209_0010_30

画面中央部、線路の右側(山側)では土木工事が行われていますが、これは野川橋梁掛け替えのために一時、山側に迂回させていた線路を撤去、元に戻しているところなのですが・・・、後年ここが、喜多見車両基地となってしまいます。

新宿からの都心風景は、経堂を出ると畑もある郊外となり、成城学園前からはいよいよ田園風景といった景色は遠い昔の想い出と化してしまいました。

 

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コメント

 高校の同級生が昭和38年頃に世田谷から喜多見に引っ越して、その頃はまだ北多摩郡狛江町でした。まだ成城学園前に急行が止まらない時代ですね。

モハメイドペーパー さま
そうそう北多摩群狛江町、小生は小学生の時にそう覚えました。 23区外は都下だと。 今になって思えば都下とは酷い表現です。 都に上も下もあって良いのか、あるなら都税も下は下げるべきです。

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