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2020年12月

2020年12月31日 (木)

2020年の作品

今年の漢字は「密」。 新型コロナにかき回された2020年でしたが、最終日を迎えてしまいました。

趣味生活の面では、外出の機会を制限されたことから始めたフィルムのデジタル化を終えたこと、そして模型は3作品を完成させて、2021年に向かうこととなりました。

完成作品その1は、2月14日完成のクモヤ93。 細部スケールにはこだわらないペーパー自作で、実車にはない車体傾斜機構を備えて、急曲線も快走できる運転本位に仕上げました。

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7月15日には、永年の夢だったSE車3000形を完成させました。 長い間保管していたモデルパーツMIKIのキットを利用しつつ、足回りは完全にオリジナルで8両全車引通し通電。 サウンド装置搭載によりミュージックホーンを鳴らして走ります。

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相当気合いを入れてSE車を創ったことから気休め作品を創りたくなり、8月19日に自由形の蒸機列車の完成となりました。 オークションで入手したエンドウのB20に牽かせる観光用のダブルルーフデッキ付き客車を4連で製作。 半世紀近くストックしていたベッテンドルフなど、3種の台車を活用しました。

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因みに今は無き、福島県に存在したグリーンピア二本松で走っていた762㎜ゲージの実車をイメージして創ったものです。

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さて、来る2021年にはどんな模型作品ができるか。 製作中の仕掛かりに加えて次々に、作りたいものが頭を過ぎります。 まあ気楽に取り組んでいきたいと思っています。

 

 

2020年12月30日 (水)

太宰ゆかりの地

三鷹市は“太宰治が生きたまち”だそうですが、“死んだまち”なのだそうです。

1948(昭和23)年6月13日に、愛人・山崎富栄北多摩郡三鷹町(現・三鷹市)の玉川上水で入水心中したそうですから。

と、そんなことはどうでも良いのですが、こんな案内板が立てられている跨線橋があります。

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折角なので登ってみます。 早速このような魅力的な視界が広がります。

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たしか、相当昔にもここに来ていたはず、と思って探索したら・・・、ありました。 国鉄に初めてのアルミ製車体の301系が登場したときの試乗会の帰りでした。 営団5000系と並んでいました。

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この光景、車両が全てステンレス車に変わっただけで、配線などの設備もほとんど変わっていないようです。 全てが10両編成になった今なのに、電車の停車位置が奥になっているわけは・・・、奥を延長しているのでしょうか?

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この跨線橋、斯様な格好ですが、残念なことに中央部には網がかけられていて撮影には不向きです。

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しかしこの日、ここから下を行く電車を捉えようとする若い女性が、本格的な一眼レフを構えていました。

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危ない危ない、太宰治が生きていたら・・・、彼女は声をかけられたかも知れませんよ。 太宰は結構な好色男子だったようですから。

 

 

 

2020年12月29日 (火)

想い出の光景:14

前回の“想い出の光景:13”で掲載した東北沢のホッパー線に続き、東北沢の想い出です。

この日の新聞輸送を担う1300形3連が差し掛かろうとしている分岐器は、上り線からホッパー線に向かうときに通るものです。

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振り向いて後ろ姿を狙ったら、最後部はパイオニア台車に振り替えられた1304でした。 手前にホッパー線に向かう分岐器が確認できます。

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その分岐器は、跨線橋から確認できます。 1番線(右)に入線して来る先頭は2854、東急車輌製のこの編成だけ、側面の車号とOERの位置が、他編成と逆でした。 4番線に手車していたのは空気バネ台車の2217Fでした。 画面中央に丸く見える屋根は、現在東京ジャーミーとなっているイスラム教礼拝堂の旧寺院で、当時から目立つ建築物でした。

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跨線橋から西は、下り勾配で下北沢に至ります。 この勾配20‰だったかな? その勾配を駆け上がって来たのは1600形4連の快速準急のよう、まだABF車が全車両元気に活躍していた時代でした。

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今では完全に地下区間になってしまったこの地、踏切脇のクリーニング店とか街の様子をもっと記録してあったらと後悔しますが、それでもハーフサイズカメラでたくさん撮ったつもりでした。

 

 

2020年12月28日 (月)

大型模型

ここは一体どこだか判りますか? 意外にご存じない方が多いのではないかと思っています。 東武スペーシアの6両編成が、浅草の隅田川に架かる橋梁を模した橋梁を渡ります。

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東武スペーシアが走る奥の単線には、ピーコックらしき蒸気機関車が牽く貨物列車が。

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そしてこちらは、ちょっと編成両数は短縮されてはいるものの、200系東北新幹線列車と201系中央線快速電車が。

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ここは栃木県の東武ワールドスクエアです。 開園が1993年ですが、その6年後の1999年に子供たちを連れて訪れました。 屋外展示の大型模型と言うことで、注目を集めていました。 今でもこれらの模型は走っているのでしょうか?

その東武ワールドスクエアですが、東武鉄道の創立95周年記念事業として造られました。 年間入場者は開業初年度の283万4,000人が最高で、2005年にはその10%以下に減少してしまったようで、2010年に東京スカイツリーの展示に絡んでスカイツリートレインでの旅客誘致に努めるなど、今日のコロナ禍もあって相当苦労しているものと思われます。

創立から120年を越えた東武鉄道の応援もかねて、また行きたくなっています。

 

2020年12月27日 (日)

想い出の光景:13

少年期からOER3001氏の遊び場だった地を撮影した写真がありました。 小田急線代々木上原-東北沢間に存在していたホッパー線、正式には東北沢駅の一部です。 背後に確認できますが、東京コンクリート東北沢工場への砂利輸送が目的でした。

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ハーフサイズカメラCanonDemiで撮っているのでピントが甘いことはお許しください。 さらに、経済的なゆとりが無いので何枚も撮っていないことが残念ですが、トフは123と判読できます。1936(昭和11)年に汽車会社東京支店で6両が製造されたトフ1321形です。

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このホッパー線へは、井の頭通りの踏切横から入り込むことができ、小中学校の頃には時々入り込んでいたものですが、誰にも叱られることはなかった時代です。 代々木上原方の車止め、この付近から行き交う電車を眺めていたものです。

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下を行き交う電車はこんな様子で眺められました。 HB車の4連ですが、ナンバーが読めません。 デハ1400とクハ1450の2連に、デハ1200形背中合わせの2連(1209+1210)を連結しています。

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代々木上原に向けて、井の頭通りの踏切を過ぎると下り勾配はさらに急な25パーミナルに。 そこをキハ5100が駆け下りて行きました。

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ホッパー線は1965(昭和40)年度まで使われたようですが、そうなるとここに掲載した画像の撮影年月が??? 若しかして、使用停止後暫く貨車は置きっ放しだったのかも知れません。

今は代々木上原駅構内となっている所、想い出の光景です。

 

 

2020年12月26日 (土)

送電併用架線柱

電力の送電を兼ねた、背の高~い架線柱のことを、正式には何と呼ぶのか知りませんが、ここでは「送電併用架線柱」とでもしておきましょう。

その「送電併用架線柱」があった場所として、OER3001氏の記憶には京王線の仙川-つつじヶ丘間の印象が強く残ります。 その送電併用架線柱撮影を目的とした写真ではないですが、1994年4月に撮影した橋本行き特急運用の6000系の上に写っていました。

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この時の撮影は、通勤時に気になっていた築堤、南側に咲き誇るアメリカハナミズキの群生を入れることでした。 背後はキューピーマヨネーズの工場ですが、ハナミズキと共に今は姿を変えてしまいました。

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1995年12月に撮影の、つつじヶ丘駅下りホーム先端から調布方を撮った写真にも、門型架線柱の上の送電線が確認できました。

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1996年10月には、千歳烏山-仙川間で仙川方向の撮影をしていましたが、送電線ははっきり確認できませんが、鉄柱は確認できました。

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多分、この頃から送電線の移設が行われていたようで、同じ年の12月に撮影した仙川-つつじヶ丘間には、送電用の鉄柱は無く、全て新しい専用架線柱になっていました。

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車両撮影ばかりしている身には、普段なかなか目を止めない構造物ですが、模型のレイアウト建設を考えると、もっとこうした写真を撮影しておくべきだったと反省します。

 

 

2020年12月25日 (金)

市ヶ尾線

先日のO,OJゲージ運転会であざみ野に行った折、好天にも恵まれていたのでちょっとだけ電車も撮影してみました。

最新型の2020系が撮れることを願っていたのですが・・・、ちょうど来たのは東急では無く、残念ながら東武の車両でした。 それでも仕方なく連続撮影を試みます。

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と言うよりこの時の撮影目的は、日頃から楽しませて頂いている「Cedarの今昔写真日記」に取り上げられていた架線鉄柱でした。 

実は、この架線鉄柱なるものを良~く観察すると、「東急電鉄田園都市線」ではなく「東京電力市ヶ尾線」だそうです。 しかも、この鉄柱は電車の架線ビームは無く、完全な送電のための鉄柱でした。

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ここ、あざみ野付近は送電専用の鉄柱ですが、確かに他では電力送電と架線支持を兼用した鉄柱もありました。 例えばここ、京王線は仙川-つつじヶ丘間もそうでしたが、1996年12月には既に撤去されてしまっています。

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京王線には送電鉄柱兼用の架線柱が多くあったと記憶していましたので、写真を探してみました。 中河原-聖蹟桜ヶ丘間の多摩川橋梁もそうだったと記憶していたのですが・・・、1989年5月撮影の写真を見ると、所謂「門」型とはちょっと異なっていたようです。 懐かしい7000系オリジナルです。

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同じ場所の燃す少し前の時代、1976年6月撮影の中に、望遠で撮ったものがありました。 一部「門」型も見られますが、左右の柱を上方に伸ばしているだけのようなカタチです。

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それも今日では無くなってしまい、あの味気ない鋼管の架線柱に更新されてしまいました。

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あざみ野で見た送電用鉄柱から逸れにに逸れて多摩川橋梁まで、失礼いたしました。

 

2020年12月24日 (木)

今日の一枚 No.94

昨日掲載の「冬至」、辻堂駅での撮影を取り上げて、急に藤沢駅での想い出に戻ることにしました。

藤沢は小田急江ノ島線との接続駅で、小田急江ノ島線は東海道線をオーバークロスして藤沢駅に到着します。 JRの上を行く小田急とのツーショットは、何度か狙っているのですが、なかなかタイミングが合いません。

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この時は251系スーパービュー踊り子と辛うじて。 もう少し251系が手前に来てくれていたら良かったのですが、贅沢は言えません。

 

 

2020年12月23日 (水)

冬至

コロナで冷え切っている2020年、一年で一番日が短い冬至は21日のこと、所用のため藤沢から辻堂駅に向かう電車の運転室越しに、富士山が綺麗に見えていました。 辻堂駅下車後に上り電車を狙ってみましたが、露出を富士山に合わせたので電車は暗くなってしまいました。

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その富士山を40倍ズームで。 雪は薄ら、登山道も確認できます。

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振り返ればEF210牽引の貨物列車。

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任務終了後の辻堂海浜公園からは、昼間の薄雲もなくなって、夕焼けに綺麗なシルエットを見せてくれました。

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コロナ禍の冬至でしたがこれを底値として、翌日からは少しづつ昼間が伸びて行くように、コロナ禍の収束を願うばかりです。

お詫び:当初掲載した上記画像へのクレジットが全て「2020.12.12」とありましたのは「2020.12.21」の誤りでした。正しい期日に差し替えました。 ぬか屋さまからのコメントが気づかせてくださりました。 ぬか屋さまありがとうございました。

 

2020年12月22日 (火)

パンタロン

まだ地平だった代々木上原駅、1973(昭和48)年は地下鉄9号線(千代田線)乗り入れのための改良工事が始まっていたときでした。

3000形SSE車の「えのしま」が、東北沢からの勾配を駆け下り、代々木上原駅に差し掛かります。 カーブした代々木上原駅ではカントで通過電車は気になりませんが、停車した電車への乗降ではかなりのストレスがあったことを思い出します。

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そんな代々木上原駅で電車を待つ女性は当時の流行、裾が広がった“パンタロン”です。

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電車が停車して乗り込むスマートな女性も白い“パンタロン。”

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停車して側扉を開ける2600形は、大きく傾いています。 ラッシュ時の満員電車の尻押しでは、車体がユラユラしていたことを思い出します。

2020年12月21日 (月)

O,OJゲージ運転会へ

前々から主宰のKSさまからご案内頂いていながら、なかなか参加する機会がなかった運転会に行って来ました。 開催場所はここ、アートフォーラムあざみ野、明るくて立派な施設です。

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その2階のセミナールーム2と3が会場です。 入り口には何やら書かれています。

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 新型コロナ感染防止のため、入室前に紙コップをもらって洗面所でうがいと手洗いを指示されます。 その後、手のアルコール消毒と検温という徹底ぶりです。 当然ながら37度以上の方は入室できません。

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既に10名以上の方が入室、広い部屋いっぱいに敷設された複線エンドレスを快走する車両が目に入ります。

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今回の最大の目的は、OER3001氏が所有するたった1両の2線式0番、1600形を走らせて頂くことでした。

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早速、本線に繰り出させて頂きました。 目前を通過して行きます。

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なかなかカメラを止められません。

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数メートルの直線でしたが、念入りの試運転をしたお陰で快調です。

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大きな曲線区間を行きます。

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向こう側の壁面前を飛ばします。

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実車には存在しない両運の更新スタイルなので、車号は1611です。

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ということで、広~い線路の上で思い切り走らせることができ満足ですが、それ以上に参加者の作品を目の当たりにでき、いろいろとご教示頂けたことが収穫です。 この辺はまたあらためて、後日のご報告とさせて頂きます。

運転会を主宰されて居られるKSさま、横浜模型鉄道倶楽部のみなさま、大変お世話になりありがとうございました。

 

 

2020年12月20日 (日)

想い出の光景:12

東京駅と言えば、OER3001氏の世代にとっては鉄道界の総本山的なものです。 

花形列車が発着する駅であり、全ての列車はここから下り列車として出発して行きました。 中でも湘南電車と横須賀線は、黒や茶色(ぶどう色)の列車ばかりの中にあって、華やかな電車として憧れの的でした。

が、101系を皮切りに、新性能電車と言われる151系、153系、157系、そして111系などが登場すると、次第に陰を潜めていった80系と70系も、東京駅には姿を見せなくなって行きました。 1967(昭和42)年9月、丸の内のビル街を背景に、堂々80系の東京駅入線シーンを記録していました。

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そして横須賀線の70系も。 正面窓はHゴムではない木枠のバージョンです。

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この時、横須賀線がここに姿を見せなくなることなど、思ってもいませんでした。 東海道線に続き、横須賀線への111系投入が進んでいた頃でしたから。

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今日の東京駅は、東海道線もスルーしてしまう中間駅と化し、カメラを向けたくなる列車も少なくなってしまい残念に思います。

 

 

 

2020年12月19日 (土)

新装なった参宮橋駅

「モハメードペーパーの何が出てくるか2」の12月17日には、「参宮橋駅(小田急)がリニューアル」が取り上げられました。 OER3001氏も温めていた題材なので、コラボレーションとさせて頂きます。

そもそも参宮橋という橋は、明治神宮に向かう西参道(渋谷区特別区道第860号路線)が、小田急線を越えるために架けられた橋です。 ↓は、正面(奥)が明治神宮ノ参宮橋口となります。

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南新宿を通過した下り電車は、この参宮橋の前に架かる天王橋を潜ります。

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天王橋を潜って、電車は参宮橋の下に。

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参宮橋の南側は直ぐ参宮橋駅のプラットホームです。

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その参宮橋駅の上りホームに直結する駅舎は、東京都の多摩産材を使い、駅前のちょっと腰を下ろせるベンチも設けられた、なかなか好ましい姿におリニューアルされました。

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改札口を通ると直ぐに上りホーム、バリアフリーです。

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加えて下りホーム側には、新たに東口が設けられました。

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その構内は、モハメイドペーパーさまのレポート通りです。

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加えてトイレも見てみました。勿論男子用しか見られませんが、内装は化粧板ながら木のぬくもりが伝わってきます。

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ピクトグラムは木彫りでした。

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ここまでは好ましく思えていたのに、残念なところが残りました。 下はリニューアル工事中の撮影ですが・・・。

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完了したというのに、上りホーム新宿方上屋は以前のままで、幅が狭く風がある日の雨は凌げそうにありません。

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下りホームでは上屋が無かった新宿方も、

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小田原方も、そのままでした。 上屋に関しては増設されていませんでした。

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それでも、多摩産材使用でリニューアルなった参宮橋駅、少しだけ良くなったようです。

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そんな参宮橋駅を、この日もVSEが通過して行きました。

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毎年大晦日からの終夜運転で、明治神宮初詣客のために運転する、古くは「初詣号」、今は「ニューイヤーエクスプレス」の上りロマンスカー。 このコロナ禍で、この年末年始の終夜運転の中止が発表されてしまいました。

 

2020年12月18日 (金)

丸ノ内線の今

模型材料の探索と調達で、お茶の水に行きました。 折角行ったのなら、一つの目的を遂げただけではもったいないということで、聖橋で暫しの撮影タイムです。

あまり好きではありませんが、「丸い」2000系への置き換えも大分進んで来ました。

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従来からの02系には外観上2種類があります。 先ずは正面非常口赤帯部分に斜線が入った編成は、側面にサインカーブが描かれたバージョンです。

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下はそれがないバージョン。 どちらが多いのか把握していませんが、ちょっと待っていれば必ず両者に出会えるはずです。

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この間、およそ15分でしたが、寒い冬になれば橋の上は結構冷えます。 「丸い」2000系ばかりに置き換わらないうちに、02系もしっかり記録しておくべきですね。

 

 

2020年12月17日 (木)

今日の一枚 No.93

高校生だった1967年5月、伊豆への家族旅行の帰りに修善寺駅で撮った一枚です。  

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3両編成の先頭はモハ57、検査出場後間もないと思われ、綺麗な車体でした。 国鉄モハ30の戦災車を自社大場工場で復旧させた車両だそうで、よく見ると両運転台だったようです。 当時あまり知識を持たなかったので、単なる17m旧型国電としか思っていなかったのですが、今になってその経歴を知りたくなって調べようにも、なかなかその資料に出会えないでいます。

 

おまけ;

三島に向かう電車の中から、途中で交換した車両を撮っていました。 韮山ではモハ63。

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そしてここは何処でしょう。 大場かも知れませんがモハ59。19670517_0008_15

どれも個性的な“17m旧型国電 ”でした。

 

 

2020年12月16日 (水)

想い出の光景:11

トンネルから、前照灯の明かりが一つ見えました。

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顔を出してきたのはぶどう色のクモハ73、石巻行きの0721列車です。

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駅に停車した4両編成最後尾は、初めて見た気動車色のクハ79。 ちょっぴり興奮した記憶があります。

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全てハーフサイズのCanon DEMIで撮影のため甘いピントながら、1967年5月、高校の東北旅行での島巡り後、短い自由時間に急いだのはここ、仙石線松島海岸駅でした。 東日本大震災での被災もありますが、今は大きく変わっているようで、この光景は過去の想い出となってしまったようです。

2020年12月15日 (火)

渋谷で“隙間電車”

“隙間電車”とはCedarさまの名付けですが、当を得ていて好きです。 そんな“隙間電車” を、ふと渋谷は宮益坂を下っていたとき、色づいた街路樹の向こうに行き交う電車を・・・。 

先ずは山手線。

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手前の路上駐車は許された場所とはいえ、ひっきりなしにクルマが止まって視界を遮ります。 折角湘南新宿ラインのグリーン車を狙ってみたのですが、加えて今度は大型のアドトラックが信号待ちで邪魔。

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そんなときに、湘南新宿ラインと山手線。

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本当は相鉄車両の通過を望んでいたのですが、この10数分の間では実現できず。 それよりこの場所で通過する電車を待つこと自体、気弱なOER3001氏には耐えがたくなって退散しましたが、もしかしたらこれでは“隙間電車”とは言えないかな?

 

 

2020年12月14日 (月)

都心の小さな踏切

京王電鉄の新宿~笹塚間は、「京王線」と「京王新線」の複々線となっており、地下の「京王線新宿駅」と、都営新宿線との接続駅となっている「新線新宿駅」から、平行しながらもそれぞれ別ルートで進み、高架の笹塚駅で「京王新線」を間に挟む形に並びます。

と、ここまで聞くと、その区間に踏切などあり得ない感じですが・・・、実は小さな踏切が存在します。 その名は「幡ヶ谷3号踏切」、クルマは通れません。 踏切の向こうは、ビルの谷間を抜ければ甲州街道となります。

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複々線区間の単線踏切で、電車は左から右方向にしか来ないのに「←/→」の表示があるのも滑稽です。 踏切から笹塚駅を望みます。

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踏切から新宿方向を望みます。

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京王線新宿行き電車は、笹塚駅4番線を発車すると勾配を駆け下りて来て、その幡ヶ谷3号踏切を通過。

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そしてだんだんと地下トンネルに向かって行くのです。

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甲州街道上に、首都高速道路4号線の橋脚を建設すると同時に、その下部に京王新線を新設する工事を同時に進めた関係から、京王新線は在来京王線とは別ルート。 京王線笹塚駅の上下線の間に新線を入れることになれば、どこかで立体交差させることになります。 結果は京王線上り線が、新線の上を越える必要があり、斯様なこととなった次第。

面白い踏切だと思いませんか?

 

 

2020年12月13日 (日)

クヤを撮る

このタイトルは何度目でしょうか? 

今回は代々木八幡-代々木上原間の跨線橋上からと決め、検測用パンタグラフへの照明灯が点いている姿を狙うこととしました。

クヤ最後尾にした1051Fが代々木八幡に向かいます。

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最後尾のクヤ、屋根上の照明灯が輝いています。

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振り向いてバックを撮ります。

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およそ20分後、今度はクヤを先頭に折り返してきました。 お日様が出ている天気の反逆光なので、1絞り開けてみました。

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照明灯は後方から撮らなくてはなりません。 眩しく点灯していました。

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つい先日、定期検査を終えたクヤなので、足回りも綺麗でした。

 

2020年12月12日 (土)

想い出の光景:10

新原町田、1976(昭和51)年4月10日までの小田急線の駅名です。

1908(明治41)年、横浜鉄道開業時に設置された原町田駅が、国鉄横浜線に引き継がれていたことから 、1927(昭和2)年開業の小田急は「」を加えた駅名にしたようです。

小田急が町田駅に改称して4年後、国鉄は駅位置を小田急側に移転、1980(昭和55)年4月1日から町田駅に改称しました。

写真は1968(昭和43)年9月の新原町田駅跨線橋からの相模大野方向。 下りホーム1番線には当時たった1両の通勤冷房車クハ2478が、2番線に到着したロマンスカー「あしがら」を待避しています。

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町田市の発展と共に、新町田駅も駅上に百貨店ビルを構える姿に大改良工事が進みます。下の写真は最終日の「新原町田」方向幕の4000形。 改良工事中の一時期、上下の副本線(1,4番)は閉鎖されていたのですね。 分岐器の先がありません。 出発信号機も3現示だったようです。

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翌4月11日から、駅名も方向幕も「町田」に変わりました。 そしてこの年の9月23日、小田急百貨店町田店が開店することになります。 駅周辺には祝賀のアドバルーンが上がっていました。 なんとかビルの上から撮れないかとレストラン街の店舗に入り、やって来たNSEを収めることができました。

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一日平均乗降客数約29万人と、小田急第2位を誇る町田駅、今では駅周辺の商業施設ビルも多く建ち、眺めも随分変わりました。

 

 

2020年12月11日 (金)

今日の一枚 No.92

すっかり変貌する渋谷駅界隈ですが・・・、OER3001氏にとって渋谷は東横線始発駅、あの広い改札から見渡せた頭端式のプラットホームが印象的でした。

ある日仕事で訪ねた得意先の新築社屋。 そのロビーからの眺めは、カメラを向けざるを得ないものでした。 仕事鞄に常時デジタルカメラを忍ばせてしていて良かった!

東横線渋谷駅の全貌を収めることができました。

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応接室へのご案内を待つ間の一瞬が、素晴らしいプライベートタイムとなりました。

東急は今、全力で事業基盤である渋谷という街を大改造していますが、こんな素晴らしいターミナルを失ったのは悲しいです。 鉄道会社である以上は、始発駅を大事にして欲しかったと思うのですが・・・。

 

2020年12月10日 (木)

再び_凄いポイント

2019年6月19日付け「凄いポイント」の続編ですが、今度は下りホームの先端から。 再び乗り換えの時間があったものですから、ゆっくり観察しました。

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複合分岐器と呼ぶらしい手前の左右2器は、その先でダブルクロスに繋がります。 なんだかんだでここで20分ほど見入ってしまいました。

模型で省スペースを余儀なくされる場合、随所に斯様な配線を採り入れることができればかなり効果があるのですが・・・。

2020年12月 9日 (水)

続-メトロ16000系新宿乗り入れ

懲りもせず、またその瞬間を捉えようと、行ってきました。 今回地上ホーム、通常特急ロマンスカーが使用する
1号線(2番線)への入線です。 

となれば、先ずはここ、歴代ロマンスカーのイラストと共に入線を狙うことにしました。

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車止め位置で待ち受けます。 ゆっくり入線してきました。

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あと10メートル。

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そして定位置に停車しました。

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ロマンスカーカフェを目の前にして停車しました。

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ロマンスカー用のホームに堂々と停車しているではないですか。 発車案内表示には「回送」とありますが、紛れもない「試運転」です。

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車内には小田急、東京メトロ双方の係員が、ノートパソコンを監視していました。

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「2番ホームから回送電車が発車します」とのアナウンスと共に、静かに折り返していきました。

画像は2回の入線を取材したものをつなぎ合わせていますが、これで普段は走ることの無い代々木上原-新宿間へのメトロ16000系の乗り入れを、しっかり記録することができました。

 

2020年12月 8日 (火)

今日の一枚 No.91

歴代のロマンスカー全部をカメラに収めてみました。

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新宿駅の特急ロマンスカー専用にしている1号線(1・2番ホーム)の先端壁面に描かれている歴代ロマンスカーのイラスト、3000形SE車から最新の50000形GSEまでを収めるのは長いです。

もう少しホームの人が下がっていてくれたら良かったのですが・・・。

2020年12月 7日 (月)

メトロ16000系新宿乗り入れ

このチャンスを今回は、新宿駅構内で捉えました。 地下線の各駅停車用ホームに入線してきました。

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「試運転」ではなく「回送」表示ですが、実態は試運転と思われます。

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4号線(7・8番ホーム)の所定位置に停車しました。

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ここでの同業者は数名。 いずれも若い輩で、到着予定時刻の数分前に現れ、撮ったら直ぐに立ち去って行きました。

OER3001氏はここで今回の業務終了とはなりませんでした。

2020年12月 6日 (日)

今日の一枚 No.90

やまのて線では無く、やまて線に新性能電車101系が投入されたときの路線カラーはカナリヤ(黄色5号)でした。 正面の表示窓は「山手 YAMATE」です。

写真の1967(昭和42)年においては、1964(昭和39)年から投入されたウグイス(黄緑6号)の103系量産車との置き換えが進んでいる最中でした。

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この日は高校からの帰りに、月刊誌「模型と工作」編集部へ訪問したとき、神田駅で暫し撮影をしていました。 隣の京浜東北線は依然として旧型国電が大活躍でした。

 

2020年12月 5日 (土)

地元で模型談義:「多摩のもれーる」の集い

再び再燃しつつある新型コロナウイルスは、仲間で飲食を共にしつつの模型談義にも様々な気遣いを要します。 そんな中、本来の計画より1週間ほど遅らせての開催となった今回は、 感染対策が徹底してる、個室がある、リーズナブルな費用という条件で選択した多摩センター駅近くの和食レストラン、飲み放題付き会席料理プランでスタートしました。

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なんと、ここを予約してくれたY氏は、前回の会合の時に作られたのアクリル板、いやもしかしたらエンビ板のパーティション までご持参されるという入念な感染防止です。

近況として先ずは、I氏がKATOの線路を使った運転場を整備中であることが、写真で報告されました。

真っ先にテーブルに上がったのはU氏の近作、オレンジ色の片町線旧国でした。 同じ20m車体なのに、つぼみとしなのマイクロとで全長が違うのだと。

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精魂込められた力作を眺め回しました。 素晴らしい出来映えです。

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真鍮ピカピカはクモハ40なのでしょうか、どなたが製作中なのか、聞き漏らしてしまいました。

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K氏はパンタの無い車両持参です。 私鉄気動車大好きというI氏が手に取って眺めていた車両。

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車体には〇の中にWの社紋。 近江のOと若狭のWを組み合わせた江若鉄道の社紋だと説明がありました。

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ユニークな姿のキハ5121、全景です。

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ガスタービン気動車391系も見せて頂きました。 屋根上にはビードがあったのですね。

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最新のキハE130まで作られていらしたとは驚愕でした。

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Y氏は、我が国初の4扉車である鶴見臨港鉄道のモハ220、クハ260の製作中車体をご披露。 2段上昇式側窓や木枠の側扉など切り抜きが面倒な題材を、例のクラフトロボで抜いたのだと。 いやはや皆さまからの刺激は強力です。

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ここ2ヶ月ほど、模型製作が足踏み状態だったOER3001氏は、皆さまを驚かそうとスケールの違うのを持っての参加でした。 唯一の直流2線式0番、小田急1600形スタイルです。

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“スタイル”としているのは両運転台で車体更新したのは実際には無く、そのために車番も実車には無い“1611”としています。 大きいだけに車内のシートにはモケットを貼っていたり、運転台も備えたり、乗り越しカルダン駆動やスピーカー搭載という姿に、皆さまの関心を集めることができました。

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I氏は江若鉄道の気動車と並べてカメラに収めて居られました。

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と言うわけで、今回も楽しく「多摩のもれーる」を無事に終えることができました。 

次回開催予定は2021年新春、どんな集いになるか楽しみです。

 

 

2020年12月 4日 (金)

最新車種を撮る

代々木上原以東でのメトロ車16000系の撮影に出掛けた折、勿論それだけで終わる筈はありません。 この場所で初めて、最新型通勤車の5000形が撮れました。 それにしてもこの先頭部、太陽を反射して撮りづらいです。

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特急車の最新型は70000形GSE。 この時はちょうど、先頭部客席にアテンダントが居てラッキーな瞬間を捉えることができました。

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どちらも当分の間、小田急の顔なのでしょうが、残念ながら未だ我が社の模型には登場していません。

 

 

2020年12月 3日 (木)

MSE

MSEと聞いて思い浮かべるのは青いロマンスカー。

「多彩な運行が可能な特急列車」という意味で "Multi Super Express" の頭文字を取ってMSEと名付けられましたが・・・。

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ほぼ改良工事を終えた代々木八幡駅を、上り方の踏切から撮っていました。

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ふと、その遮断機に目が止まりました。 見慣れた遮断機ですが付けられているプレートに目をやれば何と!!

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日本信号株式会社製造の「MSE形電気踏切しゃ断機」と言うのだそうです。

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折角なので、「MSE形電気踏切しゃ断機」が下りた踏切で、MSEを撮りました。

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「MSE形電機踏切しゃ断機」のMSE形とはどう言う意味なのか、日本信号株式会社のHPで製品情報を調べてみましたが、残念ながら判りませんでした。

 

 

2020年12月 2日 (水)

普段走らない区間でメトロ車を撮る

11月最後の日は、穏やかに晴れてくれました。 ここ、小田急電鉄本社ビルだった小田急南新宿ビル前で待ち受けていましたが、直前に一人参画しました。

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新宿駅はロマンスカーが利用する1号線に入線して折り返しです。 好天だけに、後方の白い高島屋のビルに露出があってしまうので、絞りを2段階開放しました。

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この日はもう1回走るので、場所を代々木八幡駅に移して待機。 ここでも直前に1名参画でした。

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そう言えばこの場所、25年前にはこんな情景も撮ることができました。 今は見ることができないNSEとHiSEとのすれ違い。 きっとメトロ16000系が走ったことも、25年後には貴重な記録となっているのでしょうか。

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温かい日差しの下で、約8000歩のウォーキングとなりました。

 

 

 

 

 

2020年12月 1日 (火)

普段は見られない光景

ここは代々木八幡-代々木上原間。 いつものように上りのロマンスカーが代々木上原駅を通過して、代々木八幡の45㎞/h制限区間に向けて制動をかけながらやって来ました。

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メトロ直通運転にも使われる4000形もやって来ました。 折しもメトロの線路にはMSEが代々木上原駅構内に進入しようとしています。

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と、ここまでは普段通りのことですが、この日は違います。 いつもは中央のメトロ線路を駆け下りてくる筈のメトロ車16000系が新宿に向かっています。 表示は「回送」ですが、何らかの試運転のようです。 残念ながら千代田線列車との併走は叶いませんでした。

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折角なのでこの場所で折り返しも狙うことにしました。 雲に隠れていたお日様も顔を出し、逆光が気になりましたので先ずは4000形でテスト。

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なんとラッキーなことに、メトロ車16000系が戻ってくる時には、お日様はまた雲に隠れてくれました。

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と言うことで、この日の撮影にはお日様が味方してくれました。

先の磐越西線C57撮影の時といい、天候に恵まれてなんとラッキーなことか。 お日様に感謝です。

 

 

 

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