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2021年4月 9日 (金)

下河原線跡でウォーキング

OER3001氏が知る下河原線は、国分寺から東京競馬場前までクモハ40の単行が往復していた時代ですが、乗ったことはありませんでした。EB10を見に府中市郷土の森公園に行って、その界隈が興味深いことを知り、また出掛けてみました。

今回は京王線の中河原駅を降りて、歩いて見ることにしました。スマホの地図頼りに線路跡を整備した歩行者・自転車専用の“下河原緑道”で向かった先は、東京砂利鉄道が設けた下河原駅跡ですが、集合住宅や都立職業能力開発センター、府中市立心身障害者福祉センターなどが建ち並び、それらしい表示も見付けられませんでしたが、下河原という地域の解説がありました。

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ここからさらに、下河原緑道を北に向かって歩きます。

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ピンクや

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白い

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ハナミズキを楽しみながら、郷土の森博物館北側に沿って進みます。

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暫く進むと・・・、なんじゃこれは! サントリー武蔵野ビール工場の裏手に積まれたビール容器とパレットでした。

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流石に凄い量、一体誰がこんなに飲むの!?

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さらに進んだところで、下河原緑道の分岐点に出ました。画像では右奥からこちらに歩いて来て振り返った画像ですが、左へ進むと東京競馬場前駅跡に至りますが、今回はそちらへは向かいません。

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南武線を越えます。画像の向こうが西府駅となります。

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馬場北裏通りを渡るところに、幅は1,067㎜ではなさそうですが斯様な線路が!  線路の上を歩いて進みます。

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京王線の“隙間電車”が見えました。既に府中駅近くです。

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京王線を潜って振り返り、再び“隙間電車”を。下河原緑道の入口右に「下河原緑道」の表示が確認できました。

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甲州街道を渡った先に、再び線路がありました。

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その線路に沿って行くと、プラットホームに駅名標らしきものが。

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下河原線広場公園として整備されています。

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そしてその横に、下河原線の歴史が解説されていました。

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ここで下河原緑道は終わるのですが、OER3001氏は武蔵野線北府中駅方面に歩いてみました。すずかけ通りで完全に道は途絶えます。

画像はすずかけ通りからですが、武蔵野線左の空き地が元の下河原線線路だったのでしょうか。

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天気が良く温かい午後のウォーキング、ここから北府中へは諦めて、京王線の府中競馬正門前に向かうこととしました。

 

 

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コメント

 武蔵野線の西国分寺の南から北府中あたりまでは、下河原線の用地を転用しています。戦時中は大井工場を下河原に移転させようという計画があり、少しですが工事も始められたそうです。

下河原線は、廃止直前になって乗車、撮影しています。線路際(ホームの脇)に工場の塀が写っています。電車はクモハ40でした。

◆ モハメイドペーパー さま
多い向上の下河原移転計画!? それは知りませんでした。
しかし今、現地を歩いてみて広大な再開発だったことが感じ取れ、工場移転にも充分な広さだったものと思います。


◆ 八千代運転所 さま
廃止直前になってやっと? そうでしょうね、競馬に興味が無ければ乗る必要性を感じない路線でしたから。

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