初めてのカメラと小田急電車
メイカイフレックスというカメラをご存じだろうか? 戦後の1948(昭和23)年頃から製造された2眼レフだが、主に小学生用だったらしい。
これを1961(昭和36)年頃、知り合いの大学生から頂きましたがその大学生は、少年の時に雑誌の懸賞で当たったものだと言っていました。 大切にされていたもののようで、本革のケースを開けると内側に毛筆で住所と名前が丁寧に記されているものでした。
本体はこのようなもので、「写真を撮るには絞りとシャッター速度を決めてね・・・」と説明を受けるのですが、絞りはf6.3、11、16の3段階、シャッタースピードはS、B、25と表示された3段階、ピントは固定焦点のようです。
裏蓋を開けてフィルムを装填しなければなりませんが、使うのはボルタ判という画面サイズ24×24㎜のもの。 パトローネに装填されて居らず、裏紙があるタイプでしたので、小学生では取り扱いにも 神経を使いました。
フィルムのブランドは“みのりフィルム”。
嬉しくて嬉しくて、小学5年生だったOER3001氏は早速フィルムを買ってもらい、電車を撮りに最寄りの千歳船橋駅へ。 ここにあげる画像は、正方形の画面からスキャンニングする際に上下方向をカットしましたが、カメラの傾きや未熟だった撮影スキルには目をつぶって頂きたい。
先ずは通過する上りのSE車。 列車名は“明星”であることが読み取れます。
プラットホームから下りの通過も撮っています。 “せんごく”と読み取れました。 当時はロマンスカーの列車名は全列車異なっていましたから、当時の時刻表があれば時間が特定できるはずです。
当時はまだ全車活躍していたHB車の1200形、車号は1203と読めます。 車体更新されていますが、パン田はまだ横型碍子の大型、三菱Sー514なのでしょう。
1600形も撮っていました。 1606ですね。 パンタグラフはHB車同様に三菱Sー514です。
が、同じ1600形の上り方向1605のパンタグラフはPT42に換装されているではありませんか。 経堂止まりの各駅停車です。
2220形は準急相模大野となっています。 2224が先頭ですが、この時は未だトイレ付きで4両固定編成の美しい編成でした。
当時増備されていた最新鋭HE車2400形ですが、各駅停車運用時の字幕は、折り返し時に字幕操作が不要な「成城学園 新宿」だったのですね。 そう言えばこの時の画像を見ていて、「成城学園」「向ヶ丘遊園」「相模大野」と、表示面積の制約から一部は小さな文字になっていたようです。
ろくでもないアングルですが新製直後の2475の先頭部を。 ジャンパ線や足掛け位置など、その後は改造されているので、当時の模型製作に参考になる一枚となりました。
この2475Fは1961(昭和36)年の製造なので、これら一連の撮影も同年であると推測されます。 ロマンスカーにもまだNSE車3100形が登場していない、岩戸景気に沸く60年前の記録となりました。
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貴重な写真機を使った貴重な記録ですね。
投稿: ぼっちぼち | 2020年11月 7日 (土) 11時04分
ボルタ判で2眼レフがあったとは。これなら固定焦点も納得できます。一般車は電照式方向幕の取付が進められている時期ですね。1605のパンタはPT35で、なぜかこの1両のみ例外でした。ついでにいうと1659の台車はD18でした。
準急はほとんどが江ノ島線直通と思っていたけど、昭和36年10月改正のダイヤを見ると休日の昼間に相模大野、あるいは相武台前行きがあります。2220形の列車は光線状態と行き先から千歳船橋を11:55に通過する1105列車だろうと思います。準急の種別表示はこの時期から使っていたのですね。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年11月 7日 (土) 12時00分
ぼっちぼち さま
反応頂けるものと期待していました(笑)。
投稿: OER3001 | 2020年11月 7日 (土) 12時18分
モハメイドペーパー さま
早速の詳細なるコメントをありがとうございます。 小学5年生で電車通学をしていましたが、そんな詳細な情報にも接することできず、また観察眼もありませんでしたので助かります。
準急表示、小さいとは言え、HBの江ノ島行きが付けているのを見ていません。 準急用の〇運板が相模大野には無かったのかも知れません。
投稿: OER3001 | 2020年11月 7日 (土) 12時23分
似た様なネーミングのリコーフレックス(?)だったと思いますが、マミヤC330を購入するまで
使用しておりました。、リコーよりかなり簡便な感じがしますね。
投稿: ぬか屋 | 2020年11月 7日 (土) 12時48分
準急は種別表示がなく、方向板が〇で区別されていましたが、これは江ノ島線系統のもので、小田原線系統は急行同じ□でした。江ノ島線急行が終日運転になってからも、江ノ島線内では〇の方向幕を出している急行をよく見かけました。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年11月 7日 (土) 13時07分
昭和36年と言えば、フジペットを弟と共用で初めて買ってもらった2年くらい前と思います。
小学生の分際(爆)でこのようなカメラを手にしたとは、さてはお大尽の家ですね?
投稿: Cedar | 2020年11月 7日 (土) 20時33分
ぬか屋 さま
2眼レフということで、のぞき込むと画像が全て反転なのに慣れるのが大変でした。
モハメイドペーパー さま
〇準急は江ノ島線だけだったとは知りませんでした。もっとも基本的に準急は小田原方面には無かったと記憶していました。
Cedar さま
何を仰いますか、友達が持っていたイチ、ニーってシャッター操作するフジペット持っていて、それを買って欲しいとねだっていたのが叶わず。 それを知った大学生が譲ってくれたという実態です。
投稿: OER3001 | 2020年11月 7日 (土) 21時22分
昭和36年の平日ダイヤでは、小田原発の上り一番列車が新宿行きの準急、下りは21時台と23時台に1本ずつ、準急小田原行きがあります。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年11月 7日 (土) 22時05分
モハメイドペーパー さま
1961(昭和36)年のダイヤまで、凄い情報ですね、ご教示ありがとうございます。
投稿: OER3001 | 2020年11月 8日 (日) 08時13分