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2021年1月22日 (金)

初めての自作車両

ず~っと捨てられないでいるものがあります。 小学4年生(1960年)の時に作った全自作の小田急電車です。 ちょっと捜し物をしていてこれに目が止まり、ついカメラに収めてしまいました。

この時代は、ガラレール3線式のOゲージで遊んでいて、湘南電車と東海型と称する2種類のフリー両運電車が、EB58やED58電機機関車などとともに宝物でした。

モーターは高いし、電装技術も無いので、その湘南電車につなげて走らせる目的で、所謂ボール紙に寸法を描き、ボンナイフで必死に窓抜きしたものでした。 おそらく夏休みの宿題にしたのかも知れません。

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実車で登場したばかりのHE車の刺激を受けていますが、勿論図面など当時は入手する手段も無く、完成品の湘南電車のサイズを参考にして、窓割りをHE車に仕立てています。

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2段上昇式側窓だったのですが、残念ながら中桟はその後に切れてしまいましたが、両開扉中央には当てゴムの意味なのか、たこ糸を付けています。

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床板を固定式、屋根板が外れるようにしていましたが、屋根板も屋根Rが削り出されたものなど無く、平板の中央部に角材を接着し、それをボール紙で覆うことで適度な屋根Rを出していると言うものなのですから、4年生にしては上等じゃないかと自負する次第。

その屋根板の裏、天井には竹ひごで蛍光灯、紙片で整風板、ボタンで扇風機をイメージしていました。 丸い部分に金属製の飾りボタンを淡緑色に塗って付け、扇風機に見立て、ていたのです。

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当初履いていたDT23形台車はその後、2線式にするために供出、貨車用台車に履き替えていますが、先頭連結器は立派な胴受けに収まっています。

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妻板側連結器は密着ではないですか。 これ凄く気に入っていたパーツです。

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訳のわからない床下機器が付いていますが、これらは多分、太子堂にあった模型屋さんで買ったような気がします。

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駅前商店街の文房具屋さんで買った島田塗料店の“マメラッカー”を、絵の具用の筆で塗ったたことも良い想い出です。 ラッカーパテとかラッカーサーフェーサーなどというものも、未だ知らないときでした。

ということで、取ってあったところで何の価値も無い代物ですが、OER3001氏がこの趣味に嵌まることになる第1号作品としての存在、どうしても廃棄できないでいる次第です。

 

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コメント

すごい!。還暦を迎えた模型。小学生で作った車両を残していることも。連結器や胴受も懐かしいですね。胴受は上下動ができる可動式になっていたし、密着連結器は連結開放が出来るようになっていましたね。
ただ密着連結器は、連結する部分が弱くて直ぐに壊れました。
小生が初めて作った車両は、Oゲージのクハ76でした。屋根板や床板が買えず、リンゴ箱の板を利用し、室内の座席まで作りました。
屋根板もRが作れず、両肩を丸くしただけでした。台車も買えなかったので、作成時は車体だけでした。
残しておけば良かった!。


八千代運転所 さま
ありがとうございます。使用されているパーツを懐かしいと思ってくださることが嬉しいです。当時は少額の小遣い握って模型屋さんへ行き、パーツを1品買っただけで夢が広がりました。胴受けも密着連結器も、その1品でした。
八千代運転所さまの作品、取ってあったら良かったですね。

 最初から全自作は頑張りましたね。私は2作目までがペーパーキットでした。密連はピンのあるなしで1組になっているタイプなので、ピンなし同士では連結できません。後に板バネで押さえて向きに関係なく使えるタイプが発売されました。

モハメイドペーパー さま
ありがとうございます。この前には単にボール紙で作ったハコ状のものに窓を描いて彩色、糸巻きの車輪を付けたものを作っていました。

 これは将来OER模型ミュージアムができた際の目玉展示となりますね。

チャッピー さま
そんなに持ち上げないでくださいよ。でも、ありがとうございます。

こういう健気なモケーを見ると泣けますねえ~鉄道少年の夢の結晶~太子堂のモケー屋さんって北沢理科教材社かな?

私も1編成目はコダカのペーパキットでした。すでに電装を解除して台車も他に流用してしまいましたが車体は大事にとってあります。さすがに小田急ファン、1作目から小田急だったのですね。

◆ Cedar さま
ありがとうございます。 そうそう「北沢理科教材社」という名前だったかも知れません。 玉電の踏切から直ぐの所でした。


◆ ぼっちぼち さま
まあ小田急見て乗って染まったのですから当然ですね。 最初が小高のキットということは、最初から16番だったのですね。

よくぞ取っておかれました。昔の代物は、模型作りに行き詰まった際に、たまに引っ張り出して眺めていると、良い刺激になります。時折、我ながら何でこんな趣味に入れ込むようになったのか疑問に思うことがありますが、こういう時に気持ちが和む役割をしてくれる効果があるようです。

きぬやまスカンク さま
はい、よくぞですよね、60年前の代物ですから。
仰るとおり、参考にはなりませんが、当時の観察眼と熱意を感じます。

模型第一号、記念品になりますね。
私の第一号は画用紙に水彩絵の具で色付けし床板を直接のりつけしてしまうという、むちゃくちゃな工法で床下機器もありませんでした。現存しておらずとても残念です。
その後の模型はプレスボードキット組立てをするようになり二作めが残っていた最古でしたが、2年前シンナー漬けにして解体して再組み立てしてしまいました。
それでも作業中に当時のいろいろなことを思い出しますね。

阪鉄車輛 さま
このブログご覧頂き、ご自身の諸作を思い出して頂き嬉しく思います。
やっぱり阪鉄車輛さまも、画用紙に水彩絵の具で色付けという“箱”のようなのを作って居られたのですね。それにしても第2作目を再組み立てというのも凄いです。“ビフォアー、アフター”で画像は無いのでしょうか?

OER3001様、こんばんは。
Befor/Afterはありますというか、解体~再組立てを記事にしておりました。
https://阪鉄車輛.fc2.net/blog-category-30.html

阪鉄車輛 さま
それは何よりです。
じっくり拝見させて頂きます。

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