想い出の光景:13
少年期からOER3001氏の遊び場だった地を撮影した写真がありました。 小田急線代々木上原-東北沢間に存在していたホッパー線、正式には東北沢駅の一部です。 背後に確認できますが、東京コンクリート東北沢工場への砂利輸送が目的でした。
ハーフサイズカメラCanonDemiで撮っているのでピントが甘いことはお許しください。 さらに、経済的なゆとりが無いので何枚も撮っていないことが残念ですが、トフは123と判読できます。1936(昭和11)年に汽車会社東京支店で6両が製造されたトフ1321形です。
このホッパー線へは、井の頭通りの踏切横から入り込むことができ、小中学校の頃には時々入り込んでいたものですが、誰にも叱られることはなかった時代です。 代々木上原方の車止め、この付近から行き交う電車を眺めていたものです。
下を行き交う電車はこんな様子で眺められました。 HB車の4連ですが、ナンバーが読めません。 デハ1400とクハ1450の2連に、デハ1200形背中合わせの2連(1209+1210)を連結しています。
代々木上原に向けて、井の頭通りの踏切を過ぎると下り勾配はさらに急な25パーミナルに。 そこをキハ5100が駆け下りて行きました。
ホッパー線は1965(昭和40)年度まで使われたようですが、そうなるとここに掲載した画像の撮影年月が??? 若しかして、使用停止後暫く貨車は置きっ放しだったのかも知れません。
今は代々木上原駅構内となっている所、想い出の光景です。
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手元にあるダイヤグラムでわかる範囲ですが、貨物列車は1964年11月改正でも東北沢まで3往復設定されています。1965年の夏ダイヤでは上りが経堂までになっているので、春の改正(修正)で東北沢には来なくなったのではないかと推定できます。これにより東北沢の渡り線の向きが変更されています。
投稿: モハメイドペーパー | 2020年12月27日 (日) 17時26分
モハメイドペーパー さま
調査までして頂き、ご教示ありがとうございます。
と言うことはやっぱり、撮影した1966年2月に貨車が止まっていたと言うことは、そのまま置いてあったと言うことになりますね。 そうは言ってもその後、ここから移動したことは事実です。
投稿: OER3001 | 2020年12月27日 (日) 17時52分
1966年といえばCedarは中坊ですから、高校になって豪徳寺の鉄仲間と頻繁に交流しOERと縁が深くなる前ですね。高校生1年のころに東北沢で撮影した時も、この側線は残っていて、渡り線も上り→下りの方向でしたね。
投稿: Cedar | 2020年12月28日 (月) 08時15分
Cedar さま
良く観察し、記憶されていますね。東北沢の線路が4線並ぶところにあった渡り線でした。貨車が渡る姿は一度も目にしていなかったことが残念です。
投稿: OER3001 | 2020年12月28日 (月) 10時19分