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2021年2月

2021年2月28日 (日)

想い出の光景:25

代々木上原駅付近変貌の記録、「想い出の光景:24」から3ヶ月後の1975(昭和50年)年8月 には、改札口前の踏切まで高架橋の鉄筋が建ち始めました。

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2ヶ月後の10月になると、高架橋はすっかり出来上がっています。線路はまだ元の位置なので、高架橋の下になった踏切を電車が通過していきます。

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その踏切からの光景は斯様な感じになりました。下り電車の通過です。

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東北沢方向を望むと、駅舎が無くなっています。遙か先の高架下に仮駅の看板が見えています。

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その状況が次の画像。元のプラットホームの東北沢方終端辺りから向こう側に、仮ホームが設けられています。そしてその上には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できます。

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上り仮ホームに停車中の5159他4連新宿行き、その上方には新駅ホーム上屋の鉄骨が確認できるので、この仮ホームはほぼ現在のプラットホーム位置と一致します。

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その上りホームが次の画像ですが、曲線区間に設けられていたプラットホームがほぼ直線になりました。

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SSE車の下り「あさぎり」が通過する画像では、新宿方が僅かに曲線区間に掛かっていることが確認できます。

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こうして徐々に徐々に、千代田線接続の設備が構築されて行きました。このシリーズはまだ続きます。

 

 

2021年2月27日 (土)

ベルンの路面電車

アムステルダムの路面電車を見た後は、憧れの国際列車TEE乗車を堪能したのですが、このことはまた別の機会にご紹介するとして、その夜はベルンに一泊。翌日の過激行動前の“朝練”をベルンで行いました。

生憎ここだけは手持ちフィルム本数の関係から、ネガフィルムでの撮影。最初は朝陽を受けてホテルから程近くの、有名らしいカラフルな噴水のモニュメント前から一枚。1354 年、ベルン初の病院を設立したアンナ ザイラーの像だそうですが、貴重なフィルムでその像は撮っていないのがOER3001氏。フィルムがかなり黄変していてがっかりです。

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この日もまた、ベルンからICで移動する関係から駅に向かう路上での撮影でした。大きな荷物を抱えながらの撮影は楽ではありません。3車体連接が来ました。

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駅方向への曲がり角で、交戦状態の良い場所を見付けました。これは古いボギー車が付随車を牽引しています。

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今度は3車体連接が。前々画像と同型ですが、こちらは「12」号のようです。オデコの「9」は運行系統のようです。

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今度はボギー車の2両編成、「121」号です。古い歴史を感じるベルンの街並みに、このグリーンとクリームのツートーンカラーは良く似合うと思います。

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ベルンをもっと歩いて見たかったと思いつつ、僅かな時間でここを去るのはとても残念でした。

 

2021年2月26日 (金)

罫書きと窓抜き

ペーパー車体製作の原点は罫書きと窓抜きですが、最近はCADやカッティングロボやレーザーカッティングが出現したお陰で、その原点が忘れ去られようとしています。他人様の設計によって、機械的に窓抜きされた材料を組み立てることを否定するつもりは毛頭ありませんが、本来の「自作」とは、自ら寸法を割り出し、罫書いて窓抜きするという工程が原点かと思っています。

とは言え、やはりこの作業は大変です。

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調達し過ぎて永年の在庫で、変色している材料もありますが、これももうじき在庫一掃となりそうです。

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2列だけ窓抜きを終えました。最初は4隅のRに彫刻刀を入れ、次に直線部。左にステンレス定規を置いてガイドとし、カッターを入れて行くという単純作業。マイペースで進めながら、なんだかんだで切りカスが溜まるのは達成感があるものです。

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とりあえずこの作業はなんとか完了、切りカスの数量は160枚でした。

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さて、この先はどう進めますかね。のんびりマイペースで進めることといたしましょう。

 

 

2021年2月25日 (木)

想い出の光景:24

前回の「想い出の光景:23」から3ヶ月後の1975(昭和50年)年5月には、代々木上原駅前の踏切脇に完成予想図が掲示されていました。左方の代々木八幡駅から右方の営団引き上げ線終端までが、結構詳細に描かれていました。

ほぼこの通りに完成している現在ですが・・・、一つだけ実現していないのが高架ホーム下側(北側)に描かれている駅前広場。まだこの計画が生きているのでしょうか?

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まだ1800形が現役バリバリの頃ですが、この頃に事実上の4両固定運用になり、両端に出る先頭車だけ貫通扉をステンレス製の新しいものに交換、窓が上下方向に拡大されました。そして方向幕が手動から電動になりました。

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プラットホームの時計が15時5分を指している時、新宿15時00分発の「あしがら」が通過して行きました。

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この線路位置、今はメトロの線路になった場所、NSE先頭車の先に確認できる踏切が井の頭通り。そこが現在のホーム下ということになりますが、開業からこの時代まで、小田急の線路位置は変わっていなかったのです。

 

2021年2月24日 (水)

アムステルダムの路面電車

マンハイム(Mannheim)の路面電車を撮った後は再びICに乗り、北に向かいました。 ちょっとした距離、500㎞くらいだと思いますが、国境を越えて夜遅くに到着した地はオランダのアムステルダム(Amsterdam)。

なんとかホテルに荷物を置き、有名な夜の運河に向かってみました。 運河に沿って、所謂“飾り窓”街が! それはそれは何とも眩しい光景でした。

1979(昭和54年)年7月18日 の朝7時15分、窓から外を見れば、そこは王宮(Koninklijk Paleis Amsterdam)前のダム広場(Dam)に面した部屋ではないですか。 今思えば随分と凄いホテルだったようです。

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簡単に朝食を済ませ、早速活動開始。 7時45分、アムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)に向かう黄色い路面電車が次々に通ります。

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ダム広場の国立モニュメント(Nationaal Monument)と王宮を入れて撮りたかったのですが、王宮の塔が高くて入りきれませんでした。

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8時近くなると通勤者も多くなり、自転車で急ぐ人も路面電車と併走です。

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折角なのでとりあえず来た電車に乗ってみました。

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ところが昨夜遅くに西ドイツからオランダに入ったため、両替所はどこも開いて無く、ギルダー(NLG=Nederlandse gulden)が無く、手元には西ドイツマルクだけ。 降車の際に訳を言ったら優しく「この次でいいよ、良い旅行を」と言って優しく見送ってくれたのです。

オランダ人に感激し、東京駅のモデルとなったと伝え聞くアムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)前で撮影です。思っていたほど大きくなく、東京駅の方が遙かに大きく、少々立派で残念でした。

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流石に駅前は人が多いですが、それでも東京都は比べものになりません。

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電車は次々に来ますので、駅前だけで充分観察できます。

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停車場も人の往来が自由。 みんな自己責任でしょうか、思うがままの方向目指して歩き出します。

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8時22分になったところで、車道を歩くカップルに目視されてしまいました。

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親切なオランダ人に出会いながら、深夜に着いたアムステルダムには10時間も滞在しませんでした。 慌ただしくこの後は、国際列車TEEに乗ることになっていました。

 

2021年2月23日 (火)

復旧

地震で被害を受けた東北新幹線は、漸く復旧となるようですが、架線柱損傷で運休していた弊社箱根登山線も復旧となりました。

損傷した手前の複線用を急遽調達、新しいものに交換しました。

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同時に、奥の架線柱も含めて、碍子に白を入れたので、以前より実感的になったと思っています。

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ベルニナも早速走り出しました。

 

2021年2月22日 (月)

変わる新宿西口

OER3001氏は1959年から、新宿駅西口を小学校への通学で利用していたので、トレーラーバスが発着する光景から立体広場への変貌を遂げる過程を目の当たりにして育ちました。 国鉄駅は「西口」と言わず「青梅口」ではなかったかと。

小田急の改札口はその青梅口の南側に、そして京王はその西側に木造の駅舎を構えていたように記憶していますが・・・。 

一番先に建ったのが1962(昭和37)年11月開店の小田急百貨店ビル(当時は東京建物ビル)でした。この時はまだ広場の立体化は未着工、屋上展望台からは富士山と共に、発着するトレーラーバスバスが良く見えました。

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1963(昭和38)年に京王線新宿駅地下化完成、翌1964(昭和39)年に京王線の地下駅、京王百貨店が完成。地下広場は1966(昭和41)年に完成すると翌1967(昭和42)年 、小田急本館が完成するという矢継ぎ早の変革でした。

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小田急、京王と、戦時中は同じ“大東急”だったものの、ライバル同士が競うことになったのですが、その百貨店に“秘密の橋”があることをご存じでしょうか? 

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非常時の避難通路として、ライバル同士が協力して設けられた“架け橋”です。この新宿西口を象徴するビルも、2022年度から取り壊し、あらたに地上48階建てのビルに生まれ変わるという計画が、小田急、東京メトロから発表されています。 消えないうちにしっかりまた撮影しておこうと思っていますが・・・、

その新宿西口に来月、あらたな模型店が開業すると言うのです。それがこの“IMON”ビルと表示されたビルの3階。ヨドバシカメラ・カメラ総合館の隣だというので序でに状況を見てきました。

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入口は左側の「IMON」表示の入口からエレベータのようです。

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ヨドバシカメラでもホビー館で模型取り扱っているだけに、果たしてどんな店になるのか、大いに楽しみです。

因みに、メトロフリーきっぷを買っていたので丸ノ内線にたった一駅、新宿→新宿三丁目まで乗車して、地上に上がってみればこの異様さ。

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新宿三丁目の交差点からの伊勢丹。堂々とした昭和の香がする立派なビルなのに、シャッターが閉まっていてまさか閉店!?と思ってしまう光景は、コロナ禍で入口を地階に集中した結果でしたがなんとなく残念。

新宿は歴史ある東より西、西高東低がトレンドなのかな?

 

2021年2月21日 (日)

モハ2形 109号の引退の前に

箱根登山鉄道のモハ2形、109号が3月21日にラストランという告知がされています。 間際になれば相当な「密」になることが予想されるので、まだ大人しいうちに出掛けてみることにしました。

ちょうど良くEXE-αが来たので乗ったら、トントン拍子にここまで。 

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今回はこの辺りでゆっくり撮ることにしました。 モハ2形(109)はモハ1形(104、106)との3両編成、しかも3両とも違う塗装です。

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望遠で撮った後にコンデジでも1枚。

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急いで路地を抜けて先回り、上って行く後ろ姿も撮れました。

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再び山を下りてくる所も。

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大平台でスイッチバックして、箱根湯本に下りていきました。

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こちらは大平台から上ってくる所。ここの踏切は「大平台出口踏切」と言います。因みにこの右下の踏切が「大平台入口踏切」、登山線の踏切名称は面白いです。

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と言うことで、実車は来月引退することになっていますが、“当社”の109号は不滅です。小さなレイアウトでは実車に似た風景は再現できませんが、一応雰囲気だけは・・・。

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カメラ位置を可能な限り低くして。

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5コマ目の画像同様に、縦アングルでも撮ってみましたが。

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模型の世界では想い出はず~と残せますから最高です。

 

 

2021年2月20日 (土)

新宿で撮る

新宿へ出た序でに暫し撮影タイムなのですが・・・、まさかANAJA751Aを撮るとは思っても見ませんでした。 話しには聞いていましたが、こんなに低い高度とは!

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NTTdocomoタワーをかすめるように・・・。

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折角なので別の飛行機でも狙ってみましたが、ビルの時計を入れると迫力がありません。

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本来ならカメラはこのように下に向けるのですが、残念ながら架線柱やらビームやらが邪魔して思うように撮れません。

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その場所はここ、バスタ新宿の3階テラス、写真の「JR新宿駅」とある上です。

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上を向いたり下を見たりと首の運動をしながら気長に待つ気で居れば、結構楽しめる場所のようです。

 

 

2021年2月19日 (金)

運休

2月13日(土)23時8分発生の福島県沖を震源とするM7.1、最大震度6強の地震被害ではありませんが、弊社箱根登山線の架線柱が損傷し、運休となっています。 ベルニナとアレグラは、向かいのホームに停車したままとなっています。

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手前の複線用コンクリート柱の左が根元から破断、ビーム右側も破断してしまいました。

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これらの事故はあくまでも人為的なもの。 つまり清掃中にハンディクリーナーをぶっつけて折ってしまったと言うことなのですが、交換用在庫が無いもので・・・。

そうか、この交換は不要不急では無く必須至急だから、模型店に出掛けるとしますか。

 

2021年2月18日 (木)

想い出の光景:23

このシリーズは、ここ暫く代々木上原を取り上げていますが、今回は1975(昭和50年)年2月の記録を。 カラーポジからのスキャンニングですが、どれも色が薄くなってしまっているのはお許しを。

だいぶ高架橋が出来てきて、駅舎が右の高架橋下に収まっています。 下り「あしがら」が通過して行きました。

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その場所から代々木八幡方向を望んだところですが、既存線路の両側には高架橋が連続してきました。

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そこからもう少し代々木八幡方向に移動して海側から見下ろしたら、下り本厚木行き各停の2600形NHE車が通過するところでした。

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今度はその先の、八幡3号踏切だったと思われる代替跨線橋に上って、夕刻の代々木上原方面にカメラを向けています。 3000形SSE車は「さがみ」、これも懐かしい想い出です。

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まだ高架橋は繋がっていませんが、急ピッチで工事は進んでいました。

 

 

 

2021年2月17日 (水)

今日の一枚 No.100

この「今日の一枚」シリーズも100回目になりました。 記念すべき(何を?)100回目としてふさわしい(かどうかはわかりませんが)一枚は・・・これにします。

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久しぶりの級友との待ち合わせで出掛けた新百合ヶ丘。 級友から5分ほど遅れるとのメールを受信したので、それなら撮れるぞ! と判断して撮れた一枚。 まさにこの日の一枚なのです。

例の女性蔑視発言で辞任したM会長といい、コロナ禍といい、果たしてオリンピック・パラリンピックが開催されるかどうか?

そんな中でムードを高めようと、オリパラ装飾電車が走り出しています。 これも「中止」なんてことになったら、早々にラッピング剥がされてしまうのでしょう。 撮るなら早めにですね。

 

 

2021年2月16日 (火)

2月16日という日

母が95歳で旅だった日です。 漸く一年が経ちました。

それはそれとして、2月16日に撮影した画像を探してみました。 先ずは13年前の2008年、経堂駅で撮っていた中から、真っ白い富士山をバックに来たのは5053先頭の新宿行き急行。 後ろは8000形でしょう。

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まだ10000形HiSEも現役の時代でした。 すれ違った上りのロマンスカーが50000形VSE、その後ろ姿もありました。

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4年前の2017年には“都電”も撮っていました。 京王多摩センター駅に到着する10-000系を。

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2月16日撮影の鉄道関連画像の中から取り上げてみましたが、いずれも今は母同様に亡きものとなってしまいました。

 

2021年2月15日 (月)

マンハイムの路面電車

カールスルーエの路面電車を見た1979年7月17日、再びICに乗ってマンハイム(Mannheim)に急ぎました。

マンハイム中央駅(Mannheim Hbf)に到着、 駅舎中央の時計は16時を示していました。  午前中にハイデルベルクで見たのと同じ「OEG」オーベルライン鉄道 (Oberrheinischen Eisenbahn-Gesellschaft)の電車が大通り方向に向かって発車しました。

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この駅と直角に交わる広々とした道路を「OEG」 が加速して行きました。

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16時2分過ぎでしょうか、今度は3車体連接のデュヴァグ(Duewag)カーが。

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続いて同じデュヴァグ (Duewag)の2車体連接が、渡り線を渡って手前の線路に。

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次の電車は前照灯が1灯のバージョン、初めからその線路です。

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今度は赤い帯のが。 ここまででおよそ10分間です。

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いや、もう、次々に発着しています。 今度は「OEG」が。

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振り向けば3列車が続々とですが、「OEG」でない方はマンハイム交通とでも言うのか知りませんが、帯の色が赤、黒と存在していたようです。

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ちょっと歩いて見ました。 「OEG」は両運転台で、進行方向のパンタを上げますが、マンハイム交通(勝手にそうしましたが)は終端ループなので一方方向にしか進みません。 右側の車両はその後部です。

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書き忘れましたがここも軌間は1,000㎜、メーターゲージでした。

ただ路面電車を見る目的で訪問したマンハイム、1時間もあれば充分の収穫と言うことで、朝はフランクフルト、昼前にハイデルベルク、昼過ぎにカールスルーエ、そして夕刻にこのマンハイムと、一日で4都市の路面電車を見て回ることができた次第。 

この後ICで宿泊地だったフランクフルトまで戻ったという、慌ただしくも充実した一日でした。

 

 

2021年2月14日 (日)

想い出の光景:22

今回も代々木上原の想い出、1974(昭和49)年です。

フィルムを節約して撮っていたこともあり、最悪の色になってしまっていますが、ここは代々木上原駅東の山側から。 地下鉄9号線乗り入れ工事たけなわの時に降雪。 仮柵の向こうですれ違う上下列車は2600形NHE車(左)と4000形です。

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その場所を、上りホームから見ていました。 新宿行き各停は4063が最後尾、まだ日中は3両編成が走っていたのです。

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上りホームから東北沢方向を見れば、山側には鉄筋コンクリート製連続ラーメン形式の高架橋が建ち始めています。

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この後、みるみるうちに長閑だった光景が変わって行きました。

 

 

 

2021年2月13日 (土)

今日の一枚 No.99

つい、昨日のことだと思っていたら・・・、もう10年前のことだったのですね、この顔が引退してから。

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記念のヘッドマークを掲げた5268F、黒川の陸橋で待ち受けました。 この後、相模大野への回送も撮りたくて、鶴川-町田間へ急ぎましたっけ。 

 

2021年2月12日 (金)

江ノ島散歩(2)

と言うわけで、海岸へ向かってみればこの通り。 陽春の富士が見事です。

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♪「浜辺の歌」の歌詞が作られた場所だったのですと。 あらためてその歌詞を読んだら、納得です。

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左に江ノ島が。

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歩道に吹き寄せて堆積した砂を、大型重機がかき寄せていました。

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海岸をのんびりウォーキングして、ここで歩道橋を渡って目的地に向かいました。

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あまりに良い天気で気持ちが良かったので・・・、お仕事打ち合わせ終了後、再び鵠沼海岸駅まで歩いてしまいました。 17,000歩を越えたわけです

 

 

 

 

2021年2月11日 (木)

江ノ島散歩(1)

としましたが、江ノ島には行っていません。 お仕事の打ち合わせに出掛けた折に、折角なので少々足を伸ばしてみた次第。

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日中は春の暖かさという天気予報通り、気持ちの良い昼時間。 緊急事態発令中と言うこともあって、人が少なく撮影に最適です。

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片瀬江ノ島駅の上屋はなかなか見物だと思っていましたが、よ~く観察してきました。

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車止めの正面には、新江ノ島水族館をPRする水槽がありますが、ちょっと待てば見入っていた乗客も居なくなって撮影できました。

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改札口の天井には凝った彫刻が飾られていたこと、今回初めて気づいた次第です。 人手が少ないと遠慮せずにキョロキョロできます。

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その外観も、青空の下で人を入れずに撮れたのが嬉しい。

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半世紀ほど前にここで撮影した時を思い浮かべながら、ホーム先端へも回って見ました。 当時のホームは6両長までだったのに、左のホームは10両用に延長されています。

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もう一つ向こうの踏切まで行ってみました。 やっとダブルクロスを入れて撮れました。

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反対側から「各停・相模大野」の表示の片瀬江ノ島行きが来ました。 この前の鵠沼海岸駅を出ると行先表示を切り替えるので、終点で待っていても「各停・江ノ島」は撮れないのです。

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お仕事の打ち合わせ場所まで海岸を歩くことにして、歩き出したら後方で踏切警報機が鳴り出して・・・。

思わずCedarさまの真似して“隙間電車”を。

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この日の歩数は17,000歩を越えました。

 

2021年2月10日 (水)

10年前の今頃は・・・

“十年一昔”と言いますが、子どもの頃に感じた10年と、大人になってから感じる10年は、同じ時間なのに短く感じる理由もあるようです。 簡単に言えば、身体の成長と関係していると。

ふと、10年前のこの季節の記録を辿ってみると・・・刺激的な一瞬を捉えていました。

今は無き6000系、引退間近に登場時のリバイバルカラーとなった6416が先頭ですが、その後方にご注目あれ。

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通常カラーに続くはグレーです。 その後ろはステンレスの検測車クヤ!

この列車、折り返しで若葉台に向かったのも追いかけました。 

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10年前は、まだ6000系が細々活躍していたようです。

 

 

2021年2月 9日 (火)

カールスルーエの路面電車

ハイデルベルク(Heidelberg)から再びICの乗客となり、向かった先はカールスルーエ(Karlsruhe )。 同じバーデン=ヴュルテンベルク州( Land Baden-Württemberg) の都市です。

ドイツ(この時は西ドイツ)では、何処の都市へ行っても、その都市名の駅は全て「中央駅(Hauptbahnhof)」なので、地図を見ても「Hbf」としか表示されていないことも多く、駅舎の写真を撮っても「Hauptbahnhof 」としか書かれていないので、後に写真を見ても何処だったかわからなくなることがあります。

これがカールスルーエ中央駅(Karlsruhe Hbf )、駅前の停留所は「Hauptbahnhof」です。

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黄色ベースの車体ですが、赤いのと緑色のとが走っていました。 

赤い方がカールスルーエ交通事業(VBK:de:Verkehrsbetriebe Karlsruhe GmbH)、緑色がアルブタール交通(AVG:Albtal-Verkehrs-Gesellschaft mbH )とのこと。 相互直通運転を行っていました。

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赤いVBKは紛れもないデュヴァグ (Duewag)カーです。

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噴水と草花で居心地の良い駅(停留所)でした。

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思わずしゃがんで、カメラを低く構えたら、ドイツのお父さんに見られてしまいました。 車内のご婦人お一人も視線をこちらに。 よっぽど目を引く格好だったのでしょうか。

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緑色のAVGにも、デュヴァグ (Duewag)カーがありました。 こちらのカラーの方が好みです。

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と言うわけで、帰国後にROCO製品を買ってしまいました。  行先はHauptbahnhof。

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先のお父さんの視線を引きつけてしまった写真と似たアングルでも。 実車のパンタグラフはワンアームではなかったようですが、まあいいか。

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折角なので久しぶりに動かしてみました。

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このような車両はなかなか運転会では出番がありませんが、コロナ禍で外出自粛の時、KATOの550R曲線上でも走らせれば充分楽しいものです。

 

 

2021年2月 8日 (月)

想い出の光景:21

代々木上原駅周辺の想い出を続けます。

地下鉄9号線(千代田線)乗り入れ工事が行われていた1973年7月の改札口からです。 神戸銀行は既に移転し、建物は解体されています。

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翌8月には完成予想図が掲げられました。 乗り入れのために造られた9000形が、地上区間で活躍しています。

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駅東の海側(南)のこの場所、余り記憶が無いのですがもともと道路だったのでしょうか。

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東北沢方向では測量が行われていました。

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そこから駅を眺めます。 車体を傾けた2600形NHE車の新宿行きが発車したようです。

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この場所、まだ背後にはイスラム教寺院のドーム屋根がよく見えました。 NSE車3100形もほぼ原型の時代で、屋根上には増設クーラーが載っていないスマートな姿、膨らんでいた幌も懐かしい。

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建ち始めた新宿の高層ビルが良く見えていました。 中央の薄く白いのが京王プラザホテル、左が住友三角ビルでその間の黒く見えるのは建築中の三井ビルと思われます。 一番右は建築中のKDDIビルではないだろうか。 1800形も元気な時代でした。

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この踏切から東北沢方向を撮っていました。 この辺りが今の駅なのです。

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駅山側に回って見れば、商店が立ち退いた場所で鉄筋が建ち始めました。 駅はまだそのままです。

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暑かった8月のこの日、13時56分に通過するのはSSE車の「えのしま」でした。

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ちょうどこのプラットホームの端から向こうが、今の代々木上原駅になっていますが、ここを毎日利用していた時代が懐かしいです。

 

 

 

 

2021年2月 7日 (日)

ハイデルベルクの路面電車

1979年7月17日、フランクフルト中央駅(Frankfurt Hbf) 近くで撮影後、インターシティ(IC)と言っていた特急列車で向かった先はここ、ハイデルベルク(Heidelberg)でした。 ハイデルベルク中央駅(Heidelberg Hbf)正面の時計は10時35分を示しています。

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ハイデルベルクと言えば多くの日本人には、世界中の数多くの観光客や学者を引きつける、プファルツ選帝侯の宮廷だった城跡やドイツ最古の大学ループレヒト=カールス大学などが思い浮かぶことと思いますが・・・、そのどちらにも足は向けずでした。

駅内インフォメーションで入手した路線図頼りに、生憎の雨の中、適当な場所まで乗ってみました。 古い街並みが綺麗な場所で下車して待つと、小田急の旧塗装より明るい黄/青の塗装車が現れました。

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先の電車には「HSB」 の表示なのに、今度来たの3車体連接車は「OEG」 。 この電車、両方の運転台側にパンタを乗せていますが、後方パンタは下ろしています。 走行方向のパンタを上げるのでしょうか。

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雨は小降りから止んできたようですが、低く垂れ込めた雲で暗いのが残念! 古いドイツの街らしい雰囲気が良いのに。

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少し明るくなってきましたが、街行く人々は7月とは思えない服装で、大分寒い地だったのですね。

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この場所でちょっと粘ってみたようです。 グリーンの電車が近づいて来ましたが・・・、

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去って行った後ろ側は赤でした。 面白い塗装です。

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ネッカー川(Neckar)に架かる橋まで歩いたようです。 来たのは「OEG」の3車体連接電車で「107」と車号が読めます。 後に調べたら、ハイデルベルク電気軌道に乗り入れるオーバーライン鉄道の車両だったようです。

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どこか繁華街に移動したようです。 すっかり雨が上がり薄日も差してきました。 この白/青の好感を感じる塗装が「HSB」の本来の塗装のようです。

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赤い車両は広告電車だったようでした。

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このハイデルベルク電気軌道は、写真を見る限りメーターゲージだったようで、とても好感が持てました。

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今の時代なら、ドイツの情報収集も楽にでき、この正面のホテルに泊まってなどと計画を練れるのですが、このコロナ禍では実現できそうにないのが残念です。

戻って来た中央駅(Heidelberg Hbf)のコンコース、壁面の時計は12時22分を示しています。

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僅か2時間にも満たないハイデルベルク滞在はこれにて終了。

プラットホームに下りてみれば、隣のホームからキハ02のようなレールバスの4両編成が発車するところ。 かわいらしい車体を4両も連ねて、エンジン全開の排気は凄いものでした。

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ここから再びインターシティの乗客となり、次の地へ向かいました。

 

 

2021年2月 6日 (土)

今日の一枚 No.98

暑かった1970年7月17日の夕方でした。

昭和10年 川崎車輌

昭和25年 大井工場 更新修繕-Ⅰ

昭和31年 日本車輌 更新修繕-Ⅱ

とプレートを重ねた日本国有鉄道の車両に目が釘付けになりました。 

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国分寺駅4番線に停車していたのはパンタを下ろしたクモハ400074。国分寺ー東京競馬場前5.6キロの下川原下河原線専用の車両となっていたのだが・・・。

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残念ながら一度も乗ることなく、下川原下河原線は1973年4月に廃止となってしまいました。

この日、鉄道労働科学研究所からの帰りでした。 人間工学を学んでいた学生時代、大学の研究室から実習先として2週間の“通勤”をしたことも懐かしい想い出です。

 

 

2021年2月 5日 (金)

シニアの遠足

気象庁が 1951年の統計開始以来、最も早い「関東地方で春一番が吹いた」と発表した日、“シニアの遠足”がありました。 前日に同世代お仲間、とは言ってもOER3001氏より若干年上の方々にメール。 緊急事態宣言発出中でもあり、都合の良い人だけご参加をというもの。 参加条件は「コロナウイルスの持ち込み禁止」というだけ。

ここで集合です。

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小田急多摩線の唐木田駅から“遠足”開始です。

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先ずはここを横目に見て・・・、

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洗車している4000型から水飛沫が立つ姿を見てから、

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いよいよ「多摩よこやまの道」へ入ります。 進路は右へ。

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早速、小さな展望台から唐木田車庫を見下ろします。

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整備された自然道を進むと・・・、ここからの眺めは鶴見川河口だそうで、房総半島まで見えるのだと。 しかしこの日は少し霞んでいて残念!

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通称尾根幹線と呼ぶ南多摩尾根幹線道路を越えます。 向こうが本日の出発地方向です。

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反対方向は相模原に向かいます。

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ここを越えて、長池公園に入ります。 「夕日の展望台」からの眺めを楽しみますが、午前中ではあまり感激できる眺めは得られません。 ここはやっぱり夕方に限ります。

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長池公園に別れを告げて、少しだけ尾根幹線の歩道を歩きます。

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そしてここからは右方向の「尾根緑道」に入ります。

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椿が鮮やかに咲いていました。

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大きく成長した桜並木になっている「尾根緑道」を、お仲間のシニアが歩いて行きます。

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この道、モグラさんも良く訪れているようで、至る所にその証拠が。

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このあたりで、お互いにいつまでも元気で居られるようにと願いながら、記念写真を撮っておきました。

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これは梅の一種でしょうか? 季節を感じながらのウォーキングが楽しめます。

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この「尾根緑道」は、第二次世界大戦末期に陸軍が製造していた戦車の走行テストに試用されていた道路。 通称「戦車道路」でした。

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それだけに道幅も広く、地盤もしっかりしていそうです。 ここにLRTを敷設したら良いのにな~などと思いながら歩きました。

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こんなに自然を楽しめ、ソーシャルディスタンスも確保できる場所なのに、所々に斯様な表示、「マスク着用」を呼びかけていました。

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西側の開けた展望台から、京王相模原線が望めることを確認して、ここ都立小山内裏公園から抜けることにしました。

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鉄仲間のシニアですから、電車の撮影は必須です。 多摩境駅付近から橋本方向を眺めていたら、来ましたちょうど。

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幸か不幸か、駅付近に適当なお休み処もなく、やって来た本八幡行きに乗車することに。

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ということで、この日の“シニアの遠足”はこれにて自由解散。 また温かくなった頃に、お花見でもと言う約束を交わしてお開きとしました。 多摩市をスタートし、町田市、八王子市と歩き、帰宅後に歩数計を確認したら19,000歩越え、良い運動となりました。

ご一緒頂いたモハメイドペーパーさま、ぬか屋さま、大変お疲れ様でした。 そしてありがとうございました。 次回も元気で再会できますように、健康維持に努めましょう。

 

 

 

2021年2月 4日 (木)

白き富士と都電

? と思うようなタイトルですみません。 都電と言えば都電ですが、都営地下鉄の車両です。

地下鉄車両が富士山と撮れる場所も然程多くないことと思いますが、その気になって探せば結構あるのではないでしょうか。 ここは京王相模原線京王堀之内駅から南大沢方面に400メートルほど歩いた蓮生寺公園の近く、八王子市立松木小学校の南側です。

この時も緊急事態宣言発出中。 人との接触を避け、“京王ライナー”撮影目的で一人跨線橋に立っていたのでした。

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本日2月4日は、この後お仲間有志とのウォーキング。 この画像の遙か向こうまで行く計画なのですが、この場所に寄ると些か遠回り。 健脚のシニアだけに、はたしてどうなることか?

 

2021年2月 3日 (水)

想い出の光景:20

そう言えば、曲線区間には“カント”が設けられるということは当たり前の常識ですが、小学生低学年の時にはそのことを知らなかったかも知れません。 走行中の列車や電車で、運転台の後ろから前を眺めたり、車掌室越しに後方を眺めることでもしない限り、ただ“普通に”乗っているだけでは身体で感じ取れることもありません。

その“カント”を身をもって理解できたのが代々木上原駅なのでした。

小田急線の急曲線区間としては、時速45キロに制限を受ける半径200メートルほどの代々木八幡駅付近のが印象的ですが、速度制限がある関係からか、然程のカントを感じ取れないのに対し、それより大きい筈の半径だった代々木上原駅付近の制限速度は時速45キロではなかったようで、代々木八幡よりきついカントが設定されていたはずです。 

そこに各駅停車が停車するので車体は大きく傾き、曲線外側から乗車しようとすれば電車の床面がプラットホームからかなり高い位置になります。 朝の満員電車には外側から乗車することになるので、立ち客は内側に押されて倒れかかってくることになります。 反対に曲線内側になる電車の床面は、ほぼプラットホームと同じ高さとなって、乗降が楽でした。

なるほど、これが“カント”と言うものかと、身体で感じられた場所でした。 その代々木上原駅プラットホームも長編成化の進捗に合わせて下り方(東北沢方)に延伸を重ね、大型6両編成の時代になると、左側の大きなフードのITVが設置されました。

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鉄筋コンクリートの駅本屋は、山側(曲線外側)の上りホーム前方の階段を下りたところにありました。 下りホームへは地下道を通って行く構造。 まだ自動券売機では最低区間しか買えなかった時代、出札口の横には「30円」の券売機が確認できます。 思い出深い駅なのに、駅の写真をほとんど撮っていなかったのが残念で溜まりません。

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改札口を出ると、駅前通りはご覧の急坂。 運転免許取り立ての未熟者に、この坂道発進と踏切横断はさぞ緊張したことと思われます。 停車中のコカコーラ配送車の上に読み取れる「行」の文字は神戸銀行。 踏切を渡ると三菱銀行でした。

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その三菱銀行前から見た光景がこれ、右の建物が神戸銀行です。

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同じ日に、ちょうど冷房試験車の2478が新宿に上って行ったを確認したので、駅の東北沢方にあった踏切へ回り、折り返してきたのを撮っていました。

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その気になれば線路脇の何処からでも、電車が撮れた時代が懐かしく思います。 今では線路に近づけても必ず立派な柵やフェンスが設けられ、思うように撮れませんから。

 

 

2021年2月 2日 (火)

想い出の光景:19

暫く代々木上原の思い出を続けていますが、前回の降雪時より2年前、天気の良い11月には駅西側で正面に小旗を掲げた1300形の3連の新聞輸送を撮っていました。 

小旗は「小田急百貨店全館完成」の宣伝のため、2600形NHE車2編成と4000形1編成に施された特別塗装車いも含めた全車両に掲げられたもので、新聞輸送と荷電にも掲げられました。 奥の曲線部分が代々木上原駅で、ここはちょうど、今の代々木上原駅プラットホームの位置となります。

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その撮影場所を望むように、1969年8月には下りホームから4002Fを撮っていました。 同車は1966(昭和41)年の製造ですからほぼ製造当時の姿で、列車無線アンテナもATS車上子も未装備です。

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同じ時期ですがこちらは撮影日が不明、夕方の逆光で撮った2659Fです。 2両目から3両目の後方に見えるドーム状の建築物が、この地で有名なイスラム教の寺院でした。

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その翌年1970年4月になると、ケープアイボリーの新塗装に衣替えした車両も増えてきたので、1コマ目の写真より少々代々木上原駅に寄った場所で撮影しています。 

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8月には上りホーム後方から通過して行く快速急行の2600形NHE車を撮っています。 この情景が長閑だった当時の代々木上原駅で、周辺には大きな建物は無く、神戸銀行の赤い屋上看板が目立つのみです。

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同じ場所から、住宅地を行く発車した2100形を捉えていました。 

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曲線ホームの安全確認のために設置されていた監視用“ITV”の大きなケースが目立っていました。 

当時は“ITV”(industrial television )と言っていたのですが、今は“監視カメラ”と言うようで、同目的の機材ながらもその呼称が“テレビ”から“カメラ”に変化したのは面白いです。

 

2021年2月 1日 (月)

よこやまの道をウォーキング

コロナ禍の緊急事態宣言の中、2月に突入しました。

思うように出掛けられない日々が続きますが、地元多摩市には「よこやまの道」という散策路が整備されています。 長くお付き合い頂いているモハメイドペーパーさまは、ついに後期高齢者になられたと仰りながらも、その健脚ぶりには感心するばかりです。

ほぼ5年差のOER3001氏も負けてはいられないと、天気の良いこの日のウォーキングは地元の「よこやまの道」を歩いてみました。 向かった先には斯様な光景が広がりました。 小田急唐木田車庫ですが、あれっ? 一番右の線路が1線?

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いやいやそんなことはありません。 多摩清掃工場の擁壁に1線隠れていました。 この一番右側の2線が、将来JR相模線方面に延伸されると上下線になるのですがいつになることやら。

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停車していた最新5000形のテールライトは昼間でも良く見えます。「各駅停車 新宿」の表示でしたが、これは新百合ヶ丘から急行に変わる運用です。

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折角なので車両基地全景を収めるために左に移動してみました。

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その後再び「よこやまの道」に入ります。 一段と高い場所、木々の間から眺める車両基地も風情を感じます。

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少し右方向に歩いて、清掃工場の殆ど煙を見た記憶が無い煙突が青い空に伸びる姿、左下に電車基地が見えます。

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この後は自然環境豊かな道を進みます。 一部先日の残雪も少々残る霜柱の小道を歩くのは気持ちが良い。 これで7,000歩ほどとなりました。

 

 

 

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