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2021年3月

2021年3月31日 (水)

110形蒸気蒸気機関車

昨日の「鉄道発祥の地を歩く」に取り上げた「CIAL桜木町アネックス」に保存された110形蒸気機関車ですが・・・。

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探索したら、中学2年生の1964(昭和39)年に青梅鉄道公園で見学していました。画像はCanonDemiで撮ったハーフサイズ、フィルム上部が破損していました。

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その後の記録を探してみましたが、1989(平成元)年に家族で行ったときのが見つかりました。ネガカラーが大分黄変してしまっていますが、後方には5540と、上の画像と同じ位置に、綺麗な姿で置かれていました。

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これに長男、次男を乗せて撮っていました。ゴールデンウィークの5月4日だったようです。

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残念ながら今は、当時と同じアングルでは取れません。無理してこの程度が限界、煙突上部まで入りきれませんでした。

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その代わり、右側面ならかなりゆとりをもって観察することが出来ます。

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2階に上がれば上からの観察も可能です。模型製作時の参考になります。

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レプリカとは言え、客車も同様に。

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こうして風雨に晒されない場所に安住したことは喜ばしいですね。

 

2021年3月30日 (火)

鉄道発祥の地を歩く

陽光に恵まれた土曜日、所用で久々にこの地を訪れました。降り立ったのはここ桜木町。

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ちょっと前まではこんな電車だったのですが・・・

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この日、OER3001氏が乗ってきたのはこれでした。

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今では東横線の駅も無くなって、こんな光景に変わっています。

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ここから視線を右に向けると・・・、ビルの中が気になります。

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古典の機関車と客車が収まっています。

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1872(明治5)年の鉄道開業時に、イギリスから輸入した機関車5形式10両のうちの1両、国鉄形式110形が商業施設「CIAL桜木町アネックス」に保存されています。

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実物大レプリカの中等木造客車とともに、昨年6月から公開されていたのを初めて見てきました。

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近くの大岡川沿いのサクラもほぼ満開の中、青い空と青い電車の取り合わせも印象的でした。

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新型コロナの第4波襲来も心配ながら、感染防止策を徹底しての外出でした。

 

 

2021年3月29日 (月)

今日の一枚 No.107

当シリーズ、調子に乗って107回目も「107」を取り上げます。107は江ノ電にいました。

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極楽寺車庫は大勢の人で賑わっていますが、1000形ブルーリボン賞受賞での見学・試乗会での一コマで、この時は参加者を乗せての構内走行が行われました。

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この後、鎌倉市に寄贈され、鎌倉海浜公園で保存されました。

 

 

2021年3月28日 (日)

サクラ満開

連日の暖かさで、東京ではサクラが満開となってきたようですが、昨年は満開に大雪だったことを思い出します。

近所の名所もご覧の通り。満開の枝が、雪の重みで押しつぶされそうでした。

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そんな中、ウェディングドレスを纏っての撮影。元々予定していたことなのに雪だったのか、雪が積もったのを利用しての撮影だったのかは知るところではありませんが・・・。

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やっぱりこんな情景を収めたいですよね。

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しかしもう、この場所で撮ることは出来なくなってしまいました。しっかり立ち入ることが出来ない柵が設置されてしまいました。

井の頭公園のサクラも有名ですが、最寄り駅の井の頭公園駅も見事なサクラでした。

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しかし今は、サクラは見事なのですが、ホームの上屋が延長されて良く見えなくなってしまいました。

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昔の想い出に慕っていても埒が明かないので場所を変えました。

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時が経つにつれ、当たり前と思っている日常の景色はどんどん変わって行きます。後悔することが無いように、せっせと撮影に出掛けることにしましょう。

 

 

2021年3月27日 (土)

塗装日和

天気の良い穏やかな日は“お花見日和”とも言いますが、一部ではまたの言い方を“塗装日和”とも言うようです(笑)。

そこで、暫く大規模修繕工事で使えなかったベランダが復旧したのを期に、綺麗になったベランダを養生してちょっと“シュ~ッ”と吹きました。

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たった1両、今回はこれまで。

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この電車、たった1両とは言えあれこれ思いがあって、なかなかスムーズに運べません。気長にマイペースで進めます。

 

 

2021年3月26日 (金)

バーゼルの路面電車-4

ここのところ、バーゼルの路面電車を取り上げていますが今回はその4回目。

バーゼルSBB駅から北に数百メートル歩いたところにHeuwaageと書かれた駅、停留所がありました。ホイヴァーゲと発音するのでしょうか。当時は終端駅だったのですが、今Googleマップで見ると路線延長して中間駅になっているようです。

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ヨーロッパらしい雰囲気の、とても魅力的な駅に、メーターゲージの路面電車と言うより立派な郊外電車らしき3両編成が停車していたのです。運行系統は「17」、日本流に言えば、デハがサハとクハを連結しています。“デハ”の車号は16と。

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あまりに魅力的な電車、スイスの街中にぴったりではありませんか。乗車することは出来ませんでしたが、前から、左から、右から、そして向こう側にまわって、時間の許す限り眺めてしまいました。

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駅舎の後方の三角屋根は図書館らしいです。今は右手の駅舎は取り壊されているようです。

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反対側の“クハ”は23。貫通扉中央の黄色い目玉様のマークは、市内電車に掲示された“不正乗車防止”のマークだと聞きました。ゾーン製の運賃で、乗車前にきっぷを買う必要があるのですが、悪意をもって無賃乗車しようとすれば出来ないことはないようですが、見つかった場合の制裁はかなりの高額と聞きました。

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午前10時20分頃からの数分間で、“クハ”も反対側面へまわって撮りました。

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“クハ”先頭の3両編成の姿もしっかり押さえておきました。

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この3両編成、発車を見届けぬままに、列車に乗るためにバーゼルSBB駅に急いだのでした。

この車両について、Web等で調べてみたものの詳細はまだ解らず仕舞い。バーゼル市交通局(Basler Verkehrs-Betriebe(BVB))だとしたら緑色の車両だったはずなのに、なぜこの青/白ツートーンカラーだったのか・・・?

ご存じの方が居られたらご教示頂きたいものです。

 

2021年3月25日 (木)

今日の一枚 No.106

当シリーズ106回目は「106」で。

秩父鉄道デハ100形。秩父の車番は小さくて判読しづらいですが、右の幕板部に「106」と確認できます。1950(昭和25)年~1954(昭和29)年にかけて日本車輌製造東京支店で製造された17メートル級電車で、1988(昭和63)年までに廃車されてしまいましたが、好ましいスタイルだったと思っています。画像は西武秩父から乗り換えた御花畑駅で1985(昭和60)年のゴールデンウィークに。御花畑駅も当時は単線でした。

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もう一つあった「106」は京福電気鉄道モボ101形、通称嵐電の車両。1929(昭和4)年藤永田造船所で製造された15メートル級2扉車。御年92歳、未だに現役と言うのは驚きです。

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さてさて、このシリーズ「今日の一枚」、ここのところ連載回数と同じ車番の画像を掲載していますが、次回はどうなることやら・・・。

 

 

2021年3月24日 (水)

想い出の光景:28

「想い出の光景」シリーでは、No.16から12回にわたって代々木上原を取り上げてきましたが、いよいよ1978(昭和53)年3月31日に千代田線との相互直通運転が開始されることになります。新宿駅にもその告知看板が掲示されていました。

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代々木上原駅の改札にも、その掲示がありましたが、新宿に比べれば遙かに控えめです。

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その代々木上原駅で、直通運転開始前日の3月30日に、祝賀式典が開催されました。小田急、帝都高速度交通営団双方の装飾された直通運転用車両が並びました。

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プラットホームで開催された式典の後、装飾された9000形祝賀記念列車が地下鉄線に下って行きます。

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その後ろ姿もしっかりカメラに収めました。

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それからどのくらいの時間が経過していたか、代々木公園駅で折り返した祝賀記念列車が地上線に駆け上がって来ました。待ちに待った小田急車両の千代田線乗り入れ光景でした。

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この区間、今日では当たり前の光景が繰り広げられています。

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帝都高速度交通営団は東京メトロと変わり、6000系は16000系に世代交代しました。

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が、たまにはこんな光景も拡げられます。地下鉄から上がってきたのは小田急のロマンスカーMSE、60000形です。

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小田急側の直通運転用車両も、9000形から1000形を経て、今では4000形に世代交代。その4000形は地下線からのMSEを横に見ながら新宿へ向かっています。

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と、ここまでは日常的な光景ですが・・・、これは普段は見られない光景です。16000系が地下線に入らず、新宿に向かうという試運転ならではの光景。

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その試運転列車が、新宿から戻ってきました。

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ロマンスカーMSEは、6両編成時には貫通形のクハ62050形が先頭になるので、4コマ前の表情とは異なる姿も見られます。

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直通運転開始してから43年、曲線部に設けられた対向式プラットホームの代々木上原駅を知って居る人も少なくなったでしょうね。でもOER3001氏にとってここは、青春時代の想い出がいっぱいの地なのです。

 

2021年3月23日 (火)

伊予鉄モハ134の元車両

昨日の「今日の一枚 No.105」で取り上げた伊予鉄モハ105の隣に写っていたモハ134、ぬか屋さまから頂いたコメントに、懐かしい想い出がありました。

早速。京王帝都時代の画像を探してみましたが・・・、残念ながら実車の画像は見つかりません。と言うか、撮っていなかったようなのでこれでご勘弁ください。

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京王帝都電鉄時代、しかも1,067㎜軌間の井の頭線時代です。井の頭線から1,372㎜軌間の京王線に転じた後に1,067㎜軌間の伊予鉄道へと渡った車両。1/80縮尺の16番ゲージ模型では、京王線も同じ16.5㎜ゲージですがね。

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ペーパー自作で完成させて間もなくの2011(平成23)年5月、こてはし鉄道さまに乗り入れました。早速見付けた沿線の子どものに注目されてしまいました。

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中央駅に待つ大勢の乗客も、見慣れない車両に驚いていたようです。

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このアングル、OER3001には下北沢の小田急線ホームから見上げた光景とダブってしまいます。

 

 

 

2021年3月22日 (月)

今日の一枚 No.105

今日の一枚 No.105は、出張で訪れた1978(昭和53)年5月の伊予鉄道松山市駅での一コマから。

右は元京王帝都電鉄デハ1403のモハ130形「134」ですが、左には「105」が。

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1950(昭和25)年に帝國車輛で製造されたクハ400形の内、406を1952(昭和27)年に電装化してモハ100形に編入、「105」を名乗った車両。

夕刻のラッシュタイムで賑わっていた松山市駅で、束の間の電車鑑賞後、帰京のため空港に急いだようです。

 

2021年3月21日 (日)

池袋へ

21日をもって、1月8日からの緊急事態宣言解除が決定した東京。間違いなくコロナはリバウンド第4波襲来となるのしょうが、緊急事態発令中最後の土曜日となった3月20日、池袋に出掛けました。

久しぶりに東武の電車を山手線ホームから撮りました。ホームドアが設置されたら、こんなに低い位置でカメラを構えることは出来なくなります。

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そうならないうちに、先頭車も改めて撮っておきました。

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で、向かった先はここ、鉄道模型芸術祭。鉄道模型は芸術なのか?

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第6回となる今回の人出は、これまでと違って相当少なく感じましたが、こてはし鉄道さまの出展だけはゆっくり鑑賞できたことが良かったです。「山手線開通50周年」の装飾をしたペーパー自作の73系が快調にエンドレスを回ります。

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すれ違う電車は1940(昭和15)年の“幻の東京オリンピック”塗装の山手線。

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何と、エンドレスに設けられたホームは「浜松町」。浜松町と言えばこれ、小便小僧を見事に。

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アップで撮ると、それは余りに太いオシッコですが、LEDで色が変わります。赤くなったら即病院へだそうです。

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他に除草タンク車なども新規製作。「まむしに注意」なんて表示に、線路からマムシが?と期待したのですがそれは叶いませんでした。

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「芸術」を堪能した後は東口にまわり、電車が鎮座するビルへ。

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藤久ビル東五号館です。最上階で開催の写真展に向かいます。

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ビルの入口には斯様なプレート。

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反対側には5インチゲージのジーメンス製電機の模型が。

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ギャラリー路草で開催中の、鉄研三田会メンバーの力作を堪能させて頂きました。

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併せて反対側ホールで開催中の鶴田裕氏写真展もまた、懐かしい光景に触れることができ、豊かな時間を過ごすことが出来ました。

 

2021年3月20日 (土)

バーゼルの路面電車-3

バーゼルの路面電車-2」に取り上げた1980(昭和55)年晩秋のこと、フランス国内に向かう前に、バーゼルSBB/SNCF 駅から数百メートル離れたアエッシェン広場(Aeshenplatz)まで歩いていたようです。

緑色の路面電車がバーゼル市交通局(Basler Verkehrs-Betriebe(BVB)) なのに対し、黄色に赤帯車体の路面電車はバーゼル・ラント交通局(Baselland Transport(BLT))。

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「10」と「11」系統を掲げるのが黄色いBLTですが、この線路には緑色のBVBも走っていました。

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いかにも新型車両らしい好ましいスタイルの車両でした。

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ここがアエッシェン広場(Aeshenplatz)の停留所、駅なのか、ビルに囲まれた場所とは言え、なんとも長閑で好ましい光景に感激しました。

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駅の時計は11時近くを指していますが、どうもフランス国内への列車に乗ったのはこの後だったようです。

 

2021年3月19日 (金)

10年前の“計画停電”

あの3.11から10年が経ちましたが、原発事故は自然災害ではなく人災だと思うようになりました。

長期間にわたりテロ対策に不備があったままという柏崎刈場原発に対し、原子力規制委員会は「最も深刻なレベル」とし、東京電力に原発を稼働させる適格性があるかどうか問われています。

原発が本当に必要なものなのか、今改めて問われているようですが、思い起こせば10年前、電力不足から生じた「計画停電」がありました。鉄道も計画停電に対応したダイヤにしていたことを思い出します。

小田急新宿駅の発車案内を見ると、なんと小田原、江ノ島方面の運転が無い! ということもありました。

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急行なのに、向ヶ丘遊園まで。代々木上原、下北沢、成城学園前、登戸、そして終点です。

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一方、千代田線への直通運転が停止され、「多摩急行」は新宿発着となりました。

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この朝の唐木田駅、多摩急行の宿行きは、千代田線直通用の4000形でした。

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別の日、8000形が充当されましたが、「多摩急行・新宿」表示が出来ないようで、板紙の即製表示となっていました。

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翌日の8000形は、その表示が左右の窓に。残念ながら行先の「SHINJYUKU」が隠れてしまって。

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大規模災害をなんとか乗り切って今日に至りますが、時々この頃の不便、不自由を思い出すことも大切だと思います。

 

2021年3月18日 (木)

マンサードルーフの駅舎

先日、東急線ワンデーパスを使って出掛けた折、乗り換え以外ではほとんど乗降した記憶が無い駅で下車してみました。NHK大河ドラマで注目が集まる渋沢栄一らによって開発された高級住宅地、世田谷区だと思っていたら大田区だったのですね。

小田急沿線で育ったOER3001氏にとって、「調布」は1913(大正2)年の京王電気軌道開業以来京王の駅だと信じていましたが何と、その10年後の1923(大正12)年、目黒蒲田電鉄開通の時の駅名が「調布」だったとか。1926(大正15)年1月1日に「田園調布」に改称したということです。

1923年から1926年までの3年間、多摩川左岸に2カ所の「調布」が存在していたことを知りました。

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東横線、目蒲線の地下化に伴って1990(平成2)年に解体されたマンサードルーフの旧駅舎は、2000(平成12)年に見事に復元、街のシンボルとなっています。

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マンサードルーフと言えば小田急にも。向ヶ丘遊園駅は1927(昭和2)年開業以来の駅舎が現役です。

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とは言いますが、1997(平成9)年5月撮影の画像とは少々異なるようです。当時は2階窓下の立体感、窓左右に2本づつ縦に装飾があったのですが・・・。

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折角大切に残すなら、もう少し心遣いが欲しかったのですがね。東急さんの復元は立派です。小田原急行鉄道の社紋を残していることだけは良しとしましょうか。

因みにこちらを向いている女性は、面識の無い単なる通行人でした。

 

 

2021年3月17日 (水)

今日の一枚 No.104

本シリーズの104回目はこの画像で。

今となっては懐かしい光景となってしまいましたが、箱根登山鉄道小田原からの2線区間に進入したロマンスカーLSE後部展望席からのもので、正面に待機している登山電車は“104”というのもグッドです。

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輸送力増強とバリアフリーを目的に、今では箱根湯本まで事実上は小田急線。1,435㎜軌間を撤去して、小田急の車両だけの運用になってしまったので、1,067㎜軌間との併用区間は車両工場のある入生田以西だけとなってしまいました。

この当時、右の線路からは国鉄線に繋がっていたので、新造されたLSEもここから入線していたのに・・・。

 

2021年3月16日 (火)

バーゼルの路面電車-2

バーゼルの路面電車については1979(昭和54)年の状況を取り上げていますが、今回はその翌年1980(昭和55)年晩秋に訪問したときの収穫から。この時はバーゼルに宿泊しました。

朝、「ちょっとフランスへの用があって」列車に乗るためにバーゼルSNCF駅に向かう途中で思いがけない車両に遭遇しました。工事用車両だと思いますが、キャブ内には車両と同じオレンジ色の作業服を着た職員さんがいっぱい乗っています。牽引する台車のような車両には何やら機材が積まれていました。

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それにしても朝から、ホテルを出たら直ぐに撮影できるように用意しておかないとチャンスを逃してしまいますね。折角なのでその後に続いてきた「18番」も収めておきました。

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それにしてもバーゼルの路面電車って、花巻電鉄を思い出すようなスリムなサイズですが、残念ながら全幅などの詳細は掴めずにいます。

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車内は斯様な3列シート。

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ハンドル形の主幹制御器で運転します。

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フランスでの所要を終えて、夕刻に戻ったバーゼル市内。路面電車を降りたのはここでした。右側のビル前に保存車両が置かれていました。

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それがこれなのですが、残念なことに“手ぶれ”です。左の赤い部分に書かれたドイツ語は「鉄道模型100周年」。そう、展示会場でした。

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展示会は夜まで開城しているので、昼間はフランスへ、夜はこの展示会へと、慌ただしくも充実した一日でした。

 

 

2021年3月15日 (月)

想い出の光景:27

代々木上原界隈の想い出、想い出の光景:261976年4月)からほぼ2年間、撮影記録が途絶えていましたが、いよいよ千代田線の試運転が始まった1978(昭和53)年には先ず、3月5日の記録がありました。

新装なった代々木上原駅に進入してきたのは5000系でした。

思い起こせば千代田線が、北千住-大手町間で営業開始された1969(昭和44)年12月当時、6000系はまだ量産されていなかったことから、5000系を暫定投入していたものだった。

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その5000系が、東北沢方の引き上げ線に収まりました。代々木上原-東北沢間は、営団引き上げ線2線を挟んで複々線になっています。

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代々木八幡-代々木上原間を見れば、試運転の6000系が地下に潜って行きました。

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この時はまだ、千代田線乗り入れ用として用意していた9000形は地下鉄区間には乗り入れず、試運転の6000系を横目にしつつ新宿へ向けて走って行きました。

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9000形の新宿行き急行は「猪電」の運板を掲げていたのも貴重な記録となりました。

しかしそれにしても、これらカラーポジフィルムの発色が・・・(涙)。

 

2021年3月14日 (日)

ストレス解消運転

別にそれほどのストレスを溜めているわけではありませんが、雲が低く垂れ込め、降り続く雨ではサーフェーサーの一吹きも出来かねます。そんなときには気軽に自由形でも走らせたくなります。

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昨年のコロナ禍ステイホームで作ったモニタールーフの観光用客車4両編成、牽くはB20。

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完全に遊びと位置づけた列車なので、細かいことには一切気にせずです。

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それでもエンドレスを走らせていると、何故か落ち着くのです。

降りしきる雨でも退屈しないのは幸せというものですね。趣味に乾杯!

 

2021年3月13日 (土)

さようなら 昭和建築

ひとつ、ひとつ、また一つ、昭和の建築が消えて行きます。

広々した洋風庭園と時計台のある大きなビルは、1938(昭和13)年に操業開始となった東京都板橋区の大手印刷会社の工場でした。

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OER3001氏は、新入社員の研修時に初めてこの建物に入った時を除いて、殆ど接触は無かった場所ですが、晩年には内部監査業務で何度か訪れたここが、いよいよ取り壊されることになったとの報せに、エコーモデルに行った序でに見て来ました。

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警備員に事情を言って敷地内に立ち入らせて頂き、まるで映画のワンシーンになりそうな情景を収められました。今は既に中はカラ。既に建設会社が入っていて解体工事の準備を進めているようです。

現役時代、良くも悪くもこのゲートからの出入りを思い出します。折角なので北側へ回って見れば、大きなトラックが出て行ったところでした。

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大きな顔してこの警備室を抜けて、向こうの2棟に出入りしていた時が蘇ってきました。

退職してからの月日が重なるほど、“顔”が通じなくなるのも当然です。

 

2021年3月12日 (金)

今日の一枚 No.103

このシリーズ、今回は103回となりました。

と言うことで103系としましたが、残念ながら原型のカラー写真は撮っていなかったようです。ATCを搭載し高運転台冷房車となった姿ですが・・・。

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しかしこれも過去帳に入って久しいもの。ステンレス車205系からワイドボディーの231系を経て、今では205系への置き換え完了ですから。撮っておくものですね、日常の何気ない光景を。

 

2021年3月11日 (木)

10年経った3.11

OER3001氏はその時をここで迎えました。正確に言えばこれはOER3001氏の向かいの方の席で、OER3001氏の席はこれほどの散乱はありませんでした。

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もともと整理が悪い方の席とは言え、積んであったものの殆どは落下していました。

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ここは東京都江東区青海2丁目の研究所。通勤の足はレインボーブリッジを渡るゆりかもめですが、当然ながら地震発生から停まり、海を渡っての帰宅は出来なくなりました。。

ただ良かったのは研究所の災害用備蓄食料と毛布の配給が得られたこと。好きなメニューを選ぶことは出来ませんが、とりあえずこの食料で夕食となりました。嬉しいことに段ボールに入ったまま、加温出来るものなので、温かい食事が出来ました。

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何度かの緊急地震速報と余震、近隣火災と津波警報に怯えつつも、とりあえず室内で翌朝まで過ごすことが出来たのは幸せでした。

翌3月12日は土曜日だったと記憶していますが、あらためて研究所内を見回せば、エアコンが落下した部屋でテレビが被災模様を伝えています。

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この後再び配給された災害用備蓄食料、今度はハンバーグとカレーライスにありつけました。ありがたいありがたい。

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腹ごしらえした後は帰宅に向けて、その手段を探ります。一応最寄り駅を確認しに行ったら案の定この通り。

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辺りは何事も無かったかの如く、朝陽を浴びた穏やかそうな情景ですが、流石に人が居ません。OER3001氏が一夜を過ごしたのは中央の建物でしたが、実は右側の日本科学未来館では一部の窓ガラスが割れ、7階天井から吊してあった展示物が1階まで落下するという事故が発生していたのです。

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朝になると、色々な情報が入ってきました。この画像の左奥では、善に津に工事中ビル屋上が燃え、黒煙が高く上がっていたのです。が、朝になって穏やかな状況になっています。

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朝になっても解除されない津波警報の中、やっと動き出した電車を乗り継ぎ、なんとか自宅最寄り駅までたどり着いたのですが・・・、小田急の改札口はまだ斯様な状況でした。

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日本中が恐怖と悲しみに見舞われた10年前のこの日のこと、そしてそこから今日まで、さらにこれから何十年も続く原発事故のことを忘れてはいけません。

はっきり言います。OER3001氏は原発は中止すべきだと。

「アンダーコントロール」などど宣った首相が居ましたね。何がアンダーコントロールですか! 廃棄物処理の方法も見つかっていないのに! です。

 

2021年3月10日 (水)

チューリッヒの路面電車

バーゼル(Basel、Bâle)の路面電車を見た日、次に向かった場所はチューリッヒ(Zürich)でした。スイス連邦鉄道(SBB,CFF,FFS)のチューリッヒ中央駅(Zürich Hbf)は、チューリッヒ湖(Zürichsee)から流れるリマト川に突き当たるような形の頭端式です。

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この中央駅前から、路面電車は縦横に路線を伸ばしています。駅周辺をちょっと歩き出せば、路面電車に出会えるのは最高です。写真を見て気付きましたが右のワーゲンのナンバー、「ZH」とあるのはチューリッヒなのですね。

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ボビー車が付随車を連結した2両編成です。

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こちらは3車体連接車の“重連”、堂々としていてカッコイイです。

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ボギー車の単行が、軽快に見えてしまいます。

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3車体連接の重連は、どうも「7」系統に充当されているようです。

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リマト川に架かる橋の上ですが、河川への電力線が!

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チューリッヒ中央駅前に戻ってきました。ヨーロッパの街には必ずと行って良いほど、歴史上の人物像が建てられていますが、この方は何方だったのか・・・? 

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路面電車の停車場と並んで、トロリーバスの停留場もありました。電車と同じ塗装です。

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人物像の直前を、3車体連接車が発車して行きました。アルフレッド・エッシャー(Alfred Escher)と言う人物、スイスの政治家で起業家、鉄道王とも賞されていた人物の像だと言うことを、今になって知った次第。

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リマト川を渡って来たのはこの当時の最新型車両“トラム2000”、電気品は三菱電機製だと聞きました。2車体連接車の重連です。

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先の3車体連接車がボギー車を連結した運用もありました。

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日本語地図に「バンホフ通り」と記載されている、チューリッヒ中央駅前から伸びる歩行者・路面電車専用道路が、鉄道好きにはこの上ない天国です。

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永世中立国ということもあるのか、スイス国旗を大切に掲げた街並みがまた素晴らしいです。

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銀座通りをこのように都電と歩行者専用にすることを考えなかった日本人。悲しいとしか言えませんね。チューリッヒは環境保護視点から、市内交通を路面電車、トロリーバスを柱とする交通政策を採っているようで、大いに学ばなければならない筈です。

 

2021年3月 9日 (火)

京王寸描

緊急事態宣言発令の中、久しぶりの外出。空いている電車故ついうとうとしていたら、下車予定駅で閉扉後に覚醒。これはこれでこの機会を使って予定外の撮影です。乗って来たグリーンの電車を見送りました。

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同時発車ならもっと良かったのに、叶いませんでしたが一応両方とも新宿に向けて地下区間へ。

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明大前に戻って、井の頭線を待ちます。東京山手急行電鉄の遺構を急行が抜けて来ました。

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いやはや、ちょっとした失態でしたが、ちょっとした収穫が楽しめました。

 

2021年3月 8日 (月)

屋根上製作法

近年の新型車両模型製作における悩み事の一つが、ステンレス製車両の屋根に通ったビード。正式には何と呼ぶのか知りませんが、板厚の薄い屋根材を使用するために、その強度を増すための方法と思われます。アルミ製車体にはほぼそれが無いのは、ダブルスキン構造だからと理解しています。

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そこで、ペーパー車体を製作するのにあたっては、その表現法に悩まされます。今回は、A-4サイズのラベルシール(エーワン・品番31271)を利用することとして、27本のビードをブルーでプリント、それを屋根に貼りました。これまではクロで印刷したものを使用していましたが、白い紙にクロの細い罫線が並ぶのは、とにかく目がチカチカして疲れます。そこで今回はほぼビードの幅(太さ)の青い罫線とした次第です。

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ここからが根気の要る作業。24.5㎜幅の中にビードが27本あるので、ハズキルーペのお世話になっても目がチカチカします。青い部分を残すようにステンレス定規を当てて、軽くカッターを入れます。

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これは1本1本やらないと間違いの元。カッターを入れたらピンセットで端をちょんと摘まみ、このようにゆっくりゆっくり、剥がして行きます。

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気が遠くなるのですが、剥いたカスが溜まると達成感が味わえると言うものです。

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とは言え、出来ればこんな作業はしないで済ませたい。新型車両はアルミ車体に限りますね。

 

 

2021年3月 7日 (日)

今日の一枚 No.102

このシリーズ、前回が101回ということで101形を取り上げましたが今回は102回。102号を取り上げます。

箱根登山鉄道モハ1形の102号ですが、この時は妙なラッピングで車号も覆われてしまっていますが、拡大すればなんとか判読可能です。

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因みに背中合わせに連結されているのが101号。

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共に2002年に廃車となり、既に存在しない車両となってしまいました。

 

2021年3月 6日 (土)

鉄道模型趣味 93

東急線ワンデーパスで向かった所のひとつはここでした。

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蒲田行きから降りたので、上の画像とは違う改札口を抜けました。振り返ればここ「発展門」と称するゲートの中に有ったのです。凄いネーミングです。

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立ち寄った先がこの小さなアンティークショップ。画像の右側だけがそのショップで、小さいけれどなかなか濃厚な掘り出し物があるのです。

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今回入手してきたものの一つが、何かと気をかけて頂いていた “三浦慶一”さんのゴム印が押された鉄道模型趣味93号、1956年4月号です。天賞堂に居られた紳士、三浦慶一さんのコレクションだった1冊なのです。表紙はキハ17ではありません。キハ45000なのです。

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表紙をめくってみれば、天賞堂、つぼみと、大阪の百貨店模型売り場の広告。右には三等寝台車ナハネ10の写真! ここだけでも見入ってしまいます。(画像は全てクリックで拡大できます。)

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当号掲載の作品グラフを見れば、これまた吉村光夫さんの0番自由形電車が!

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目次を見れば、どれもこれも当時の大御所たちの執筆ばかりではありませんか。

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「EF57の製作法」は連載記事で、なかお・ゆたか氏。

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高校時代に出会って以来、結婚披露宴司会までお願いするというお付き合いを頂いていたOER3001氏としては、吉村光夫氏の「山急電鉄に新車登場!」に、より興味が沸いてしまいます。

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右ページの「ミキスト」も山崎喜陽氏の懐かしい連載です。

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筆者の吉村光夫さんの若いときの一コマ。交通博物館での運転会で、ご自身作京浜急行をバンバン飛ばす時は満面の笑みでした。

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当時の新型電車が紹介されていたページ、左の川車製アルゼンチン国鉄向け電車が、当時印象的だったことを思い出しました。右の大阪地下鉄もいい味です。

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巻末の広告ページ、掲載されている模型店がどれも懐かしい! 小学生の時に自転車こいで向かったのは「北沢模型店」だったんだなと、想い出が蘇ってきました。

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そして裏表紙の広告、カツミはNMRA型と称する真鍮プレス製0番用カプラーを“新発売”しているのです。

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僅か40ページほどの薄い1冊であるにもかかわらず、思わず読み更けてしまう濃い中身でした。

 

2021年3月 5日 (金)

東急線ワンデーパスで

3月2日夜、強風の影響で倒壊した足場が線路を塞いだことから、3月3日昼過ぎまで運休となっていた東横線。その現場を見たくて3月4日、期間限定で680円とお得なきっぷを買って出掛けました。きっぷとは言え、PASMOに書き込まれます。

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倒壊した足場はまだ完全に片付けられて居ない様子で、取り急ぎ線路に架かっていた部分だけ取り除いたという感じです。

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裏手に回ってみたら、本来ならもっと高かったであろう足場が途中で無くなって居る様子が確認できました。

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再び線路側へ回ってみます。正面が東横線自由が丘駅です。

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上り電車が自由が丘駅を発車しました。

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この電車、現場脇を通過して行きましたが・・・、

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中途半端な足場で心配です。

このビルは予備校校舎の新築、松井建設が請け負っていますが、補償はさぞ大変でしょうね。死傷者が出なかったことが幸いです。

東急ワンデーパスは、ここを見るだけのために買ったものではありませんので、この後は有効活用させて頂きました。

2021年3月 4日 (木)

想い出の光景:26

想い出の光景:25」からほぼ半年後の1976(昭和51)年4月の記録がありました。

代々木八幡-代々木上原間の高架化工事が進捗に伴い、廃止された踏切に変わって架けられた跨線橋から代々木八幡方向を望んでいます。代々木八幡駅の改造工事模様については別途取り上げたく思っていますが、この時既に上りホームは山側への移設工事が完了しているようで、敷設された線路への切り替えを待つような線形です。

上りはNSE車、下り急行はHE車と言うのも懐かしい時代です。

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振り返って代々木上原駅方向を見れば、高架線には線路が敷かれ、架線工事も進んで居ます。折しも通過して行った9000形の走る位置は、完成後は千代田線の線路位置になる場所です。

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海側へ回って、代々木八幡方向を望みました。完成間近となった新線の先が、HE車が走る線路への接続を待っていることがわかります。

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間もなく小田急線が高架に切り替えられ、現小田急の線路部分に営団線の線路工事となって行きます。

 

 

2021年3月 3日 (水)

踏切で電車を

年に数回、仕事で訪れる湘南は辻堂。いつもの通り小田急で藤沢へ。そこから一駅はこの電車で。

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ところが今回は約束時間を間違えて、なんと1時間の早着。いやはや遅刻で無くて何よりでした。1時間の過ごし方に迷いはありません。日頃から気になっていた踏切まで15分ほど歩いて見ました。

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この踏切、「辻堂踏切」と言うのだそうで、前々コマ藤沢駅に東京起点51㎞のキロポストがあり、辻堂駅のキロ程は54.8㎞ですから、1㎞ほど藤沢方向に戻った場所となります。

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この踏切海側の鉄道用地柵は古いPC枕木です。これレイアウトにも参考になります。

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光線状態もよろしいので、ここで暫し撮影としました。いつも携帯しているコンデジです。先ずは「快速・高崎線内普通」のE231系が。

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次は「快速・上野東京ライン」のE231系。

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走る去る後ろも撮ったら、こちらはE233系、残念ながら表示は切れて解読不能。

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今度はまたまたE231系で「高崎線直通」。

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踏切に迫り来るE233系を狙って退散としました。

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特急や貨物を期待したのですが、この時間内では残念ながら撮ることが出来ませんでした。

 

 

2021年3月 2日 (火)

バーゼルの路面電車

1979(昭和54)年7月19日、ベルンの路面電車を見た後はICに乗車、フランス、西ドイツ(現ドイツ)と国境を接するバーゼル(Basel)に向かいました。スイス国鉄の駅は「バーゼルSBB」ですが、フランス国鉄の「バーゼルSNCF」と一体となった駅で、プラットホームに事実上の国境が設けられているという、日本人には驚愕のものです。

こちらがそのバーゼルSBB駅の正面。SNCF駅は右方向になります。左のビル屋上に、今は無き「SANYO」のロゴマークが見えたのに違和感を抱いたものです。

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しかしこの駅前が路面電車のターミナルとなっていて、グリーンの電車が頻繁に発着しています。

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あまり新しい車両には出会えず、まだボギー車や2車体連接車が主流でした。

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こちらはどう見ても西ドイツ製デュヴァグ(Duewag)カーです。

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今では広島電鉄にも、芝生の軌道が出来ましたが、この当時は軌道に芝生が敷かれている姿に感動したものです。

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ここも然程長くない滞在時間で、たくさんの路面電車を記録することが出来ました。

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短い休暇の最大活用の慌ただしい旅、この後はまた他の地へ向かいました。

 

 

2021年3月 1日 (月)

今日の一枚 No.101

「今日の一枚」シリーズも101回目となったことから101系を。

もとより国鉄の電車にはあまり興味がわかず、真剣に撮ったことはあまり記憶にないのですが・・・、ありました。しかも101系元祖のオレンジとカナリヤ両方が収まっていました。

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若しかしてここ、モハメイドペーパーさまのお膝元だったかも知れません。

 

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