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2021年5月

2021年5月31日 (月)

サイドビュー第4弾

サイドビュー第4弾は1000形です。1988(昭和63)年から1993(平成5)年までの6年間に、総勢196両が製造されていますが、現在は各種更新工事が進行しており、一部廃車も発生しています。

今回捉えたのは6両編成の1251F、未更新なのでパンタグラフがワンアームに交換された程度でほぼ原型と言えましょう。

Tc1(6号車):1251

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M1(5号車) :1201

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M2(4号車) :1301

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T(3号車) :1351  パンタグラフが搭載されていてもサハです。

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M3(2号車) :1401  その代わりこちらのデハにはパンタグラフはありません。

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Tc2(1号車) :1451

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走る電車のスピードに合わせてシャッターを切るって、結構難儀なものです。最近購入したミラーレス一眼では、データ書き込みの時間のためなのか、それが出来ませんの高速連写をせざるを得ません。

 

2021年5月30日 (日)

今日の一枚 No.118

このシリーズ、ここまで来たら118回目はこれにしましょう。

119系のクハ118形。2006年の夏休みに友人“と”と、青春18きっぷで日帰り乗り鉄をした際、飯田線天竜峡で撮りました。

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この時は岡谷からクモハ119-5108+クモハ119-5008+クハ118-5006の3両編成。残念ながら豊橋までの直通は無く、飯田まで。上の画像は飯田から乗った別の編成です。

飯田で何か腹に入れるものをと期待していたのに・・・、駅売店には五平餅しか有りませんでした。飯田線乗り鉄には前もって弁当を用意することと学習しました。

 

2021年5月29日 (土)

サイドビュー第3弾

調子に乗ってサイドビューは第3弾、8000形です。足回りをVVVFに更新し、中間M車のT車化もあって、登場時の4M2Tから3M3Tになっています。

Tc1(6号車):8254

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M1(5号車):8204

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M2(4号車):8304

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T (3号車):8454 元はM車8404を名乗っていました。

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M3(2号車):8504

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Tc2(1号車):8554

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別にサイドビューをシリーズ化するつもりはありませんが、折角ウォーキングで向かった場所、とりあえず撮っておくことにした次第です。

 

2021年5月28日 (金)

装飾電車

小田急と京王が併走する区間では、狙ったものが不幸にも遮られてしまうことも少なくありませんが、一番手前の線路を走る車両は邪魔されずに撮ることが出来ます。

コロナ禍でどうなるか判らないオリパラ装飾電車も、撮れるときに撮っておかなければと言うことで。

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全面ピンクのサンリオラッピング電車も、来たら撮っておきます。

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この類いは、わざわざ運行ダイヤを調べようとも思いませんので、運任せです。

 

2021年5月27日 (木)

サイドビュー第2弾

ロマンスカーではないステンレスの通勤車3000形、その1次車第4編成。OER3001氏が模型化した編成の山側を収められました。

Tc1(6号車):3254

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M1(5号車):3204

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M2(4号車):3304

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M3(3号車):3404

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M4(2号車):3504

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Tc2(1号車):3554

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因みにペーパー自作の模型はこれ。2018年の関東合運で快走してくれました。

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2021年5月26日 (水)

遂にGet、サイドビュー!

ウォーキングコースを電車を見る方向にしておよそ1週間。漸く収めることが出来ました、5000形山側のサイドビュー。

Tc1(10号車):5051

5051_20210524_1074

M1(9号車):5001

5001_20210524_1073

M2(8号車):5101

5101_20210524_1072

T1(7号車):5151

5150_20210524_1071

T2(6号車):5251

5251_20210524_1070

M3(5号車):5201

5201_20210524_1069_20210524150901

M4(4号車):5301

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T3(3号車):5351

5351_20210524_1067

M5(2号車):5401

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Tc2(1号車):5451

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路線が東西に走る小田急で山側を撮るということは、太陽の方向を向いて撮るということになり、逆光との戦いです。

幸い南側の公園の木々を利用して多少光線を遮り、カメラのISOを1600に設定。レンズは18㎜、露出補正を+3+0.3ステップとして1/2000のシャッターを切ってみました。

 

2021年5月25日 (火)

今日の一枚 No.117

117回目の「今日の一枚」は、一部の方の予想通り117系としましょう。ただ残念ながらこの形式は真面目に撮っていませんでした。

現役バリバリで東奔西走に明け暮れていた1990(平成2)年11月、仕事を終えて帰リ道、訪れた得意先とは反対側に足を向け、旧高槻電車区の南側に行ってみました。その時の収穫に、117系がありました。

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スマホなんてものが無かった時代、調べておいた地図を頼りに歩いて見ると、仕事さぼって小一時間居たくなるような場所でした。

乗り換えの京都駅ホームでも一枚! こちらは一段下降窓のスマートな車体。関東人からは憧れの車両だったのですが、気付いたら殆ど撮っていませんでした。

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これらのネガカラーも残念な黄変、時の流れを感じます。

あっ、もう一枚ありました! 2001年9月14日、岡山駅です。

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出張で行ったことは間違いないのですが、この時はどんな仕事だったか・・・? 

 

2021年5月24日 (月)

京王ライナーを楽しむ

新5000系で運行する座席指定列車“京王ライナー”。コロナ禍では特に、都心まで出掛けた帰りには「密」を回避するのに座席指定料金の410円は価値あるものと思います。

この日は故障したカメラの修理依頼に、新宿まで出掛けざるを得なくなっての帰り。いつものように1号車を指定したら、第6編成の5786でした。

この写真は仙川を通過したところ、すれ違う上りがちょうど5000系!

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座席指定料金支払って座席に座らずというのも滑稽ですが、お仲間の方ならご理解頂けることでしょう。運転士の運行票にも「KEIO LINER」の表札が入っていますが、この運行票、一部が手書きとは驚きました。

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結構揺れるのでブレまくりですが、エネルギーモニターなんて言うのもあるのですね。新5000系は自走用バッテリーも装備しているのですから素晴らしい! 蛇行中だったので電気の流れは表示されていませんが、プリウスのモニターのようです。

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地下区間の調布を出ると、多摩川を加速しながら渡ります。

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いよいよ高速区間、車内信号は110㎞/hを示していますがただ今108㎞/h。

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あっという間に下車駅に到着してしまいました。

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天気の良い日、そして陽の長い季節のうちに、沿線で下り京王ライナーを撮影しておきたいものです。

 

2021年5月23日 (日)

ウォーキングは電車を見に

梅雨空の下ではわざわざ外に行く気が無くなりますが、そんなときは目的を「電車を見に」とすれば多少は楽しくなるものです。往復およそ6,000歩強となる場所に向かいます。この日は幸い雨は降らずですが、雲は低いままです。

いつもはカメラを向けない“都電”にしました。

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“都電”には余り興味が無いので詳しいことは知りませんが、ブラックフェイスになった新しいバージョンはどうも気に入りませんが、一応撮っておきます。

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この場所は植え込みの中なので蚊が! ちょっとうっかりしていると直ぐに刺されます。ポケットに忍ばせたかゆみ止めが役立ちました。

 

 

2021年5月22日 (土)

雨なのにウォーキング

朝から降り続ける雨は止む気配がありません。

が、降り方が少し弱まったので、前日の場所を再訪してみました。

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傘を差しつつ暗い中、シャッター速度を1/1000にしたいのでISOを16000にセット、絞りf/11、露出補正+1で撮ってみました。通常の鉄道写真アングルではありませんが、模型人にとっては何か面白くなってきました。

 

2021年5月21日 (金)

ウォーキングの序で

例年に無く早い梅雨入りとの今年、朝からどんよりと雲が垂れ込めていては気も重い。

それでも雨が降ってなければ外を歩くことが出来ます。早足で歩くのは健康に良いですから。でも、無目的に歩くのはどうも・・・ですよね。しかし、カメラを持っていれば違います。と言うことで・・・、

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真横から狙ってみました。

小田急と京王の併走区間である永山-多摩センター間で、京王側から狙いますが、好天だったら真逆光で撮れないアングルでも、曇天だからこそです。

ISO感度を1600にセット、絞り補正を+2としてシャッタースピード1/640、苦しいですね。

 

 

2021年5月20日 (木)

今日の一枚 No.116

当シリーズ116回目、有りました116の画像が!

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阪急で嵐山に行った帰路、京福嵐山線を利用しました。嵐山駅に到着しようとしている車両を撮っていましたが、これが116号でした。1932(昭和7)年に田中車両(現・近畿車輛)で7両製造されたモボ111形(111-117)の1両だそうです。

 

2021年5月19日 (水)

三線軌条

事例の少ない三線軌条だが、小田急沿線に生まれ育ったOER3001氏にとっては小田原から先、箱根登山線への直通で身近な存在でした。

しかし2006年以降、小田原-箱根湯本間は小田急車の運行となったことから、入生田以東の標準軌は撤去されてしまったのは寂しい。箱根湯本に向かうEXE-αが三線軌条となる入生田駅に到着、上り電車と交換です。

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到着した上りのEXE-αは三線軌条です。

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入生田に箱根登山の検車庫があるので、標準軌登山車両の入出庫のために三線軌条となっています。

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入出庫にしか使われない標準軌線路と、狭軌線路とでは光り方が違います。

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ちょうど良く、標準軌2000形“サンモリッツ”の回送が来ました。車体幅は2,520㎜です。

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プラットホームとの間隔も開いています。

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床下機器も良く見えます。この間隔を無くして乗降時の安全性向上のために、箱根湯本までを小田急車の運行としたのでした。

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“サンモリッツ”が入庫して行きます。

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ゆっくりと検車庫に入って行きます。

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その直後の分岐器、標準軌が反位です。

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狭軌が定位に切り替わるのを待ちました。向こうの安全側線に繋がる分岐器も、狭軌が右に切り替わっています。

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そこに、車体幅2,900㎜のEXE-αがやって来ました。先程の“サンモリッツ”との差が歴然とします。

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プラットホームとの間隔もこの通り。

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EXE-αが通過して行った後、待避していたMSEが三線軌条区間に入って行きました。

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入生田駅での滞在時間、結構長いものとなってしまいました。

 

 

2021年5月18日 (火)

箱根路へウォーキング:2

箱根路ウォーキングの目的は保存車両を見ることではありましたが、それだけで済ませてしまうにはもったいない。当然線路に近づきます。

最初の市電を見た後、国道1号線を歩いて東海道線を潜ります。音がしたので振り返ったら、小田原行きが通過して行きました。

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小田原を出た箱根登山線はその辺りで大きく右へカーブして大久寺という寺、墓地を右にします。寺を入れて撮ろうか場所探しましたが余り良くなく諦めました。

次は箱根板橋駅先の板橋踏切から、背後の国道1号を跨ぐ橋梁を越えて近づく小田原行きを狙います。

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振り返って箱根板橋駅、ここで箱根湯本行きとの交換です。

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次は国道1号を跨ぐポニートラス橋を小田原方から。ちょうどGSEが来てくれました。

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光線状態の良い湯本方からも撮りたいと構えていたら、EXEが来てくれました。箱根登山線の橋梁と言えば、早川に架かる出山のトラス橋ばかりが有名ですが、こちらもなかなか魅力的な橋梁だと思っています。

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足を進めます。早川左岸を進む国道1号に沿って、登山線は山肌にへばりつくように建設されています。

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その光景をなんとか収めたかったのですが、結構ワイドなレンズでないと収まりきれません。

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相模湾を背後にしたアングルも良いですが、山肌に沿うように走る光景もまた良しです。

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東風祭というバス停が、風祭駅の手前にあります。ここで線路を越えた反対側に行ってみます。

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これを撮りたかったのです。運良くVSEがゆっくり慎重に下って来ました。

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VSEと風祭駅で交換した小田原行きが来ました。

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先の撮影場所上には小田原厚木道路が通ります。

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風祭駅での交換もあります。この時はEXEと。風祭と言えば老舗蒲鉾店「鈴廣」、箱根駅伝の小田原中継所としても有名です。

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鈴廣のカフェ107となって保存された箱根登山107号を見た後、さらに歩き入生田へ。EXE-αが28.6‰勾配を上がって来ました。

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そこにはこれ、箱根登山検車区が。

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ちょ先の先のEXE-αが折り返して来て、検車区横を通過します。

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検車庫内を除いた後で、検車区横を駆け上がって来た箱根湯本行きを捉えます。

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この後はここ入生田からの標準軌、狭軌併用軌道を観察してウォーキング終了、電車に乗ることとしました。

 

 

2021年5月17日 (月)

箱根路へウォーキング:1

年2回届く株主優待乗車証の使用期限は5月31日と11月30日。その残分消化を兼ねて、天気に恵まれると聞いた日のウォーキングは、ちょっと遠くへ出掛けてみることとしました。

この日のテーマは保存車両を観る。小田原駅から昔仕事した商業施設を見たり、無くなった模型店「機関庫」の跡を訪ねたりと散策しつつ、ここへたどり着きました。

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(一社)小田原路面電車協会が保存する元箱根登山鉄道小田原市内線モハ202です。

長崎電気軌道151となっていたのを、大変な苦労の後に引き取って小田原内に設置したということですが、 その車両自体の出自は王子電気軌道402だそうで、紆余曲折を経た車両。小田原市内線に居たのは市内線廃止の1956(昭和31)年までの数年間だったようです。

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多くの地元企業や有志によるクラウドファンディングをもって実現した、小田原市への里帰りだったということです。

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車内も運転席も長崎軌道時代のままのようです。

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それでも設置に協力してくれた地元企業の貢献は大きい。ういろうの会社なのですね。ここではレストランを営業しています。

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そこから箱根駅伝ランナーが走る国道1号を歩きます。箱根板橋を過ぎ、たどり着いたのはここ風祭にある老舗蒲鉾店である鈴廣が経営するカフェ107。

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ここに保存されて以来、車窓からは見ていても訪ねてみたのは初めてでした。

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プラットホーム状のテラスで飲むオリジナルビールは最高です。

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車内にも自由に入ることが出来ますが・・・、あれ? 天井にエアコンが!

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107横の紫陽花が咲き始めたようです。

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折角なのでウォーキングはさらに先を目指しました。

小田原を出た箱根登山線は、今は狭軌の小田急1000形で運行します。箱根板橋、風祭、入生田を経て箱根湯本ですが、その入生田へ。

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ちょうど庫内では最新型車両がジャッキアップされていました。

ということでこの日の累計歩数は15,900歩となった次第です。

 

 

 

2021年5月16日 (日)

久しぶりに西武:3

その日は、折良く特急10000系とも出会うことが出来ました。つい先日まではレッドアロークラシックを追いかけている人が多かったのでしょうね。しかしこの車両にはやっぱりこのカラーが良いに決まっています。

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線路脇の小道から、特急電車を間近に見られるのは、西武新宿線の魅力ですね。

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中井駅から乗った電車は黄色い2523。この車両には女性運転士は似合わないような気がしますが、カッコイイ! 思えばこんなマスコンとブレーキ弁を操作する電車って、首都圏からは西武でしか見られなくなってしまった? 

OER3001氏はマスコンとブレーキ弁が大好きでも、女性運転士には左手ワンハンドルが似合うと思うのですが・・・。

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西武新宿に入線すると、隣にさっきの10000系が。

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折り返しの整備を終えて発車待ちの後ろ姿を撮って、久しぶりの西武を終えました。

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当たり前の情景も、いつかは過去の想い出になってしまうのですから、こまめに記録しておきたいものです。

 

 

2021年5月15日 (土)

今日の一枚 No.115

このシリーズも115回目。ありましたよ、箱根登山鉄道115が。

強羅駅ですが、今とは配線が異なります。彫刻の森駅から来た電車は、先の方のホームに停車して乗客を降ろします。この写真では107他の2連が停車中です。その後に115の停車位置まで移動して乗客を乗せ、一旦渡り線を通って出発して行きました。

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増加した乗客に対応すべく、115の停車する線路上までプラットホームを拡張したのです。これにて箱根登山の番号追いは終了となります。

 

 

2021年5月14日 (金)

久しぶりに西武:2

久しぶりに西武を撮った日、黄色くない電車もしっかり収めています。38106の各停・西武新宿行き。

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少し中井方向に移動してみたら、今度は38104の各停・西武新宿行きでした。

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下ってきたのは10両口トップナンバーの30001、急行・本川越行きでした。

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中井駅を発車して来た各停・本川越行きは38806、最初に撮っていたやつの折り返しでした。

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思えばこの卵形フェイスの“スマイルトレイン”も誕生から10年以上が過ぎたのですね。とは言え、未だ西武の主力車両は黄色い方のようです。

 

 

2021年5月13日 (木)

久しぶりに西武

所用で出掛けざるを得なくなった日、ウォーキングも兼ねて往路と帰路でコースを変えてみました。帰路に選んだのは久しぶりに西武を。先ずは行き当たりばったりに踏切で。“田”の字窓の急行・拝島が!

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反対側を狙ったら、憧れの前パンではないですか。

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隣の駅まで歩いてみると、中野区立第5中学と新宿区立落合公園の間、曇天のお陰で妙正寺川渡る渡る光景が南向きで撮れました。

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中井駅方に歩いて再び踏切で。

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曇天は逆光を気にすること無くどの方向からも撮れるという利点があります。常時リュックに偲ばせたコンパクトカメラで、それなりの撮影が愉しめました。

 

 

2021年5月12日 (水)

3度目の緊急事態

3回目の緊急事態宣言も今日12日から延長です。

退職してから夜の新宿へも行かなくなってしまいましたが昨日11日、所用での外出序でに昼間の状況を見て来ました。懐かしい新宿西口「思い出横丁」です。

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一歩踏み入れただけで、異様な光景が飛び込んできます。いくら昼間とは言え、昼食を提供していた店もあったのに・・・。

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あっちもこっちもこの有様じゃ寂しいね。

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「思い出横丁」ではないけれど、西口のこの店。ガラスには「あいててよかった24h営業」とありながらも店は開いていません。

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憎いねコロナが!

それにしても政府の対応に不満が鬱積するのはOER3001氏だけ? 

そんな中、グランシップトレインフェスタ2021への出展者である地元鉄道会社はじめ参加辞退するところが、OER3001氏らのクラブ以外にも出ています。それなのに・・・、

新型コロナウイルス感染症拡大の影響を鑑み以下の地域からのご来場は自粛をお願いします。
・緊急事態宣言地域
・まん延防止等重点措置の地域
・独自の外出自粛等を発出している地域

と言いながら、主催する(公財)静岡県文化財団は開催を中止しません。これじゃ残念ですが、なかなか終息するわけないですよね。

 

 

 

2021年5月11日 (火)

エンドウ製NSE入線

「完売御礼」との広告が掲載されるほどの人気製品、それなりに大枚はたいて購入したのだが・・・。

届いた訂正版の車号インレタを入れ、号車番号を入れて「入籍」。エンドレスを敷設して走らせてみました。

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問題点その1:先ず編成組成が大変なのなんのって、連接部分の連結・開放が思うように出来ません。無理して押し込むと直ぐに壊れそうです。

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小一時間かかって漸く11両組成。走行性には問題なく、スローも効くし音も静かで不満はありません。

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しかし走らせてみると気に入らない箇所が見えてくるものです。

問題点その2:ヘッドマークが明る過ぎて、折角の愛称が読めません。照度を下げる方法を考えます。

問題点その3:室内はシートカバーを掛けたいのですが、説明書に解説が無く思うように分解できません。無理に分解すると壊れそうです。

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問題点その4:ワイパーが貧弱です。交換する予定です。 

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問題点その5:カーブに於いて連接台車の心皿位置が、車体中央線上から内側に移動します。本来連接台車は前後車体から伸びた梁を心皿で受けるので、ここを支点にして曲がります。しかし伸縮カプラーに台車を吊したような構造なので、曲線区間への入出時に車体偏位が生じます。

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従って、折角のシリコンゴム幌が捻れることになります。

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曲線内側はなんとか見られるのに残念です。よく見ると台車がこちら側に張り出しています。

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問題点その6:パンタグラフはお粗末。碍子と一体の台枠のため、碍子はパンタと同色のシルバー。さらに、シューを上げようと引っ張ると、台枠から出た止め金具が外れるてしまいました。これではパンタの上げ下げは恐ろしくて出来ません。パンタは交換する予定です。

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問題点その7:各車とも床下に冷房ダクトの立ち上がり部がありません。加えてトイレ付の4号車、8号車に問題大ありです。

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①トイレの換気窓が磨りガラス状になっていますが残念! 

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ここは塗りつぶしの板なのでした(実車画像左矢印)。

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②次に、床下にトイレ用の水タンクがありません(実車画像中央矢印)。

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③さらにコンプレッサーもありません(実車画像右矢印)。

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問題点その8:喫茶カウンターの3、9号車にも実車と異なるところがありました。喫茶カウンターの窓が磨りガラス状となっていますがブー! 

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実車は透明ガラスなのですよ。

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税込み162,250円の製品ながら問題点がたくさん、ちょっと満足できない買い物となってしまいました。プラだから云々という言い訳は通じないはずです。残念ながらKATOやTOMIXの製品と比較すると、完成度は低いと言わざるを得ませんでした。

弊社のNSEは2編成となりましたが、自分の頭で考え、自分の手で作り上げたペーパー自作車両の価値を再認識できた次第です。

 

2021年5月10日 (月)

小海線1978年夏

学生の分際のぼっちぼちさまが1970年夏、ご友人のクルマで追っかけをして撮ったというC56の画像に刺激され、今回も勝手にコラボレーション「ぼっちぼっちの旅日記」となりました。 どうもその1コマ目が、結婚間もないOER3001氏が撮っていた場所のようでした。

1978(昭和53)年の夏休み、夫婦で親戚の別荘に行った帰りに佐久にあった家内の親戚を訪ねての帰路、家内がスケッチを楽しむ傍らで撮影したのがこれでした。

海尻を出た3両編成が、千曲川に沿ってやって来ました。

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落石避けを抜けて来ます。

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キハ52を先頭に、キハ55、キハ51でしょうか、中間の乗務員室内にも乗客がひしめく混雑ぶりです。

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蛇行する千曲川を渡り、松原湖を目指します。

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その一部始終を撮っていました。

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帰宅後その光景を、家内がF10のキャンバスに描いてくれました。車両が上手く描けないと言うので、OER3001氏の模型をキャンバス横に置いて参考にしていました。

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この絵は我家の大切な宝物になっています。

 

2021年5月 9日 (日)

上田交通の想い出:3

調子に乗ってぼっちの旅日記」勝手コラボレーション第3弾です。

上田駅では片隅に可愛らしい電機が佇んでいました。残念ながらパンタを下ろしたED25 11です。

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真横もしっかり捉えられました。台車は先の電車モハ4257と同様のブリルですが、こちらはシングルシューです。ワラ16778越しに、急行「信州」の169系が停車していますが、サロにはグリーン車マークが付けられながらも淡緑色帯が残る時代でした。

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電機の細部を観察しながら後方に向かい、この写真を撮った頃には背後に169系の姿はありません。随分長い時間、構内を愉しんでいたようです。

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ED25 11という機関車、この何とも言い表せない塗色もあって、水色の前照灯、白い手摺など、模型化する際には細かい心配りが必要なようです。

 

 

2021年5月 8日 (土)

電車を愛でつつウォーキング

午後は雨との天気予報を聞いた5月7日、曇っていた昼前に一駅だけ電車に乗る。下りたところはここ。

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小田急永山駅を“永山隧道”上から一枚撮っておきます。

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そう言えば、小田急多摩線開業の1974(昭和49)年6月1日も、ここで撮っていました。当時のカメラ位置はもう少し高いところからですが、今は木々が茂ってその位置からでは撮れません。隣の京王相模原線はまだ工事中で未開通。

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トンネルの上を越えて向こうに回りました。ちょうど小田急と京王が併走してきましたが、フェンスやら植木やらで、良いポジションはありません。

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京王線の下りだけは、なんとかこんな感じで撮ることが出来ます。

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さらに進んで多摩東公園の中に入ります。新緑の木々が茂っていて、“隙間電車”しか撮れません。

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それでも一応、小田急、京王の両方を撮っておきます。

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当然この後は“電車見橋”にも回って見ます。いつもと方向を変えて、“諏訪隧道”を抜けてくるところを狙ってみました。

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しかし折角ここに来たのなら、一応は定番撮影もしておきます。8000+3000の急行でした。

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多摩東公園から初めて“弓の橋”を渡り、トンネルの反対側を目指します。

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京王はちょうどトンネル上の木々を伐採した直後、邪魔が無い良い見通しです。

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ちょっとズームすればこの通り。

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このトンネルは“若葉台第一隧道”とのことで、小田急のような地名にはなっていません。小田急の“永山隧道”の隣は“若葉台第二隧道”なのです。

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小田急の“諏訪隧道”上は竹林で、根が張っていることからか伐採されていないので真上からは電車が見えません。はるひ野駅を発車した各停を、マンションのフェンス上から狙ってみました。

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小田急を撮ってから京王の“若葉台第一隧道”横の歩行者専用道を下ると、若葉台から勢いよく飛ばしてくる準特急が撮れました。

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ここからはズームして、向こう側の小田急も撮れます。但し晴天だと逆光甚だしくダメですが。

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この場所の小田急多摩線開業日の様子はこれですよ。1700形の横位置を撮っていました。信じられない変貌ぶりです。

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若葉台車両基地を見下ろせる上麻生連光寺線という道路を歩き、京王線をアンダークロスするところを“都電”が飛ばして行きました。後ろ姿を押さえておきました。

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そう言えばここでも撮っていました。木々が育ち、1980年の撮影のように左に寄れません。車内信号化で線路脇の信号機は無くなり、架線柱も交換されていますね。

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“諏訪隧道”を抜けて来た8000+3000の上り急行を撮って・・・、

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曇天のお陰で逆光を気にすること無く撮った後は、はるひ野駅から電車に乗って帰りました。

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この日のウォーキング、およそ12,000歩。電車を愛でつつの健康維持はサイコーです。

 

2021年5月 7日 (金)

富士山麓鉄道モ1形

1960(昭和35)年の富士急行への改称以来62年ぶりとなる来年2022年4月、富士山麓電気鉄道が誕生すると発表されました。

富士急行が鉄道事業を分社化することでの誕生とは言え、OER3001氏には懐かしい社名となります。小学2年生の時に「山麓」という意味を初めて知ったのですから。

その富士山麓電気鉄道の開通は小田急江ノ島線と同じ 1929(昭和4)年。開通に備えて日本車輌製造本店で5両製造されたのがモ1形(1~5)。1957(昭和32)年に車体を大型のものに載せ替えた際、旧車体が上田丸子電鉄に譲渡され、同社モハ4257となっていたもの。ということで、上田交通モハ4257のその後を。

会社創立80周年記念事業の一つとして、上田交通から引き取り復元されて2006(平成18)年7月、河口湖駅リニューアルオープンと同時に、駅前広場の一角に展示されました。

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上の駅舎左方、綺麗に復元されたモ1が展示されています。

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人通りが絶えた頃合いを見計らって、全方向から撮りました。

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駅舎を背にしたこちら側にはパンタが載っていますが、本来のモ1は両パンタだったようです。

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それでもここまで復元されているのは嬉しいです。

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「かわぐちこ」の駅票が備えられたホームに上がる階段脇には、モ1の解説があります。

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この解説文には「富士急行創立60周年記念事業にて・・・」とあり、冒頭の「会社創立80周年記念事業の一つとして・・・」と合致しないのは何故なのでしょう?

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プラットホームに上がれば綺麗に復元された車内も観察できます。

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この時代の電車には惹かれるところがあります。いかんいかん、レイルロードのエッチング素材№1017なんて言うのがあったのだ!

 

2021年5月 6日 (木)

上田交通の想い出:2

ぼっちの旅日記」勝手にコラボレーション第2弾、時は1973(昭和48)年3月。4月からの社会人生活を控えた大学時代最後の春休みは、友人達とのスキー三昧でした。その最後のスキーは原点帰り、つまりスキーを覚えた地である菅平へ。信越線上田駅からバスに乗り換えて向かいます。

この日、帰路の上田駅ではコーヒーを飲みながら談笑して列車を待つ友人達から離れ、一人上田交通の撮影に興じていました。ホーム事務室に一言断ればこの通り、構内を自由に歩き回れた時代は懐かしい。

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停車しているのはモハ4257。ホーム停車の光景も良いですが、折角なので近づいて撮ります。

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側面にまわりました。台車はブリルですが、元々のブレーキは型押し片押しシューではなかったのか、後年両抱き式に改造されたように見えますが、詳細は知りません。

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写真がは飯店反転では無いかと疑いたくなりますが、側扉ガラスの表示は車内向けなのでこれで合っています。「走行中開放禁ず」と書かれています。手動扉だったのですね。

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今では高架線になってしまった上田駅。地方私鉄らしい好感の持てる光景でした。

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堂々たるPC架線柱の国鉄線の脇に、広々した構内、木製架線柱の地方私鉄という取り合わせは模型のようです。

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プラットホームの「うえだ」と書かれた白い駅票も堂々たるものでした。

 

 

 

2021年5月 5日 (水)

上田交通の想い出

ぼっちの旅日記」で2回にわたり1970年夏の上田交通を取り上げていらしたので、勝手にコラボレーションさせて頂くことといたします。

OER3001氏が初めて上田を訪れたのは、1969(昭和44)年12月31日大晦日のことでした。大学1年の冬休み、菅平へのスキーで降りた駅。バスの乗り換え時間に友人達から一人離れ、僅かな時間で電車を見に行ったようです。

フィルムをケチったからなのか、それともフィルムを取り出すときのミスなのか判りませんが、光が入ってしまった残念なものになってしまっていますが、真田傍陽線の庫内構内に佇むモハ4250。

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こちらは国鉄上田駅南側の別所線だと思います上とは反対側を望んだもの。左がモハニ4250、右が入線してきたモハ4250。上はパンタ側、こちらは非パンタ側と、都合良く両方が撮れていました。

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上田電鉄上田駅と掲示された、ローカル私鉄としては堂々たる駅舎を撮っていましたが、この駅舎が真田傍陽線のものだったか別所線のものだったか? 肝心な電車は光線が入ってしまったフィルムなのに、駅舎は綺麗に残っていました。

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午前中に撮影している筈なので、光線の角度から判定すれば真田傍陽線の駅舎だったようです。 

この年の5月31日に会社名は「上田交通」となっていますが、駅舎には「上田電鉄」、バス停は「上田丸子電鉄」と、歴史ある社名が混在しているのが滑稽です。

 

追伸;トゥルーリさまからコメントを頂いたことから記憶を修整、該当本文を修正させて頂きました。

 

 

2021年5月 4日 (火)

フリー走行を愉しむ

スポーツの競技種目ではありませんが、エンドレスでスイス風フリーを走らせてみた序でに、こんなのも走らせてみました。

カワイモデルのC11スタイル。C11を名乗るには余りに似つかないとは言え、軸配置は確かに1C2。高学生だった時に思い切って買ったキット、慣れないパイピング等を追加して仕上げたものの・・・、後年グリーンに塗ってしまったもの。

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もう一つ、機関車を電機に交換して。ED201とした当機は、いつ何処で入手したか記憶が無い天賞堂のEB10の車体を利用、ブリル台車にパワトラ2台装備してグリーンに塗装。ドイツの電機のようにパンタを赤くしました。

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牽引している客車は、「あだたら号」を模したデッキ付き。スケールものから離れて“自由形で遊ぶ”のも楽しいものです。

 

 

2021年5月 3日 (月)

今日の一枚 No.114

114回目となった“今日の一枚”、意地になって114の画像で行きましょう。

114という車号は伊豆急にも居たはずですが、生憎撮っておらず、ここ箱根登山のものしかありませんでした。1979(昭和54)年の彫刻の森で撮ったときは、前照灯も大きく黒いものでした。

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1987(昭和62)年に強羅で撮ったのを見ると、前照灯はシールドビームに交換されていました。

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引退を前にした1997(平成9)年 、薄黄色と青の1950年代後期の塗装になっていました。この時シールドビーム前照灯は再び古いタイプのものに交換されていたのです。

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“今日の一枚”とは言いつつ、114号の変遷を綴った次第です。

 

 

2021年5月 2日 (日)

試運転:スイス風フリー

短い線路での試運転は終えていましたが、エンドレスで走らせてみました。

走っている姿をしっかり止めて撮るのは難儀です。

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床に伏せて、電車の速度に合わせてカメラを引く。それがなかなか上手くいきませんが、これで良しとしましょう。

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折角なので室内灯が明るくなる状態で、室内が見える姿も撮っておきます。

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CAの女性によるコーヒーサービスも、明るい室内ではっきり見られます。

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たった1両でも、これは愉しめますね。一人悦に入ってます。

 

 

2021年5月 1日 (土)

できちゃった! スイス風フリー

新型コロナ感染が拡大する中、新緑眩しい5月になりました。「スイス風フリー艤装進行-3」から時間が経ってしまいましたが、気ままにのんびり進めていたら、スイス風フリー、先月末に一応出来ちゃいました。

スイス風景を背景に、先ずは全景を。

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この車両には物語があります。パンタ側は女性運転士。運転室は、乗客からの眺望維持のため仕切りは腰の高さまで。夜間遮光はカーテンを下ろす仕様です。

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運転士には若干気の毒ですが、客席からの前方眺望性を向上させるために、計器盤位置も低めにしています。乗務員後方座席の女性はコーヒー片手に前方景色に見入っていらっしゃるようです。

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乗客も1名を除き他は女性。一人がけシート5席の特別室です。内装は壁面は白を基調に、窓下辺の小棚と共に下方はマホガニーの木材とし、落ち着いたインテリアになっています。シートは運転室と最前列はグリーン、他はパープルです。

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最前列は他の座席と仕様が異なる特別席に陣取るのは?

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双眼鏡だかカメラだかを手にご満悦ですが、これこそ制作者の夢ですよ。

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そこにキャビンアテンダントの女性がコーヒーを。いや至福のひとときですね、これは。

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非パンタ側も同様の客室構造で、この日の乗客も全て女性。最前列の女性客は動画撮影を楽しんでいます。

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中央室は向かい合わせ座席で、こちら側が2人席。

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反対側が4人席の定員12名の車内は、会話で盛り上がっています。右窓左だけがカップルと会話する女性で、他は全員男性という設定。

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この車両に搭載されたパンタは、日本のメーカーの方から頂いていたフルグレックスブランドのSBB Ae 4/6のもの。

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一方で本来は交流電車の屋根上など、詳細を知らないのでAU-726クーラーを載せただけで済ませました。

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とにかく夢の特別車両という設定なので、窓上には1等車を意黄色い黄色いラインを入れ、中央には架空のスイス急行鉄道のドイツ語Schweizer Express Bahnを意味する「SEB」を入れました。ロマンスカーのSuper Expressではありません。

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2021年1月19日の「やっぱり模型作りが好き」以来、40年間放り出していた模型を試行錯誤しつつ気ままに楽しんできた製作、これにて一件落着となりました。スケールものから離れ、たまにはこんな妄想に走るのも楽しいですよ。

息抜きはここまでで一旦終了、大作に戻ることとしましょうか。

 

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