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2021年1月14日 (木)

都営地下鉄1号線

緊急事態宣言の中、不要不急ではない模型のパーツ調達という目的で渋谷へ、乗り換えの明大前で1コマ撮影です。 この場所を見ると、必ず東京山手急行(とうきょうやまのてきゅうこう)電鉄のことに思いを馳せます。

実現しなかった戦前の構想ですが、写真の構造物がその事実を今に伝えてくれているのです。

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目的を達成したら、感染予防のために即退散です。

ちょうど乗り合わせた電車は都営の車両。 この中吊り広告に目が止まりました。

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空いている車内を見渡せば、同じものが窓上にも。

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初めて東京都営の地下鉄が開業してから60年だそうです。 都営1号線として浅草橋-押上間が開業したのが1960(昭和35)年12月4日、当時の都知事・東 龍太郎 によるテープカットのポスターでした。

東 龍太郎という都知事、OER3001氏が小学生の時に描いた絵が「金賞」で、その賞状に「東京都知事 東 龍太郎」とあったことから強烈な記憶となっていましたが、高校時代の都知事選では美濃部亮吉を密かに応援、選挙権を得た最初の選挙では、投票用紙に「みのべ亮吉」と欠いたことも忘れられません。

因みに同じ車内には、大江戸線全線開業20周年のポスターもありました。

 

 

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コメント

都営の5000も懐かしいです。そのころ母方の祖父母が柴又に住んでいて、京成に乗ると青砥や高砂でよく見かけました。最初は2連、都心側が細切れに延長されるたびに編成が伸びていきました。京成の赤電と似て異なる色味と、貫通式なのに金太郎塗りってどうよ?と思ったものです。

都営の5000型懐かしいですね。当時の模型とラジオにカラー写真と車両図面が掲載されていました。たしか、曳舟駅の青砥寄りの土手下に、都営の車庫があって、5000型が停まっていました。
わが国ではじめての、パンタグラフのついた地下鉄車両と紹介されています。

◆ Cedar さま
都5000系って、車体中央のステンレスで縁取りした帯などなかなか良い作りだったと思うのですが、何故かパッとしなかったの何故でしょう? 大学生の頃、京成好きの親友がペーパー自作、TMSに発表していました。


◆ 八千代運転所 さま
「模型とラジオ」ですか、それ自体懐かしいですが、図面掲載があったことは知りませんでした。 そう言えば地下鉄なのにパンタがあるということが珍しかった時代だったのですね。

図面は、前面、妻面、両側面(床下機器まで描かれている)、床下機器配置図が描かれています。しかも、5001と5002の2両。寸法からして、約1/115です。
ステンレスの帯、後年は剥がれかかって戸袋内で引っ掛かり、ドアが閉まらなくなったとか色々と問題が発生したようですね。そのため、塗り帯になりましたね。

八千代運転所 さま
それは相当親切な内容でしたね。菊池文夫さんあたりの“作り方”が掲載されていたのでしょうか?
ステンレスの装飾、そうだったのですか。

菊池文夫さんの作り方は掲載されました。模型とラジオの、鉄道模型の記事は切り抜き保管してあるはずですが、手元に見当たりません。
保管場所の倉庫にあるかもしれません。

八千代運転所 さま
やっぱり菊池さんの記事掲載されていましたか。菊池さんの製作記事はとても参考になった想い出があります。

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