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2021年4月

2021年4月30日 (金)

ロマンスカーミュージアムのジオラマ -3

ロマンスカーミュージアム2階のジオラマパーク、前回までにご紹介しきれなかった箇所です。

これは江ノ島。江ノ島上空から境川や竜宮城のような駅舎の片瀬江ノ島駅、右奥に藤沢の街並みが展開されています。

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ちょっと東側にまわって見渡せば、矢印の片瀬江ノ島駅が確認しやすくなります。

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EXE「えのしま」の到着です。このEXEは、相模大野駅との間を往復していました。本来は藤沢でスイッチバックするので、この画像の先頭車は後ろ側となる筈なのですが・・・、そこは多めに見ましょう。EXEは直進してきますが、線路だけは右方向にカーブ、藤沢駅が作られていました。

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小田急グループなので当然江ノ電も走らせています。この江ノ電は来場者が運転できる仕掛けです。鎌倉高校前を出た電車は、併用軌道を通って藤沢に向かいます。

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こちらは小田原。JRの駅舎ですがしっかり作られています。背後の高架線左に新幹線車両が確認できますが、その複線線路には来場者の運転体験用GSEが走ります。

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ロマンスカーが到着する箱根湯本駅も見事に再現されています。

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驚きはこれ、駅横の国道は箱根駅伝コース。目を凝らせて良く見ると・・・、ランナーの襷が出場校のカラーではないですか! これが山に向かって動くのですから。

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箱根湯本から先は登山電車。ここはそれなりに簡略化しつつ、Nゲージアレグラが自動スイッチバックで往復しています。

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大涌谷の噴煙を、箱根ロープウェイが。残念ながらこれは動いていないように見えました。赤い鳥居は箱根神社なのでしょう。

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ロープウェイは大涌谷から芦ノ湖畔の元箱根まで。

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湖畔の小田急山のホテルを横に、芦ノ湖では海賊船を模した遊覧船が、なんと湖上を動いています。

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俯瞰すれば斯様な様子。箱根の関所もしっかり作られています。

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このジオラマ、流石にレイアウトでは無く正しくジオラマです。必ずしも鉄道好きとは言えない女性客の目も惹き付ける、素晴らしいジオラマと言えましょう。

 

 

2021年4月29日 (木)

今日の一枚 No.113

「今日の一枚」 No.113はご期待(誰が?)にお応えして113を。

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残念ながら113は、この車内から捉えた1979(昭和54)年4月15日の一コマしかありませんでした。

何度も行って、何回もシャッター切っていても、なかなか全車両を撮るというのは難しいものですね。

 

2021年4月28日 (水)

東海道線を撮る

年に何回か仕事で訪れる辻堂。その機会を利用して、ちょっと撮ってみることにしました。

この日は北風が強かったからか、雲の無い青空の向こうに富士山が綺麗に見えています。

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下り特急列車を狙うのが主目的ですが、その前に富士山背後の上り普通列車も撮っておきます。

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下りを狙う場所決めに、茅ヶ崎方向に歩きます。

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本当はもう少し線路から離れ、横を入れたいのですが、道路通行のリスクがあります。この時はクルマは来なかったのですが右側の歩行者がふらふら。

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本番ではやはりリスクの少ないこの位置で狙うことにして、233系でテスト。

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本命が来ました、サフィール踊り子。まともに撮ったのはこれが初めてです。

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約束の時間までを利用して、辻堂駅に引き返しつつ“来たものは撮る”としていたら、やっと貨物が。貨物は時刻がわからず苦労します。

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上り踊り子が来た時は、残念な場所でしたがとりあえず撮っておきました。

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狙うとなかなか来ない233系がやっと。

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約1時間の撮影を楽しんでから、仕事の待ち合わせで駅に戻りました。

 

 

2021年4月27日 (火)

ロマンスカーミュージアムのジオラマ -2

小田急沿線を模したロマンスカーミュージアム2階のジオラマパーク、その濃い内容のいくつかをご紹介したいと思います。

複々線となる代々木上原を出ると、山側(北)に東京ジャーミーというイスラム教寺院が見えます。

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「東京ジャーミーの歴史」に、東北沢にあったホッパー線横を通る2200形、2400形の向こうに、当時の東京ジャーミーが見える写真が掲載されていました。

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その今の姿が、見事にしっかり再現されています。

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代々木上原ー登戸間複々線化工事での最大の難関となった下北沢は、シールド工法で掘った急行線の上を、開削工法で掘った緩行線という2層構造がしっかり表現されています。下段の壁面はシールド工法の丸い壁。現状と同様に緩行線だけホームドアです。

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下段をSE車が通過、上段は5000形各停。模型ならではの愛嬌です。

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長~いエスカレーターで上に上がれば、やっと京王井の頭線のホーム。

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上空から見下ろせばこの通り。小田急の線路跡には商業施設が展開されています。

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下北沢には夜景の方が似合うかも知れません。

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下北沢を出て地上の高架線となり、豪徳寺では東急世田谷線を越えますが、ここはしっかり複々線になっています。

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成城学園前では再び地下線となりますが、その地下から再び地上に顔を出します。

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複々線は多摩川を越えた登戸で終わり。その多摩川に沿って敷かれた複線はJR南武線でしょう。

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駅上に小田急百貨店が建つ町田駅を出ると、下には懐かしい103系の横浜線も。手前のビルは丸井でした。

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江ノ島線との分岐駅、相模大野。駅上のステーションスクエアまで正確に。

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海老名です。奥には電車基地、手前の線路は相鉄ですが、残念ながら相鉄の車両は見当たりませんでした。

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海老名をよく見れば、ロマンスカーミュージアムの建屋も確認できます。そして相模川を越えて・・・。

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とにかく中身が濃いのでご紹介しきれません。つづきをお待ちください。

 

 

2021年4月26日 (月)

電車見ウォーキング

遂に出た3度目の緊急事態宣言。まったくモグラたたきのような現政府の施策に呆れるばかりですが、その緊急事態宣言初日のウォーキングは、線路の方に向かいました。ここまで役4,000歩。最初に来たのは“都電”でした。好みではありませんが、今の季節の新緑にマッチします。

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次は向こうの小田急多摩線。綺麗な1000形の急行、気付けば10両固定化された最新の1097Fではありませんか!

これって旧1055F(4連)+1255F(6連)-中間のクハ2両+旧1081Fから抜いたサハ2両という複雑な個性豊かな組成、下回りが綺麗です。

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お次は3000形の各停。

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その後に京王の区間急行9000系が来ました。ということは、この後直ぐに準特急ということ。

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なのでその場で待機、その準特急9000系を取りましたが、こちらは8両バージョンの9000系の後ろに7000系を連結しています。

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異形式連結は魅力的なので、振り返って撮りましたが、右の柵は邪魔だし光線最悪。

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ここで引き返しましたが、先の小田急1097Fが唐木田で折り返して来るのを、線路の反対側に移動して待ち受けました。

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リュックにコンデジ入れての電車見ウォーキング、この日のコースは8,000歩強になりました。

 

 

2021年4月25日 (日)

ロマンスカーミュージアムのジオラマ

開業3日目の4月21日に訪れたロマンスカーミュージアム。なんと言っても保存展示された歴代のロマンスカー実車が目玉ではありますが、2階のジオラマパークがまた凄いのです。

小田急の起点は新宿駅。西口の模様が克明に再現されています。左手前の小田急ハルク、その向こうの小田急百貨店本館、お隣はライバルの京王百貨店。そしてバスターミナル。

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実際の光景と比べてみると、その再現ぶりに驚きます。

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少々上空に上がって見渡せば、南口のミロードまで見渡せます。

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夜景もこの通り。手前のハルク塔屋の看板は照明付なのに、ライバル京王には照明が無いのが面白い。

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東側のJR駅上空辺りから眺めてみます。手前の小田急百貨店本館と右に続くユニクロ看板のメトロビル、その向かいのハルクと続きます。

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西口の奥にはホテル小田急が経営するハイアットリージェンシー東京と共に、ライバル京王プラザホテルもしっかり。

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夜景ではこの通り、背後には都庁が。

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少し左(南)に移動してみれば、小田急新宿駅の象徴的なガラス窓とモザイク通りが。

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ここで視点をず~っと下げると、実際には見ることが出来ない上下2層式のホームが見えます。上(地上)からは優等列車、下(地下)からは各駅停車となっています。

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南口に移動してみます。ミロードからサザンテラスに至るデッキ、その向こうにルミネ、そして交差点角にヨドバシカメラが。実際とは少々異なる配置ですが、これがこの地域の特徴なのでしょう。残念ながらIMONビルはありませんでした(笑)。IMONさん、ちょっと出資してビルを寄付されては如何でしょう。

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夜の甲州街道から西方を眺めればこの通り。都庁ではコロナ対策会議でもやっているのでしょうか。

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おっと、交差点をヘッドライトを点けた箱根高速バス(矢印)が右折します。このバス、道路を走っています。

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見所満載、新宿のジオラマだけでもたっぷり楽しませて頂いた次第です。

 

2021年4月24日 (土)

貸付財産票

「まん延防止等重点措置」発令中の、やむを得ない都心への外出の帰路は、混んだ電車に乗ることを避け、座席指定料金410円を支払うことにしました。

座席はいつものようにスマホで1号車5D席を購入。ホームで到着を待つ間に斯様な撮影をしていたら・・・。

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1・2番ホーム先端の柱にこんな表示が!

「貸付財産票」、京王線新宿駅の乗降場として2,124平方メートルが、昭和63年3月8日以来東日本旅客鉄道から貸し付けられていたということを示す内容です。

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なるほど、思えばあの戦争で東京が壊滅的被害を受けたとき、それまで“甲州街道上を進んで来た京王線”はと言うより、京王線の始点は国鉄を越えて新宿御苑手前の追分だったのを、急遽国鉄駅隣の小田急駅の西側に設けたのがことの起こりだったと言うことを思い出しました。京王の用地では無くずっと国鉄から貸し付けられていたのですね。

そこで今は、5000系を迎えます。

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橋本行き“京王ライナー35号”となるこれで、密を避けてのゆったり帰宅でした。

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すっかり快適な座席指定列車まで走るようになった京王線、OER3001氏には地上駅時代の板張りホームから、14m小型車に乗った頃の想い出が蘇ってきました。

 

2021年4月23日 (金)

今日の一枚 No.112

「今日の一枚」シリーズの今回は112回目となります。ごくごく一部の方から「箱根登山は115までカバーできるだろうか」とのコメントも頂いておりますので頑張って探しました。

ありましたよ、101と連結していた2両編成で活躍していた112の姿が。小涌谷駅を発車した直後の箱根湯本行き。

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1988(昭和63)年の大晦日、新年が一週間ほどで昭和を終えることになってしまうとは、考えもしないでシャッター押していました。

 

2021年4月22日 (木)

初訪問:ロマンスカーミュージアム

2021(令和3)年4月19日に開業したロマンスカーミュージアム。早速、開業3日目の21日に行ってみました。

海老名駅のサイン、「西口↑」の並びに「ロマンスカーミュージアム↑」が併記されました。

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ホーム上のコンコースには、ロマンスカーミュージアムを宣伝する電飾等も設置されています。

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西口改札を出て直ぐ、JR相模線へのペデストリアンデッキ左にロマンスカーミュージアムがあります。

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ペデストリアンデッキから海老名駅方向を望むと、正面右の位置です。当面の間は事前予約制で、Webで予約した日時に現地に行き、予約済みのスマホ画面を提示してから入場券を購入する仕組みとなっています。

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15分毎の予約を取っているようで、1回におよそ50人が順番に入場しますが、先ずは手首をかざして検温と手指消毒、その後に入場券購入との手順です。

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開業祝いの花で埋められた通路を進みます。銀行や日本車輌他の社名がありましたが、模型メーカーは見当たりませんでした。

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順路は先ず、エスカレーターで1階へ。

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するとモハ1形がt演示されたヒストリーゾーンへ。正面スクリーンに歴代ロマンスカーの走行時の記録などが流れます。

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蔵-通路を奥へと進むとロマンスカーギャラリーと名付けられたこの空間に。多くは語りません、ゆっくりご覧あれという感じです。

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台枠に設けたLEDで台車や床下器具も見られるなど、ライティングも良いのですが、なかなか来館者が途切れず、車両だけをカメラに収めるには相当の根気が必要です。こちらは新宿方です。

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SEとNSEの間を小田原方に歩くと、HiSEとRSEが並んでいます。広々した空間だけに、見学者が途切れることがありません。ここに設けられたモニターでは、永く保管してあった展示車両の輸送、設置の様子が記録された映像が流れており、見物です。

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たっぷりここで過ごした後、RSE奥のエスカレーターを上ります。

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するとジオラマパーク。画像右の新宿から、下北沢、成城学園前と複々線を走り、多摩川を渡って町田、相模大野、海老名と進み、画像左手前の小田原、箱根湯本。その間に相模大野から分岐して江ノ島までの1/80模型が走ります。この詳細を語るのは別途としましょう。

実はこの日、開業3日目でトラブル発生となり、ジオラマは30分程度フリーズしていました。

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そして、LSEのシミュレーターで運転体験が出来ますが、この日は30分間の入場者毎に抽選で2名が体験できるという仕組み。残念ながらOER3001氏は“外れ”でした。

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ということで、この日の滞館時間は約4時間。一通りの見学が出来たので、落ち着いてきた頃に改めて再度見学したいと思います。

 

2021年4月21日 (水)

新ホームドア

目的地の市ヶ谷は、いつもホームから見える堀の景色に癒やされます。若しかしてホームドア設置後に降りたのは、この日が初めてだったかも知れません。時間的にゆとりがあったのでつい、下校時の光景に視線が。ちょうど大妻学園の生徒達の下校時刻だったようです。

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そこで、大妻学園の生徒さんにもご協力頂き、ガラス扉ではなくガードだけと軽量化された新型ホームドアの様子を観察してみました。

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電車が到着すると、従来のガラス扉同様に左右に開き始めます。

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ホームドアが完全に開いたところで、車両側のドアを開きます。

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開いた状態はご覧の通り。

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乗り越えようとする輩はガラス扉でもなんでも乗り越えるでしょうが、これで充分なのでは無いでしょうかね。ホームから車両写真を撮ることが少なくない身には、柵の間からカメラを構えれば低アングルの撮影も可能なこのタイプを歓迎します。

 

 

2021年4月20日 (火)

スイス風フリー艤装進行-3

気ままに進めているので納期も無し。面倒くさい作業なのでつい、集中力が切れる。暫く放り出して気が向いたらまた取り掛かる。そんな調子で進めていますが、なんとか照明ユニットを車内にセットしました。

中央はテープLEDを樹脂製カバーで覆った室内灯、両サイドに配線基板。

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前照灯、尾灯は黒いペーパーにチップLEDを接着したユニットを現物合わせで所定の位置にセット。

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車内に通っているリード線は、この後室内工作を進める中で、窓から見えないように処理します。

とりあえず床板と組んで通電。イイ感じだと一人悦に入っています。

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尾灯の光が漏れる様ですが、これも後に改善しましょう。

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とりあえず、これで走れますよ。でも、大きな窓から見える室内がガラガラではつまらない。これからが楽しい工作なのですから。

 

 

2021年4月19日 (月)

外出の序でにJR

「まん延防止等重点措置」の発令となって発の週末、所要のため23区内への外出となりました。その機会を無駄にしないといういつもの心がけで、今回はご無沙汰していたJR中央線を。先ずは改良工事が進む新宿駅の一コマから。

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下り快速を見るホームから、乗車したのは上り各駅停車。この日の目的地は市ヶ谷ですが、時間に余裕を持って移動したので千駄ヶ谷で途中下車。新宿から四ッ谷を目指す快速電車を。

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気付けば千駄ヶ谷駅はこれまでの島式ホームから、臨時ホームを下り専用とした改良工事が完了しています。

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上り専用となった従来からのホーム代々木方からは、標準では2コマ前のように非常用発煙信号が邪魔になるのでズームしました。車両はすっかり山手線からの231系500番台に置き換わっていますね。

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序でなので新装なった飯田橋駅に向かってみました。現役後年は、ここが勤務地下車駅だったので思い出深い駅ですが、旧折り返し線跡にホームを延長移設しています。ホームドア未設置なのがどうしてなのか?

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その結果、ここから市ヶ谷方の眺めが良くなりました。

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架線柱と柵が目障りですが、上り快速も撮れます。

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旧飯田町方向に目を向ければ、快速と各停を同時にカメラに収めることも可能のようです。

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ということを確認してから、目的地・市ヶ谷に向かったのでした。

 

2021年4月18日 (日)

今日の一枚 No.111

ここの所続けてきた当シリーズは、回数と同じ形式または車号を取り上げてきましたが、そろそろネタ切れです。

そんな中、111がありました。伊予鉄道モハ110形、1978(昭和53)年5月の松山出張の際、仕事を終えた夕刻に松山市駅で撮っていました。

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日鋼式密着自連の下に電気連結器という旧型電車とは思えない装備の電車は、1967(昭和42)年の横河原線電化に際して、伊予鉄道が導入した初の他社からの譲渡車です。元は西武鉄道モハ151形で、クハ410形とともにモハ5両、クハ3両が1965(昭和40)年~1966(昭和41)年にかけて、西武所沢工場で車体更新後譲渡されている。

書類上は西武所沢車両工場による新製だそうだが、1927(昭和2)年の川崎造船製と言った方が合う17m全鋼製車体。このあたりの詳細は、ぬか屋さんがご存じだろうと思いますので、コメント書き込みを期待するとしましょう

最後におまけで箱根登山の111も。

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箱根登山の111は、この時の撮影しかカラーポジはありませんでした。

 

 

2021年4月17日 (土)

さよなら“スライド映写機”

感傷的なタイトルですが、スライドフィルムを映写するための“オート キャビン”が、昨日我家から去って行きました。

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1970年代の購入だったと思いますが、取扱説明書と共に標準価格33,000円のPOPがありました。

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既に全てのフィルムをデジタル化したので、プロジェクターは不要になりました。

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どこも故障しておらず、まだ使えるのもの。ヤフオクに出品したらめでたく落札者が現れました。当時の段ボールに収まって、福岡県の落札者の手元に飛んで行きました。

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長い間ありがとう、オートキャビン。

「スライドプロジェクター」だと思っていたら、段ボールには「スライド映写機」の表示。1970年代は「映写機」と言っていたのですね。ついこの前だと思っていた70年代、そうか、半世紀前になってしまいました。

 

2021年4月16日 (金)

今日の一枚 No.110

このシリーズの前回は、箱根登山のモハ109号を取り上げましたので、調子に乗ってモハ110号です。

まだ小田原から3線軌道だった1978(昭和53)年のクリスマス、単行で箱根湯本に来た110を収めていました。

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この場所では何度も撮っていますが、この時は国道を行き交うクルマ、歩行者が全く無い状態で撮ることが出来ていたようです。今ではこんなこと、出来そうにありません。

 

 

2021年4月15日 (木)

スイス風フリー艤装進行-2

前照灯、尾灯、室内灯関連の配線工事は行き当たりばったりで進めています。いつも気が重い作業ですが、漸くここまでのパーツが揃いました。室内にセットしてからではハンダ付けが出来ないので、あらかじめユニットにしておく必要があります。

上の横長の白いのが室内灯となる白色テープLED。その下の点状に見えるのが前照灯と尾灯用のチップLED、そして自作基板です。

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SE車を作ったときの余りの有効活用なので、途中で繋いで必要な長さにしています。

テープLEDの下にあるのが前照灯(左)と尾灯(右)のチップLEDで、前照灯には2012サイズ(2.0×1.2㎜)、尾灯には1608サイズ(1.6×0.8㎜)を使用しています。

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テープLEDの端部にはブリッジダイオードと抵抗を直接ハンダ付け。

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自作基板は銅張積層板を切り出し、Pカッターで必要な溝切りを施したものに抵抗とスイッチングダイオードをハンダ付けしています。これを室内灯のテープLEDを挟んで取り付ける予定。

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室内灯のテープLEDの反対側には、チラツキ防止のためコンデンサを接続しておきました。コンデンサは天井空間に収める予定ですので、リード線は長めにしています。

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これらをくみ上げてテストした後に車内にセットするのですが、なかなか綺麗に収めることが出来なくて毎度苦労しますが、フリーですから全てが気ままに。

 

 

2021年4月14日 (水)

今日の一枚 No.109

このシリーズ、101回以来回数と同じ数字の形式、または車号の車両を取り上げてきましたので、109回目は引退して間もない箱根登山鉄道モハ2形の109号とします。

ただ、「今日の1枚」とは言っても特別編成とし、OER3001氏のライブラリーにあった109号の過去を紹介します。最初は引退間近の本年2月の姿から。

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平成にも馴染んできた1994(平成6)年夏、下回りが更新され、シールドビームの前照灯に、標識灯がステンレス製に変わっています。

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翌年の1995(平成7)年、紫陽花が咲き誇る季節にも取っていました。

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2年後の1997(平成9)年の紫陽花の季節にも出掛けていました。この時は、復刻塗装になった引退間近のモハ3形114号を従えて走ってきました。

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そして1ヶ月後にも再訪、この時は2両固定となったモハ1形の増結となっていたので、パンタが下ろされていました。

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翌1998(平成10)年の同じ季節に行ったときにはグリーンの旧塗装となって、方向板も復刻版となっていました。

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グリーンの復刻塗装は翌1999(平成11)年も変わらず、110号と手を組んだ2両編成で走っていました。

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複雑な経緯を持った109号、その間の改造や機器更新、塗装変更などは多岐に及ぶ車両でした。

 

 

2021年4月13日 (火)

スイス風フリー艤装進行

気ままに進めているスイス風フリーは、車体、床下の塗装を終えて、艤装にかかりました。たった1両の気まま工作ですが、中身の濃い作品を目指しています。

先のロマンスカー3000形SE車で、効果が明らかになったので、これも全軸集電とします。付随台車の絶縁車輪には燐青銅線から自作した集電ブラシを、プラワッシャとプラビスで取り付けました。

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床上は、センターピンから取った線と、絶縁車輪側の集電ブラシから取った線を、それぞれ床板左右に設けた接点にハンダ付けしています。

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動力台車側はWB26Bパワートラックの左右端子から伸ばした線を、同様に床板左右の接点にハンダ付け。

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車体下部の補強に用いている4×5㎜の真鍮アングル材が、照明関連への電線の役割を兼ねるものです。

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ここまで来ましたが、ここからが実は、先が読めない工作が待っているのです。

チップLEDによる前照灯、尾灯、テープLEDでの室内灯は、その配線基板をどう作り、何処に収納するか。コンパートメントの車内をどう作っていくか、乗客フィギュアはどうするか・・・等など。

まあ全てがフリーなので、楽しみながら息抜きしつつ、ゆっくり進めていきます。

 

2021年4月12日 (月)

3000形SE車

オレンジバーミリオンとグレーの間にホワイトラインを纏って登場した、ロマンスカー3000形SE車のデビューは衝撃的でした。OER3001氏が小学生となったの1957(昭和32)年のことでした。

その憧れのSE車模型を漸く完成させたのは、昨年夏のことでした。

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コロナ禍は第4波に差し掛かった今、“ロマンスカーミュージアム”開業まで7日となりましたが、5月のグランシップトレインフェスタが予定通り開催されることを祈るばかりです。

これまで撮っていたSE車現役時代に撮影した画像を出して見ました。初めて撮ったのは5年生だった1961(昭和36)年、ボルダ版フィルムのカメラを手に、千歳船橋駅を通過する「明星」を。この写真だけが原型の姿だったようです。

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中学生になっていた1964(昭和39)年には35㎜ハーフサイズカメラのCanonDemiを買って貰い、たびたび代々木上原-東北沢間にあったホッパー引き込み線に向かい、その築堤から井の頭通りの踏切を向いて撮っていたことがありました。「はこね」が通過して行きます。この時代になると床置きのクーラーを積んだため、両側面に1カ所通風のためのルーバーが設けられています。

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築堤から降りた線路横からも「はこね」を撮っていましたが、当時はこんな場所に入れたし、入っていても叱られない、タイフォンも鳴らされない良い時代でした。SE車の左に、乗ってきた自転車が写っていました。この自転車で、良く出掛けていたものでした。

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この年の暮れには、家族で箱根に出掛けていたようで、お決まりの箱根湯本駅に停車する姿を撮っていました。国道を行き交うクルマも少なかったようです。

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高校生になって、1966(昭和41)年には経堂駅を通過する「はこね」を撮っていましたが、この頃は理由はわかりませんがベロを出したように、非常用連結器を出したままでの運用が定着していました。

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同じ1966(昭和41)年、高価だったカラーフィルムを奮発して東北沢駅で「さがみ」を撮っています。スカートのタイフォン穴が楕円形ではない正円なので第4編成(3031~3038)でした。

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1967(昭和42)年には一眼レフを入手していて、35㎜フルサイズで撮れるようになっていました。この年にSSE改造が始まり、改造前の記念乗車を企んで「えのしま」に乗ったときの撮影です。

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原型に復元されたSE車ですが、細かいことを言えば「原型」にできる限り近づけたもので、外観では屋根、モニターはSSE改造で屋根上クーラーにした時の幅が狭いままです。

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塗色も、製造時に指定されていたマンセル値「N5」のグレーではなく、SSE時代の黄色みを帯びた色となっています。ともあれ、“ロマンスカーミュージアム”に収蔵されたSE車をいつでも見られるというのはありがたい。開業したら是非行ってみることにしましょう。

 

 

2021年4月11日 (日)

電車見ウォーキング

平均より温かい日が続いていたが、一転して平年並みの気温は肌寒く感じてしまう土曜日のウォーキングは、電車見とテーマを決めました。

公園を抜けて、最初はここ唐木田駅手前で。ちょうど来たのは廃車が発生している1000形広幅ドア車の1700形。既に方向幕は折り返しの「新百合ヶ丘」とされています。

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ということは、この後に新宿からの急行(日中は多摩線内各停)が到着するはず。待っていたら8000形で来ましたが、唐木田到着前に「回送」表示になっています。

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もう1本、各駅停車は1000形でした。

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足を伸ばして、これまで撮ったことが無かった場所へ向かいました。多摩南部地域病院、正確には公益財団法人東京都保健医療公社が運営する病院ですが、その北側で画像右は府中カントリーの下を潜るトンネル「多摩センター第1トンネル」です。

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準特急が行ったということは、多摩センターで待避していた区間急行(各駅停車)が直ぐに来ると思い待機。都営車が来ました。

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多摩センター駅方向に向かう途中で「隙間電車」やってみました。「隙間」とは言っても、二子玉川辺りの東急線に比べれば余りに間口が広い。ちょうど交差点を右折しているのは南大沢に向かう京王の高速バス。成田か羽田空港からのものです。

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この後は電車とお別れし、公園内を巡って帰宅。歩数計は8,600歩を示していました。

 

 

2021年4月10日 (土)

都電6000形保存車

ここのところ府中界隈での情報が続いていますが、今回は都電6000形。6191号が、府中市郷土の森公園に保存されています。EB10を見に行った序でに、こちらもじっくり観察して来ました。

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6000形の諸元と共に、保存に至った経緯が紹介されていますが、府中市が東京都から購入したとのことです。

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先ずは乗降用の階段、手摺の無い側から。塗装が剥がれ、大分痛んでいますので早急に補修したい状態ですが、方向幕は「新橋」です。

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それでも折角なので、遊んでいる子供たちが映らなくなる機会を待って、側面を撮りました。

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反対側の顔、方向幕は「荒川車庫」と。

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車内見学用の階段と手摺がある反対側面にまわってみます。主抵抗器がありました。

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「新橋」の顔方向からも撮っておきます。これで全方向からの撮影が叶いました。

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下回りも観察しましたが、台車には主電動機が確認できます。下ろされていないのが幸いですが、主制御器が確認できませんでした。

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ここでは車内公開は相当前から出来ない状態で、荒れ放題の車内は物置にされていました。昔の鉄道車両が残っていること自体は嬉しいですが、斯様な状態では悲しいばかりでした。

 

2021年4月 9日 (金)

下河原線跡でウォーキング

OER3001氏が知る下河原線は、国分寺から東京競馬場前までクモハ40の単行が往復していた時代ですが、乗ったことはありませんでした。EB10を見に府中市郷土の森公園に行って、その界隈が興味深いことを知り、また出掛けてみました。

今回は京王線の中河原駅を降りて、歩いて見ることにしました。スマホの地図頼りに線路跡を整備した歩行者・自転車専用の“下河原緑道”で向かった先は、東京砂利鉄道が設けた下河原駅跡ですが、集合住宅や都立職業能力開発センター、府中市立心身障害者福祉センターなどが建ち並び、それらしい表示も見付けられませんでしたが、下河原という地域の解説がありました。

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ここからさらに、下河原緑道を北に向かって歩きます。

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ピンクや

20210407_0005_17

白い

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ハナミズキを楽しみながら、郷土の森博物館北側に沿って進みます。

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暫く進むと・・・、なんじゃこれは! サントリー武蔵野ビール工場の裏手に積まれたビール容器とパレットでした。

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流石に凄い量、一体誰がこんなに飲むの!?

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さらに進んだところで、下河原緑道の分岐点に出ました。画像では右奥からこちらに歩いて来て振り返った画像ですが、左へ進むと東京競馬場前駅跡に至りますが、今回はそちらへは向かいません。

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南武線を越えます。画像の向こうが西府駅となります。

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馬場北裏通りを渡るところに、幅は1,067㎜ではなさそうですが斯様な線路が!  線路の上を歩いて進みます。

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京王線の“隙間電車”が見えました。既に府中駅近くです。

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京王線を潜って振り返り、再び“隙間電車”を。下河原緑道の入口右に「下河原緑道」の表示が確認できました。

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甲州街道を渡った先に、再び線路がありました。

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その線路に沿って行くと、プラットホームに駅名標らしきものが。

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下河原線広場公園として整備されています。

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そしてその横に、下河原線の歴史が解説されていました。

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ここで下河原緑道は終わるのですが、OER3001氏は武蔵野線北府中駅方面に歩いてみました。すずかけ通りで完全に道は途絶えます。

画像はすずかけ通りからですが、武蔵野線左の空き地が元の下河原線線路だったのでしょうか。

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天気が良く温かい午後のウォーキング、ここから北府中へは諦めて、京王線の府中競馬正門前に向かうこととしました。

 

 

2021年4月 8日 (木)

EB10を見に行く

夕刻から雨との予報を耳に、曇ってきた天気も光線には最適と、急に保存されているEB10を見たくなり、府中市郷土の森公園に行ってみました。

OER3001氏は残念ながら稼働している姿を見る機会はなく、実機は今まで見たことがありませんでしたが、雨をしのぐ屋根の下に保存されていました。

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諸元と共に、保存の経緯が紹介されています。府中市には東芝府中工場がありますが、その東芝はこの保存に特に関与してはいませんでした。

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柵で囲われているため、なかなか写真は撮りづらいですが、文句は言えません。こうして小田急開通と同じ1927(昭和2)年製の機関車を目前にできることに感謝です。

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窓にはガラスがなく、保護棒が溶接されていますがそれも我慢です。

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第2エンドのフロントナンバープレートは複製品でした。

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なんとか第2エンドの顔も撮りました。

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運転室に入れるようになっているのは結構なことですが、そのためか荒らされているのが残念です。

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それでも雰囲気は味わえます。

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主幹制御器はまずまずですが、制動弁は無くなっています。計器類もこの有様なのが悲しいです。

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この主幹制御器には「株式会社 芝浦製作所 東京」とあります。1904(明治37)年の株式会社への変更から、1939(昭和14)年の東京電気を合併して東京芝浦電気への商号変更までの社名です。

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それでもOER3001氏にとっては、下回りを観察できたのが幸い。単軸台車の電機など、もはや滅多に見られるモノではありません。

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車軸間にはブレーキシリンダーと大型の空気溜が2個、制御溜は軸受けの横にありました。

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主電動機の取り付けが面白い。床下から伸びたアームにボルトで結合し、車軸に吊り掛けと言う構造です。

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裏面にもまわって、背の高い柵の上に手を伸ばし、第1エンドがなんとか取れました。

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同じようにして第2エンドも。

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天賞堂製品で知ったED10、実車を隈無く観察できて、ちょっとした満足感を味わえました。

 

 

2021年4月 7日 (水)

マスキング

気ままに取り組んでいるスイス風フリー、漸く車体の塗装に備えてマスキングを終えました。

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窓下に細くカットしたテープを巻き、乗降扉、貫通扉をマスキング。大きな窓も、室内工作に備えて塗料が飛ばないように塞ぎました。

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ペーパーで作った床板、これから塗装に備えて台車などを一旦外します。車体色を決めるのも楽しいですが、床下色もちょっと考えたいです。

さて、塗装は天気次第。いつ吹けることやら・・・。

 

2021年4月 6日 (火)

想い出の光景

今回は半世紀前、ちょうど50年前の今日の光景を。須田町交差点、岩本町方向を望んでいます。

都電は29番、方向幕は「葛西橋」、正面の高架橋は165系でしょうか。

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クルマは軌道を無視したような走りぶり、というより道路は駐車場か?

これじゃ路面電車は消えて行かざるを得なかったのでしょう。

 

2021年4月 5日 (月)

“ゆめ70”

様々なメディアで取り上げられていますが、ロマンスカーミュージアムの開業でちょうど2週間となりました。オレンジバーミリオンとグレー、ホワイトの3色デザインを纏ったSE、NSE、LSEに加え、HiSE、RSEと、5車種が展示されるロマンスカーギャラリーが目玉ではありますが・・・、

NSEの現役末期にはこんなイベントトレインとなったのもありました。

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小田急開業70周年を記念して改造されたもので、“ゆめ70”と名付けられました。JALを連想するレッドとダークブルーのカラーリングで、手を繋いだ人のデザインが側面に展開されていたもの。好き嫌いは別として、イベントトレインらしく目立つものであったことは確かでした。

この画像は23年前の今日、4月5日に玉川学園校内の松陰橋上から撮影。「さがみ」としての運用に就いていました。

 

 

2021年4月 4日 (日)

4月4日と言う日の記録

はい、ありました、4月4日の記録が。

先ずは5年前の2016(平成28)年4月4日は月曜日。その日の気分でコースを決める退職後の日課・ウォーキング、小田急唐木田車庫に寄っていました。しっかりサクラを絡めて、待機している2編成の4000形を撮っていました。

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2010(平成22)年の4月4日(日)には京王電鉄平山教習所の一般公開が行われ、生憎の天気でしたが保存車両を見に行きました。デハ2410は多摩動物園駅前で保存されていたものが移送されました。

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デハ2015は、若葉台車庫で保存されていましたがここに移送。

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クハ5723も加わっていました。

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2005(平成17)年の4月4日は月曜日。業務で出掛けた折に、飯田橋-市ヶ谷間を歩いて撮っていたようです。

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1993(平成5)年には玉川学園付近のサクラを撮りに行っていました。この日は日曜日で、玉川学園校内が花見のために一般公開されています。20000形RSEもまだ元気には活躍している時代始めて3年目。読みづらいですが種別は「あさぎり」です。

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4月4日という特定日の撮影記録を探してみましたが、毎年この日に鉄道関連を撮っている訳ではありませんが、あれば時節柄、殆どがサクラを絡めて撮っているものでした。

 

 

 

2021年4月 3日 (土)

4月3日と言う日の記録

探せば見つかるものですね。

5年前になりますが2016(平成28)年の4月3日は日曜日だったかと。成城学園前の友人宅での花見会に出掛けていました。コロナ禍の今では出来ないことになってしまいました(涙)。

待ち合わせ前の時間に、暫しの電車撮影を楽しんでいました。初めは下りプラットホームから。

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急行・唐木田のJR-E233系も今では見られなくなってしまいました。

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成城コルティの4階屋上から、複々線を行き交う4列車を収めたかったのですが、なかなか叶いませんでした。満開のサクラを入れた3列車がかろうじて。下り各駅停車は遙か遠くに前照灯だけ確認できました。

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そう言えばここ成城コルティ屋上からの撮影、何れは腰を据えてと思いつつ、未だにしていませんでした。

 

 

2021年4月 2日 (金)

今日の一枚 No.108

108回目の今回も江ノ電で。

前回の107は、鎌倉海浜公園で保存されていますが、この108は自走可能な状態で、極楽寺車庫に保存されています。

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毎年実施される「タンコロまつり」での一般公開も楽しみです。

 

 

2021年4月 1日 (木)

二昔前

コロナに翻弄された1年が終わり、新年度のスタートとなりましたが・・・。10年一昔と言うなら20年は二昔ということで、今日は20年前の4月1日の光景を。

新松田から酒匂川を越えて来た5200形急行、行先は箱根湯本。今では小田原から先へはロマンスカー以外は乗り入れなくなってしまいました。

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やっぱり20年経つと、相当な変化が有るものです。新型コロナ感染症などというものは勿論無く、小田急顔の電車が元気な時代でした。

 

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