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2021年2月18日 (木)

想い出の光景:23

このシリーズは、ここ暫く代々木上原を取り上げていますが、今回は1975(昭和50年)年2月の記録を。 カラーポジからのスキャンニングですが、どれも色が薄くなってしまっているのはお許しを。

だいぶ高架橋が出来てきて、駅舎が右の高架橋下に収まっています。 下り「あしがら」が通過して行きました。

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その場所から代々木八幡方向を望んだところですが、既存線路の両側には高架橋が連続してきました。

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そこからもう少し代々木八幡方向に移動して海側から見下ろしたら、下り本厚木行き各停の2600形NHE車が通過するところでした。

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今度はその先の、八幡3号踏切だったと思われる代替跨線橋に上って、夕刻の代々木上原方面にカメラを向けています。 3000形SSE車は「さがみ」、これも懐かしい想い出です。

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まだ高架橋は繋がっていませんが、急ピッチで工事は進んでいました。

 

 

 

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コメント

代々木上原大変身の途中経過が良く分かりますね。まさに高度成長期の列島大改造。すばらしい記録です。

 この頃は小田急に乗る機会も少なくなっていました。高架にしてから一気に地下に潜るという発想は凄いと思うけど、いまとなっては上原から東北沢までを堀割にした方が勾配も緩和されるし、道路との立体化も楽だったのではと考えます。

◆ ぼっちぼち さま
地元だけに、コマ目に撮っていたのですね、きっと。

◆ モハメイドペーパー さま
考えてみれば仰る通り、その方法もあったかと思いますが、電車が見づらくなることを思えば、掘り割りで蓋閉められるようなトンネルより、高架の方で良かったかも知れません。

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