想い出の光景:20
そう言えば、曲線区間には“カント”が設けられるということは当たり前の常識ですが、小学生低学年の時にはそのことを知らなかったかも知れません。 走行中の列車や電車で、運転台の後ろから前を眺めたり、車掌室越しに後方を眺めることでもしない限り、ただ“普通に”乗っているだけでは身体で感じ取れることもありません。
その“カント”を身をもって理解できたのが代々木上原駅なのでした。
小田急線の急曲線区間としては、時速45キロに制限を受ける半径200メートルほどの代々木八幡駅付近のが印象的ですが、速度制限がある関係からか、然程のカントを感じ取れないのに対し、それより大きい筈の半径だった代々木上原駅付近の制限速度は時速45キロではなかったようで、代々木八幡よりきついカントが設定されていたはずです。
そこに各駅停車が停車するので車体は大きく傾き、曲線外側から乗車しようとすれば電車の床面がプラットホームからかなり高い位置になります。 朝の満員電車には外側から乗車することになるので、立ち客は内側に押されて倒れかかってくることになります。 反対に曲線内側になる電車の床面は、ほぼプラットホームと同じ高さとなって、乗降が楽でした。
なるほど、これが“カント”と言うものかと、身体で感じられた場所でした。 その代々木上原駅プラットホームも長編成化の進捗に合わせて下り方(東北沢方)に延伸を重ね、大型6両編成の時代になると、左側の大きなフードのITVが設置されました。
(1972年撮影)
鉄筋コンクリートの駅本屋は、山側(曲線外側)の上りホーム前方の階段を下りたところにありました。 下りホームへは地下道を通って行く構造。 まだ自動券売機では最低区間しか買えなかった時代、出札口の横には「30円」の券売機が確認できます。 思い出深い駅なのに、駅の写真をほとんど撮っていなかったのが残念で溜まりません。
改札口を出ると、駅前通りはご覧の急坂。 運転免許取り立ての未熟者に、この坂道発進と踏切横断はさぞ緊張したことと思われます。 停車中のコカコーラ配送車の上に読み取れる「行」の文字は神戸銀行。 踏切を渡ると三菱銀行でした。
その三菱銀行前から見た光景がこれ、右の建物が神戸銀行です。
同じ日に、ちょうど冷房試験車の2478が新宿に上って行ったを確認したので、駅の東北沢方にあった踏切へ回り、折り返してきたのを撮っていました。
その気になれば線路脇の何処からでも、電車が撮れた時代が懐かしく思います。 今では線路に近づけても必ず立派な柵やフェンスが設けられ、思うように撮れませんから。
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代々木上原の坂道の踏切ですが、1970年10月に撮影しています。高島線のさよなら蒸機を撮影した後のコマに入っていました。5000系が写っていたので小田急線のどこかとは思っていたのですが、このブログを拝見して代々木上原と分かりました。
投稿: ぼっちぼち | 2021年2月 3日 (水) 11時40分
カントにまつわる災難話
20年ほど前、新幹線がトンネル内のカーブで停車しました。
高速で走行中はほとんど気づかないカントですが停車すると傾斜の大きさに驚きます。
窓側の私に隣席のお客がのしかかってきた。
これが若いご婦人ならまだ我慢もしよう。
しかし隣の客は風邪引きで鼻水グスグスの大男。
ほとんど身動きが取れない状態が続きました。
そのあと、しっかり風邪をうつされてしまったのでした。
投稿: C57173 | 2021年2月 3日 (水) 15時36分
◆ ぼっちぼち さま
1970年10月に何故代々木上原に?
その写真拝見したいです。是非貴ブログでご紹介ください。
◆ C57173 さま
コメントをありがとうございます。
普段気づかないのが停車しちゃうと気づく。良く考えればそれがカントなのですものね。
それにしてもとんだ災難でしたね。
投稿: OER3001 | 2021年2月 3日 (水) 16時01分
代々木八幡からこのあたりまでの線路は等高線に沿ってうねっているんですね。踏切の発進、確かに運転手泣かせです。ここの先頭でエンストしたら目も当てられません。
投稿: モハメイドペーパー | 2021年2月 3日 (水) 20時42分
モハメイドペーパー さま
参宮橋から代々木八幡にかけては海側が高く、代々木八幡を出ると山側が高かったです。 降雪の日は踏切が大変なことになっていました。
投稿: OER3001氏 | 2021年2月 3日 (水) 22時49分