« 秋の色 | トップページ | 大井川鐵道を訪ねて »

2020年11月24日 (火)

首都圏最後の煙と聞いて・・・

D51 791が爆煙を上げて通過します。 なんとここは有楽町駅、ホームにはその姿を一目見ようと集まった人、ひと、ヒト。 1970(昭和45)年10月18日、日曜日のことでした。

19701018_0008_15

高島線の電化により10月1日、蒸気機関車の通常運行が終了したことから、10月10日、11日、18日の3日間にわたり、東京-横浜間で「さよなら蒸気機関車号」が運転されました。 その最終日に様子を見に出掛けました。

喧噪の中、有楽町で見届けた後、やって来た京浜東北線に乗り、追いかける算段でした。 ここは大井町手前だと思われますが、敷地内に多数の群衆。 こんなことが許されていた時代です。

19701018_0009_15

やっと追いつきました。 最後尾はスハフ32のようです。

19701018_0010_15

やっと、追い越せたので振り返ってシャッターを。 ここでも犬走りにまで人が! それでも規制されること無く、蒸機列車は力強く前進します。

19701018_0011_15

機関車はかなり後方に行ってしまいました。

19701018_0014_15

京浜東北線電車が蒲田駅に停車しようと速度を落としたとき、「さよなら蒸気機関車」の大きなヘッドマークを掲げて追い抜いて行きました。

19701018_0015_15

これで遂に、首都圏で蒸気機関車は見られなくなったと思ったら・・・、

1972年には鉄道100周年記念列車としてC57 7が、1980年に横浜開港120周年でC58 1が牽引する列車が走ることになったのでした。

磐越西線に出掛けたのを機会に、ちょっとだけ蒸気機関車のネガを探してみました。

« 秋の色 | トップページ | 大井川鐵道を訪ねて »

鉄道(国鉄・JR)」カテゴリの記事

コメント

私はこの日は有楽町で撮りました。日劇をバックにした一発勝負にかけました。折しも雨が降っており露出が稼げず大変でした。

 日付は定かでないけど、この列車には仕事として乗りました。ここまでの騒ぎになるとは、国鉄関係者も予想していなかったことでしょう。線路内立入りも許されていたわけではなく、結果としてこうなってしまったのです。

撮影に出撃されていたのですね。小生も撮影しています。当初東京駅で撮影しようとしたところ、とても撮影できる状態ではなかったが、駅職員から「発車後少しの間新幹線と並んで走るよ。」とのことでしたので有楽町駅に行きました。
有楽町駅もかなりの人出でしたが、何とか潜り込みました。あまり良い構図ではありませんでしたが、新幹線と蒸気機関車の並びが撮れました。
この他の日に、蒲田と多摩川の鉄橋でも撮影しています。

こういう様をTVなどで見ていて、なんとも嫌な気分になったものです。高校時代から沸き起こった「SLブーム」には背を向けていましたが、初期のころは楽しい思い出もありました。このあたりから、自分の趣味感とは全く相容れない人が増えていった気がします。

新幹線と並べばと思い今の東京フォーラム辺りのビルから撮っておりました。
京浜東北線と山手線と被られないかハラハラしてましたが、かわせた分
新幹線共並びませんでした。
有楽町駅の東京方ホームは大変な人でしたね。

◆ ぼっちぼち さま
やっぱり出撃されていましたか! 凄い人出でしたよね。 作品公開を楽しみにしています。


◆ モハメイドペーパー さま
仕事として、羨ましいですね。 それにしても線路内立ち入り、今だったら即イベント中止もあり得るのに、やっぱり当時は甘かったですよね。


◆ 八千代運転所 さま
ということは・・・、日にちが同じなら、ほぼ同じ場所に居たと言うことですね。 新幹線との併走が撮れたとはラッキーでした。


◆ Cedar さま
残念ですが、「自分の趣味観とは全く相容れない人」というのは所謂〇〇ブームと言うときには急増しますね。NSEやLSEのラストランでもそうでした(涙)。


◆ ぬか屋 さま
やっぱり貴殿も! 是非貴ブログに取り上げてください。 楽しみにしています。

この日は、私は既に福島県に来ていて、ニュース等で相当な喧噪になるだろうなと思っていました。端から出掛けて行く気もなかったのですが、何となく気持ちの高揚があり、茨城交通湊線(現ひたち海浜鉄道)を撮りに行っておりました。阿字ヶ浦では、廃車になったオハ31等が留置されていて、今となっては、記録としては貴重なものになったかと自負しています。一寸した寂しさとへそ曲がりの気性がこのような行動になったのかと、思う次第です。

きぬやまスカンク さま
半世紀前の内容の拙ブログをご覧頂きありがとうございます。 この年、既に福島だったでしたか!
阿字ヶ浦にオハ61が留置されていたこと、全く知りませんでした。
臍の曲がりは加齢と共に曲がって曲がって、元に戻るようですよ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 秋の色 | トップページ | 大井川鐵道を訪ねて »

フォト
2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  

他社線ご案内

無料ブログはココログ